『奇怪な来訪者 参』
真っ暗なコンテナの中に入ったブリギットは、その中にうずくまる鋼鉄の巨人を確認する。
巨人ではない。その巨体は生物ですらない。まるで甲冑だ。その甲冑の胴が二つに割れ、中が見えている。
だが、ただの甲冑でもない。がらんどうの中身に代わって、様々な機械が埋め込まれていた。
その機械の真ん中に、人一人がようやく座れるほどの小さなシートがぽつんと一つある。
ブリギットは今着ている、身体にぴったりとした全身タイツのようなスーツの上に、シートに投げ置いた丈の短い赤いジャケットを羽織り、ファスナーをきっちりと閉める。
それから素早くシートに腰かけ、シートベルトを装着。それからジャケットの両肩・両手首にあるジョイント部分に太いコードをカチリと接続する。
それが終わると一番手前のスイッチ類を手際よく次々と弾いていく。
甲冑がガチンと閉じて彼女の全身がすっぽりと覆われ、真っ暗になる。
目の前の様々な計器類の針が緩やかに動きだした。通常の物と違ってメーター類はガラスで覆われておらず、総て針が剥き出しだ。
しかも普通と違う事に、中にはモニターのたぐいが一つも見当たらない。それでもブリギットは各種計器のメーターの数値を淡々と読みとっていく。微かな計器類のランプの小さな明かりの中で。何の迷いもなく。
蒸気圧・正常。各部駆動系・正常。各種制御系・正常。霊子力・安定。総て問題ない。
甲冑は正常に動いている事を知らせるように、背中の排気口は力強く白い煙を吐き出した。
「鼻をつままれても判らぬ暗闇の中」で、準備は整った。
外ではディアンケットがガンガンとコンテナを叩いているが、無視だ。急がねばならない。
仲間が命が危ないのだ。もう息を引き取っているかもしれないが、このまま無視する事などできない。
固い決意と共に操作レバーを握りしめ、静かに目を閉じた。
「モリガン〜。起動しますぅ〜」
ブリギットは、自分に言い聞かせるように小さく、しかし力強く呟いた。
イギリス有数の重工業社ナイアガ・ワット社製蒸気併用霊子機関搭載人型蒸気――蒸気騎士(スチーム・ナイト)モリガンは、コンテナの天井ハッチをこじ開けて立ち上がった。


ごがん。ぎぎききぃぃぃ。
上の方から金属がひしゃげる耳障りな音が聞こえてくる。
『ブリギット! やめるんだ!!』
ディアンケットの英語での悲痛な叫び声。英語にうといグリシーヌでも何を言わんとしてるか察しがつくくらいの。
コンテナの天井を無理矢理こじ開けて立ち上がった蒸気騎士・モリガン。ぶおっと排気口から白い煙を吐き出し、
《ディアンケットォ〜。あたしがみんなを助けてくるぅ〜》
外部スピーカーでそう告げると、一瞬で五メートルほどの高さへ飛び上がり、かなり離れたところへ着地。それからもの凄いスピードで通りを駆けていく。
夜の闇も手伝って、あっという間に見えなくなってしまったモリガン。ディアンケットは呆然とそれを見ていただけだった。
「彼女は何をする気だ? 『みんなを助けてくる』と言っていたが……」
グリシーヌはディアンケットにそう訊ねると、彼は少し言いにくそうにしていたが、
「さっきの無線です。調査中のチームが、何者かの襲撃を受けて全滅した、と」
その言葉に、さしものグリシーヌも顔が青ざめる。
彼等は諜報機関。戦闘のための部隊ではないにせよ、極秘に活動する者達だ。それ相応の戦闘訓練も積んでいる。通常の兵隊よりもよほど強い筈なのだ。
それをほぼ全滅にできる「何者」か。
「まさか……怪人の仕業か!?」
このところこのパリの町を騒がせ、グリシーヌ達巴里華撃団が戦っている「怪人」と呼ばれる異形の存在。
怪人の仕業であろうとなかろうと、そんな諜報機関の部隊を簡単に打ち倒せる存在がこのパリの町にいる。
それだけで充分だった。
「ディアンケット殿。私をシャノワールまで乗せてくれ」
グリシーヌは彼の肩を叩き、力強く言った。
「巴里華撃団のグリシーヌ・ブルーメールの名にかけて、必ず彼女を止めてみせる」
一瞬だけぽかんとしていたディアンケットだが、すぐにうなずくと、
「判りました。乗って下さい!」
二人は揃って車に乗り込むと、わずかな時間も惜しいとばかりに勢いよく走り出した。
グリシーヌの屋敷からシャノワールまでは、それほど離れている訳ではない。
しかし夜という事で通りに人が多く、スピードを出す事もできない。ましてや大きなコンテナを積んだ車であるので小回りも利かない。時間がかかるのだ。
本当なら急いでブリギットを追いかけたいディアンケットはかなり焦っていた。
「……正義感が強いのはいいんですが、どうも思い込みが激しいというか視野狭窄というか……。目の前の事しか見えないんです、彼女」
ディアンケットは心配そうに呟く。
「なるほど。そういった人物では確かに不安だろう。よく諜報部隊が勤まるな」
「あんななりですし、まだ十二歳ですから腕力はありませんが、かなり身軽です。霊力も持ってます。それに剣を扱う技量だけを取れば……大人でもそうそう勝てません」
自分の不安に同意したグリシーヌに、彼はそう説明する。
「剣の腕と身の軽さ……か」
それは昼間グリシーヌ自身の目で見ている。年齢の割に外見はかなり幼いが、それは実力とは関係ない。確かにあれだけの技量があれば、どんな部隊でも引く手あまたであろう。
もう少し年を重ね、なおかつ男だったら、きっといい軍人になれるだろう。覚える事はたくさんありそうだが。
それにしても、十二歳であれだけ剣が扱えるとは。過去どんな訓練を積んできたのだろうか。
当然のように浮かんできたその疑問。しかしディアンケットはそこまでは知らないという。
そんなやりとりをしているうちにシャノワールへ到着した。朝と違い、店を美しく彩るネオンがとても綺麗である。
「よし。貴公も来るのだ」
車を止めてほっと一息ついているディアンケットの腕を鷲掴みにしたグリシーヌ。驚く彼に、
「いくら何でも私の一存だけで光武Fを動かす訳にはいかん。貴公自身でグラン・マに頼んでみるがいい」
私も手伝うと言葉を締めると、問答無用とばかりに車から引きずり出し、そのままの状態で店の中に飛び込んだ。
名を知らぬダンサーやボーイ達が右往左往している。営業中なのだから当然だ。
しかしグリシーヌを見た途端、皆揃って「おめでとうございます」を連呼してくる。何がおめでたいのか判らぬまま遭遇したのは北大路花火だった。
日本の北大路男爵令嬢にして巴里華撃団の隊員。今は一人グリシーヌの屋敷に居候しており、彼女とは寄宿舎時代からの親友だ。
「どうしたの、グリシーヌ?」
「……緊急事態でな。グラン・マを探しているのだ」
「二人とも。どうしたんだい?」
二人の間に通りがかった大神も割って入る。花火は大神に向き直ると、礼儀正しくおじぎをして返す。
グリシーヌやエリカ同様、彼女も表向きはこの店でダンサーとして働いている。
ダンスと言ってもその踊りは日本舞踊。その衣装である着物姿なので、余計に折り目正しく感じる。彼女自身日本に行った事はないが、両親から大和撫子たれと教育を受けていたためか、和服姿も堂にいったものだ。
「大神さん。グリシーヌとそちらの殿方が、グラン・マにお会いしたいそうなのですが……」
グリシーヌはそう言って傍らにいるディアンケットを見た。大神は無意識のうちに軽くおじぎをする。
「挨拶はいい。知っているのか、知らぬのか?」
彼にしてみれば挨拶なのだが、何やら急いでいるグリシーヌには通じなかったようだ。少し苛立った声を上げる。
「店にはいる筈だけど……どこかまでは。俺も探すのを手伝うよ」
「私も手伝いたいのだけれど、これからレビューなので……」
大神は二つ返事で引き受け、花火の方は申し訳なさそうに断わる。
「でも、一体何の用なんだい?」
「ああ、それは……」
言いかけたグリシーヌだったが、同じ巴里華撃団の仲間とはいえ、自分から説明していいものかどうか言い淀んだ。どうしようか思案していると、
「何の騒ぎだい?」
まるで計ったようなタイミングで後ろから声が。もちろん声の主はグラン・マである。一同はホッと安堵の表情を浮かべた。
「ちょうどよかった。彼の話を聞いてはくれまいか?」
グリシーヌが開口一番そう告げる。
「この人は?」
グラン・マはグリシーヌの隣にいた作業着姿の男を指差す。
「グリシーヌの婚約者には見えないけどねぇ」
小さく言ったつもりだったが、彼女にはしっかり聞こえていたようだ。
「そんな冗談を言っている場合ではないのだ!」
かなりむっとした顔で声を荒げてしまう。それでも普段に比べ穏やかなのは、相手がグラン・マだからか。
「判ってるよ。エリカが『グリシーヌが結婚する』って大騒ぎしてたからね。だけどエリカの話だから、みんな真剣には信じちゃいないさ」
「しょうがないやつだな、エリカは……」
朝にしっかり念を押したにもかかわらず、しっかり「誤解した内容」を喋るとは。だがそれほど困った感じがしないのがエリカの美徳なのかもしれない。
今まで呆気に取られていて黙っていたディアンケットだったが、周囲をしっかり見回した上でポケットから例の懐中時計を出すと小声で、
「僕はイギリスの『王立特殊情報部』の諜報員で、ディアンケットと申します。あなたが巴里華撃団総司令官のイザベル・ライラック伯爵夫人ですね?」
巴里華撃団の名が出た事にグラン・マは少しだけ表情を固くする。花火は声もなく驚く。大神も声を上げそうになるが、場所が場所だけに慌てて口をつむぐ。
「廊下で立ち話も何だね。場所を変えるとしようか。グリシーヌとムッシュも一緒に来ておくれ」
グラン・マはあくまでも表面上は飄々とした態度だ。
「花火。済まないけどメルかシーにこの事を伝えておいてくれないかい」
その指示に花火は「判りました」と素直に従い、去っていく。グラン・マは一同を伴って支配人室へ入った。
「さて。そちらの話を聞かせてもらおうかね」
あくまでも見た目は穏やかだが、早速グラン・マが切り出す。ディアンケットは諜報機関の別動隊が壊滅した事。それからブリギットの事を簡単に説明し、彼女を連れ戻す協力をしてもらいたいと願い出た。
「こんな諜報部隊を壊滅させる事ができるのは、このパリでは怪人達の誰かに違いない。そうでなくとも、そういった存在がこのパリの町のどこかにいるのだ。これはパリを守る巴里華撃団としても捨て置けぬ問題だ」
グリシーヌも彼の後に続く。
「それに、犬死にになると判っていながら出撃を止められなかった私にも非はある。己の失態は己の力でカバーしてみせる」
そう語る彼女の目に焦りの色はない。あるのは一点の曇りもない、これを成し遂げたいという気持ちだけだ。
「仕方ないね。どうせ止めても無駄だろう。許可しようじゃないか」
少し考えるそぶりを見せて、グラン・マはそう言い切った。
「有難うございます」
「感謝する」
ディアンケットとグリシーヌの声が重なる。彼女は一秒たりとも待てぬといった感じで部屋を飛び出していった。
その後ろ姿を見て、グラン・マは格納庫にグリシーヌの光武Fをすぐに出動させるよう連絡を済ませる。
それから大神の方をちらりと見たグラン・マは、
「ムッシュは彼に協力してやっておくれ」
「俺が、ですか?」
大神は思わず自分を指差してしまう。
「当たり前だろう。グリシーヌの手綱をしっかり取れるのはムッシュくらいのものだよ。違うかい?」
質問を質問で返されてしまった大神。答えに窮していると、
「そのブリギットって子もグリシーヌも困ったもんだね。頑固というか、思い込んだら一直線というか。似た者同士なのかねぇ。全く大したじゃじゃ馬だよ」
グリシーヌが聞いたら激怒どころでは済まないかもしれないその言葉に、二人の男は苦笑いするしかなかった。


天井の壊れたコンテナにグリシーヌの光武Fが乗り込み、車は夜のパリの町をひた走る。
本来の任務であれば、光武F用の運搬列車「エクレール」を使うのだが、今回はグリシーヌ一人のみの出撃なので、この形をとったのだ。
グリシーヌは光武Fに乗ったまま、無線で話していた。
〈ところで、ブリギットは今どこにいるのか判るのか?〉
無線機から聞こえる、グリシーヌの苛立った声。何かしたいのに待つ事しかできないイライラした気分を持て余しているのがよく伝わってくる。
「全滅の連絡が来たのは、セーヌ川に浮かぶサン・ルイ島です」
サン・ルイ島とは、パリでも有名なノートルダム大聖堂があるシテ島の、隣に位置する島だ。
「なるほど。そこで連絡が途絶えたのなら、まずそこに行くだろうな」
ディアンケットの答えに、大神も同意する。行動がストレートなブリギットであれば、間違いなく最初にそこへ向かうだろう。
「でも……罠じゃないといいんだけどな」
ぽつりと漏らした大神の言葉に、ディアンケットが怪訝な顔をする。無線の回線からそれを聞いたグリシーヌが、
〈どういう事だ、隊長?〉
「こうした諜報部隊は、その存在を知られない事が強みの筈だ。その死体や機体の残骸を残しておく事はしないと思うんだ。敵がそれを回収したり処分したりするとは思えないし。そうなると残る仲間がそれらを処分しに来ると考えても不自然じゃない」
〈なるほど。残る残党をも殲滅させる考えか。あり得ない事ではないな〉
軍人らしい大神の考えに、グリシーヌも納得する。
「そうなんですよ」
ディアンケットがぽつりと言った。
「それに、あの機体はまだ応急処置しかしていない上に、燃料や水の補給はしていないんです。あのままでは下手したら町中で動けなくなります」
彼は少し言葉を切ると、
「それに、彼女はこのパリの地形をほとんど知らないんです。多分仲間がどこで全滅したのかも名前しか知らないでしょう。だから止めたんですけど、ホントにこっちの言う事を聞いてくれなくて……」
「……判ります、その気持ち。あなたも大変ですね」
大神がしみじみとうなづく。日本とイギリス。二つの国の男児が奇妙な共感を噛みしめていると、
〈いたぞ! 教会の上だ!〉
グリシーヌの無線の声で、二人はそちらを向いた。そこには暗がりの中で舞い飛ぶ鉛色の機体・モリガンの姿が。
市民の何人かが気づいて空を指差している。他国の諜報部隊にもかかわらず、かなり目立っている。
ディアンケットはすぐに無線のチャンネルを、ブリギットの乗るモリガンのチャンネルに合わせた。
「ブリギット! 止まって下さい!」
〈やだよぉ〜! みんなやられちゃったんだよぉ〜! 誰がかたきを討つんだよぉ〜!〉
昼間とは違う緊迫した雰囲気なのだが、口調のせいかそれがほとんど感じられない。
「そんな事を言って、どこへ行けばいいのか判ってるんですか!」
〈そうだ! かたきを討つその姿勢は立派だが、たった一人では返り討ちに合うのが必定だ。無茶な真似はよせ!〉
グリシーヌも無線で割って入る。
〈さっきのお姉さん〜? そんなのやってみなくちゃ判らないだろぉ〜!〉
ブリギットの言葉は勇ましいが、その口調はただのだだっ子である。
〈ディアンケット殿に聞いたが、その機体は燃料も水も残り少ない。戦っている最中に燃料切れを起こしたらどうする!〉
〈そ……その前に倒せばいいだけだよぉ〜!〉
〈無謀と勇気とを履き違えるな! それはただの自殺行為と何故気づかん!〉
「今の言葉。昼間俺がグリシーヌに言ったばっかりなんだけど」
二人の無線のやりとりを聞いている大神が、誰にも聞こえないようにぽつりと漏らした。
〈もう一度警告する。無茶な真似はやめて引き返せ!〉
〈うるさいっ! フランス人ごときにぃ〜、そこまで言われる筋合いはないぞぉっ!〉
まさに売り言葉に買い言葉の応酬。仲裁をするべき大神とディアンケットも割り込む余地がない。
だが、その言葉にグリシーヌが黙ってしまった。言い負かされたのかと思ったのは一瞬。次の瞬間、
〈……「ごとき」とは何だ!! もう許さん。降りてこい! このグリシーヌ・ブルーメールが成敗してくれるわっ!!〉
無線のスピーカーが壊れてしまいそうな怒声が車内に響く。おそらく車の外にも聞こえているかもしれないくらいの声だ。きっとグリシーヌの顔は怒りで真っ赤になっているだろう。
それからは説得交渉ではなく完全に口ゲンカだ。それもかなり低レベルの。ただでさえなかった割り込む余地がさらになくなってしまった。
「……どうしよう」
無線から聞こえる子供じみたやりとりに、大神が泣きそうな顔で呟いた。ディアンケットは、
「イギリスの人は、国民性からフランスの事が嫌いなんですよ」
「そうなんですか?」
「そうらしいです。僕はドイツ出身ですが、ヨーロッパだと国民性での好き嫌いってあるんですよ」
それをこの場で出さなくても……と、ハンドルを握ったまま深いため息をつく。
そうこうしているうちに口ゲンカはどんどん発展し、ついには、
〈決闘だ!!〉
グリシーヌとブリギットの怒声が異口同音にハモった。これには車内の二人は呆れるしかなかった。
ここまでエスカレートしては、本当に決闘でもしない限り収まりがつきそうにない。
しかし、生身でやるにしろそうでないにしろ、町中で堂々とやらかす訳にはいかない。
かといって邪魔が入りそうにない、決闘のできる場所といってすぐさま思いついたのは、やっぱりグリシーヌの屋敷にある決闘場だ。
でも、現在位置はだいぶセーヌ川に近づいてしまっている。ここから再びグリシーヌの屋敷へ戻るのはかなり時間がかかる。
その時、大神が持たされた無線機に飛び込んできた声があった。
〈ムッシュ。聞こえるかい?〉
「グラン・マ!?」
そう。聞こえてきたのはグラン・マの声だ。
〈怪しい人型蒸気の情報だけれど……〉
「今その操縦者を説得中です。でも、こじれて『決闘だ』って言ってますけど」
どこか弱々しく大神が答える。グラン・マは呆れた声を出して、
〈何やってるんだい。今警察の方に手を回して、そこから近いバスティーユの辺りの住民を避難させてるよ。もう少しでそれが完了するから、そこへ追い込んで、戦ってでも止めておくれ〉
思いがけないグラン・マの言葉。偶然にしろ舞台が整ってしまった。大神はそれを二人に提案する。
〈ブリギット。異存はないな!〉
〈そっちこそぉっ!〉
快諾したその答えは、これから決闘とは思えないほど、明るく元気な返事だった。


それから一時間後。パリ市内東部に位置するバスティーユ広場に一同はいた。
フランス革命の引き金となった「バスティーユ監獄襲撃」。その現場である。
現在では人々が集う広場となり、その中央には七月革命記念碑(フランス革命とは別の革命である)が建てられており、観光スポットや待ち合わせの目印などに使われている。
しかし、今は警察による避難勧告が出され、普段の喧噪が嘘のような静けさだ。
光武Fを降りたグリシーヌと、モリガンから降りたブリギットが向かい合う。
「決闘のルールは一つ。どちらかが戦えなくなるまでだ」
「判りやすくていいねぇ〜」
ブリギットもむっとしてはいるが、相手を挑発するような不敵な笑みを浮かべる。やはりこうしてみると年相応の子供にしか見えない。
いや。それにしても外見が子供過ぎる。十二歳と言っていたが、これでは五、六歳の子供だ。
「ブリギットが勝てばそのままかたき討ちに行かせる。グリシーヌが勝てば行くのはなしだ。いいね?」
大神もできるだけ優しく二人に念を押す。
「判ったよぉ〜。約束を破る事はしないからぁ〜」
ブリギットは大神の方を向いて強気な表情だ。こうして見ると、本当に普通の子供にしか見えない。人型蒸気に乗って軽やかに戦う戦士だと誰が信じるか。
『ブリギット。補給が終わったよ』
機体の調整をしていたディアンケットが英語で答える。別に補給をする義理などないのだが、グリシーヌが、
「決闘は正々堂々とやるべきだ。手負いの敵を仕留めても嬉しくはない」
と言ったからだ。だが機体の方は完全に直している時間はないので、やっぱり応急処置だ。
「じゃぁ〜、お姉さん〜。遠慮はしないからねぇ〜」
「無論だ。決闘で手を抜くような無礼な真似はしない」
さっきまで口汚く罵りあっていた二人とは思えない、爽やかな握手。決闘ではなくスポーツでも始めるかのようだ。
光武Fに乗ろうとしたグリシーヌに、大神が声をかける。
「気をつけてくれ、グリシーヌ。昼間の動きはただ者じゃない」
「判っている。このグリシーヌ。相手が子供であろうとも侮るような真似はしない」
向こうでもディアンケットとブリギットが何か話している。それを見つめて力強く言う。
一方、ディアンケットとブリギットの二人も、大神とグリシーヌが話している様子を見ていた。
『あの二人〜。恋人同士なのかなぁ〜?』
『判りません。でも、グリシーヌ殿はかなり彼を信頼しているようですね』
『あたしだってぇ〜、ディアンケットの事は信頼してるよぉ〜』
機体の整備を始めとした身の回りの面倒な事を一手に引き受けてくれているのだ。信頼していない訳がない。
『制限時間は……あと十分くらいですね』
『大丈夫〜。お姉さんを倒してぇ〜、みんなを助けに行くからぁ〜』
彼女を気づかうような、それでいて真剣な眼差し。そんな彼の胸中を知ってか知らずか、ブリギットは微笑みを返してモリガンに乗り込んだ。


全高2592mm。乾燥重量722kgの巴里華撃団の霊子甲冑・光武F。
腰に固定していた戦斧を外し、右手で持って力強くブンと振る。その刃は触れただけで岩をも砕きそうな鋭さだ。左手にはブルーメール家の紋章が描かれた盾を掲げている。
一方全高2284mm。乾燥重量663kgの英国王立特殊情報部の蒸気騎士(スチーム・ナイト)・モリガン。
腰の鞘から静かに剣を抜く。その剣は片手でも両手でも持てるタイプのロング・ソードだ。バスタード・ソードと呼ぶ人もいる。
西洋の剣は片手で扱うものがほとんどだから、珍しいといえば珍しい。こちらに盾はない。武装は剣のみだ。
お互いの武器を軽く掲げ、切っ先を軽くカチンと触れさせる。
それが決闘開始の合図となった。

<肆につづく>


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