『最強のリベンジャー 前編』

人影もまばらな放課後の図書室。
グラウンドで練習中の運動部のかけ声や、ブラスバンド部の楽器の音が微かに聞こえるくらいの、そんな静けさ。
本棚から適当な本を出して読みふける者。百科事典を広げて宿題のレポートを仕上げる者。単に机に突っ伏して眠りこけている者。図書室内での過ごし方は様々である。
その中で、小さな冊子を真剣な眼差しで読みふける者が一人いた。
いや。その真剣な眼差しは、彼がかけている黒縁の分厚いメガネに阻まれて見えはしないのだが。そのレンズの分厚さから察するに、彼はかなり視力が悪いらしい。
どことなく「ガリ勉くん」のような雰囲気だが、その色白で小柄な身体に貧弱なイメージは全くない。スポーツ、それも格闘技系統の何かで鍛えられているようだった。
長い髪をひっつめにして後ろでまとめ、さらにバンダナまで巻いている彼は、椿一成といった。
一成は先ほどから読みふけっている小冊子――生徒手帳の細かい字を一文字も見逃さぬ鋭い目で追っていた。
(待っていろ、相良宗介!)
口を真一文字に結び、胸のうちで宿敵の名を叫ぶ。
彼は空手同好会の部長を務めている。同好会といっても個人個人で「好き勝手に」格闘技術を磨くもの。「同好会」という小さな組織でなければ、単なる荒っぽい連中である。
(相良め。戦場育ちだか何だか知らんが、あんな卑怯で、卑劣で、非常識で、不粋で、人を小馬鹿にした奴に不覚をとるとは……)
その相良宗介という生徒とひょんな事から戦い、不覚をとってから彼の人生は一転してしまった。
小柄な体格。悪い視力。格闘を志す者であればマイナス要因にしかならないそれらの要素・様々なハンディキャップを、空手の腕を磨く事でことごとく克服してきたのだ。
彼と戦い、それに勝利する。
それは、ひたむきに強さのみを追い求めてきた彼が、何としてでも乗り越えなければならない「壁」と言っていい。
ところが再戦を望んでも、うまくいった試しがない。
まず相手はまともに勝負しようとすらしない。もしくは必ず邪魔が入って勝負自体がうやむやになってしまう。
ありとあらゆるものが総動員して、自分と相良との勝負の決着を阻止しようとしているかのごとく。
しかし、自分はそういった「何か」すらも克服してみせる。こういった苦境すらバネにして、一回り大きい人間になってみせる。
そうした熱い決意と闘志を胸に、ただひたすらに小さな文字を追っていく。
彼が延々と見続けているのは、生徒手帳の中に書かれている校則の欄だった。
「陣代高校生としての心得」から「指定制服の諸注意」に至るまで、ずらずらと書かれている。こんな事情でもなければ、自身もここまで熟読しようとは思わなかっただろう。
せいぜい定期券を買う時くらいにしか使っていなかったのだから無理もない。何せ、生徒手帳にこうした事が書かれている事すら知らなかったのだから。
それはともかく、とある一点で文字を追っていた視線がピタリと止まり、思わず手帳相手に詰め寄る。
ほとんど眼前になるまで詰め寄ったまま、そこに書かれている文句を一文字一文字入念にチェックし、何度もぶつぶつと反芻する。
(これだ。これならいける。誰の邪魔も入らず一対一の勝負ができる……)
何故こんな簡単な方法が思いつかなかったのか、と自分自身を笑いたくなった。だが図書室内という事もあって声を賢明に堪える。
だが静まった図書室に小さく響く忍び笑いは、数少ない利用者を不審がらせるには充分すぎたのだが。


その相良宗介は、生徒会室で人間相手ではなくキーボードと格闘していた。
安全保障問題担当・生徒会長補佐官という、よく判らない役職を与えられている宗介であるが、事務職のような机仕事と無縁ではないから、彼がノートパソコンを使っていてもおかしくはない。
そんな様子を、生徒会室備え付けのテレビを見ていた、生徒会副会長の千鳥かなめがちらりと見て、
「ソースケ。あんたさっきからナニやってるの?」
よほど画面に集中しているのだろう。かなめの問いに答えず、いつも通りのむっつりした表情のまま賢明にキーを叩き続けている。ざんばらの前髪のせいで、その表情はよく見えないが。
気になったかなめは何となく足音を立てないように彼の後ろに回りこみ、そっと画面をのぞきこんだ。
画面の中では筋肉ムキムキのごつい男とミニのチャイナ服を着た小柄な美少女とが、どこか寂れた街を背景に向かい合って身構えていた。
二人の足元に短い文とアルファベットがずらりと並び、キーを叩く音と連動してアルファベットが画面から消え、それと共に美少女が鋭く動いて相手を叩きのめし、とどめに派手なエフェクトと共にビーム兵器のような気を放って、相手をノック・アウトした。
画面が切り替わってスコアらしきものがぱらぱらと表示された時、彼はようやく振り向いた。
「佐々木に勧められたゲーム・ソフトでな。キーボードのタッチ・タイプを覚えるのにいいと言われた」
佐々木というのは、同じ生徒会の備品係だ。たまにこういった怪しげな代物を宗介に勧めてくるのだ。
「タッチ・タイプ……ああ。キーボードを見ないで素早く叩くってアレ?」
以前は「ブラインド・タッチ」と言っていたが、ブラインド(盲目)という言葉はどうかという配慮から、最近では「タッチ・タイプ」という言い方が定着している。
かなめも一応パソコンを持っているし使ってはいるが、使用頻度が低い上にほとんどマウスばかり。キーを叩く時は、キーボードを凝視してぎこちなくぽちぽちやるのが精一杯だ。
「けどさ。あんた結構慣れた手つきでカチャカチャやってるじゃない。なのに何で?」
「俺のはあくまでも自己流だ。正しい方法を学んでおいて、悪い事はない」
「まぁ、そりゃそうだけどさ」
次のステージが始まったらしく、彼は再び画面を見たままキーボードを叩き続けた。
かなめは何となくその様子を後ろから見ていた。タッチ・タイプの問題であろう問題文を、何となく眺める。
『認めたくないものだな。若さゆえの過ちというものは』
『わが生涯に一辺の悔いなし!!』
『月に代わっておしおきよ!』
『逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ』
(……こんな文。普通使うかな?)
かなめはどことなく脱力感を感じた。しかし、そんなゲームにでもひたむきに取り組む彼の後ろ姿を見て安心感を覚え、頬が緩む。
(まぁ、こうしてれば何も起きっこないか)
小さい頃から戦場で育ち、平和な日本の常識が根本的に欠如している戦争ボケの帰国子女、相良宗介。
何から何まで戦場での尺度で行動するので、毎日がトラブルと騒動の――ついでに銃撃音と爆音の――絶えない、ある意味で危険な人物だ。
そこでふと、宗介とは別のベクトルで「危険な人物」の事が思い浮かんだ。
「そういえば、イッセーくん最近見ないね」
テレビを見に戻ったかなめが、ぽつりと漏らした。
何でも彼は「大導脈流」とかいう空手だか拳法だかの使い手で、その実力はかなめも目の当たりにしている。
戦場育ちの彼と比べても、戦闘力に関しては全くひけをとらない。銃を使うか素手で戦うかの差があるくらいだ。
「確かに。最近は果たし状とやらも送られてこない」
今度は若干間が空いたものの、キーを叩きながらちゃんと返事をよこした。
少し前まではしつこいくらいに「勝負だ、相良!」と休み時間のたびに怒鳴りこんできたり、靴箱の中や机の上に「果たし状」を置いていったりしていた。
だが、この頃それがぱたりと止んだのだ。しかしあの執着心を考えると、再戦を諦めたとも思えないのだが。
「もしかして、山に籠って修行でもしてるのかな?」
滝に打たれ、山道を駆け、大木に向かって突きや蹴りを繰り出す。いわゆる「格闘家」の修行といえば、やっぱりこうだろうなーと思い浮かべるかなめ。
「その可能性はない。学校には来ている。授業を欠席したり早退している形跡は全くない」
そう答える宗介の顔が一瞬だけ凍りつき、キーを叩く音が止んだ。きっとゲームオーバーになったのだろう。
「それじゃあ夜にどこかで特訓したりとか……」
「判らん。だが夜間の任務ならいざ知らず、不必要に夜中まで起きているのは健康上よくない。睡眠不足は翌日の行動にも差しつかえる。全くの無意味だな」
相変わらず淡々とした物言いにかなめがため息をつく。宗介はノートパソコンの電源を切ると、
「確かにこのところ何もしかけてはきていない。だからといって警戒を緩めているつもりはないぞ」
「そ、そうなの?」
見たところ普段と全く変わりばえのしない彼の姿を上から下までなめるように見つめる。
「たとえ物陰から不意打ちをしかけてきたとしても、すぐさま応戦できるようでなければプロとは言えん」
「ほー」
かなめは素直に感心した。
実は、彼はこれでも極秘の傭兵部隊に身を置く現役の傭兵なのだ(学校のみんなには秘密なのだが)。確かに、このくらいの気構えでなければ戦場では生き残れないだろう。
すると宗介は背中に隠し持っていた短銃身の散弾銃を「ばっ」と抜き放ち、
「相手の攻撃が命中するより早く、この弾を撃ちこんで射殺すればいい。俺には雑作もない事だ」
ばしん。
かなめの振り下ろしたハリセンの直撃を受ける宗介。
「なかなか痛いぞ」
「あんたね……。問答無用で撃ち殺すんじゃなくて、単に気絶させるとかって発想はないの?」
「何を言う、千鳥。不意打ちをしてきた敵に情けをかける必要がどこにあると言うのだ?」
「…………」
何か言ってやりたいが何と言っていいか判らない。かなめはそんな複雑な心情を表わすため息をついて、再びテレビの前に戻った。
そこへガラリと戸が開いた。
「千鳥くんに相良くんか」
入るなり声をかけてきたのは、生徒会長の林水敦信だった。白い詰め襟を着た、オールバックに真鍮縁の眼鏡。沈着冷静を絵に描いたような青年である。
その後ろに秘書然と付き従っているのは生徒会書記の美樹原蓮。古風でしっとりとした風貌から、皆にお蓮さんと呼ばれている。
「センパイ、お蓮さん。ど〜も」
戸の開く音で振り向いたかなめは明るく二人を出迎える。宗介もぴしりと敬礼で答える。
「千鳥さん。今日も相良さんとご一緒で。仲がおよろしいのですね」
おっとりとした、それでいて優しげに微笑んでそう言われると、かなめの方は両目をどんよりとさせて、
「いや。仲がいいから一緒にいるって訳じゃないんだけど」
「そうなのですか」
かなめの雰囲気に全く気づかないまま微笑んでしずしずと歩き、会長席についた林水の後ろの「定位置」につく。
「何か用だったのかね?」
席についた林水がかなめに問う。かなめはテレビのスイッチを切ると、長机に放り出していたカバンを持ち、
「いえ。ヒマだったからちょっと時間を潰してただけで。もう帰ります」
「そうか」
彼は短く答えると、机の引き出しから何やら書類を出し始めた。もちろんかいがいしく蓮も手伝っている。
「行こ、ソースケ。邪魔しちゃ悪いし」
「会長閣下。自分と千鳥は、これで失礼します」
バカ丁寧にぴしりと敬礼をし、生徒会室を出ようとした時だった。
再びガラリと戸が開く。入ってきたのは一人の男子生徒。
「相良はいるか」
入ってくるなり短く問うたのは、先ほど話題にしていた一成だった。分厚い眼鏡はしておらず、吊り上がった切れ長の目が鋭く周囲を睨みつけている。
「相良くんに何か用かね?」
ぶしつけな態度の彼を見ても淡々と対処する林水。一成はのしのしと彼の元に歩み寄ると、
「相良、話がある。顔を貸せ」
と、林水に向かって言い放った。
「済まないが、私は相良くんではない。人違いだ」
特に呆れた様子も見せず、こちらも淡々と言い切ってみせる。一成は目の前から聞こえてきた聞き慣れぬ声に、目を細めてじーっと見つめた。
「相良さんならあちらですよ」
ご丁寧に蓮が手で指し示してくれている。
「……済まん」
林水に短く謝罪すると、蓮が手で指し示した方向へのしのしと歩いていく。
「相良。貴様に話がある。顔を貸せ」
彼は、棚のガラス戸に写った宗介に向かって話しかけていた。宗介とかなめはその場に棒立ちしたまま、
「相変わらず、何をしているのか判らん男だ」
「ド近眼なんだから、いつも眼鏡かけてたら?」
二人の会話で自分の向きを微妙に修正すると、ずいと指を差し、
「相良。人をからかうのもたいがいにしろ。だいたい貴様は卑怯で、卑劣で、非常識で、不粋で……」
「いやあの。だからソースケはこっちだってば」
かなめは自分に向かって指を差している一成の肩をガシッと掴み、その格好のまま身体ごと正しい方向に微調整してやった。
その途端彼は頬を一気に真っ赤にさせ、しどろもどろになってうつむくと、
「あ、ち、千鳥か。少し忙しくてな。済まん」
何が済まないのかよく判らないが素直に謝罪する。だが、今日自分がここへ来た理由を思い出すと、
「千鳥。済まないが今日は相良に用がある。話はまた別の機会にしてくれ」
「誰に向かって話している。千鳥はあっちだ」
一成は、かなめによって宗介のいる方向に修正されたまま話をしていた。ついでに言うと指も差したままだ。それに気がついて罰の悪そうな顔をしている。
しかし、そんな顔をしている時ではない。今日自分が何の為にここへ来たのか。それを再び思い起こし、
「相良。オレの話を聞け」
ようやく本来の話の相手に、三たび同じ質問をぶつけた。
「それは何度も聞いている。お前の用件は何だ。さっさと言え」
「ひょっとして、また『オレと勝負だ!』ってやつ?」
かなめの質問に、一成は少々背を伸ばして咳払いをすると、
「そうだ。もう四の五の言わせん。やはり戦いによって生まれた遺恨は、戦いでなければ無くす事はできん」
「待ちたまえ、椿くん」
書類整理の手を休め、林水が静かに割って入った。
「会長さん。止めても無駄だ。以前のような訳の判らん勝負ならする気はない。お断りだ」
以前。二人のケンカが元でケガをさせてしまった用務員さんに「奉仕する」という形の勝負をした事があったが、決着どころか勝負自体が判らないうちにうやむやになっただけだったのだ。
「そうそう。結局この二人にそんな器用なマネできないんだから、普通に対決した方がよっぽど早いですって」
かなめも一成の意見を受けて林水に訴える。
すると彼は少し意外そうな顔をして二人を見つめると、
「君達。前にも言ったが、どんな理由であれ、生徒同士の私闘を奨励する訳にはいかない。そんな事をしてはあらゆるトラブルを力ずくで解決しようとする輩が登場するだけだ」
静かにそう言ってから、彼は眼鏡のブリッジをゆっくりと上げる。
「総てのトラブルを力ずくの私闘で片づける。そうなれば腕力に秀でた者が正義となり、自然校内校外において『トラブルの解決』と称した暴力事件が頻発するだろう。そんな火種を生み出すやもしれぬ行為を認める事はできん」
林水は静かだが、説得力ある調子で言い切る。ところが椿の方は得意げに胸を張り、こう告げた。
「話は最後まで聞いてもらおうか。こいつは会長さんの言う『私闘』とは違う。オレ達空手同好会が、相良に異種格闘の試合を申しこむ、と言いに来たんだ」
そう宣言してから、一成は生徒手帳を取り出した。
「いくら同好会でも、この学校のクラブ活動として正式に登録されている以上、校内で試合をしても咎められる理由はない。そしてオレ達空手同好会の目的は『実戦を想定した総合的な格闘術の研鑽』だ。実戦である以上、相手は空手だけとは限らん。武器を持った相手と戦う事も充分あり得るし、相手が個人でも異種格闘でも構わんだろう。活動目的には合っている」
きっとずっと考えていたのだろう。淀みなく自信に満ちあふれた言葉だ。
「ふむ。理由はどうあれ筋は通っているな」
少し感心した風に林水が呟く。
「ちょっとセンパイ。たった今あれだけ大きい事言って、あっさり宗旨替えですか!?」
いきなりコロリと変わった彼の態度に、かなめが思わず抗議する。
「宗旨替えとは違う。筋が通っていると言ったまでだ。柔道部や剣道部などの試合が認められているのに、同好会とはいえ空手の試合は許可できないなどと言うつもりはない」
確かにそうだとかなめは思った。
実は、この学校には『格技棟』という建物がある。一階に更衣室や体育教官室。二階に新設された柔道場にトレーニングルームがあるといった具合だ。
さすがにかなめ自身は利用しないがそうした設備がある事くらいは知っている。こうした施設があるのに格闘技や武術の活動を制限するのは、どこか矛盾したものがあるのは事実だ。
きっとこのところ姿を見せなかったのはこうした事を調べていたのだろう。たぐい稀な屁理屈王ともいうべき林水と互角に戦おうと必死だったに違いない。
一成はそれほどまでに宗介との「純粋な」再勝負を望んでいるのだ。いつもの勢いだけの「勝負だ!」というノリとは訳が違うようだ。
林水は不承不承、やむを得まいとため息をつきそうな表情で、控えている蓮に声をかける。
「美樹原くん。そこの棚の予定表を取ってくれるかね?」
「はい先輩」
会長と書記というよりは、長年連れ添った夫婦の阿吽の呼吸という雰囲気を感じないでもないが、蓮は迷わず目的の予定表を取り出した。
林水はそれを受け取ると、ぱらぱらとめくっていく。
「……なるほど。今度の日曜日ならば空いているな。その日に試合を行うのであれば、許可をしないでもない」
かなめと一成が揃って机に広げられた予定表を見る。
それは、校内の各施設の利用状況を記した予定表である。
いくら在校生とはいえ、放課後はともかく日曜や休日に勝手に校内の施設を使う事は許されていない。不審人物の侵入を防ぐためでもある。
もし使いたい場合は事前に「○○部は×月□日に、どこの施設を使います」という届けを出して、それが受理されている必要がある。
「だが、これは喧嘩の延長ではない。あくまでも『試合』という事を肝に命じておくように。判ったかね、椿くん」
林水のその言葉を聞いた途端、一成は一瞬顔をほころばせた。しかしすぐに気を引き締めた真剣な眼差しとなり、
「判っている。今度こそ理解してくれたようだな、会長さん」
「待ちたまえ。まだ話は終わっていない」
静かに闘志を燃やす一成を手で征した林水は、再び眼鏡のブリッジをくいと上げると、
「君が戦う相手は相良くんだろう。彼にだって用事や都合というものがある。それを聞かずに、こんな急に『試合だ』というのでは、フェアとは言えないのではないかね?」
試合はもちろん勝負事なのだから、自分だけでなく相手も了承しないと成立しない。当たり前である。
「た、確かに。だが相良は『いつでも相手になる』と……」
そこで林水と一成の視線が、今まで黙っていた宗介に注がれる。宗介はかなめの方を見てから、
「会長閣下。確かに自分はそう言ったのですが、その日は千鳥と……」
宗介が口を開いた途端、かなめが後ろからがっちりとスリーパーホールドを極めた。宗介の口を塞ぐかのごとき素早さである。
「ああ、その日はソースケ空いてるから。もうビシッとバシッと勝負しちゃって、イッセーくん。う、うはははは」
「ち、ちどり……。確か、日曜は、映画を、観に行きたたたた……」
かなめは引きつった苦笑いを浮かべ、何か言いかけた宗介の首をギリギリと締め上げていく。
「ふむ。すでに用事があるのかね?」
「お二人で映画ですか? 本当に仲がよくてうらやましいです」
「な、何だと? ひょっとしてデートか!? そうなのか、千鳥!?」
訊ねる林水。微笑む蓮。愕然とする一成。そんな三者三様に詰め寄られ、かなめの顔が真っ赤になっていく。
「ち、違う違う! 別に二人っきりじゃなくてキョーコやオノD達もいるし、デートとかいうのじゃ全然なくて、その、あの、だから……」
「やっぱりデートじゃないか! デートなんだな! 相良! デートしたさにオレとの勝負を断わるつもりか!? デートを逃げる理由に使うとは、使うとは……」
「だから違うってば! デートデートって連呼しないでよ!」
衝撃のあまりデッサンの狂いまくった一成と、耳まで真っ赤にして脂汗を垂らすかなめが言い合う。
しかし双方ともあまりに平常心を無くしているので、自分でも何と言いあっているのか判ってない。
「だが、俺に、用事が入って、約束を、キャンセルすると、君は、怒るじゃあ、が、が、が、が……」
わずかに弛んだ隙に発言した宗介の首を、かなめは照れのあまり無意識に腕に力をこめる。
首を締め上げられる宗介の顔からみるみる血の気が引いていき、ついには――
「あ」
ふとかなめは我に返る。静かに腕を緩めて宗介の顔をそっとのぞきこむ。
宗介は完全に落ちてしまっていた。

<中編につづく>


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