「Baskerville FAN-TAIL the 24th.」 VS. Sauran
そんな陰惨な光景を、ビルの屋上という遥か彼方から双眼鏡で眺めている人物が一人いた。もちろんソアラの兄・サウランである。
だが彼は、窓ガラスの向こうで妹が倒れても心配そうな顔一つしなかった。むしろ自分が思っていた通りになって満面の笑みを浮かべているところだ。
彼ら一族の特徴なのか、その笑みが表にはほとんど出ていないが。
「ありがとうソアラ。お前のおかげでコーランもファンランもまとめて始末できた」
あのまま指輪の力が放出され続ければ、さすがの魔族とて命を落とす事は間違いない。
その指輪を盗み出したのはサウラン本人だが、妹以外に正体まで知られた訳ではない。
この状況ならその罪も彼女一人に被せる事も容易。その為に、指輪の力を発動させる方法は教えたが、止める方法は教えなかったのだから。
脱走の罪で逃げ回らねばならないのが少々苦痛だが、二十年ぶりに得た自由と比べれば微々たる苦痛だ。
しかしこのまま指輪にコーラン達を「殺させる」訳にもいくまい、と思い直した。やはり止めの一撃くらいは、自分の手で刺したい。それが人情である。
ところが。彼女の家に何者かがやって来てしまった。しかも複数で。かなり慌てた感じなのがここからでもわかる。
黒髪の小柄な男が今にもドアを蹴り破らんとばかりに足を振り上げているのを、神父の礼服の男が押し止めているのが双眼鏡の中に見えている。
(……急ぐか)
彼は小さく舌打ちすると、手の中でもてあそんでいたパチンコ玉を、彼女の家めがけて親指で弾き飛ばした。
すると、パチンコ玉はライフル弾のように空気を切り裂いて、一直線に飛んでいったではないか! しかもその速度たるや指で弾いたとは思えぬ速度で、とても目で追えるものではない。
ところが。そのパチンコ玉がコーランに止めを刺す事はなかった。
見ると、神父の礼服の男が剣を抜き払って制止していたのだ。コーランはおろか窓ガラスにはヒビ一つ入っていない。
「……!?」
さらに、ガラス窓を遮るように立っていた、全身を黒い甲冑のような物で覆った何者かと目が合った。その何者かは眼光鋭くこちらを見ている。
現場であるコーランの家とこことは一キロは離れている。たまたまにしてはあまりにもタイミングが良すぎた。
「気をつけるに越した事はないか……」
サウランは独り言のように呟くと、そのままビルの屋上から立ち去った。


コーランが目を覚ましたのは、病院のベッドの上だった。
手足の感覚はちゃんとある。おそらく指輪の力が何らかの方法で無効化され「補体転身の術」の効果が戻ったのだろう。
彼女はあちこち軋んだように痛む身体に鞭打って、そのまま起き上がった。足が床についた時、脳天にまで衝撃が走ったものの、悲鳴一つあげずにこらえ切った。
枕元に自分の胸当てとマントが畳んで置いてあった。それらをまとった時、
「どちらへ行くつもりですか」
ベッドを囲むブラインドの向こうから、緊張したクーパーの声がした。
彼はわざわざ「失礼します」と声をかけてから、ブラインドを小さく開けて入ってきた。
「お加減はいかがですか?」
「良くはないわね。全身ガッタガタに錆ついた気分だわ」
軽口のようにそう答えたコーラン。そんな様子を見たクーパーは、
「コーランさんよりもソアラさんの方が早く意識が戻りまして、先程ナカゴさんが事情聴取を行いました」
無の指輪の効果は体内の魔法の力が大きいほど早く、そして強く影響を及ぼす。それでそんな差が出たのだろう。
ナカゴことナカゴ・シャーレンとは、コーランが治安維持隊にいた頃の後輩である。今ではこの町にある治安維持隊の分所の所長を勤める人物だ。
「ナカゴさんが言うには……」
「ナカゴに聞かなくても犯人は分かってるわよ。兄貴のサウランでしょ」
クーパーのセリフの続きを待たずにコーランが言い切る。それも苦々しい顔のままで。
「はい。先程コーランさんの家を狙撃しようとしていました。それもパチンコ玉で」
高速で飛んできたそれを、クーパーは得意の居合いの技で斬り捨てたのである。それは証拠品として治安維持隊に押収されてしまったが。
コーランは「やっぱり」とため息をつき、
「あいつが使える魔法は、物体の移動速度の高速化。小石程度の大きさの物しかできないけど、使い方次第では……」
まだ治安維持隊にいた頃、サウランと対峙した記憶が蘇る。長距離から亜音速で飛んでくるパチンコ玉にかなりの深手を負わされたのだ。
魔族が生まれ持って使える魔法のほとんどは、おしなべて威力が弱い。しかし使い方次第ではいくらでも強力になる。
たかがパチンコ玉と侮るなかれ。亜音速なら生半可な鎧など薄紙のように突き破ってしまう威力があるのだ。
「……どうせサウランはまだ捕まってないんでしょ? ここにいたらマズイわよ」
「なぜです?」
「あいつは私に復讐するつもりなんでしょ? 建物が穴だらけにされかねないわ」
何でもない事のようにサラリと言い切るコーラン。だがサウランの能力を考えると、決してオーバーでも何でもないのだ。
「だから、こっちから待ち伏せて迎え撃つ」
「どうやってです?」
相手はキロメートル単位で離れた位置から攻撃できる方法がある。だがコーランにはない。クーパーが尋ねたのは当然だ。
しかしコーランはそれに答えず、まだギクシャクする身体を引きずるように、病院の廊下を歩いて行った。
そこへナカゴがコーランと入れ違いにやってきた。
「サイカ先輩は?」
「今部屋を出て行きました。待ち伏せて迎え撃つと言っていましたが」
さすがにナカゴは驚いた顔をしていたが、想像の範囲には入っていたらしくため息一つつくと、
「そりゃ先輩ならそうするだろうなーとは思ってましたけど。せめてこっちの話を聞いてからにしてほしかったです」
「何か分かったんですか?」
「サウランを脱走させたのはソアラさんだったんですよ」
ソアラが言うには、サウランは自身の職業が殺し屋である事を妹には伏せていたらしい。それはナカゴの説明で信じられないと絶句した様子からも分かる。
その為捕まったのは冤罪であり、濡れ衣を着せられただけだと言い包めていたようだ。
だからソアラはサウランを刑務所から出してやりたかった。無実であると思っているのだから当然だろう。しかも彼女にはそれを実現させるだけの力があった。
ソアラが生まれ持っている魔法は、何と物体のテレポート。さすがに巨大なものはできないが、人間一人くらいなら、たとえ結界の中にいたとしても転位させられるほど強力なものらしい。
しかし威力が強力な分制約もまた大きく、いつでも思い通りに使える訳ではなかった。
使うには月の満ち欠けと星の位置が重要で、それが特定の位置にないと使えないというものだ。
だからそれらが特定の位置に着くのを二十年以上待っていた為、すぐにサウランを脱走させる事ができなかったのだ。
事件の重要参考人——もはや犯人の言葉である。本来なら事件解決を過ぎても重要機密の筈だ。
それをペラペラと簡単に喋ってしまうのだからよほど口が軽いのか。それともクーパーの事を信頼しているのか。
「でも、待ち伏せて迎え撃つって言っても、一体どこに行ったんでしょう?」
知恵者で通っているクーパーも、そのナカゴの問いには答えられなかった。


コーランとソアラが運び込まれた病院から遥か離れたビルの屋上。双眼鏡片手に病院を観察していたサウランは、
「度胸が座っているのは、相変らずのようだな」
病院の屋上のど真ん中に仁王立ちしているコーランの姿を発見し、彼は小さく笑った。
今の彼女に、数キロ離れた自分を攻撃する手段はない。一方こちらは、この程度の距離ならどうという事はない。
(また邪魔が入らないうちに片づけるか)
彼が袖をめくると、そこにあったのは腕時計型の計測器だった。
周囲の魔力の大きさや位置を計測するものだ。もし治安維持隊の隊員が近くに隠れでもしていたら厄介な事になるのは目に見えている。
計測器の針は「0」を刺しつつ、それが微妙に震えるように動いていた。
周囲に魔力の反応がなくても、風が強いとこうした動きをする事があるので、彼は気にせず探査範囲を広げていく。
仮に姿や気配を消していたとしても、この計測器が測定するのはその体内にある「魔力」。姿を隠しても魔力を隠さない限りこの計測器に反応するのだ。
シャーケンはこの世界——人界でも魔族の人口の多い町だ。探査範囲が半径数百メートルになるとさすがに反応してくるが、どれも微弱なもの。脅威に感じるものはない。
サウランは袖を戻して計測器を隠した。そして目標のコーランは屋上に立ったままだ。
(あばよ……!)
パチンコ玉を親指で弾こうとした瞬間だった。背中に予期せぬ強い衝撃を感じると同時に、自分の身体が前のめりに吹き飛んだのは。
もちろんコーランを狙うどころではない。
「誰だっ!」
サウランは声を荒げるが、誰がやったかの目星はついていた。
「いい加減にしろ、サウラン」
声をかけてきたのは、サウランの若い頃を思わせる青年。薄黄色い肌に同じ色の髪。そしてどことなく無表情が崩れない顏。
「ファンランか……」
サウランはほぼ二十年ぶりに顔を合わせた“双子の弟”を睨みつける。
「また二十年前のように捕まえにきたか」
「ああ。今度は脱走罪も追加する」
言っている内容は衝撃的だが、二人の表情に変化はほとんどない。
変化があったのはサウランの指だった。手の中のパチンコ玉を勢い良く弾き飛ばしたのだ。もちろんファンランめがけて。
ところが。至近距離からの亜音速のパチンコ玉を、ファンランはしっかりとかわしてみせた。
サウランの魔法が物体移動の高速化なら、ファンランが使えるのは自身の移動を高速化させる魔法。そのおかげで彼は魔界屈指のスピードを自負している。
影響のある物は違えど、共に高速化させる魔法を使える者同士。どちらが有利でどちらが不利とは言い切れない。
しかし、状況はファンランに圧倒的に不利だった。補体転身の術の影響で、彼の身体はすぐに消えてしまうから。
対峙したその時からその事を把握していたサウランは、全く焦った様子を見せず、
「お前の身体。あと何秒実体化できるかな?」
無表情な顔に、珍しく嫌みな笑みが浮かんだ。誰でも神経を逆なでされそうな表情だ。
「こっちはお前の姿が消えてから、ゆっくり攻撃して、逃げるとするよ」
周囲に人も魔法も存在する気配は感じられない。言葉通りに実行しても逃げ切る自信はあった。
もちろんサウランに指摘されるまでもなく、ファンランはハッキリと自覚していた。
「……本当に一人で来たと思っているのか?」
ファンランは寂しく呟くと、今まで以上に加速させ、一気にサウランの背中に飛びついた。二人はその勢いのまま落下防止の金網に押しつけられる格好となる。
ファンランはサウランの腕や肩をガッチリ拘束すると、
「遠距離からの攻撃は、サウランだけの専売特許じゃない」
その言葉と同時に、捲れていた袖から覗く計測器が反応した。自分達の後ろの遥か遠くからすさまじい魔力を検知したのだ。
魔力の主は分からないが、先程のセリフから判断するに、このまま狙撃する気だろう。
だがそれには自分の背中に組みつくファンランが邪魔になる。自分の胸や腹が金網に押しつけられた状態で背中から拘束されているのだから。
「いいのか? このままだと一緒に撃たれるぞ?」
弾が当たる寸前に避ける事もファンランにならできるだろう。
だがファンランが通信装置を持っている様子はないし、彼にそんな魔法が使えない事は昔から承知している。その状況で「向こうが亜音速の弾丸を発射し、タイミングを見計らって避ける」という神業のコンビネーションは不可能だ。
もちろんこのまま一緒に撃たれては無事では済まないどころか、命を落とすだろう。
たとえ自分が無傷では済まなかったとしても、弟自身に復讐を果たす事ができれば御の字。サウランはそう考えていた。
「『お前の身体、あと何秒実体化できるか』。そう聞いてきたのはお前の筈だろう」
ファンランのその言葉と共にサウランを拘束する力が緩んだ。実体化の制限時間が来てしまったのだ。
だが、その隙を見つけたと同時に、サウランの背中に再び激痛が走った。
実体化できる時間を正確にカウントし、それを見計らって放たれた、シャドウのライフルの弾丸がサウランの身体を撃ち抜いたからだ。
サウランはガックリとその場に崩れ落ちる。しかしファンランが消えてしまった今、その場で見届ける者は誰もいなかった。


シャドウの撃った弾は急所を外れていたので、サウランが命を落とす事はなかった。
もちろんその後でやって来た治安維持隊に拘束され、再び刑務所に逆戻りとなった。
これは自業自得の事態。同情する余地などない。
問題は妹のソアラである。
罪状は明らかに脱走の幇助。重罪である。それに盗まれた「無の指輪」を使って人を一人——いや五人殺しかけている。
それがたとえ騙されて行なった事であっても、罪は罪だ。魔界の法は厳しく、例外は認められない。彼女もサウランとは違う刑務所へ送られる事となった。
そういう魔界の事情をよく知ってはいるものの、コーランはナカゴにソアラの減刑を嘆願していた。
「そりゃ確かにサイカ先輩の気持ちも分かりますし、何とかしたいのは山々ですよ?」
法を司る機関の一員とはいえやはり人間だ。ソアラの処分についてはコーランより先に減刑の嘆願を魔界の治安維持隊本部に提出している。
「でも、減刑はなりませんでした。そもそも彼女自身がそれを望まなかったんです」
ナカゴの言った言葉に、コーランは小さくため息をつく。
「上の兄貴に騙されて、下の兄貴と生き別れ。ショックは大きいだろうから何とかしたかったけど……それじゃしょうがないかもね」
理由はどうあれ、きっちり罪を償う。そういう潔さを感じたコーラン。
だが現実は違っていた。ナカゴは首を横に振ると、
「上の兄は再び刑務所。下の兄は他人の足に。おそらくもう二度と共に暮らす事はないでしょう。それなら、生きていく意味などもうありません」
おそらくは、ソアラの口調を真似た、彼女自身の言葉。
「……キッパリとそう言われました。何もかもに絶望したような、無気力な目で」
ソアラにとっては、兄達と暮らす事がどんな事よりも優先したい事だったのだろう。
成人と前後して独立するのが普通な魔界の考えとしては、実に子供じみていると言える。
だが、とても一途とも言える。それこそ自分の命すら賭けられるほどに。
「いくら法とはいえ、自分の商売が呪わしく思えます。人一人助けられないんですから」
そう呟くナカゴは悔しそうに唇を噛む。
「けど、こういう事態でいちいち呪わしく思ってちゃ、身が持たないわよ」
たとえ辞めたとはいえ、先輩面したコーランが言う。実体験を思わせるような説得力を込めて。
「それよりサイカ先輩。今回の事、バーナムさんによくお礼を言っておいて下さいね」
話題を変えるようなナカゴの言葉に、コーランは首をかしげる。そう念を押されるほど彼の世話になっただろうか。
「『無の指輪』で倒れた皆さんを助けたのは彼なんですよ。彼だけが魔法の力、魔力を持っていませんでしたから、指輪のある部屋の中で動けたんです。彼が指輪を破壊しなかったら今頃どうなっていたか」
言われてみればその通りだ。
クーパーもセリファも魔法を使える以上魔力を持っている。シャドウはロボットだが動力源は魔力そのものだ。
グライダは魔法は使えない上にあらゆる魔法が効かないが、強力な魔法剣を二振り持っている。そのため無の指輪の影響が出ない保証はない。
そんな彼ら彼女らが部屋に入ればどうなるか、分かったものではない。
いつも大なり小なり困らされているバーナムに命を助けられるとは。コーランは小さく笑うと、
「……後で食事でもおごってあげましょうか。それでチャラにしてくれるわ、彼なら」
その言葉にナカゴは心底呆れた顔で言った。
「命を救われた謝礼がそれですかぁ?」

<FIN>


あとがき

「the 24th.」。お届け致しました。
この話の最大の特徴は、ハッピーエンドじゃない事ですね。悪く言うなら後味の悪い。「the 18th.」でもありましたが。
この話は結構あちこちいじってます。字の間違いを中心に。後から見返すと結構見つかったもので。
さらに説明を加えてますので、冊子の時よりも分かりやすくなっている。と思います。
命を救った報酬がごはんというのに、若干の同情をしながら。

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