『ネフライト 後編』

「大神はんとマリアはんが?」
「中尉とマリアさんがミカサに残ったままだと言うんですの?」
翔鯨丸に収容された四人が艦橋へ上ると、かえでから二人が収容されていないことを告げられた。
レニが苦しそうな表情をしているところを見ると、レニは気付いていたのだろうか。
「ミカサの進路を変える気やな……」
紅蘭の言葉に、カンナが苛立ちを隠せずに艦橋の柱に拳を叩き付けた。
すみれも、視線を落ちていくミカサへと向けた。
そんな中、レニは静かに艦橋の座席に腰を下ろすと、疲れ切った表情を浮かべていた。
「他に方法がなかった。誰かが残ってミカサの舵を取らないと、ミカサが帝都を潰してしまう」
「せやけど……」
紅蘭の視線を感じてはいるのだろうが、レニが顔を上げる気配はなかった。
そんなレニの心情を察したのか、カンナがポツリと呟いた。
「まぁ、あの二人ならやっちまうさ」
そう言ったカンナに、すみれも仕方ないと言うように同意を示す。
「お二人ですものね。きっと、成功させますわ」
その時、すみれの言葉を証明するかのように、ミカサがその進行方向を変える。
ミカサの艦首の先には、東京湾が静かな波とともに待っていた。
それを見た紅蘭が、慌ててかえでの方を振り返った。
「ミカサの強度は計算できてるんかいな」
「……戦闘の被害は全く計算できていないわ。水圧に対する強度計算はしたことがあるけど」
「ほな、中にいる二人はどうなるんや?」
紅蘭の問いかけに、レニが頭を下げたままながら、しっかりとした声量で自分の見解を述べる。
「最悪の場合、落下速度に耐えかねたミカサが水面で分解する」
「おいおい、じゃあ中の二人はどうなっちまうんだよ」
カンナの質問には答えず、レニは再び沈黙した。
すみれがミカサに向けていた視線は、徐々に険しさを増していく。
「おい、すみれ、どうなるんだ?」
「……御自分の眼で確かめるしかないようですわよ。もはや手遅れ……」
「テメェ、手遅れってのは何だッ」
声を荒げてすみれに近寄るカンナの腕を抑えて、紅蘭が大きな声を出す。
「ミカサは外部からの干渉を一切受け付けへんねん」
「んじゃ、何か? 今、中にいる人間にしか何もできないってのか」
「そうなんや。あの降下速度になったら、中の重力もそない簡単なことやない」
足を止めて、カンナが落ちていくミカサを睨み付ける。
刻一刻とミカサに迫る水面が、穏やかな表情を見せている。
その姿が、カンナにはまるで壁のように見えていた。
「ミカサ、東京湾に着水までカウント始めます」
翔鯨丸のオペレーターがそう告げたのを、かえでは軽く頷いてみせた。
できる限り無機質な声を出そうとしているオペレーターに、すみれが落ち着いた声で話しかける。
「……よろしいですわ。結果こそが全てですもの」
「は、はい」
カウントが止んだ翔鯨丸の中では、もはや誰一人音を立てるものはいない。
全員が固唾を飲んで、ミカサの着水を見守っていた。


「ミカサ、東京湾への着水を確認」
「かえで君に現場の確認をさせてくれ」
「了解しました。翔鯨丸、翔鯨丸……」
椿が翔鯨丸との交信を始めたのを確認して、米田は静かに軍帽を脱いだ。
その瞼には、疲労の色が色濃く残っている。
「長官、地上部隊のグリシーヌから指示を求める通信が入っていますが」
「……どうしたってんだ?」
「大神隊長の出迎えに、光武のまま向かってよいのかとの判断を仰ぎたいそうです」
かすみの報告を聞いて、米田は困ったように表情を緩めた。
その仕草さえも、かすみには辛そうに映る。
米田のここまで苦しそうな表情は、長く華撃団に務めるかすみでさえも、見たことがなかった。
「好きにさせろって言いてぇが、一度帰還させてくれ。あの光武で暴れられちゃあ、迷惑だ」
「はい」
かすみが再び米田に背を向ける。
しかし、米田が思うよりも早く、かすみは米田の方へ向き直っていた。
「長官、私はまだ皆の死顔を背負えますよ」
「かすみ。縁起でもねぇこと言うんじゃねぇよ」
「いいえ、大神さんたちのことじゃありません。華撃団の誰でも、私は死顔を背負えます」
「……頼りにしてるぜ。特別賞与は出せねぇけどよ」
そう言って肩を竦めて見せた米田に、かすみも頬を緩ませた。
「特別休暇を一週間でもいただければ」
「冗談じゃねぇ。お前に休みなんてやれるかよ。帝劇が書類の山に崩れちまうぜ」
「かえでさんが倒れちゃうわね」 
「由里ったら。かえでさんじゃなくて、加山さんの間違いじゃない?」
待ち構えていたかのように会話に割り込んで来た由里に笑い返しながら、かすみが静かに席を立つ。
「あたし、珈琲がいいな」
「はいはい。長官も珈琲でよろしいですか?」
かすみの問いかけに小さく頷いてから、米田は由里と椿に頭を下げた。
そして二人も、立ち上がって米田に敬礼を返す。
「ご苦労さん」
「また、明日から書類の日々ですね」
「今回は長官にも、たくさん判を押してもらいますからね」
二人の言い方に思わず失笑を漏らしながら、米田は席を立ち上がった。
二人に向けたその背中は、いつもの支配人に戻っているように由里には見えていた。


大神一郎とマリア=タチバナは、二人そろって元気に帰還を果たした。
それをさも当然のように出迎えた仲間たちに笑顔で手を振り、二人は墜落したミカサを降りてきた。
破壊された街に降り立ち、大帝國劇場までの道のりを歩く。
難を逃れた住民の呼び声に手を振り、目に止まった救助活動には人数を繰り出す。
そうして、大帝國劇場に到着すると、さらに大勢の出迎えが彼女たちを待っていた。
「おかえりなさい、みなさん」
「おかえりなさい」
「副司令、お疲れ様でした」
「お疲れ様です」
その出迎えに対し、大神とマリアを先頭に、花組が敬礼をする。
すぐに敬礼を返した米田だったが、大神が敬礼を解く前に相好を崩した。
「バァカ、帝撃の凱旋に敬礼する奴があるかよ。まったく、軍人気質の抜けねぇ奴だぜ」
「は、はぁ……」
気概をそがれてしまった大神をフォローするように、マリアが敬礼を解いて米田へ結果を報告する。
「怨霊の消滅を確認し、花組総員、一人の欠員もなく帰還いたしました」
「ご苦労さん。マリア、大神、それにみんな……ありがとよ」
いつになく湿っぽかった米田の最後の言葉は、誰にも届くことがなかった。
加山のギターの大音量が、その場にいる全員の耳をふさいだのだ。
「いやぁ、しぃあわせだなぁ〜」
「か、加山?」
「てなわけで、そこの最上君、頼んでおいたものを頼めるかな」
加山の声に、最上が大型のカメラを抱えて現れた。
音を立てながら設置されたカメラの反対側にもぐりこみ、最上が声を出す。
「はい、撮りますよ!」
「それでは大神さん、どうぞ!」
さくらの言葉に、全員の視線が大神へと集中する。
いつものごとく慌てながら、マリアの無言の叱責を受け、大神は空咳を一つ交えてから腹に力を溜めた。
「勝利のポーズ、決め!」


「どや、いい風やろ」
「ちょっと飛ばし過ぎじゃないですか?」
「まだまだや! まだメーター振り切っとらへんで!」
「振り切ったら爆発しますッ」
紅蘭特製の蒸気バイクにまたがり、紅蘭が楽しそうにアクセルをふかす。
その背中で、最上は振り落とされないように必死にしがみついていた。
「休みはたった四日しかないんや。グズグズしてたらもったいないやんか」
「し、死んだら終わりですッ」
「なんや、信用ないなぁ。この蒸気バイクはウチの自信作なんやで」
「運転に問題があるんですッ」
「ハハッ、そら仕方ないな。ほな、飛ばすでぇ!」
有無を言わさず、紅蘭は右手のグリップを大きくひねった。
跳ね上がるような仕草を見せて、蒸気バイクはひたすら加速を続けた。


蒸気バイクにも燃料を補給しなければならない時が来る。
前々から頭の中に入れていた補給ポイントで蒸気バイクを停め、紅蘭はヘルメットを脱いだ。
ヘルメットの中に押し込められていた髪が、密室から解放されれて風と遊ぶ。
二、三度首を振って髪の湿気を追い払った紅蘭は、道端に座り込んでいる最上に笑いかけた。
「どや、楽しかったやろ」
「……帰りは私が運転しますよ」
疲れきった声を出した最上に、紅蘭はチロッと舌を出した。
そして、ヘルメットを抱えたまま、座り込んでいる最上の横に立ち位置を変えた。
「綺麗な夕焼けやな」
「あぁ……夕焼けですね」
言われて初めて気付いたかのように、最上が顔を上げる。
空を美しく染める夕陽が、丁度二人を照らしていた。
「なぁ、最上はん」
「何ですか」
紅蘭の呼びかけに最上が視線を上げる。
最上の意に反して、紅蘭はじっと夕陽を見つめていた。
「ウチな、光武を緑色にしたのには理由があるねん」
突然切り出された話に、最上は驚きながらも黙るしかなかった。
紅蘭もそれほど返事を期待していた訳ではなかったのか、続きを語り始めた。
「ネフライトって、知ってる?」
「大陸原産の鉱石だったかな」
「そうや。よく知っとるな。ウチな、昔からあの石が大好きやってん」
そう言って紅蘭はおもむろに腰を下ろした。
紅蘭のための場所を空けてやりながら、最上は紅蘭の横顔を眺めた。
夕焼けに赤く染められた横顔は、どのような心情をも塗りつぶされてしまっていた。
「ウチ、大陸にいた頃には二人の姉さんがおったんよ。その姉さんがな、ネフライトの指輪をしてたんや」
最上が再び夕焼けへと視線を戻す。
紅蘭の視線は、夕陽から一つも動く気配はなかった。
「綺麗な姉さんでな、また指輪が余計に綺麗に見えたんや。まだ小さかったし、羨ましいってのもあったんやろな。いつかきっと、ウチもこんな緑色の宝石を持ちたいって思ったんや」
「……緑色の宝石ですか」
「そやねん。光武の色を決める時にな、ふと思ったんや。光武はウチの宝物やないかって」
「それで緑色に?」
「ハハ……子供っぽいかな。でも、あの時は本気でそう思ったんよ。宝物は緑色にしようって」
笑いながら、紅蘭はようやく最上の方へ顔を向けた。
その気配を感じて、最上もすぐに紅蘭と視線を合わせた。
「なぁ、最上はん……もう少し、このままでもえぇか?」
「……急ぐ旅じゃなし」
最上がそう答えると、紅蘭はスッと最上の方へ寄り、最上の肩に頭を乗せた。
紅蘭に右肩を封じられ、最上が仕方なく体育座りの姿勢をとると、紅蘭もすぐにそれにならった。
蒸気バイクを視界の隅に置きながら、体育座りの男女が二人。
「……夕陽、綺麗やな」
「いい風も吹いてる」
二人の周囲を赤い陽射しが包んでいる。
そして二人の背後では、森をかまえた山が二人を支えていた。

<ネフライト 終わり>


言い訳交じりの後書き

まずは「人生、70%が丁度いい」のキリのいいカウンター数クイズへの御参加、ありがとうございました。
当作品は、キリのいいカウンター数リクエスト作品として仕上げさせていただました。

そう言うわけで、サクラ大戦にて登場の小田原峻祐です。
御機嫌いかがでしょうか。

今回は悪い癖が出てしまいました。
場面を区切りたがるんです。対したカット数でもないのに。
作品の長さの割に、カット数を表す数字は非常に多くなっています。
中途半端な長さで書き上がってしまうところが、峻祐の作品らしいと言えばらしいのですが。

今までサクラ大戦では加山とかえでを軸に話を進めて来ましたが、今回は紅蘭です。
サクラ大戦としてのヒロインは一応マリアになっていますが、話のヒロインは御覧の通り紅蘭です。
そして、最上慶光と言う整備員との絡みをさせてみました。
紅蘭ヒロイン派の方には、少々疑問が残るかもしれませんね。

作品的には、サクラ大戦4の世界観です。
サクラ大戦4だと、紅蘭もそろそろ結婚適齢期と言うことで……指輪の話もしてみました。
大正時代に指輪を送る習慣はなかったと思いますが、紅蘭は大陸育ちだから、欲しがるかなと。

今回のコンセプトは、「紅蘭って一緒の価値観を持つ相手に恋愛感情抱きそう」です。
大神とは戦闘の際の仲間として、恋愛感情が芽生えたような気がします。
これだけ思ってくれるのなら、何かお返しをしなければと言った感じでしょうか。
だからこそ、最上慶光は整備員になってもらいました。
同じ技術者としての共感からの恋愛感情。

作品の中ではまだまだそのようなところまではいっていませんが、この先はそうなる予定です。
紅蘭はいざ恋愛するとなると突き進みそうですからね。
作品のあたりで眼を放してあげた方がいいと思いました(笑)

では、再びお会いできることをネフライトの緑色に誓いまして……。

小田原峻祐さん。有難うございましたm(_ _)m。
すみません。まだ「4」はやってません(話はイヤというほど聞いてますけど)。
サクラ大戦キャラの中でも紅蘭は「恋愛」というものがイメージしにくいキャラの1人かもしれません。書くのが難しかったと思います。
「恋愛」というよりも「仲のいい友人」というスタンスが似合うから(これはあくまで管理人のイメージですけど)。
けれども、この先どうなるのかが楽しみなカップルと言えるかもしれません。

ネフライトは翡翠(軟玉)ともいい、草緑色の鉱物です。そして、このネフライトは主に中国で産出されます。
緑色の光武を駆る中国生まれの紅蘭には、意外と合う宝石なのです。
けど「ネフライト」と聞いて、某有名美少女戦士の敵役を真っ先に思い浮かべてしまった管理人は、「サクラ大戦」ファン失格でしょうか??
――管理人より。


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