『奇怪な来訪者 壱』
今日もフランスはパリの空が穏やかに晴れ渡っている。
近頃街を騒がせる「怪人」による奇怪な事件など、遥か昔の出来事のように感じられる。
こういう朝を迎えられる平和を、いつも味わっていたいものだと本気で思う。
アパートの近所のカフェで、いつも通り朝食を済ませた大神一郎は、意気揚々と己の仕事場である「テアトル・シャノワール」に向かっていた。
日本からこのパリの街にやって来ている彼は、そこでモギリ兼ボーイとして働いている。
日本語で「黒猫」を意味するその劇場は、パリ市内のモンマルトルに位置する。その劇場の入口に、一人の女性が仁王立ちで立っていた。
金糸細工のような美しく長い金色の髪。美しさと凛々しさを備えた毅然とした眼差し。彼女は大神の姿を認めると青い上着の長い裾をひるがえし、
「遅いぞ。何をしていた!?」
ズカズカとしかめ面で大神に歩み寄り、持っていた丸めた新聞で彼の胸をはたく。
「ちょ、ちょっと待ってくれ、グリシーヌ」
「何を待つのだ」
「俺……何か約束してたっけ?」
驚いた顔で彼女をなだめようとするが、グリシーヌと呼ばれた彼女は少しきょとんとし、
「……何だ。貴公は新聞も読んでおらぬのか。全く嘆かわしい」
ブツブツと文句を言いながら、グリシーヌは持っていた今日の新聞を広げ、一面に大きく載っている写真を指先でパンと叩いた。
『バシェラール邸襲撃』
大きな文字の見出しが目を引く一面に、屋敷の壁が無惨にも『切り裂かれた』現場の写真。画像の荒い写真なので判りにくいが、まるで巨大な刃物で切ったように鮮やかな切り口だ。
「見ろ。今週に入ってこれで三件目だ。何者かが貴族や有力商人の屋敷に力ずくで侵入して、強盗を働く。しかも白昼堂々とだ。こんな事が許されると思うのか!」
「そ、そりゃそうだけど……」
「こんな悪逆非道な輩は許しておけん! このグリシーヌ・ブルーメールが神の御名において成敗してくれる!」
……バイキングの流れを組むノルマンディー公爵家の血を受け継ぐ、フランスの名門貴族ブルーメール家の一人娘グリシーヌ・ブルーメールは朝からいきり立っていた。
どうやら、早くも「平和」は終わってしまったようだ。
仏頂面のグリシーヌを見て、大神は心底そう思うのだった。


今にも飛び出して行きそうなグリシーヌを何とかなだめると、二人はシャノワールの中へ入った。
「とりあえず、まずは支配人に話しておかなきゃ」
「……仕方あるまい」
不承不承、という態度がみえみえのグリシーヌが、大神の提案をしぶしぶ飲んだ。
劇場の営業時間は夕方から夜中にかけてであるが、朝に人が誰もいない訳ではない。
実際劇場内の廊下を歩いていると、向こうからメイド服の女性が来るのが見えた。
「メルくん」
大神が声をかけると、
「大神さん。グリシーヌさま。どうかされましたか?」
その場に立って微かに笑顔を作ってくれたのは、ここの支配人グラン・マ付の秘書の一人メル・レゾンだ。
淡々と事務的な雰囲気だが、そういう性分なだけであり、別に二人が彼女に嫌われている訳ではない。
「突然で済まぬが、グラン・マは……」
グリシーヌの言葉に、メルは少し驚きの表情を見せていたが、
「はい。オーナーは先ほどからお待ちです。どうぞ」
今度は二人の方が驚く番だった。
メルの案内で支配人室に通された二人。やって来た大神とグリシーヌを見るなり、
「やっぱり来たね。待ってたよ」
椅子に座ったまま小さく笑って出迎えるグラン・マ。
何もかも知っているよ、と言いたそうにどっしりと構える中年女性こそが、この劇場「シャノワール」の総支配人グラン・マことイザベル・ライラック伯爵夫人だ。
若い頃は有名なダンサーとしてならしたが、今は政財界や社交界でも一目置かれるほどの重要人物である。
「貴族宅の強盗事件の件だろう? 今度ので三件目だ。そろそろグリシーヌあたりが怒って来るんじゃないかと思ってたんだよ」
机の上には今日の新聞が広げられている。人を行動を読む目はさすがと言うべきだろうか。
「これは『怪人』の仕業ではないのか?」
「今調べているよ。あたしの勘では『怪人』の仕業ではなさそうだけどね」
「しかし、いくら何でも勘だけでそう判断はできまい。第一、堅牢な壁を切り裂いて破壊するなど、怪人以外の誰ができるというのだ」
グラン・マに詰め寄り、ドンとテーブルを叩くグリシーヌ。
「もしこれが怪人の仕業であれば、我々巴里華撃団が出撃しなければならぬだろう」
そう。モンマルトル一の劇場とは表向きの顔。その実体はこの街を守護する秘密組織・巴里華撃団の本部なのだ。
グラン・マは巴里華撃団の総司令官も兼ね、グリシーヌはその隊員であると同時にここシャノワールのステージに立つ人物でもある。
そして大神の正体はその隊員達を束ねる隊長なのだ。海軍兵学校を主席で卒業した海軍中尉。日本の東京で同様の部隊「帝國華撃団・花組」の隊長をしてきた経歴を買われての事だ。
「確かに被害が出るのはいい事じゃないが、出撃するのは怪人の仕業と決まってからでも遅くはないさ」
それを聞いたグリシーヌはグラン・マに食ってかかろうとするが、大神がやんわりと止めに入る。
「グリシーヌも落ち着いてくれ。まずはグラン・マの意見を聞こう」
「……判った」
そう言われ、熱くなっていた事を恥じるように黙り込む。
グラン・マが「怪人の仕業」ではないと見当つけた理由はいくつかある。
まず一つは、襲われたのが政財界で様々な疑惑を持つ、限りなく黒に近い灰色の要注意人物ばかりという事。
二つめに、そういった疑惑の証拠を暴き出している事。そのためパリ市民には受けがよく「義賊」ともてはやされているのだ。
そして何より、現場からは微かな霊力が計測されただけで、怪人特有の「強力な妖力」がひとかけらも感じられなかった事だ。
「妖力の事は伏せてあるけど、そういった事態は新聞にも書かれているよ。グリシーヌの事だ。『貴族宅に強盗』の部分だけで怒り心頭になったんじゃないのかい?」
グリシーヌは持っている新聞を広げ、記事の詳細を読んでいく。
「『バシェラール伯爵は、以前から様々な企業から不正に融資を受けているとの噂があった。今回押し入られた事により、それらの金の流れを記した裏帳簿が屋敷内の隠し金庫から発見され、動かぬ証拠となる。また市民を不当に差別する行動なども目立っていたので、市民の中には押し入った「義賊」への賞賛を惜しまない者も数多い』……」
グラン・マの言った通りだったので、グリシーヌは返す言葉もない。
「し、しかし。いかなる理由があっても、泥棒は泥棒ではないか。許される事ではない」
胸を張ってそう言うが、口調は強がりにしか聞こえない。
「確かにそれも事実だよ。でも、怪人の仕業と決まるまでは華撃団じゃなくて警察の仕事だね」
グラン・マは静かに呟いた。同時にこの話題の終わりをも意味していた。


支配人室を出て、廊下を歩きながら大神が口を開いた。
「それにしても、パリにも『義賊』っているんだね」
「『にも』という事は、日本にもそういう輩がいるのか?」
「ああ、ずいぶん昔に。『鼠小僧次郎吉』っていってね……」
それは武家屋敷や大名屋敷ばかりを狙い、決して人を傷つけぬ義賊として人々の評判になった、江戸時代の泥棒だ。
こういった屋敷は体面ばかり重んじるので被害届が出にくく、何かと好都合だったようだ。
のちに講談や小説の題材にもなり、そちらでは「貧しい人々に盗んだ小判を分け与えていた義賊」とだいぶ美談化されているが。
「確かに、被害は金目の物と建物だけだ。人を傷つけないという点では共通しているな」
大神の話を聞いて考え込むグリシーヌ。
「でも、さすがに鼠小僧の仕業じゃないだろうけど」
「ネズミコゾー、ねぇ。いろんなヤツがいるもんだ」
いきなり後ろから声をかけてきたのは、緑のコートを着込んだロベリア・カルリーニだ。
パリ始まって以来の大泥棒と言われ、その罪状を並べれば懲役一〇〇〇年をゆうに超えると言われている。
しかし今は巴里華撃団の隊員であり、この劇場のダンサーという仮の身分を与えられ、地下の倉庫を自分の部屋にして暮らしている。
いきなり声をかけられて驚く二人。すぐに我に帰ったグリシーヌがロベリアに詰め寄ると、
「ロベリア! また盗み聞きか!」
グリシーヌは怒りの形相のまま、どこからか愛用のポール・アックスを出して構えようとする。
「盗み聞きも何も。あんなデカイ声で話してたら勝手に聞こえちまうよ」
熱い怒りのグリシーヌに、涼しい態度のロベリア。貴族と泥棒という全くの正反対の二人。そんな二人の間に一瞬緊張が走る。
「と、とにかく斧はやめてくれ、グリシーヌ。それから、ロベリアもあおるんじゃない」
「……判った」
「つまんねーヤツだな」
大神が仲裁に入り、グリシーヌとロベリアが相手を睨みつつも、それ以上争うのを止める。どうにか収まった事に安堵する大神。
「それに、我々には重要な任務がある。貴様に構っている暇などない」
「新聞に載ってた『バシェラール邸襲撃』の事件か? 警察でもないのにご苦労な事だな」
どうでもいいとばかりにつまらなそうに訊ねるロベリア。
「それに、アンタの嫌いな悪党が捕まってるんだ。いいじゃないか」
「そうはいかん。どんな理由でも泥棒は泥棒だ。そのまま放っておいていい訳がなかろう」
「はいはい。勝手にしてくれ」
手をひらひらとさせて立ち去ろうとするロベリアの背に、
「ところでロベリア。一連のこの事件。もしや貴様の仕業ではなかろうな?」
大真面目のグリシーヌの問いに、ロベリアが豆鉄砲を喰らったようにぽかんとしている。しかし、数秒後。唐突にぶっと吹き出すと、
「おいおい。アンタにしちゃ最高の冗談だな。アタシがそんな真似する訳ないだろう?」
身体を折り曲げて大声で笑いながら言うが、その態度はグリシーヌをさらに怒らせた。
「冗談ではない! 考えてみれば要人邸爆破や強盗は貴様の十八番ではないか! そのような正義に反した行動は……」
「頭の硬いお子様が吠えるな!」
笑っていた顔から一転。凄んだ声と刺すような殺気をはらむ視線。その一喝でグリシーヌは黙らされてしまった。
「ああいう善人ヅラして裏で賄賂を貰いまくってる『お貴族サマ』が、一番の悪党って相場は決まってるんだよ。自分達の身分と金を守るために法律を作ってやがるんだからな。第一どんな貴族でも、警察は見て見ぬ振りだ。捕まえる事すらできないときたもんだ」
ロベリアはかけているメガネを指でくいと押し上げて、さらに続ける。
「だいたい、自分だけの尺度でしか物を見てないくせに、何が正義だよ。第一悪党ってのは泥棒しかいないと思ってんだろ? だからお子様だっていうのさ。アタシみたいな泥棒を捕まえるより先に、アンタ達貴族の、そういう『思い上がり』をどうにかしてほしいもんだね」
いつも何を言われても「それがどうした」と飄々とした態度のロベリアにしては、珍しく激昂した態度。
ロベリアはその態度に気づいてはっとなると、腹立ちまぎれに爪先で壁を蹴って、鼻を鳴らして立ち去っていった。
「……隊長」
ロベリアの姿が見えなくなってから、グリシーヌが重々しく呟いた。
「私は、ロベリアが言うような『思い上がった貴族』なのだろうか」
凛々しい表情が翳り、すっと大神から視線を逸らす。
「……私は確かに貴族だ。しかし、ロベリアが言うような貴族ではないつもりだ。だが、他の貴族達が華やかな社交界の裏で醜い権力争いに執着している様子も聞いている。しかし、それを悪い事だと知っていながら、正す事ができていないのは事実だ」
ため息混じりの力ない言葉が、彼女の口からこぼれ落ちる。
「自分だけが違うと思っているだけで……本当はロベリアの言うような『思い上がった貴族』なのかもしれん」
常々凛と振る舞うグリシーヌとはまるで別人のようだ。
真剣にそう思っている彼女に、大神は声をかけられないでいた。しかし、意を決すると、
「言いたいやつには言わせておけばいい」
言ってから、大神もちょっと照れくさそうにグリシーヌを見つめると、
「他人の評価なんて二の次だ。自分が正しいと思った事を懸命に貫けばいい。それが受け入れられれば他人は黙って評価してくれる。気に入らなかったら文句が来るさ」
「隊長……」
自嘲気味に苦笑いを浮かべる大神。そんな大神を見たグリシーヌも自然と小さな笑顔を浮かべ、
「そうか。強いな、隊長は。それがサムライというものなのだな」
違うような気もするが、大神は黙っていた。
「よし。私も自分にできる事をやろう。手伝ってくれるな、隊長」
「判ったよ」
まだ何か考え込んでいるようだったが、凛とした態度が少しだけ戻っていた。


グリシーヌがやろうとしている事。それは「巴里華撃団」ではなく、一個人「グリシーヌ・ブルーメール」として、その義賊を捕らえようというものだった。
「でも、やっぱりそれって警察の仕事だろう?」
「何を言う、貴公は。手伝うと言ったばかりで何だ、その態度は」
グリシーヌは少し腹を立て、大神をじろりと睨む。
「だけど……それにしたって手当りしだいって訳にはいかないだろう? 見当はついているのか?」
「見当とは何だ」
「いや、だから。その義賊がどこを襲うのかの見当だよ」
とりあえず、二人並んでぶらぶらと町を歩く。だいぶ慣れたパリの町並みではあるが、探索という目的のためかかなり緊張を隠せない。さっきから何度も手に浮かんできた汗をズボンで拭いている。
「うむ。この私を誰だと思っているのだ」
何となく胸を張ったすまし顔のグリシーヌは通りを指差すと、自信満々な態度で言った。
「この通りを行った先に、アンガージュマンという貴族の別宅がある。ヴァプール蒸気機器株式会社の有力スポンサーだが、裏でギャングと繋がっているらしいという噂があるのだ。義賊とやらが襲撃する確率は高い」
そんなやりとりをしている二人に声をかけてきた人物が、一人。
「あーっ、大神さんじゃないですか。奇遇ですね〜」
とたとたと駆けてくるのは、真っ赤な法衣をまとった少女、エリカ・フォンティーヌだ。この町の教会のシスターにして、巴里華撃団の隊員で、シャノワールでも踊り子を勤めている。
明るく天真爛漫なのだが、同時に変な思い込みや勘違いも多く、話を一層ややこしくしてしまうトラブルメーカーでもある。
「エリカくんこそ、こんなところで何をしてるんだい?」
大神は駆けてくるエリカを待って、彼女に話しかける。
「はい。今日は市場の人に頼まれて、足の悪いおばあさんに果物を届けてきたんです。こーんな大きなメロンだったんですよ!」
エリカは両手をばっと広げて宙に大きくグルグルと円を書く。
(いくら何でもそこまで大きくないだろう)
大神とグリシーヌは揃って思った。だがエリカはそんな二人に全く気がつかずに、
「でも、そのおばあさんが『お礼に』ってトマトを下さったんですけど、それは丁重にお断りしました。やっぱりトマトはダメです。プリンじゃなかったのが非常に残念です」
「そ、そうなんだ……」
トマトが嫌いでプリンが大好きなエリカらしいが、それとお礼の品は別だろう。大神は頭を抱えたくなった。そこでエリカは急激に話題を変える。
「ところでグリシーヌさん。さっきタレブーさんが探していましたよ」
「タレブーが?」
グリシーヌの屋敷のメイド頭を勤めるタレブー婦人。大神も会った事はあるが、ちょっと厳しく気難しそうに見えて、その実グリシーヌを大切に思っている老婦人だ。
「何かあったのかな? 屋敷に戻った方がいいんじゃないか?」
「構わぬ。どうせまた花婿候補の写真でも持って来たのだろう。気にするな」
「えっ、グリシーヌさん結婚されるんですか!? おめでとうございます!!」
大神との小声のやりとりが、しっかりエリカに聞こえていたようだ。彼女はグリシーヌの両手を握り、ブンブン振っている。グリシーヌはパッと手を振りほどくと、
「何を聞いていた、エリカは。結婚などではない! 間違っても、変な噂など広めるなよ! 行くぞ、隊長」
何か聞きたそうなエリカを振り切り、グリシーヌは歩き去る。大神もそれじゃあと言って彼女の後に続いた。


そこから五分と歩かずに、問題の貴族・アンガージュマンの別宅に到着した。別宅ゆえにグリシーヌの屋敷とは比べ物にならぬほど小さく質素ではあるが、それでも一般庶民の家と比べれば雲泥の差だ。
「まだ、襲われた様子はないな」
「そうだな。周囲に怪しい物はないし」
二人は周囲をきょろきょろと見回している。そんな二人の方がよっぽど怪しく見えるのはなぜか。
しかし、警察を始めとする警備の姿はどこにも見えない。
門扉のところから屋敷の中を覗き込むと、うっすらと煙を吹き上げる人型蒸気がのしのしと歩いているのが見えた。きっと警備用に雇ったのだろう。
「ここで張り込んでいれば、いずれ姿を現わすであろう。警戒を怠るな、隊長」
「でも、ここで俺達が張り込んでいる事で、姿を現わさないかもしれない」
大神の言葉に、グリシーヌも「その通りだ」と思い、考え込む。
「そうだな。相手は神出鬼没の怪盗ではなく、荒っぽい手口の強盗だったな。確か、ここから少し離れたところにカフェがある。そこで相手を待とう」
こうした屋敷に力ずくで侵入しようとすれば、大きな音が出る。壁などを破壊しなければならないからだ。ならば、それから乗り込めばいいだろう、と。
別宅から百メートルほど離れた小さなカフェ。オープンテラスの席に陣取った二人。大神はコーヒー、グリシーヌはエスプレッソを注文。やがて運ばれてきたそれを、ちびちびと飲んで相手が来るのを待つ。
「来るかな」
「可能性の段階ではあるがな。さっきも言った通り、その確率はかなり高いと私は踏んでいる」
静かにカップを傾けるグリシーヌ。しかし横目で別宅の方を警戒するのも忘れない。
その時、大神の首にいきなり巻きついてきた物があった。
「隊長。朝っぱらからグリシーヌとデートかい?」
声をかけてきたのはロベリアだった。自分の腕を彼の首に絡ませ、耳元で囁くように訊ねたのだ。大神が驚くには充分である。
「ロベリア、いつの間に!?」
「……!」
グリシーヌは反射的に立ち上がって怒鳴りつけようとしたが、かろうじてぐっと堪える。
「ロベリアこそ、こんなカフェで何をしてるんだ?」
「アタシがカフェに来ちゃいけないとでも?」
飄々とした態度でさらりとやり返され、大神も言葉に詰まる。
「この先にアンガージュマンって貴族の別宅があるんだが、世間を騒がせている『義賊』とやらが、そこを狙うと踏んでね」
大神とグリシーヌは顔を見合わせる。
「もう少し経てば警備の交代で僅かに隙ができる。その隙に狙おうと思ってね。義賊とやらに取られる前に」
堂々と自分の犯行計画を喋るロベリア。まるで「止められるものなら止めてみろ」と挑発するかのごとく。
「ロベリア。いくら何でもそれを許す訳にはいかない。やるつもりなら力ずくで……」
「止めようってのか? その隙に義賊とやらにやられなきゃいいけどな」
止めようとしている大神の頭をポンポンと撫で、得意げに言い切る。
「どっちにしろ、あそこがやられたって誰も困りはしないって。むしろアタシら庶民は大喜びだよ」
「……人の不幸を笑うのは、いい趣味とは思えぬな」
押し殺した声でグリシーヌがぼそりと言う。その声に反応したのはロベリアだ。
「『人の不幸は蜜の味』ってね」
彼女はグリシーヌの表情が渋くになるのを見て小さく笑うと、
「それに昔から、庶民の敵は貴族なのさ。貴族が酷い目にあえば、酷い目に合わせたヤツは『英雄』として騒がれる。『義賊』なんて言葉があるのがいい証拠だろ」
ロベリアの言葉は、妙に説得力のある言葉として響いた。
「第一、あそこの貴族が裏じゃギャングのボスで、さらにイカサマカジノを経営してるって事は、アタシ達の世界じゃ有名さ。警察もアタシを追いかける暇があるんなら、ああいうヤツらを牢にブチ込んでほしいね」
そうすればカジノで儲けやすいしな、と彼女がつけ加えた。
グリシーヌは町で聞いた噂の真実に驚き、ロベリアの話のほとんど聞いていなかった。
「さて。そろそろ警備が交替する時間だ。行かなくていいのかい? 正義の味方さんよ」
呆れ顔で言い捨てると、真っ先に別宅めざして駆け出して行った。
「待て、今日という今日は許さんぞ!」
少し遅れて荒っぽく席を立つと、グリシーヌもロベリアを追って走り出した。

<弐につづく>


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