トガった彼女をブン回せっ! 第7話その4
『早く逃げて下さいっ!』

先月末。市内を流れる川の土手で発見された刃物。正確にいうならば短剣の刀身のみである。
刃の部分の長さは二十センチ程。その刃は幅が広くしかも割と厚みがある。何となく脆そうだし先端の尖り方も微妙だ。
おまけに全体の作りが全く洗練されていない、無骨というよりは遥か昔を通り越した原始的な構造と言えた。こうした刃は技術が高い程硬く、薄く、そして先端も鋭くできるものだからだ。
そんなシンプルといえば聞こえのいい古代の調度品のような物から、それとはかけ離れたイメージの花魁言葉が飛び出したのだから驚かない訳がない。
しかもスオーラの言葉を聞いた事がある、と言ったのだ。
スオーラは日本語を喋っている訳ではない。あちらの言葉のままである。それが魔法の力で日本人でも理解ができるようになっただけであり、しかもその魔法の効果は『まだ切れていない』筈である。
だがこの短剣にはあちらの言葉そのものに聞こえたという事だ。でなければわざわざ「その女の言葉」とは言うまい。
何故かは判らないが、この短剣にはスオーラの魔法が「効いていない」のかもしれない。
「聞いた事がある? スオーラの言葉を?」
昭士は思わず短剣に向かって問いかけていた。
『わっちの故郷の森のずっと向こう。その土地の言葉でありんす』
短剣はゆったりとした言葉でハッキリと答えた。
この短剣(?)の故郷の森のずっと向こうがスオーラ(と同じ言葉)の国。という事は、この短剣もスオーラと同じ世界の出身なのだろうか。
さらに言うならば、この短剣が話しているのは「日本語」である。日本語しか知らない昭士が言葉を理解できたのだから、それ以外考えられない。
昭士の持つカードは魔法を使わずとも「スオーラの言葉を」理解できるが、それ以外の人に無効な事は、先日スオーラの世界へ行った時に体験済である。
そこで昭士の脳裏にひらめいたのは、かつて賢者が言った言葉。
日本語(によく似ているらしい言葉)を使う国だか場所だかが、スオーラの世界にもあるらしい。マチ……ナントカと言っていたが。という事は。
昭士は携帯電話を取り出し、親指をちょいちょいとやって電話をかけ始めた。しかし回線が繋がると同時にすぐさま電源を切る。
その様子に門山達が不審に思っていると、それから三十秒程経って彼の電話が激しく震えた。
「はい」
『私だ』
もうすっかり慣れたこのやりとり。電話の相手はさっきと同じ賢者である。昭士はすかさず、
「なぁ。前言ってた、日本語みたいな言葉を使ってるっていう、マチナントカとかいう場所、どこにあるんだ?」
『前置きもなくいきなりですか。いきなり電話を切った事といい、事情の説明くらいは欲しいのですが』
「電話を切ったのは電話代の節約」
昭士はキッパリと言い切った。確かに電話をかけた側に料金が発生するのだ。いくら学生用の格安料金プランとはいえ、なるべく料金は抑えたい本音がある。
そんな思いが通じるかは判らなかったが、昭士は構わず話を続ける。
「そのナントカ言ってた地方の言葉を話すっぽい短剣が、今こっちの世界にあるんだよ。それも俺の目の前にな」
『……マチセーラホミー地方の事ですか?』
「そうそう、それそれ」
昭士がすかさず相づちをうつ。
『そうですね。マチセーラホミー地方といっても結構な広さがあるのですが。とりあえず、あなたが以前いらしたソクニカーチ・プリンチペの街から北西に十キロ程行った場所に大きな川があるのですが、そこを越えればマチセーラホミー地方に入りますよ』
その言葉で、昭士は頭の中にこの留十戈(るとか)市内の地図を思い浮かべた。
自分の学校の剣道場から北西に十キロ程行くと、市境を流れる留十戈川がある。川幅も結構広く両岸に広い土手が広がっており、公園や野球場、そして春には桜の名所として近隣に知られている場所だ。
位置関係の妙なリンク具合に驚く昭士だが、すぐさま門山に向かって、
「まぁ。この短剣が落ちてたのって、留十戈川の土手か?」
「ああ、そうだよ?」
昭士の問いに門山は正直に答える。その問いに満足した彼は、今度はスオーラに向かって、
「スオーラ。こっちの世界に何度か来た事あったって言ってたけど、川の土手に来た事はないか?」
「はい。こちらの世界の川のそばで、巨大なワニ型のエッセと戦いました。あの時はマチセーラホミー地方のヴィラーゴ村のそばの川に出現したのですが、こちらの世界に来たので追いかけたのです。その時現地の方が戦いに巻き込まれて行方不明になったと、後から聞きました」
彼の問いに少し落ち込んだ様子で答えるスオーラ。巻き込んでその上行方不明ではスオーラも辛かろう。
そのためか、昭士は冗談を言うような口調で短剣を指差して明るく言った。
「多分がつくけど、その行方不明になった現地の方っての、こいつなんじゃないのか?」
「え!? そうなのですか!?」
行方不明(?)の人間が見つかったのだ。驚かない訳がない。
努めて明るく言ったのは、スオーラの心情を少しでも和らげたかったからだ。いくら女性に対して関心が薄いとはいっても、落ち込んだ人間を何とかしたいとは思っている。
昭士もスオーラもいぶきも、別の世界での「姿形」を持っている。それがカードを使って「変身」すると、その別の世界の姿になる事ができる。今の昭士も「別の世界での」姿だ。
ならばその「行方不明になった」現地の人の「別の世界の姿」が、この短剣なのでは。いぶきが大剣になるのだから、他にそんな変身をする人間がいたとしてもおかしい事はない。人間の別の姿が人間とは限らないのだから。
それにカードを使えば「任意に」変身ができるだけであって、別の世界に行けば勝手に「その世界での」姿になるのは確認してある。
昭士は「多分そうだろう」と言って短剣を見ると、携帯電話に向かって、
「じゃあ賢者さんよ。そのマチナントカにあるヴィラーゴ? とかいう村の事、詳しく調べといてくれ」
賢者の返事も待たずに彼は電話を切る。随分と自分勝手なペースで話を進めてしまっているが。
「さて。という事は、こいつにはどんな力があるのやら」
昭士は短剣をまじまじと見つめる。そのいかにも古臭すぎる作りの無骨な短剣。正確には刀身を。
別の世界の姿を持っている者は、たいがい「特殊な」力を持っているらしい。
昭士の場合は今の姿に変身すると肉体的な能力が解放される。
いぶきは大剣の姿になると対エッセ戦でとてつもない威力を発揮できる。
スオーラの場合はこの姿に限り、どんなケガを負ってもすぐさま回復するらしい。一瞬で死ぬようなダメージはさすがに無理らしいが。
『どうかしんしたかぇ?』
皆にまじまじと見つめられ、短剣がそんな言葉を発した。
ふと考えてみれば。大剣に変身するいぶきの場合、着ている服が鞘に、肉体が剣本体になる。なので鞘から抜く=全裸にされると同義なためとても嫌がるのだが、この短剣の場合はどうなのだろう。
もしいぶきと同じなら、この刀身は全裸なのではないか。そうなると相手の性別がどうであれ、まじまじ見つめられてはいい気分にはならないだろう。
いくら女性への興味が薄いとはいえ、全裸の女性をまじまじと見ているようで平然とはしていられない。発しているのが女性声の花魁言葉なのだから。見た目がどうあれ。
「どうかされましたか、アキシ様?」
そんな事を知ってか知らずか。短剣を手に持ってあちこち眺めていたスオーラが訊ねてきた。
だが昭士は慌てて短剣から視線を逸らす事で答える。答えにはなっていないが。
その時、通路を塞ぐ蛇の方から、ズズズ、ズズズ、と何かを引きずるような音が聞こえた。
奇妙な音に全員の視線が蛇の胴体に集まると、その胴体が微妙に動いていた。右から左に。じわじわと。
「な、何か動いてますよ、これ!? ひょっとしてこれが!?」
「これが件の化物なのか?」
門山と渚署長が呆気に取られている。大き過ぎて逆に化物だという考えに及ばなかったらしい。そもそも未知の生物(?)との初遭遇だ。驚くのも無理はない。
そこで再び昭士の携帯電話が震えた。電話に出ようとして蓋についた小さな画面を見ると、そこには「鳥居」とある。何の用事だろうか。急いで電話に出る。
「はい」
『アキ、ヤバイぞ、すぐさっきの会議室に来れるか?』
「何があった!?」
鳥居の取り乱す寸前の慌てた口調に、昭士は答えながら階段を駆け上がり出した。急がねばまずい。そんな予感を胸に。
『デカイ蛇の頭がこっちに来てるんだよ。じわじわじわじわ!!』
「蛇の頭!?」
昭士のその大声に、スオーラは眺めていた短剣を持ったまま彼の後について走り出した。
『さすがにいぶきを置いて逃げるってのはカッコが悪いし。かといって連れては逃げられないし』
どうするか。ここで元の姿に戻って、人間状態で逃げてもらうか。いや。いぶきの事だ。言われて素直に逃げるような神経は持ち合わせていない。
以前恐竜型のエッセが出現した時も「あンなデカイヤツは動きがトロイって相場が決まってンの。避けるのなンて簡単よ」と言って、わざわざ戦いの真っ最中へ歩いて行ったくらいだ。
確かにいぶきの「周囲の状況を極端なスローモーションのように認識できる」能力なら避けるのは簡単だろうが。
「アキシ様! 蛇の頭がどうしたのですか!?」
隣を併走するスオーラが慌てた様子で訊ねてくる。昭士は、
「さっきの部屋の側まで、その蛇の頭が来てるらしい。鳥居がヤバイ」
答えながら会議室のフロアまで一気に駆け上がる。ここを左に行けば会議室だ。
このフロアにはまだ蛇は到着していないらしく、ガランとした廊下が広が――いや。廊下の右の端に巨大な蛇の頭が見えている。けだるそうにじりじりゆっくり、そして間違いなくこちらに迫ってくるのが見えている。
そこで初めて気づいたのだが、廊下が妙に肌寒い。いくら春とはいえ今日の気温を考えるとこの寒さは変だ。
「アキ、早く来い!」
その声で左側を見ると、会議室の扉から首だけ出している鳥居が焦りの表情を浮かべている。
「何だよこの寒さ! 今は春じゃねえのかよ!」
文句を言いながら素早く昭士が会議室に飛び込む。その文句に鳥居は、
「お前達が出てってから、署長命令で署内の全空調を最低温度に設定したんだよ。冷えるまでにはさすがに時間がかかるが、蛇が相手だってんなら、ないよりはマシだろうって」
署内の空調は部屋だけでなく廊下も冷やす仕組みらしい。蛇の胴体が廊下一杯に広がってしまっているため、吹出口からの冷気がまともに浴びせられている結果になっているようだ。
その巨大さから考えれば微々たる威力だが、その「微々」もほとんど全身で浴びる事になればさすがに影響を及ぼす。変温動物である蛇なのだから。
一時動きが止まっていたのはそのせいなのかもしれない。昭士は署長の陰ながらのサポートに強い感謝を感じる。
それから追いついてきたスオーラが会議室に入ろうとした時、
「ま、待ってくれ。置いて行かないでくれ」
二人を案内していた女性署員、それから門山に署長の姿まである。懸命に走って着いてきたのだろう。
ところが。その途端蛇の動きが若干早くなった。じりじりだったのがずるずる。やがてすぐにでも飛びかかるような勢いに。
もちろん入口の前にいるスオーラは部屋の中に飛び込む事は容易だ。しかし自分の後ろにいる、階段を駆け上がって息が切れそうになっている署長達が、このままでは確実に犠牲になってしまう。
人々を守るのが役割の、自分の宗教の自分の宗派。見習いとはいえその教えに背く事は、スオーラの受けた教育が許さなかった。
彼女は彼等を追い抜いて蛇の真正面に立ちはだかり、短い茎(なかご)をどうにか持って短剣を構え、それから刃の平らな部分にしっかりと手を添えた。この距離ではスオーラの魔法が間に合わないからだ。
もちろんこんな小さな短剣一本で受け止めきれるとは思っていない。しかしそれでもやらねばならない。
人々を守るためならば。
「早く逃げて下さいっ!」
そう叫びながら、スオーラは手に持つ短剣に力を込めた。大口開けて迫る蛇の牙を確実に受け止めるために。
「スオーラ!」
なかなか部屋に入ってこないスオーラ達を不思議に思った昭士が、彼女がやろうとしている事を察して出てこようとする。
「アキシ様、来ないで下さい! それより皆様を!」
蛇を睨んだままスオーラが怒鳴る。そして蛇に向かって駆け出した。署長達をほんの少しでも巻き込まないように。
ガギンッ!!
硬い物同士がぶつかりあう鋭い音。その音は一瞬。しかし音はそれのみ。
会議室の中にいたため何が起こったのか判らない昭士が、首だけ出して通路を見る。
そこには何と。あんな短い短剣一本で、巨大な蛇の毒牙をしっかりと「押し止めている」スオーラの後ろ姿があったのだ。
「大丈夫か、スオーラ!」
彼女を手伝おうと部屋を飛び出しかけた昭士だったが、
「はい、大丈夫です」
スオーラの「全く気負っていない」声が聞こえる。むしろどこか拍子抜けした感じだ。
普通あれだけ巨大な物を押し止めているのなら、もっと苦しげな声になっている筈なのに。
『わっちも手伝いんす』
微妙に場面に似合わぬ気の抜けた花魁言葉が短剣からも聞こえる。見ればその短剣が青い光に包まれていた。その光が一気に強くなる。
何とたったそれだけで巨大な蛇の頭がズルズルと後退していくではないか。スオーラは全く力を込めている様子がないのに。
別の世界の姿を持っている者は、たいがい「特殊な」力を持っている。この短剣が本当にスオーラの世界の住人の「別の世界の姿」ならば、この短剣の「特殊な」力が働いているのかもしれない。
その様子を見た昭士も、
「これは負けてられねーな」
部屋に飛び込み、床に転がったままのいぶき――戦乙女の剣に手を伸ばす。当然いぶきは、
『コラバカアキ! また勝手に人の事剣にしやがって! 何度言えば判るンだこのクソ野郎!』
人間の時の見た目が一応美少女なだけに、この言葉遣いには耳を塞ぎたい心境ではあったが、例によって昭士は無視してその柄に手をかけた。
『ア、コラ、脱がすなってンだよこのクソアキ!!』
いぶきの暴言に構わず、昭士は重量感しか感じないその剣を簡単に抜いてみせた。同時に部屋にはいぶきの絶叫が響き渡る。
外見はともかく中身は一女子高生のままだ。ハダカにされて悲鳴を上げない訳がない。
しかし。
「あー、ちきしょう。やっぱり狭いなぁ」
大剣を持って出ようとしたが、全長二メートルオーバーの大剣がつっかえてしまい、部屋から完全に出ない!
出入口が狭い上に建物の一番端にあるので角度を変える余裕がほとんどないのだ。おまけに廊下も二メートル前後と決して広くない。どうやってもつっかえてしまうのだ。
『あっ、ゴルァ、擦れてンだよ、傷がつくだろこのバカ!』
例によっていぶきの暴言を無視して、色々と角度を変えて何とか引っぱりだそうと試みてはいるが、やっぱり厳しい。
あと二十センチ廊下が広かったら。もしくは出入口が広かったら。かろうじて部屋から引っ張りだせそうなのだが。
そんな風に悪戦苦闘している昭士に、渚署長が力を込めて言う。
「判った。わたしが許す。その入口を壊しても構わん。その武器で、早く彼女を助けてあげなさい!」
ジリジリと蛇を押し返しているスオーラを指差している署長に、昭士はホッとした顔を見せると、
「じゃ、お許しも出た事だし……」
昭士は剣から一旦手を放し、開け放したままの入口の脇の部分に、思い切り蹴りを叩き込んだ。
一度。二度。三度。四度!
変身した事によって、昭士の肉体的な能力は格段に跳ね上がっている。正確には押さえつけられていた力が解放されるのだが、そのパワーでいとも簡単に壁を破壊する。
いくら狭い廊下と言えど、入口の幅の倍以上壁を壊せば廊下に出せるだけの角度と隙間ができる。ようやく戦乙女の剣は廊下に引っぱり出された。
それでも廊下は狭いし天井は低い。振り回すような余裕など全くない。だが騎兵の槍のように切っ先で突くような使い方なら充分できそうである。昭士は剣の切っ先をまっすぐ巨大な蛇の頭に向けると、
「どけ、スオーラ! あとは俺がやる!」
その声が聞こえたスオーラは押し返していた状況を、わざと押し返されるように力を抜いて形勢を逆転させる。
そのままわざとジリジリと押し返され、ちょうど真横に上がってきた階段が来た時、
「アキシ様、任せました!」
パッと勢いよく横に飛び退いた。
支えていたスオーラの力がなくなり、蛇は押し返す力を突進する力に変えられ、大口を開けたまま昭士の眼前に飛び込まされるハメになった。
廊下は狭い一直線。遮る物も逃げる場所もない。昭士は剣を構えたまま猛然とダッシュ。
「くたばれぇぇぇぇぇっ!!!」
口の中に自分から飛び込む勢い。むしろ積極的に口の中に飛び込んで行く。
そして。
顎の裏から蛇の脳めがけ、戦乙女の剣の切っ先を叩きつける。
『いっっっでぇえええぇぇぇぇぇえっっっ!!!!』
いぶきの心底痛がっている最大級のボリュームの悲鳴。思わず耳を塞ぎたくなるその悲鳴と共に、蛇の切り口が淡い黄色に輝きだしたのである。
その光は切り口から頭に広がり、そのまま胴体を包んで尻尾の先まで覆われていく。そして、
ぱぁぁぁぁぁあん!
蛇の身体が小さな光の粒となって弾け飛んだのだ。思わず背けてその光から身を守ろうとしてしまう警察官達。
それから十数秒が経ち、弾け飛んだ光が完全に消えた時。廊下には呑み込まれていたらしい警察署員が十数人倒れていた。
ここからでは判らないが、微妙に身じろぎしている者もいる。命に別状はないらしい。
それを見て我に返った署長達は、手分けして介抱に当たりだした。
「ふう。今回は思ったより楽だったな。冷気のおかげで相手の動きも鈍かったし。狭いからかな」
その様子を見てようやく力を抜いた昭士が、心底の本音を漏らす。それから剣のままのいぶきに向かって、
「お前が協力すればものの五分で終わる上に建物までブッ壊さなくて済んだってのに、こんなに苦労させやがって」
許可が出たとはいえ、自分で破壊した会議室の入口を「やれやれ」と言いたそうに見つめている。
『お断りよ。誰がするかそンな気色悪い事。頼まれたって金積まれたってゴメンよ』
思っていた通りの答えに、昭士は生返事で返す。
「アキシ様。今回も有難うございました」
スオーラはわざわざ昭士の正面に立ち、左手で自分の胸を軽くトントンと叩いてから昭士の左手に軽く触れ、しっかりと握る。さらにその手に右手を被せた。
スオーラの国では左手での握手こそが「深い信頼や感謝」を意味する。その意味を聞かされているので、昭士も抵抗なくそれを受け入れる。
『左手で握手? ホントあっちの世界ってのは礼儀作法がなってないわねぇ。それでも聖職者を名乗ってるってンだから、こりゃ笑うしかないわ』
意味も理由も聞いているのに、いちいち嫌みを入れて来るいぶき。昭士は柄に浮き彫りになる女性像の顔面に拳を叩き込んだ。
そこから始まった口喧嘩の中、スオーラは持ったままの短剣に向かって、
「あなたも本当に有難うございました。すっかり助けられてしまいましたね」
いくら何でもスオーラの筋力であれだけ巨大な蛇を押し止め、しかも押し返すなど不可能だ。いともたやすく押し返せた時に見せたあの青い光。あれは一体何だったのだろう。
『構いんせん。こう見えてもわっちは強いのでありんす』
どこか得意になっているようにも聞こえる、短剣の花魁言葉。
『村で一番の戦士でありんすぇ』
「村で一番? ひょっとしてヴィラーゴ村ですか?」
その村の側で戦い、行方不明になった村人(かもしれない)と思ったためスオーラは訊ねてみたのだが、
『さあ? 村に名(な)はありんせん。村は村でありんす』
村に名前がない。どういう事だろう。まさか自分が住んでいる村の名前を知らないとも思えないのだが。
困ったように小首をかしげるその様子が見えたのか、短剣は小さい笑い声を出す。
『でも、わっちには名がありんす』
笑い声のままの明るい声で
『わっちの名はジュンです。どうぞよろしゅう』
短剣は名乗った。

<つづく>


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