トガった彼女をブン回せっ! 第17話その2
『どうかご内密に』

ランコントル。
昭士には理解もできないような文字で、そう書かれていた大きな看板が付いた建物が目の前にあった。
周りの建物よりも一つ、もしかしたら二つ分くらいは古い、五階建ての石造りの建物だ。何を一つとするかはそう思った昭士にもうまく説明できないが。
もしかしたらこの町ができたのと同じくらいの時期に作られた建物なのでは。そんな雰囲気すら感じるのだ。
「ここがらんこんとるわがくにでももっともふるくまたかくしきのたかいやどでありますこうしたやどをわがくにではおてるといいます」
昭士の案内係となっているスュボルドネという軍人が、平坦な発音の日本語(らしき言語)でそう説明してくれる。
昭士から見れば、この世界は百年は昔のヨーロッパのような感じに見える。以前見たパエーゼ国もそうだが、このペイ国も同じような感じだ。
もっとも見る人が見ればデザインや建物の傾向が全く違うのだが、一介の高校生にそんな眼があろう筈もない。
だが昭士は、今の自分の格好をしげしげと見やっていた。
青いつなぎのような服の上から厚めの肩当てと脛当てをつけたのみ。腰には携帯電話の入ったポーチが。
この世界では「軽戦士」と呼ばれる、筋力より素早さや技で勝負するタイプの戦士に多い装備らしい。
それに加えて、自分の身長よりも遥かに長く大きな大剣を背負っている。後ろから見ると剣が歩いているようにしか見えないだろう。そのくらい大きいのだ。
そのため良くも悪くも注目を集めてしまう格好だ。おまけにこんな町中では。
当然、古く格式の高いとされている場所に行くには、思い切り場違いでしかない格好である。この世界にもドレス・コードくらいはありそうだから。おまけに微妙に埃っぽい。
案の定。ドア係か見張り番を思わせる人物が二人、ランコントルの入口からこちらに向かって血相変えて駆けてくる。ものすごい警戒心を出しっ放しにしたまま。
昭士達の元にやってきた二人。二人ともスュボルドネと同じ白い学生服のような軍服姿である。違いは腰から下げている短剣くらいか。これが現代なら間違いなく拳銃かサブマシンガンといった感じだろう。
昭士がそんな風に思っていると、二人は昭士の傍らに立つスュボルドネ――の襟にある階級章らしきものを見て眼をこわばらせ、その場に直立不動になる。どうやら彼等の方が階級が低いらしい。見張り番だから当然とも言えるが。
それからのやりとりは昭士には全く判らない。自分の預かり知らないところで話を進められているようで面白くない。そして同時にどうなっているのか判らない事に不安も感じる。
自分が不利になるような事態にされてしまうのではないか。そんな考えになってしまうのは仕方ない事だろう。
万一交渉が決裂するような事態になったとしても、今の昭士なら簡単に状況を覆す事も可能ではある。
この姿になっていると、自分の周囲のあらゆる動きが極度のスローモーションとして認識可能だからだ。それも視界になくても。特に最近は集中すれば離れた物の動きも認識可能になっている。
もっとも認識できるだけなので、自分に向かって来る何かを避ける事は可能だが、自分から離れていく(例えば車やバイクで遠ざかろうとしている)物に追いつく事まではさすがにできない。
それ以前に昭士の元来の性格上、余りもめ事を起こして事態をややこしくしたくはない。
やがて話がついたらしい。二人の警備兵(?)の一人が大急ぎで走り、宿の中に飛び込んで行く。もう一人の方は昭士の後ろに回ろうとしていた。
「おにもつをおあずかりするそうです」
スュボルドネが見張り番の行動の説明をする。そして昭士が止めるより早く、後ろに回った警備兵が力を込めて背中の大剣を持ち上げようとするが――当然びくともしない。
《いや。いい。親切なのは判るが、こいつは普通の人間には持てない》
昭士が軽々と背負っている「戦乙女の剣」の重量は、実は三百キロを軽く超えるのだから当然である。剣の使い手ゆえか昭士は重さを無視できるが、他の人間はそうはいかない。
おまけに今はダンマリを決め込んでいるいぶきが、いつ割って入って状況を悪い方向に持って行くか気が気でないのだ。彼女は相手の神経を逆なでして怒らせる事にかけては天才的。そんな言動しかしてくれないのである。
作る必要がない敵をわざわざ作るのが趣味かと、昭士は何度思った事か。そして双子ゆえにいぶきと間違えられ、その「とばっちり」が全部昭士にやって来るのだ。
しかし元の姿の時は、周囲をスローモーションで認識する能力はいぶきに移ってしまうので、昭士に反撃する手段がない。それを知っていながら仮借ない暴力を振るってくるのがいぶきという人間である。
スュボルドネが「普通の人間には持てない」と通訳はしてくれたらしいのだが、警備兵は頑として「自分が持って行く」と譲らないようだ。
《ガタガタうるさい上に、きったない手で触らないでよ。汚れるじゃない!》
悪意のみを込めたいぶきの嫌み。唐突に女の声がしたため警備兵とスュボルドネが辺りをキョロキョロと警戒し始める。昭士はその様子を見て、
《ああ。この剣喋るからな。けど腹が立つ事しか言わねーから。基本スルーしてくれ》
《あたしのナニが腹立つってのよ! 真っ当な正論しか言った覚えないわよ!》
剣の姿ではあるが、牙を向いて喰ってかかるようないぶきの怒声に、昭士は剣の柄めがけて自分の拳をガツンと叩き込むと、
《お前の存在と言動そのものが、他の人間を腹立たせるんだよ。十五年も生きてんならそのくらい学習しろ》
念を押すようにもう一度ガツンと拳を叩き込む。柄に浮き彫りにされた女性の裸婦像めがけて。その一発でふて腐れるように黙り込むいぶき。
《じゃ、案内頼む》
「りょりょうかいしました」
言葉が判るスュボルドネが使い手と大剣のやりとりにぽかんとしつつも、「二人」を先導する。


「二人」とスュボルドネと警備員が、揃って建物の中へと入った。
そこそこ高い天井にあちらこちらにあるランタン。光の反射を上手く使っているらしく、結構な明るさに感じる。日中の屋外と比べればかなり薄暗いが。
宿、と言っていたが、ちょっとしたホテルであった。さっきこの国では「オテル」というと言っていたが。
ぐるりと見回してみるが、歴史と格式のあるホテルというだけはあり、轟華絢爛の二、三歩手前くらいの様式は確かにある。
あまり広さはないものの、従業員のいるカウンター一つ取っても歴史と格式という言葉に説得力があり過ぎる。
さすがにそう何度もホテルに泊まった経験はないものの、今の自分のこの格好がますます場違いに思えてしょうがなかった。
とはいっても、着替える時間もなければ着替える服すらもないのだが。
ホテルの従業員の言葉は判らないが、自分に向けている視線と興味は、場違いな格好よりも背中の大剣の方に注がれている事くらいは判る。言葉が判らない昭士にそれが判るのだから、それは相当なものである。
昭士の前を歩いていたスュボルドネが、不意にぴたっと立ち止まった。ホールのど真ん中で。
「エクウテッッッ!!!」
辺りを見回すようにしながら、そう大声で怒鳴った。その声は明らかに怒りが籠っていた。意味は判らないが。
それからスュボルドネは朗々とした声で周囲の人間に何かを訴えるように大声で語りかけている。
さっきのような一語程度なら聞き取れるが、普通の会話となるとサッパリ聞き取れないし理解もできない。ただ、彼の訴えで今まで自分に刺さっていた視線の雰囲気が次第に変わっていくのは判った。
その様子に、昭士は時代劇・水戸黄門のクライマックス「こちらにおわすお方を……」の辺りを思い浮かべる。
やがて訴えは終わったようで、スュボルドネは再び歩き出した。ホテルのカウンターに向かって。
スュボルドネがカウンターの従業員に何か話す。すると従業員はどこかビクビクした笑顔で何かを差し出した。スュボルドネはそれを受け取ると、昭士の元に戻ってきた。
「すゅいーとどぅおてるのかぎですどうぞ」
《すゆい?》
聞き慣れない単語に昭士はおうむ返しに訊ねる。スュボルドネは昭士に鍵を見せながら、
「このおてる……やどでいちばんごうかなへやのことです」
一番豪華。スイート・ルームの事である。スイート・ルームは和製英語だ。ここの言葉は英語圏ではないようだが、スイート・ルームと言っても通じなさそうである。
「しんりゃくしゃとたたかうせんしさまのためのおへやなのですからこのくらいはとうぜんであります」
得意そうに胸を張るスュボルドネ。おそらくさっきの訴えめいたものは、やはりこの事を言っていたのだろう。
権力を傘に着るのは昭士はあまり好きではないのだが、やってしまったのは仕方ない。
それに賢者との話をこうしたロビーでする訳にもいかないだろうし。個室があるに越した事はない。
「えるみっとぅしょうしょうかっかからもいわれておりますてあつくもてなしてほしいと」
少将の命令(お願い)とあっては、少尉としてはその通りにするしかなかろう。その辺が軍隊の辛いところだ。
《ところで、今クーデター中断中って言ってたが、大丈夫なのか?》
これ以上無駄におだてられるのはゴメンだと、昭士はスュボルドネにそう訊ねた。すると彼は視線だけで周囲を注意深く見回すと、
「そのはなしはのちほどいまはおへやへおいそぎください」
彼は険しい顔のまま幾分早足で階段を上がって行った。やはりまだクーデターは鎮圧された訳でも終了した訳でもない。さすがに「してはいけない話題」だったようだ。
互いに無言のまま階段を五階まで駆け上がるようにして上る。大概スイート・ルームというものは、そのホテルの最上階にあるものだから。
だが。早足とはいえ階を数えながら上っていたのだが、着いたのは五階ではなく明らかに「六階」だった。
始めは五階の上の屋上か屋根に出るための階段を上ったのだとばかり思っていたが、フロアの感じからするとそうではない。途中でM二階というのもなかった筈。もちろん数え間違いでもない。
外から見た時は窓の具合から五階建てだと思っていたのだが。これは一体何なのだろう。
昭士のそんな不思議そうな顔が見えたのだろう。スュボルドネは歩きながらこちらを向き、どことなく得意そうに胸を張ると、
「おどろいておられるようですね」
そして、もったいぶった調子で少し間を置くと、
「このおてるさいだいのとくちょうでありますそとからはごかいだてにみえるのですがなかはろっかいだてになっておりますあいにくじぶんにはそのりゆうやしくみはわからないのでありますが」
相変わらず微妙に聞き取りにくい平坦な日本語で話してくれる。
《長セリフは勘弁してほしいんだが……》
半分も聞き取りと理解ができなかった昭士は溜め息混じりに小声でそう言うと、
《多分アレだろ。今回みたいにクーデターとか何だかで、お偉いさんが自分が隠れる用に、こんなややっこしい建物作ったんじゃないの。この国は昔っから軍事国家だったって聞くし》
この世界ではどうだか判らないが、昭士の世界の軍事国家や独裁国家では、そうしたパターンが良くある。自分の家や主要な施設に、その人しか知らない隠し通路があってそこから逃げたり、ほとぼりが冷めるまで隠し部屋に立て籠ったりする為だ。
もちろん暴言ばかりのいぶきと違い、昭士の方は「ウチの世界では」とフォローする事は忘れなかったが。
しかし、それでもスュボルドネはだいぶムッとした表情で、心底「一緒にしないでほしい」という顔のまま、
「わがくにではぐんたいはこくみんのあこがれそのようなやからはおりません」
実際あらゆる宣伝媒体を使って「軍隊は男の憧れ」「軍隊で出世してこそ男」「そんな人間を息子に、夫にするべき」という事を喧伝しているという。
《自分からそういう事をガンガン言う組織って、どうにも信用し切れんな。何か自分に自信がなくてデカく見せてるように見えちまう》
この「姿」での昭士も、傍若無人ないぶきのように結構考えずにポンポン思った事を言うようになる。
だがその軍人の前で言う事ではなかったと、軽く謝罪する事も忘れないのが最大の違いだ。
スュボルドネはやがて着いた木のドアの前に立ち、持っていた鍵を差し込み、ガチャリと回す。
そうして押し開けた扉を「どうぞ」とばかりに指し示す。その通りに昭士が部屋の中に入った。
部屋の中はまさしく昭士の思い描く「スイート・ルーム」であった。
元々スイート・ルームとは寝室・リビング・応接間などの他の部屋がセットになった客室であり、そのホテルで一番豪華な部屋でもある。
今いるのはおそらく応接間にあたる部屋だろう。床一面のカーペット。そこに置かれたソファにテーブル。窓にかかるカーテン。どれもこれも間違いなく高級品で一級品。
昭士のような素人にだってそれと判る立派すぎる部屋。実に豪華としか言えないような部屋である。自分のような人間はおそらく一生縁がない部屋である。
(一泊何十万する事やら)
そんな風に部屋に見とれる昭士に構わず、スュボルドネはドアをきっちりと閉めてからわざわざ、
「ふよういにきかれるわけにはまいりませんので」
とキッチリ前置きをしてから、彼のそばに近づいて小声で話し出した。
「さきほどのおはなしですがこんかいのくーでたーがおきたさいだいのりゆうがまさしくせんしさまがごしてきされたそのてんなのです」
昔からこの国はそういう喧伝をしてきたために「男だったら軍隊に」という考えが強かった。
そんな考えが一般的になったのは軍隊にとっては良かったのだが、逆に軍隊以外の仕事のなり手が下降気味。人気の方も減っていった。
それで済んでいればまだ良かったのだが、軍隊に就けなかった、就かなかった男達を低い地位だとあからさまにバカして蔑む軍人まで出だし、国内の雰囲気は最悪。前々からいつ一触即発の状態になってもおかしくなかったらしい。
しかし軍隊も一枚岩ではない。憧れの職業ではあるべきだが、他の職業を低い地位とバカにする事を良しとしない派閥もまた、少しずつ広がっていたようだ。
そんな派閥が軍組織の改訂を求めて決起。ついにクーデターを起こしたのが真相らしい。
「くーでたーをおこしたのはえたけのはばつになりますじぶんやえるみっとぅしょうしょうかっかそしてるりじゅーずけのはばつはちゅうりつをたもっておりますが」
エタ家がクーデターを起こした。スュボルドネやエルミットゥ少将とルリジューズ家の派閥は中立。
《確かここルリジューズって町だったよな? って事は、この町の主人が?》
「そのとおりでありまするりじゅーずけのそせんはぺいこくけんこくにたずさわっためいかであります」
建国に携わる。確かエルミットゥ少将の祖先もそうだったか。
《って事は、クーデターを起こされたつーか、今の軍部トップだか最大派閥も、建国に携わった名家か?》
「おさっしのとおりですでぃくたてゅーるけのめーとるでぃくたてゅーるたいしょうかっかであります」
エタにエルミットゥにルリジューズ。それからディクタテュール。人名ばかり出てきてややこしい事この上ない。特に昭士は人の名前を覚えるのが苦手なのである。
どちらが有利だろうが不利だろうが、自分に害が来ない限りはどうでもいい事である。自分からいちいち厄介ごとに首を突っ込む気はさらさらない。典型的な日和見主義の日本人なのだ。
が。この世界では「浮いた」存在である自分の行動そのものが厄介ごとを巻き起こしかねない。そのくらい考え方や常識が違うのだから。
たんたんたんたん。
小気味良いリズムのノック。その後で何やら言いながら入って来たのは小柄な女性であった。
取り立てて美人でもない、どちらかといえば地味でどこにでもいそうな感じの女である。
黒のワンピースにフリルが着いた白いエプロンを着て、フリルが着いたカチューシャも頭につけている。このホテルのメイドだろうか。昭士の眼には単なるメイドさんにしか見えないのだが。
そんな彼女が左手で持っているトレイにはボトルが一つグラスが二つ。ウェルカム・ドリンクというヤツだろうか。
ところがスュボルドネはまるで手で追い返すような仕草をして、この国の言葉で何か言っている。ように見える。
するとメイド(?)が困ったような顔でおずおずと申し開きの言葉を言っている。ように見える。
やはり何を言っているのか判らないというのは、実に不安が増してくる。昭士がそう真剣に思った時だった。
いきなりメイド(?)が大きな声で悲鳴を上げたのだ。何も持っていない右腕を上に振り上げ、まさに「絶叫」をも上げている。
いや違った。右手の中にキラリと光るのはナイフ。それも投げて使うためのナイフがあった。そのナイフがポロリと右手から落ちる。
“危ないところだったな”
“危ないところだったな”
その二重の声と共に姿を現わしたジェーニオ。半分男で半分女の身体、それも明らかに異国の装束とあっては、そのメイド(?)もスュボルドネも驚きを隠せない。
ジェーニオはメイド(?)の腕を握り潰しながら捻り上げ、
“そこの軍人も頼みもしない人間が来た事に警戒をしたのは見事だった”
“そこの軍人も頼みもしない人間が来た事に警戒をしたのは見事だった”
さらに空いた手で何の変哲もない壁の燭台を指差してみせる。
“それから女よ。殺気を消すなら、そこの女くらいにはやってのけねば意味はないぞ”
“それから女よ。殺気を消すなら、そこの女くらいにはやってのけねば意味はないぞ”
どこの誰かも判らぬ奇妙な人間(?)とはいえ「殺気」という単語を聞いて気を引き締めるスュボルドネは、指差された燭台の方に神経を集中させた。
どういう事かサッパリ判らない心情を察知されたくないとばかりに。
だが彼の目の前で奇妙な事が起こった。何もない筈の壁に、いきなり赤い染みのようなものが浮かんだのだ。同時に声を殺したような悲鳴も。
そして次の瞬間そこにいきなり人間が姿を現わした。ジェーニオが腕を捻り上げているメイド(?)と同じような顔立ちの女だ。
動きやすく身体にフィットした革製のつなぎのような黒い服。その胸のところから真っ赤な血が垂れ落ちているのだ。
自分の後ろの壁を、憎々しげに睨みつけながら。
その姿勢のまま壁にもたれ、その拍子に燭台に体重がかかる。すると燭台がガクンと傾いた。
ごごごごご。
何と驚く事に。壁の一部が奥に吸い込まれて無くなってしまったではないか。そうしてできた穴にその身体が吸い込まれるように倒れて行く。
「はい、ごくろうさまでした」
そう言いながら壁にできた穴から入れ違いに出て来たのは、何と益子美和(ましこみわ)であった。
昭士の学校の先輩とは仮の姿。サッビアレーナ国出身の盗賊ビーヴァ・マージコ。ジェーニオの本来のご主人様。
そんな彼女はオールインワンと呼ばれるつなぎのような競泳水着を思わせる服一つの姿だった。先の鋭く尖った短剣の刃を布で拭きながら、
「あまり好みではないでしょうけど、後腐れがないように片づけておきました」
淡々とした様子で昭士にそう語る美和。
確かにケンカはあっても殺人は滅多に目撃しない日本で生まれ育った人間が、人が殺される瞬間を好む訳もなく。
実は昭士も備わっている「自分の周囲のあらゆる動きが極度のスローモーションとして認識可能」な能力で、メイド(?)がナイフを投げようとしていた事も、誰かが潜んでいる事も既に判っていた。
だが何も行動を起こせなかった。その辺が日本人特有の優しさと表裏一体の甘さ、であろうか。
《そうだけど、やっぱり殺しはなぁ。気絶させて後から事情を……話しそうもねーか》
雰囲気からすると殺し屋っぽいし、捕まったら奥歯に仕込んだ毒薬か何かで自害しそうだなー。と、他人事のように考えている昭士。
実際そうだったのかは判らないが、ジェーニオが腕を捻り上げている女から力がスッと抜けてガクンと首が傾く。そしてトレイが床に落ち、ボトルとグラスが割れた。
それからメイド(?)はピクリとも動かない。昭士の想像通りだったようだ。
これまで戦って来たのは姿形を含めて人間ではない侵略者。正真正銘の人間と戦うのは(戦いにもならなかったが)これが初めてである。そして相手は死んでしまった。
自分自身が手を下した訳ではないが、良い気分などする訳がない。実際昭士の顔からは完全に血の気が引いてしまっている。真っ青を通り越して真っ白である。
「仕方ないとはいえ、甘いですね」
そんな様子を見られた美和に甘いと言われても仕方ない。姿を消して武器を持って部屋にこっそりと潜んでいるような人間が無害な訳がないのだ。
月並みな言葉だが「殺らなければ殺られる」。それだけだ。昭士にはまだすぐさまそこまでは割り切り切れないが。
それから美和はスュボルドネに顔を向けると、
「……そちらの方は、おそらく知らない間に利用されただけでしょうね。中立派の人間がどちらかに加担したという噂だけでも、クーデターの様相を変えるには充分ですから」
美和が心の奥を見透かすような視線で彼の顔を見て、そう言い切る。
そこまで言われ、ようやくスュボルドネは我に返ったように、現地語で何か言い始めた。状況から考えて「何者だお前達は!?」のようなものだろう。
すると美和は別に隠し立てをする様子も見せず、むしろ堂々とした佇まいで、
「サッビアレーナ国に伝わるマージコ盗賊団の伝説、聞いた事はありませんか? 自分とそこのジェーニオは、その盗賊団最後の生き残りにして、軽戦士・角田昭士達を影から支える存在です。どうかご内密に」
美和は無駄に斜め四十五度に身体を傾けた、カッコつけたポーズでそう言った。
嘘を言っている訳ではないのだが、登場のインパクトの関係か今一つ信じたいような信じられないような、そんな微妙で曖昧な苦笑いを浮かべている。
もちろん若干演技過剰気味なところに呆れている、というのも理由に上げられるかもしれないが。
「ところで。その穴の中に、信じられないモノが入ってましたが、お知らせしておいた方が良いでしょうか」
この話はもう終わり。そう言いたそうな淡々とかつ極めて強引な話題の替え方である。
このマイペース振りにはさすがに昭士もだいぶ呆れ気味ではあるが、
《判った判った。どうせ賢者が来るまでは暇だしな。もう大概の事じゃ驚く気もない》
最後の方は冗談のような口調だが本心である。それを聞いた美和は特ににこりともせずに、
「両手両足を縛られたままの、戦士らしき白骨死体です」
さすがにその言葉には、昭士はもちろんスュボルドネも、
唖然とするしかなかった。

<つづく>


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