トガった彼女をブン回せっ! 第4話その4
『そう確信しました』

いくら車があろうとも、夜の山道を行くのは危険すぎると判断し、今日はここで一泊する事にした。
幸い食料はスオーラが採ってきた果実があったし、寝る場所はこの車がある。
二メートルオーバーの長さの剣になっているいぶきが横になれる場所がないので、物置きらしい場所に斜めに立てかける事にした。当然嵐のように文句がきたが、戸を閉めて放置する。
三百キロ近い物体を持ち出そうという輩もいないだろうし、何より彼女を無視した事による事態進行のスムースさを初めて味わった快感、のような物も手伝っている。
その様子にスオーラは少々難色を示していた。彼女個人の感情より聖職者見習いとしての使命感がそうさせたのかもしれない。
ジャンケンで勝ち取った個室で横になっていた昭士は、うとうとしかけたところを携帯のバイブレーションに叩き起こされた。
めんどくさそうに片手で操作してメール本文を表示させる。母親からだった。
『鳥居さんからだいたいの事は聞いてるけど、大丈夫なの? 怪我や病気はしてない?』
それだけの、ある意味そっけない文章だが、書きたい事があまりにもあり過ぎてとりあえずこれだけ書いて送ったようにも見える。
彼らの両親は昭士がいぶきの傍若無人振りの犠牲者になっている事もあってか、あまりこちらに干渉してこない部分がある。その辺は助かっているのだが。
でも初めて来た異世界でふと一人になった瞬間だからだろうか。たったそれだけの文章で胸の内からこみ上げてくるものがあった。
初めて剣を取った時はほとんど無我夢中であったが今回は違う。戦いがある事を知って挑む初めての戦い。
もちろん怖さはある。長いとはいえ彼の武器は剣。遠くの安全地帯から攻撃できるほど長い武器ではない。相手の間合いに入って武器を振わねばならないのだ。あるに決まっている。
そんな怖さを紛らわせるかのように、昭士はメールを返す。
『大丈夫。明日には多分帰る』
「メールを送信しました」の液晶画面を見て、昭士はパタンと携帯を閉じる。何の問題もなくメールは届いたようだ。異世界である事に加え、こんな山の中なのに。
考えても判りそうにない事を、いつまでも考えているのは時間の無駄だ。第一俺はそこまで賢くない。昭士はそう割り切った。
一方のスオーラは、個室ではなく車の運転席に座っていた。漏れてくる明かりからそれに気づいた昭士は乾かすために脱いでいたつなぎのような服を着て操縦席に向かう。
《明日は戦いになるんだ。少しでも休んでおいた方がいいんだろう?》
昭士と違い、スオーラの方が「実戦」経験がある事はハッキリしている。弱点をつけば一瞬で決着が着きそうな相手とはいえ、戦いの前に夜更かしをするのがいい事とは当然思っていない。
それに、今のスオーラの格好は、変身した魔法使いとしての姿だ。この世界のおける彼女の「正しい姿」ではない。
昭士達が学生としての姿をこちらで長い時間維持できないのと同様に、スオーラも魔法使いとしての姿は長い時間維持できない筈なのだ。
そうするためにはもちろん無理をしないとならない。それがどのくらい負担になるのかは想像に難くない。
「大丈夫です。まずはこの車の運転を覚えないとなりませんから」
彼女は「書かれた文字を理解する魔法」を使って、計器類の文字を自分の言葉に訳し、それを紙に書き記しているところだった。
しかし今の車と昔の車とでは、同じ車でも計器類にかなりの差が出るだろう。
しかもこの車、おそらく昭士達の時代の基準から見ても、随分未来の物であろう事が推測された。が、彼は車の免許はおろか運転すらした事はないのでホントのところはあてにならない。
しかし、ハンドルの側にシフトレバーが配置されているのは昭士も見た事はあるが、アクセルまでハンドルの側にレバーとして配置されている物は初めて見た(英語で「ACCEL」とあったから判った)。もちろんブレーキだけは足元だ。
言葉を翻訳したスオーラによると、右にレバーを動かせば「踏み込む」つまりシフトダウン。左に動かせばその反対のシフトアップになるという。
普通の車ではなくこうしたキャンピングカーだ。速度を出すための車ではない。こういう一見「妙な」構造には、きっと何かしらの意味があるのだろう。
「この世界の車とはだいぶ構造が違いますが、同じ車である事に変わりはありません。少し動かせばすぐに慣れると思います」
その言葉が何とも心強く頼もしく見えるが、昭士はあえて疑問をぶつけてみた。
《そこまで頑張る理由、聞いてもイイか?》
昭士のその言葉にも、スオーラは珍しく答えを返さなかった。なので昭士は勝手に話を続ける。
《確かにエッセとまともにやり合えるのはお前一人だったってのは聞いてるし、聖職者として教育されてるから「みんなの為に頑張る」って考えもまぁ判る。でもいぶきのせいでお前まで犯罪者扱いなんだし、そこまでする義理はなかろう? 別に逃げたって》
「仰る通りですが、やり抜く覚悟を決めたのは本当につい最近。アキシ様達のおかげなんですよ」
スオーラは作業する手を止め、わざわざ昭士の方を向き直って、ハッキリとそう答えた。
「わたくしは教団トップの娘であり、殿下の婚約者であり、そして人智及ばぬ化物・エッセと戦う事ができる救世主。皆はそう呼び、そう扱います。おかげでこの国ではわたくしを知らない人間の方が、むしろ少ないでしょう」
言い方はハッキリとしているし聞きようによってはただの自慢にしか聞こえないが、その言葉の響きはとても悲しそうだった。いや。悲しいのを無理に堪えている感じだ。
「でもそれを誇りとし、それに恥じぬ生き方をする事を、苦労と感じた事はありません。ですが、アキシ様の世界へ行った時でした。初めて……『感謝』をされたのは」
どこか恥ずかしそうに頬染めて「感謝をされた」と言ったスオーラ。当然昭士は不思議がる。
《ちょっと待て。これまでだって感謝くらいされた事あるだろ? 人助けの一つ二つはした事あるんだろ?》
この世界の人間が、助けられて感謝の一つもしないとは思っていない。昭士の疑問は当たり前に出てくるだろう。その辺はスオーラも予想していたようで、
「このオルトラの場合、わたくしの扱いは『人』ではないのです。人々を救う『何か』でしかなかったんです」
昭士の言葉が終わると同時に、スオーラは言った。タイミングを計っていたかのように。
「始めは身分の差から来るものかと思いました。教団トップの娘ですから。でも、違ったんです。わたくしに向けられるのは、明らかに畏怖でした」
いつの間にかスオーラの目から涙がこぼれ落ちていた。それに構わずスオーラは話を続ける。
「もちろん感謝される事を目的に人助けをしている訳ではありません。でも、感謝はされたいです。わたくしも人間ですから。だけど、わたくしに向けられるのは『それをして当たり前』という冷めた反応と、エッセという化物を倒したわたくしを恐怖する表情だけでした」
化物を倒した者。それは化物よりも強い化物。
そんな扱いをされてはどんなタフな神経の持ち主でも傷つくに決まっている。その傷がどんどんと大きくなって、やがては本物の化物になってしまう。ありがちな話だ。
身分の高い者として生まれ、役目ある人間と認められ、そんなプレッシャーの中懸命に生きてきた。
しかし。自分と同じ年頃の少女が「人」ではないと言われた時の衝撃。
自分でそう言った瞬間のスオーラの胸中を察する事は、今の昭士にはできそうにない。
「アキシ様の世界には魔法などないと聞きました。しかしわたくしが魔法を使っても。アキシ様が大剣を振るっても。あの皆さんがわたくし達を恐怖に思っていた様子は全くありませんでした。正直に心の奥底に届く感謝の言葉。わたくしはそれをあの世界で初めて知りました。感謝の言葉があんなにも自分を奮い立たせてくれるものだと、初めて知りました。教団トップの娘でもなく、殿下の婚約者でもなく、ましてや救世主でもない。本当にモーナカ・ソレッラ・スオーラというわたくしだけを見てくれている。そう感じました」
(そりゃ名前しか言ってなかったし)
昭士はその事実を口に出す事はなかった。しかしあの場で正直に言っていたとしても、口調が敬語になるくらいでそれほど変わらなかったろう。
世界が変わるとここまで変わるのか。昭士は正直にそう思った。
「あの感謝の言葉がこの胸にある限り、わたくしはどんな目に遭っても戦い続けられる。そう確信しました。だからどんな扱われ方をされたとしても、わたくしは戦い続けます」
スオーラの目が燃えている。まさしく「熱血」している。昭士はその熱から逃げるように背を向けると、
《ま、理由なんざどうでもイイさ。こっちだって誉められたくてやってる訳じゃない。俺はなりたてだから使命感とか心構えとか何にもないからな。そのうちそういうのもできるだろ、多分》
ふと上着のポケットに、学ランに入れていたものと同じハンカチがある事に気づいた。それを涙を流すスオーラに差し出し「早く寝ろよ」と声をかけて、昭士は自分の部屋に戻った。


翌朝早く。自然と目が覚めてしまった昭士。ゴトゴトと部屋の外を歩く足音が聞こえる。携帯電話の時計を見たら明け方の四時過ぎだった。それがこの世界での正確な時刻かは判らないが。
昭士は内側からかけたドアのロックを解除し、表に出た。
「おはよう、剣士殿」
昨夜は自分の部屋で寝ると言っていた賢者が、真っ青な顔で現れた。
《顔色悪いな。眠れなかったのか?》
「そうですね。眠れなくもなります。悪いニュースがあるものですから」
賢者とまで呼ばれる人間にとって、顔が青ざめるほどの「悪いニュース」。どうせロクでもない事は判り切っているが、それでも知らずにはおれなかった。
《とりあえず聞かせろ》
「プリンチペ殿下一行が、エッセに全滅させられました。スッド村の住人も大部分は犠牲に」
さすがの昭士もその一方には気分が悪くなるほど驚いた。昨日あんな事をされたにもかかわらず。それでも強がって、あえて淡々と答えを返す昭士。
《そりゃあ確かに「悪いニュース」だな。その事をスオーラは》
「先程伝えました。そのためこれから急いで出発する、と」
エッセは相手を金属に変え、それを捕食する。スオーラはそう言っていた。という事は、王子一行も村の住人も絶望的だろう。のんびりした策をとった昭士は、後悔しても仕切れないミスをした事に、激しく激怒していた。自分自身に対して。自分がした事に対して他人に怒りをぶつけるのはいぶきだけでいい。
《チンタラしてないで、すぐ出発するべきだったな》
「今それを言っても始まりません。それに殿下一行が襲撃を受けたのは夜半過ぎ。すぐ出発していても、間に合ったかどうかは」
確か王子は車でも二日はかかると言っていた。それは平地で最大時速五十キロほどの「この時代の」車で二日はかかるいう事だ。
昭士の世界基準以上のこの車なら、それ以上のスピードが出せる。こんな巨体でこんな山道であっても。
いくらこの世界の常識しか持たなくとも賢者の事だ。そうした計算あっての発言であろう。そこから考えるとここから村まではかかって十時間といったところか。
《……よし。村の住人が大部分って事は村は「全滅」じゃない。それを狙ってまた来る可能性はあるって事だ。そこを仕留めるしかないな》
昭士は操縦席の扉を開けた。そこにはもちろんスオーラが座り、出発前の準備をしていた。
彼女はさすがに元の「見習い僧侶」の格好に戻っていた。昭士と違ってこちらが本来の彼女の姿なのだ。
「アキシ様。この車の基本操作は頭に叩き込みました。いつでも行けます」
彼女の脇には昭士には読めない文字とイラストが書かれた紙が何十枚も束ねられていた。早く寝ろとは言っておいたが、スオーラは夜を徹して調べていたようだ。
だがそれを責めるつもりは毛頭ない。やる事がないからと言って眠りこけていた昭士にはその資格がない。
車はすでにガレージを出ていたようで、辺りはうっすらとした霧だか靄だかに包まれている。日の出る直前の山の光景である。
ふと横を見ると、ガレージのシャッターが開きっぱなしであった。そのため賢者に、
《なぁ。ガレージ開けっ放しでいいのか?》
「良いでしょう。どうせ盗まれるようなものはありませんし、こんな山奥に盗みに来るような人もいないでしょう」
賢者の呑気なその答えを聞いて、昭士が調子に乗って怒鳴る。
《スオーラ、発進だ。全速前進!》
「はい、アキシ様!」
ノリが良いのか言葉の勢いに釣られたのか。スオーラはヘッドライトを点灯させアクセルを一気に最大に入れると、車はカタパルトでも付いているかのような急発進をした。
……その勢いで昭士と賢者は操縦席の壁にしこたま頭をぶつける事になった。
だがそれで一安心とは行かなかった。
ここはもちろん山の中である。しかも舗装道路など全くない、人の手がほとんど入っていない山道。こんな全幅三メートル(推定)もの大きな車が通れる道など間違いなく無いのだ。
それでもスオーラはなるべく開かれた道を選び選び走っているようだ。その代わり地面事情は全く考慮されていない。
土の凸凹。木の根の有無。小さい起伏に大きな昇り下りの坂道。
いくら遥かに進んだ未来の車(推定)と言っても、タイヤを使って走っている以上、そうした地面からの衝撃をある程度は吸収できても完全に吸収できる訳がない。
ないから車の中は小刻みに揺れる地震のよう。むしろ吸収しているからこの程度で済んでいる、の方が正確だろう。
仮にこの世界の車だったら三十秒と経たずにスクラップと化している事は間違いない。それほどの「悪路」である。
《スオーラ! 道判るのか!?》
「大丈夫です! 先程調べましたから!」
ガタガタいう振動がうるさく感じ、つい大声を出してしまう昭士とスオーラ。
「この車には『れーだー』という、周辺を調べる機械があるようです。それを使って、スッド村までの最短ルートを調べてもらいました」
本当にスオーラはこの車の事を調べ尽くしていたようだ。まさかキャンピングカーにレーダー付のナビまでついているとは。未来(推測)の車恐るべし、である。
「最短ルートと云いましても。これはさすがに揺れ過ぎではありませんか?」
さしもの賢者もこの揺れから逃れる知恵は思い浮かばないようで、足元もおぼつかぬ様子に辟易しているようだ。
《もっと他に道はなかったのか?》
「仕方ありません。最短ルートといっても『道』を走っている訳ではありませんから」
スオーラのキッパリとした物言いに男二人が呆れる中、
「スッド村はこの山のふもとにある、農業と林業で生計を立てている、村の中では比較的裕福なところです。そしてこの時期は大規模な木の伐採が行われている時期で、山から二割程木がなくなります。その木がなくなった部分を行けば、本来の半分以下の時間で村に到着する事が可能です!」
《それってつまり山道を行くんじゃなくて、崖みたいなところを直滑降で行くようなモンじゃねえか!》
「よく判りませんが、村までほぼ一直線です!」
いくら時間がなく急いで行かねばならないといっても、こんなめちゃくちゃなルートを弾き出すとは。レーダーはもとよりスオーラの大胆不敵を通り越してハチャメチャな決断力には頭を抱えたくなる。
昨日のスピード狂のごとき車の運転の時にもそう思ったが、どうやらハンドルを握ると性格が豹変するタイプらしい。
おかげでいぶきが起きたらしく、閉めた扉の向こうで悪態ついている大声が操縦席にまで聞こえてきた。
《ちょっとあいつ黙らせてくるわ》
舌を噛まないよう注意して二人に告げた昭士は、揺れる通路を行って物置きに放り込んだいぶき(大剣形態)の元に向かう。
ドアがスライドして開くと、声のボリュームが二段階は上がった。
《ったくナニやってンのガタガタガタガタ! おかげで目が覚めちゃったじゃない! そもそも今何時よ何時!?》
休んで元気一杯になったらしいいぶきが、必要以上に元気一杯に怒鳴り散らす。それに呆れた昭士がワンテンポ間を置くと、
《今舗装されてない山の中走ってんだ。揺れて当たり前だろ》
《当たり前じゃないわよ! そもそもこンな狭っ苦しい部屋に一晩中閉じ込めるって、これどンな拷問よ! おまけにご飯だって食べてないし!》
《剣になってまで腹減るのか? ったく燃費悪いな、オイ》
言葉の勢いに任せて昭士は刀身をガツンと殴りつける。
《痛ッ! 女ぶン殴るなンてサイテー! 人間失格レベルよ、このダメ人間野郎が!!》
《ぶん殴られる事しかしないお前の方がダメ人間だろうが!!》
昭士がドモらず遠慮がなくなった分ケンカがより白熱する。さすがに後から来た賢者が、
「お二人とも。こんな揺れるさなかで怒鳴り合うのは止めて下さい」
特に叫んだ訳でも大声を出した訳でもないのに、よく響いたその声。思わず昭士もいぶきも言い争いをピタリと止めてしまう。
それから昭士を押し退けるように物置きの中に入り、大剣を真剣な目でまじまじと見ている。特に無骨で退屈極まる直線的かつ暴力的なデザインの中にある唯一の例外、両腕を広げた裸婦のレリーフを。
《なっ、ナニ人のハダカジロジロ見てンのよ、この変態!》
いぶきが人間形態なら間違いなく鋭い拳を叩きつけているところだが、剣の姿では何もできない。
「……いえ。彼女に似た昔話がこの世界には伝わっているので」
《こいつに似た?》
おうむ返しに昭士が訊ねる。
「ええ。度を超えて他人を顧みず自分勝手で独善的な生き方をし続けて皆に恨まれた女が、神が罰として無償で他人の役に立ち、これに尽くす事を強制させた。簡単に言えばそんな話です」
《確かに似てるな。前半は》昭士がうなづきながら答える。
《ひとっ欠片も似てないわね。特に前半》いぶきは相変らずの調子で呟く。
しかし賢者は急に話題を変えた。
「ところでお二人とも。人はなぜ『生きる』のだと思われますか?」
《さぁ。そんな哲学だか問答みたいな事聞かれてもなぁ》
素直に首をかしげる昭士に対し、いぶきはだんまりを決め込んでいる。そんなものに興味はない。そんな態度だ。
賢者は賢者らしく、朗々と、そして静かに語り出した。
人が生きるという事は、その根源たる“魂”の修行の為だと。
人が死んで記憶は亡くしてもその魂は不滅。不滅の魂は新たな“生”を持って生まれ変わり、善き行いを積み上げて“徳”を重ね、より良き人間という“種”になるための修行を続け、子孫と来世にその“徳”を受け継がせていく。それが『生きる』という事だと、昔の偉い人物が説いたと云う。
一気に話が難しく、かつ訳の判らない物になったため、昭士もいぶきも眠そうになっている。時間も時間だし。しかし賢者は続ける。
しかし人の身には善行を行う心と悪行を行う心の両方が存在する。それがその修行を極めて困難な物にしている。それが“業”と呼ぶ物である、と。
善行にあまりにも偏り過ぎると人は神となり、神の世界へ旅立ってしまう。それを人は「早すぎる死」と呼ぶ。
悪行にあまりにも偏り過ぎると人は魔となり、悪意を吸い寄せ魔に堕ちる。それを人は「人を捨てる」と呼ぶ。
どちらにせよ、それでは修行にならぬし不滅の筈の魂が人ではなくなってしまう。
だからバランスを保たねばならない。善行に偏った者は悪行を。悪行に偏った者は善行を行わねばならない。
悪行と云っても実際の悪行だけを云うのではなく、嫉妬や悪態なども広く含めての「悪行」。
善行と云っても実際の善行だけを云うのではなく、幸福感を得る事なども含めての「善行」。
そこまで静かに朗々と語った賢者は、一息ついて雰囲気を変えると、
「その剣、つまりあなたの妹さんはあまりにもバランスが悪すぎます。あまりにも悪行に偏り過ぎています。先に話した昔話のプラーナもかくや、という程に」
昔話の中とはいえ、いぶきのような人間がいたとは思わなかった。その昔話の登場人物達に、心底同情し、かつ親近感を覚える昭士。
《偏り過ぎて悪意を吸い寄せたから、人を捨てて剣になった、とでも言う気?》
いぶきの悪意の籠った冷ややかで平坦な声。
昭士にも何度か経験があるが、これは相当怒っている。人に戻ったら間違いなく殴りに向かう。それも全速力で。
「あいにく私にはそこまでは判りません。ただ、別の世界の要素を持った人間が別の世界でも人間であるかどうかはそれこそ人それぞれですから」
説明しているような、説明から逃げているような、どうとでも取れる賢者の言葉に、いぶきは、
《まぁ賢者の看板掲げただけのサギ野郎じゃ、その辺の説明が限界か》
と、バッサリ斬って捨てる。その辺は彼女らしいと言えるが、同時に懲りていないとも言える。
「剣士殿。ここは彼女の偏り過ぎた悪行を少しでも減らすため、剣としての彼女を使ってあげて下さい。他人に使われ役に立つという事も『善行』ですから」
《そーだなー。エッセと戦う時だけは立派に役に立つからな。スオーラが言うには「戦乙女(いくさおとめ)の剣」かもしれないって話だし》
「戦乙女の剣!?」
賢者が驚きの声を上げる。という事は何かしらの情報を持っているという事だ。
《知ってるのか?》
「ええ。先程話した昔話に登場するプラーナという女が、神の罰によって様々な動物や道具に変えられ、他人の役に立ち、尽くす事を強制させられたのですが、そのうちの一つがまさしく『戦乙女の剣』です!!」
《はぁ!?》
昭士といぶきの声が綺麗に揃う。
「戦乙女の剣は、己を傷つけて皆の為に戦う剣。自分が受けた痛みが大きい程それが剣の威力となって表れる自己犠牲の剣。そう云われています」
そこで昭士は前の戦いを振り返った。
巨大骨格標本と戦っていた時、振り回し過ぎていぶきの意識が朦朧としている時にはあまり斬れなかったが、意識がハッキリしている時はあっけないくらいに敵の身体を叩き割っていた。
……耳をつんざく豪快な悲鳴と共に。
「昔話が真実を語っていて、そしてプラーナの生まれ変わりが妹さんと仮定するならば、戦乙女の剣に変身するのも納得ができます」
《何かそれが真実って感じがしてきたぜ》
思わぬところから繋がった話に、賢者と昭士が揃ってため息をつく。
そしていぶきの方は「納得が行かない」「ふざけるな」と声高に叫んだ。
心の底から。

<つづく>


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