「Baskerville FAN-TAIL the 25th.」 VS. Ignis Fatuus
「うげ」
テレビのニュースを見ていたコーランが珍しく妙な声を上げる。
人間とは違う魔界の住人である彼女がこんな反応をするなど珍しい。それがかえって興味を引いたのだろう。一緒に住んでいるグライダ・バンビールが画面をのぞき込み、
「……なに、この穴?」
画面には地面にぽっかりと開いた穴が映し出されている。奥の方はよく見えない。
「聞いた事ない? 地下に作られたお墓」
地下に作られた墓地。地下墳墓(カタコンベ)と云われるものだ。
墓地を地下に作ったというよりは、地下の洞窟や空間を墓地に利用したという解釈の方が正しいかもしれないが。
限られた土地の有効活用と言えなくもないが、古くからある町では、忘れられた地下墳墓が工事などで出てくる事がたまにある。そういうニュースだ。
確かに気持ちのいい話題とは言えないが、かつて魔界の警察機構にいたコーランが驚くような話には聞こえなかった。
「昔、嫌〜な奴と戦った事があってね。人界の地下墳墓で」
コーランの言う嫌な奴。奴とは言ったが明確な意志を持った相手ではない。
なぜなら相手は「カビ」だからだ。
だが、たかがカビと侮るなかれ。ちょっとした刺激で勢いよく周囲に胞子を撒き散らすタイプで、その胞子をちょっとでも吸おうものなら、手当をしなければ待っているのは確実な死なのである。
だが高温の火には滅法弱く、火の魔法を生まれながらに使えるコーランは、調子に乗って焼き尽くそうとしたが失敗して辺り一面胞子だらけにしてしまい、危うく死ぬところまで追い込まれたのだ。
今だから笑って話せる話、というものである。


世界で最も不可思議な港町として名高いこのシャーケン。
ここにも、朝はきちんとやってくる。
同時に、面倒な騒動までやってくる。
平穏な日は、一日としてなかった。
この広い町のどこかで、必ず誰かがはた迷惑な騒動を引き起こし、巻き込まれるのだ。
だからこそ、ここへ来れば——どんな職種であれ——仕事にあぶれることはない、とまで云われている。


このシャーケンの町には盗賊ギルドというものが存在する。泥棒の組合と言えばその通りなのだが、盗みをやる人間達の集団という訳でもない。
盗賊の持つ特殊技能を活かした様々なサービスを行っている。開かなくなったドアや金庫の鍵開け。犯罪者の視点から考える防犯対策。冒険行の共から町の様々な情報収集まで、仕事の分野は多岐に渡っている。
善かれ悪しかれ表沙汰にはできない汚れた仕事も多いのだが。
実際に盗みを行うギルドのメンバーも多いが、現行犯以外では捕まえられない決まりがあり、またメンバーが捕まってもギルドは一切関知しない決まりもある。
まだまだおおっぴらに町を歩けるという訳ではないが、盗賊ギルドのメンバーというだけで不当な扱いを受ける事は少ない。
とは言うものの、堂々とそうだと名乗る人間はさすがにいないのだが。
グライダの友人であるルリールも、そんな盗賊ギルドに属する一人だ。そんな彼女がグライダの家に電話をかけてきた。
「酒場が壊れたぁ?」
『そうっす。正確には酒場の地下の酒蔵っす』
まるで少年のような口調で話すルリール。もちろんれっきとした女性だ。
久し振りに飲もうと前から約束していたのだが、その行きつけの酒場で酒蔵の壁が壊れたそうである。
もちろんそれだけで営業を休止するほど酒場という場所はヤワではない。だが、その壊れた壁の向こうに地下墳墓に続く洞窟があったと言うから穏やかではない。
さっき見ていたテレビの場所とは違うのだが、こうも同じような事が連続して起こると、何か関連性があるのではと勘繰りたくもなる。
そんな理由で引っ切りなしに警察や調査団が頻繁に出入りしているのではゆっくり飲めやしない。そう判断して中止にしようという電話だ。
だが、こんな話を聞いて家でのんびりしているほど、グライダは穏やかな性格はしていない。
むしろ「どんな様子か見に行ってやろう」と興味が湧き、結局酒場に向かう事にした。
コーランと、双子に見えないほど幼い外見の妹・セリファを引き連れて。


三人が酒場に着くと、十数人の野次馬が取り囲んで、店には入れない有様だった。
これでは来た意味がないと張られた立入禁止のロープを潜ろうとするが、さすがに警察の目が光っていてそれも叶わない。
「グライダさん、コーランさん、セリファちゃん、こっちっす」
三人を呼ぶ小声に振り向くと、そこにいたのはルリールだった。
後ろ髪をバッサリと切った、これまた少年を思わせる風貌の少女である。まだ高校生だが立派な盗賊ギルドの一員である。
「こっちからなら入れるっす。行くっすか?」
小声でそう言った彼女は抜け道に案内してくれるという。その辺はさすがに盗賊ギルドのメンバー。抜け目がない。
三人はこそこそと野次馬の群れを出て、酒場から離れた。
その抜け道というのは、少し離れた裏道にある別の酒場だった。うらぶれた雰囲気のある暗い酒場だが、盗賊ギルドの支部の一つがここにある。
といっても、その事は町の誰もが知っており、警察とて用がなければやってくる事は決してない。
ルリールが言うには、万一に備えた脱出口の一つが、件の地下墳墓に続いているそうだ。
だから盗賊ギルドの方も、警察の捜索でその脱出口が見つかるのではと神経を尖らせているのだ。そこへ案内しようと言うのだからもう呆気に取られるしかない。
一同が酒場に入ると、そこに余りにも場違いな人物を発見した。
グライダ達と仲のいい神父オニックス・クーパーブラックである。
「クーパー、どーしたの?」
彼に懐いているセリファが真っ先に駆け出して、彼に飛びついた。クーパーはセリファを優しく受け止めると、
「お酒を買いに来たんです。今夜来客がありましてね」
聞けば相手はかなりの酒豪との事で、美味しい酒を求めてわざわざ来たというのだ。
実際この酒場で独自に作っている酒は味も香りも大変よく、知る人ぞ知る「銘酒」なのである。
「皆さんはこれからお食事ですか?」
酒場という名ではあるが、日中は普通に食事を出す店が多い。ここもそんな店の一つだ。
もっとも、そちらの方はあまり評判がよろしくなく、いつも閑古鳥が鳴く有様。
盗賊ギルドの支部の役員を兼ねる酒場の主人は「盗賊ギルドを賑やかにするのもな」と苦笑しているが、実際は料理があまり美味くないだけだ。
店の中で五、六人の男達が昼間からちびちびと酒を飲んでいるが、彼らは皆盗賊ギルドのメンバーだ。
さすがに盗む時とそうでない時の場はわきまえていて(?)、たとえ盗みをやる者でも、ここで盗みを働く事はない。
「ほら。そこで見つかった地下墳墓の様子が、こっちからも見られるんだって」
グライダがクーパーに説明する。
ところがそれを聞いた酒場の主人が、
「ルリール。いくら顔馴染みとはいっても、あんまり部外者を中に入れてくれるなよ」
やんわりと止めに入ったのは、店の地下にこそ盗賊ギルド本体があるからであり、案内するにはその地下へ行かねばならないからだ。
いくら「この店に盗賊ギルドがある」と知られていたとしても、堂々と部外者の立ち入りを許す事ができないのは組織としても常識としても当たり前だ。
特に今は脱出口の一つが見つかるかもしれない瀬戸際なのだから。
ルリールは「大丈夫っす」と一言漏らすとクーパーを見送り、店の奥に皆を案内した。
店の奥の小部屋には、小さなテーブルに両足を乗せて、ワインをラッパ飲みしている白衣の老人が一人いた。老人はルリール達を一瞥すると、
「どっか……具合でも悪いのかい?」
少し酔いの回った間延びした声で尋ねてくる。ルリールは自分のお腹に両手を当てて、
「お腹が痛いの」
その返答に一瞬グライダ達はぎょっとなるが、老人の方はカラカラと笑うと、壁に立てかけてあった木の棒を持って、壁の一点をゴンとこづいた。
すると何もなかった筈の壁にぽっかりと黒い穴が開いた。隠し扉だ。
「地下墳墓の様子でも見に行くのかい?」
「ええ。この人達も一緒にね」
ルリールの言葉に老人は再びカラカラと笑うと、
「気をつけてな」
短い言葉を送り、棒で「行きな」と促す。
「さっきの……合言葉?」
「そうっす。けど内緒っすよ」
コーランの問いにルリールがみんなの方を向いて、指を口に当てて「しーっ」とやる。
それから手招きして地下への階段を下りようとした時だった。
その地下から上がってくる人影が見えたのだ。階段は狭いので、先に外に出てもらおうとルリール達が道を譲る。
しかしその人影はげっそりとした顔で上がってきた途端、その場にどさっと倒れてしまった。思わず駆け寄るルリールだが、
「近寄っちゃいかん!!」
白衣の老人は外見からは信じられない迫力で一喝して、かろうじてそれを止めた。
倒れているのはルリールと同じ盗賊ギルドのメンバーだ。全身に黒い発疹が浮かび上がり、激しい運動直後のようにぜーぜーと荒く息をしている。
それにしては全身から血の気が完全に引いている。明らかに「何かあった」証拠だ。
白衣の老人は注意深く倒れた男に近づくと、
「……こいつは何か毒にやられたな」
男の症状からそう見当をつける老人。どうやら見かけ通り医療の知識はきちんとあるようだ。
それを聞くが早いか、コーランは自らの左腕を掲げると、
「いでよ、ソウラン!」
白い左腕がすうっとかき消えると同時に姿を現わしたのは、全裸に羽衣のみを纏った若い魔族の女性だった。彼女は無表情のまま何か呟くと、高々と両手を掲げる。
すると掲げた両手から黄色い光の粒子が巻き起こり、小さな部屋の中にキラキラと舞い落ちる。
「……やっぱりそうなの、ソウラン!?」
「ハイ。ドウヤライルヨウデス」
光の粒子を見て顔がこわばるコーランの問いに、ソウランと呼ばれた羽衣の女性が淡々と答える。
「い、いるって、何が?」
話が全く判っていないグライダがコーランに尋ねる。セリファは無言で震えたままそんなグライダにしがみついている。
「……イグニス・ファッツァス。朝話したでしょ? 私が昔死にかけたカビ。あれよ」
「カビじゃと? ワシは光の浮遊体と聞いているが?」
老人が不意に口を挟んでくる。コーランは「そうとも言う」と言い捨てる。
その時だった。セリファが急にへなへなとその場に崩れ落ちたのだ。その身体に先程の男と同じ黒い発疹を浮かび上がらせて。苦しそうに呼吸を荒げて。
そして、それから少し遅れてグライダやルリール、老人にもその症状が表れてしまった。


コーランは自分の携帯電話を取り出すと、すぐクーパーに電話をかけた。
彼は携帯電話は持っていないが自宅の電話は留守番電話だ。せめてメッセージを入れておけばと考えたのだ。
だが運はコーランに味方したようで、留守番電話に切り替わる直前にクーパー本人が電話に出た。
コーランは早口でイグニス・ファッツァスの治療に必要な血清や治療薬の手配をしてくれるよう彼に頼んだ。
イグニス・ファッツァスは人界にしかいないがたくさん潜んでいる者ではない。普通の病院ではそれらが置いていない可能性があるのだ。
だがクーパーは「イグニス・ファッツァス」と聞いた途端震えた声で、
『申し訳ありません。イグニス・ファッツァスの血清や特効薬は、まだ実用化されていない筈です』
その声の、何と悔しそうな事か。
「じゃあ魔法は? 強力な治療の魔法なら……」
『無理です。薬も魔法も、イグニス・ファッツァスには通じるものはありません』
もちろんクーパーは意地悪でそう言っている訳ではない。本当に存在しないのだ。
それから彼は詳しい説明を始める。
イグニス・ファッツァスの正体は、発光するカビの塊である。明確な意志はなく、宙をふわふわと浮かんでいるだけだ。その様子は墓場に現れる鬼火によく似ている。
だがその内部には強い殺傷力を持った病原菌が詰まっており、ちょっとでもショックを与えようものなら外殻の発光カビが割れ、病原菌が周囲にバラ撒かれてしまう。
その病原菌は空気感染し、感染した者の身体に付着すると、その生命力を急激に搾り取って成長していく。その証が全身に出る黒い発疹だ。
そして感染者の皮膚が真っ黒に染まった時、その者の命運は尽きる。
そこまで黙って聞いていたコーランは急激な寒気を覚えた。かつてそんな恐ろしい病原菌に感染した事でだ。
だが、治療法のない病原菌に感染した筈の自分は、今もこうして生きている。おまけに他の人間達が倒れる中、自分だけは全くの平気だ。発疹すら表れていない。
『救いは空気に触れた病原菌の寿命がとても短い事。それに、一度感染した人間には抗体ができて二度目以降は発症しない事。この二つだけです』
もちろんその抗体から治療薬を作る研究が進められている。
一応理論上は完成しているようなのだが、感染ケースが少ない上にまだ大量生産できる段階にはないという報告だそうで、薬の実用化は何年先になるか分からないと言う。
今言えるのは、病原菌が死滅するまで生命力が持てば助かる。そうでなければ死ぬ。それだけだ。
だが、さっきソウランは魔法を使っていた。イグニス・ファッツァスに魔法は効かない筈なのに。聞くと、
「アレハ肉体ノ抵抗力ヲ上ゲル魔法。少シデモ時間ガ稼ゲレバ……」
己の無力さに唇を噛み締めるソウランの姿がかき消えていく。そして元のようにコーランの腕が戻った。
「……コーランさん」
自分の足元からか細い声が。見るとルリールが震える手で携帯電話を操作している。
「話は聞いてたっす。今からこれで、抗体のデータを調べるっす」
電話で何ができる、とコーランは思ったが、ルリールのものはネットへのアクセスが可能なタイプだそうで、そちらで調べてみると言うのだが、そんな簡単に見つかるとも思えない。
そもそも魔法で抵抗力が上がっているとはいえ、動いていては無駄に体力を消耗するだけだ。
「平気っすよ。あたい魔法過敏症っすから」
脂汗をかく顔で笑ってみせるルリール。
魔法過敏症とは、魔法の効果が大きく表れすぎてしまう体質の事だ。
治療でなら便利にも思えるが、傷が塞がりすぎて筋肉が変に凝固したり、解毒のつもりが人体に有益な菌などまで死滅させたりして、かえって害を招いてしまうのだ。
それほど多くの報告例がある訳ではないが、改善法などもかなり研究が進んでいる。
その体質のおかげで抵抗力を上げる魔法が極度に強められ、意識を失わずに済んでいるようだ。
確かにグライダやセリファ、それに白衣の老人に比べると病状の進行速度が極端に遅くなっている。
だが、症状が全く出ていない訳ではない。
黒く小さな発疹が全身を覆っているのは間違いないし、ぜーぜーと喉の奥から絞るような荒い息。全身から血の気の引いた青白い皮膚。どれをとってもイグニス・ファッツァスの症状だ。
「これから研究施設にハッキングをしかけて、データを調べてやるっす。それで何か情報を……」
ルリールは携帯電話を両手で掴み直すと、横になったままでボタンを親指で押している。その表情も真剣そのもの。とても口を挟めるものではない。
以前彼女からパソコンは詳しいと聞いていたが、ネット関連の事も詳しいらしい。
コーランも携帯電話を使っているが、さほど使っている訳でもないし使いこなしている訳でもない。彼女の好きにさせる事にした。
ただ。このまま何もしない訳にはいかない。
コーランは再び電話をかける。その相手は仲間である戦闘用特殊工作兵のロボット・シャドウであった。
『何が在った』
間髪入れずに電話に出たシャドウの合成音声が聞こえる。コーランは現状を手短かに説明すると、
『ハッキングは自分にも出来るが、イグニス・ファッツァス掃討の方が向いて居る』
ロボットであるシャドウなら、カビの病原菌に冒される事もない。確かに適任だ。
『其れから先程、地下墳墓にバーナムが突っ込んで行ったが、彼は大丈夫なのか?』
バーナムとは彼らの仲間であり、武闘家のバーナム・ガラモンドの事だ。
シャドウの言葉に、さすがのコーランも開いた口が塞がらなかった。一体何を考えているのやら。
彼はすぐにバーナムの後を追うと言い、電話を切った。

<To Be Continued>


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