トガった彼女をブン回せっ! 第17話その4
『動きやすい』

ちゅいーーーーーー
どこからか聞こえてきたそこ声に、この場の全員が空を見やった。
それはスオーラの国では「カカトゥーア」という種類の鳥の鳴き声だった。成鳥になれば体長四十センチ程にもなる色とりどりのカラフルな羽を持つ鳥だ。
カカトゥーアの鳴き声は特別大声ではないが非常に遠くまで届くのが特徴だ。何もない平地であれば五キロ離れた位置からでもハッキリ聞こえる程だ。
特に珍しい鳥という訳ではないが、この場にいきなり聞こえて来るのは若干不自然であった。
だがスオーラにはピンと来るものがあった。何故なら彼女の姉・タータが飼っているからである。
そしてもう一人。ジュンである。サイドカーの中で丸くなっていた筈が、再びいきなり立ち上がった。両手を耳に添えて遠くの物音を聞こうとするような格好になる。そして、
ちゅいーーーーーー
口を尖らせて強く口笛を吹いたのだ。鋭く長く。まるでさっきの鳴き声に答えるかのように。
「どうしたのですか、ジュン様?」
口笛を吹き終わったのを見計らい、スオーラが声をかける。するとジュンは、
「呼んでる。助け。言ってる。襲われた。仲間」
「鳥の言葉が判るのですか?」
「判る。だいたい」
実にアッサリとしたジュンの回答に、スオーラは見えもしないのに屋敷の方を見上げる。丘のふもとの方はちょっとした森になっているので、その木々が邪魔をして屋敷自体は見えないが。
ちゅいーーーーーー
もう一回カカトゥーアの鳴き声が聞こえてきた。さっきと同じに聞こえるが。
ところが、今度はジュンの反応が異なった。表情が変わったのだ。
スオーラが今まで見た事もないような、殺気を含んだ怒りとしか思えない表情。心の奥底から恐れが産まれて来る怖さ、と言えばいいのか。
実際実戦で殺気や恐怖といったものには慣れている筈の軍人達が、そんなジュンを見て明らかに腰が引けているのだから、その怖さは相当なものだ。
そしてジュンは小さくジャンプしてサイドカーから下りると、地面に這うくらいに身をかがめて猛スピードでバリケードめがけて走り出した。
誰かが止める間すらない。バリケードまで五十メートルはあったのに、ほんの数秒程でそれを飛び越えて森の中に消えてしまったのだから。
バリケードをいとも簡単に飛び越えられた事で、ようやく軍人達が慌て出した。その間にスオーラは自分のムータを出し「変身」を済ませる。
濃紺の学生服のような僧服から一転するスオーラの姿。
パーツごとに色が異なる丈の短いジャケット。少し動いただけで下着が丸見えになりそうな黒いタイトスカート。革のサイハイブーツ。縛っていた長い髪がほどけ、頭にはつばの大きなとんがり帽子。
身長もグッと伸び、スタイルもモデルもかくやという程に「変身」する。
これがスオーラの変身した姿。体内にある本のページに魔力を込める事で様々な魔法を使う魔法使いの姿。
そしてこれこそが、スオーラをこの世界の「救世主」と言わしめる姿でもあるのだ。
この姿は「この世界の」本来の姿ではないのであまり長い時間は持たないのだが、身体能力がかなり向上するので、ジュンを追いかけるならこれしかない。
『申し訳ありません。わたくしはこのままジュン様を追いかけます。バイクをお願い致します』
スオーラは呆然としたままのリュトナン少尉にそう告げると、彼からの返事を待たずに自分も猛スピードでジュンの後を追いかけた。


バリケードをハードルのように飛び越えたスオーラは、そのまま一気に森の小道に突入する。事情が事情とはいえ、自分の義兄に迷惑をかけてしまう事に、少々の罪悪感を残しつつ。
この姿のスオーラは、瞬発力や跳躍力といった方向に常人離れした力を発揮できる。そんな彼女が追いつけないのだから、ジュンの身体能力はまさしく人間離れしたものだ。
だがそれでも小さく彼女の後ろ姿を捕らえる事ができた。しかし声をかけられる程の距離ではない。
しかもジュンはいきなり横の木を蹴るようにして左に曲がってしまったのだ。道でもないのに。
十秒程遅れてスオーラがその木に着くと、確かにその木にはクッキリとジュンの足跡らしきものが残っていた。むしろ蹴った勢いで良く倒れなかったものだと感心したい程に。
そして蹴った先を見ると、下草が結構な間隔で踏まれているのが見えた。ジュンがその方向に走って行ったのは明白である。
歩きにくい事この上ないが、追いかけない訳にはいかない。スオーラもジュンが踏んだ跡を飛び跳ねるようにして後を追いかけた。
実は整地されていない下草だらけの森の中を走るのは、かなり神経を使う。平らな地面に見えるが草が生い茂っているだけの窪みがあるし、下手をすれば崖から真っ逆さまという事も考えられるからだ。
スオーラはこの屋敷には一度来た事があるが、森の方は土地勘など全くない。当然ジュンにもない筈だ。
しかしジュンの足取りにはそんな迷いが全く見られない。場所が異なるとはいえ森の中で原始的な生活を送ってきたからなのだろうか。
この状況でスオーラは普段つけているマントを外したままだったという事に安堵していた。そうでなければこんな獣道以下の場所を走れない。
もっともつばの大きな帽子が木々の間に引っかかりそうで不安ではあったが。
そうして一分程追いかけたろうか。しゃがんでいるジュンの姿がようやく見えた。何かあったのだろうか。
この森は義兄の趣味の狩猟に使う罠がいくつか仕掛けられていると聞いている。それに引っかかったのでは。
やっとジュンのところに追いついたスオーラは、その考えが外れている事に気づいた。
ジュンが見ているのはさっき鳴き声が聞こえていたカカトゥーアという鳥だ。よく見ると腿の部分が真っ赤だ。それは模様ではない。明らかに血だ。ケガをしているのだ。
ジュンはそこらの草を手で揉み、しかも口の中でも噛み砕いているようで、スオーラが来ても口をモゴモゴと動かして無言のままだ。
口から吐き出した草を傷口に擦りつけるように置き、手で揉んでいた草で蓋をするように被せる。
しみるのか痛いのか、ちゅいっ、ちゅいっと短く鳴いて羽をバタバタとさせているものの、ジュンが身体を押さえているので飛び立つ事もできない。
スオーラには良く判らないが、何らかの治療をしているのはすぐに判った。一応スオーラも相手のケガを治療する魔法は使えるが、人間以外には使った事がない。
ジュンは被せた草を指でしっかり押さえながら、まるで話しかけるようにちゅいっ、ちゅいっと鳴きまねをする。
するとどうだろう。バタバタと暴れるのを止めたばかりか、それに答えるようにカカトゥーアがちゅいっ、ちゅいっと鳴いたではないか。どうやら鳥の言葉が判るのは本当のようだ。
スオーラは何となく話しかけられないでいた。邪魔をしてしまうのでは。そんな風に考えたからだ。
「こいつ。言ってる。襲われた。仲間。人間の」
この鳥は集団で暮らすタイプの鳥ではない。仲間と言われて一瞬何の事かと思ったが、人間なら判る。飼い主を自分の仲間だと思っているのだろう。
「さっき。聞こえた。悲鳴。こいつの」
さっき見せたジュンの怒りの形相はそれが原因のようだ。
捕食する為に生き物を捕らえるのは当然だが、そうでないのに相手をむやみに傷つける事はしない。それがジュンの村の考え方だ。そうではないのに攻撃され、傷ついた。それを聞いて怒ったのである。
スオーラはそうした狩りなどをする生活とは無縁だが、その考えには同意できた。
そんな風に鳥を見下ろしていたが、ケガをしている方の脚。つまり人間でいう足首のところに金属の輪がついているのに気がついた。
そしてその輪には「パエーゼ国の文字で」可愛いを意味する「カーロ」という単語が刻まれていたのを。自然界に住む鳥にそんな物がついている筈もない。
このルリジューズ家に嫁いでいる姉がこの鳥を飼っている事は既に知っている。パエーゼ国の文字が刻まれた金属の輪をした鳥など、姉の飼っている鳥以外にいよう筈もない。
「この鳥の言う仲間は、もしかしたらわたくしの姉の事かもしれません」
「姉。鳥か?」
ジュンが柔らかい蔓を何重にも巻いて草を固定する作業をしながら返事をする。
もちろんそんな訳はないのだが、鳥にとっては自分にエサをくれ可愛がってくれる存在は親か仲間しかいないだろう。姿形は違っても。
仲間(飼い主?)が襲われ、鳥自身もこうしてケガをするような事態。どう考えても平穏とは言い難い状態だ。
「ジュン様。その仲間がどうなったのかを聞く事はできますか?」
スオーラに言われたジュンは、すぐさまさっきのようにちゅいっ、ちゅいっと話しかけるように鳴く。するとカカトゥーアはまるで真剣に訴えるようにちゅいっ、ちゅいっ、と鋭く鳴いた。
「攻撃された。倒れた。運ばれた。森の中。壁。たくさん。細い木。行った。向こう」
まるで暗号である。鳥の中にない単語で説明できる筈もないし、鳥と人間では知識量が全く異なるだろうから仕方ないとも言えるが。
物語のように動物から話を聞いて手がかりを掴むのは、本当は大変な事なのだと思い知った。
だがスオーラも頭の回転は早い方だ。ジュンの通訳したバラバラの単語から、ある程度の推測は可能だ。
攻撃されて(気絶でもされて)運ばれた。森の中にある、たくさんの細い木でできた壁。その向こうに行った。それだけでスオーラにはピンと来る物があった。
義兄には狩猟の趣味があり、この森にもその罠がいくつか仕掛けられている。そして狩猟の際に休憩するための小屋がこの森の中にいくつかある。
それらは総て細い丸太を組み上げて作られている。見方によっては「たくさんの細い木でできた壁」に見えなくもないだろう。鳥の頭脳に「小屋」という単語があるとも思えないし。
その壁の向こうへ行ったという事は小屋に連れ込まれた可能性が高い。さすがに理由までは判らないが。
彼女の姉・タータはたおやかな印象の強い美人であるが、性根の方は凛々しい騎士様のようと云われたものだ。威風堂々正々堂々。そんな形容詞がよく似合う女性だ。
あいにく戦う事には長けていないが、クーデターが起きたからといってすぐさま逃げ出すような性格でもない。
おそらく夫の部下が気絶でもさせて強制的に避難をさせたか。
もしくは中立派のルリジューズ家の派閥をクーデターの味方に引き入れようとして、人質にさらったか。
前者なら良いが後者ならとんでもない事になる。
それを確かめなければならない。
「ジュン様。この子の治療も大切ですが、この子の仲間……飼い主であろうわたくしの姉も気になります。この近くに丸太でできた小屋があると思うのですが……」
「小屋?」
「先程この子が言っていた『森の中の細い木でできた壁』が、そうだと思うのですが」
それはあくまでもジュンの言葉から推測した物に過ぎない。ジュンはまた話しかけるように鳴きまねをして見せる。そしてカカトゥーアも同じように鳴き声を返す。
「ある。あっち」
ジュンは森の奥の方をすっと指差した。するとカカトゥーア――カーロはバサバサと羽をばたつかせて浮き上がると、ジュンの頭にちょこんと着地する。
「判った。頼む」
ジュンは笑顔でそう言うと、バランスを取りながら森の奥へひょこひょこと歩き出した。スオーラもそっとその後を着いて行く。
元々それほど荒い気性ではないカカトゥーアだが、こうまですぐに人に慣れるのは珍しいと聞く。
ケガを治療してくれた礼なのか、はたまた動物の警戒心を緩める何かがジュンに備わっているのか。その辺がスオーラにはとても羨ましく感じた。


少しだけ切り開かれた森の中に、小さな丸太小屋が一つ。
周囲には白い学生服のような軍服の男達が抜き身の剣を持って周囲を警戒している。
拳銃やライフルを持ってないのは、発砲音を出さないためだろう。クーデター中立の町でそんな銃声を出してしまっては何かやってますと高らかに宣言をするようなものだからだ。
時折どこからか鳥の鳴き声が聞こえてきており、小屋の前の殺気立った男達がいないのなら実にのどかな森の中の風景である。
そんな丸太小屋から少し離れた草むらに伏せて隠れつつ、それらの様子を観察するスオーラとジュン。それにカカトゥーアのカーロ。
もちろんスオーラは目立つ帽子を脱いで脇に置いている。
「姉。いるのか?」
ジュンが丸太小屋の中を覗き込むようにして見ている。が、さしものジュンも小屋の中の様子までは判らない。
スオーラは姉がいると。それも囚われていると確信している。
避難であればああも堂々と「護衛の」軍人を並べて立て籠るような事はすまい。ここに重要人物がいますよ、と教えているようなものだ。
もちろんあえてそうして人目を引きつけ、本物はきっちり逃がす。という作戦もなくはないが、チラチラと周囲を、そして何より小屋の方を確実に警戒しているところから考えて、警戒に値する人物が小屋にいる、と考える方が自然だ。
中の様子が判れば良いのだが、さすがに丸太小屋にガラスの窓などあろう筈もない。
元々この世界ではガラスは高級品の部類に入る。自分の屋敷ならいざ知らず、こんな森の中の丸太小屋にまでガラス窓をはめるような酔狂な金持ちはそういない。
だが窓がない訳ではない。空調と採光を兼ねた窓が何ヶ所かある。しかしこんな地面に伏せて隠れた状態で見える訳がない。
ちちちっ。ちちちっ。
両手をスピーカーのように口にそえたジュンが、隠れたまま口笛を吹く。鳥の鳴き声のようだが。
すると木々の中から一羽の鳥がスッと飛び出し、小屋の屋根に止まった。そして跳ねるように屋根を下り、採光用の窓の縁にちょこんと止まった。
ちちちっ。ちちちっ。
その鳥が羽を一、二度ばたつかせて鳴く。いきなり鳴き声が聞こえた事で軍人達の注意が一瞬だけそちらに行くが、すぐに「鳥か」と興味を無くしたかのように視線をそらす。
「人。二人。一人。立つ。一人。寝る」
通訳のようにジュンが淡々と答える。
あの手の小屋は何部屋もあるような構造にはなってない筈だ。実際部屋数が取れるような大きさでもない。あくまで目的は休息なのだ。
そんな狭い部屋に立った人物が一人と寝ている人物が一人。さすがに鳥では人間である事は判っても性別や服装、人相といったものは判らない。その辺は仕方あるまい。
そこに屋敷の方角から駆けて来た軍人が一人。彼は小屋の入口で呼吸を整えると、こう言った。
「ディクタテュール少将」と。
それを聞いたスオーラの脳裏に嫌な記憶が甦った。
アンヴィー・ディクタテュール少将。この軍部――国の最高権力者メートル・ディクタテュール大将の息子の一人だ。
容姿端麗という言葉をそのまま実体化したような外見。その外見通りの優秀な人間なら良かったのだが、世の中そう上手くはできていない。
彼が優れているのはその外見のみで、それ以外の肉体・精神・知能的に軍人には全く向いていない人間だ。
親の権力を盾に威張り散らす事しかできない、典型的な親の七光り体質の人間である。加えてその親の七光りによる偉功すら「自分の人徳」と信じて疑わないから始末に負えない。
彼とはスオーラの姉・タータの婚姻の時に一度だけ会った事がある。曲がりなりにも名家同士の結婚である。互いの仲はどうあれ結婚式の来賓として来ていない訳がない。
その際「パエーゼ国第一王子の婚約者」と紹介されたにも関わらず、まるで自分の所有物になったかのような横柄かつぞんざいな態度で「俺のところに来い」と堂々と言ってのけたのだ。
自分には名前ばかりの国と違って実力も人望も、ついでに金まである。今から媚びておいて損はないぞ。あの無能と結婚させられる姉の方にもよく言っておけ。二人まとめていつでも面倒を見てやる。
結婚を焦る女だって、こんなセリフを言われてはときめく筈もない。気づいていないのは本人だけだ。
さらにその言葉に呆れて無言のスオーラを「言葉も出ない程感動しているのだ」と自分勝手に思い込み、腰を抱き寄せる振りをしてお尻を撫で回したのである。
この時は新婦親族かつ見習いとはいえ聖職者として参加していたので、彼女は聖職者用の礼服姿。にも関わらずこの行動である。
そんな男をスオーラは日頃鍛えている僧兵の技をもってみぞおちに鋭く拳を叩き込んだのだ。その拳一発で少将はあっさりと目を回して気絶した。
これは当然騒ぎになった。当たり前である。結婚式を潰す程ではなかったのが不幸中の幸いだったが。
だがディクタテュール家は沈黙を保った。一連の目撃者も多かった上に手を出した相手が隣国王家の婚約者かつジェズ教聖職者(見習い)だった事もあり、いかに最高権力を持つディクタテュール家といえど表立った抗議は一切できなかったのだ。
しかし、それ以後ルリジューズ家に対して露骨な――そしてどことなくセコイ嫌がらせが増えた事は、隣国の噂話としてスオーラの耳にも入っている程だ。
その部分はスオーラも心を傷めたが、わざわざルリジューズ家頭首(スオーラから見れば義兄の父親)直々に「心配しなくていい」という手紙を貰った程である。
ともかく。そんな人物が敵対派閥の敷地内に堂々といる。しかもクーデター中断中というこの情勢下に。これだけでもう怪しさ満点。
たとえディクタテュール少将が無実で無関係だったとしても、捨ておきたくない。托鉢僧ではなく一人の女として。
「強襲しましょう」
スオーラは小屋を睨みつけるようにしてそう言った。
「小細工は要らないと思います。ディクタテュール少将とその側近。軍人としての練度は決して高く、いえ、むしろ低いくらいです」
ジュンには「レンド」という単語の意味は判らなかったが、小屋の周囲を警戒している男達が弱いという事はとっくに見抜いていた。
単に殺気立っているだけで、周囲へ注意を払っている訳ではない。
足取りは単に歩いているだけで、足音を無駄に立てて接近している者の音をかき消している。
剣とて単に柄を握っているだけ。しっかり握るのではなく棒を掴むような感じでは剣は振り回せない。
森の蛮族と蔑まれているジュンだが、武器の扱い方や戦い方なら彼等などより遥かに優れている。さすがに洗練はされていないが。
「うん。弱い。あいつら」
ジュンは伏せたままするすると這うように動き、そばの大木の影に隠れる。そして今着ているポンチョのような貫頭衣(かんとうい)、シャツにズボンまで全部脱ぎ出したのである。
裸にふんどし一つの、森の中で暮らしていた時の格好になる。この世界は女性でもトップレスを恥ずかしいと考える習慣がないため驚く事はなかったが。
「動きやすい」
裸で暮らしていた彼女には、普通の服ですら動きづらい事この上なかったのだろう。それでもスオーラが追いつけないくらい動き回れるのだから、制約から解き放たれた彼女の動きは正直敵に回したくないレベルである。
木の根元に脱いだ服を置き、また這うようにスオーラのところに戻ってくる。
「オレ。行くか?」
ジュンの言葉にスオーラは少し黙って考える。
小屋の外には見えるだけでも五人。そして小屋の中には少将と、おそらく姉のタータ。
外の異変に気づかれる前に五人をどうにかしなければならないのは判り切っている。外の異変に気づいた瞬間に人質を取るに決まっているからだ。
ジュンはもちろん今の自分も常人と比べればかなり素早い動きは可能ではあるものの、窓がないとはいえ小屋の中にいる指揮官に気づかれぬよう、となると、正直自信がない。
そうして観察していると、今度自分達とは小屋を挟んで反対側の方から数人の軍人達がやって来るのが見えた。だがそれを見た途端スオーラは舌打ちしそうになる。
何故なら彼等は犬を連れていたから。この状況だから間違いなく訓練を積んだ軍用犬だろう。
犬の鼻は人間の何百倍も敏感。しかも森の中の風向きはあちら側が風下だ。風に乗った自分達のにおいが気づかれる可能性が高い。
もちろん森の中で暮らしているジュンの事。当然軍用犬は見えているし、犬の特徴や性質を知らない訳もない。
しかし彼女は全く慌てた様子がない。まるで「大丈夫。心配ない」と言いたげなくらいに。
「ジュン様、どうしますか……」
スオーラがそんなジュンの横顔を見て問いかけた時、彼女の表情がどんどん険しいものになっていった。
隣にいるスオーラの事など気にもかけていない程に鋭く前を見据え、さっき以上に全身から叫び声と錯覚するような殺気を放っている。
その様子はまさしく獣。それも血に餓えた獰猛極まりない野獣である。
スオーラは慌ててジュンの視線の先を見た。
何故か足元の地面ばかりを気にしている軍用犬を、軍人が執拗に棒状の物で叩いているのだ。若干距離がある上に他国の言葉なので聞き取りにくいのだが、命令を聞かない事に対して怒っているようなのは判った。
軍用犬が命令を聞かない事に怒るのは当然だが、だからと言って棒で殴りつけて良い訳がない。
ざざざざっ!
こっそり隠れていた事などお構いなし。そんな具合にジュンは草むらの中から一気に飛び出した。それこそ鍛えられた軍用犬のような動きで。
草を踏みしめかき分ける音に気づいた軍人達は、自分達に向かって来る者が何なのか一瞬理解できてなかった。さっきまで殺気だけの警戒をしていたのが嘘のように呆然としてしまっている。
ジュンが森の中から小屋周辺の切り開かれた場所に飛び出た。そして地面を蹴って高く飛ぶ。その目標は軍用犬を棒で叩いていた男だ。
彼の顔面に勢いのついたジュンの足が叩き込まれた。男は鼻血を吹いて一瞬で昏倒する。
『ギャアッ!!』
だが彼は昏倒する前に短く悲鳴を上げてしまった。取り残されたスオーラは脇に置いた帽子を拾い上げて、急いで彼女の後を追う。
『何者だ!?』
慌てて抜き身の剣を構えてジュンの前に立ちはだかる軍人達。しかし両手両足で着地し彼等を見上げるようにして――まるで犬のように四つん這いのまま威嚇するジュンの発する殺気に完全に気圧された上に、一蹴りで倒された仲間を見て完全に腰が引けてしまっている。
この怒りを産み出したのは、間違いなく軍用犬に対する虐待である。
普段は純粋な子供のように害がないが、怒りの琴線に触れた時のジュンがこれほど恐ろしい存在になるとは。彼女を敵に回してはいけないと、スオーラは改めて思い知った。
だがこれだけの騒ぎを起こして小屋の中に気づかれない訳がない。入口が派手にバタンと開き、アンヴィー・ディクタテュール少将が姿を見せた。
『何をやっているんだ、貴様ら』
何も知らない人間が見れば、それだけの動作・仕草でも一枚の絵のように決まる男だが、彼の内面を知るスオーラからすればただカッコつけているだけの男である。
地面に伏せるようにして威嚇するジュンと、彼女を遠巻きにしている自分の部下達。それらを「どうでも良い」と言いたそうに興味のない目で見回すと、
『もう少し静かにしたまえ。せっかく眠らせたタータ・ルリジューズ夫人が起きてしまうではなギャアッッ!!』
ほんの一瞬で彼の身体が小屋の中に消えた。
スオーラの飛び蹴りで。

<つづく>


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