トガった彼女をブン回せっ! 第7話その3
『その女の言葉、聞いた事がありんす』

昭士は、目の前を塞ぐ巨大蛇型エッセ――ここからでは、うねるように微妙に震えながら右から左に動く壁にしか見えない――の胴体を足でこづきながら、
「ったく。あいつがもっと小回り利けばなぁ」
あいつとはもちろん自分の妹にして彼女が変身した巨大剣・戦乙女(いくさおとめ)の剣の事である。
巨大で分厚い鉄板に持ち手をつけただけのような外見は、見るからに巨大感と重量感を合わせ持ったものである。重量も大雑把な計算から約三百キロと推測されている。
兄であり使い手である昭士だけは、その巨大で重量感あり過ぎるその剣を、まるで重さがないかのように振り回す事ができる。
だが昭士以外の人間には見た目に見合った重量に感じるため、殴られただけで致命傷だ。エッセが相手でなくともその破壊力はとてつもないものがある。
ところが今はその巨大感が仇となり、このような狭い建物内では振るうどころか持って動き回るのにすら邪魔になってしまう。はっきり言って何の役にも立たない。
だから今はこの場にない。あえて手放している。
それなのに昭士がその剣にやたらとこだわるのは、目の前のエッセに確実にダメージを与える事ができる唯一の武器だからである。
しかもその剣でとどめを刺せば、エッセの能力によって金属の像と化した人々を元に戻す事もできる。食べられてしまった人までは判らないが。
戦いに犠牲はつきものとはよく聞く言葉だが、それは逆に犠牲など出ないに越した事はないという事でもある。
そして昭士は犠牲など出ないに越した事はないという考えの持ち主だ。
「スオーラ。なんかこう、物体を縮小するような魔法ってのはないのか?」
そう訊ねながら、その足はこづくのを止めない。この巨大サイズになると人間の足程度では何のダメージも与えられないのは判っているが、それでも止められない。
スオーラはハードカバーの本のページをパラパラとめくっていたが、やがて暗い表情でパタンと本を閉じると、
「申し訳ありません、アキシ様。そうした魔法はありませんでした」
彼女の使う魔法は、その本のページを破り取り、そこに魔力を注ぎ込む事によって書かれた魔法が発動する仕組みだ。だから本に載っていなければ当然使う事はできない。
「そもそも今のわたくし達では、この状況の打破は、限りなく困難でしょうね」
魔法がなかった事と手段がなかった事のダブルパンチが、彼女の胸中を打ちのめしている。
もちろんこの建物ごとエッセを攻撃するのであれば、その方法はいくらでもある。
昭士は壁や柱に構う事なくエッセに剣で斬りつければいいのだし、スオーラも床や天井が吹き飛ぶような魔法を叩き込めばいい。
だがこういう時に不幸だったのは、二人とも「極めて良識的な常識人」だった事だ。
損害は二の次。最優先は敵を倒す事という性分であれば攻撃をしまくっているだろうが、この建物は「警察署」という部分が二人の行動を躊躇させている。
もしエッセを倒したとしてもそれが元で建物を破壊しては意味がない。そもそも建物を壊してはエッセが建物の外に逃げて被害が広がる可能性が高い。
この世界の治安を守る組織の施設を破壊したとあっては、さすがにおとがめ無しとはいくまい。
昭士ではまだまだそうした場合の「責任」を取る事ができないし、親にも負担をかける訳にはいかない。
いぶきはそもそも「責任」を取ろうという発想が頭の中にあるという事があり得ない。
スオーラに至ってはこの世界の住人ですらない。「責任」を取るといっても取りようがないのだ。
どうしようかと考えているうちに、右から左に緩やかに動いていた壁――ではなくエッセの胴体の動きがピタッと止まった。
「ん? 何だ?」
その硬く弾力のあるゴムのような表面をボコンボコンと叩く昭士。しかしその程度巨大な蛇にとっては痛くも痒くもない。ピクリとも反応がない。
「……止まり、ましたね」
スオーラもその胴体を観察するように隅々を見回している。
「あ、あの……。これはもしかしたら」
今まで呆気に取られて無言だった女性署員が、恐る恐る口を開いた。
『もしかしたら?』
二人の注目が一気に来てびくついて後ずさりしてしまったのが警察官としては情けないが、それでも子供の前と背筋を伸ばし、
「お腹一杯になっちゃったんじゃ、ないでしょうか?」
カッコつけるつもりが、微妙にへりくだった様子になってしまったのが情けないが。二人はその意見にハッとなる。
人間と蛇の生態が同じかどうかは判らないし、本物の蛇と蛇型エッセの行動パターンが同じかどうかも判らない。
が、その言葉には説得力がある。満腹になって活発に動こうとする生き物は少ないだろう。という事は、満腹になるくらい「何かを」食べた事を意味する。
生き物を金属に替え、それを食べるのがエッセの習性なのだから、食べたのは――
嫌な考えになってきた事を、昭士もスオーラもぐっと堪えて耐える。
「…………ん? これ、ひょっとして携帯ですか?」
女性署員が急にキョロキョロとしだした。その声に昭士が反射的に腰のポーチに手をやると、確かにマナーモードにした携帯電話が震える感触を感じた。
特に辺りがうるさい訳ではなかったが、ハンカチで包んでポーチに入っていたのだ。気づきにくいのは仕方ない。
だがそんな状態にもかかわらず、持ち主よりも早くそれに気づいた彼女に驚きながら、昭士は急いでポーチから携帯を取り出す。
画面に表示されているのは「賢者」の文字。着信履歴から電話帳に登録をしておいたのだ。昭士は二つ折の携帯を開いて電話に出た。
「はい」
『私だ』
以前と全く同じ言葉のやりとり。お約束になりつつあるがお約束にしたくない調子に、昭士はいら立ち紛れに早口でまくしたてる。
「只今立て込んでます御用の方は留守番電話にお願いしますそんな物ついてませんけど」
『開口一番のセリフがそれですか』
どこか不機嫌そうな声がする。声の持ち主は「スオーラの世界の」住人にして、あちらの世界では賢者として知られている人物だ。名はモール・ヴィタル・トロンペというが、面倒なので昭士は「賢者」と呼んでいる。
知識を売りにしている賢者である彼は魔法が本業ではないが、別の世界から物品を引き寄せる魔法が使える。それで引き寄せた「携帯電話で」昭士に電話をかけているのだ。
なぜ異なる世界なのにこうして携帯電話の電波が届くのかは判らない。だが都合がいいのでその辺の追求はほったらかしだ。
『立て込んでいるところ申し訳ありませんね』
それでも丁寧に、かつ若干皮肉めいた口調で謝罪する賢者。そしてすぐに我に返ったかのように、
『そんな事よりも。どうやらそちらの世界にエッセが出たらしいという情報がありました。充分警戒して……』
「遅えよ。もう目の前にいるんだよ巨大な蛇が。建物の廊下が胴体でみっしり埋まっちまうくらいのがな」
相手の言葉を遮って、昭士が毒づいた。すると賢者も負けじと、
『相手の発言を遮って自分の発言をするのはマナー違反と、前にも言いましたよね?』
「それはそっちの世界でだろう。こっちの世界じゃそこまで酷くない」
完全に口喧嘩の様相を呈してきたが、さすがにこんな事をしている場合ではないと、昭士は思い直した。
「何か弱点とかないのかよ、こいつには。知識が売りの賢者様なんだろ、あんたは? 何かないのか?」
過ぎるくらい単刀直入な物言いに、さすがの賢者も乾いた笑いを浮かべながら、
『巨大な蛇と言われてもそれだけでは如何とも』
いくら知恵があると言っても「巨大な蛇を何とかしろ」だけでは、その知恵も出しようがない。
「早いとこ頼むぜ。今こいつ動きが止まってんだからよ」
『それならば、戦乙女の剣で攻撃を……』
「狭い建物の中なんだよ。あんなバカでかいモン担いで通れねえっての」
再び言葉を遮られた賢者は、また文句を言いかけたところでぐっと押し黙る。
「おまけに狭いからスオーラの魔法もろくに使えねえと来てる。建物ごとブッ壊すなら話は別だけどな」
さっきもスオーラとしたやりとりが繰り返される。
今は相手が動いていないからいいようなものの、そんな暇はないという心境で、昭士はだいぶイライラしている。
『ともかく、戦乙女の剣がない事には話になりません。運ぶ方法は本当にないのですか?』
賢者に言われ、昭士は後ろにいた署員に、
「なぁ、姉ちゃん。この建物って、貨物用のエレベーターはないのか?」
「か、貨物用!?」
署員が驚いて聞き返す。お姉ちゃんと呼ばれた事と、質問の内容の二つの意味でだ。
もちろんこの建物にもエレベーターはいくつかあるが、わざわざ「貨物用」と前置きをしたのが気になり、昭士に逆質問してくる。
「ふ、普通のではダメなんですか?」
「ああ。普通のじゃ三百キロもの鉄の塊運べないだろ」
昭士にそう言われ、署員も納得する。とはいえ最近のエレベーターは人間が乗る物であれば三百キロは間違いなく乗せられるのだが。
「それに、その剣は全長二メートルオーバーだ。普通のエレベーターじゃ入口か天井につっかえちまうよ」
全長二メートル越えで重量は三百キロ。そんな特殊な「物体」を普通のエレベーターで運ぶのは確かに無理。
判っていた事だがこうして現実として突きつけられると、何ともできないやるせなさで一杯になる。
昭士は繋がりっぱなしの携帯に向かって、
「とにかく、今のままじゃ運ぶ方法がない。あいつが協力的になってくれない限りはな」
あいつとはもちろんいぶきの事である。
もし万が一彼女が協力的であれば、大剣と人間に変身を繰り返して移動が可能だし、戦い自体もものの十分とかからず終わっているだろう。やるせなさを感じたのはそこにもある。
「とにかく。使えそうなネタ思いついたら連絡くれ。じゃあな」
昭士は乱暴に携帯を切ると、いそいそと腰のポーチにしまいこんだ。
「あの。賢者様からのお電話だったのですか?」
「ああ。とにかく剣がないと話にならないとさ。ここまで運ぶ手段もないってのに、どうしろってんだ」
昭士はいら立ち紛れにもう一度蛇の胴体を蹴り上げた。


時間は少しばかりさかのぼる。
昭士達が出ていき、署長が内線電話でどこかとやりとりを終えてから。
「署長。我々も避難するべきでしょうか」
困った顔のまま、鳥居は署長に意見する。
この状況で普通の人間の警察官である鳥居にできる事は何もない。腰にぶら下げている拳銃も、化物の前では豆鉄砲にすらならない事は実証済だ。
何の戦力にもならないのなら、戦う昭士達の邪魔にならないようこの建物から出る方がいい。
しかし痩せても枯れても「警察官」というプライドがある。いくら何でもこのまま黙って逃げ出すような真似ははばかられる。
特に、子供に厄介事を押しつけて大人が逃げ出すような真似は。
「避難はする。しかしそれはできる事を全てやってからだ」
署長が年を感じさせぬきりりとした厳しい眼差しを持って鳥居と門山を諭す。
「まずは鳥居巡査。お前はいぶきさんを避難させなさい。それから門山……」
言いかけたところで、彼等の背後でドダンという轟音が。そのため思わず身をすくめてしまう大人三人。
何かが倒れでもしたのだろうか。そう思って振り向くと、そこにあったのは鞘に入った巨大な剣――という情報を知らなければそれが何かすらも判らぬ「持ち手がついたカバーに入った何か」にしか見えない――だった。
そして今までそこにいたいぶきの姿がどこにもない。唯一の入口を塞ぐ格好で立ち話をしていた彼等に気づかれぬよう外に出るのは不可能だ。
ましてやここは建物の四階。窓を開けて外に出たというのはさすがに無理がある。
『……ったたた。あンのバカアキ。また勝手に人の事こンなカッコにしやがって!!』
悪態をつくいぶきの不機嫌な声が部屋に轟いた。しかし文句をぶちまける彼女の姿はどこにもない。
あったのは鞘に入った巨大な剣が一振りのみ。いぶきの声がそこからする。という事は――
「ひょっとして、資料にあった『戦乙女の剣』というのは……」
署長が例によって紙資料をパラパラとめくる。そこには「戦乙女の剣」の事が書かれてあった。
昭士がカードの力で変身すると同時に、いぶきの身体はこの巨大な剣に変身してしまう。剣に変身しても彼女の意識と五感はあり、受けた痛みが大きければ大きい程剣の威力が増していく。スオーラの世界でそう伝えられている剣と同じ物。らしい。
その剣からいぶきの怒鳴り声が聞こえる事から考えても間違いない。彼女はこの剣に「変身」したのだ。
その瞬間を見ていなかったとはいえ「魔法」という異なる力を目の当たりにした大人達は呆然として、その存在を信じるより他なかった。
『オイコラオッサン。善良な市民で美少女のこのあたしが倒れてンのよ! 一ミリ秒で助けに入るのが常識よ! ナニやってンのよ警察官の分際で!!』
誰も何も一切助けない、助ける気がないクセに、自分の事はすぐさま助けろと堂々と言い放つ。いぶきが他人から嫌われる要因の最たるものである。
いくら市民を助けるのが警察官の仕事とはいえ、こういう言い方をされたのでは助ける気も失せるのが本音というものだ。本来ならあってはならない感情だが。
鳥居は彼女のそばにしゃがみ込むと、多分この辺が顔だろうという部分――柄に彫られた両腕を広げた裸婦(上半身)を覗き込んで、
「あのないぶき。いくら俺達が市民を助けるのが仕事だからといってもな。助けが欲しいなら……」
『うるさいっ! つべこべ言ってる暇があるンなら助け起こすとか元の姿に戻すとかあの自分勝手なバカアキをブッ殺してくるとかしなさいよ、使えないわね警察官のクセに!』
鳥居の言葉を遮るいぶきの怒りの声。確かに自分の意志ではなく他人の意志で強制的にこんな姿に「変身」させられては怒るのも無理はないであろう。
だがいぶきの場合、たいがい他人に対して怒りをあらわにしている。そんないぶきに対し鳥居はやや冷淡に、
「確か今のお前三百キロくらいあるんだろ? たった三人で持ち上がる訳ないだろ。しかも一人はじいさ……もとい高齢なんだ。元の姿にも戻せる訳ないし、警察官が人を殺すなんざ論外だ」
『グダグダ言ってないでとっととやれって言ってンのよ、この無能警察者!』
助けがなければ何もできない立場なのにここまでの大きな態度。さすがに「いつもの事」と慣れている鳥居でも、
「いい加減にしろいぶき!」
思わずその刀身を殴りつけそうになって思いとどまる。
それはそうである。別に女子を殴ってはいけないという不文律ではない。今のいぶきは鋼鉄の塊なのだ。そこに人間の拳を叩きつけたところで痛いのはこちらだけだ。
「子供一人ブン殴れないなンて。情けない警察官もいたものね。そんなンで地域の平和を守れると思ってるなんて、やっぱこいつ無能だわ。やれるモンならやってみろこの無能」
「やった瞬間難癖つけるだろ、お前。それに今は躾であっても暴力って見られる世の中だからな。誰がやるか」
「無能にはお似合いでしょ」
剣を相手にケンカをしているように見え、何とも滑稽としか言い様がない光景。そんなやりとりをぽかんと眺めていた門山は、ふと何かを思い出したかのように渚署長に向かって、
「そう言えば、一連のこの事件の遺留品に『喋る剣』っていうのが、あったらしいです」
門山はこの一連の「化物事件」の担当ではない。しかし箝口令を敷かねばならない程の事件とはいえ、どんなに秘匿していてもそれなりの情報は漏れてしまうものだ。同じ警察署内であるし。
「喋る剣? あんな風にかね?」
署長が門山に問いかける。いい加減にしろと鳥居が叱っている、巨大な剣となったいぶきを指差して。
門山は「そうらしいです」とうなづくと、
「あれは確か……先月だったと思います。このくらいの……短剣と云うのでしょうか、あれは」
彼は首をかしげてそう言いながら、両手を三十センチくらいの幅に広げる。
「『でしょうか』とははっきりせんな。どういう意味だね」
「普通短剣やナイフだったら柄がある筈なんですが、ないんですよ。刃の根元部分が妙に短いので、そこを持って使うにしても……」
門山の言葉で署長は「ああ」とうなづくと、
「その『刃の根元部分』に、本来は柄を嵌め込むのだ。茎(なかご)といってな。短剣に限らずナイフから刀に至るまで、大半の刀身はそういう作りになっている」
短剣ではなく、刃の部分を含めた「刀身」が落ちていた。その刀身が喋る、という事らしい。
「言葉は通じるのかね」
さっきのスオーラのやりとりがあったから出た質問だろう。しかし門山は、
「さすがにそこまでは知りません。自分の担当ではありませんから」
話が脱線しそうになった事を思い返し、軽く咳払いをした署長は話を戻した。
「その短剣とやらはどこにあったのだね」
「市境を流れる川の土手で発見されたそうです」
そうした遺留品は、署内の保管室に厳重にしまってある筈だ。
そう思い当たった署長は鳥居の方を向くと、
「では鳥居巡査。彼女の事は任せる。門山巡査はわたしと来なさい。その喋る短剣を調べてみよう。何か関係があるかもしれん」
「あっ、あの、署長!?」
出ていく口実ができたとばかりに振り向きもせず出ていく署長と門山。完全に取り残された鳥居。
そんなぽかんとした彼の様子にいぶきは遠慮なく大笑いしていた。


「昭士君、スオーラさん、ここにいましたか!」
壁にしか見えない蛇型エッセの胴体を相手に、一体どうしたものかと思案しているところに、署長と門山が階段を駆け上がってきた。
「どうしたのですか?」
二人の慌てた様子に何か異常事態が発生したのかと、スオーラは真剣な様子で問いかける。すると門山の方が、
「あ、あの。実は見て頂きたい物があるのですが……」
そう言って手にした細長い布の包みを差し出す。スオーラが手を伸ばそうとすると、
「ああ、待って下さい。これは……」
門山は包まれている布をスルッと解く。そこから姿を現わしたのは鈍い光を放つ刃物だった。正確には刀身である。
昭士はその刃物をまじまじと見つめ、門山に訊ねる。
「なぁ。こいつが一体どうしたってんだ?」
「先月末、川の土手で発見された物だ。おまけにこれは喋るんだ」
『喋る!?』
昭士とスオーラの驚く声が綺麗に重なった。その時だ。
『その女の言葉、聞いた事がありんす』
微妙にゆったりとした抑揚のある花魁言葉が飛び出したのだ。
その刀身から。

<つづく>


文頭へ 戻る 進む メニューへ
inserted by FC2 system