トガった彼女をブン回せっ! 第3話その2
『無いのですか、魔法?』

スオーラと、背中に剣を背負った昭士の二人は、警察官と学校の警備員達に見守られながら、剣道場の一画に立っていた。
ただし。目の前にあるのは剣道場の壁である。まだまだ傷みの少ない壁である。
《アキシ様。まずムータを取り出して下さい》
彼女は自分のジャケットの胸ポケットから一枚のカードを取り出した。同じように昭士も尻のポケットからカードを取り出す。
改めてよく観察してみると青一色で、昭士には理解できない文字のような物がビッシリと刻み込まれている。
だが、何だか微妙に変わった気がしないでもない。そこまでハッキリと観察している訳ではないので、変化していたとしても判らないだろうが。
《そして、そのカードを適当な壁に貼りつけて下さい》
昭士は言われるままに、目の前の壁にそのカードを貼りつける。
ぴぃぃぃん。
質のいいガラスを指先で弾いたような、高く澄んだ音が響く。貼りつけたカードからあふれた光がまるで壁に扉を描くように四角く広がっていく。
そう。それはまさしく青白く輝く「扉」だった。
《この扉をくぐれば、わたくしの世界・オルトラです》
スオーラは、その青白い扉のとなりの何もない空間に手をかざした。すると、彼のと同じような「扉」が姿を見せる。
無遠慮に「扉」に近づいた昭士は、わざとらしく目を近づけて観察するような仕草を見せ、スオーラに訊ねる。
「扉っつっても、ノブもなけりゃ取っ手もねーのか。これ押すの? 引くの? それとも引き戸とか回転ドアとか、そういうヤツか?」
《そのままくぐって下されば大丈夫です》
「そのままねぇ……」
「おい、アキ」
自分の「扉」をくぐろうとした昭士の背に、これまでのやりとりを黙って見ていた鳥居が、思わず声をかける。
「何かよく判らないけど、また、この間みたいな化物とやり合うのか?」
その一言が、昭士の歩みを止めさせた。
幼い頃からいぶきに振り回され、迷惑を被り、その度にかばったり励ましたりなぐさめてくれたのが鳥居である。鳥居にとっては自分の弟同然なのだ。
その弟が危険な事をしに行く。ケガするかもしれない。死ぬかもしれない。だが自分はそれを手伝えない。
市民を守る警察官としても、兄貴分としても、何の役にも立ってやれない。そんな悔しさ。歯がゆさ。それが昭士には判るからだ。心配してくれているのが判るからだ。
でも、こんな風に扱われるのは昭士も生まれて初めての事である。だからどうしたらいいのか判らなくて、歩みが止まってしまった。
しかし。こういう時どうするのがいいか。そんな事は一つしかない。
昭士は「扉」の一歩手前で振り向くと、
「じゃ、行ってくる」
短くそう言い残して「扉」をくぐった。スオーラも隣の扉をくぐる。
二人がくぐり終えると、その「扉」はすっと消えた。本当に何もなかったかのように。


「扉」をくぐり終えた昭士は、目の前の光景に思わず目を見開いてしまった。
それもその筈。本当に「扉をくぐり抜けた」だけで、目の前の光景がガラリと変わってしまったのだから。
彼の目の前に広がるのは、TVで見たヨーロッパの古い大聖堂っぽい空間。精巧な石造りだというのが素人にもよく判る。そんな感じのガランとしたホールだったのだ。
少し薄暗いが天井にはこちらでいう宗教画というヤツであろう絵が描かれてある。
ゆったりとした服を着た男がたくさんの子供達に向かって「さあ、こちらへおいで」と手を差し伸べながら微笑んでいる絵である。多分それがこの教会(?)における「神様」の姿なのだろう。
壁には特に装飾はされていないが、等間隔にロウソクを灯す燭台が設置されている。今は昼間なので点いていないが。
床も正確な正方形の石が隙間なくビッシリと敷き詰められ、かつピカピカに磨きあげられている。さすがに鏡の代わりになる程ではないが、むしろ土足でこうして立っているのが申し訳なくなるくらいだ。
「ラノチースニ ミチトチニモチトイ ラマラナトチモチ」
少し離れたところから、そんな女性の声が聞こえた。昭士は何となくそちらに視線を向けると自分より十歳は年上の女性がこっちに歩いてくるところだった。
その女性の格好は、いわゆるボタンではなくファスナー式の学生服に見える濃紺の服。胸のところには、スオーラのジャケットと同じ六角形に五芒星というマークが刺繍されている。
見た感じ明らかに若いのだが、髪の方は老婆のように真っ白である。染めているのか人種的なものか。
「モーナカ・キエーリコ・クレーロ様の命により、異世界より剣士の方をお連れ致しました」
「トチノニクラシラノチスチ ラモチソクニミニ ミチカーイ ラスニモチトナ」
彼女の問いにそう答えるスオーラを見て、昭士はまた目を見開いてしまった。
格好自体は、声をかけてきた女性とほとんど同じものだ。濃紺の学生服(っぽい服)に白いマント姿。
しかし彼女自身の姿がかなり様変わりしているのだ。
昭士達の世界の時はだいぶ大人びた顔立ちだったが、さっきオルトラと言っていたこの世界での彼女の姿は、本当に自分達と同じくらいにしか見えない、元気が取り柄の健康的な少女である。決してブスではないものの、美人というにはかなりベクトルが異なる。
無造作に伸ばされていた赤い髪は首の後ろで一つにまとめてあり、額は大きく開けてある。そのためか若干子供っぽく見える。
身長の方も自分よりも少しだけ低いくらいになっているし、見事なプロポーションなど影も形もない。少女というよりは中性的な少年と言った方が皆信じるに違いない。
おそらくこれが、本来のスオーラの姿なのだろう。あの姿は「変身後」と言っていた気もするし。
それに。スオーラの言葉はきちんと判るが、相手の女性の言葉がサッパリ判らない。一応聞き取れはするのだが理解が全くできない。その理解できなさが嫌が応にも不安感を沸き上がらせてしまう。
自分に益があろうがなかろうが、全く理解できない言葉が周囲を飛び交っている様子というのが、これほどまでに居心地を悪くするものだとは。
(多分、あっちの世界だとスオーラはこんな気分だったんだろうな)
柄にもなくしんみりとした雰囲気の昭士である。
そこで初めて昭士は気がついた。いぶきが何も言って来ないのである。
普段は必要以上に口を出し手を出し、こちらのやる事なす事一つ一つにケチをつけ難癖をつけ、徹底的に邪魔してきたのに。
さっきまで徹底して「嫌」という態度を貫いてきたのにもかかわらず、だ。
しかしいぶきの性格からして観念したなどという事はあり得まい。この無言が精一杯の「抵抗」なのだろう。
嵐の前の静けさ、という言葉があるが、何故か昭士の脳裏にそんな言葉がかすめた。
「アキシ様。カヌテッツァ僧様が自動車を準備して下さいました。参りましょう」
《カヌテ……何だ?》
スオーラが手を指し示したのは、先程まで話していた白髪の女性だった。その人の名前がきっと、そのカヌテナントカなのだろう。昭士はそう思った。
しかし「自動車」という単語が出てくるとは。昭士は小さく驚いていた。
《なぁ。車って言ってたけど、馬車か何かか?》
するとスオーラは心外そうに眉を顰め、
「アキシ様。それはどういう意味ですか?」
《いやな。魔法がどうのとか言ってたから、車みたいに機械的な物って無いかって思ってたんだよ。気を悪くしたんなら済まないけどな》
「アキシ様の世界はよく知りませんが、何でも魔法で済ませる訳ではありません。むしろ魔法が使える人はごく少数ですから」
《そうなのか? 俺はてっきり魔法を教える学校とか、魔法を使った商売をしてるとか、中世ヨーロッパ的なファンタジー世界を想像してたんだが》
歩きながらの昭士の言葉に、さっき顰めたスオーラの眉が緩むと、
「その中世ヨーロッパ云々というのがよく判りませんが……」
初めて聞いたであろう単語に、少し困った表情を見せ、
「アキシ様の世界では、魔法はそのように使われるのですか?」
《いや。こっちの世界には魔法なんて無いよ》
「無いのですか、魔法?」
「無い」という言葉にスオーラが驚いて言葉に詰まる。
《正確に言うなら、今ある化学とか科学なんかで片づく知識の、仕組みや原理が解明される前の物を「魔法」って呼んでた、みたいな感じだな、確か》
随分前に見たドキュメンタリーだか何だかの知識を、おぼろげに引っぱり出す昭士。
実際昔「魔法」と呼ばれていた技術が、現代のさまざまな科学知識の基礎になっている事は確かだ。
そんなやりとりをしながら歩いている時に気づいた事があった。というより、さすがに気づいたの方が正確だが。
ホールの中には先程のカヌテナントカ以外にも何人もの人がいる。詳細は判らないが、見るからに位の高そうな人間が何人もいる。
にもかかわらず。誰もがスオーラに対して恭しく接しているのだ。発している言葉は判らないが、そんな雰囲気くらいは昭士にも判る。
スオーラもいちいち立ち止まって挨拶をかわしている(ように見える)。時折昭士の方を振り返り「剣士様を連れて来ました」と、昭士の事を紹介している。
すると決まって左手を胸に当てて「ノチモニミラ キラノチキラテラ」と呟いているのだ。意味は判らないが悪い言葉ではなさそうである。こういう宗教の僧侶だ。きっと「神のご加護を」云々といった決まり文句だろう。
こういう宗教は厳格な組織を作っているケースがほとんどだ。上の者に絶対服従という事はさすがにないだろうが、上の位の者が下の位の者に恭しく接する事はまずあり得ない。
スオーラの言う事が正しいなら、彼女はまだ見習いの筈だ。そんな見習いにそこまで恭しく接する必要があるとは思えないのだが。
確かにこの世界を脅かしている「エッセ」とか呼ばれる化物とまともに戦えるのは、この世界では彼女ただ一人だけらしい。
それ故に「救世主」的な扱いで恭しく接しているのかと思ったが、そういう感じとは違う気がする。
そこで昭士は思い出した。
スオーラのフルネームはモーナカ・ソレッラ・スオーラ。そしてさっき出た「偉い人」の名前。どちらも最初は「モーナカ」だった筈だ。
昭士の世界のいわゆる外国人の場合、最初にくるのは個人の名前だ。だがスオーラのフルネームから考えると、こっちの世界では日本語と同じく最初が苗字で最後が名前なのでは。
もしそうならば、スオーラはその偉い人の関係者。もしかしたら親や祖父母の可能性もある。
見習いとはいえ偉い人の娘や孫ならば、位が下でも恭しく接してくる者もいるだろう。○○家のお嬢様、のような感じで。
《なぁ。ひょっとしてお前って、イイトコのお嬢様ってヤツなのか?》
「イイトコ?」
《ああ。親が偉い人とか金持ちとか、そういう感じ。じゃなきゃ見習い相手にあそこまで恭しくしないだろうと思ったんだ》
スオーラはしばし黙していたが、やがて何かを思い至ったように目を見開くと、
「確かにわたくしの父上は、この教団の長ですが。教団の者は人々に尽くすのが生業。決して偉い訳ではありませんよ」
そう答える彼女の声はどこか固かった。表情も少し暗くなった気がする。
《教団のトップなら、偉いんじゃないのか? 普通そうだろ》
「確かに長ゆえに、先頭に立って活動するよりは、皆を仕切る機会の方が多いのですが。長だから偉いという訳ではありませんよ」
あくまでスオーラは「組織のトップだが偉くない」を強調する。しかし人々は恭しく接している。
これは多分、本人に偉い自覚はないが、周りが偉い人として扱っている。そんな感覚の「ズレ」というヤツだろう。
それにこのままだと堂々回りになりそうだ。きっと自分達とは考え方が違うのだ。世界が違うんだから。問答が面倒になった昭士は、割り切ってそう考える事に決めた。
スオーラが声をかけてくる人一人一人に応対していたので、ホールから出るだけで随分時間がかかってしまった。
ようやくホールから出た時は、中の薄暗さに目が慣れてしまっていたので、外の太陽の眩しさに目の奥がずきんと痛んだ。
ホールの外は昭士が想像していた「ヨーロッパ」さながらの風景だった。あまり背の高くない石造りの建物が整然と立ち並び、地面も石畳が敷き詰められたもの。まるで古い街並が残っている区域に来てしまったかのような感じである。
日差しはそれほど強いものではない。空気も澄んでいて「美味しい」感じがする。きっと現代日本のように汚れた空気とは程遠いからだろう。
昭士が想像していた典型的ファンタジー世界のように、人型の亜種族が町を闊歩したり、そこらで魔法が派手に使われていたりといった様子は全くない。
だから「異世界」に来たというよりは、ただ単に「外国」にワープをしてきたかのよう。昭士がそう思ったのも無理はない。
異世界とはいっても、所詮そこに住んでいるのは自分達と何ら変わらない人間なのだ。人間がやる事なら、世界が変わろうがそう大差ないのだろう。異世界っぽく感じないのはそれが理由だろう。昭士は勝手にそう結論づけた。
そして。ホールの目の前にどんと停まっている黒塗りの車。それは確かに馬車などではなく「自動車」だった。
ただし。車の歴史に詳しくない昭士ですら「相当昔の車だ」と断言できる程、そのデザインはとても古臭い物。ドキュメンタリーだか博物館だかで見た「自動車黎明期」の車。確かフォードだったか。それをイメージしたくらいだ。
車をほうけた目で見ている昭士に向かって、スオーラが不思議そうに訊ねてきた。
「アキシ様。この自動車が珍しいのですか?」
《ああ。俺の世界じゃ相当昔のクラシックカーって事で、マニアが大金積んででも手に入れたがるくらいにはな》
「そ、相当昔……」
昭士の仮借ない一言にスオーラが唖然としている。
「わたくしも自動車については大した知識は持っておりませんが、これはつい最近四囲に広まってきた代物だそうです。この国では重要人物の送迎にしか使われる事はありません」
こうした車がつい最近広まってきた。という事はこちらの世界でいうと、だいたい百年は昔の話になる。機械的な技術レベルはそのくらいか。と、昭士はどこか冷静に考えていた。
「と、ともかく。これでモーナカ・キエーリコ・クレーロ様の元へ参りましょう」
スオーラは車の運転手らしきスーツ姿の人物が開けたドアを差して昭士に言う。だが彼は一歩車に乗ろうとして立ち止まった。
それを不思議に思ったスオーラは、
「あの、アキシ様。どうかされたのですか?」
すると昭士は背中に背負ったままの大剣を指先でコツコツ突つきながら、
《ああ。この車にこいつ乗せたら、多分まともに動かないんじゃないか、重すぎて》
そう。昭士は重さがないかのごとく背中に背負っているのでたびたび忘れそうになるのだが、その大剣の重量はとんでもない物である事は間違いない。
正確には量っていないのだが、おそらく数百キロはあるだろう。このくらいのクラシックカーでは、十中八九パワー不足。良くてノロノロ運転。悪ければ動かない。
スオーラは車の窓ガラスに指で何やら書きながら考えている。
「この剣はおそらく鉄でできているのでしょうから、この大きさから考えますと……」
鉄に限らずほとんどの物質の重量は特定の計算式で求める事ができる。それをとっさにやってのけたところを見ると、スオーラはかなり高度な教育を受けている事は明白。
これまでの丁寧な言動。親が一宗教団体のトップ。こうして高級な車をすぐさま用意させる。やはり彼女は相当な「お嬢様」なのではなかろうか。昭士でなくともそう考えるに決まっている。
だが彼の胸中には、不思議と彼女を羨んだり妬んだり気持ちは湧いて来なかった。
無論全くなかった訳ではない。金持ちそうで羨ましい。相当いい暮らししてるんだろうな。もちろん考えた。
しかし昭士には判っていた。さっき教会(?)の中でスオーラに恭しく言葉をかわしてきた人間達の目が。
無論こうした教会にいる僧侶全員が清廉潔白無欲無心な人間などとはこれっぽっちも思っていないが、言葉とは正反対の妬み、嫉みなどなどの感情が露骨に浮き出ていたのだ。
昭士に馴染み深い学校生活に置き換えるなら、校内の人気者を表面では誉め称えるが裏では陰口ばかり。
ましてや、僧侶見習いの世間知らずのお嬢様がこの世界の救世主をも兼ねる事になってしまったのだ。そうした「暗い心」を持つ人間の方が多いに違いない。
こういう露骨な態度は地味に効くのだ。精神的に。
(やっぱり。どこの世界も苦労するのは変わりなし、か)
計算を終えたらしいスオーラは運転手の方を向くと、
「……少なく見積もっても三百キログラムはあるでしょう。この車で運べますか?」
すると運転手は少しも考える間もなく「モナスニシー キラツチニモチトナ」と即答する。
「やはり無理だと思います、アキシ様」
スオーラが運転手の言葉を訳して彼に伝える。何と言ったかは判るが、やはり意味が理解できない。この辺のもどかしさはどうしようもないのだろう。いつまでも気にしていても仕方ない。言葉に関しては諦める事にした。
だが今の問題はこの背中の大剣だ。予想重量三百キロ。昭士の世界の車ならともかく、こんなクラシックカー(ここ現地では最新モデルらしいが)で運べる訳がない。
むしろこの世界に三百キロもの鉄の塊を運べる乗り物があるのかどうかも判らない。いや、むしろ昔ながらの馬車の方がかえって運べるのでは。
《つーかさ。馬車とかの方が運べるんじゃねーのか、この荷物》
自分の妹が変身した剣を「荷物」扱い。事情を知っているとはいえ昭士の容赦ない物言いに、スオーラは少し腹を立てると、
「アキシ様。いくら何でも『荷物』扱いはイブキ様に失礼です」
それから車の方をチラリと見ると、
「それに、わざわざ自動車を用意して下さったカヌテッツァ僧様にも失礼です」
《そのカヌ……さんって、偉いのか?》
覚え切れなかったので、とうとう頭二文字で呼ぶ昭士。するとスオーラは、
「教団の副長であらせられます。まだ四十歳前の若さで異例の出世だと皆が誉め称える、素晴らしい方なのですよ?」
《そりゃあ確かに無下にもできん、か》
しかしこのままでは車に乗る事もできない。おまけにこの車が相当珍しい物である事は、遠巻きに見る人が一気に増えてきたこの道路上を見ても一目瞭然だ。
そこで昭士に思いついた事があった。
《なあスオーラ。この変身するカード。こっちの世界でも使えるのかね、俺は》
昭士は尻のポケットに入れたカードを取り出して、スオーラに見せる。
このカードは「異世界の」自分になるカード。この状態で使えば異世界の――元の世界の自分に戻るのではないだろうか。
そうすれば高校生二人の重量になるから、このクラシックカーでも充分乗れる筈。さすがに運転手含めた人間四人なら積載量オーバーなど起こす事はないだろう。こんな昔の車でも。
スオーラは少しの間考えると、
「確かにわたくしも、アキシ様達の世界で『変身』しようと思った事がありませんので何とも言えませんが……」
それはそうだろう。スオーラの場合変身してこそエッセと戦う能力が得られるのだ。戦う能力もない姿になるメリットなどどこにもない。
「ですが、理屈の上では可能だと思います。今のアキシ様の姿はここオルトラでのアキシ様の姿。ムータで変身しなくとも、この世界に来るだけでその姿になるのですから。ムータで変身をすれば、元の世界の姿になれるのではないかと」
その辺りは何の問題もないようだ。
だが、戦う力がなくなる上に、いぶきという厄介事を抱えるハメになる。
彼女の中では「勝手に連れて来られた」という認識である。元の世界に帰せとごねるだろう。もしくは観光くらいさせろと言ってくるかもしれない。それに加えて昭士を容赦なく殴り倒しに来るだろう。間違いなく。
どう考えても穏便に事が運ぶとは到底思えないのだ。
だがこのままここにいても何の進展もないし、スオーラの父をここへ呼びつけるのもまた失礼になるだろう。絵的にも非常によろしくない。
いぶきを信じるしかない。見知らぬ土地で下手に暴れない事を。……まぁその信心は十中“百千”無駄に終わるだろうが。
昭士はあっちの世界で変身する時のように、カードを自分の目の前に突き出した。
すると変身の時と同じように、カードから青白い火花が激しく散った。散った火花はバチバチと広がりながら、昭士の目の前で青白い扉のような形となる。その扉がこちらに迫り、彼の全身を包み込む。
扉が消えると、そこに立っていたのは元の姿。学生服姿の昭士である。どうやら無事「変身」を終えたようだ。
「きゃっ!」
スオーラの声がしたかと思うと、彼女は元の姿に戻ったセーラー服姿のいぶきを全身で抱きかかえていた。
《い、い、いぶき、ちゃん?》
元の姿に戻れたのに、いぶきは何のリアクションも起こさない。戻った瞬間に拳の一つ二つ飛んでくると身構えそうになっていた昭士は、だいぶ拍子抜けしてしまっていた。
そのいぶきはスオーラに全身を預けるように、脱力したかのようにもたれかかっている。それも、どこか「らしく」ない。
「あ、あの、アキシ様」
スオーラの声が固まっている。何事かと問い返すと、
「イブキ様。寝ています」
こう返ってきた。

<つづく>


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