トガった彼女をブン回せっ! 第10話その3
『あ、ああ。みみ、みたいだね』

「違う人って、どういう事ですか? 誰なんですか!?」
曲がりなりにも女性警察官である富恵が勢い込んで訊ねる。
さすがに自分の見知った人、それも若い女性が尾行されていると聞いてはいても立ってもいられない、そんな正義感はちゃんと持っているようだ。
昭士は尾行そのものをされている事に気づいていないので、驚きも倍増である。
[アキシ様と同じ、市立留十戈(るとか)学園高校の生徒である事は同じ制服で判りましたが、名前までは判りません]
それは仕方ないだろう。さすがに記憶力が良いスオーラといえども、この短期間で学校にいる生徒・教職員全員の顔と名前までは覚えておるまい。
「な、な、な、何か、とく特徴とか、そそそ、そういうのは!?」
昭士が焦ったように――ドモり症のせいで普段と大差ないが――スオーラに問う。富恵も出しっ放しの紙ナプキンにすぐさま筆記できるよう構え、話をうながしている。
[薄い茶色で、長い髪の女性でした。長さは胸の辺りまでで、パーマネントと云いましたか。そういった感じの少し波打つような髪でした]
スオーラは迷う事なく即答する。富恵は大急ぎでそれを書きながら「他には?」と聞く事も忘れない。
[遠かったので顔の詳細は良く判りません。服も制服でしたし]
そうだよねぇ。そう言いたそうに富恵の表情が少しだけ残念そうな顔になった。
薄い茶色の髪の女子生徒、だけではさすがに漠然とし過ぎる。元々そういう髪の色の生徒もいるし、何らかの手段で染めている生徒だっている。そういった生徒全員を集めてスオーラに見てもらう訳にもいかない。
「ス、ス、スオーラ。スススカーフは、ななに何、何色だった?」
昭士は例によってドモりながら訊ねてくる。
留十戈学園高校の制服は、男子は古典的な黒い学生服。女子は古典的な黒いセーラー服だ。
男子は襟につける校章のバッチの色が、女子はセーラー服のスカーフの色が学年を表しており、一年生が赤、二年生が白、三年生が紺だ。
[スカーフですか? 紺色でしたね]
という事は三年生の誰か、という事になる。
これだけでもずいぶんと人数がしぼれるが、やっぱりもっと個人を特定できるような情報が欲しい。
昭士と富恵にそう言われると、スオーラは目を閉じてやや顔を上げ「考えています」と思えるポーズのまま固まってしまった。
数秒ほどそうしていたろうか。ゆっくり目を開けると、
[そういえば……]
『そういえば!?』
何か新しいヒントを思い出したのだろうか。話に身を乗り出して喰いつく富恵に、何となく釣られてしまった昭士。そんな二人の真剣な目に若干気押されたのか、スオーラは少しだけ身をのけぞらせ、
[肩からかけていた鞄、でしょうか。その肩紐に赤い物が付いていました]
「赤い物!?」
確かに鞄にアクセサリーやストラップ、小さなぬいぐるみなどをつける女子生徒は珍しくはない。それがもし珍しい物、変わった物なら、犯人を特定する材料になり得る。
そう思った富恵がさらに勢い込んで訊ねるが、
[それだけです。ずいぶんと珍しい事をしているな、と思ったのですが]
再び迷う事なくピシリと言ってみせた。
がくーーーーーん。
露骨に。嫌味なくらい露骨に肩を落とす富恵と昭士。特に富恵は安いコントのようにテーブルに頭をぶつけそうになったほどだ。
スオーラはそんな二人のリアクションを見て「何か不味い事を言ってしまったのだろうか」と、心配そうな顔でオロオロとしている。
そうだ。相手はこの世界の人間ではない。互いの常識が違うのだから、ガックリ来ても何にもならない。
どこからか抜けていく気力に喝を入れ直した富恵は、
「そんな風に鞄に何かをつけるのって、こっちの世界では珍しくも何ともないんです。それだけでは犯人の特定は難しいですね」
[難しいですか。お役に立てず申し訳ありませんでした]
スオーラが本当に申し訳なさそうに深く頭を下げた。それを見た富恵の方が逆に申し訳ない気持ちになって頭を上げさせようとしている。
もうこれ以上の手がかりは得られそうにない。富恵はそう判断し、
「判りました。その尾行の件はこちらも気をつけてみます」
その辺りはさすが警察官といったところだ。富恵の警察官としての力量は判らないが、警察官がついていると思うだけで結構気持ちは楽になる。
しかし富恵は少し神妙な顔でスオーラに向かい合う。
「ただ、良くも悪くもスオーラさんはとっても目立ちます。服装も容姿も。その事は常に頭に入れておいて下さい」
少しお説教めいた口調の富恵。スオーラはそれにも素直に「判りました」と答える。
それから昭士にも向き直ると、
「昭士君も自分の生活があるだろうけど、できるだけスオーラさんのそばにいて、彼女を気づかってあげて。この世界で、スオーラさんが一番頼れるのは、多分あなただろうから」
「ハ、ハ、ハイ。わ、判りました」
共にエッセと戦う「仲間」であり、スオーラに一番近しい存在である。富恵はその事を言っているのだ。
昭士は女性に対して緊張はあるが同時に冷淡な面もあるし、スオーラは恋愛にはかなり疎い。友達以上にはならないだろうな。
短い間ではあるが、二人の仲というか関係をそう見抜いている富恵は、その辺にも気を揉んでいた。
(いっそ彼氏・彼女になってくれれば、面倒がないんだけど)
声と表情に極力出さず、富恵がそう思ったのは無理もないかもしれない。
本当は同じ女性同士という事で、妹のいぶきがやった方がいいのだが、いぶきはとにかく「他人の為に」とか「誰かの助けになる」事を徹底的にやりたがらない。言っても無駄なのである。
「と、とりあえず。プリペイド携帯にするのなら、スオーラさんに来てもらわなくても大丈夫かな」
富恵は自分の記憶の中を検索するように瞑想して言った。
携帯電話を買うには身分証となる物が不可欠。一応スオーラの物は「作成」したが、彼女は(日本の法律では)二十歳以下の未成年。携帯電話を買うには保護者の同意書も必要になる。
しかし。本当の保護者は別世界の向こう。保護者代理人を務める人間はこちらの世界にはいない。それだけでも買えない可能性が大きい。
プリペイドであれば富恵が二台目の携帯として買った事にできる上に支払請求が彼女の方に行く事はない。
万一悪用した時が問題だが、こちらの文字が理解できないのだから、携帯電話を悪用できるほど使いこなせるとも思えない。
スオーラも学食で働いている事になっている関係上銀行口座は作ったそうだし、支払いができないという事はないだろう。
本音を言えばそういう手続きがめんどくさいのだ。富恵は保護者代理ではないし。もちろんそれを口に出す事はないが。
「じゃあそうしよう」と、富恵が伝票を持って立ち上がる。
「じゃあ昭士君。あとはウェブサイトででもお店ででもプリペイド携帯を見せてあげて。さすがにデザインくらいは彼女が決めた方が良いと思うから」
言われた昭士も携帯の時計を見て慌てて立ち上がった。まだ外は明るいが想像以上に時間が経っていたのだ。
[トミエ様。お支払いでしたらわたくしが……]
「こういう時くらい『お姉さん』させなさい。大丈夫よ、どうせ経費で落とすから」
何か言おうとするスオーラをお姉さんぶって止めた富恵は、さっさと支払を済ませて出て行ってしまった。
何となく雰囲気的にぽつんと残された昭士とスオーラ。
そんな空気を何とか変えようと、一瞬で一所懸命考えまくった昭士が口を開いた。
「ス、スオーラ。けい、け、携帯電話。みみみ見に、行く?」
[お願い致します]
彼女はもちろん笑顔で応じた。


喫茶店を出て、携帯電話の店が多い駅前に向かう。ゆっくり歩いても十分ほどの距離だ。
そんな短い距離にもかかわらず――いや、人が増えるからだろう。周囲の人々からのスオーラへの視線がすごい事になっている。
どう贔屓目に見ても注目されている。明らかに。確実に。
そして。さっきまでに加えて、そんな視線が確実に自分にも突き刺さってきている事を、昭士は自意識過剰ではなくハッキリと自覚していた。
明らかに日本人ではない、長身でスタイルも良い、だが奇妙でチグハグの服を着た美女。
その隣にいるのは平々凡々よりはマシな容姿の、古典的学生服の学生。
「美女と野獣」は酷い喩えだが、明らかに不釣り合いな二人と見られている。何となくいづらい雰囲気を昭士は感じていた。
[アキシ様。この格好は、この世界では目立つようですね]
スオーラが少し寂しそうに言った。彼女にとってはこれが魔法使いとしての正装なのだ。否定されダメ出しを受けている訳ではないのだが、普通と思われてはいない。寂しくなるのも無理からぬ事。
もちろん普通の服を着てはいけないという決まりがある訳ではない。だが普通の服ではいざという時困るのだ。
彼女の魔法は体内から取り出した本のページを破り取る事で発動する。同じ布地に見えても、こちらの世界の服では体内から取り出す事ができないのだ。
もちろん脱げば別だが、いちいち脱いでから本を取り出して、とやっている暇が実戦にどれだけある事か。
現在はその本は失われ体内で修復を待っているところだが、一度完全に燃え尽きてしまった本だ。それでは修復も再生もされないのでは、と彼女は漠然と思っている。
だがそれでも彼女はエッセと戦う意志を捨てていない。意地になっている訳でもムキになっている訳でもなく。
自分がやるべき事と受け止め、受け入れている。そんな達観したような、素直さというか。そういう物を感じるのである。
(やっぱり世界を含めて育ちが違うんだなぁ)
昭士は隣を歩くスオーラに目をやり、そんな事を考えた。
だが目をやった時、周囲の人間からの「何でお前なんかがそんな美人と歩いてるんだよ」という尖った視線を、より強く感じてしまった。
彼はそんな視線から逃れたい一身で、歩きながら携帯電話を取り出す。親指がちょいちょいと動く。
[アキシ様。どうかされましたか?]
自分に注がれる視線に気づいているのかいないのか。スオーラは昭士の携帯電話の画面を覗き込もうとする。
途端に周囲の空気が変わった。何だ何だという興味本位の視線。スオーラの声は隣にいた昭士にしか聞こえていないのだから。
「ププ、プリペイド携帯は、い今は『オーユー』と『Unison WORLD(ユニゾン・ワールド)』からしか、出て、出てないみたい」
携帯電話のメーカーはいくつかあるが、「COBOL-O(コボロ)」「オーユー」「Unison WORLD」の三社が大きい。
ちなみに昭士が持っているガラケーはCOBOL-O社製。いぶきは検査入院の直前にオーユー社のスマートフォンに買い変えたばかりだ。
昭士はそれだけ言うと、パタンと携帯電話を閉じてしまった。
[調べて下さったのですか?]
スオーラは素直に笑顔を浮かべる。黙っていると冷静でちょっと冷たい雰囲気があるのだが、この笑顔はそんな印象を柔らかく打ち壊す、温かい笑顔だ。
スオーラの世界でも何故かこの携帯電話は使えるし通じる。ここから検索した事が役に立った事が何度もある。
そんな便利な機械を――機能のほとんどが使えないとはいえ――これから自分が持つ事になる。そう思っただけでスオーラの気持ちは高ぶり、それが顔にも表れる。そんな嬉しそうな笑顔。
[それで……その『ぷりぺいどけーたい』という物は、どこに売っているのですか?]
「メ、メメ、メーカーの、おおおみ、お店で売ってると、おおもおも、思うけど」
嬉しそうな笑顔が眩しいとばかりに、昭士はキョロキョロと辺りを見回す。
駅前といっても昭士はこの辺りはあまり詳しくない。彼が良く使うのは同じ駅前でも北口の方だ。今いる南口側ではない。普段使っていないのだから判らなくても仕方ない。
携帯電話そのものを売る店ならあちこちにある。しかしプリペイド携帯はメーカー直営の支店でしか扱っていなさそうだ。その支店を探しているのだが……あった。
今いる歩道の、大きな車道を挟んだ反対側。ズラリと並ぶ雑居ビルの一階に『Unison WORLD』というロゴの看板が。
しかし三軒隣のテナントビルの一階にも『オーユー』の看板が見えた。
ついでに言うなら昭士達が今いるのは、横断歩道と横断歩道のほぼ中間。地下道や歩道橋もない。
元来た道を戻ってから横断歩道を渡ると『Unison WORLD』が若干近く、この先の横断歩道を渡って少し戻れば『オーユー』が近い。そんな中途半端な距離。
さて、どちらから先に行ったものか……そう考えながら道路の向こうを見ていると、隣に立っていたスオーラがスッと自分の後ろに移動したのが判った。どうしたのだろうと昭士が振り向く。
するといつの間にか取り囲まれていたのだ。それもあからさまにガラの悪い連中に。
年は十代後半から二十代後半と割とバラバラだが、どことなくガラの悪い部分は皆に共通している。
[何かご用ですか、皆さん]
口調こそ丁寧だが、自分達を取り囲む人間達の悪い雰囲気を感じ取ったのだろう。さっきの笑顔が信じられないほど、警戒心をあらわにした緊張した顔だ。
自分を取り囲む面々を見て、昭士は「しまった」と力なくうなだれそうになる。その誰も彼もが「いぶきが」容赦なく叩きのめした事がある町のチンピラ達ばかりだったからだ。
妹いぶきと兄である昭士は双子の兄妹である。いくら学校の制服を着ているといっても、間違える人は間違える。
実際人違いで殴られた事は何度もあるし、違うと知っていて腹いせに殴ってくる連中も数多くいる。今回もまたそのたぐいだろう。
そう思った昭士はどうやって逃げるかと、顔を動かさないようにして右、左と視線を動かしてみる。
背中に大きめのガードレールがあるので、一旦道路に出てから逃げる事は難しい。かといってスオーラの体術に頼って逃げる訳にもいかない。
こんな一目につく状態であのジャンプ力を発揮されても困るし、僧兵として鍛えているスオーラとこうした連中では勝負にもならないだろう。ケンカしか知らない人間と実戦を知っている人間にはそのくらいの差はある。
もちろん昭士とて、スオーラと同じエッセと戦う戦士。実戦を経験もしている。
だが「今」はダメなのだ。昭士が「戦士」となるためには「変身」しなければならない。
彼の場合は服装が変わり、ドモり症が治ってポンポン喋るようになる程度の変化。そして周囲の動きを超スローモーションのように認識できるようになる。
だがスオーラ同様こんなところで「変身」をする訳にもいかないのだ。相手はエッセではない。腕っぷしは強いが普通の人間なのだ。
「何やってやがんだ、お前ら!」
キンキンとした高音の怒鳴り声。そして、その一言で昭士達を取り囲むチンピラ達がビクリと身を震わせたではないか。
「あ、ヒ、ヒルマの兄貴!?」
「誰が兄貴だ、ブッ飛ばすぞ、オラ」
ヒルマの兄貴と呼ばれた男は、キンキン声で怒鳴りながら取り囲んでいた一人の頭を軽くこづく。
声の主は安っぽいグレーのスーツを着た中年男だ。目つきは悪く鋭くてヤクザ者を連想させるが、ヒョロッとした体格の割に背はあまり高くなく、おまけに昔のコントの爆発後のような、ボサボサの髪。とてもケンカも腕っぷしも強そうに思えない。
だがガラが悪い――普通に言えばチンピラにしか見えない連中を一言で黙らせたのだ。タダモノではなさそうだ。
そんな「ヒルマ」と呼ばれた男は取り囲んでいた皆を一通りこづくと、昭士とスオーラの方を見た。何かを見抜こうとするような鋭い眼差しだ。
普通の人間(今の昭士を含む)はそれだけで萎縮してビビってしまうのだが、スオーラは油断なく相手を観察していた。
「ほぉ。噂の学食小町さんは、かなりキモが座ってるようだな。イイ目だ」
ヒルマは懐からタバコとライターを取り出して、カッコつけて吸おうとしたが、地面に貼られた「禁煙区域」のシートを見て、バツが悪そうにそれらを引っ込めた。
[コマチ? 何ですか、それは?]
聞いた事のない単語にスオーラが昭士に訊ねる。しかし彼は小さく首を振るだけだ。彼は「そうだったか」と一人で何やら納得したようにうなづくと、
「ああ。外人さんや若者は知らなくて当然か。美人の事を『ナントカ小町』って表現する言い回しがあるんだよ、昔の日本語には。覚えときな」
丁寧に説明した後、ヒルマは「そうじゃない」と言いたそうにボサボサ頭をかきながら、チンピラ達に向かって、
「お前達がそいつの妹にノされて病院送りにされた事は知ってるよ。だからって兄貴ブチのめしたって何の解決にもならねぇだろ。いい加減判れや、お前ら」
ヒルマは懐からタバコとライターを取り出し、カッコつけて吸おうとしたが、また地面に貼られた「禁煙区域」のシートを見て、バツが悪そうにそれらを再び引っ込めた。
どうやら無意識にやってしまうようだ。「またやっちまった」という渋い顔のまま、
「それに、こっちのお嬢ちゃんはかなり強い。ナンパなら止めとけ。それに、こっちの兄貴に手を出したら確実に攻撃してくるぞ? ケガ程度で済めばイイがなぁ」
意味ありげにニヤリと笑う男。その気味の悪さは確実に背筋を凍らせるほどの恐怖が確かにあった。
「ほ、ほ、ホントですか? 冗談はナシにして下さいよ?」
そう言ったチンピラの一人の声が明らかに震えている。無理矢理強がっているのが見え見えだ。男とスオーラを「信じられない」と言いたそうな目で見比べている。
「冗談なモンか。確かなスジからの情報だ。大きなヘビが飛びかかってきても、ものともしなかったそうだからな。そんな度胸だけでも、お前らじゃ相手にならんよ」
キンキン声でゲラゲラ笑いながら確かにそう言った。
大きなヘビ。
その言葉に昭士とスオーラの表情は凍りついた。
かつて昭士とスオーラはこの世界で巨大なヘビの姿をした「侵略者」と戦った事がある。
だが戦った場所は警察署の中。狭い建物内で倒すのはおろか戦う事すら相当苦労した覚えがある。警察内部で起きたこんなゴタゴタを外部に漏らす者がいるとは思えない。
だが。この男は警察関係者にはとても見えない。「人は見かけによらない」という言葉があるが、いぶき絡みで警察署によく行かされる昭士も、彼の顔を見た覚えが全くないのだ。
「判ったらとっとと解散。またポーンて放り投げられたいってんなら……」
言いながら両手を勢い良く上に跳ね上げる仕草をする。それも笑いながら。何度も。
チンピラ達は異口同音に「判りました」と言いながら、すごすごと退散して行く。その様子は慣れた飼い犬よりも素直だ。
裏を返すと、血の気の多いチンピラ達が「そうしてしまう」何かが、この中年男にはあるという事だ。
(一体何者なんだろう)
昭士とスオーラは相当に懐疑的な視線で、チンピラ達を追い払った男を見ていた。
チンピラ達の姿が遠くなった頃、男は昭士とスオーラの方に向き直り、
「ツイてなかったな。気をつけなきゃいけねえだろ」
ヒルマは懐からタバコとライターを取り出そうとしたところで「ああ、まただ」と苦い顔になる。
「あ、あ、ああ、有難うございました」
昭士は素直に礼を言って、軽く頭を下げる。隣にいたスオーラも同じく頭を下げる。ヒルマは「いいからいいから」と手で制すると、
「気をつけな。あんた達二人は、自分で思ってる以上に、この辺の人間達に知られてるんだから」
男は「それじゃ」と言いながら昭士達が来た方向に歩いて行った。軽く上げた腕をひらひらと振りながら。
昭士とスオーラはしばらくその様子を見送っていたが、
[アキシ様。あの方、わたくし達がエッセと戦った事をご存知のようです]
「あ、ああ。みみ、みたいだね」
何故知っているのかを知りたい。二人がそう思ったのは当然だろう。昭士はともかくスオーラの事を知られるのはマズイのだ。
名前も言わずに立ち去った「彼」にその事を詳しく聞こうと思ったのだが、その人影は夕方の雑踏の中に溶け込んでしまった。
あっという間に。

<つづく>


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