4
「紅蘭さんッ」
「最上はん、来てくれたんか!」
大帝國劇場地下の格納庫で、紅蘭は花やしき支部にいる筈の最上と軽くハイタッチを交わす。
しかし、挨拶もそこそこに、最上はすぐさま現状に対する説明を求めた。
「緊急呼集で来てはみたものの、一体どうなってるんですか」
「大久保長安の怨霊がミカサを乗っ取ったんや」
「ミカサを? 市街への蒸気供給のために分解した筈なのに……」
「来る途中で見てないんか? あれはもう、ミカサやない。怨霊列車や」
顔を歪めて苦しそうに吐き出した紅蘭に、最上は表情を変えずに腕をまくった。
その雰囲気を感じ、俯いたせいでずり落ちそうになっていた眼鏡を押し上げて、紅蘭が頭を上げる。
「私達に出来る、最善のことをしましょう。私達はそのための人員ですから」
「最上はん……」
「指示を下さい。紅蘭さん」
そう言って、早くも臨戦態勢に入ろうとした最上を見て、紅蘭が微笑する。
それまでの戦いで煤のついた頬を拭い、紅蘭は気合を入れ直した。
「そやな。まだ諦められるかいな。ミカサは、止めなアカンのや」
そう言って自分の拳を握り締めた紅蘭を見て、最上は力強く頷いてみせた。
それを少し恥かしげな表情で応え、紅蘭は最上に意見を求めることにした。
「ミカサを停める秘策かなんかはあるかいな」
「内部に侵入する以外は……ミカサは、外部からの指示を全く受け付けない設定になっています」
「ほな、落とすしかないんやな」
あっさりと結論付けた紅蘭に、最上は小さく頷く。
紅蘭自身、先程の作戦司令室で米田に言われたことを忘れたわけではなかった。
「じゃあ……ミカサを落とすという前提で光武の微調整を行うんですね」
さすがに厳しいと思ったのか、最上の表情が硬くなる。
最上は技術主任になる前、単なる作業員としてミカサの建造に関わっていた。
それだけ、ミカサの技術の高さを知っている。
「ミカサはプログラムによる操縦が可能です。最近の金色の蒸気の能力を考えると……」
「プログラム上での完璧な行動を見せるやろな」
あっさりと肯定し、紅蘭は早くも自分の工具箱を開いていた。
格納庫には帝都花組の光武二式をはじめ、巴里花組の光武F2式も格納されている。
最上たち、花やしき支部の技術者が呼び出されたのも、人手が圧倒的に足りないからだった。
「最上はん、大神はんの光武の修理状況はどうなっとるんや」
「あ、それについては……」
光武に向かって歩き出そうとしていた紅蘭は、最上の言葉が途切れたことで足を止めた。
足を止めて振り返った紅蘭は、最上の視線の先にいる、帝國華撃団花組隊長の姿を見つけた。
「なんや、大神はん。光武の確認に来はったんか?」
スパナ片手に大神へそう話しかけた紅蘭は、いつになく硬い大神の表情に戸惑いを見せた。
その紅蘭の表情に気がついたのか気がつかなかったのか、大神は格納庫の中に入ってくる。
最上が、大神に対して静かに道を開けた。
「紅蘭、話があるんだが」
「何やの、大神はん。そんな硬い表情して」
やや強張った微笑を見せ、紅蘭が場を和ませようとしても、大神の表情は変わらない。
紅蘭の視線を真正面から受け止め、大神はゆっくりと話を切り出した。
「ミカサを落とすことが決まったのは、紅蘭も知っている筈だ」
「さっき、米田はんから聞いたわ。ウチなら、心配せんでもちゃんと戦えるで」
紅蘭の答えに軽く頷いて、大神は真剣な表情のまま、本題へと進む。
「ミカサ突入部隊に、紅蘭、君を選ぶつもりだ」
「……突入部隊? 部隊を二つに分けるんやな」
「あぁ。帝都の守りも必要だろう。突入部隊の数は、俺とマリアで相談して決めた」
「ほな、ウチを突入部隊に入れたんも、二人で決めはったんか?」
「いや、部隊の人間は俺一人で決めさせてもらった。花組の隊長として」
最上はただ、じっと二人の話を聞いていた。
大神も、道を開けただけの彼に何も言わない。
「理由は聞かん。ウチも花組の隊員や。行けと言われれば行くしかないやろ」
そう言った紅蘭に対して、大神は軽く首を横に振った。
そして、最上と紅蘭が予想もしなかった答えを口にする。
「強制はしない。生きて帰って来れる保証はない。今回の作戦だけは、隊員の意志が最優先とする」
「強制はしないって、大神はん」
詰め寄ろうかどうか迷った紅蘭より先に、最上の肩が二人の間に割って入る。
その肩の陰から首を突き出すような格好で、紅蘭が言葉を続ける。
「いつもと違うで」
そのことは大神も承知しているのだろう。
悩みは尽きない男だが、今の彼の表情はいつになく深刻で、直視できるものではなかった。
「大神はん……」
「貴方が大神隊長ですか」
視界に入ってきてはいたのだろうが、最上の最初の発言に、大神が視線を移す。
幾分驚きの混じったその視線を、最上は正面から見つめ返した。
「貴方が大神隊長ですね」
「そうだが、君は?」
「帝國華撃団の技術主任、最上慶光です」
「花組隊長、大神一郎です」
正来の性格からか、大神は自然に自己紹介を返していた。
それが彼の良さでもあり、ちょっとした弱点でもある。
「迷うくらいなら、しないほうがいいですよ」
「最上はん?」
紅蘭の問いかけに、最上は大神を見つめ返したまま頬に微笑を浮かべた。
最上は大神ほどの長身ではないが、さほど見上げる必要もない。
「迷ったら何もしない。それが私達の鉄則です。やる前に考え直す」
「だが、事態はそこまで悠長な展開じゃない」
そう答えながらも、大神の口調は最上に先を促していた。
紅蘭の視線が、二人の間を通う。
「誰かを入れ替えても成り立つと感じたら、それは失敗です。機械も人間も、同じことです」
「……大神はん?」
最上の言葉を聞いて考え込んだ大神が結論を下すまで、紅蘭が言えたのはその一言だけ。
大神の決断は早かった。
「紅蘭、突入部隊でいく。心積もりをしておいてくれ」
「了解や」
素早く敬礼を返した紅蘭に、大神は真面目な表情で敬礼を返した。
そして、紅蘭が敬礼を解く前に、二人に対して背を向けていた。
「最上さん、ありがとうございました」
「頑張って下さい。出撃前には、必ずいい報せが届きますから」
「……整備、宜しくお願いします。紅蘭、無理はしないでくれよ」
「心配しなや」
背中を見せたまま一度も振り返らず、大神が格納庫を出て行く。
その姿を見送って、紅蘭は隣にいる最上を見上げて笑った。
「いいこと言うやん、最上はん」
「憧れますからね、やっぱり。戦える人と言うのは」
最上がそう言って光武の方を向くと、最上を呼ぶ声が飛んできた。
それと同時に、最上の部下たちが最上の方へ集まってくる。
それを迎えながら、紅蘭は隣にいる最上が言っていた、いい報せということに思考を巡らせていた。
「主任、マリア機、花火機、整備完了しました」
「劇場の整備の方はどうしますか?」
「防御壁は前回の戦いで大破していますが」
「花やしき支部へ戻った方がいいんじゃないか」
口々に言い出す部下達の口を塞いで、最上はすぐに退却するように告げた。
不満を口にした部下を、最上は司令命令だと言うことを告げ、格納庫の外へと押し出す。
それを黙って見ていた紅蘭は、未だに作業を続けている他の部隊へと歩き出そうとして、最上に呼び止められた。
「紅蘭さん、光武に搭乗して下さい。最終調整をしますから」
「ウチの光武は後回しや」
当然のようにそう言った紅蘭の腕を、最上はしっかりと掴んだ。
そのまま強引に緑色の光武の前へ引っ張って行き、最上は紅蘭の顔を覗き込んだ。
「突入部隊の光武が先です」
「そやかて、ウチだけやないんやで」
「私が知ってるのは紅蘭さんだけですから」
最上の言い分を聞いて、紅蘭は小さく吐息をついた。
それでも素直に乗り込んだのは、少なからず最上の強引さを知っていたからだろうか。
言われたままに光武を起動させ、最上の指示するままに微妙な動きを繰り返す。
最初は意味がわからなかった紅蘭も、最上が関節の部分でしきりに動いているところを見て、声をあげた。
「そうか……そうやったんやな」
最上のしていることは、光武の関節に負荷がかかる状態での整備だった。
紅蘭が見逃していた、光武が起動し、動いていると想定しての整備。
それを最上がしたのである。
「起動しとるから、各部の負荷がより実戦状態に近くなってるんや」
「そういうことです。もっとも、私が出来るのは紅蘭さんの光武だけですが」
「何でやの。これは、皆に協力してもらったらできることやないの」
光武のスピーカーと集音機を使う紅蘭の声は、格納庫に反響していた。
それでも、格納庫に散らばる作業員たちが手を止めることはない。
「確実性のないことはしません。迷ったらしない。言ったでしょう」
「せやかて、ウチには確実に成果あるんやで。やらな損やないか」
「誤差の範囲です。ただ単に、私がやりたくて仕方なかっただけなんですから」
最上はそう言って、光武から離れた。
作業が終わったと知った紅蘭が光武から下りると、最上は黙って格納庫の出口を指した。
それに対して首を振り、紅蘭は最上の正面に立った。
「最後まで整備してくれて、ありがとうな」
そう言って右手を持ち上げた紅蘭の右肩に手を置いて、最上は微笑んだ。
持ち上げた右手をそのままに、紅蘭の頬がかすかに染まる。
「貴方の帰りたい場所で待ってます」
「……何やの、急に」
彷徨っていた右手が、髪の毛へと伸びる。
恥かしそうに視線をそらした紅蘭に、右肩の温もりだけが最上の存在を教えてくれた。
「言えなくて、悔やみたくなかったから」
「ウチは絶対に生きて帰って来るんやで?」
「約束じゃありません。私がただ待っているだけですから」
「……待たせたるわ」
そう言って、紅蘭が最上の左手を押し返す。
黙って紅蘭に押し返された最上は、左手を身体の横に戻した。
直立しあう二人は、紅蘭から先に動き出した。
「知らんで。ウチみたいな女は思い込みが激しいんやで」
「私の本性の方が怖いかもしれませんよ」
「えぇ勝負やな」
視線を合わすことなく紅蘭が走り去るのを、最上は静かに見送っていた。
5
帝國華撃団花組と巴里華撃団花組の全員が集合した作戦司令室で、米田は大神の肩に手を置いた。
全員の視線を集めながら、そのままの状態で米田が大神へと語り掛ける。
「大神、頼んだぜ」
「大神一郎、必ず任務を成功させ、生還致します」
「あぁ、信じてるぜ。お前なら、絶対にやってくれるってな」
出陣の儀式にも似た、米田と大神の誓いが交わされた途端、椿が悲鳴じみた声をあげた。
かすみがすぐさまその原因をかえでへと報告する。
「大型魔装機兵出現。軍の部隊が後退を余儀なくされています」
「なんてこと……」
かえでが表情一つ変えずに呟くと、すぐさまマリアが作戦を提案する。
「部隊を二つに分けましょう。ミカサ突入部隊に五人、地上部隊に八人ではどうでしょう」
「それでいいわ。戦力比はその程度が妥当だわ」
「マリア、紅蘭、レニ、すみれ君、カンナ。今呼んだ五人は俺とともに突入部隊だ。いいな?」
マリア、かえで、大神の素早い指示に、花組の間に緊張が走る。
さくらは荒鷹を握り締め、アイリスもジャンポールを抱きしめた。
「了解した。だけど、それでは地上部隊の戦力が乏しい」
冷静なレニの指摘に、大神はグリシーヌの方を見た。
突入部隊に選ばれなかったことに微妙な表情を浮かべていたグリシーヌは、大神の視線に気付かない。
そんなグリシーヌの肩を、隣へと立ち位置を変えていたロベリアが軽く叩く。
「な、何だ?」
「隊長が何か言いたげだぜ」
ロベリアの言葉に慌てて、グリシーヌが大神へと視線を動かす。
充分に視線を交わらせてから、大神は口を開いた。
「グリシーヌ、地上部隊を率いてもらえるな」
「無論だ。グリシーヌ=ブルーメールの名に賭けて、この帝都を好きにはさせぬ」
「任せたよ」
大神にしかできないと言われるモギリスマイルを浮かべられ、グリシーヌはつられて微笑を浮かべた。
ロベリアがメガネのズレを直しながら、グリシーヌの側を離れていく。
花火とコクリコがグリシーヌ同様に微笑を浮かべ、カンナが意気揚々と拳を鳴らす。
その小気味よい音を合図に、大神は表情を引き締めた。
「大神華撃団、出撃!」
「了解!」
常に動き出しの速いレニが、先頭を切って司令室を駆け出して行く。
それに続くようにロベリア、コクリコが続く。
一呼吸遅れて、グリシーヌと花火が連れ立って出て行くのを、マリアはじっと見つめていた。
「マリアはん?」
それに気付いた紅蘭が声をかけると、マリアは何でもないと言った風に微笑みを見せて立ち上がった。
その腕を捕まえて、紅蘭はマリアの耳を引き寄せた。
「心配せんでも、双武は完璧や。何たって、ウチが設計して、花やしきの連中が造ったんやさかいな」
「……二人乗りの光武なんて、操縦したことがないわ。いきなりの実戦で戦果を挙げられるかどうか」
「心配せんでも大丈夫や。マリアはんと大神はんなら、絶対に動かせる。ウチは信じてる」
「紅蘭……」
話している間に一番最後になった二人を、司令室の扉の所ですみれが呼んだ。
「急ぎませんと、カンナさんに獲物を取られてしまいますわよ」
そう言って余裕の微笑を浮かべるすみれに、紅蘭はマリアとともに口許を緩めた。
それを見て、すみれが軽く肩を竦めて見せる。
「行きますわよ」
「そうね。行くしかないもの」
「ほな、行きますか」
走るわけでもなく、これから舞台へ上がるかのように司令室を後にする三人を見送り、米田はため息をついた。
横に控えるかえでがそれを咎めると、米田は苦笑を浮かべた。
「戦えねぇってのが、これほど辛いもんだとは思わなかったぜ」
「司令、私たちには私たちの戦いがあります」
「そいつはわかってる。けどよ、俺が戦えるほど若かったらなって思っちまうぜ」
「大神君たちが戦える環境を守るのが、私たちの戦いです」
「そういうこったな」
米田が軍服のエリを外した。
軍帽を深く被り直し、往年の鋭さを取り戻す。
かえでとかすみたちだけが知る、正真正銘の米田中将の姿だった。
「かえで君、加山の奴を医務室から叩き起こしておいてくれ」
「了解しました」
「かすみ、敵戦力の分析を始めろ。ミカサのデータは一から取り直さなきゃならねぇ」
「はい」
「椿、巴里との連絡が取れねぇか試してみろ」
「了解です」
「由里、ミカサの航行プログラムへの介入を試してみろ。無理なら、直前まで入っていたプログラムを取り出せ」
「了解」
最初の指示を出し終え、米田が軽く唇をなめる。
「人間をなめるなよ、怨霊ごときが……」
そう呟く米田の眼光は、大神が到底およびもつかないくらいに鋭かった。
大神とマリアの搭乗した新型光武は、比類無き強さを見せていた。
二人分の霊力で制御される双武は、操者の相性が高ければ高いほど力を発揮する。
華撃団にとって、大神とマリア以上の操者はいなかった。
「カンナ、すみれ君、紅蘭の三人は左の副砲を破壊してくれ。レニは俺と一緒に右側を潰す」
強襲直後の蒸機の襲撃を難なく退け、大神がすぐさま指示を飛ばす。
マリアは地上部隊と連絡を取り合い、随時かすみから報告される、処理された情報を受け取っている。
「任しときなッ」
「お任せ下さいな」
「了解」
「ウチらに任せとき。ノープロブレムってやっちゃ」
それぞれに応えて来る各員に感謝しながら、大神はマリアに突撃することを告げた。
それに難なく呼応して、マリアが双武の動力機関の回転数を上げる。
「よし、行くぞっ」
「隊長、ボクが先陣を切る。援護よろしく」
それきり、レニが紅蘭たちへの通信を切る。
同時に双武からの通信回線も切られ、紅蘭は残っている二人と画面越しに視線を交わした。
「ほな、行きますか。ミカサの通路やったら、一列で進んだ方がいいんちゃうやろか」
「んじゃ、アタイが先頭だな」
「紅蘭が最後尾ですわね。それでは、参りませんこと?」
「おっしゃ!」
カンナが走り出し、すみれがそれをフォローする形で後に続く。
絶妙の陣形を自然に築いている二人の後ろを、紅蘭はいつでも発砲できる態勢で進んで行く。
もっとも、紅蘭が発砲する機会は皆無に等しかった。
「邪魔するとケガするぜぇ!」
「おどきなさい、三下ッ」
カンナがその鉄拳で致命傷を与え、討ち漏らした敵はすみれの長刀がすぐさま貫く。
絶妙のコンビネーションの前に、紅蘭に与えられた仕事はほとんどなかった。
したことと言えば、前を行く二人へミカサの通路の形態を知らせることだけだった。
副砲を破壊され、遂におとずれた怨霊の最後。
大神とマリアの乗る双武の一撃が、大久保長安の怨霊を撃破する。
「やったか……?」
身構えたままの大神が、そう呟く。
カンナとすみれもそれぞれ構えたまま、小さく息を吐き出した。
しかし、次の瞬間、かすみの報告が六人に更なる緊張を引き起こした。
「ミカサの動力部に異常な熱源を感知しました。ミカサ、高度減少中」
「墜落するんちゃうか?」
紅蘭の言葉に覆い被さるように、翔鯨丸に搭乗しているかえでからの通信が大神へと入る。
「ミカサの甲板からなら収容することができるわ。大神君、急いで」
「了解しました。総員、ミカサより脱出する。甲板に向かえ!」
大神の指示に、一番後方にいた紅蘭を先頭に花組が退却を始める。
ミカサに、双武を残して。<後編に続く>