トガった彼女をブン回せっ! 第10話その2
『この世界にある文字が理解できないのです』

[今日ですか?]
昼休み。学食にいたスオーラを捕まえられた昭士は、彼女に「ファンの集い」の事を話してみた。
スオーラは考える素振りも見せずに、
[今日は『ケータイ』という物を買いに行く事になっているのですが……]
スオーラはこの世界の人間ではない。それゆえ戸籍もないし住民登録も当然ない。
この世界で単純に暮らす分には問題ないだろうが、保険がないので医者にかかるには高額の治療費がかかるし、銀行や郵便局の口座など、公的サービスが一切受けられない。
そもそも外人然とした外見である。身分証明などを求められたら大変な事になってしまう。
しかし彼女がこの世界で活動ができないとなれば、もしこの世界にエッセが現れた時に困った事になる。
さすがに学生の身分である昭士一人では心もとないし(協力する気がないいぶきは例外として)、この世界の警察や特殊部隊ではエッセに全く歯が立たない。戦える人間は多いに越した事はないのだ。
その為超法規的措置として、スオーラの戸籍を「作成」したのだ。同時にこの世界でキャンピングカーを使うために、地元の警察に通って日本の交通ルールを学んでもいた。
目の回る忙しさを体現したかのような暮らしが、このところ続いていたのである。それを弱音一つ吐かずにやり遂げたスオーラには、昭士は頭の下がる思いで一杯だった。
それゆえに、なかなか「ファンの集い」の事を切り出せなかったのである。
「じゃじゃ、じゃあ、そそそれが……」
「スオーラちゃん! こっちの鍋お願い!」
厨房の奥から彼女を呼ぶ大声が聞こえる。スオーラはそれに答えると、
[申し訳ありません、アキシ様。お話はまた後ほど]
きちんと「こちら流に」頭を下げて謝罪すると、彼女は厨房の奥へ引っ込んでしまった。昭士の後ろに控えていた男子生徒達が、あからさまにがっくりきた様子でうなだれる。
「そっかー。ケータイ買いに行くのかー」
うなだれていたのもほんの一瞬。一人の男子生徒がすぐさま立ち直りを見せると、
「じゃあケータイに詳しい俺が、アドバイスをしてあげなきゃな」
「いやいや。お前はマニアなだけだろ。ケータイ素人に説明できる訳ねーだろ」
「でも、ガラケーなら、説明しなくても大丈夫じゃね?」
学食内の一画が一気に騒がしくなる。近くにいた一部の女子が「男子うるさい!」と怒鳴りつけるが、同時に「あれだけの美人ならうるさくもなるわな」と半ば冷めた考えもあるので、そこまで男女間が険悪になる事もない。
むしろ昭士が一番仲が良い事にアレコレ口を出したりケチをつけたりする事が多い。大っぴらではないが。
それは端から見ればいじられというイジメに近いものがあったが、普段のいぶきの傍若無人な扱いを台風とすればそんなイジメはそよ風にもならない。
幸か不幸か、イジメの耐性がつき過ぎてしまっているため、イジメと気づかない。ある意味ではうらやましい事である。
「……携帯電話、買われるのですか」
昭士の耳元で、ボソッとした暗い声が。ビックリして声の方を振り向くと、そこにいたのは新聞部の部長・益子美和(ましこみわ)だった。
校則に反しない無難な黒髪ストレート。少しソバカスの目立つ頬を隠すような大きめのメガネ。明らかにブサイクではないが絶対に美人ではないという微妙な容姿。加えて暗いのか表情が変わらないのか判らない無表情。
そんな人間が気配を殺して声をかけてきたのだから、驚かない訳がない。
昭士はもちろん、彼の周囲にいた人間も同様だ。驚きのあまり持っていたトレイを落としそうになった者もいる。
「ななな、な、な、何ですか先輩!」
驚きが加わったドモり声で大声を上げてしまう昭士。しかし美和はそんな状態でも無表情を貫く。
「いえ。モーナカさんの情報を知りたがっている方は、大勢おりますし。男子生徒はもちろん女子生徒からも、その動向は注目されていますから」
それは昭士も良く知っている。さすがにストーカーや嫌がらせにまでは発展していないが、そうならない保証はどこにもない。むしろ近い将来なりそうな予感すらしている。
「我々新聞部としましても。独占取材とか特集号とか、やってみたい訳ですよ。本物の新聞のように。何せ『謎の美女』ですから」
無表情な目が一瞬ギラリと光ったような気がした。口調が淡々としているだけに、その無表情が逆に怖い。
フィクション世界の学校の新聞部ならいざ知らず、実際の新聞部など単に学校便りに毛が生えたような代物を作るのがせいぜいである。この学校の新聞部の活動もそんな感じだ。
だから「そんな事をしてみたい」という気持ちは理解できる。だが理解はしても許可を出す訳にはいかないのだ。
スオーラが別の世界の人間だという事を、知られる訳にはいかないのである。それは何としてでも守り抜かねばならない秘密なのだ。
「そ、そ、そそ、それは、ダメです。かか、彼女、いそいそ、忙しいですし」
無表情な瞳にじいっと見つめられ、普段以上に焦りも加わる昭士。周りにいた「同盟」加盟者も「そうだな。忙しいもんな」と昭士に同調する。だいぶぎこちなかったが。
そんな露骨な警戒心に、美和は無言で立ち去った。その後ろ姿が学食から消えるのを確認し、ようやく一同は本当にホッと胸を撫で下ろした。


[お断りしたいのです]
放課後。昭士と合流したスオーラは、開口一番そう告げた。
「ここ、断わるって、ななな、何を?」
前触れもなくいきなり言われたのでは、さすがに何が何だか判らない。スオーラは平然とした表情のまま、
[今日『ケータイ』という物を買いに行く事を、です]
それを聞いて、昭士は昼休みにその話題が中断していた事に思い至った。
昭士が不思議に思ったのは当然だろう。携帯電話は、今の(昭士達の世界の)世の中ではあって当たり前の所持品である。
互いに連絡を取り合うのにこれ以上適した道具はないと言っても過言ではない。
理由は判らないが、スオーラの故郷である異世界・オルトラも、何故かこの世界の携帯電話やメールでのやりとりができる事が証明されている。持っていれば便利な事が理解できないとは思えないのだ。
先日、この市の警察署内にエッセが現れた際に知り合った女性警察官から、携帯電話購入に必要な書類を揃えたから買いに行こうと、誘われていたそうなのだ。
「で、で、でも、どどど、どうして、ことこと、断わるの?」
昭士の当然の疑問に、スオーラはこう言ったのだ。
[わたくしでは、この世界にある文字が理解できないのです]
理解できないとはどういう事だろうか。それも「この国の」文字ではなく「この世界にある」文字と言った。良く考えれば変な言い方だ。
短期間で日本語を流暢に話せるほどマスターできたスオーラの記憶力をもってすれば大丈夫だと思うのだが。
それとも記憶力にも得意分野苦手分野があり、会話は得意だが文字は苦手、というものだろうか。
そう考える昭士の顔が一層複雑な表情になったのを見て、スオーラは適当な壁を指差した。そこには「校内美化」に関するポスターが貼られてあった。
[ここにある文字……と思える物が、総て同じにしか見えないのです]
若干諦めを含んだ困り顔でスオーラはそう言った。もちろんポスターに書かれた文字に同じ物は一つとしてない。
「ええ、ええっと。どどど、どういう事?」
[わたくしにも良く判らないのです。違う文字であろう事は推測できるのですが、総て同じ物が並んでいるようにしか見えないので、区別も理解もできないのです]
元々ウソや冗談を言うような性格ではないし、本当に「そう」なのだろう。
しかし。彼女の現在の自宅となっているキャンピングカー。オルトラ世界の賢者が別の世界から持って来たという代物だ。
あの車内にある文字は英語だった筈だ。正確には「どこかも判らないアルファベットのような文字」と言った方がいいのだが。この世界の物であるという保証もないし。
初めてその文字を見た時「見た事がない文字」と言っていた。今回のように「総てが同じに見える」とは言っていない。
昭士がたどたどしくその事を訊ねてみると、
[そうなのです。オルトラでは『見知らぬ文字』だと認識ができたのですが、こちらの世界では何故か理解も区別もできないのです]
スオーラが心底困った顔でそう言った。
昭士もこちらの世界で何度か車内に入った事はあるが、別に文字が奇妙な物になったとは思っていない。英語(?)そのままである。
オルトラでは区別ができた。しかしこの日本ではできない。確かにこれは訳が判らない。
「車内にある文字は、オルトラにいた時に魔法で翻訳し、その意味の方を記憶しているので使う事に支障はありませんが、こちらの世界に来てしまうと文字そのものが全く判らなくなってしまいます」
世界が変わると様々な事が変わるのは体験済だが、こんな変な変化もあるとは予想だにしていなかった。
「ま、ま、ま、魔法の方は、ままだ、か回復してないの?」
[どうやらそのようです。戻れば感覚的にそれが判るのですが、まだその気配はありません]
もちろん魔法で翻訳すれば読む事はできるが、それは一日一回、それも時間制限のある魔法なので、その度に使うというのは余り現実的ではない。
それ以前に今のスオーラは魔法を失っている状態なので、やりたくてもそれは不可能だ。
昭士は自分の携帯電話を取り出した。最近では古臭く見えるようになった、いわゆる型遅れのガラケーである。
「じゃじゃ、じゃあ、ここ、これも、ダメ?」
二つ折にされたそれを開き、数字が書かれたテンキーを指差してみせる。スオーラは申し訳なさそうに「はい」と漏らす。
文字が理解できないのならボタンに書かれた数字も判る訳ない。それではこっちから電話をかける事もできない。メールなど論外である。
[確かに『ケータイ』があれば非常に便利な事はさすがに判ります。ですが、使う事ができないのであれば、持っていても無意味です]
道具は使ってこそナンボのもの。いくら便利でも使う術がないのでは。
前回こちらの世界に来た時は着信オンリーだったためそんな問題は出なかったが、自分の携帯電話を持ったらそういう訳にはいくまい。
文字の理解と判別が不能の状態で、どうやって携帯電話を使えば良いのやら。
昭士のあまり良くない頭では、いいアイデアは思いつかなかった。
(それにしても……)
昭士は自分よりも少しだけ背の高いスオーラを少しだけ見上げる。
道行く人の視線を一身に集め、注目を浴びまくっているスオーラ。ただでさえこの辺りでは珍しい外国人に加え、明らかに平均以上の容姿とスタイル。
加えて、そんな彼女が着ているのは「あちらの世界の」魔法使いルックなのだ。
カラフルと言えば聞こえの良い、色配列がめちゃくちゃなジャケット。長袖なのに丈が腰よりずっと上。そんなジャケットの下はスポーツブラのような物一つきりだ。
あらわになったくびれた腰。その下には少し動いただけで下着が丸見えになるマイクロミニのタイトスカート。色は黒だ。
足はすらりとした脚線美に合わせたかのような、膝より上のサイハイブーツ。
本来はこれに白いマントと魔法使いをイメージさせるつばの広い帽子が加わるのだが、さすがにこの世界では必要以上に目立つという事で外している。
しかし、こちらの世界でも暮らすようになり、スオーラの事情を良く知る「同盟」の女子生徒や、周辺の大人達の意見を聞いた結果、こちらの世界の衣服も何着か持っているそうだ。
だがそれらは皆地味というかそっけないというか。コットン生地のシャツやデニムのジーンズといった物ばかりを選んだそうだが。
それには女生徒達が猛烈に異を唱えた。それだけの容姿とスタイルを活かして、もっと色々と着てみろと。オシャレを楽しむのも女の特権だと。
しかしスオーラはこう反論する。
元々自分は聖職者にして托鉢僧。そもそも代々聖職者という家柄では質素倹約こそ尊ばれるもの。華美な服にはさして興味を惹かれないし、また着る気もない。
そもそも彼女達の国では、服飾に金をかけるという発想があまりないそうで。それは「いくら大事に着ていても、布はすぐダメになってしまう」という考えが根強いからだそうだ。
もちろんスオーラの世界にも、儀礼用やパーティーの時に着る高価な衣服は存在する。しかし服そのものよりも、服についたボタンで値段が決まるといっても過言ではないのだという。
ダメになった服からボタンだけを取り外して新しい服に付けてもらう。人によってはTPOによってボタンを付け替えるというのが、あちらの「普通」らしい。
貴重な材料や宝石で作られたボタンを自慢したり、それらを収集するのが趣味の人間が貴族階級には多いという。
その辺りの「講釈」には、さしもの女生徒達も文化の違いに納得したような言いくるめられたような、複雑な表情を浮かべていたらしい。
さすがにその場にいなかった昭士は、その光景を思い浮かべて何となく苦笑する。こう見えて彼女は意外に頑固なのだ。
だからこちらの世界ではチグハグで奇妙な服装になってしまうのだが、彼女が周囲から注目を浴びているのは服装だけが理由ではない。気がしている。
外見に加えて彼女が元々持っているであろう「徳」とも言うべき人を惹き付けるような空気が人々の目を、注意を、関心を集めている。ような気がしている。
昭士はそれらの視線が自分に向けられていないと判ってはいても、いつも以上に緊張した面持ちだ。
ふとスオーラの腕が昭士に伸びた。するっと腕を軽く絡ませてきたのである。これには女性に冷淡な昭士も驚かずいはおれない。
何か言おうとする昭士に、有無を言わせぬ雰囲気のまま、スオーラはいきなり角を曲がって細い路地に昭士を連れ込むように駆け込んだ。
その時だ。昭士の身体がふわっと浮き上がり、足から堅い地面の感覚が消え失せた。それもいきなり。
「え、え、え、えええっ!?」
驚く昭士が落ち着く間もなく、周囲の景色が一変。薄暗い路地に入った筈なのに、今自分が立っているのはどこかの雑居ビルの屋上。どういう事だろうか。
[お静かに、アキシ様]
スオーラは小声でそう言いながら、揃えた指先で自分の口を軽くトントンと叩く仕草をする。雰囲気から察して「静かに」のアクションだろう。日本では立てた人差し指を口に当てるものだが。
「い、い、い、今、なな何したの!?」
言われた通り声を小さくしてスオーラに勢い込んで訊ねる。すると彼女も小声にして、
[ただアキシ様を連れて飛び上がっただけですが]
そう。一応「魔法使い」ではあるが、彼女のこの世界での身体能力はまさしく「スーパーマン」並。さすがに機関車より弱いし空も飛べないが、こうしてビルの四、五階分を助走無しに高く飛び上がる程度は雑作もない。
「け、け、けど、どうして?」
[詳しくはトミエ様とお会いしてからお話致します]
そう言うと、ビルの真下を確認してから、昭士をひょいと抱きかかえて飛び下りた。


「着信オンリーの携帯!?」
待ち合わせをしていた喫茶店の中に、スオーラから話を聞いたトミエ様――桜田富恵(さくらだとみえ)のボリュームを抑えた声が。
富恵は最初に知り合った警察官の一人という事と配属が青少年の保護・非行防止を職務とする「少年課」勤務という二つの理由から、署長から半ば「スオーラ担当」を押しつけられた面もある。
そんな彼女はスオーラの質問に驚いたような困ったような、それでいてどこか呆れたような、何とも形容し難い表情を浮かべていた。
それはそうだろう。今どきそんな携帯電話を欲しがる人がいるとは思ってもいないだろう。
むしろ富恵は女性警察官だからそれで済んだかもしれないが、これがもし携帯ショップの店員だったら営業用スマイルを崩して笑うに違いない。
「確かにスオーラさんは文字が読めないというか判らないというか、そういう感じなのは知っていましたけど……」
交通ルールを教える際に文字の問題が発覚していたが、交通ルールは口頭で説明してもらったものを丸暗記。交通標識はほとんどが絵(文字)なので文字が読めなくてもどうという事はない。
さすがに道路にデカデカと書かれた速度表記などの理解に問題はあるが、あの日本の道交法ギリギリサイズのキャンピングカーでこの狭い道路を飛ばせる訳もない。
その辺りは正規の免許取得過程とは大幅に異なる。もしそうなら最初のペーパーテストで脱落している。
「極端に機能をしぼった電話ならありますけど、着信オンリーの電話なんてあったかしら……」
富恵は運ばれて来ていたコーヒーを、手持ち無沙汰のようにクルクルとかき回している。
ここは警察署そばの喫茶店。「警察官立ち寄り所」という札も下がっているし、立地の関係から署員が制服のまま訪れてもいい事になっている。
だが来るのは警察関係者ばかりではないし、署員の人間総てがスオーラの事情を知っている訳でもない。
昼間であり勤務中でもある富恵は、当然女性警察官の制服のままだ。
そしてスオーラは大人びた外見と目立つ真っ赤な髪に加え、文句のつけようもないプロポーション。とどめが例の魔法使いルック。おかげで相当に目立っているような気さえする。
そんな二人と古典的学生服姿の昭士という奇妙極まりない組み合わせに、周囲の視線が集まらない訳がない。
昭士はそれらの視線が自分に向けられていないと判ってはいても、やっぱりいつも以上に緊張した面持ちだ。
「じじ、字が、よめ読めないと、メメメールだって無理だし」
「そうですねぇ。かといって着信オンリーなんて電話……」
うーんと考えていた富恵だが、ふと何かひらめいたようにパッと明るい表情になると、
「プリペイド携帯にしてはどうでしょう?」
プリペイド携帯とは、料金前払い制の携帯電話である。コンビニなどで専用のカードを買い、その暗証番号を入力する事でカード料金分の通話ができる仕組みだ。
その料金がなくなれば「こちらから」通話ができなくなってしまうものの、(会社によって異なるが)三ヶ月から一年近くの間電話を受ける事だけはできる。その間に新しくカードを買って暗証番号を入力すればまた通話可能になる。
一時期は身元が判らないよう犯罪に使われるケースが急増してイメージが悪くなり取扱会社が激減。今ではほとんど見かけなくなった物だが、現在でも「スマホとの二台持ち用」「社員専用の電話」等の用途で一応販売はされている。
ただこれも暗証番号の入力がスオーラ一人ではできない問題があるが、その辺は昭士や富恵など「信用している人物」が行えばいいだけだし、何より通常の携帯電話に比べればお金はかからない。
服と同様こうした物も「質素倹約」を尊ぶ家で育ったのなら、スオーラも強く反対はすまい。
[良く判りませんが、わたくしに使える物があるのでしたら、それで構いません]
携帯電話を使った事がない人間が、良いも悪いも答えられる訳がない。ほとんどの人間は適当に選んでから「あっちにすれば良かった」と後悔する。初めての携帯電話とはたいがいそういうものだ。
しかしスオーラの場合は選択肢がない。むしろオルトラ世界に行った時も使えるのかどうかがカギでもある。昭士の携帯電話は双方の世界で存在するし使えるが、このプリペイド携帯がそうとは限らないのだから。
(あっちの世界でも使えるといいけど)
昭士が言葉に出さずにそう思ったのも当然である。
[ところでトミエ様。次の話題を切り出してよろしいですか]
スオーラがいつになく真面目な表情で話を切り出す。「様」付きで呼ばれた富恵は未だ慣れないのか、どこか居心地が悪そうに作り笑いをしている。
スオーラはそんな富恵に構わず話題を変える。
[この二週間ほど、わたくしを尾行してくる女子生徒がいるのですが]
『尾行!?』
昭士は驚き富恵は表情を引き締め異口同音に言う。
[ここに来る途中でも尾行していたので、撒くために少々寄り道を致しました]
「あ、あ、あの。ひょっとして、いいいきなり屋上に、い、行ったのって……?」
[はい]
スオーラのサラリとした答えに、昭士は何と言っていいのか判らなくなりそうだった。そうならそうと言ってからやってくれれば、こちらにも心の準備というものがあったのに。大した準備ではないだろうが。
「そ、そ、そ、それで、どどどどんな人ですか、何か特徴はありますか?」
ところが富恵の方は、表情こそ引き締まった真剣なものだがそれが口や行動にまで至らなかったようで、手はあたふたと何かを探し、口は昭士のようにドモりまくっている。
そんなギャップに周囲が苦笑する中、富恵はどこからかペンを取り出し、テーブル備え付けの紙ナプキンを取り出してメモをする準備に入った。
[本人は『新聞部の部長・益子美和(ましこみわ)』と名乗っておられましたが]
あまりに自然で緊張感のない物言い。富恵は逆に緊張感が途切れたかのようにテーブルに突っ伏しそうになる。昭士も同様だ。
「名乗ってるなら尾行も何もないでしょう?」
思わず富恵が愚痴るように呟く。
だが見知らぬ人間が行うから尾行という訳ではない。見知った人間が行っても尾行は尾行だ。
美和本人が言っていたように、スオーラに興味を持つ人間は学校の内外にたくさんいる。まるでアイドルのおっかけのように。
昭士を始めとする「同盟」の面々が影に日向に情報の漏洩を防ごうとしているが、しょせんは素人のやる事。いつまで持つかは判らない。
興味を持って探りを入れている人間達の筆頭が益子美和である。直接スオーラに聞きに来る時もあるし、今回のように尾行する時もある。という事は、その度にさっきのように撒いているのだろうか。
だが逆に、撒くためにさっきのように高々と飛び上がるところを見られる可能性も高い。
明らかに普通の人間には不可能なジャンプ。もしその様子が写真に撮られ、しかもツイッターなどに上がったが最後。あっという間に全世界に広まってしまう。
顔などが写っていなくとも、この辺りの人間であればスオーラだと特定するのは訳ないだろう。そうなれば鳥居警察官の心配が現実のものとなってしまう。
それだけは絶対に避けねばなるまい。昭士も富恵もその気持ちは一緒である。
「スス、ス、スオーラ。いいくく、いくら何でもマズイよ」
昭士はこの世界の人間はそこまで高くジャンプできない事を告げ、なるべく止めるよう忠告する。
[判りました。以後は控えます]
真面目な顔のスオーラの即答。
昭士と富恵は声に出さずに「止めるんじゃないんだ」と思った。
だが次の言葉で富恵の表情は
[今日の尾行は別の方でしたが]
再び引き締まった。

<つづく>


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