『奇怪な来訪者 弐』
ロベリアが真っ先に別宅の正門に到着する。ちらりと中を見た限りでは、まだ襲われてはいないようだ。
しかし、今日この屋敷が狙われると決まっている訳ではない。ここに来たのはロベリアの勘である。
長年の盗賊生活で磨き上げた勘。自分のその勘に狂いはないと信じている。
「ロベリア。観念するんだ」
「隊長の言う通りだ。私の目の前でそのような真似はさせんぞ」
追いついてきた大神とグリシーヌが口々に彼女を制止しようとしている。しかし、そんなものを聞くロベリアではない。表情に変化は少ないものの、やる気マンマンな態度である。
「そう言うなよ隊長。少しくらいなら貸してやるから」
「いる訳ないだろ!?」
「金利は安くしとくよ。安月給の足しにしなって」
「そうじゃないだろ!?」
そこで大神が文句を言おうとしたその時である。頭上でブォーッとけたたましい蒸気の音がし、同時に一瞬だけ空が真っ黒に染まる。
ズドシャーン!
音のした方向を見ると、屋敷の中に着地した鈍い鉛色の「何か」が見えた。
その鈍い鉛色の「何か」は悠々と身を起こし、直立する。背面にコンパクトに作られた蒸気機関を背負い、煙突からは今もうっすらと白い煙を吐き出している。その正体は――。
「光武F!?」
三人の声が綺麗に揃う。
そこに立っていたのは、細部がかなり違うものの、自分達巴里華撃団が使っている霊子甲冑「光武F」のような人型蒸気だったからだ。
蒸気機関が発達したこの世界。彼等巴里華撃団のような秘密組織だけが、こうした人型蒸気機械を所有している訳ではない。
先進各国では様々な分野で製作・改良が進められており、中でも日本の神崎重工。アメリカのモトロール社。ドイツのノイギーア社の製品が広く知られている。
そのための技術・技術者の行き来も多く、実際巴里華撃団の光武Fは、日本の神崎重工とパリのシャノワール整備班スタッフの合作と言っても過言ではない。
巴里華撃団の「光武F」は、デザイン的には日本の光武をベースにしている部分があるが、基本的にデザインというものはある程度国による「個性」が出るものだ。
でも、目の前に立つ人型蒸気のシルエットは今までに見た事のない機体だった。
寸胴な身体に太く短い手足がついた力強いデザインの光武Fと比べ、その人型蒸気はまさしく「甲冑をまとった騎士」を思わせる、幾分スマートなフォルムであった。大きさもこちらの方が若干小さい。
確かに人型蒸気自体「甲冑」を連想させるデザインの物が多いが、この機体はそれが顕著なのだ。
その機体がこちらを振り向いた。
「スマートな騎士」にしてはずいぶんと寸胴なのは否めないが、驚いた事に人型蒸気最大の特徴とも言えるカメラやセンサー類がボディの前面に全くないのだ。
光武Fでいうカメラやセンサーがある部分に、何の変哲もない三本のスリットが入っているだけである。
その甲冑とロベリアの視線(?)が合った。
「や、やろうってのか!?」
ロベリアが門扉の向こうでこちらを見ている人型蒸気に啖呵を切るが、その人型蒸気はロベリアを無視して、外壁に沿って庭の中を駆けていく。
「まっ、待ちやがれ!」
無視された事に納得のいかないロベリアはコートのボタンを外してはだけ、その内側にくくりつけられた手榴弾を出し、すかさずピンを抜いて外壁に叩きつける。
至近距離で大爆発を起こし、分厚い壁には大穴が。大神とグリシーヌは予期せぬ爆風に巻き込まれ、彼女を止める間もなかった。
その隙に開いた穴から矢のような勢いで飛び込んでいくロベリア。やむを得ず二人もその後を追う。
大神とグリシーヌがロベリアに追いついた時、彼女は巻き上がる土埃を腕でガードして土埃の向こうを見ていた。
その屋敷の裏手にあたる部分では、張り込んでいたとおぼしき警備用の人型蒸気数機と、先ほどの甲冑型人型蒸気が大立ち回りを繰り広げていた。
しかし、実際は大立ち回りと言えるレベルではなかった。
あまりにも鈍重で直線的な動きしかできない警備用の人型蒸気と比べ、甲冑のごとき人型蒸気の軽やかな動きといったら、光武Fでも太刀打ちできないのではないかと思わせるほどだ。
至近距離で発砲される弾を、フェイントを織り交ぜたフットワークで紙一重で避ける。
野太い腕で掴みかかられるところを間一髪でよけ切ってみせる。
それだけではない。少しでも隙を見せれば右手に持った剣がうなりを上げて襲いかかる。
剣の技だけではない。特に相手の動きを確実に見切る目は特筆すべきものだ。しかもその人型蒸気にはカメラもセンサーもついていないのに。
高度な訓練だけでなく実戦による経験もかなり積んでいるのが素人にだって判る、洗練されたハイレベルの動き。
もし一対一で戦ったら、グリシーヌでも勝てるかどうか自信が持てなかった。
だが、その人型蒸気から微かに感じたものがあった。よく注意して見ると、
(何だ? あの人型蒸気の操縦者は霊力を持っているのか?)
グリシーヌが疑問を抱く中、まるで舞台の上の出し物のような華麗な動きを見せて、あっさりと戦いが終わる。一同がその動きの素晴らしさに魅了されていたが、
「き、貴様が世間を騒がせる『義賊』だな! 名を名乗れっ!!」
我に帰ったグリシーヌが一歩前に出て、スリットのあたりを指差した。その勢いたるや、そのまま人型蒸気に掴みかからんばかりである。
するとその甲冑はピタリと動きを止め、グリシーヌの方に向き直る。
《確かにそうだよぉ〜。でも悪いけどぉ〜、今はそんな暇ないんだぁ〜》
グリシーヌの問いをあっさりと肯定する答え。妙に語尾を伸ばした喋り方の高い声が外部スピーカーを通して聞こえてきた。これはどう聞いても女の子。下手すれば子供の声だ。
《これが終わったらいくらでも相手になるからさぁ〜。ちょっと待っててよぉ〜》
ひらひらと手を振って、グリシーヌに背を向け駆け出そうとする。
「ま、待て!」
グリシーヌが駆け寄ろうとしたが、その前に大神が彼女の腕を掴んで止める。
「放せ隊長! あの操縦者に一言言わねば気が済まん!」
「危険だ! まずは落ち着け!」
「危険を怖れて戦いができるか! 貴公には勇気がないのか!?」
「勇気と無謀を履き違えるな! いくら何でも生身で人型蒸気相手に戦えるか!」
行こうとするグリシーヌに止めようとする大神。間に立つロベリアは「何やってんだよ」と呆れ顔だ。
「逃げるのか、貴様!」
グリシーヌが怯まず甲冑の背にありったけの声で怒鳴ると、去ろうとしていた甲冑がピタリと動きを止める。
《逃げるぅ……。あたしがぁ……逃げるぅ〜?》
スピーカーから聞こえる声が、唐突に一オクターブ低くなった。その微かに震える声には、確実に堪える怒りがこもっている。
《バ……バカにするなぁ〜! この「獅子鷲」の紋章にかけてぇ〜、あたしは逃げも隠れもしなぁいっ!》
瞬間湯沸かし器のごとく爆発した怒り。案外単純なのか、それとも本当に子供なのか。
甲冑はドスドスと足音を立ててグリシーヌの眼前に来ると、怒りに任せてずいと右肩を突き出す。そこには獅子鷲――グリフォンの姿をかたどった紋章が刻まれていた。
《どのみち屋敷なんてどうでもいいんだぁっ! 今すぐけっ……》
ガシャアン!
背後からの何者かの急襲に、グリシーヌに意識が向いていた甲冑は何もできずにのけ反り、それから前のめりに倒れてくる。
重々しい音を立てて地面に倒れ込む甲冑。激しい地響きが起き、すかさず逃げた大神達もその轟音に顔をしかめた。
かろうじて動けた警備用の人型蒸気が、甲冑の背中の蒸気機関めがけて発砲したのだ。
「……負けた者が背後から不意打ちをするとは何事だ! 恥を知れ!!」
警備用の人型蒸気にありったけの声で怒鳴るグリシーヌ。いくらやられたのが赦し難い泥棒といっても、彼女の正義感がそのやり方を許しはしなかったようだ。
「そんな場合じゃないぞ。操縦者が気を失っているみたいなんだ。返事がない!」
大神が甲冑の表面をガンガンと叩いているが、まるで反応がない。
どんな優秀な人型蒸気でも、人が乗り込む搭乗型である以上、操縦者が動かさなければただの鉄の塊にすぎない。
それに蒸気で動く人型蒸気が蒸気機関部に被弾したのだ。下手をすれば大爆発を起こして、操縦者の命はない。
「せめて、中から操縦者を引っ張り出せればいいんだけど……」
こうした機械には、非常用にと手動でハッチを開閉するレバーなどが機体にあるものだが、それがどこにあるのか全く判らない。
善人も悪人も関係ない。助けなければならない。大神はその一心で動いていた。
「助けるのか、隊長」
「見殺しにはできないだろう!」
《……うっ》
グリシーヌと大神のやりとりの最中に、まだ生きていた外部スピーカーから小さなうめき声が漏れる。どうやら衝撃のために一瞬だけ気を失っていたようだ。
先ほどの軽やかな動きとはうって変わったぎこちない動き。さっきの攻撃によって蒸気機関がダメージを受けてうまく作動していないのだ。
《……この勝負ぅ〜、あずけたぁっ!》
甲冑の各部からもうもうと煙が吹き出し、周囲にあっという間に広がっていく。
「蒸気……いや、これは目くらましだ」
煙のために三十センチ先もろくに見えないほどだ。さらに煙が目や口に入って痛む事この上ない。
そこに何かが壊れる轟音が響く。ごほごほと咳き込みながらも、その轟音に負けじと大神が怒鳴った。
「グリシーヌ、ロベリア、大丈夫か!?」
グリシーヌとロベリアも咳き込みながら答える。
「大丈夫だ、隊長」
「こっちもだ。しかしあっさり逃げやがったな、あいつ」
だいぶ晴れてきた煙の向こうには、すでに甲冑の姿はなかった。あったのは、鋭利な刃物で切り裂かれたとおぼしき壁のみ。
「これは? あの人型蒸気の仕業か!?」
「……まさか。あんな小さな剣でこれだけの芸当はできないぞ……」
西洋の剣は、基本的に剣の重みと己の腕力で「押し潰すように斬る」物だ。日本の刀のように「刃の鋭さで斬る」タイプの物ではない。だがこの切り口は明らかに後者だ。その原因を分析しようとしたが、
「さて。こっちもそろそろずらかるか。このままじゃアタシ達のせいにされかねないからな」
とばっちりはごめんだとばかりにロベリアが駆け出した。いくら何でもそれは御免である。
分析をやめ、大神とグリシーヌも迷わずその後に続いた。
「ロベリアに引っ張り回されただけのような気がするな……」
「同感だ。非常に不愉快だ」
目標を見失ってしまった以上、シャノワールへ戻るしかなくなってしまった。


その日の夕方。グリシーヌは自分の屋敷に戻ってきた。
結果としては何の成果も上げられなかったのだから、機嫌がいい訳もない。
「タレブー。エリカから聞いたが、私を探していたそうだな。何かあったのか?」
玄関ホールで出迎えていた彼女に開口一番訊ねると、彼女はそばにいた別のメイドを促し、話すよう命じる。
その若いメイドは機嫌の悪いグリシーヌを前に緊張を隠せないでいたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「屋敷のそばに、不審な車が止まるのでございます」
詳しく聞くと、先週あたりから屋敷の裏手に大きな車が止まるとの事だ。
昼間はどこかへ行っているようなのだが、夜間だけ必ず止めに来るという。
一応屋敷の外壁ギリギリに停めて、通行の邪魔にならないようにしているとは言うが、毎晩というのは不審である。
それに、車――大きなコンテナを積んでいるそうだが、その中から何やら怪しげな音も聞こえるらしい。
「いつも同じ車なのだな?」
「はい」
車の持ち主がどういう人物であろうとも、メイド達が制止したところで聞きはしないだろう。ここは主人自ら行くしかあるまい。
「判った。しかしそういう事態はもっと早く知らせろ」
「も、申し訳ありません。何とぞお許しを……」
「怒っているのではない。以後気をつけてくれ」
必死になって謝ろうとするメイドに、グリシーヌはやんわりとそう言うと、いつも止まっていると聞いた場所へ向かう事にした。
グリシーヌの住む屋敷は、その庭だけでもちょっとした広めの公園くらいはある。もちろん泥棒対策として警備体制はちゃんとしているつもりだが、それは屋敷の内部に限っての事。屋敷の壁の外にまでは、厳重な警備体制を敷いているとは言い難かった。
(それにしても……夜間のみ駐車するとは、何者なのだ?)
そもそも車自体はこのパリの地にも増えているが、まだ広く普及しているとは言えない。車は貴族であるグリシーヌの屋敷にもあるが、彼女自身は乗馬の方が好きなので大して興味もなかった。
メイドが言っていた、いつも夜間のみ駐車されるという場所までやってきた。
しかし車の姿はどこにもなかった。まだ時間が早かったのか、それとも今夜は来ないつもりなのか。
それに備えて一晩中ここで見張り番をするべきか。それとも他の手にしようかと考えている時に、道路の向こうに大型の車の姿が見えた。
ずいぶん大きなコンテナを積んだ車だ。人型蒸気の一つはすっぽりと入ってしまいそうなほどの――。
「止まれ! 止まらぬか!!」
道を塞ぐ形で仁王立ちとなり、ありったけの声で制止する。
それほどのスピードは出ていなかったので、車は彼女の五メートルほど手前でゆっくりと止まる。
止まったのを確認したグリシーヌは、真っ先に運転席へ駆け寄った。
「どうしたんですか?」
男の声がし、運転席から首を出してグリシーヌに答える。
運転席にいたのは、吹けば飛びそうという形容がしっくり来るほどに痩せた作業着姿のメガネの男だった。
助手席には毛布にくるまった赤毛の子供が寝息を立てているのがちらりと見えた。
「つかぬ事を聞くが、この頃この辺りに車を停めているのは貴公らか?」
まっすぐな目のグリシーヌにそう尋ねられると、メガネの男は苦笑いをして頭をかいた。
「はい。すみません。一応、ご迷惑にならないようにしていたつもりなんですが……」
開き直って高圧的にくるかと思いきや、意外と腰が低い。
「ま……まぁ判ればよい」
逆にグリシーヌの方が拍子抜けしてしまったほどだ。しかし、大義名分はこちらにあるとばかりに強気になり、
「しかし、なぜ毎晩我が屋敷のそばに車を停めるのだ?」
グリシーヌの当然の問いに、
「実は、庭の池から水を戴いてました。セーヌ川は人が多くて目立ちますし、ここなら人目にもつきませんから」
男はまだ照れくさそうだが、やった行動の割にどこか堂々とした態度だ。
確かに彼女の屋敷の庭に大きな池がある。その池からは船のマストが突き出ており、そのマストで大神と決闘をした事もある。警備体制を布いてはいるが、それをかいくぐっての事だろう。
「……要は水泥棒という訳か。捨ておけんな」
グリシーヌの表情が固くなり、男を睨みつける。しかしふと考える。
水を戴いたという事だが、いくら何でも飲み水にしているとも思えない。飲み水であれば少し離れた場所にあるテルトル広場の噴水の水を戴いた方が危険が少ない。
なぜわざわざ自分の庭の池から水を戴いていたのだろうか。疑問点は残る。
車を止めてはみたものの、ここからどう話を切り出そうかと思案して黙り込んでしまう。こういった交渉事は得意ではないからだ。そんなグリシーヌを見た彼は、
「止めた理由は判りますよ、巴里華撃団のグリシーヌ・ブルーメール殿」
何と、男の方からそう切り出したのだ。それもグリシーヌを知っているそぶりで。しかも「巴里華撃団」ときた。
「ど、どういう事だ!?」
グリシーヌが警戒して車から離れ、愛用のポール・アックスを出して構える。
「あなた達には正直に話すべきでしょうね」
男は悠然と車を降り、作業着のポケットから何かを取り出した。
「! それは!?」
夕闇の中に浮かび上がったそれは銀の懐中時計であった。そこに刻まれていたのは――日中遭遇した甲冑型人型蒸気についていた「獅子鷲」の紋章。
「その紋章は、昼間会ったあの甲冑のような人型蒸気の!?」
グリシーヌの驚く顔を見た彼は、
「はい。僕達は『蒸気騎士(スチーム・ナイト)』と名付けていますが。その人型蒸気の水の補給のために、池の水を使わせていただきました」
そう言うと、振り向いてコンテナをちらりと見た。きっとその中に人型蒸気があるのだろう。
どういうものであれ蒸気機関である以上、動かすのに燃料と水は欠かせない。それも大量に。
「それに、修理と調整も必要になります。ここのように静かで落ち着いた環境の方がやりやすいんですよ」
コンテナの中はちょっとした工場のようになっており、簡単な修理程度なら充分できるのだそうだ。
「……」
理由を聞いたグリシーヌの顔が苦虫を噛み潰したような渋い顔になる。
「僕はイギリスに本部を持つ諜報部隊の者で、ディアンケットといいます。我々はイギリスで活動していた切り裂き魔を追って、フランスに来ました」
「切り裂き魔だと?」
ディアンケットの言葉に、グリシーヌは思わず声を上げてしまう。
イギリスで切り裂き魔といえばジャック・ザ・リッパーが思い浮かぶ。約四〇年前に五人の人間が残忍な手口で連続して切り殺された事件だ。しかし、彼はそうではないと言う。
「我々が追っているのはそれとは別の人物で、巨大な鋏で物を切り刻む小男です。以前あなた方が倒した『シゾー』という男ですよ」
シゾー。それは大神を「巴里華撃団」隊長として迎えた時最初に戦った「怪人」で、一言でいえば「ウサギ男」。確かに枝切り鋏のように巨大な鋏を持って襲ってきた。
「こう言っては何だが、あの程度の男ならば、貴公らでも対処できただろう?」
グリシーヌがそう言うと、ディアンケットは首を振り、
「あなた方には強力な人型蒸気――霊子甲冑と言いましたか。それに、並外れた霊力もある。しかし相手は強い妖力を持っていました。我々には霊力を持つ者が少ないので、対処は無理だったんです」
それから車の助手席に視線を移すと、少し寂しそうにつけ加える。
「今車の中で寝ている彼女。彼女が我々の組織の中では一番の霊力を持つんです。それでも、巴里華撃団の方々と比べれば微々たるものでしかありません」
強い妖力を持った相手では普通の兵器が通用しないケースが多い。
巴里華撃団で使っている光武Fは、それを見越して蒸気と霊力を併用する「蒸気併用霊子機関」で動いている。
通常の人型蒸気とは比べ物にならない出力が得られ、物理的な攻撃に己の霊力を込める事もできる。その代わりに、桁外れの霊力の持ち主でなければ起動すらできないという諸刃の剣と言える機体である。
むしろそういった機体だからこそ、強い妖力を持った「怪人」達と戦えたとも言えるが、強い霊力の持ち主となると世界中を探してもそう多くはあるまい。
寂しそうに肩を落とすディアンケットにグリシーヌは、
「しかし、もうずいぶんと前にシゾーは我々が倒したのだから、貴公らの任務は終わっているだろう」
「いえ。それが終わっていないのです」
彼はうつむいていた顔を上げ、ここからが本題です、と前置きをして話し始めた。
「どうやらシゾーは『何者かに』呼ばれて、イギリスからフランスに渡ったようなのです」
「なるほど。その『何者か』を探すのが、今の貴公らの任務という訳だな」
勘のいいグリシーヌは、それだけで彼等の任務の察しがついた。
「はい。我々は二手に分かれる事にしました。一つはその何者かを直接探すグループ。もう一つは町で騒ぎを起こして、警察などの目をそらす揺動のグループ」
「……という事は、私達はその揺動に見事引っかかったという訳だな」
自分達の預かり知らぬところでそんな活動をしている者がいるわ、自宅のそばに目指す「義賊」がいるわ。しかもその「義賊」が自分の庭の池で水まで補給していたのだ。特に後者は我慢ならない事ではある。
「だが、どんな事情でも泥棒は誉められた事ではない。覚悟はできているのであろうな?」
グリシーヌはポール・アックスの切っ先をディアンケットに軽く突きつける。しかし彼は苦笑いを浮かべるだけだ。
「それについては言葉もありません。五十歩百歩である事は承知していますが、法律という基準で裁く事が困難な方々のみに限定しました。ご理解下さい」
さらに言い返そうとしたグリシーヌだが、今朝のロベリアの言葉が蘇る。
『自分だけの尺度でしか物を見てないくせに、何が正義だよ』
たとえ他からどう思われようとも、一組織に属する人間である以上、与えられた任務に忠実に、確実に遂行するために行動した結果だ。彼等はそうするのが当然なのだ。
それが判ってしまった以上、振り上げた拳をどこに下ろせばいいのか、グリシーヌには判らなくなってしまった。
怒りは収まっただけでなくなった訳ではないが、構えていたポール・アックスを下ろす事はできた。
その時、車のドアが開いた。
『……ディアンケットォ〜。連絡来てるよぉ〜』
助手席で眠っていた赤毛の子供が、起きたばかりの眠そうな声でぽつりと言った。ずいぶんと雰囲気は違うし英語ではあるが、日中会ったあの甲冑の操縦者の声に間違いなかった。
毛布にくるまったままの子供はトランシーバーを彼に手渡すと、たまたま目があったグリシーヌにひらひらと手を振る。その様子は外見通りの、まだ十歳にも満たない無邪気で幼い子供にしか見えなかった。
人を見た目で判断するのはよくない事だが、やはりあの甲冑の操縦者と同一人物とは思えない。
だが、あの時感じたようにその子供から微量の霊力を感じる。やはりあの人型蒸気の操縦者に間違いなさそうだ。
そのディアンケットは車に搭載された無線機でどこかとやり取りしている。さすがに話している言葉はイギリス人らしく英語なので、グリシーヌにはところどころしか理解できない。
しかし、無線でやり取りしている様子はどこか緊迫している。そばで聞いている子供の表情もこわばり、言葉を聞き漏らすまいと耳をそばだてている。
そのただならぬ様子に、グリシーヌもほとんど理解できない英語の会話に聞き耳をたてる。
すると、その子供は毛布を脱ぎ捨てて反対側のドアから車の外に飛び出した。
『待ちなさい、ブリギット!』
ディアンケットは泡食った調子で怒鳴り、追いかける。赤毛の子供――ブリギットはコンテナについた小さいドアを開けると、瞬く間に閉めて内側から鍵をかけてしまった。
車をぐるりと回ってグリシーヌが見たのは、ディアンケットが何度も何度も中に向かって怒鳴りながらドアを激しく叩いている光景だった。

<参につづく>


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