トガった彼女をブン回せっ! 第14話その3
『ア、ア、ア、ア、ア、アキシ様!?』

壁が天井になる。床が天井になる。天井が壁になる。天井が床になる。目まぐるしく変わる景色。
壁に叩きつけられる身体。天井に転がされる身体。壁に打ちつけられる身体。床にぶつけられる身体。
テーブルが倒れる。ソファが襲いかかる。椅子が宙を跳ね回る。何が何だかよく判らない激しい衝撃の中で。
自分が今、たった一つ判った事。それは、かろうじて生きている事。それだけだった。
激しい衝撃が止んでからたっぷり一分は経ってから、モーナカ・ソレッラ・スオーラは身を起こした。
自分が横たわっていたのは割れてしまった窓ガラスの所だった。そのため服や手に切り傷ができて血が流れ出ている。もちろん全身くまなく痛い。木刀でめったやたらに叩かれたかのようだ。
だがこれだけの被害でその程度で済んだのは不幸中の幸い。加えて日頃から僧兵としての訓練を積んでいた賜物であろう。こればかりは指導教官に感謝していた。
とっさに両腕で守っていた頭を目を覚ませとばかりに振り、周りを見回してみる。
それは「酷い」という言葉しか出てこない有様だった。
きちんと整えられた応接室のような室内はテーブルや椅子、ソファもひっくり返ったり叩きつけられて壊れていたり。そもそも床板と天井が「壁面」になっている段階で相当の被害だった事が容易に伺える。
「……殿下!?」
スオーラは自分がついさっきまで話をしていた相手――パエーゼ国第一王子パエーゼ・インファンテ・プリンチペ殿下の姿が見えない事に気づいた。
そして無惨な模様替えとなってしまった室内を見て自分でも理解できるほど血の気が引いてしまっている。
この瓦礫となってしまった物に巻き込まれてしまったのでは。そんな思いが自身の心臓を握り潰してしまっている。
瓦礫の中から助け出さねばならないのに、それが判っているのに身体が動かない。動いてくれない。
スオーラの身体が動いてくれたのは、瓦礫と化したテーブルやソファがガタンとわずかながら動いたからだった。
「殿下、ご無事ですか!?」
スオーラは自身の身体の痛みも忘れて瓦礫を崩しにかかる。十代半ばの女性並の力しかない彼女ではあるが、それでも必死に力を込めて重そうなテーブルをどかしにかかる。
どうにかテーブルをどかした時、ソファがゴトンと床に転げ落ちた。
「殿下!!」
そこには彼女が探し求めていたプリンチペ殿下の姿が。その姿は埃にまみれてはいたが、スオーラのように出血している様子はない。ヨロヨロと身を起こす。
「殿下、お怪我は!?」
「スオーラ嬢こそ大丈夫か」
互いに労りあう二人。どうにか立ち上がったプリンチペ殿下だったが、思いのほか怪我は少なかったようである。
それは二つのソファの座る面に挟まれた状態だったからだ。それがクッションとなったため、転げ回されても大怪我をせずに済んだのである。
「今すぐに列車から出よう。そして被害の確認だ」
「了解しました」
二人は節々が傷む身体を引きずって、通路へ出る扉から外へ出た。途端降り注ぐ朝の太陽の光。
そこで初めて気づいたのだが、衝撃が来る直前まで鳴り響いていたムータの音がピタリと止んでいる。きっとエッセがこの場所かこの世界から去ったのだろう。
そんな思いをしつつも、少し離れた場所で列車全体を眺める。それは酷い有様だった。
先頭の蒸気機関車はどうにか無事に線路に乗っているが、二両目・三両目が脱線。自分達がいた四両目は連結器が外れて地面に倒れ、しかも四、五メートル転がっていた状態だった。
改めて見ても「よく命があったものだ」と全身の血の気が引く光景である。気を失わなかったのが奇跡なくらいだ。
だが。最後尾の五両目にあった貨物室が見当たらない。周囲を見回してもそれらしい物が見当たらない。
二人がそうしてキョロキョロしている間にも、どうにか無事だった世話係や警備員が、血相を変えて殿下の元に次々に駆けてくる。
彼はやって来た一人一人に「大丈夫だ」と答え、五両目の貨物室がどうなったのかを聞いてみた。
もちろん列車がこんなになってしまう事態である。自分の事で精一杯で見てはいないだろう。そんな自分の思いを再確認しただけであったが。


《……生きてる、のか》
昭士は目を覚ました。場所は判らない。ただ転がっているのが砂の上という事くらいしか。
ぼやけていた視界がやがてクッキリとしてくると、目の前には真っ青な空。視界の端には貨物車輌がそれぞれ目に入ってきた。
直射日光を浴びている感覚がないので、ここは日陰なのだろう。おそらく貨物車輌のおかげである。
身を起こす前にあえて目を閉じ、全身を確認してみる。
指の先から足の先まで総てを意識してみる。大丈夫。ちゃんとある。ちゃんと動く。さすがに全身(特に背中)がズキズキと痛んでいるが、血は出ていないようである。
そこでようやく身を起こす。
《……何じゃこりゃ》
昭士は自分の目が信じられないと言いたそうにぽかんと口を開けていた。
当たり前である。彼が転がっていた砂は、正確に言うならば「砂漠」であったから。それも見渡しても地平線ならぬ砂平線しか見えない。何もない砂の海にポツンとただ独り。
そこを吹く熱い風は確かにこれまでいた地域とは全く違う。あいにく昭士は砂漠へは行った事がなかったが、違う事くらいならすぐに判る。
そこで昭士はハッとなった。巨大ノミ型エッセの足が貨物室に直撃した時は、ジュンがいた。あとフィルマという親衛隊員も。
直撃した勢いで貨物室の連結が外れ、まるでサッカーボールのように車輌が吹き飛ばされた。その勢いで全員が壁に叩きつけられたのだ。
周囲の動きを超スローモーションで認識できる昭士は、絶妙のタイミングで壁に対して受け身を取れた。
ジュンも野生のカンか運動神経か、頭から激突する事だけは避けていたようだった。
フィルマはとっさにバイクのハンドルに捕まっていたが、床にベルトで固定されていたバイクがズルルッと動いた。それでバランスを崩して転倒。壁に向かって転がって肩をしこたまぶつけてしまっていた。
衝撃の殆どをバイクが吸収したようで、大怪我には至っていないように見えた。
問題は大剣の姿になっていたいぶきだ。もちろん剣の状態だから受け身も取れず、そのまま宙に放り投げ出された。それも「昭士に向かって」。おまけに受け身を取って身動きできない一瞬に自分に激突するタイミングで、だ。
昭士だけはその巨体に見合った重量を無視して振り回す事ができるとはいえ、三百キロもの鉄の塊――大剣の柄の方が自分に襲いかかって来ているのである。そんな物が自分にぶつかったら、さすがに怪我どころでは済まない。
それどころか激しい衝撃によって吹き飛ばされた加速度まで加わった物を受け止める視力はあっても筋力がない。
しかし運は彼を完全には見捨てなかったようで、昭士はどうにか首をひねってその「突進」をかわしてみせる。
ところが、鞘のベルトが昭士の首に引っかかってしまった。三百キロ以上の重量を感じないとはいえ、首に絡み付くベルトの感触が良い訳はない。
そのためそのままの状態で大剣が壁を突き破って外に飛び出す。おかげで半分が外、もう半分が内側という中途半端な状態になってしまった。
おまけに鞘のベルトが昭士の首に引っかかって固定された事により剣だけが鞘からズルリと抜けて、車輌の外に放り出されてしまったのだ。
昭士の目はともかく「周囲の物を超スローモーションで認識できる」能力はその一部始終をハッキリ焼きつけてしまっている。さすがの彼もこの状態のまま「彼女」を助けられる技量はなかった。
動きたいのは山々だったが、慣性の法則には逆らえない。あまりに急激な動きをした為に壁に叩きつけられ、そのまま貼りつくようなGも感じている。
ついでに言うと、開けっ放しだった貨物車輌の扉から、轟々という音と共に風が入り込んでくる。
遊園地のアトラクションにこんな感じのがあったなぁ、と昭士は状況から逃避するように呑気に考えていた。
そうしてGに耐える事一分。正確に計っていないが何となくそのくらいは時間が経ったろうと思える頃になって、ようやく身体が動かせるようになった。
さすがに一つの都市を覆い尽くすほど巨大なノミの足の一振り。こんな車輌をどこまで遠くまで蹴り飛ばしたのやら。そもそもその一撃でよく壊れなかったモンだ。その思考は完全に現実逃避も良いところであった。
何せこのまま地面に叩きつけられれば間違いなく全員助からない。この世界には魔法があるがその使い手はここにはいない。
正確には全くいない訳ではないが、この状況をどうにかできる魔法が使えるかどうかは判らない、だが。
《なぁ、ジュン》
昭士は唯一の魔法の使い手に声をかけた。
《この状況を何とかする魔法だか術だか、無いか?》
話しかけられたジュンは「う〜ん」と何やら考え込んでいたが、
「オレ。できるの。物。堅く。それだけ」
以前地面を大きな板のようにめくり上げて盾にした事があったが、あれは堅くした地面をその場に立てかけただけだ。
この状況で何を堅くすれば良いのだろう。仮にこの車輌を極限まで堅くしたとしても、ぶつかった衝撃で自分達がどうにかなってしまいそうなのが容易に想像できる。
《じゃあ俺達を固くするってのは……》
「オレ。できるの。物。堅く。それだけ」
さっきと全く同じ答え。言い返そうとした昭士はしばし考えると、
《ひょっとして、物を堅くする事はできても、元に戻したり柔らかくしたりは……》
「できない」
ジュンが使える「術」はあくまで物を堅くするだけ。堅さの度合いを変えるくらいはできるだろうが、それ以外――元に戻したり物を柔らかくしたりといった事はできない。という事である。
結論。この状況では全く役に立ちそうにない術である。
もっとも、周囲を超スローモーションで認識できる能力くらいしか持たない昭士もこの状況では大した役には立たないので、偉そうに言えた義理ではないが。
昭士はようやく立ち上がったフィルマの方を見るが、彼が訊ねようとするより前に、フィルマも「何もできない」と言いたそうに、寂しく首を振る。
結論再び。地面に激突した時が自分達の最期である。助かる術はない。
残酷な結論だが、不思議と焦りや取り乱したりという感情は沸き起こらなかった。達観している訳ではないが「ま、しょうがないか。ツイてなかったな」という淡々とした心境である。
そこで激しい衝撃。轟音。理由も原因も判らない。外を見る余裕などありはしない。
自分はもちろんジュンもフィルマもバイクすらも宙を舞っていた。
昭士は自分の「目」でそれらをハッキリ認識していた。だから自分に向かって飛んできたバイクをどうにか受け止める事はできた。
ただし。そのままバイクの重量に押し負けて背中を痛烈に打ちつけるハメになった。受け身も取れずに。
それで彼は気を失ったのである。


気を失うまでの状況をなるべく細かく思い出してみる。これができるだけでも、少なくとも頭に障害はないようだと判断できる。素人判断だが。
自分はこうして車輌の外にいるが、いつでも自分の前に呼べるいぶきはとりあえず置いておくとして、他の二人とバイクはどうしたのだろう。そう思って車輌の方を振り向くと、
《……何じゃこりゃ》
さっきと同じセリフが思わず口から漏れた。
彼が思い切り見上げている視線の先には、それこそ天を突き破らんばかりに高い石造りの塔が建っていたからである。自分が今までいた日影は車輌だけではなくこの塔の影も含まれていたのだ。
改めて良く見てみれば影の長さが圧倒的に違う。どんな角度であれ車輌一台だけでこれだけ長い影ができよう筈もない。だが昭士はそんな事にも気づかなかった。
(頭とか打ってたのかなー)
そう思いつつ昭士は車輌の中を覗き込む。ひっくり返って動かないがジュンもフィルマもバイクも、そして戦乙女の剣の鞘もちゃんとある。彼はよじ登るようにして貨物車輌に入り、二人の安否を見てみる。
素人判断なので何とも言えないが、少なくとも脈はあった。頬を触った感じも人肌温度。おそらく気を失っているだけだろうと判断。
昭士はバイクの免許は持っていないからバイクの方は判らない。ぶつけて車体に凹みができたりしているが、壊れている感じには見えない。この辺はフィルマが気づいたら見てもらう事にした。
とはいえこの状況では昭士にできる事は何も……いやあった。とても重要な物が。
彼は腰のポーチから携帯電話を取り出した。蓋に表示されている時間は十一時ちょうど。事件があったのが明け方四時過ぎだという事を考えると、ずいぶん時間が経ってしまっている。
蓋を開けてやっぱりアンテナがキッチリ立っている事を確認すると、登録してある番号を呼び出す。
呼び出し音一回目の最中に、音が途切れて電話が繋がった。
『ア、ア、ア、ア、ア、アキシ様!?』
よっぽど驚いたのだろう。無意味に大きな、それでいて思い切りドモったスオーラの声が耳をつんざく。
それはそれだけ自分達を心配していた事の証なのだ。昭士はその耳の痛さをあえて有難く受け取った。
『大丈夫ですか、お怪我はありませんか、皆さんご無事ですか、今どちらにおられますか』
さっき以上に大きな声でポンポンと矢継ぎ早に質問を立て続けにして来るスオーラに、昭士は「落ち着け」とばかりに咳払いすると、
《ジュンもフィルマとかいう親衛隊員も、ついでにバイクも無事だ。いぶきだけは放り出されちまったが、何とかなる。ココは砂漠のド真ん中で良く判らん。ただ、目の前にすっげーデッカイ石の塔が建ってるけどな》
いつも通りの昭士の声を聞いたからか、皆が無事という報告を聞いたからか、電話の向こうで大層ホッとしている様子が伝わってくる。それでもいぶきが放り出された事にはあまり喜んではいないようだ。
『ところで砂漠とおっしゃいましたよね。それに高い塔とも』
《ああ。記憶にないか?》
昭士にはこの世界の地理はもちろんあらゆる情報がない。フィルマを叩き起こしてでも聞けば良いのだろうが、さすがに気を失っているところを無理矢理起こすのも気が引けた。そもそも引っぱたけば起きるという訳でもなさそうだし。
スオーラは電話の向こうで難しそうに小さく唸ると、
『我がパエーゼ国の南にサッビアレーナ国という国がありますが、その国の南部が砂漠ですね。ですが大きな石の塔というのは聞いた事がありません』
スオーラの話ぶりだと、巨大ノミ型エッセの一蹴りで、隣の国まで吹っ飛ばされたようである。一体何キロ、いや何百何千キロという距離を飛ばされたのだろうか。
昭士は電話を耳に当てながら貨物車輌を振り返る。
とてつもない距離を吹き飛ばされたにしてはあまりにも原形をとどめ過ぎている。いくら落下地点が砂地だったとはいえ、そんな何百何千キロも飛ばされるような速度で激突したのならもっと壊れていなければおかしい。
本当は最初にそこに気づかなければならない筈だ。やっぱり頭が上手く回っていない気がする。
《とにかく、こっちはフィルマのヤツが気がつかない事には身動きが取れん。俺やジュンじゃどっちに行ったら良いのかすら判らんし》
どんな状況であれ、こんな砂漠の真ん中で干上がるなぞゴメンである。ここに留まり続けるつもりもない。
もっとも昭士とジュンだけはどうにかする方法はある。それは戦う戦士の証たるカード・ムータの力で彼の世界に行けば良いのである。そうすれば地理も判るし額は少ないがお金も使える。干上がる事だけはない。
だがそれだとフィルマを置き去りにする事になるのだ。
昭士やジュンは自分の世界ともう一つの世界両方に「姿形」という物を持っている。持っているからこそ行き来して活動ができるのだ。もっともジュンは短剣になってしまうので自力での活動は無理だが。
だがフィルマが「違う世界での姿」を持っている保証はない。むしろ持っている者の方が稀少なのだ。
もしそんな人物が別の世界へ行ってしまった場合、姿形を持たない(目に見えないという意味ではない)ためその世界に存在する事すらできない。
これが他人を顧みるという事が全くないいぶきなら、間違いなく一人で勝手に帰ってしまうが、昭士はそうではない。会って数時間でしかないフィルマに対しても、残していく事に対してちゃんと罪悪感を持っている。
《ともかく二人が起きるのを待って、賢者のヤツにも聞いてみる。そっちはどうだ?》
『こちらはエッセが飛び去ってからは特に何も起きておりません。くれぐれも無茶だけはなさいませんように。ご武運をお祈り致します』
それで電話は切れた。昭士はため息をついてポーチに携帯電話をしまう。
その時、貨物車輌の中で人が動く気配がした。一応気をつけてはみたが、開けっ放しの出入口から首を出したのは、フィルマだった。
「無事。ですか」
彼は短く問う。昭士は心底ホッとした顔で首を倒すと、小声でブツブツ呟きながら彼に近づき、
《なぁ、サッビアレーナって国、知らないか? どうやらココがそうらしいんだが》
固有名詞を覚えるのがあまり得意ではない昭士。忘れないよう呟いていた甲斐があり間違えずに言う事ができた。フィルマは親衛隊員だけあってすぐさま、
「判る。パエーゼ国。南部の国。でも……」
貨物車輌を下りたフィルマは周囲を見回し、やがて高い石の塔を見つけると、
「サッビアレーナにある。高い塔。一つしか。心当たり。ない。でも……」
フィルマの物言いが妙に歯切れが悪い。自分の考えが合っているのかどうなのか判らない。そんな表情だ。
彼はいきなり炎天下の砂漠へ飛び出した。塔が作る影の中を十メートルばかり走って、塔の外壁に辿り着いた。
そして塔の壁を手で触りながら調べるように見て回っている。昭士も彼の後を追いかけるようにして塔の根元へ駆け出した。
《うわー。てっぺんが見えねーぞ、まじで……》
真上を見上げる昭士が、口をぽかんと開けていた。こうして真下から見上げると、より一層高さを感じるのだ。
だがここは砂漠。砂漠といえば当然砂である。これだけ高い塔を建てるにはその土台もしっかりしていないと建たないだろう。砂がそこまでしっかりした土台になるとは思えない。
昭士は首をかしげながら塔の外壁をゆっくり歩きながら見る。円周は結構あるように思える。大人二、三十人くらいが手を繋いだくらいの大きさはありそうだった。
そうして歩いているうちに、壁を調べながら歩いていたフィルマに追いついた。彼は昭士がやって来ても壁を調べるのを続けていた。やがてその手を止めると、
「この塔。盗賊のアジト。かもしれない」
《アジト?》
「そう。大盗賊団。マージコ一族。自分の祖母。この国の生まれ。祖母から聞いた伝説」
単語ごとに区切るような彼の話を要約するとこうなる。
この国には代々盗賊を続けているマージコ一族と呼ばれる大盗賊団がいたそうだ。
盗賊といっても様々なタイプがいるが、マージコ一族はいわゆる義賊に近く、奪うのは悪徳商人や大金持ちの貴族。人を殺す事も滅多になかったらしく、そのため庶民からはかなり慕われたらしい。
彼等は人の往来が全くない「荒野の」真ん中に建つ天を突くような高い塔を拠点に活動していた。
滅多に人の立ち入る事のない荒野に建っていては盗賊団討伐や宝を奪いに来る輩が押し寄せそうなものであるが、何もない荒野=遮蔽物がないのですぐに判って迎撃されてしまったり、庶民が味方して塔へ行くのを防いだりしていたので、そうした者達は滅多にいなかったらしい。
だがそれでは盗賊団も行き来に苦労するだろうが、不思議とそんな話は聞いた事がない。彼等はこつ然と姿を現わして盗みを働きこつ然と姿を消す。何か魔法でも使ったかとしか思えないような、神出鬼没さが強く伝わっている。
といった内容の事を話してくれた。だがフィルマは寂しそうに首を小さく振りながら、
「でも。多分違う。マージコ一族の塔。国の北部の荒野に建つ。国の南部の砂漠じゃない」
そう言って説明を締めくくった。その表情は相変わらず「何が何だか判らない」と言いたそうな物だった。
《なるほど。盗賊団のアジトの塔が建っていたのは北部の荒野の筈。けどここは砂漠。しかもこれだけ高い塔ってのは、その盗賊団のアジトくらいしか思いつかない。そんな塔は南部の砂漠にはない。それで「おかしいな」って訳か》
「見事。その通り」
昭士の推測をフィルマは感心したように肯定した。だが昭士はもう一つ疑問点が浮かんできた。
《けどここが盗賊団のアジトだってんなら、何で誰もいないんだ? 少なくともここから上下二、三階くらいのフロアには誰もいやしないぜ?》
昭士には目に見えていなくとも周囲の人間の動きを認識できる能力がある。それを以てすればこのくらいの芸当は雑作もない。フィルマは「当然だろう」と言いたそうに口を尖らせると、
「その伝説。二百年は昔の話。今では。末裔が生き残っているかどうか。判らない」
そう言われてみれば、かつて大活躍していた盗賊団だから「伝説」と云われるのだ。現代も活動しているなら「伝説」とは言うまい。
《中に入れりゃこの日射しも避けられるから都合が良いんだが、盗賊団のアジトって事は、罠とか山ほど仕掛けてありそうだしなぁ》
そもそもこの塔に出入口らしい物がどこにもないのだ。もちろん三フロアは上の方にぽっかりと穴――出入りできそうな場所はあるのだが。
さしもの昭士もそこまでジャンプする身体能力はないし、階段やハシゴになりそうな物もない。かつての盗賊団は一体どうやって出入りしていたのだろうか。その辺りも「伝説」なのだろうか。
そんな考えを遮るように、昭士の携帯電話が激しく震えた。着信である。慌ててポーチから取り出して蓋に付いた小さな液晶画面を見ると、スオーラからの通話だった。
彼女は日本語は全く理解できないのに日本の携帯電話をよく操作できたものだと驚きつつ――おそらく文章翻訳の魔法でも使ったのだろう――フィルマから少し離れて電話に出る。
《はい、こちら角田昭士。どーぞ》
まるで無線のように、そしてどこか脳天気に電話に出る昭士。ところが電話の向こうのスオーラは、かなり緊迫した雰囲気の声で、
『モーナカ・ソレッラ・スオーラです。申し訳ございません、アキシ様。お願いですから驚いたような声や表情はお止め下さいませ』
そんな前置きをいきなりしたものだから、昭士の方は何となく声を漏らさないようにと空いたもう一方の手で口元を隠すようにすると小声で、
《何だよいきなり仰々しいな。判ったから話の続き》
電話の向こうでスオーラは自分を落ち着かせるように大きく深呼吸をしていた。その音が電話から聞こえるほどなのだから、かなりオーバーにやっているか相当に慌てているか、だ。
『アキシ様。実はフィルマという名の親衛隊員の事ですが……』
昭士は何となく唾を飲み込んで彼女の話の続きを待つ。その内容は、
『そんな名前の親衛隊員は存在しないのです!』
驚きの一言だった。

<つづく>


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