トガった彼女をブン回せっ! 第17話その3
『この国に嫁いだ姉に会いに来ました』

昭士が何となく言った「隠し部屋」。
そんな事はない、と否定したスュボルドネの小さな焦燥。
そこに白骨死体があったという、美和の衝撃的な発言。
加えて、この部屋に潜んでいた殺し屋としか思えない女と、ナイフを隠し持って襲おうとしていた女の存在。
謎が謎を呼ぶ、というほど仰々しくはないが、状況説明の一つ二つは欲しいのが本音である。
美和はぽっかり空いたままの壁の向こうを指し示して、
「ご紹介します。白骨死体さんです」
笑うでもなく真面目でもなく。いつも通りの暗めの淡々とした物言い。それがかえって笑いを誘ってしまうのだが、さすがに誰も笑う気にはなれなかった。
昭士は背負っていた剣を壁にそっと立て掛けると、ゆっくりと壁の奥に入っていく。
一歩踏み出しただけで積もっていた埃がブワッと舞い、慌てて口元を手で覆い隠す。こんな状態だったのに埃一つ立てなかった美和。やはり盗賊のテクニックなのかと、変な方向で感心する昭士。
そこまで埃が積もるほどこの部屋は長い間使われていなかったのだろう。空気がかなり黴臭い。
明かりを背後にしているので部屋の詳細な様子は判らないが、部屋の一番奥に確かに白骨死体らしきものがあるのは判った。
昭士はさっきからずっと持ったままだったタブレットの事を思い出し、画面のスリープを解除する。
画面の明かりを頼りに、そして埃を少しでも立てないようにゆっくりと、そろそろと白骨死体に近づいていく。
(確かに)
心臓部分のみを覆うタイプの胸当てだった板とおぼしき物が肋に乗っている。それを繋いでいた革紐が完全に腐って外れてしまい、身体の上に乗っているだけの有様である。
着ていた服はもちろん、手足を縛っていたらしい縄も、猿ぐつわをかまされていた布もほとんど風化しており、どれだけの年数だったのかは見当もつかないほどだ。
そんな状態の白骨死体に、昭士は何となくタブレットを脇に挟んでから両手を合わせて「成仏しろ」と祈る。
〈何者だ〉
昭士の耳にそんな声が聞こえてきた。もちろん自分の声ではない。そして後ろにいる美和やスュボルドネの声でない事も判る。その声は昭士の「前」から聞こえてきたのだから。
という事は……。
〈死した者をさらに辱めようというのか。この国の軍人も地に堕ちたものだな〉
どことなく皮肉が籠った、低い男の声だ。白骨死体に落ちていた昭士の視線がゆっくりと上に上がっていく。
《ヒッ……!?》
一応戦士としてはかなり情けない声を上げそうになる。
無理もないだろう。彼が見たのは自分より一回りほど年上の男。全身から薄青いオーラのようなものを纏っている、厚手の布で作られた服を着た、精悍な顔立ちの戦士の姿。
……の幽霊だったから。
十五年という決して長いとは言えない人生の中で、妹いぶきの起こした騒動のとばっちりを受けて色々な経験をしてきたつもりの昭士だったが、さすがに幽霊に遭遇した事はなかった。
佇まいというか雰囲気自体は、精霊であるジェーニオとどことなく似ている。やはり「霊」という字がついているからだろうか。
男の霊は「この国の軍人」と言っていたが、昭士は無関係である。
《ちょっと待ってくれ。後ろのヤツはともかく、俺はこの国とは無関係だ。そもそもこの部屋の存在すら知らなかったくらいだからな。早とちりするな》
言って判るかどうかも判らないが黙っている訳にもいかず、昭士はそう話した。するとその男は昭士を観察でもするかのようにじっと見つめると、
〈貴様……もしやムータを持っているのか。それも俺と同じ「軽戦士」のムータを?〉
《は? 何だって、軽戦士!?》
賢者から「『軽戦士』のムータを持っていた戦士がいたという話が伝わっています」という情報を聞いてはいたものの、まさか当の本人(?)と出会うとは思っておらず。昭士が面喰らうのも当然である。ついでに言うと自分の言葉が通じた事にも。
昭士がポケットからそのムータを取り出して見せる。すると男の表情が少し明るいものになった。何らかの希望を見い出したかのような明るさである。
〈そうか。我が後を継いでくれる者がいたのか。それで、戦況はどうなった。ルイーズ、いや、ルリジューズ姫は健在であられるか?〉
そんな事をいきなり言われても、昭士には何の事かさっぱりである。
だが、スュボルドネは違ったようだ。現地の言葉で、それもかなり驚いた様子で、男に向かって何か言っている。
〈さ、三百年前だと!? あの戦いから、いや、俺がここに閉じ込められてから、それだけの年月が経っていたのか……〉
彼から何を聞いたのか、男の少し明るくなった表情が一気に曇る。自分が死んでいるというよりも、三百年も経っていた事に対して衝撃を隠せないようである。
昭士は後ろにいたスュボルドネに向かって訊ねる。
《なぁ。そのナントカ姫って知ってるのか?》
「はいぺいこくけんこくまもないころにそんざいしたるいーずるりじゅーずひめです」
まるで歴史書のような返事が返ってきた。
「れきししょによればけんこくまもないころひとならざるものたちといくさになったときじんとうしきにたったとされるかたです」
「ペイ国の姫将軍の事は、サッビアレーナにも話が伝わっていますよ。自分の命と引き換えにした儀式で人ならざる者を討ち破った。それを見た人々が『二度と女性にこんな真似をさせてはいけない』として、女性を戦わせる事を禁忌とした、と」
元々二百年前の人間だった美和が、歴史書よりは詳しそうな解説を入れてくる。
姫将軍とはベタな二つ名ではあるが、女性を戦わせない理由が女性蔑視ではなかった事に昭士は感心する。しかし、
《で。あんたは何でこんなところに閉じ込められたんだ? ムータで軽戦士になってるなら、そういう連中に対しては立派な戦力だろ?》
「姫と恋人同士なのをやっかまれたんじゃないんですか? さっき姫の身分の人間をルイーズって名前で呼びかけましたし。あなたは王侯貴族のようにも見えませんし」
美和のぼそっとした、しかし鋭い一言で男は言葉を飲み込むように黙ってしまう。どうやらそれが正解だったらしい。
そんな照れくささを隠している自分を見られたくないとばかりに、男は昭士が掲げているタブレットを指差すと、
〈ところで、何故貴様がその光るガラスの板を持っているのだ。それは俺の相棒だった、盗賊のムータの使い手が持っていた物だぞ〉
《は?》
昭士二度目の面喰らい。まさか三百年前にタブレットPCが。いや、そんな訳はない。おそらく魔法的な何かで持っていたか、当時の盗賊のムータの使い手が未来からでもやって来ていたのか。そんなところだろう。自信はないが。
《本当なのか、それ?》
〈ガラス板の裏側に、欠けたリンゴを意匠化した紋章があった〉
男の言う通り、これは昭士の世界のタブレットでは一番有名でシェアの大きいアプレという会社の製品だ。そのマークは欠けたリンゴである。
だが特注品でない市販の品である。過去の盗賊のムータの使い手が持っていた物と同じかどうかなど判る訳がない。
「ちなみに自分は『盗賊』のムータを持っていますが」
いきなり美和が会話に割って入る。それも自分の「盗賊」のムータを男に見せつけるように。
すると彼女の持つムータが点滅を始めたのだ。それに応えるように昭士の持つタブレットも点滅を繰り返す。
そして昭士の手の中のタブレットが意思を持ったかのように昭士の手から跳ね上がる。跳ね上がったタブレットは一直線に美和の持つ盗賊のムータに飛び込んでいく。
その瞬間、文字通り目も眩む光が辺りを包み込んだ。周囲の動きを超スローモーションで認識できる昭士すら反応に遅れてしまった程だ。
ずきりとした目の奥の痛みが消える頃、恐る恐る目を開けた一同が見たのは、さっきと変わらぬ姿勢でムータを見せつけるように掲げている美和だった。
何が起こったのかさっぱり判らないが、美和だけは理解していた。
ムータが少し厚みを増していたのである。良く判らない模様だか文字だかが描かれた面を、くるりとひっくり返す。
何とそこには、さっきのタブレットの画面があるではないか。そう。ムータとタブレットが一つになってしまったのである。
〈そうだ。盗賊のムータの使い手は、そのようにしていた〉
男のどこか懐かしそうな声が響く。
「ほう。これは確かに面白い。こうなってしまったからには、自分の物にしますが、いいでしょうかね?」
美和の言葉に昭士は「好きにしろ」と短く言った。どうせどこの誰の物かも判らないのだ。
明かり代わりのタブレットが無くなってしまったため、昭士は腰のポーチから携帯電話を取り出した。さっきよりは弱々しいが無いよりは遥かにマシだ
だがしかし。これからどうしようか。そんな風に昭士は考え込んでしまっている。
確かに色々と話を聞きたい。しかし何を聞くべきなのかが判らない。そんな相反する気持ちだ。
昭士は「この世界」の事を何も知らないに等しいのだから仕方ない。質問するべき疑問すら浮かばないのだ。


一方駅で昭士と別れたスオーラは、自分のバイクに乗って姉の嫁ぎ先であるルリジューズ家の屋敷へ急いでいた。
スオーラは三人姉妹の末っ子で、このルリジューズ家に嫁いだのは上の姉・タータである。
嫁いだのは五年前になるが以後全く会っていないという訳ではなく、スオーラがムータの力を得た事から親族会議となった時、わざわざ実家にやって来ている。だからつい先日会ったばかりなのである。
だがそれでも。クーデターに巻き込まれたのかもしれないと気ばかり焦り、バイクのアクセルをついつい加速気味にしてしまうのだ。
しかしサイドカーに乗っている(眠っている)ジュンの事を思い出してそれを無理矢理のように絞る。そんな感じで町の中を駆けていた。
現在この国=軍隊の中枢を占めるのは、建国に携わった名家の一つディクタテュール中将家とその派閥。
それに反旗を翻してクーデターを起こしたのは、これまた建国に携わった名家の一つであるエタ家とその派閥。そしてエルミットゥ少将の派閥が中立。そこまではエルミットゥ少将本人から聞いている。
かつて三百年あまり前。思惑はともかく互いに協力して国を作った者達の子孫が、互いに相争うというこの状態。
加えてあまりにも軍隊に権力を持たせた上、軍に入らねば男ではないという風潮まで作り出し、国内があまりにも偏り過ぎていびつになってしまっている。クーデターがなくとも住民の一斉放棄くらいは起きてもおかしくない情勢だ。
そんな町はさすがにクーデター中断中とあって、ほとんど人通りがない。それは心配な部分であるが、クーデターに便乗した住民の一斉放棄がない事は、スオーラを落ち着かせている一要因である。
この町そのものが戦場になっている訳ではなさそうなのは幸いであるが、別れ際にこの国の軍人がして来た忠告曰く、
「ルリジューズ家はこのクーデターに対し中立を保っている」。
エルミットゥ少将も言っていた事だが、中立を保っているという事は、この町への攻撃=攻撃した側と対峙するという事であり、すなわち敵を増やす行為となる。滅多な事ではしてこないであろう。
しかし逆に味方につければそれだけ有利に働くという意味でもある。水面下でどちらかの、もしくは両方の勢力が接触していないという保証はない。
嵐の前の静けさ。そうでなければいい。まがりなりにも聖職者である。こんな戦いなど望んでいる筈がない。
ルリジューズ家の屋敷は、町郊外の小高い丘の上に建っている。何度か行った事があるので道は知っている。そのため軍人の案内は断わったのだが。
普段なら二十分はかかるところ、人通りがない事と思った以上に速度が出ていたためか、十分程で家の手前まで到着してしまった。
ところが。屋敷が建つ小高い丘へ続く唯一の道に、検問が敷かれていたのだ。バリケードを築き、険しい表情の軍人が十人ばかり立って警戒している様子が見て取れる。
スオーラは軍人の一人の「停まれ」という手信号に、仕方なくブレーキをかけてバイクを停める。
すぐ腰の銃を抜ける体勢でスオーラに駆け寄って来る軍人達。バイクに乗る際普段つけているマントを外していたので、濃紺の学生服のような僧服がすぐ目に飛び込んで来たからか、銃に触れていた手がわずかに離れる。
その中の一人。卑屈そうな顔の男が前に進み出て、
『こんなところに、僧侶が一体何の用事だ。帰れ』
警備している関係か権力を持っているからか、必要以上に圧迫的かつ高圧的な態度に出てきた。しかし特に腹を立てた様子もなく、スオーラは被っていたヘルメットを脱ぐと、
『わたくしはパエーゼ国の住人です。ジェズ教キイトナ派の托鉢僧にしてモーナカ家の三女、ソレッラ僧スオーラと申します』
と、ペイ国の言葉に切り替えてそう名乗った。いつもよりゆっくりとした喋り方で。
パエーゼ国は「苗字・洗礼名・個人名」の順番に自分の名前を名乗るが、このペイ国では「個人名・苗字・洗礼名」の順に名乗る。
そうと知っているのだから順番を変えて名乗れば済む事ではあるが、いちいち各国の順番を覚えるのは非常に手間がかかる。
そのためこんな長ったらしい面倒な名乗り方をしているのだ。これならどの国でも通じるからだ。
一応僧服を着ているため彼女の名乗りをとりあえず信用したらしい軍人達だが、サイドカーの中で丸まっている白髪褐色の肌のジュンには露骨に見下した目で、
『その托鉢僧様が、何故蛮族と共に行動している? おまけにそのバイクも托鉢僧様なんかにゃもったいないが』
腰の銃に手を添えたまま、スオーラの顔にわざとらしく顔を近づけ、ジロジロとあちこちを睨みつける軍人。
スオーラに声をかけたのとは別の軍人が何となく背筋を伸ばして居住まいを正すと、
『確か……パエーゼ国のモーナカ家といえば、ジェズ教最高責任者の家系。するとあなたはもしや?』
『はい。娘です。この国に嫁いだ姉に会いに来ました』
一宗教最高責任者の娘。信心薄いかつ軍事国家の人間ではあるが、間違いなくひとかどの敬意を払わねばならない相手である。彼女に何かあった場合、ジェズ教信者総てがこの国の敵となりかねない。
そんなお嬢様がそういった事情を知らぬ程「政治」にうといとも思えない。逆にそこまでしてでも、その嫁いだ姉に会いたい、という意味にも受け取れるが。
『では何故こんなところに?』
『姉の嫁ぎ先が、この先にあるルリジューズ家だからです』
その途端、それを聞いた軍人達が一斉にスオーラに駆け寄り、直立不動になった。
そしてスオーラに絡むように話していた卑屈そうな男を後ろに追いやるようにしてスオーラの目の前に立ったゴツイ体型の男が、
『ぶっ、部下が大変失礼を致しました! 自分はペイ国軍ルリジューズ師団第一連隊所属リュトナン少尉でありますっ!』
一宗教最高責任者の血縁。さらに自分の部隊の最高責任者の縁者。丁重に扱わねばならない。そう遺伝子に刻まれているかのような動きである。
軍隊式の返礼など知らないスオーラだが、とりあえずそれを止めるように言うと、
『姉は、姉の家族は大丈夫なのですか?』
『はっ、はい。そのため我等がこうして警備を固めております。師団長はもちろんそのご家族も立派にお護りしてみせます』
まるで親子程の年の差にも関わらず、リュトナン少尉と名乗ったゴツイ男はスオーラを神のごとく崇めているような、そんな雰囲気すら感じる。
しかしその崇拝にも似た顔が一転。口を引き結んだ厳しい表情になると、
『現在この丘へは、誰であろうと通すなという命令が下りているのです。軍人たる我々はその命令に従う事しかできません。従って貴女様であってもお通しする事はできません。申し訳ございません。ご理解下さい』
つまりスオーラであってもここを通す訳にはいかない。そう言っているのだ。
だが姉に会うためにここまでやって来たのに、直前までやって来ているのに。なのに会えないというのは。何のために自分はここまでやって来たのか。そんな悔しさが表情に表れそうになる。
ここで無理をして押し通る事もできなくはないが、それでは姉やルリジューズ家に迷惑をかける事になる。
『では、連絡もできないのですか?』
そんな彼女の中の葛藤が見えているかのような、リュトナン少尉の申し訳なさそうな表情。
『ご理解……戴きたい』
少尉はその場に片膝をついて頭を垂れる。少尉の階級の人間が、身分ある者相手とはいえ女性に対しそのような態度を取る。
どうあってもスオーラの願いを聞き届ける訳にはいかない。その願いを叶えてやれず申し訳がない。
その二つの感情がないまぜになった胸中がそのまま行動に出た。そんな雰囲気である。
その時。サイドカーで丸まっていた筈のジュンが、何の前触れもなく立ち上がった。スオーラを舐め回すようにジロジロ見ていた軍人がいきなり動いた事に驚いて一歩後ずさる。
『なっ、何だ貴様!?』
しかしジュンは言葉が判らない以上にその軍人には無関心な様子でサイドカーの中で立ったままだった。傍目には寝ぼけて立ち上がったように見えなくもない。
しかし。
その姿が一瞬で消えてしまったのだ。バイクにまたがっていたスオーラと共に。同時にパンッという破裂音とガチャンというサイドミラーが割れる音が。さらにその一秒後、上の方から男のうめき声が聞こえる始末。
一体何が起きたのか判らぬうちに、消えた筈のジュンとスオーラの姿が「上から」降ってきた。襟首を掴まれたまま器用に着地したスオーラは大急ぎで言葉をジュンの物に切り替えると、
「ジュ、ジュン様、一体何が!?」
ジュンの右手には四十センチ程の細長い筒が一本。
「知らないか。吹き矢。便利。少ない。音」
その吹き矢の筒で斜め上を指差すジュン。
「人。隠れてた。あそこ。狙ってた。こっち。だから。撃った。オレ」
単語を繋げたような喋り方でスオーラにそう説明するジュン。
攻撃に気づいたジュンはスオーラの襟首を片手で掴んでジャンプ。そして宙にいる間にもう片方の手で吹き矢を取り出し、既にセット済だった矢を攻撃してきた男めがけて発射。そして着地。
ボーッとしているようで周囲の殺気にはしっかりと反応していたようだ。伊達に危険な森の中で暮らしていた訳ではない。その野生の勘は今もって健在である。
「吹き矢ですか……まさか毒が!?」
「ない。毒。でも。痛い。かなり」
この吹き矢に使った矢の矢じりには複雑な返しがついており、刺さる時はもちろん引き抜く時も肉を傷つけるのでその痛みは相当なものらしい。
だがジュンの話す言葉はこの国の人間にはまず判らない。そのためスオーラは今ジュンが指差していた方角を指差し、
『あの窓にこちらを狙って攻撃をしてきた人がいるそうです。至急手配を』
実際スオーラのバイクのサイドミラーが破壊されているのだ。おそらくライフルで。
直立不動で少尉の後ろにいたうちの二人が慌てて全速力でその窓がある建物の中に駆け込んでいく。
そして、それを確認するかのように、ジュンは再びサイドカーの中に引っ込むように丸まって横になる。まるで自分の役目は終わったと言いたげに。
『す……すごいですね』
リュトナン少尉の表情が凍りついている。
ジュンの察知能力。目にも止まらぬ動き。人間離れしているとしか表現できない芸当。森の蛮族と蔑まれてはいるが、その戦闘能力は決して侮ってはいけない。それを目の当たりにしたのだ。
慣れない人間はすぐ迷って出られなくなる怪奇な森の中で外部からの影響をほとんど受けずに原始的な生活を続けて来られたのは、この戦闘能力が怖れられたからという面が大きいだろう。
『彼女は純粋で、とても頼れる人間です。髪や皮膚の色、文化・習慣で判断してはいけません』
『お、仰る、通りで』
まるで説法を思わせるようなスオーラの物言いに、少尉達は無理矢理納得させられたようにうなづくしかなかった。
『少尉! 大変です!』
先程建物に入って行った軍人の一人が、これまた全速力で走ってくる。そして少尉にそっと耳打ちする。
小声かつ早口なので、さすがにスオーラにも会話の内容は判らないが、何かとんでもない事があったであろう事は見当がつく。
伝え終わったのか軍人が再び建物の中に駆けて行く。それを見届けた少尉は、
『お話できず申し訳ありませんが、今すぐここを離れる事を提案致します』
その静かだが強い口調に、スオーラはこれ以上の抵抗を諦めた。狙われたのは自分のようだから。
一宗教最高責任者の娘であり、この国有数の権力者の縁者であり、さらには侵略者エッセと戦う救世主でもあるのだ。
そんな人間に万一の事があれば、間違いなく国際問題に発展する。それこそクーデター以上の大混乱がこの国を襲う事になるだろう。
スオーラはふと考えた。
自分がここへ来る事を知っている人間は限られる。確かに列車は予定よりずいぶん遅れてしまったのだから、準備する時間そのものはあっただろう。
だが狙撃手、もしくは狙撃手の上官にそれを話したのは誰なのだろうか。
(駅にいたエルミットゥ少将閣下か、ここにいるルリジューズ師団に、中立でない派閥の人間が紛れ込んでいるのでは? もしくは寝返った人間が?)
内通者を潜り込ませ、事態に混乱を招く。権力争いから大規模な戦争に至るまで良くある話である。
だがそう考えだしたらキリがない。スオーラはこの国の軍の事情など全く知らないのだから、ここにいる全員が、いや、彼女を見た軍人総てが怪しく思えてしまう。
昭士の世界のように携帯電話がある世界なら、それこそあっという間に伝える事ができる。
だがこの世界には、電話そのものはあるが普及率がとても低い。狙撃手がいたような一般的な建物にはまず設置されていない。
かといって唯一の連絡手段・無線も短い距離でしか届かない。特にこんな町中では。普通に走ってバイクで二十分の距離ではギリギリ届くか否か。
そんな状態の通信手段に大事な情報を流すとも思えない。確実性に欠けるからだ。しかも機械がかなり大きくゴツイので、持ち込めばすぐバレる。
そんな伝達手段しかない世界なのだ。駅への到着は伝えられても、この場所への到着をそんな短い時間で伝えるのは少々疑問が残る点だ。
確かに一流の狙撃手ともなればその場から微動だにせずに何日も過ごすそうだが……。
そこでスオーラは「それではいけない」と大きく深呼吸する。
そう。これは自分を狙ったものとは限らない。この軍人達が銃撃を受けるだけでもクーデターの行方を左右する騒動となるだろう。
疑心暗鬼。こういう状況で一番の敵は、まさしくその諺なのだ。疑り深くなればなるほど本当の姿が遠ざかる。
スオーラは過去の教えを思い出して、
息を吐いた。

<つづく>


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