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「……と、いうわけで、今回の舞台を最後に、すみれ君は帝劇を去ることになった」
簡単な事情を説明して、許しを得たら、恒例のお別れ会。
巴里組が帰国し、かすみさんたちが帝都を離れ、米田さんが帝劇を離れ。
これで打ち止めとなるであろう、私の別れ。
一体、どれだけの傷をみなさんにつけたのか。
「すみれぇ……」
「アイリス、泣くのはおよしなさい。レディとして、別れのときに泣くのは、失礼ですわよ」
「でもぅ……」
泣きじゃくるアイリスが、可愛くないと言えば嘘になりますわね。
大人ぶっていても、中身はまだまだ子ども。
抱きついてくる身体は、折れそうなほどに細く、芯がない。
「すみれさん、どうして急に」
「限界を感じたのですわ。花組として、トップスタァとして」
「でも、すみれさんの演技は、まだまだ花組の中で一番じゃないですか」
「さくらさん」
本当、田舎娘だこと。
これが帝劇の未来を背負って立つ、女役のトップとは。
これでは、しばらく織姫さんにすべてをお任せするより他はないのかしら。
「自覚を持ちなさい。いつまでも、欧州がソレッタ・織姫を放っておくとでもお思いなのかしら」
「なっ……」
そう、その驚いた顔。
貴方には貴方の良さがある。もちろん、好ましいとは思いません。
それでも、さくらさん、貴方にしかできないことはたくさんあるのですから。
花組を支えなさい。その、貴方らしさで。
「それって、あたしが頼りないってことですか」
「それ以外に、何がありますの。男役のカンナさん、マリアさんに、貴方では役不足ではないかしら」
「うっ」
ほら、またそこで言葉に詰まる。
いつになったら成長していただけるのかしら。
いつまで、サポートしなければなりませんの。
「考えなさい。貴方らしさを。少なくとも、カンナさんの相手役が務まるように」
少しお酒がまわったのかしら。
言いすぎたのかも知れませんわね。
老婆心……いえ、花組の未来を案ずればこそ。
考え込んでしまうなんて、さくらさんにも、もう少ししっかりしていただきませんとね。
「失礼……少し、飲みすぎたようですわ。風に当たってまいります」
そう言って、楽屋から外に出て見れば、月が雲に隠されることなく輝いていた。
私の引退に、相応しい天気になりましたわね。
周囲の星の輝きを消してしまう、月明かり。
決して自らが光を放つわけではないのに、周囲の自ら輝くものを消してしまう月。
満月に近い月に照らし出された中庭は、目を凝らさなくてもみえるほどに明るい。
「……すみれ、行っちまうんだな」
あら、後を追いかけてきてくれましたの。
もちろん、妙にお節介なアナタなら、当然のようについてくるのでしょうけれど。
振り返って見れば、見上げるほどのデカブツさん。
アナタが男なら、私も神崎を捨てて、何もかもを捨てたのかしら。
……バカらしいこと。ありえませんわね。
「行きますわ。もう、戻りません」
「何も言わねぇよ。テメェがそうしてぇんなら、何言ったって聞かねぇだろうしな」
「泣いて引き留めるのなら、考え直してもよろしくってよ」
これこそ、売り言葉に買い言葉。
いつもアナタは、私の調子を狂わせる。
でも、それが心地よいのですわ。
「正直、テメェが一番最初に出てくんだってのは、何となく気付いてたぜ」
「そう」
「テメェか、さくらしか、帰る場所がねぇからな」
帰る場所がない。
アナタも、マリアさんも。私よりも年上の二人には、帰る家はない。
言われて見れば、カンナさんにもわかるほど、単純な予想ですわね。
「アナタは、いつになったら帝劇を離れるおつもりかしら」
「さぁね。わかんねぇよ。ここにしか守るもんはなくて、ここでしか守れねぇからな、アタイは」
こんな時だ。
こんな時、アナタと私の歳の違いを思い知らされる。
普段は底抜けに能天気なアナタが、ちらりと洩らす本音。
それが、悔しくてたまらない。
「私の分まで、よろしくお願いいたしますわ」
「テメェの分なんざ、守る気はねぇぜ」
カンナさんが、月を見上げていらしたのは、照れ隠しかしら。
それとも、単に美しい月に魅せられたせいかしら。
「テメェはテメェで、やるべきことができたんだろ。だったら、全身全霊でやり遂げな」
「そうですわね」
「ここに中途半端な想いを残すくらいなら、さっさと前言撤回しな。やめなきゃいいじゃねぇか」
「やめるわけにはいきませんわ。もう、決めたことですもの」
月が煩いこと。
ここまで明るく照らさなくても、よろしいのではありませんこと。
本当に、月というものはいつまでも無粋なものですわね。
「……じゃ、アタイからは一言だけだ」
思いのほか、アナタの強い眼差しは怖くなかった。
やっぱり、アナタは気に食わない人ですわ。
睨んでおきながら、何故、こうも私を落ち着かせてくれるのかしら。
「達者でな」
「……カンナさんも」
先に戻るぜって言われても、追いかけられない私がいた。
本当、憎たらしいその背中。
演技でアナタに負けたと思ったことは、一度たりとてありませんわ。
それでも、アナタの人間的な魅力には、たびたび負けたと思わせられた。
完璧な人間でもないアナタに、何故か敗北感を感じた。
桐島カンナ……アナタは不思議な人でしたわ。
そして、さっきから視界に映る邪魔な月。
「加山さんも、お達者で」
バサリと音をさせて、わざと私に立ち去らせない。
これが月組隊長の実力ね。
「霊感の鋭い神崎さんには、あらかじめお伝えしておいた方がよろしいでしょう」
「花組引退による、賢人機関からの、もしくは月組による監視のことかしら」
「お察しの通りです。万が一のことを考え、例外は認められません」
「構いませんわ。もちろん、私もそのつもりでおりましたから」
と、言うことは、神崎の中枢部に立ちいることは出来ないと言うことですわね。
さすがの私でも、神崎を崩壊させてしまっては本末転倒。
賢人機関と言えど、成り上がりの神崎財閥の台頭は苦々しく思っている筈ですものね。
「月組で任に当たれるようなら、お知らせしましょう」
「構いませんわ。私とて、神崎を担う身。多少の駆け引きには慣れております」
「……本気になりはしません。それでも、例外は起きるものです」
「よろしいですわ。部下からのご報告を、楽しみになさって下さいな」
心地よくはない、ですわね。
これが日常となるのなら、御免こうむりたいものですわ。
それでも、私は選んでしまうのでしょうね。
カンナさん、アナタがいるからかもしれませんわ。
何故か気になる、アナタのためだからこそ。
さくらさん、貴方のせいですわよ。
いつまで経っても頼りない、貴方が花組を支えなければならないから。
「それでは、これで」
影の気配が消えた。今度は、物音一つ立てることなく。
加山さん、貴方が本気になれば、私などは赤子の手を捻るようなものなのでしょう。
それでも、私は負けませんわ。
花組を護ると、私自身の手で決めたのですから。<後編に続く>