1
長い髪にブラシをかけながら、紅蘭は小さく吐息をついた。
光の当たり具合によっては紫色に輝く彼女の髪は、彼女の意志に反して、まとまる気配を見せない。
幾度となく繰り返される髪との格闘に彼女が小さな吐息を漏らしたとしても、それは決しておかしくはない。
「ハァ……嫌になるわ」
いつになく陰気なその声に答える者は誰もいない。
いや、いないからこその弱音だった。
紅蘭とて、一人になった時までテンションを高く持ち続けられる程、能天気ではない。
彼女も他の年頃の女性同様、人並に弱気な部分も持ち合わせているのだ。
「やっぱり油っ気が多いんかいな」
いくら髪を束ねていても、揮発する機械油が髪の奥にまで染み込んでくる。
そんなことは百も承知なのだが、だからと言って髪を短くする気にはならなかった。
チャームポイントでもある眼鏡とおさげは、もはや彼女にとってなくてはならないものなのだから。
「やっぱり、帽子はしっかりかぶっといたほうがいいんやろうな」
髪との格闘を諦め、紅蘭はブラシを洗面台に置いた。
風呂上がりに乾かした髪は、何とか方向性を持ち始めていた。
しかし、歌劇団の同僚であるさくらのような流れる髪には程遠いものだ。
それでもようやく洗面台の前から離れると、彼女自慢の蒸気冷蔵庫の扉に手をかけた。
大帝國劇場地下の職員専用風呂場に備え付けられた蒸気冷蔵庫は、彼女の自信作だ。
蒸気の力を利用して中の温度を一定に保つことができるこの機械は、歌劇団の全員が愛用していた。
「さて、フルーツ牛乳はあるかいなっと」
扉を開け、中のマーブル色の飲料を取り出す。
脱脂粉乳と、紅蘭印の砕粉機によって粉末化された柑橘類を混ぜた飲み物。
それを、紅蘭はフルーツ牛乳と呼んでいた。
もっとも、愛飲しているのは彼女の他にはカンナぐらいのものだったが。
「よっし、今日も元気や。元気出していかなアカンな」
腰に手を当てて、グイッとフルーツ牛乳を飲み干した紅蘭が気合を入れ直していると、風呂場の扉が開いた。
紅蘭がそちらへ視線をやると、早くもシャツを脱いでいるカンナが人懐っこい笑顔を見せた。
「よぉ、朝風呂かい」
「まぁ、そんなとこやな。カンナはんは走ってきた後の汗流しでっか」
「おぅ。最近、すみれの奴が風呂に入れって五月蝿くてよ」
「ハハッ。そりゃ、あの運動量で三日に一回なんて、乙女として反則やろな」
会話をしながらメガネをかけ終えて、手早く着替えをまとめ終わる。
カンナが軽く手を挙げて風呂場の奥に消えて行くと、紅蘭は生あくびをしながら荷物を持って風呂場を後にした。
ようやく、彼女の僅かな睡眠時間がこれから始まるのだ。
2
朝食の時間になり、紅蘭は眠い目をこすりながら布団から抜け出した。
もはや足の踏み場もないといった感じの部屋なのだが、当人はさして気にする様子もない。
「ふぁ……メガネ、メガネっと」
これだけは寝る前に定位置へ置いてあるメガネをかけて、首をグルッと回す。
小気味よい音を立てて一回転した彼女の首は、未だ疲れがとれていないことを教えてくれる。
だが、それでも紅蘭は服を着替え始めた。
疲れが取れていないことなど、起きる前からわかりきっていることなのだ。
「午前中は舞台の稽古やったかいな」
壁にかけてある黒板に視線をやり、その日の予定を確認する。
研究者の常として、思い付きがふんだんに盛り込まれた予定表は、彼女にしか読めない代物になっていた。
「ほな、午後は花やしきに行って、パーツの注文しよかな」
ついでに明日の休みを花やしきで過ごす予定を立てて、朝食後の予定を立てる。
明日の休みは定期的に与えられる休日なのだが、それでも外泊許可証は取る必要があった。
たとえ花やしき支部にいるとは言え、華撃団の一員としては当然の事だった。
「朝食の後に米田はんとこ行って、それから稽古に行こかな」
自室で思い付きを小さく呟く癖は、もはや治りそうになかった。
周囲の気配に敏感になって以来、呟きが他人に漏れ聞こえない場所は自室しかなかったのだ。
そこまで予定を考えて、乙女に似合わぬ大きなあくびをしながら部屋を出る。
大抵一番最後に食堂へ着く紅蘭は、大体一人で食堂へ行くことになる。
朝の弱い織姫でさえ、紅蘭よりは早く食堂へ行っていることが多い。
「あら、遅いわね」
「あ、かえではん」
書類を持って階段を上がって来たかえでとすれ違いざまに、軽い挨拶を交わす。
同じように軽い挨拶を返してきたかえでの腕の中にある書類量を見て、紅蘭は思わず苦笑を漏らした。
「お疲れさんです」
「ま、これくらいは平気よ。それより、髪、しっかり洗ってるのかしら。妙に照ってるみたいだけど」
両腕が塞がった状態で、かえでは視線だけで紅蘭の髪に触れた。
それでも歩みを止めないかえでに道を譲りながら、紅蘭は苦笑してみせる。
「どうしたって揮発するさかい……今んとこ、あれ以上の油はないんやしな」
「光武の整備もいいけど、もう少し女らしくしなさい。ずっと一人で整備しているわけにもいかないでしょう」
「ま、気をつけますわ」
そう答えて階段を下りて行く紅蘭の後ろ姿を見ながら、かえではそっと溜息をついていた。
「守りそうにないわね。それに、ちゃんと寝てるのかしら」
かえでは紅蘭が階段の折り返し部分に差し掛かると同時に、すぐさま踵を返した。
腕の中にある書類は、どう頑張ってみても日が暮れるまで処理に時間がかかるだろう。
かえではそう思いながら、書類の束を持ち直して自室の扉を開けた。
歌劇団が朝食を摂る時間は決められていない。
だが、朝の早いマリアとカンナを除く全員は、大体同じ時間に食事をする。
その日も、純和風の朝食を頬張っているさくらと、サラダを食べている織姫。
更にはパンとスープという、すみれとレニとアイリスが揃っていた。
マリアとカンナは既に朝食を食べ追えたのか、目の前に朝食の食器はなかった。
「あ、紅蘭。少しお願いがあるのだけど、稽古の後、少し時間あるかしら」
紅蘭が食堂に入るなり、食後のコーヒーを飲んでいたマリアが立ち上がる。
コーヒーを置いて立ち上がったマリアを手で制して、紅蘭は定位置である自分の席に腰を下ろした。
「かまいまへんけど、込み入ったことですのん?」
「えぇ。ちょっと時間がかかるかも知れないわ」
立ち上がったままで、マリアがそう答える。
そのまま立たせているのも悪いと思い、紅蘭は思いついたように手を合わせた。
「あ、マリアはん、悪いんやけど、立ったついでにウチにお茶くれへんか」
「えぇ。緑茶でいいのかしら」
微笑を見せながら厨房の方へ歩いて行ったマリアの後ろ姿からでは、事の深刻さはわからなかった。
紅蘭は深く考えることなしに、今日の予定表を頭の中で書き換えることにした。
「紅蘭、今日は三つ編みにしないのか」
話し相手だったマリアを失って、カンナが紅蘭に話し掛ける。
カンナの言う通り、紅蘭の髪は軽く櫛を入れた程度になっていた。
「今日は起きるのが遅かったさかいな。食べ終わったら編むつもりやけどな」
「なんだ。しっかり寝なきゃダメだぜ」
「気ィつけるわ」
その時、マリアが湯呑みを持って戻って来たので、紅蘭は朝食に専念することにした。
カンナも話し相手が戻り、そのまま朝食は滞りなく進んでいった。
稽古が終わり、汗を洗い流した紅蘭は、そのままマリアの部屋の扉をノックした。
その日、一番最後まで稽古を続けていたのは紅蘭で、マリアは既にシャワーを終えて部屋に戻っていた。
一瞬の間が空き、黒を基調としたスーツ姿のマリアが扉を開く。
「あぁ、待ってたのよ」
「ほな、お邪魔しますわ」
大きく開かれた扉から中に入ると、紅蘭は勧められるままにベッドに腰をかけた。
マリアは部屋にある事務机用の椅子を引っ張ってくると、紅蘭を正面にして腰を下ろした。
「実はね、華撃団の用件なんだけど」
「あぁ、新型光武のことですか。あれなら、もう少し待ってもらわんと……」
すまなさそうに頭をかいた紅蘭に、マリアは真顔で首を横に振った。
「そのことじゃないわ。実は、明日、隊長とかえでさんが陸軍に出頭することになっているの」
「はぁ」
「私と加山さんもその護衛という形で劇場を留守にするんだけど、紅蘭、貴方の予定はどうかしら」
じっと見つめられて、紅蘭は思わず背筋を伸ばした。
頭の中に思い浮かべた予定表と、光武の開発状況、報告書の締切日を天秤に乗せる。
出て来た答えは、花やしきに行かねばならないだろうということだった。
「ウチは花やしきに行こう思うてたんやけどな。マズイかな」
「悪いと言うことはないわ。花やしきなら、緊急時にすぐ対応できるし」
「さよか。ほな、ウチは明日、花やしきに一日中いるさかい。今日も、これから出るんよ」
花やしき行きが取りやめにならなかったことで、紅蘭はホッとした表情を見せた。
マリアも紅蘭の雰囲気に合わせたのか、真剣な表情から少し優しげな表情へと変わる。
「あまり根を詰めないでね」
「しっかり寝てますさかい、大丈夫ですわ」
笑顔でそう言うと、紅蘭は軽く勢いをつけて立ち上がった。
後を追うように椅子から立ち上がったマリアが見送る中、紅蘭は手を振って部屋を退出した。
自室に戻る紅蘭の頭の中には、早くも光武の設計図とパーツの開発状況が浮かび上がっていた。
3
「さて、そろそろ見回りして電気落とすかな」
一日の仕事を終えて、疲弊した身体を大きく伸ばしながら、最上は格納庫へと足を運んだ。
花やしき遊園地の地下に造られた帝國華撃団花やしき支部は、華撃団の技術の粋が集められている。
光武の開発や修理、その他華撃団の様々な蒸気機械を作り出している工房。
それが帝國華撃団花やしき支部だ。
「明日は一日中ラボ詰めかな」
光武の設計責任者である李紅蘭が花やしきに来ていることは、最上も知っていた。
技術主任として、整備の最前線を任されている最上がラボにつきっきりになるのは自明の理である。
しかし日頃は、花やしきの遊具の調整と管理に精を出す必要もあるため、一日中ラボに詰めることはなかった。
「ま、紅蘭さんに会えるってのはいいんだけどな」
そう言いながら、緑色と白色の光武が並んでいる格納庫の光武のピットスペースに、懐中電灯の光を当てる。
機密保持が最優先課題ともなる華撃団の工房としては、当然の見回り行為である。
「まぁ、賊の侵入を許す月組でもないけどな」
それでも念入りに確認を行うのが、華撃団の一員としての最低条件となる。
若いながらも技術主任の役職にいる最上が、その程度のことを怠ることはなかった。
「……ん? 誰か作業してるのか」
緑色の光武の下に引かれたままになっている台車を見つけ、最上は足音を立てて近付いていく。
足音を立てるのは、作業員が作業をしていた場合に注意を引くためである。
しかし、最上がすぐ隣に来ても、台車は一向に動く気配を見せなかった。
「おい、誰が作業してるんだ」
少し声を荒げて台車を軽く蹴飛ばしても、反応は全くない。
「まったく、誰か出したままにしたな」
作業員の中には、台車をいちいち片付けたりしない人間も多い。
明日一番の作業を残して就寝した場合、台車を取り付けたままにしておいた方が記憶が繋がりやすい。
そう言って、わざとそのままにする人間もいるのだ。
「おい、片付けるぞ」
誰に断ったのかは最上自身もわからないまま、とりあえず台車を引っ張り出す。
明日も紅蘭が一番最初に格納庫へやって来ることがわかっていた分、最上に遠慮はなかった。
紅蘭が作業しやすいようにしておいてやるのも、最上のちょっとした心遣いのつもりだった。
「……ん……ぁ」
「へっ」
台車を引っ張り出した最上は、台車の上に人が乗っていることに眼を丸くした。
乗っている人間の背丈が小さかったので、外から見ただけでは台車に乗っていることがわからなかったのである。
「ちょっ、こ、紅蘭さん!」
慌てて両肩を揺さぶると、眼鏡をかけたまま眠っていた紅蘭が薄目を開く。
焦点の定まっていない視線は、正面から覗き込んでいる最上を素通りしていた。
最上が何度も揺さぶりながら声をかけると、ようやく紅蘭は眼鏡を外した。
「起きて下さいよ、紅蘭さんッ」
「んぁ……あぁ、最上はん。何してはるの?」
眼鏡を外したせいか、痒みを感じた鼻先をこすり、ついでに眼の周りを拭う。
紅蘭のそうした一連の行動をじっと待ち続けて、最上は口を開いた。
「それはこっちの台詞です。一体、何時だと思ってるんですか」
「何時て……うわ、もうこないな時間かいな」
作業衣に着替えても変わらず懐に偲ばせている懐中時計を取りだし、紅蘭は頭をかいた。
時計の針は、軽く十二時を超えていた。
「遊園地も閉園して、これから消灯するところだったんです。見回りに来て見たら……」
「すんまへん。ちょっと、最近寝不足やったさかい」
「だったら、台車で寝る前に寝て下さい。身体を壊したらどうするんですか」
「そやから、すんまへんて……」
いつもは素直な紅蘭も、寝起きの機嫌の悪さも手伝ってか、口許が尖る。
そんな表情を見ても、最上の厳しい口調は変わらなかった。
「大体、年頃の婦女子が無防備な状態で寝ていてどうするんですか。賊が来たらどうするんですか」
「ま、まぁ、花やしきは安全やろ」
たじろぐ紅蘭に、最上は決して優しくはならなかった。
妹を心配する兄のように、正座した紅蘭に対して、頭上から苦言を呈する。
「花やしきにいる人間だって沢山いるんです。いつ、貴方が傷つけられるとも限らない」
「あ、あのなぁ」
「いいですか。無防備に寝るということは、いつその唇を奪われても文句は言えないということですよ」
厳しい表情を一向に崩さない最上の言葉に、紅蘭は肩透かしを食らったように体制を崩した。
無防備に寝ることと唇が奪われることと、どう関係があるのか。
人生の半分以上を機械弄りに費やしてきた紅蘭には、いまいちその理屈がわからない。
「別に台車の上で寝てたからて、そこまで言うことないやんか」
「そこまで言わなければならない程度なんです」
「そやかて、別にウチを狙ってる輩なんてそうそうおらんのやし」
大陸にいた時代は二人の姉に引け目を感じ、神戸では機械に熱中し、帝都では男性がいない。
そんな環境にあった紅蘭は、今一つ男性というものを理解できていない。
劇場にいる大神は紅蘭に特別な感情を寄せていないし、その他に近い男性もいない。
紅蘭にとって、最上ら作業員は仲間であって、異性を意識する存在ではなかった。
「甘い。今の貴方がどれだけ魅力的か、それがわかってないみたいですね」
「なッ」
紅蘭の顎に手をやり、力強く上を向かせる。
突然のことに抵抗できなかった紅蘭が目を瞬かせると、ようやく最上は厳しい表情を消した。
そのまま顎を放すと、自分の膝に手をついて立ち上がる。
座ったままの紅蘭が送った視線を、最上は微笑みながら受け止めた。
「それに、身体は大事にして下さい。紅蘭さんに倒れられると、全体の士気に関わります」
「す、すんまへん……」
反抗的な態度をやめ、素直な紅蘭に戻ったことを確認して、最上は緑色の光武に手を触れた。
紅蘭も立ち上がると、そこら中に散らばっている、使用していた工具類を片付け始める。
腰を折った態勢で片付けながら、紅蘭はまだ光武に手を触れさせている最上に話しかけた。
「なぁ、最上はん、最近の光武の調子がいい原因ってわかるかいな」
「調子、いいんですか」
「そやねん。不思議やねんけどな。旋回速度に微妙な違いが出てるんや。最初は気にせんかったけどな」
持参の工具箱に自分の工具をしまった紅蘭が、最上の横に立つ。
同じようにして光武を見上げながら、紅蘭は続きを話し始めた。
「データを見てわかったんや。確実にウチの動きの読み取りが早うなっとるんや」
「油のせいでしょう。いい油を使えば使うだけ、滑らかな動きになります」
「どうもそれだけやないと思うねん。それやったら、光武全部の動きがよくなる筈や」
「違うんですか」
「そや。ウチの光武だけなんや。それで、その原因を調べよう思ってな」
顎に手をやって考え込む紅蘭の姿からは、先程感じた眠気がまったく感じられなかった。
むしろ、爛々と輝き出した瞳が、気力の充実を物語っている。
そんな紅蘭に苦笑しながら、最上は光武から手を離した。
「多分、油の塗り方のせいでしょうね」
「塗り方か……盲点やな」
紅蘭がハッとして顔色を変えた。
思い当たる節があるのだろう。
「そうかもしれんな。それで誤差の範囲が広うなっとるんかもしれん」
「射撃系の光武の動きは、特に同じ動きが多いですから。自然とそう言う小細工もできます」
「小細工もできるて……最上はん?」
「技術主任の役職は看板じゃありませんよ」
そう言って微笑んだ最上は、そのままゆっくりと歩き始めた。
格納庫の電源の所まで歩ききった最上は、まだ光武の所に立ち尽くしている紅蘭に声をかけた。
「消灯しますよ」
「ちょ、ちょい待ち! 話聞かせてーな!」
慌てて自分の工具箱を持って走り寄って来る紅蘭に笑顔を向けて、最上はスイッチに手をかけた。
紅蘭が廊下の光で確認できるようになると同時に、格納庫の電源が落とされる。
見回りを続ける最上の隣に並んだ紅蘭はすぐさま話を聞こうとしたが、最上にやんわりと拒否された。
「企業秘密ですし、それは私達の仕事ですから」
「そやかて、帝劇で作業するのはウチやで。技術は共有しようや」
「駄目です。もしもコツがわかれば、それを常に発揮しようとしますからね、紅蘭さんは」
「そ、そんなことないで」
そう答えながらも、紅蘭の視線は泳いでいた。
数年間一緒に仕事をしてきた最上にとって、その仕草を読み取ることは容易だった。
「それに、まず無理です。それに私ができるのは、紅蘭さんの光武だけですからね」
「そやけど、マリアはんの光武くらいなら……」
なおも食い下がる紅蘭に、最上は足を止めた。
足を止めた最上に口許を緩ませようとした紅蘭は、次の瞬間に肩に手を置かれていた。
そして、そのまま半回転させられる。
「はい、宿直室です。今日は私が当番でしたから、一人で占領して下さってかまいません」
「いや、そないなことよりも技術を……」
「駄目です。寝て下さいね」
有無を言わさずに宿直室へ紅蘭を閉じ込めて、最上は見回りを続けるために歩き始めた。
宿直室は外から鍵がかけられるようになっている。
内側からも当然開けられるのだが、紅蘭はあえて開けることはなかった。
何よりも、身体が睡眠を欲していたのである。<中編に続く>