『将校達のプッシュ・オン・アローン(上) 後編』
カリーニンは<ミスリル>で使っている物とは別の携帯電話を取り出すと、
「先程お話した別件の電話です。バングラデシュ出身の、昔の傭兵仲間からだったのですが」
彼は<ミスリル>に入る前に傭兵として世界中を飛び回っていた過去がある。その時に知り合った人物だろう。
「彼は大の日本びいきでして。日本語が判る私もよく彼の話に付き合わされました」
そう言いながら何やら携帯電話を操作している。しかしその手つきは非常におぼつかない。
「済みません。確かこの電話にはある程度会話を録音する機能があった筈なのですが……」
機種にもよるが、携帯電話にはそうした機能を持つものもある。カリーニンの携帯電話にはそうした機能があるようなのだが、その機能の使い方が今一つ判っていないようだ。
その辺はさすがのカリーニンも最新の機械の扱い方がよく判らない中高年と同じらしい。思わずテッサが苦笑してしまう。
やがて彼の顔が若干ほころぶと、携帯電話をテッサに差し出した。
「お聞き下さい」
テッサは何となくその電話を両手で受け取ると、再生のボタンを押して耳に当ててみる。相手のプライバシーを覗き見するような気分がして、緊張した口が自然に引き締まる。
『……生きてるみたいだな、カリーニンのオッサン。結構結構』
ものすごく訛った聞き取りにくい男の英語が飛び込んでくる。それから少し無音の時が続き、
『実はな。さっき俺が住んでるアパートにシャシ少将が来やがってな。それも軍服のままで』
急にひそめるような声になる。声が小さくなったためか、背後でかかっている何かの音楽が微かに聞こえてきた。
日本語の歌だ。てんとう虫がどうのと歌っているのは判ったのだが、テッサには何の歌かはさっぱり判らない。
『本物には会った事あるから本人に間違いはないんだが、そんな人物がこんなボロアパートに何の用なんだろうな』
その発言には驚いた。少将という肩書の人物がボロアパートに住んでいるとも思えないし、直々に誰かを訪ねてきたというのもどことなく変な気がする。それも軍服姿で。
『何かトンデモない事でも企んでくれてれば、俺達の仕事が出てきそうって点ではいいんだが。今の国の方が住み心地はいいんだよな』
そんな呟きからまた少し間が空いた。どうやらこの会話録音機能は、相手の声しか録音できない仕組みらしい。空白の部分はカリーニンが喋っているのだろう。その少し空いた間に、
「シャシ少将って?」
「さっきの脅迫VTRに映っていた将校だよ。現在のこの国の軍のトップと言ってもいい人物だ。明らかに有能そうには見えなかったがな」
テッサの独り言のような疑問にボーダが答える。彼は昨日の交渉の際シャシ少将にも会っているから知っているのだ。
そんな有能そうでない人物がなぜ国軍のトップという地位に収まっているのか。どこの軍も確実に効率的とは言えない面があるのだろう。
そのやりとりの間に、また男の声が聞こえてきた。
『判った判った。これから下げるからよ』
カリーニンの会話がないので話の繋がりが全く判らない。テッサが首をかしげていると、
『ふら〜ぃみつざぁむん〜〜、えんれみっっぷれ〜あまざすた〜〜』
いきなり背後の音楽が大きくなる。思わずテッサは不意を突かれたように驚いて、電話を耳から遠ざけてしまった。
しかし微かに流れるその歌声は、確かに<ダーナ>が分析した物に似ているような気がした。
もう一度電話を耳に当てると、その歌声はすうっと小さくなっていく。
『……悪い。CDのボリューム下げるのと上げるの間違えた。買ったばかりだからどうも慣れてな』
そこで会話は終わった。きっとさっき言っていたように兵士に咎められ切らされたからだろう。
テッサは液晶画面を見る。会話の終了時間が「15:52」と表示されていた。それから録音再生機能を終了させてカリーニンに電話を返す。
「どうやらCDを聞きながら電話をしていたみたいですね」
しかし。日本語のてんとう虫がどうのという歌とアメリカの歌「FLY ME TO THE MOON」。ものすごく奇妙な組み合わせだ。そんな曲が一緒に入っているCDなど本当に発売されているのだろうか。
先程の「謎の歌」は開始三分くらいのところでかかっていた。データ作成開始=おそらく収録開始が現地時間一五四九時ならば、プラス三分すれば一五五二時。歌の相似性といい時間といい、辻褄は合う。
カリーニンの傭兵仲間は、件のVTRが撮影された場所の側に住んでいる可能性が格段に高い。これは思わぬ情報だ。
テッサは慌てて彼に尋ねる。
「カリーニンさん。その傭兵仲間の家は判るんですか?」
「一応は。しかし彼の家は都市外れの安アパート。ここからは車で一時間近くかかります」
という彼の即答に、テッサもボーダも考え込む。
こんな調査をしている間に時間は経ってしまっており、タイムリミットの一二時まであと三時間ほどだ。
だが今の彼らには「足」がない。車で一時間の距離を徒歩で行ったのでは間に合わなくなる可能性がある。
「『兵は神速を尊ぶ』とは云うが、この状況ではな」
ボーダはカーテンを少しだけめくり、階下の町並みを見下ろして言う。
そう。最大の問題は、この戒厳令下同然の町の中をどうやってその場所まで行くか、なのだ。
普通にホテルから外へ出るだけでも警備兵に咎められるに決まっている。町の中も完全武装の兵士がうろついている事だろう。身動きが取りにくい事この上ない。
カリーニンが言った通り無力化や買収が可能といっても、全員に対して効くとは限らない。中には真面目に職務に殉じている者もいるだろう。
第一、撮影された場所から大統領夫人を移動させた可能性もある。
それに関しては「必要以上に人目に触れるような事はしないでしょう」とカリーニンは言う。テッサもそう思ったが可能性は可能性だ。頭の隅にくらいは置いておく必要がある。
「とにかく、まずはそのアパートに行くべきでしょうね。問題は移動手段ですが……」
「この地下の駐車場から盗むしかないだろうな。持ち主には済まないが」
「でしょうね……」
ボーダのあっさりとした回答に、テッサも渋々同意する。この状況ではレンタカーを呼ぶ事もできないから仕方あるまい。
「ではおじさま。その盗んだ車でホテルを脱出して、そのカリーニンさんの知り合いのところまで行くという事で」
「お待ち下さい」
二人のやりとりにカリーニンが割って入る。二人が注目しているのを確認すると、彼は静かに口を開いた。
「私一人で行かせて頂けませんか」
いつも通りの物静かで表情を変えぬままの顔。年若いテッサでは彼の考えなど見抜ける訳もなし。
「なぜだね少佐。君が優秀な兵士である事は認めているが、それでも一人でできる事などたかが知れている」
ボーダの鋭い眼差しに平然と向かい合い、カリーニンは先程の携帯電話を取り出した。
「これをご覧下さい」
差し出した携帯電話のディスプレイ。そこには送受信状態を示すアンテナが三本きちんと立っている。だが先程の話によれば、町中は圏外だった筈だ。このホテルとて「町の中」に違いはない筈なのに。
「確か先の軍事政権のリーダーは政権交代劇の際、このホテルに隠れて各地に指令を出していました。このホテル内部だけは、どんな事態になろうとも必ず無線や携帯電話の電波が届くようになっているからのようですが」
報道によれば確かそうだった筈だ。そして自分の不利を見て屋上からヘリコプターで脱出。だがASの砲撃がかすめたためにバランスを崩して郊外に不時着。そこを捕らえられたとも。
「無論<ミスリル>の衛星通信機は携帯電話が圏外の地域でも問題なく使う事はできますが……」
「何だ。ここでヤツらの無線を混乱させていてほしいとでも言うのか?」
ボーダが彼の考えを察するように鋭い目つきになる。
確かに<ミスリル>の通信衛星やAI<ダーナ>の力を以てすれば、軍や警察の通信回線に割り込んで情報を混乱させる事は難しくない。
「はい。それもあるのですが、お二人には別にお願いしたい事があります」
さすがのボーダも彼の考えが読めず、怪訝そうな顔になる。
「ラタン・タルール大統領の発言の中で、軍の見直しに関する映像や記事を確認して頂きたいのです」
「それで、どうすると言うんだね?」
ボーダの問いかけに、カリーニンは無表情の中にも自信を持って胸を張った。
「私の記憶に間違いがないのなら、大統領は総て『軍の見直し』と発言している筈です。しかし先程の脅迫VTRの中、将校はハッキリと『軍縮』と発言していました」
「……確かに『見直し』と『軍縮』は似て非なるものですね」
カリーニンの発言の意図を理解したテッサが、今回の騒動の根幹を見当づける。
大統領は軍事国家より文化国家を目指すと発言している。それは軍隊をないがしろにする訳ではないが、明らかに重視するものではない。
そんな中で軍の見直しという発言が出ればどうなるか。
見直しと軍縮を勘違いした軍部、もしくは上層部が意図的に単語をすり替えて、軍隊を扇動したのかもしれない。大統領と軍部は明らかに仲が悪い。反発は必至だろう。
もしカリーニンの言った通り、大統領が「軍の見直し」としか発言していなかったのなら、つけいる隙はある。
今の軍隊を支えているのは「軍縮なんかされてたまるか」という強い意志だけだろう。
見直しと軍縮は全く違うのだ。その事実を突きつけてやれば明らかに反応を示す。
それが判ってもこの騒動自体をなくす事はできないだろうが、相手の士気くらいは下げる事ができるかもしれない。時間を稼ぐ事だってできるかもしれない。
そうすればテッサも自分の部隊から充分な戦力を派遣して、非常事態に備える事ができるかもしれない。
あくまで「かもしれない」ばかりだが、事態好転の一筋の光明とは言えるだろう。
「なるほど。それは確かに君よりもテレサの方が適任だな」
AI<ダーナ>や通信衛星とのやりとり。この中ではテッサが一番上手くできる事は確かだ。ボーダもカリーニンも彼女ほどコンピュータに精通している訳ではない。
しかしそれでは軍や警察の通信回線に割り込んで、カリーニンの援護をする事が難しくなる。いくらカリーニンがここまで来られたといっても、ほったらかしになどできない。
コンピュータは複数の行動を同時に行う「マルチタスク」という処理方法を容易に使えるが、人間の脳はそうはいかないのだ。それは天才児で通っているテッサであっても同じだ。限界がある。
「しかし。いくら君でも何の援護もなしでは厳しかろう」
カリーニンの言いたい事、やりたい事は理解できるが、軍人として「一人の」無力さを知っているだけに、ボーダが最後まで口を挟んでくる。
カリーニンもその気持ちは痛いほど判っている。だからこうつけ加えた。
「提督殿。申し訳ありませんが、現地通貨があれば戴けませんか」
いきなりの申し出にボーダの動きが止まると、彼は、
「これから訪ねに行く友人は、無類の酒好きなのです」
確かその友人はバングラデシュ出身だったのでは。テッサが首をかしげる。かの国は大半の人間がイスラム教徒であり、イスラム教の教えでは酒を飲む事はタブーとされている筈だ。
だが、そんなイスラム教徒でも酒を飲む人間はいる。それだけの話だ。
ボーダもそれを理解して苦笑すると、自分の財布から両替えした現地通貨の紙幣を数枚カリーニンに手渡す。
それからカリーニンは時間が惜しいと言わんばかりに紙幣を財布に押し込むと、
「では私は彼の元に向かいます」
「カリーニンさん、気をつけて」
カリーニンとテッサは小さなやりとりをすると、彼は入口を塞ぐように置いてあったチェストを懸命になってどかし、部屋を静かに出て行った。


カリーニンは部屋を出たその足で非常口に向かった。内側からロックを外し、ドアをそっと五センチほど開ける。
外は戒厳令下同然のためかものすごく静かだ。物音はほとんどしない。一国の大都市とは思えないほどに。
彼は非常口のドアを、なるべく音を立てぬようにそっと静かに押し開いて外に出る。
そこから階下を望むが、通行人は誰一人通っていない。見回りをしていると思われる軍人の姿も見えない。
このホテルに来るまでに出会った軍人は二人いた。
一人は任務に懸命であろうとこちらに襲いかかって来た。しかしその動きは新兵のように動きに隙があり、また鈍重だった。
そのため簡単に相手の口を塞いでもう片方の手で首を極め、失神する程度に締め上げて気絶させた。
もう一人はこちらを見て驚きはしたものの、全く怖がっていなかった。完全装備という安心感もあるのだろう。
ニヤニヤと得意そうにこちらを見上げて「金出すんなら、見なかった事にしてやるぜ」と、品の無い声で真っ先に提案してきたのだ。
「それともこいつで撃たれる方がいいかい?」とライフルの銃口を無造作にこちらに突きつけてもきた。明らかに撃つつもりのないのが見え見えの態度だった。
丁寧に無力化しても良かったのだが、あえて態度を見ようと、カリーニンは懐から財布を取り出し、中の米一〇ドル紙幣を一枚差し出した。
兵士はさも見下した目でこちらを見ると得意そうに鼻歌を歌いながら歩き去って行った。金さえ貰えば用はない。やる気のない兵士の典型的な態度である。
そんな無能ばかりであればいいのだが。テッサの前ではああ言ったカリーニンではあるが、そんな考えを抱きつつ非常階段を音もなく駆け下りて行く。
そして一階と二階の真ん中あたりまで来ると、手すりに足をかけ、そのまま一気に空中に身を投げ出した。
素早く足を下に向けそのまま着地。爪先、足首、膝、股関節を柔らかく使って身体にかかる衝撃を殺せば、二階くらいの高さまでであれば無傷で着地できる。特殊部隊で培った技である。
さっきも確認したが、人の気配はない。このまま見咎められないうちに移動しなくては。やや身体を低くし、そのまま滑るように足音を殺して夜の町を駆ける。
さすがのカリーニンも、車で一時間の距離を走るつもりは毛頭ない。どこかで何か乗り物を調達したい。
しかし通りには誰もおらず、見回りの軍人が徘徊している気配もない。……いや。あった。
一瞬曲がり角を飛び出したカリーニンは素早く元の位置に戻り、そっと顔を出して通りを伺う。
そこは車道がいくつもある大通りだった。約一〇メートルほど先に軍用のジープが停車してたのだ。普通に屋根があるタイプだ。ハザードランプが点滅しているので、エンジンはかかっている。
しかし。誰かが乗っている様子は見られない。
そしてジープの側には日本のコンビニエンス・ストアによく似た看板がかかっており――おそらく海外店舗だろう――ジープの乗り手達はそのコンビニで買い物でもしているのだろうか。
軍縮になるかどうかの瀬戸際であり、市民を見つけ次第射殺してもいいと命令が出ているにもかかわらずこの態度。よっぽどやる気がないのか、それとも出歩く市民などいないとたかをくくっているのか。
大通りに出れば自分の姿を見られる可能性が大きい。しかしこの先へ行くにはどうしてもこの大通りを通らなければならない。それならば。
カリーニンは建物の影になる部分を利用して身を低くすると、建物に沿って一気に大通りの隅を駆ける。身を低くしたままジープ後部に身をひそめ、そこから見えるコンビニエンス・ストア内部を観察する。
中には取り残されたらしい市民が一人。レジに一人。それから野戦服姿の兵士が四人いた。そのうちの一人が市民に難癖をつけるように小突いている。こちらに気づいた様子はない。
それからもう一度静かにジープ内部を覗き込む。誰も乗っていない。隠れている様子も、ない。
それでもカリーニンは足音を殺して運転席に駆け寄る。ドアノブに手をかけてロックを外すと、そっとドアを開けて素早く中に飛び込んだ。
横目でコンビニ内部を見てから車内を観察する。大丈夫だ。やはりキーは刺さったままである。左手でサイドブレーキを確認するが、かかってすらいなかった。
ここまで来ると無能を通り越してただの愚か者である。こんな人物がいる軍隊など、むしろない方がマシである。固い考えのカリーニンでなくとも、こんな現場を見たらそう思う事だろう。
彼はそっとアクセルを踏んで、ジープを静かに発進させた。無闇に大きな音を出して、相手に教えてやる事はないからだ。
コンビニにいた兵士が慌てて飛び出して騒ぎ始めた頃には、既にそこから五〇メートルは離れていた。バックミラーでそれを確認したカリーニンは、ようやく本格的にスピードを上げて道路を走り出した。


それから人気のない道路をひた走る。途中同じような車はもちろん、兵士にすら出会っていない。
それは総てホテルにいるテッサとボーダのおかげであった。二人はAI<ダーナ>を経由して、軍の無線に割り込んで混乱させているのだ。
都市東部で小規模の暴動が発生しただの、南部では市民のデモ行進が始まっただの、どこそこで市民に車が奪われただの、こういった状況ではよくある情報を次から次へと流し、ただでさえ無能な軍部を振り回しているのだろう。
このジープにも搭載された無線機から、二人によってもたらされる偽情報とそれに踊らされる兵士達の怒号や悲鳴がひっきりなしに流れてくるところからも、その混乱ぶりがよく判る。
カリーニンも少しでもテッサとボーダの負担を減らすべく、時には将校、時には兵卒を装って適当な偽情報を流してやる。
ここまで情報系統をズタズタにされては軍部もなす術はない。無責任に任務を放り出せば話は別だが、さすがに無能でもそこまで無責任ではないようだ。
だが。都市部から郊外へ抜ける道では話が違ったようだ。
カリーニンはライトを消し、スピードをぐっと緩めてそこに近づいて行く。
厳重なバリケードから七〇メートルほど離れた建物に沿うように車を停めてエンジンを切り、車内からその様子を観察する。
まず、装甲車でも止められそうなバリケードが道路の真ん中に立てられている。そのバリケードにはライフルで武装した兵士が二メートル間隔できっちり張りついていた。狙撃兵らしい人影がビルの数カ所に確認できる。
その側にはジープはもちろん装甲車も停車しており、夜なのでビルの上からはサーチライトが焚かれ周囲を照らしている。
そのサーチライトが一瞬照らし出した物を見て、カリーニンは眉をひそめた。バリケードの向こうでうずくまる全長八メートルもの人型兵器アーム・スレイブが見えたのだ。
そのASはソビエトでは<暴風(リーヴェニ)>と呼ばれていたが、欧米では<野蛮人(サベージ)>と呼ばれている機体である。
蛙を思わせる頭部に、無骨で実用一辺倒のシンプルな胴体と簡素な手足がついた、ASのベストセラー機の一つだ。
<ミスリル>の機体はもちろん先進諸国の最新鋭機と比べるとあらゆる性能は見劣りするものではあるが、それでもまだまだ戦場や紛争地域では第一線で活躍している機体であり、簡素な構造と大量生産されているため整備性は最新鋭機と比べても格段に高い。
人型兵器だけに、人間に可能な行動のほとんどを八メートルというサイズで総てやってのける。まかり間違ってもジープ一つで相手にできるものではない。
迂回しようかとも考えたが、おそらく都市部を取り囲むようにしてこのようなバリケードが張り巡らせてあるだろう。その隙間を見つけるだけでも困難を極め時間を浪費する事は必至。こういう任務につく兵士だ。先程のような無能者だけではあるまい。迂闊に飛び込めばこちらの身が危うい。
ここをどう切り抜けるべきか。カリーニンの思考はその一点に集中した。
あまり派手な事はできない。下手をすれば周辺から増援を呼ばれてピンチに陥るだけだ。
しかしあの数と装備を相手にするには、この盗んだジープ一つではあまりに貧弱。
何かないものかとジープの中を見回してみるが、ライフル一つ積んでいない事が判っただけだ。このジープを使っていた連中はよほど不真面目だったらしい。
ふとバックミラーに目をやると、背後から兵士が走ってくるのが見えた。このままはち合わせれば一悶着起きてしまう。それを七〇メートル先の部隊に知られてしまう。そうなれば失敗したも同然だ。
ところが。バックミラーに映っていた兵士がいきなり横に弾き飛ばされるようにいなくなった。カリーニンが直に振り向いて後ろを見ると、何と、手に棒や鉄パイプを持った男達が兵士に飛びついているではないか。
服装は明らかに私服。間違いなくこの町に住む市民だろう。男達は兵を殴りつけ、その装備を片っ端から奪い取っている。
だが、上手くやっているのか声や音がほとんどしないとはいえ、七〇メートル先の部隊が気づくのは時間の問題だ。
ところがだ。その七〇メートルほど先の部隊の方から何かのエンジン音のような音が響いてきたのだ。
それから数秒後に爆発音。炎や閃光で一気に周囲が明るくなる。
それに驚いた市民が一瞬動きを止めた。慌てて逃げ出すかと思いきや、その光景に「やったぞ!」と歓声を上げている。
カリーニンが車内からよく観察してみると、何とバリケードの向こうにあった筈のASが立ち上がり、持っていたAS用ライフルを物理的に「振り回して」いたのだ。それも味方である兵士達に向かって。
そのAS<サベージ>はわざと大げさなアクションで道路を塞ぐバリケードを両手でガシッと掴むと、まるでバーベルのように持ち上げる。それからポイッとその辺に放り投げてしまった。
そのバリケードが地面に落ちる大音量が響く中、<サベージ>は低いビルの屋上に陣取っていた狙撃兵に素手で挑みかかる。
挑みかかるといってもASの指でビンッと身体を弾き飛ばしてやるだけで相手を行動不能にできる。
それが終わると赤ちゃんのように四つん這いになり、その手で兵士達を積み木か何かのように払い除けて出した。
一応兵士も拳銃やライフルを撃っているが、対人兵器が通じる相手ではない。ASの手で払い除けられて数メートル吹き飛ばされ、大ケガをする者が増えていく。
いかに戦闘訓練された兵士でも、一般的な装備だけでは決してASに立ち向かう事はできない。意気地のない者が武器を放り出して逃げ出しているのが見えた。
一方からは完璧に見えたバリケードも、反対側からは弱かった。よくある話である。
そしてそれを待っていたかのように待ち構えていた市民達。慌てふためく丸腰の兵士達に、棒一つで打ちかかっていく。
無謀のようにも見えるが、ほんの一年前この国では市民と軍の武力衝突があったばかりだ。本格的な戦闘訓練を積んではいなくとも、戦う事を忘れていた訳ではない。
ここにいたら巻き込まれる。兵士は平常心を失っているし、市民は頭に血が上っている。こちらの言う事をどのくらい冷静に聞いてくれるか判らない。
カリーニンは助手席側から外に飛び出し、ジープと建物の間にそっと隠れる。目の前では兵士と市民の衝突がさらに激化していた。
彼はそのまま時計をちらりと見る。ちょうど夜の一〇時を過ぎたところだった。
本来ならこの混乱と闇に乗じて先に進みたかったが、闇はともかく混乱に乗じるのはかえって難しくなってしまった。もし万一見つかった場合はどうなるか保障がない。
こそこそと逃げ出す軍側の人間だと思われれば、たちまちリンチのような追撃が待っているだろう。そこまで興奮している人間は、どんな正しい言葉であろうとその耳には決して届かない。
木の葉を隠すには森の中という言葉があるが、自分のこの長身の白人という体躯では、この中にまぎれる事はできない。浮き過ぎてかえって目立ってしまう。
いくら何でも彼らを傷つけ、もしくは殺害しながら進み行くほど、彼は冷酷な人間ではない。
士気の力か数の力か。そうこうしているうちに兵士のほとんどが討ち取られ、組み伏せられていた。騒ぎは少しだけ沈静化し、市民の意気は益々上がったようだ。
『よーし。第一段階は成功だ』
その時、足元に気をつけながらこちらに歩いてきた<サベージ>が外部スピーカーでそう市民に告げると、その<サベージ>とカリーニンが目があった。気がした。
同時に市民の方から「車の影に誰か隠れてるぞ!」と声が上がる。
こうなってはお手上げだ。素直に出ていくしかあるまい。
カリーニンは肘を曲げて両手を上げた姿勢のままそっと立ち上がり、ジープの影からゆっくりと現れた。
一九〇近いその体躯を見て、頭に血が上った市民達も一瞬ギョッとした顔になる。
「私は君達の敵ではない」
淡々と、相手をしっかり見据えたままカリーニンが通る声で話す。あからさまにこの国の人間ではない自分だが、その言葉がどれだけ相手に伝わるかは正直期待していない。
暴動中の人間に冷静さを持てという方がそもそも間違っているのだから。
案の定、先頭にいた男達が棒を構えてジリジリと近づいてくる。その棒の持ち方も剣のように両手で端を持つのではなく、中国拳法の棒術のごとく両手を肩幅に広げて持ち、構えている。
その構えは我流らしく無駄が多い洗練されたものではなかったが、少なくとも経験に裏打ちされた自信がある。それとたった今兵士を打ち倒したという高揚感が。
それでもすぐさま打ちかかって来ないのは、カリーニンの全身から隠しようもない「戦いのプロフェッショナル」を感じさせるオーラでも出ているからか。いくら抵抗の意志が見えなくとも、迂闊に攻撃すれば自分が痛い目を見る、と。
『おーい待て待て。そのオッサンは無関係だぞ』
何と。<サベージ>の外部スピーカーから市民を静止する声が聞こえてきたのだ。静止するには随分と緊張感のない声だったが、その一言で一気にざわつく市民達。
<サベージ>は周囲に気を使いながらしゃがみ込むと、その場で動きを停止した。搭乗者が下りてくるようだ。
ASの身体が二つに割れるようにして開き、そこから専用操縦服でも軍服でもない、ただの私服の人物がASの身体を伝って下りてくる。それから人混みをかき分け、カリーニンの前に姿を見せた。
夜に慣れたカリーニンの目が、驚きでほんのわずかに開かれる。
「……ラジシャヒか」
「おう、久しぶりだなカリーニンのオッサン。いや、さっき電話で話したか」
どこかとぼけたような、酷く訛った聞き取りにくい英語。顔の下半分がヒゲに覆われた浅黒い顔の中年男。
そう。彼こそは誰あろう。これからカリーニンが会いに行く予定だった人物。
傭兵仲間だったラジシャヒ本人だったのである。

<将校達のプッシュ・オン・アローン(下) に続く>


あとがきというよりなかがき

イレギュラー再び。以前やりました「突然のファイア・ザ・レッド」と同じパターンですな。
「(上)」とある通り、話の前半部。いわゆる「導入編」です。……それにしては話に入るまでが相変わらず長過ぎますが。
色々言いたい事もございますが、まだまだ途中。途中の段階であれこれ言うのは野暮なんでお口にチャック(^_^;)。
今回のタイトルに「将校」とついてますが、この名で呼ばれるのはたいがいの軍隊は「少尉」以上の人々に限られます。
なので「将校達」はすぐ誰の事か判ると思いますが、後ろ半分は綴りの見当がつけやすいでしょうから、調べてみて下さい。

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