「Baskerville FAN-TAIL the 17th.」 VS. Nakafree
一方流氷の上では、少々薄汚れたマントを着込んだ人物が、双眼鏡でその様子を見ていた。
空中を「走ってくる」男の姿を見て、小さく微笑む。
「正面から来るとはさすがバーナム・ガラモンド。俺が見込んだだけの事はある」
氷山と呼んでも差し支えないほど規模の大きな流氷の上。周囲の気候はともかく、氷の上にいるのに全く寒そうにしていない。
妙に凹凸の少ない顔に小柄で浅黒い肌。日の光を受けて緑色にきらめく薄茶色の髪。
ナカフリー——バーナムの読み通りの人物は、彼がここまで来るのを今か今かと待ち望んでいた。
これまでやって来たのは勘違いした漁船やらうっとうしいマスコミの報道ヘリばかりで、溜まるのはストレスばかり。
それらを驚かす程度では、とてもストレス解消にはならなかった。
「……もうそろそろ着くか」
双眼鏡に頼らなくてもはっきり見えるようになったバーナムを見て、ナカフリーは不敵に笑う。全身を覆っていたマントの前をはだけ、邪魔にならぬよう肩から後ろに追いやる。
その姿はどこにでも売られていそうな薄着。氷の上で立っていられるような防寒性は期待できない。
それとも、氷を操る力があるから氷の上でも大丈夫という理屈なのだろうか。
やがてバーナムは氷の上に着地を決めた。
「ずいぶんハデなご登場だな、おい」
足下に広がる氷の大地は、ちょっとしたグラウンドほどあるのではないかという広さである。
「以前は魔力と触媒に恵まれなかった……」
以前戦ったのは荒野の真ん中にぽつんとある小さな町だ。そんな環境では氷はもちろん水も少ない。
どんな偉大な術士でも、呪文と魔力だけで魔法が使える訳ではない。「魔法をかけるのに必要な材料」。つまり触媒を介して術を使うものだ。
「……だが今回は勝ち目はないと思え」
そう凄まれても、周りではニュースでやっていたペンギンの赤ちゃん達がパタパタと駆け回り、これから戦おうという雰囲気に欠ける。
ナカフリーが足でトンと氷を叩く。すると赤ちゃんペンギン達が氷に開いた穴に次々と落ちていった。
その光景に一瞬ギョッとなったバーナムだが、その耳は、数十秒後に小さく何かが飛び込む水音を確認した。
あの穴がシュートのようにペンギン達を逃がしたのである。
「これで文句はなかろう。約束通り全力で戦えるな」
「確かに今度は『手加減抜きでトコトンやろう』って約束はしたけどな」
バーナムも戦闘服の背に淡く輝く「八卦の陣」をチラリと見る。
どこまで自分の身体が持つか分からないが、これがなければ『手加減抜きでトコトンやろう』という約束は果たせない。意外と律儀である。
「じゃ、始めるか」
バーナムは相手に対して身体を横にして左腕を突き出す。右腕をぐっと引き絞って四霊獣の拳に伝わる「弓引絞(きゅういんこう)」の構えを取る。
ナカフリーは祈りでも捧げるように胸の前で手を組んでいる。だが呼吸を整えるのと同時に気を張りつめ、瞬時の攻撃に備えている。
しばしどちらも動かず、静寂が続いた。
その静寂を破ったのは、どこからか聞こえてきた、氷にひびが入る音だった。
その音と同時に二人が動く。
バーナムは右手を一瞬握り直し、気を込めた一撃を放つ。
ナカフリーは彼の手前に飛び込むように手をつき、そのまま逆立ちしながら腰をひねり、脚をブンと振り回してその一撃を受けとめ、
「氷よ!」
同時に術を発動させる。バーナムの右手が一瞬だけ凍りついた。
バーナムは苦し紛れに左手でナカフリーの膝頭を狙い、失敗。その反動を利用して後ろに転がって間合いを取り直す。
ナカフリーは独楽のように数回転した後、
「凍らなかったか。そっちも腕を上げてるね」
「あったり前だ。前と同じと思うなよ」
凍りついていた右手が完全に治り、バーナムは不敵に右の中指を立てる。
ナカフリーも逆立ちから普通に立ち直し、
「じゃあ、もう一度行こうか」
ナカフリーは文字通り氷の上を滑るように移動。右に左にジグザグの蛇行走行でバーナムに迫る。
だがバーナムは慌てず騒がず、すんでのところでしゃがみ、素早く足を払う。
しかしナカフリーも蹴りを避けるため、余裕を持ってジャンプ。なんと、そこへバーナムがいきなり飛び上がって蹴りを繰り出した。
予備動作のほとんどないその動きに防御が遅れ、魔法を込めていない普通の防御だけで、彼の気を込めた一撃を受ける羽目になった。
筋肉が一瞬押し潰され、骨にまで衝撃が走り、ミシミシときしむのを感じながら、ナカフリーは高く弾き飛ばされた。
どうにか足から着地できたのは幸運だった。更に攻撃を受け止めた腕が折れも吹き飛びもしなかったのは奇跡といってもいいだろう。
動きを読まれないために予備動作をしなかった事で、普段より込める気が少なく、威力がなかったのだ。
だがそれでも腕は激しく痺れて、しばらく使い物になるまい。
強い奴と戦うのはやはりいい、と感激すらしたが、いつまでも感激していられない。
そう判断したナカフリーは攻撃を腕ではなく脚に切り替えた。しかも魔法を込めた一撃とそうでない一撃をランダムに織りまぜて。
普通の攻撃ならいいが、魔法を込めた攻撃は、気を使った防御でなければ完全には防げない。
だがバーナムにはどれがそうなのかの判別ができない。だから全部の攻撃を気で受けねばならないために、消耗が激しくなる。
さらに四霊獣の加護を得る戦闘服の副作用ともいえる激痛と疲労感がじわじわと襲ってきているのが分かる。
だからバーナムは一か八かの賭けに出る事にした。
ナカフリーの攻撃に一切の反撃をせず、ただ耐えるだけとなったのだ。防御を固め、あらゆる攻撃に耐えて、耐えて、耐える。
バーナムらしからぬ戦法ではあるが、その戦法に苛立ったのはナカフリーだった。
「どうした、攻撃してこないのか!」
ようやく痺れの取れた腕と脚の連続した攻撃を矢継ぎ早に繰り出す。もちろんそのことごとくに魔法を注ぎ込んで。
だから、バーナムの腕や脚はうっすらと凍りついている。部分的に凍傷を起こしているかもしれなかった。
「貴様はそれでも武闘家か!」
散々なじっても、バーナムは一言も言い返さない。じっとナカフリーを睨みつけ、防御を固めるのみだった。
その態度に、ついに堪忍袋の緒が切れたナカフリーは、
「よし分かった。一気に白黒つけてやろう!」
力強く蹴った反動で一旦離れて間合いを取る。それから呼吸を整え、口の中で呟くように呪文を唱え出した。
呪文が進むにしたがって、バーナムの周囲に何かキラキラした物がふわふわと、少しずつ舞い出した。
呪文の長さから相当大がかりな魔法だという事は、魔法には素人のバーナムにも分かる筈なのに、それでも彼はピクリともせず身を固めるだけだった。
その態度にナカフリーは大きな空しさとわずかな呆れを感じていた。強さを認め、お互いに全力で戦った以前の彼はもういないのだ、と。
そうしている間にも、バーナムの周囲にキラキラした物が舞い続けている。それはさらに多くなり激しく吹き荒れ、バーナムの腕や脚の氷をどんどん大きく厚くしていった。
そう。宙に舞っていたのは極めて微細な氷の欠片。ダイヤモンド・ダストであった。
その量は、もはや彼の姿を直視できない程であった。総ての生命を死に追いやる猛吹雪を、彼の周囲だけに出現させたのだ。
「……氷の中で朽ち果てろ」
防御の姿勢のまま、氷の中に完全に閉じ込められたバーナム。完全に凍りついた彼を、失望した目で冷たく見つめるナカフリー。
「……終わったな」
額からは滝のような汗が流れ、疲労困憊で肩で息をしながら空しくため息をひとつ。
絶対に勝ってやると懸命に修業したその成果を出す戦いが、こんなにもあっけなく終わってしまうとは。
勝利した喜びなど全くない。かつてこんな情けない相手と引き分けたのかと、自分自身が情けなくなってきた。
そんな愚か者に背を向け、立ち去ろうとした時だ。
なんと、バーナムを覆っていた氷が見る見るうちに溶け出したのだ。溶けた氷で全身ずぶ濡れのバーナムが、重々しく口を開いた。
「……オレはずっと疑問だったんだよ。何でてめぇが『氷の山に乗って来た』のかがな」
ナカフリーの魔法は「氷」である。それは以前の戦いから学習済みの事である。
無から有を生み出す事は不可能ではない魔法だが、既にある物を活用する方が魔力の消費も少なくて済む。
だが自然界に氷のある場所は限定される。そこへ誘い出せば「罠がありますよ」と言っているようなものだ。
かといって普通に氷を用意したら、時間が経てば溶けてしまうし、人一人が持ち歩ける氷の量などたかが知れている。
しかし巨大な氷に乗ってやってくれば、自分が乗っている足場の氷を魔法の触媒としていくらでも使う事ができるし、大きいだけになかなか溶けない。
万一の時は海の水を凍らせれば、いくらでも氷を作る事ができる。触媒に不自由しない。それがナカフリーの考えだったのだ。
「それにな。オレが使う四霊獣龍の拳。その加護となる『龍』は水神。それを水や氷で殺せる訳ねぇだろ」
もう彼の身体を覆う氷はない。バーナム・ガラモンドの完全復活である。
「……なるほど。水神相手に氷とは、こちらが迂闊だったな」
内心の動揺を隠してナカフリーが強がる。
もちろんナカフリーとて氷以外の魔法を知らない訳ではない。だが、得意技が通用しないと分かったその精神的な衝撃は決して小さくはない。
「けど、ちまちま氷を壊したって、こんな海の上じゃすぐ氷を作られちまう。だからよぉ……」
ナカフリーは初めて気がついた。バーナムの身体の内に圧縮された気の塊を。
ずっと防御を固めて打たれ続けていたのは、莫大な気を吸収し、それを凝縮して強力な一撃を放つ準備だった事を。
「全部を一気に吹き飛ばすっきゃねぇだろ!」
戦闘服に隠れてよく見えないが、バーナムの全身に無気味な文様が鮮やかに浮かび上がる。その無気味さに、さすがのナカフリーも飛びかかるのを一瞬躊躇してしまう。
ォォォォォォォォォォォォォォ。
バーナムの喉の奥から、とても人間とは思えない低いうなり声がした。それも、複数の者が一度に喋ったように混ざった声で。
その時、バーナムの右手に青白いオーラが。左手に赤黒いオーラが立ち上った。しかし立ち上ったオーラはかなり弱々しく、安定していない。
(ひょっとして、使いこなしてない技か!?)
ナカフリーは千載一遇のチャンスと判断して一気に間合いを詰めた。得意ではない火の魔法を唱えながら。
いくら水神の加護とて、火の魔法を受ければ無傷では済むまい。
それを迎え撃つバーナムの全身は、耐えがたい激痛がかけ巡り、骨がきしみ、筋肉が震え出す。皮膚がひび割れて全身のあちこちから血が流れ出していた。
戦闘服の持つ副作用。とうとうバーナムの限界が来てしまったのだ。
(ざけんじゃねぇ。ここで負けてたまるかってんだよっ!!)
歯を砕かんばかりに噛み締め、両手のオーラに残る気を総て振り絞って注ぎ込む。
だが一瞬早くナカフリーの拳が決まった。同時に叩きつけた拳の部分だけがかあっと熱く燃え上がる。拳を受けた胸が焼ける、嫌な臭いが立ち込める。
「……ありがとよ。これだけあれば充分だ」
バーナムは痛みをこらえて無理矢理口の端で笑うと、ナカフリーにはお構いなしに、両拳を足元の氷に叩きつけた!
青白いオーラと赤黒いオーラが大砲のように飛び出し、氷を壊しながら下へ下へと突き進む。その影響で、足元が地震のようにぐらぐらと揺れ出した。
それだけではない。流氷の上面だけではなく側面、底面、いたるところが次々とひび割れて壊れていく。
巨大な質量を持つ堅い流氷が、まるでガラスの塊のように易々と砕けていくのだ。
バーナムは叩きつけていたままの拳を放し、力強くバチンと合わせた。
「暴れろおぉぉっ!!」
次の瞬間、二人の視界は一瞬で真っ白に染まり、同時に天高く弾き飛ばされた。


バーナムが気がつくと、目の前に広がるのは青い空だけだった。
それから、何か大きな物の上に寝かされているのに気づく。自分の上にかけられているのは、魔族がよくつけている、金属光沢のマントだ。……ボロボロではあるが。
「気がついたか」
声が聞こえた横の方を向く。声の主ナカフリーはバーナムに背を向け、あぐらをかいて座っていた。
「まさかあの氷をバラバラにされるとは思わなかった。俺の負けだ」
「ち、ちと待てよ。気絶したのはオレの方だ。勝ちはそっちだろうが!」
思わずガバッと起き上が……ろうとする。
だが身体の節々がズキズキときしみ、起き上がる事はできなかった。痛みがさっきほど強くないのが救いか。
「あの爆発で両手がボロボロだ。指の骨が何本も折れた。これでは寝首もかけない」
仰向けになったままのバーナムの眼前に、とんでもない方向に折れ曲がった指だらけの両手を見せるナカフリー。その火傷だらけの両手の気味悪さにそっぽを向くバーナム。
「あの爆発から身を守るのと、こいつを呼び出したおかげで魔力の方は空っぽだ。しばらくはアイスだって凍らせられないよ」
バーナム達が乗っているのは、魔界に住む空飛ぶ巨大なエイだった。それが空をゆったりと飛んでいるのだ。
「それに、あれだけの氷をあっという間に壊されちゃあ、白旗を上げるしかないさ」
ナカフリーの視線の先——氷が浮かんでいたところには、まるで隕石が落ちたクレーターのように、その部分だけぽっかりと海の部分が無くなっている。
技の威力がまだ持続しているのだった。
四霊獣龍の拳・龍哮(りゅうこう)と鳳の拳・鳳鳴(ほうめい)。
気を凝縮させて飛ばす技だが性質が違う。その違う気の塊二つを同時に使う、いわば合体技。
本来二人でやるものを一人でやったのだ。全身にかかる負担は並ではない。
「オレも身体がボロボロだ。これじゃ続きもできねぇ。決着がついたとは言えねぇな」
「少しは後先考えろ」
元々恨みや憎しみで戦った訳ではない。戦いが終われば、酒すら酌み交わせる仲にだってなれる。
「お前の弟が、シャーケンの町で屋台を出してる。そこでメシ食ってこうぜ」
「……そうだな。久しぶりに弟の顔を見るのも悪くはない」
弟を思い出したのか、少ししんみりとするナカフリー。
痛みを我慢して起きたバーナムは、こちらを向いて膝立ちのナカフリーを見た。そのボロボロになった服が爆発の凄さを物語っている。
体毛が少ない種族らしい、つるつるの肌のところどころに火傷らしい痕が残っている。ほとんど裸同然という事もあって見るからに痛そうで、かつ寒そうだ。
だが。
その胸はほんのわずかではあるが確かに膨らんでいた。下半身の方も、あると思っていた「モノ」がついてなかった。
そこで初めてバーナムは気がついた。
「お、お前……女だったのか!?」
泡喰うバーナムに対し、ナカフリーの方は平然としたまま、
「ああ。それがどうかしたか?」
「どうかしたかじゃねぇよ。あいつお前の事『兄貴』って呼んでたぜ!」
「嫌いなんだよ。女扱いされるのは」
至極単純な理由である。
呆れると言うか困ったと言うか。そんな態度のバーナム。
バーナムは急いでマントを放って返す。マントは彼、いや彼女のそばに落ちた。その反応に、無感情というよりは不思議そうな顔で、
「何だ。意外と純情なんだな。こんな貧相な裸なぞ、見たって嬉しくないだろうに」
「外で素っ裸の女なんざ、人界にはそうそういねぇよ」
何だかからかわれている気分になったバーナムは、むっつりと押し黙ってしまった。
「けどバーナムくらい強い奴なら……女扱いされてもいいな」
聞きようによっては爆弾発言にも聞こえるナカフリーの言葉に、彼の表情が引きつる。
バーナムは、吐き捨てるように呟いた。
「恥じらい無くしちゃ、女とは言わねぇよ」

<FIN>


あとがき

「the 17th.」。陰の薄い(笑)バーナム君が主人公のお話です。後半は一対一で戦ってばかり。武闘家ですから、やっぱりサシのバトルは「燃える」でしょう。
……その反動か、それ以外のメンバーはほとんど出番がありませんでしたが(泣)。
そのバトルの相手は魔闘士のナカフリー。武闘家同士の戦いは以前やりましたから、今度はそれと似て非なる者との戦い。
魔闘士のアイデアは特にオリジナル度が高い訳じゃありません。この話中でも「魔法と組み合わせる剣法」は登場しましたし、余所の話でも「素手で戦う魔族」の大半が取る戦法だと思います。
でもその大半は「普通に魔法を使う武闘家」とか「接近戦可能の魔法使い」とか「魔法で肉体強化・鎧を着て戦う」が多い。
「魔法効果を極度に一点集中させる」タイプの戦い方をする魔族はあんまりいないように見受けられたので、一応採用となった訳です。

ちなみにこの話に限っていえば、ちょっと付け足したり行を入れ替えただけで、シーンの追加・削除はあんまり無かったりします。いつもこうだと助かるんですがね。

文頭へ 戻る 18th.へ進む メニューへ
inserted by FC2 system