「こちらに魔族のサイカ・S・コーランさんがいらっしゃると聞いたのですが」
不意の来客は、無表情のまま淡々とそう尋ねてきた。そう問われたコーランは、
「私がそうですけど、あなたは?」
自然体にもかかわらず、何処か警戒した表情。体さばき。それは彼女が魔族の住む魔界の警察機構「治安維持隊」にいた頃身に付けたものである。
さほど長いとは言えない隊員生活の中で培った観察眼で来客を観察する。
魔法などで外見を偽っている様子はない。純粋な魔界の住人だ。中でもその姿は人間の女性とほとんど変わらない。
薄黄色い肌に同じ色の髪。そしてどことなく無表情が崩れない顔。そして、金属光沢を放つマントの下には、それに合わせるかのような地味で特徴のない質素な装束。
コーランは、性別こそ異なるが、同じような特徴を持つ魔族を一人知っていた。それもとても良く。
「お名前を、聞いてもいいかしら?」
半ば確信を持って、コーランは彼女に尋ねてみた。彼女は少し口を開くのをためらった後、はっきりとこう言った。
「わたしはソアラと言います。あなたの部下ファンランの妹です」
世界で最も不可思議な港町として名高いこのシャーケン。
ここにも、朝はきちんとやってくる。
同時に、面倒な騒動までやってくる。
平穏な日は、一日としてなかった。
この広い町のどこかで、必ず誰かがはた迷惑な騒動を引き起こし、巻き込まれるのだ。
だからこそ、ここへ来れば——どんな職種であれ——仕事にあぶれることはない、とまで云われている。
コーランはソアラを家に上げ、お茶を振舞った。味わい慣れぬ人界のお茶に奇妙なリアクションをしつつ、少しずつ堪能している。
コーランはそんな彼女を見て、黙ったまま考え込んでいた。
ファンランの妹。彼女は確かにそう名乗った。コーランが「予想した通り」に。
だが妹の事は、随分昔にファンランから「火山の噴火に巻き込まれ、死んだらしい」と聞いていた。
らしい、とつけたのは死体はもちろん生死を確認していなかったから。それは同時に確認するまでもなく「死んでしまった」と判断するに足る状況だったからのようだ。
コーランがその事を問うと、
「……兄が、助けてくれました。わたしにはサウランとファンランという二人の兄がいますので。サウラン兄さんの方に」
ソアラはあえて静かにそう語った。
「それで、ファンラン兄さんは今どこにいるのですか。上司のあなたが知らない筈はないでしょう?」
ソアラの言う通り、コーランが治安維持隊で働いていた頃、ソアラの兄・ファンランは自分の部下であった。
魔界一のスピードと自負する高速移動の術を使う魔族で、どことなく冷めた言動の持ち主だった。
そんなファンランが今どこにいるのか。もちろんコーランは知っている。
しかし、肉親の前でそれを告げていいものか。コーランは困ったような顔で押し黙ってしまった。
「なぜ黙っているんですか? それとも、まさか知らないんですか? 自分の部下の行動を?」
ソアラがチクリと嫌みを言ってくる。その挑発に乗ったわけではないが、
「治安維持隊は、もう二十年も前に辞めているわ。だからファンランはもう私の部下じゃない。けど……」
コーランはそう言うと、ソアラと同じ全身を覆う金属光沢を放つマントを脱ぎ捨てた。
その下から現れたコーランの肢体を見て、ソアラが息を呑む。
コーランの右腕全体は闇のような黒。
コーランの左肘から先は曇りのない純白。
コーランの右膝から下は爽やかな青。
コーランの左もも半ばから下は鮮やかな黄。
ボディラインは彼女自身のものだが、ペイントにしては妙な配色だった。
「それは……」
「二十年前の事件で、両腕両脚を喪ってね」
そう呟くコーランの眼は、当時を思い浮かべるような激しい後悔と葛藤があった。
「その時に、私の老師と部下が邪法を使ったのよ」
コーランは左脚を勢い良く振り上げる。
「いでよ、ファンラン!」
振り上げた左脚の黄色い部分だけがすうっと消えた時、コーランのかたわらに立っていたのは……薄黄色い肌に同じ色の髪、変に無表情な顔の男。
「ファンラン兄さん!?」
生き別れ同然だった兄の姿を見て、ソアラの声が激しく震えていた。
シャーケンの町の外れにある小さな教会。
その教会に住む神父オニックス・クーパーブラックは、宅配便——しかも時間指定の特急便で届けられた物を注意深く観察している。
やがて意を決して蓋を開けた箱の中には、テレビ電話の本体が一つ。彼は小さく淋しそうな笑みを浮かべると、急いで皆が待つ部屋に戻った。
「どしたクーパー」
部屋の中で無造作に寝っ転がっているのはバーナム・ガラモンド。武闘家を名乗り、またそう名乗るだけの強さを持ってはいるが、修行らしい修行は全くしていない。端から見れば怠け者である。
「ねーねークーパー。何がとどいたの?」
自分の姉を象ったぬいぐるみを抱きしめて尋ねるのはセリファ・バンビール。見た目も言動も幼いが本当は二十歳。ほぼ無尽蔵の魔力を持つものの、制御の方は未だからっきしである。
「テレビ電話か。送り主は何者だ?」
落ち着いた調子の合成音声で尋ねるのはロボットのシャドウだ。戦闘用特殊工作兵を名乗っているが、肩書に似合わぬ優しい心の持ち主だ。
「確証はありませんが、多分……」
クーパーの言葉の濁し方に、シャドウは送り主の見当をつけた。
それは彼等の正体でもある特殊部隊「バスカーヴィル・ファンテイル」出動要請の知らせである。
「じゃ、遊びは中断ね」
セリファの姉グライダ・バンビールは、嬉しそうな顔で手にしたカードを放り出すように床に置き、クーパーを急かす。
「ひっでーなこいつ。負けそうだからってそりゃねーだろ」
「依頼じゃしょうがないでしょ。もし緊急事態だったらどうすんのよ」
バーナムとグライダの言い争いが始まろうとした時、
「お二人とも。お静かに」
唇に指を立てるクーパー。威圧感も恐さもないが、変なプレッシャーを感じ、二人は言い争いをピタリと止めた。
テレビ電話のモジュラージャックを差し込むと、それを待っていたかのように呼び出し音が鳴り響いた。クーパーはハンズフリーのボタンを押して、通話モードにする。
あまり性能がいいとは言えないカラーの液晶画面には、大急ぎで作ったのが見え見えの、皆が知る限り全く見当のつかない、謎の生物のパペットが映っていた。
『あー、諸君。今回は任務でも仕事でもない。だが、非常に重要な連絡をせねばならん』
すっかり恒例になった、謎の依頼主の合成音声による挨拶。
しかし、パペットなのに動きが全くない。普段は変なところには過剰に凝った映像を送ってくるのに。
『魔法を多用する魔族の世界——魔界には、その魔法を防いだり無効化するアイテムというのが山のようにある』
以前そのアイテムを巡る任務があった事を、一行はすぐさま思い出した。
『その中の一つに「無の指輪」というのがある。有効範囲は半径数メートルと狭いが、その分威力は桁外れだ。過去この指輪の力で国庫にかけられた魔法を完全に無効化して、金庫破りをした者がいたくらいだからね』
国庫といえば物理的・魔術的にも相当厳重な警備になっている筈だ。それを破れるというのは確かに桁外れの威力だ。
『ともかく。そんな指輪が盗まれたのだよ。それも人界の刑務所を脱走した魔族にね』
そこでようやく画面が切り替わり、黄色い髪の細身の男が映し出された。
『この男がその脱走犯のサウラン。そして彼を逮捕したのが……当時治安維持隊隊員だったコーラン君だ』
「其の人物の手配書は昨日見た。二十二年前に殺しに失敗して逮捕された様だな」
今まで黙っていたシャドウが、サウランという人物の説明をする。
『シャドウ君の言う通り。殺し屋が仕事に失敗して捕まったのだから自業自得だ』
そこでようやくパペットは「困ったな」とばかりに頭をかくんと倒した。
「捕まったという事は、コーランさんを多少なりとも恨んでいるでしょうね……」
真剣な顔で考え込んでいるクーパー。その言葉を聞いたグライダは、
「脱走したって言ったけど、ひょっとして、そいつが復讐でコーランを殺す気じゃ!?」
『可能性は大いにあるだろう。だからこうしてテレビ電話で情報を伝えているのだ』
確かに、普段はDVDやビデオテープといった「録画媒体」なのに、今日に限ってテレビ電話の生映像というのも変な話だ。音声も申し訳程度の加工しかなされていない。
だがそのテレビ電話でも正体を明かさないというのは、徹底しているというか、ふざけの度が過ぎるというか。
「しっかし、とっ捕まって二十年も経ってから復讐のために脱走ってのも、ずいぶん気の長い話だな」
興味なさそうに寝っ転がったまま話を聞いていたバーナムが、小さな画面に向かって吐き捨てるように言う。
『独房の中から瞬時に消え失せたそうだ。どうやら、魔法で脱走の手引きをした者がいたらしいな』
そうした刑務所も、魔法に対しては過剰なまでに守りを固めている筈だ。
「って事は……誰かが魔法でその人を脱走させて、その後脱走犯が指輪を盗んだって事?」
頭がこんがらがりそうになったグライダが話を整理する。
『結果のみを言えば、そうなるね』
お気楽の極みのようなセリフである。しかしクーパーは顔を強ばらせ、
「その指輪の力を使って、復讐を果たすという訳ですか」
部屋に飾られた日本刀を鷲掴みにすると、
「無の指輪の魔法無効化能力は並外れています。このままではコーランさんが危険です」
彼の言葉に一同がうなづく。しかし、
「……何故、仕事でも無いのに、其の情報を我々に提供した?」
皆が慌ててコーランの元へ向かおうとする中、シャドウだけが冷静にそう尋ねた。
画面の中のパペットは短い手で器用に頭を掻くと、
『いつも君達には助けられているからね。少しくらいはお礼をしないといけないだろう?』
(礼ならもっとマシな物にしてほしい)
声にこそ出さなかったが、皆それぞれ同じ事を考えていた。
『そうそう。このテレビ電話は君達に進呈するから、誰か使いなさい。こう見えても最新型だよ』
そう言って電話は切れたが、
「いい加減にしろ、こいつよぉ……!」
キレたバーナムの手刀が、電話機を一発で叩き壊してしまった。
ほぼ二十年ぶりの兄妹の再会。
「ファンラン兄さん……」
二十年前と寸分も違わぬ兄の姿に、ソアラの目が潤んでいる。無理もないだろう。
一方ファンランの方も、普段の無表情がわずかに緩んでいるのがわかる。もう死んだものと思っていた妹が、こうして生きていたのだから。
「でも、これは一体……」
ソアラが不思議に思ったのも当然だろう。だが説明をしたのはファンランだった。
「両腕両脚を喪った彼女の力になるべく、我々が彼女の手足となる事に決めたのだ」
実の兄の言葉に、ソアラが激しく詰め寄った。
「ど、どうしてファンラン兄さんがそんな事を!」
「どんな事をしてでも彼女の助けに、力になると誓った。それだけだ」
あまりにも短い言葉に、ソアラは納得できないとばかりに彼の肩を掴んで揺さぶる。
「でもだからってこんな! おまけに邪法って……」
「そうよ。この『補体転身(ほたいてんしん)の術』は、元々相手の力を相手の身体ごと自分自身に取り込んで同化させる邪法。取り込まれた相手は意志さえ封じられ、ただ肉体の一部として使役されるだけ」
コーランが悲しそうにそう説明する。
「一応元の姿に戻す事もできるけど、短い時間だけね」
そう言っている間にも、ファンランの身体がかすんで消えていき、同時にコーランの脚が再生していく。元に戻せる時間が過ぎてしまったのだ。
「今あなたが見た通り。元に戻せるのはほんのわずかな時間。そして、この魔法を解く方法は存在しない。私が死ねば、みんなも死ぬ」
そんなコーランの冷ややかな言葉を、ソアラは肩を震わせて聞いていたが、
「……あなたは、そんな邪法と知っていながら、ファンラン兄さんを自分の身体に!!」
怒りをこらえていたソアラが、ついに爆発した。彼女はポケットに右手を突っ込み、中でごそごそとやった後、その手を高く掲げた。
「指輪よ!!」
手に持つ指輪の石が一瞬強く輝いた。その途端、彼女の右手を中心に空気が濃く、そしてねじ曲がったような違和感が広がっていく。
「…………!?」
その違和感がコーランの全身を包んだその時、唐突に手足に力が入らなくなった。
そして、コーランの身体がくずおれるのと同時に、彼女の周囲に四つの人影が姿を現わした。
薄黄色い肌と髪の無表情な顔の男。
黒い肌の筋骨隆々の巨漢の青年。
全裸に羽衣のみという淡白な表情の女性。
座禅を組んだまま床に落ちた白髪の老人。
コーランのかつての部下。ファンラン、オウラン、ソウラン。そしてコーランの師であるホンラン老師。
補体転身の術で手足となっていた四人が、元の姿を現わしたのだ。
そして床に転がるのは、両腕両脚を喪くしたコーランの身体。ソアラはその身体を見下ろして、
「サウラン兄さんが手に入れたこの指輪の魔力にかかれば、解けない魔法はない! これで兄さんは助かる!」
ソアラは笑っている。だがその目は何かにとり憑かれたかのように尋常でない。まさしく狂気の笑いだ。
「無の指輪か。そんな危険な物をどこで手に入れなすった、お嬢ちゃん」
座ったままのホンラン老師が、厳しい顔でソアラに問い質す。
「そんな事知らないわよ。わたしはファンラン兄さんさえ元に戻ってくれればそれでいいんだから!」
「元に戻るかバカ野郎が!」
ソアラに負けじとオウランが怒鳴り返した。
「その指輪はなぁ。どんな魔法も無効にしちまう。つまり、俺達の中にある『魔法』の力すら無効にしちまうんだよ!」
昔聞いた知識を引っぱり出して彼女に語るオウラン。その表情は真剣だ。
当たり前である。彼ら魔族は姿形は人間と大差ない。しかし種族によって差はあるが、生まれながらに魔法の力を使う事ができる。それは己の体内に魔法の力が渦巻いているからに相違ない。
一般的な魔法を封じる方法というのは、体内の魔法の力を一時的に外に出せなくするものであり、魔法の力そのものを無くしてしまうものではない。
ところが「無の指輪」はその魔法の力をも無にできるのである。
自分の身体を構成する重要な要素である魔法の力が無くなれば、どんな魔族も無事ではいられないのだ。
事実、この場の全員の顔色が悪くなっていく。身体の奥から力が抜けて、立ってすらいられなくなっている。
自分の足元に皆がバタバタと倒れていくのを見たソアラは、オウランの言葉が真実である事をようやく悟った。
特に、兄であるファンランが苦しんでいるのを見た彼女は、
「もういい。止まって、止まってよ!!」
手にした指輪に涙ながらに訴えるが、力が弱まっていく様子は全くない。それどころか指輪を持つソアラですら、頭の中がぼんやりとしてきた。
(何だろう。すごく息が苦しい。身体がすごくだるい……)
彼女の手から指輪がころりと転げ落ちる。
だがそれでも指輪の力は止まらない。
そして——部屋の中で動く者は誰もいなくなった。<To Be Continued>