『底抜け豆腐屋小僧 後編』
数日後。リトルリップ・シアター支配人室では、部屋の主が呆れた様子で皆の話に耳を傾けていた。ここはシアターの屋上に作られており、窓から見える眼下の眺めが実に見事である。
「事情は判った。しかしだねぇ……」
シアター支配人マイケル・サニーサイドは、椅子の背もたれに寄りかかり、先の言葉を濁した。
発端は大河新次郎の連続の欠勤報告だ。それも極めて短く、事務的なもの。
きちんと連絡をしてくるのは実に彼らしいが、病気ではなさそうなのに欠席するというのが彼らしくない。おまけに自宅にはいないときている。行く先も不明だ。
それで皆に心当たりを聞いたところ、今回の豆腐騒動が発覚した訳である。
「そんな楽しそうな事にこのボクを誘ってくれないなんて、大河くんも冷たいなぁ」
露骨に嫌そうな表情を浮かべて小声でブツブツと嫌味を言う姿は、支配人としての威厳などカケラもない。
いくら「人生はエンターテイメント。楽しむものだ」を信条としていると判っていても、である。現にラチェットは険しい顔でわざとらしい咳払いをすると、
「でも、ジェミニに言われたからと言っても、それだけでそこまでトーフ作りに固執するものかしら」
もちろん故郷の物に関係する事だ。並々ならぬこだわりもあるかもしれない。それが原因でもあろうが、それだけでは絶対にないというのはさすがに見当がつく。
「昴は思う。ムキになるにも程がある、と」
昴の言葉が言葉よりトゲがないのは、サジータから聞いた「昴さんにも食べてもらいたい」という新次郎の言葉が原因だ。
自分の好物を作ってくれると聞いて喜ばない人間はおるまい。しかし作るのは料理も充分に精通していない新次郎なのである。期待より不安の方が遥かに大きい。
「……止めるべきだったかねぇ、坊やの事」
「いや。サジータが止めても彼は止めなかっただろう」
後悔を素直に出すサジータに、昴が言葉を返す。
「大丈夫かな、新次郎。ボクのせいなのに……」
「リカも、しんじろーにあやまってない」
ジェミニとリカもかなり落胆した様子である。特にジェミニは自分が発端という事を知らされてからいつもの元気がまったくない。
「ところで、そのトーフは、どのくらいの時間で完成するものなのですか?」
ダイアナが昴に訊ねる。大まかな時間が判れば、彼が戻ってくる時間の逆算ができるかもしれないからだ。しかし昴は、
「職人であれば大量に作るせいもある。大豆を潰すところから始めて四、五時間といったところだ。大量でないのならば、素人でもそこまではかかるまい」
それは裏を返すと数日かかっても完成していないという事でもある。おそらく手間取っているか失敗しているかのどちらかか、両方か。
いくら詳細なマニュアルを作ってもらったとはいえ、素人があっさり成功するとも思えない。
チャレンジ精神も結構だが、身の丈に合わせるべきだ。表面にこそ出していないが、昴の胸中はかなり苛立っている。
そんなピリピリした空気を破るように、サニーサイドのデスクの電話が鳴った。渋い顔のまま電話に出る。
『あの。ROMANDOの店主がお見えですけど』
「ああ判った。支配人室に案内して」
それだけ言うとガチャンと乱暴に受話器を置く。
「ちょっと。支配人室に案内してって、どういう事?」
ラチェットがサニーサイドに小声で抗議する。彼はいつも通りのひょうひょうとした調子で、
「ここは指令室じゃなくて『支配人室』。外部のお客さんが来ても不思議はないだろう?」
彼らが紐育華撃団である事、ここがその基地である事は国家レベルの極秘事項。どんな理由や事情でも、外部に漏らす訳にはいかないのだ。
だがROMANDO店主=加山雄一が華撃団関係者である事を知るのは、この中ではサニーサイドだけだ。ラチェットの警戒はもっともだ。
数分が経ち、支配人室のドアがノックされる。ドアを開けて入ってきたのはもちろん加山である。
「どうも。ご注文の品、特急便にてお届けに上がりました」
宅配業者よろしくさわやかな笑顔のまま、段ボール箱を抱えてトコトコと歩いてくる。サニーサイドは楽しそうな笑顔を浮かべてその荷物に向かってくる。
その荷物を応接セットのテーブルに置いた加山は、
「ご注文の土鍋セットです。産地や作者は無銘ですが、完成度の方は保証いたします」
段ボールを開けると、そこには日本人には見慣れた土鍋が鎮座していた。大きなサイズではあるが、これといって珍しい特徴がある物ではない。
サニーサイドは土鍋をひょいと持ち上げると、皆に見せびらかすように掲げながら、
「知っているかい? このドナベは熱の伝わり方が穏やかだから煮ながら食べるのに向いているんだ。それに保温性も高いから冷めにくい。これで豆腐の鍋を作ったら、さぞかし美味しい事だろうね」
しみじみと語る彼は、最後には愛おしい恋人のように、土鍋をそっと胸で抱きしめる。相手が土鍋でなければそれなりにロマンティックな光景になっただろう。
「確かに豆腐の鍋――湯豆腐は土鍋が一番向いている」
昴も日本人らしいうんちくを披露する。
「早く大河くんが豆腐を持ってきてくれないと、鍋が無駄になってしまうよ」
(それが理由でわざわざ大急ぎで買ったのか)
サニーサイド以外の皆の気持ちが一つになった。そんな視線など意に介した様子もなく、サニーサイドは加山に向かって、
「そうそう。その大河くんなんだけど、ここ数日欠勤なんだよ」
加山はROMANDO店主、華撃団関係者という肩書きの他に、新次郎の後見人という顔もある。もし新次郎に何かあったら、責任を取るのは加山だ。
「プライベートの過ごし方はそれぞれ自由だ。しかしそれが仕事に影響を及ぼすようじゃ、さすがに見て見ぬ振りをする訳にもいかない。納得のいく説明を、聞かせてもらえるかな」
さっきまでのノリの軽い雰囲気が一転。サニーサイドは真剣な目で加山を射抜くように見つめている。
そんな二人の間に割って入ったのはジェミニだった。
「ひょっとして、加山さんは新次郎の居場所をご存知なんじゃないですか!?」
彼女の訴えは真剣だった。目を見れば判る。だから加山は正直に答えた。
「ええ、知ってますよ」
「この紐育で、大河の知っている場所は限られる。彼が絡んでいるのなら、行き先もかなり絞る事ができるだろう」
加山の言葉に昴が口を出してくる。少しだけ考え事をするかのように目を閉じると、
「彼が知っている、誰の邪魔も入らず豆腐作りができる場所となると、自宅以外ではROMANDOしかない。そこに彼はいるだろう」
そう難易度が高くないとはいえ、答えを導き出した昴の分析力に驚く一同。それを聞いたジェミニは、
「判った、ROMANDOだね。ボク急いで……」
「やめなさい」
特に威圧感のない静かな物言いだったが、その加山の一言でジェミニは心臓を握り潰されたような圧力――恐怖感すら感じて足を止めてしまう。
「新次郎を止めちゃいけない。皆に怒られるのを承知で、俺は新次郎を好きにさせている」
「どうして!? 新次郎がどうしてそこまでムキになってトーフを作らなきゃならないの!?」
そんなジェミニの真剣な目に答えるように、加山の方も真摯に見つめ返しながら、一言こう言った。
「それは、彼が士官だからです」
意外な一言にきょとんとなる一同に、加山は堂々と発言する。
「軍人、それも士官というのは、どんな些細な理由ででも、相手に舐められたりバカにされたり、そういった事をされる訳にはいかないんです」
「確かに。上に立つ人間が下からバカにされちゃ示しがつかないしね」
元暴走族のリーダーだったからか、サジータがすぐ加山の言いたい事を理解したようだ。
「で、でもボク達、新次郎の事をバカになんてしてないよ?」
ジェミニが困ったように加山に訴える。加山はジェミニに向かって、
「でも『豆腐が作れないのか』とは言いましたよね」
加山としてはずいぶんと穏やかに言ったつもりだが、気にし続けているジェミニには痛烈な批判と同じよう胸をえぐられる思いだった。
「士官は、守るべき市民や指揮するべき部下から『お前にはできない』と言われたら、『自分はできる』事を証明して見せる。そうあるべしと教育されるんです」
「……という事は、大河くんはトーフが作れないのかって言われたから、作れる事を証明しようとしている訳ね?」
加山の言葉にラチェットが続ける。彼は首を倒して肯定すると、
「もっとも、明らかに畑違いの事だったら、いくら士官でもそこまでする必要はないんですけどね。あいつは変なところでバカ真面目すぎるからなぁ」
そう呟く加山も、その表情はちっとも困っていない。むしろ「しょうがない奴だ」と目で語っている。
自分も一応海軍士官の身分である。同じ事を言われたら、新次郎ほど愚直に実行には移さないだろうが、きっとやろうとはしたかもしれない。
「真面目なのも結構だけど、そこまでいくと不粋の極みだね」
加山の説明を聞いたサニーサイドは、さっき以上に渋い顔になっている。
「軍人というのは、色々不粋で非効率的な決まりごとに縛られるものでして。ご理解下されば幸いです」
まるで従順な執事のように軽く一礼する加山。
「ふぅん。軍人というのも楽な商売じゃないって事か。威張るのが仕事って訳じゃなさそうだ」
何か一人で納得したような風のサニーサイド。後半は実業家の彼らしい皮肉と言うべきだろうか。
「あ、あのぉ……」
加山の後ろにすすっと歩み寄ったジェミニが、小さな声で訊ねた。
「軍人は判るんですけど、さっきから出てきてる『シカン』って、何ですか?」
「そこから説明するんですか……」
乾いた笑いを浮かべる加山。他のメンバーも少々呆れ気味だ。
だが軍人と縁の薄い一般人なら、判らなくても仕方あるまい。新次郎とて自分が海軍士官だと主張して日々暮らしている訳ではないだろうし。
「士官というのは、簡単に言えば軍隊でも偉い人の総称ですね。新次郎は少尉なので、その中でも一番下ですが」
ちなみに士官とは日本の海軍の言い方で、これが陸軍であれば「将校」と呼ぶ事もつけ加える。
「あいつは兵学校を主席で出ましたからね。順調に出世していけば、帝国海軍を背負って立つような士官になるかもしれませんよ」
「へぇ。新次郎ってそんなに凄かったんだ」
加山の解説にジェミニとダイアナは素直に驚いている。リカは凄い事だけは判ったらしく、彼女達と同じ顔だ。
「順調に出世すれば、だろ? あんな調子でホントに大丈夫なのかね?」
サジータが実に現実的なツッコミを入れる。昴も無言でそれに同意した。
「軍隊に限らず、団体のリーダーになる人間というのは、大きく三つに分けられると思います」
加山はガラリと話題を変える。
「一つは自らが先頭に立って皆を引っぱって行くタイプ。もう一つはあの人がいるから自分達が動けるという心の支えになるタイプ。そして三つめはリーダーの成功のために、部下や周囲が自然に動いてしまうタイプ」
わざわざ指を一本ずつ立てながら、そう説明する。
「どのタイプのリーダーが一番優れているかというのを論じる事はできませんが、おそらく新次郎は三つ目のタイプなんじゃないか、と思うんですよ」
「その考え方は、一理あるわね」
黙って聞いていたラチェットが加山に同意する。
「ミスター加山も王さんもサジータも、別に大河くんに頼まれはしたけれど命令された訳じゃない。拒否はできた。なのに彼の頼みを進んで聞き入れている。部下や周囲が自然に動いてしまうタイプと言えなくもないわ」
加山は自分から豆腐作りに必要な道具と材料と場所を用意した。
王は作り方をまとめたばかりでなく、それをわざわざ彼の自宅に届けさせている。
サジータは事情や行き先すら判らない状態で「乗せてやるよ」と言っている。
ラチェットの分析は、確かに的を得ている。皆ふむふむとうなづいている。
「確かに政財界の実力者にはそういうタイプがいるわね。カリスマ性が高い、というべきかしら」
「カリスマ性というよりは、危なっかしい子供に手を差し伸べるって感じだけどねぇ」
サジータの仮借ない言葉に一同が苦笑いを浮かべる中、唯一昴のみが、
「カリスマというのは、普通の人間にはない、人を魅了する何かを持った人物の事を指す。大人子供は関係ない」
涼やかだが、どこかトゲのある言葉である。
「頼りないから……という意味ではなく、わたしは大河さんに何かしてあげたいという気持ちがあります。皆さんもそうではありませんか?」
昴とは対照的な、一本のトゲもないダイアナの言葉に、皆は黙り込んでしまう。
彼女の言う通り、新次郎にはつい手を差し伸べてしまいたくなってしまう。応援したくなってしまう。だがそれは頼りないからという部分もあるが、当然それだけではない。
もし新次郎が頼りないだけの人物だったら、自分達の隊長を任せる事などしていない。それだけは胸を張って断言できる。
頼りないだけの人物ではないが、なぜか手を貸してしまう。助けてしまう。応援してしまう。それがカリスマ――人を引きつけ魅了する「何か」なのだろうか。
そこで小さくノックの音がした。階下から連絡がなかったところを見ると、客ではないらしい。ドアを開けて入って来たのは、何と当の新次郎であった。
明らかに寝不足の充血した目。その下には濃い隈まで浮かんでいる。少々やつれ気味の頬。青白い肌。
指にはいくつも包帯や絆創膏を巻き、シャツも着替えをしていないのか、だいぶくたびれてよれている。
「みんなここにいるって聞いたから、こっちに持って来ました」
持っているのは木の蓋をした木製の桶だ。正確には「飯台(はんだい)」というのだが、それは日本人にしか判らない。
その小型の飯台を土鍋の入っていた段ボールの隣に置くと、申し合わせた訳でもないのに皆が彼の周りに集まってくる。
「ジェミニ。リカ。昴さん。できたての豆腐です」
寝不足の目ではあるが、自信を持って三人を見つめる新次郎。
何だろうと胸を弾ませているのが丸判りのジェミニとリカの顔を見て、新次郎が飯台の蓋を取る。そこに入っていた物は――
部屋の明かりを受けて静かに輝いている乳白色の物体だった。何かをかき集めて一まとめの塊にしたような感じである。
「これ……トーフ?」と首をかしげるジェミニ。
「やわらかくてぷるんだけど、まっしろでしかくじゃないぞ?」と頬を膨らませるリカ。
「プディングかヨーグルト……じゃなさそうだな」と少々警戒気味のサジータ。
「クリーム・チーズのようにも見えなくもありませんが」とメガネを直してまじまじと豆腐を見つめるダイアナ。
「でも、このほのかな香りはチーズやヨーグルトとも違うわ」ラチェットの鋭敏な感覚がほのかな大豆の香りを嗅ぎとる。
「大河くん。ボク達が日本を知らないからって、適当な事を言ってないだろうね?」あくまで疑ってかかるサニーサイド。
聞いていた物とあまりにかけ離れた「トーフ」の姿に、アメリカ人達の反応は様々だ。
「……なるほど。寄せ豆腐ときたか」
飯台を覗き込んだ加山が、納得したようにうなづいている。
「要は型に入れず、自然に固まった部分だけを取り出した物だ。湯豆腐向きではないが、これはこれで味がある」
どことなく感心しているようにも聞こえる昴の解説。
型にはめた方が簡単だとか、はめない方が簡単だとか一概には語れないのだが、豆腐を作るとなれば、ほとんどの人間が型にはめた木綿豆腐や絹ごし豆腐を作るだろう。
そこをあえて型にはめて作らない寄せ豆腐を作ってきた新次郎に、何か感ずるところがあったからかもしれない。
「こんな豆腐をよく知っていたね」
「教えて戴いた豆腐の作り方の中にあったんです。中国では豆腐脳とか豆腐花と書くみたいです。正しい読み方までは判りませんけど」
その正直な説明に一言言いたくなった昴だが、それでもこうして文献を参考にしただけで作り上げる事ができた事は、素直に評価するべきだと思って、何も言わなかった。
日本人である二人の言葉に、ようやく「これもトーフか」と納得したようなアメリカ勢。
「豆腐はできたてが一番だ。早速戴こう」
昴は懐から細長い箱を取り出すと、そこから二本の棒――箸を取り出す。他のメンバーは添えてある小さなスプーンで、各々塊をすくって、どこかおそるおそる口に運んだ。
「これ……味があるのか?」と不思議そうな顔をするサジータ。
「甘くないぞ、しんじろー」期待外れのように口を尖らせるリカ。
「でも、確かにお豆の味がします」目を閉じて静かに感想を述べるダイアナ。
「これが水と豆だけでできてるなんて、信じられないよ」照れくさそうな笑顔で新次郎を見つめるジェミニ。
「ゼリーともプディングとも違う、ふわふわした面白い感触ね」実直な感想を短く口にするラチェット。
「確かに。これはこれで実に味がある。ショーユはないのかい?」サニーサイドが小さくうなづいている。
「ここまで濃密な味だと、醤油はむしろ野暮だ。このままでいい」崩れそうな豆腐を器用に箸でつまんで口に運ぶ昴。
賛否が分かれてはいるものの、それなりの好評ぶりに新次郎も安堵する。
「大河くん。このまま豆腐屋を開いたらどうだい?」
「えっ。そうしたらボク、毎日買いに行くよ!」
「それは勘弁して下さい!」
サニーサイドのジョークと、それを真に受けたジェミニ。そんな二人に真面目に言い返す新次郎の様子に皆が笑顔になる。
「そもそも豆腐は高タンパク低カロリーで、身体にもいいんですよ。日本では、大豆は畑の肉と云われてますからね」
加山の「肉」の言葉に、菜食主義のダイアナが目を見開いて驚き、慌てて吐き出そうとするのを見て、
「そのくらいたんぱく質が豊富だという比喩です。本当に肉を使ってる訳ではありません」
慌ててフォローする加山の様子があまりにおかしく、一同大笑いになる。
その大笑いする中、昴がこっそりと部屋を出て行くのが見えた。気になった新次郎が急いで追いかける。
「昴さん」
「……感想を聞きたいのかい?」
相手の心を読んだかのようなタイミング。とはいうものの、これは誰でも見当がつくだろう。
「正直に言えば、まだまだだ」
言われた新次郎の顔は「やっぱりな」と沈んだものだが、言われる事を予想していたのか、あまり傷ついている様子はない。
「しかし、また食べてみたいとも思った。それはお世辞でもうそ偽りでもない」
昴の浮かべる小さな笑み。どことなく照れくさそうに見えるのは気のせいか。
「相手が半可通であれば、いくらでも辛辣な意見を言う事はできる」
昴はいつの間にか持っていた扇子で、新次郎の青白い顔、包帯や絆創膏だらけの指を指す。
「しかし、料理にも精通していない人間が、そこまで不器用さをさらけ出して作った物にそんな事を言ったら、僕はただの悪者になってしまう」
「はあ……」
昴の言う事、言いたい事がいまいち理解できず、そんな気の抜けた返事をする新次郎。そんな彼を見た昴は何かを思いついたように、
「あの豆腐を作った時のキラズ……いや、おからは、まだ取ってあるだろうね?」
豆腐を作る段階で豆乳を搾った時の残りをおからと言う。関西では雪花菜(キラズ)と呼ぶ人もいる。
「はい。まだありますけど……」
その答えを聞いた昴は扇子をしまい、彼に背を向けると、
「これから僕の部屋に持って来て欲しい。美味しい豆腐を作ったおからでなければできない、おから料理を教えよう」
おからとはいわば搾りかすではあるが、栄養価も高いし食物繊維も豊富。そのまま食べたり他の料理の食材に使ったりする。
「昴さんは、料理できるんですか?」
何でもこなす天才と聞いてはいるが、それでも新次郎はつい訊ねてしまった。
「少なくとも、今の大河よりは、ね」
「頼むよ」と短く言い残し、昴は去っていく。新次郎はその様子をぽかんと眺めて見送っていた。
「どうやら、直ったみたいね」
いつの間にか後ろに立っていたラチェットが、そう言って新次郎の肩をそっと叩く。
「何が直ったんですか?」
「判らないの?」
いきなり声をかけられて驚く新次郎が、上ずった声で訊ねた声にかぶせるように彼女はそう言うと、どこか意地悪そうな笑みを浮かべ、
「じっくり考えなさい、大河隊長」
ラチェットは彼の頭を愛おしそうにポンポンと叩くと、颯爽と歩き去って行った。

<底抜け豆腐屋小僧 終わり>


あとがき

昴さんの話にしようと思ったら、結局「新ちゃん頑張ったね♪」な話になりました。
遠い異国にて故郷に思いを馳せる……という訳ではないのですが、豆腐が話の総てであります。まぁゲーム中にも何度か登場してますし。しっかりと。
ゲームやってると忘れそうになるんですが、彼は立派な帝国海軍少尉。その意地というかプライドというか。まぁそんなもん実生活じゃ何の役にも立たないんですが、それを立たせにゃならんのが軍人さんの辛い所でもあります。
士官の教育に関しては……詳しい方、ツッコミ入れないで下さいね。

今回のタイトルは「底抜け便利屋小僧」という、1962年のアメリカのコメディ映画から取りました。
ハリウッドの映画撮影所で働く主人公モーティは、ある日社長から呼び出しを受ける。従業員の能率向上に頭を悩ませていた社長は、彼に従業員の監視を命じる。ところがモーティは次から次にとんでもないヘマばかりやらかしてしまい……という感じです。
つけ加えるまでもありませんが、この話との因果関係はございません。

なお。実際大豆を漬ける所から豆腐作りを始めたら、正直「二度とやりたくない」と思う程ヘトヘトになる事必至。そのくらい大変です。
ちゃんとうまくいけばこれほど美味しいものはない事もつけ加えておきますが。その大まかな手順はこちらのおまけから。

文頭へ 戻る メニューへ
inserted by FC2 system