「Baskerville FAN-TAIL the 17th.」 VS. Nakafree
「おねーサマ。ペンギンさんだよ〜」
朝のテレビには、氷の上に乗ったペンギンの赤ちゃん達の様子が映し出されていた。
小さな羽をぱたぱたさせてとことこと歩く様が実に愛らしい。
「ペンギンさんは、こーりの上でさむくないのかなぁ?」
セリファ・バンビールには、触ると冷たい氷の上で平気でいるペンギンが不思議でならないようだ。
そんな妹に話しかけられた姉のグライダ・バンビールは、
「ま、ペンギンだからね」
答えているようで実は全く答えになっていない返答。
それでも返事をしてくれた事が嬉しいのだろう。セリファは目をきらきらさせてテレビ画面に見入っている。
彼女達が住むシャーケンの町は、割と温暖な地域にある。冬でも氷ができるほど寒くなる日は少ない。
だからこの町の人間にとって、氷や雪は珍しい物なのだ。
「数日前、氷山が海を漂流し出した、なんてニュースもあったばかりだしね」
と、同居人のコーランは首をかしげると、
「コーラン。その流氷に赤ちゃんペンギン達が取り残されたってニュースなんだけど」
グライダがジト目でテレビを指差す。
赤ちゃんペンギンにとっては、海面まで高さがありすぎて飛び込む事もできないらしい。
その流氷は海流に乗ってゆっくりと南下しており、このまま南下して氷が溶けた場合、暑い地域に適応していないペンギンは大変な事になる。
その赤ちゃんペンギン達の救出を試みよう、という趣旨のようだ。
「じゃあ、ヘリコプターか何かを使って、ペンギンを空から救出ってとこかしらね」
事実コーランの言った通りで、沿岸海域の国から救助用のヘリが飛び立った、と報道は結んでいた。


世界で最も不可思議な港町として名高いこのシャーケン。
ここにも、朝はきちんとやってくる。
同時に、面倒な騒動までやってくる。
平穏な日は、一日としてなかった。
この広い街のどこかで、必ず誰かがはた迷惑な騒動を引き起こし、巻き込まれるのだ。
だからこそ、ここへ来れば——どんな職種であれ——仕事にあぶれることはない、とまで云われている。


「でっかい氷ねぇ。かき氷にはできねぇか」
実にしょうもない発想をしたバーナム・ガラモンド。ボサボサの黒髪をがしがしとかきながら、大あくびをしている。
「目測だが、あの氷の体積は相当な物。溶ける迄にかなりの時間がかかるだろう」
淡々と味気ないコメントを出した戦闘用特殊工作兵——ロボットのシャドウ。
町のメイン・ストリートにある特大オーロラ・ビジョンの画面から、流氷のニュースが流れている。
「ですが、あの体積のままどこかの港に漂着したら、港が壊滅しかねませんよ」
心配そうに不安そうに巨大画面を眺めるのはオニックス・クーパーブラック神父だ。
実際、港が大きな流氷によって壊滅的な被害を被った話は聞き知っているのだ。
「この辺は暑いからな。空から氷でも降ってくれればちっとは涼しくなるかな」
「其れは雹(ひょう)や霰(あられ)と云う自然現象の事だな。だが天から落ちる氷の塊は、秒速十メートル。時速にして三十六キロメートルで落下する。当たれば『痛い』では済むまい。雹や霰が自動車の車体や屋根に穴を開けたと云う被害報告も有る」
バーナムの冗談もシャドウには通じなかったようで、本気で忠告してくる。
バーナムはその真面目ぶりがどうも腹に据えかねたらしく不機嫌な顔になると、
「冗談ぐらい分かるようになれよ」
シャドウの胸板を裏拳で軽く叩き、
「クーパー。ホントに今日なんだろうな、屋台が来るの」
バーナムの言葉にクーパーも静かに時計を見ながら答える。
「屋台の主人はそう言っていましたよ。指定時間通りならば、そろそろ到着する筈です」
三人の目当ては、近頃シャーケンの町で話題の創作料理の屋台だ。
魔界出身の主人が作る、人界と魔界の材料から生み出される新しい味。それがこのシャーケンの町で、密かで小さなブームになりつつあるのだ。
だが、毎日同じ場所にはいない。日によって場所を変えているのだ。
彼の屋台を営業妨害しているチンピラを、通りがかったシャドウとクーパーが追い払った事が縁で、今日ここで店を開く事を教えてもらったのだ。
もちろんロボットであるシャドウに料理を味わう機能はない。だからバーナムを連れて来たのである。
「シャドウの兄貴! クーパーの旦那!」
不意に聞こえてきた大きな声。振り向くと金属光沢を放つマント姿の小柄な男が、屋台をひきずりながらやって来るのが見えた。
「来てくれたんすね。感激っす!」
妙に元気な少年という印象の男。彼がこの屋台の主人・イノフリーである。
「自分では味が分からない。其れ故に人間を連れて来た」
シャドウは傍らのバーナムを紹介する。
「兄貴の友達なら大歓迎っす! 今下準備しちまうっす!」
笑顔でてきぱきと屋台を展開させ、早速下準備に取りかかった。
バーナムとクーパーは忙しそうに、それ以上に楽しそうに働く彼をじっと見ていた。
長命の者が多い魔界の住人だけに実年齢は分からないが、外見通り本当に若いだろう。
妙に凹凸の少ない顔に小柄で浅黒い肌。太陽光を反射すると緑色に輝いて見える薄茶色の髪……。
そこまで考えて、同じ特徴を持った魔族と一度戦った事がある事を思い出した。
「なぁ。ひょっとして、人界に兄貴とか来てねぇか?」
バーナムのいきなりの問い。イノフリーは下ごしらえの手を休めずに、
「はい、いるっす。ナカフリー兄貴っす。けど、今どこで何してるかは、分からないっす」
魔界では成人したら親の一切の庇護下から離れて暮らすのが普通で、その前後に独り立ちするケースが多い。その時に親兄弟と疎遠になる事も珍しくない。
「何か在ったのか、バーナム」
「ああ。ずいぶん前にこいつそっくりの魔族と戦った事があってな。まさか兄弟とはな」
縁とはどこでどう繋がるか分からない。その奇妙さにはいつも驚かされるものだ。
「ナカフリー兄貴は魔闘士(まとうし)っすから。『強い奴が好きだ』ってよく言ってたっす」
魔闘士とは武闘家のように(基本的に)素手で闘う者の事だ。
似ているので分かりにくいのだが、そこには明確な違いがある。
武闘家が「気」を駆使して闘うのに対し、魔闘士は「魔法」を組み合わせて闘う。
武闘家の場合は、拳や蹴りの威力を倍増させるために「気」を使う。
魔闘士の方は魔法の威力と効果範囲を極度に一点集中させるために肉弾戦を用いるのだ。
同じ力で突くにしても、丸太と針の先ではどちらが痛いかは明白。それは針の先の方が力のかかり方が大きくなるためだ。弱い魔法でも一点集中させれば威力は高い。そういう理屈だ。
そのため「闘士」と名がついていても基本的には「魔法使い」でしかない。
「其の勝負は、何方(どちら)が勝ったのだ?」
シャドウの当然とも言える疑問に、バーナムはため息一つつくと、
「引き分けだよ。こっちは体力切れ。向こうは魔力切れだ」
きちんとした試合ではなく、半分ケンカのようにして始まった勝負だった。
決して相手を侮った戦いではなかったが、結果はダブルKO同然。きっちりと決着のついた勝負ではなかった。
「ナカフリー兄貴と互角っすか。そいつは大したモンっすよ」
イノフリーは応対しながらも手は休めない。
屋台の貯蔵庫からカチカチに冷凍された鮭一匹を取り出した。彼はそれをまな板の上に乗せ、ばしんと上から叩く。
すると、凍っていた鮭が一瞬で解凍され、その場でバタバタと大暴れしだした。これには三人とも目を奪われる。
「見事ですね」
「へぇ。魔法も使いようだな」
鮮度が命の食材を凍らせる事は簡単だが、解凍の方は難しい。一旦凍った細胞が上手く元に戻らないためだ。
しかし彼の場合は違う。純粋に冷凍させる直前に戻っている。いくら魔法でも、ここまで見事に解凍できる者は少ないだろう。
「あんたも『氷』を使うのか」
バーナムが真剣な目で尋ねる。イノフリーは小さな包丁を取り出すと、
「そうっす。物を凍らせたり元に戻したり。『氷』を司る一族っすから」
得意そうにそう言うと、小さな包丁一本で鮭を捌き始めた。もちろんその技術も大したもの。見る見るうちに「解体」されていく。
それからほぐした鮭と、魔界原産の土色の芋を皮のまま輪切りにして鮭と共に鉄板で焼く。
その香ばしい匂いに釣られて周囲から人が集まって来る。
イノフリーはギャラリーが集まって来た頃合を見計らって、瓶の中の赤い液体をパッと鮭に振りかけた。
その途端、一瞬だけ大きな炎が巻き起こり、周囲から驚きの声が上がる。
それに気をよくした彼は作り置きしてあった生地に焼いた鮭と芋を乗せて包むと、
「今日のは名付けて『鮭と芋のナン包み』! 一つたったの三百EM(エム)だよ〜っ!」
大声を張り上げるイノフリー。その声と料理のいい匂いに引き寄せられるように人が集まってきて、たちまち行列ができる。
しかし屋台という事で持ってきている材料は少ない。数百人分ほどで材料を使い果たして閉店となってしまった。
すっかり日も暮れそうになっている広場で、満足そうに片づけをしているイノフリー。
三人は特に手伝わなかったが、何となくつきあって残ってしまった。
「シャドウの兄貴。クーパーの旦那。それからバーナムの兄貴。今日はどうもっす」
イノフリーの礼に、二人は少々困った声で、
「自分は何もしていない。礼を言う必要は無い」
「そうですよ。むしろお邪魔だったのでは?」
「いいじゃねぇか。感謝してんだから素直に受け取れよ」
バーナムは彼の作った「鮭と芋のナン包み」最後の一つを頬張っている。
脂の乗った鮭とバターのように濃厚な味の芋。そしてちょっと甘辛い味つけが思ったよりも合った。
鮭は人界の物。この芋は魔界の物。こういう平和な「異文化交流」ができるのが、この町最大の魅力なのだ。
だが、そののんびりとした味わいの時間を打ち壊す報道が、特大オーロラ・ビジョンから流れた。
巨大な流氷に取り残されたペンギンの赤ちゃんを救出しようと飛び立ったヘリコプターが、全機引き返して来たと言うのだ。
しかも、『氷の塊』に攻撃されて近づけなかったらしい。さらに、その流氷の上に小さな人影を確認している。
その見覚えのあるシルエットに、バーナムとイノフリーは嫌な予感を感じていた。


それから数日後。イノフリーはシャーケンの町の魚市場の近所で屋台を出していた。
その時、思わず我が耳を疑うニュースが飛び込んで来た。
「流氷が町の沖に迫ってる!」
気候が温暖なシャーケンの町に流氷が来るなどありえない。だが、その「ありえない」事が現実に起きている。
慌てて海の方を見ると、確かに遙か沖に流氷らしい氷の塊が見えた。遙か沖にもかかわらずかなりの大きさである。
あんな「氷の塊」がこの町へ来たとしたら港は簡単に壊滅するだろう。たかが氷と侮るなかれ。そのくらいはできてしまうのが流氷のパワーなのだ。
数日前のニュースでチラリと見えた姿。
もしあれが自分の想像通りだったら。しかし、いくら何でもそこまでは。二つの考えがぐるぐる回る。
だが自分にはそれを確かめる術はない。
「……探したぜ」
息切らせた声に顔を上げると、そこに立っていたのはバーナムだった。
「オレはこれからあの流氷まで行って来る。そこで多分、いや、間違いなくあんたの兄貴と戦う事になるだろうな」
画面越しにチラリと見えただけだったが、バーナムにはその姿が彼の兄・ナカフリーだと確信できた。
「挑戦状のつもりだろうぜ。『おまえが逃げれば町に被害が及ぶ』ってトコだろうな」
バーナムの言葉を黙って聞いていたイノフリーは、
「行くんすか!?」
「売られたケンカは、買う事にしてる」
バーナムの表情が引き締まる。その顔は、まさに「戦いに赴く戦士」であった。
「けど行く手段がな。海があんな調子だから船は出しちゃもらえねぇし……」
「いたいた。ホントにあんたって考えなしね」
遠慮のない声が後ろからし、振り向くとそこにはグライダとセリファの姉妹がいた。
「あの流氷の『主』ってのが、あんたに挑戦状叩きつけてたわよ。ニュースで取り上げられてたわ」
事実グライダが言った通りで、その内容も「自分と戦え。さもなくば町は壊滅する」としっかり脅してきたほどだ。
「町の命運があんたにかかってるってのは、かなりシャクだけどね」
グライダがそう言ったのには訳がある。
もちろん魔法があるこの世界。氷なら火の魔法で溶かしてしまえばよい。
しかし、火を出す魔法は数多いが、遙か沖まで届く物がないし、それだけ強力な火力のある術を使える術者が町にはいないのだ。
もちろん届く距離まで接近してからでは間に合いっこない。
それに体積が極端に大きいとなると、火の魔法でもそう簡単には溶けないし、この世界のあらゆる銃火器は国の正規軍しか持つ事ができない決まりになっている。今から要求したのでは間に合わないのだ。
それに、先日の報道で救助用ヘリが攻撃されている事もあり、ヘリや船を出す者そのものがいない。
町のピンチであっても、町では対策がないのである。
「……しょうがねぇ。自力で行くしかねぇか」
「あんた。たった今『行く手段がない』って言ったじゃない?」
グライダの疑問にバーナムは、
「ああ。これだと後で面倒なんだよ」
彼は肩にかけたままのボロボロのマントをばさりと広げた。それを翻して「袖を通す」。
グライダやセリファもそのマントを何度となく見ているが、袖があるという事は正確にはマントではない。これは初めて知った。
丈は短めのコートくらいだが、その袖が奇妙だった。袖だけを見るならばまるで法被のようだ。色もかなりむらのある黒で、とても既製品とは思えない。
おまけに、なぜか片袖しかなかった。
バーナムは胸の前で拳を軽く打ち鳴らし、
「……我が背に宿る八卦の陣よ。今こそその力を解き放て!」
呪文のような言葉が終わると、彼の背中に魔方陣のような記号が淡く浮かび上がった。
それと同時に彼の全身に無気味な文様が浮かび上がり、皮膚の一部が鱗のようにひび割れていく。
実はこの服。彼の拳の流派・四霊獣の拳に伝わる、四つの霊獣の加護を借りるための戦闘服なのだ。
自分の力を最大に引き上げてくれる代償として、時間が経つと全身がバラバラになるような激痛と疲労感に襲われ、立つ事すらできなくなる。
それを分かっていて使うのだから、バーナムもそれ相応の覚悟を決めたという事だ。
バーナムは沖合の流氷を睨みつけると、
「おい。今日の料理は何なんだ?」
気合い負けしたイノフリーは、
「イ、イカのピーブン詰めっす!」
ピーブンとは魔界の豆の粉でできた細い麺の事だ。魔界ではスープを吸わせて食べる。
「……『二人分』とっとけ。いいな!」
そう言うと、海へ向かって数歩駆け出す。
まるで幅跳びでもするように力強く地を蹴ると、そのまま文字通り「宙を駆けて」一直線に遥か沖の流氷めがけて突進していった。

<To Be Continued>


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