『最強のリベンジャー 中編』
「と、ともかく今度の日曜でしょ? いいわよ。そっちの方が最優先だし」
落ちて床にくずおれた宗介を介抱するかなめ。照れとはいえ自分が原因なのだから仕方ない。
(……にしても、こういう状況で『千鳥と映画を観に行く約束をしている』なんてよく言えるわね)
そんな事を言われたら、まるで自分達がつき合っているみたいに思われてしまう。断じて恋人同士などという甘ったるい関係ではないのに。
が、そういった約束を急にキャンセルされると「キャンセルされた」事以外の怒りもこみ上げてくるのは事実だったりするから、世の中ややこしい。
そんな二人を一瞥した林水は、一成に向かって、
「では、これが最後だ。この書類に必要事項を記入して、職員室に届けを出しておくように」
彼が取り出したのは、校内施設の利用許可を求める書類だ。一成はポケットから分厚い眼鏡を取り出してかけ、書類を受け取る。
「判った。今すぐ書いてやる」
林水からボールペンを受け取ると、一成はその場に書類を置き、上からきちんとした字で空欄を埋めていく。
書類に書きこんでいた一成の手が、ある一点でピタリと止まった。
「会長さんよ。これはどういう事だ?」
彼が指差した箇所は、顧問教諭の署名捺印欄だ。林水は何気ない仕草でのぞきこむと、
「読んで字のごとくだよ、椿くん。万一に備えて未成年者ではない責任者。つまり顧問かそれに準ずる者の承諾がなければならない決まりなのだが」
激昂しかける一成に、静かに説明する林水。
「そんなもの……いないぞ」
一成はボールペンを持った姿勢のまま、今さら思い出したように愕然としていた。
同好会と部の大きな差はそこである。同好会は顧問がいなくても作る事は可能なのだ。もちろん中には顧問のいる同好会もあるのだが、さすがにそれは少数だ。
林水は、急に自信なさげに表情が凍りつく一成に追い討ちをかけるように、
「いなければ校内の施設を使う事はできない。しかし『試合』をする以上部室の中ではできんだろう。それに下手に暴れられて部室を壊されても困る」
「ちょっと待て。そんな事どこにも書いてなかったぞ!」
一成は手に持ったままの生徒手帳のページを急いでめくっていく。
「当然だ。生徒手帳に書かれている校則が総てではない。生徒手帳に総ての校則を載せたらポケット広辞苑のようになってしまう。生徒手帳の方には、生徒に関係したものが大まかにしか書かれていないのだ」
そこで林水は席を立った。
「それに、その書類は施設使用日三日前の夕方五時までに職員室に提出する決まりだ。施設を使うのは今度の日曜。そして今日は木曜日。期限がいつかは自ずと判ろう」
つまり、今日の夕方五時までにこの書類を提出しなければならないという事だ。そして、その期日の事は書類の一番下に書かれてあった。
「その日を外すと、あと二ケ月は待たねばならんよ。これからしばらく、本校生徒の保護者や地域住民を対象とした公開講座で、どこかの教室や施設が使われるのでね」
公開講座とは、付近住民との交流をという事で始められた、いわば一般向けの課外授業のようなものだ。
ちなみに今度開かれる公開講座は、柔道部の顧問が主催する「痴漢対策の護身術」だそうだ。
「君も他の邪魔が入る事は望んでいないだろうし、こちらとしても他団体とのトラブルは避けてもらいたい」
もし他の部屋の利用者に迷惑をかける事があれば、今後の部活動における施設利用すら厳しい制限がかかるかもしれない。それを言っているのだ。
「それは判った。だが何故それをオレがやらなければならない?」
「これは空手同好会が相良くんに試合を申しこむ形式。つまり君達が主催だ。場所の準備はそちらの仕事ではないのかね?」
林水に言われ、一成は言葉に詰まる。
「さあ、どうする」と挑発するような林水の態度。実際彼にそんなつもりはないが、一成にはそう感じられた。
「……判った」
しばし黙っていた一成だが、ぽつりと短く言った。
「夕方までに顧問の先生を見つけて、必ずこの試合を現実のものにしてみせるからな!」
一成は書類を握りしめ、生徒会室を走り出て行った。
「……センパイ。やっぱり普通に勝負なんてさせる気なかったでしょ?」
宗介の介抱の手を休め、じろりと彼を睨みつけるかなめ。林水は悠々と「平和」と書かれた扇子を広げると、
「そんな事はない。チャンスとは与えられるものではない。自らの力で見つけ、それを掴むものだよ。私はただテコ入れをしたにすぎん。チャンスを生かせるか否かは彼次第だ」
そう言って、書類整理に戻る林水。
「そんな事言っても……五時まであと三〇分もないですよ? 顧問の先生が、そんな簡単に見つかる訳ないじゃないですか」
かなめは「結局また先輩の屁理屈勝ちか」と、空しくため息をついた。


一成は職員室に駆けこむなり「空手同好会の顧問になってくれる人はいないか!?」と叫んだ。
しかしこの学校にはすでに「空手部」が存在し、一成はそのやり方に反発する形で空手同好会を設立させた。
そんな経緯のある同好会の顧問になりたがる教師などいる訳がない。職員室にいた数少ない先生は苦笑いしてやんわりと断わるだけだ。
だが今度ばかりは一成も必死だ。五時までに顧問を決めなければ宗介との「きちんとした」再戦が流れてしまう。もちろん二ケ月先にするなど論外だからだ。
人を小馬鹿にした態度のあの男に目にもの見せる。それができれば、自分はどうなろうと構いはしない。それだけの覚悟はとうの昔に決めている。
そういった気持ちが発する、よく判らない迫力と緊迫感。それらを全身からこれでもかとほとばしらせて、学校中の教員という教員に片っ端から声をかけていく。
元々頼み事や交渉事を大の苦手としている一成。それでも不器用に呼び止め、しどろもどろに話しかけ、懸命に頭を下げていく。
しかし、そんな真剣な態度も空回りするばかり。時間ばかりが過ぎていく。
ほとんどの教職員に「意気ごみは買うけど……」と難色を示して断わられた一成は、かなり焦燥した様子で昇降口の段にペタリと座りこんでいた。
学校内にいる、知る限りの教職員に断わられたのだ。落ちこむのも無理はない。時計を見ると、タイムリミットの午後五時まであと五分を切っていた。
(ダメなのか……)
自分が考えている「こうしたい」という強い気持ちと、それが叶わない現実とのギャップ。
自分一人だけがバカを見たような、みじめな気持ちだ。空しさすらこみ上げてくる。
このままでは再戦が流れてしまう。
そして再戦が流れれば……あの男は千鳥かなめとデートに行くに決まっている。
二人きりではないと言っていたが、二組のカップルが一緒にデートする「ダブルデート」なるものがある事くらいは、恋愛に興味のない彼でも聞き知っているのだ。
このままでは、あの男は「残念だったな」と慰める気持ちなどカケラもない言葉を残し、心の中で自分をせせら笑い、むっつりした顔で彼女とデートを楽しむに違いない。
別に二人がデートをする事を止める気はないし、横恋慕しているつもりなどさらにない。自分はそんな醜い男ではないのだ。
あくまでも相良宗介との再勝負を望んでいるのであって、二人がデートするのを邪魔したい訳ではない。断じて。
ただ、自分がこんなにも汗水流して辛く苦しい目に遭っているというのに、やつだけがのほほんとしている。
そんな事が許せるか。否。
そんな事を許していいのか。否!
そんな事は許してはならない。応!!
正々堂々の真っ向勝負で相良に打ち勝ち「椿一成ここにあり」と示したい。それだけでいいのだ。
いや。示してみせる!
そう。示さねばならない!
決して二ケ月先になどさせん!
疲れ切った身体に、わずかな活力が沸き上がる。
しかし、いくら活力があろうとも、肝心の時間の方はどうにもならない。いくら一成が厳しい修行を積んでも、時間が相手ではどうにもならない。
そこに通りがかった人物が一人いた。
すだれのようなバーコード頭。日に焼けた顔に無精髭。色褪せてよれよれになったジャージを着こんだ中年男性だ。
「どうしたね。確か……椿くんだったね」
この学校の住みこみの用務員・大貫善治だ。彼は掃除中だったらしく、使いこまれてあちこち修繕の跡がある竹箒を片手にやってくる。
「お、大貫さん!?」
一成は声をかけてきた彼を見て、ぎょっとした顔でその場でぽかんとしている。
以前、ケガをさせてしまった用務員とは彼の事だ。勝負がうやむやに終わって以来、彼と顔を合わせるのは極力避けていたのだ。
「もうすぐ下校時刻だよ。部活でないのなら、早く帰りなさい」
大貫氏はあくまで優しい口調で穏やかに語りかけた。
「い、いや。帰る訳にはいかないんだ。だが……」
一成が口ごもると、大貫は年の功か彼の胸中を素早く見抜き、
「何か……困り事かね?」
見事に適中したそのセリフに一成が言葉を失っていると、
「若いうちは誰しも悩みを抱えているものだ。君の力にはなれんかもしれないが、誰かに話す事で楽になる事はある。こんなおじさんでよかったら、話してみないかね?」
人生の酸いも甘いも噛み分けた中年だからこそ出る、頼れる大人のオーラ、とでも言おうか。そんなオーラを漂わせ、大貫は一成の隣に腰かけた。
大貫はあえて一成と視線を外している。こういう時は、相手が自分から話しかけるのを待った方がいいのだ。
一成は残り時間の少なさに躊躇したが、総ての教職員に断わられた事で思い直した。
(……これだけやってダメだったんだ。仕方ない)
何かを悟ったようなため息を一つつくと、静かに口を開いた。
「実は、あんたも知ってる相良宗介ってやつと、真っ向から戦いたくてな」
「戦う?」
「ああ。色々あってな……」
自分の胸中を相手に語って聞かせる技能など持っていない一成は、そこで口をつぐんでしまった。元々口下手なのだから仕方ないだろう。
「事情は判らんが、戦うというのは穏やかじゃないな。君と相良くんの仲が悪い事は知っているが……争いごとは何も生み出さんよ」
大貫はあえて無表情を装い、少しとぼけた口調で言った。こういう時に「それはいかん!」と頭から叱りつけると必ず相手はへそを曲げてしまう。特にこういった若者ならば。
用務員生活二五年は伊達ではないのだ。それでも一成は少し腹を立てた様子で、
「戦うといってもケンカじゃない。いわば異種格闘の試合だ」
「試合?」
大貫氏はあえて聞き手に回っている。自分が聞き手に終始し、相手が言葉と共に不平不満を吐き出すようにし、気持ちを楽にさせる。自然に身につけた会話のテクニックだ。
「ああ。オレはこう見えても空手同好会の部長だ。実戦を想定した総合格闘術。それがオレの目指しているものだ」
腹を立てそうになった事を少し恥じ、大貫と視線をずらしてぶっきらぼうに告げた。
「総合格闘……。ほぉ。今流行っているらしいね。『けえわん』とかいうやつかね?」
「少し違うが……似たようなものかもしれない」
素直に感心する大貫の顔を見て、一成は少し照れくさそうに言葉を濁した。
「空手か……。武道に励む若者はいいもんだ」
以前、自分に見事な一撃を繰り出してケガを負わせたのは彼だった。のちに極度の近眼と聞いたから、きっとあの時は目標を見誤ったのだろう。
だが、この小柄な身体であれだけの威力を出したのだ。それは日々たゆまぬ修行を積んでいる証だ。
「努力をしない」だの「飽きっぽい」だのとマスコミに評価される「今時の若者」。それにしては、努力と忍耐を知っている、骨のある若者ではないか。
大貫は空を見上げ、懐かしそうに目を細めた。
「わたしも中学時代剣道を少しやっていたんだよ。まあ……てんで弱かったけどねぇ」
苦笑いを浮かべた大貫は、竹刀を持つ真似をして軽く正眼に構えてみたりする。
「それで、試合と言っていたが……」
「ああ。さすがに部室でやる訳にはいかないから、今度の日曜にどこか別の部屋の使用許可を貰いたかったんだが、顧問の承諾がいるって生徒会長のやつが言うもんでな」
そこで言葉を切ると、悔しそうに拳をきつく握りしめ、
「オレ達は同好会だから顧問がいねえ。だから顧問になってくれる先生を探していたんだが、ダメだった」
総ての望みが絶たれた。そんな絶望感を漂わせ、一成はガックリとうなだれた。
「そうだったのか。わたしは用務員だから顧問になってやる事はできんが……」
大貫はうなだれている一成の肩をそっと叩いた。
自分の中にある溢れんばかりの力。腕力だけではない。元気とかバイタリティという言葉と置き換えてもいい。
そのエネルギーがいつも外に向かって吹き出してしまう。それが周囲の人間から見れば、乱暴に見えたり無神経と受け取られたりするだけなのだ。
彼も。そして相良宗介という生徒もそうだ。決して悪い人間ではないのだ。大貫も、過去そうした生徒達と幾度も接してきたからこそ判る。
苦難に遭遇し、悩み苦しむ。人間誰しもそうだが、若者はそれが顕著だ。
それを支えて少しでも助けになる。それが大人の自分の役目ではないだろうか。
うなだれたままの一成を見ていた大貫は、真剣に「何とかしてやれないものだろうか」と考えていた。


次の日の金曜日。宗介とかなめが生徒会室にやってくると、そこには蓮の姿があった。
「あれ、お蓮さん一人? センパイは?」
宿題らしきプリントをやっていた彼女はその手を止め、かなめに折り目正しく会釈して返す。
「はい。先輩は用務員の大貫さんに呼ばれて、校長室へ行っています」
「大貫さん? 何の用なんだろ?」
「判らん。きっと我々の考えなど及びもつかない、重要な用件なのだろう」
かなめと宗介が少し考えこむ。それからかなめは蓮に向かって、
「……ところで、イッセーくんの方はどうだったの? お蓮さん、何か聞いてない?」
「はい。残念ですが、書類の届け出はなかったそうです」
これまた静かに答えた。
「チャンスを活かせなかった、といったところだろう」
一人の戦士が赴いた戦いの果てに命を落とした。そんなイメージで宗介が黙祷を捧げる。
「あ、そう……」
かなめの胸中に、一成の努力が実らなかった憐れむ気持ちと、前から約束していた予定がキャンセルにならなかった喜びとが入り交じる。
「よかったですね、かなめさん。日曜日に相良さんと映画を観に行けますよ」
「いや。だからそういうんじゃないってば」
おっとりとした蓮の微笑みに苦笑いするかなめ。いくら言っても通じない苛立ちもあるが、これ以上言うのは無駄だという諦めの気持ちもかなりある。
「まぁ……仕方ないよね、残念だけど」
決まりは決まりなのだ。これも運命。無慈悲に聞こえるが仕方のない事だ。
「けど、熱心っていうか執念深いっていうか。いくら自分が空手だか拳法だかやってるからって、あそこまでこだわるかなぁ?」
かなめが蓮の向かい側のパイプ椅子にドカッと腰かけ、背もたれを軋ませる。
「きっと、負けず嫌いなのでしょうね」
「そうなのかもねー」
蓮とかなめの二人が呟く。「女には判らない男の世界ってやつかな?」などと軽口を叩いていると、入口が開いて林水が入ってきた。彼は宗介を見るなり、
「ちょうどいい。これから君を呼び出そうとしていたのだよ、相良くん」
「はっ。ご用は何でしょうか、会長閣下」
宗介がその場で背を伸ばす。
「お入り下さい」
林水が廊下に向かって声をかける。誰が来たのだろうと思って一同がそちらを向くと、入ってきたのは用務員の大貫と、一成だった。
「失礼するよ」
「邪魔するぜ」
少々遠慮がちに入る大貫と、ズカズカと足を踏み入れる一成。ちなみに一成は眼鏡装着済だ。
大貫善治と椿一成。思っても見なかった組合せ。驚いたかなめが、
「イッセーくん。一体どうしたの?」
「判らん。いきなりこの二人に『生徒会室に来い』って呼び止められてな」
昨日見つからなかった事が堪えているのだろう。少し顔色も悪く元気がない。
林水は静かに眼鏡のブリッジを上げると、
「昨日の一件だよ。相良くんと椿くんの『試合』のね」
「え? でもそれって、確か書類が出てないって……」
「ああ。わたしが説明しよう」
言いかけたかなめを大貫が手で征する。一同の注目が集まるのを待って、ゆっくりとした抑揚をつけて語り出した。
「だいたいの事情は、さっき聞いたよ。経緯についてはわたしも詳しくは判らないし、問い正す気もない。けれど、いつまでもいがみ合っているというのはどうだろう。確かに腕ずくではなく話し合いで平和的に事をおさめるのが一番いい。武術とはいえ、一歩間違えば暴力なのは間違いない」
今までにも何度かこういう事があったのだろうか。ずいぶんと手慣れた様子で説得力たっぷりに話している。
「しかし、わたしも綺麗事だけを言うつもりはないし、世の中そううまくいくとは限らない。会話や文章で自分の気持ちを伝えられない、不器用な人間もいる。それに、事の発端が試合というのであれば、試合で決着をつけるというのは、あながち間違いではないと、わたしは思うのだが……」
少し言葉を濁し、大貫は自信なさそうに林水を見る。
「彼がこうした解決法を望んでいないのは判る。きちんとした手続きを取らねばならない事も、よ〜く判っている。だが、それでも何とかならないものかと、彼を通じて校長に掛け合ってみたのだよ」
まるで金○先生を彷佛とさせる、切々とした訴えだったのだろう。その場面が思い浮かぶようだ。
「用務員のわたしでは顧問になれない事は重々判っている。しかし、二人の勝負を見届けるくらいの事はできるつもりだ。過去こうした事を通じて仲よくなった生徒達を、わたしは何人も見てきている。彼らもきっと仲よくなれる筈だ、とね」
太陽が沈むまで拳を握り殴り合い、傷だらけのままでお互いを認めあう。そして芽生える固い友情。まるで大昔の青春ドラマのワン・シーンが、大貫の頭の中で再現されていた。
年を経た者の言葉だからか。無骨な言葉だが、下手をすれば屁理屈王の林水より説得力に溢れているかもしれない。
「……そこで、グラウンドであれば構わないだろうと、校長の許可は出た。あとは二人の了承次第なのだよ」
林水の言葉を聞いた一成の顔に思わず笑みがこぼれる。元気がなかった一成の顔に一縷の望みを見い出した明るさが見える。
天は我を見捨てなかった。場面が場面でなかったら男泣きしているシーンであろう。
「私としては暴力で解決する事は好まんのだが。校長の許可がある上に、大貫氏にまでここまで言われてはね」
彼は静かにそう告げた。一成は得意げに胸を張ると、
「どうやら運命はオレに味方したようだな。ここまでお膳立てされて逃げるなよ、相良!」
一成はビシッと宗介を指差した。眼鏡をかけていたため、今回は間違える事はなかった。
「は? じゃあ結局試合やるの!?」
傍観していたかなめが、今頃になって間の抜けた声を出してぽかんとしている。
だが宗介はぽかんとしたままのかなめに向かって、
「……千鳥。怒ってはいないのか?」
いきなり自分に問いかけてきた宗介を不思議に思ったが、
「は? 別に怒ってなんかないわよ。何よ急に」
かなめはため息を漏らしたまま、首を隣に立つ彼の方に向ける。
「昨日、試合になると言った時にはあれだけ怒っていただろう。日曜日の映画の予定がキャン――」
「キャンセルになる」と言いかけた宗介のみぞおちに素早く肘を入れ、彼の口を封じるかなめ。
「千鳥くん。映画が、何なんだね?」
昨日の事情を知らぬ大貫が訊ねる。説明しようとする蓮の言葉を遮ろうと、わざと大声を出して、
「え〜。何でもありませんよ〜! 気のせいじゃないんですか〜?」
「千鳥。映画に行けないのが、そこまで怒る――」
「ことなのか」と言いかけた宗介のみぞおちに、再びかなめの肘がめりこんだ。
そして間髪入れずに宗介の頭を鷲掴みにして押さえつけ、そのまま頭をごんごんと叩く。それも何度も。
「ま、待て千鳥。怒ってないと言ったではないか。これは怒っているとは言わないのか?」
「えーい、うるさいっ! しばらく黙ってなさい、あんたは!!」
しきりに逃れようともがく宗介の額を狙って膝を繰り出す。だが、もがいていたせいで狙いがずれ、かなめの膝が宗介の顔面にクリーン・ヒット。
「あ」
一同が唖然とし、かなめの表情が凍りつく中、宗介は再び落ちていった。

<後編につづく>


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