トガった彼女をブン回せっ! 第9話その6
『あンた一生女に縁がないじゃン』

いぶきに殴られ背後の木に背中から叩きつけられた昭士。受け身も何もない速度で叩きつけられて一瞬意識が飛ぶ。しかし背中の激痛で目を覚まし、派手に咳き込んだ。
それからいぶきは昭士を追撃に行くかと思いきや、いきなりその場でうずくまり、胃の中の物を吐き出したのだ。
《ったく「有難う」ですって!? 「助かった」ですって!? って事は、このあたしが人助けなンていう気持ち悪くて気色悪くてみっともなくて軟弱極まりない最低最悪の恥っっっさらしな事やっちゃったの!? マジでやっちゃった訳!? あーもう最悪。あーもう生きてたくない。あー死にたい。むしろ殺して死なせて。そんな記憶持ってるヤツもろともあたしを殺して。いっそ地球を爆破して。この歴史上からその出来事全部消しさってーーーーーーーっ!》
演技でなく本当にゲーゲー吐きながら、クセのある発音でこれだけの事をまくしたてるいぶき。その顔色は完全に血の気の引いた青い顔で、かつハッキリと見えるくらいの鳥肌が立っている。相当気持ち悪がっている証拠だ。
短い間とはいえいぶきと共にいて、いぶきの「人助け嫌い」を知っていたスオーラですら、このいぶきのリアクションには目を点にせざるを得ない。背中をさするなどの介抱すら忘れた程だ。
昭士曰く、いぶきは人助けや他人の為にという言動が『生理的・反射的に』嫌い。そのため誰かを助けた証=お礼の言葉に「反射的に」反応したのだ。その辺は昭士の作戦勝ちである。彼女の双子の兄というのは伊達ではない。
一方のヴィラーゴ村の四人は、そんないぶきをポカンとした目で見ていた。
それはそうである。原始的な自給自足の生活。一人一人が勝手な事をしていては成り立たない。皆で助け合い協力し合うのが当然であり常識でもある。
ジュンやボウが持っている「いくさし」の証を持つ者は村を好きに出て行く事が認められるとはいうが、勝手をして良いという意味では決してない。
世の中には、こんな人間もいるのか。驚き半分軽蔑半分の視線がいぶきに注がれている。
昭士はようやく咳き込むのが終わると、やっと安堵した笑みを浮かべた。どれだけ最低最悪の人間であろうとも、紛れもなく自分の妹であり、かつエッセとの戦いに役に立つ「武器」なのだから。
《じゃじゃ、じゃあ、早速》
《ナニする気じゃボケェ!》
いぶきがすかさず昭士のみぞおちに蹴りつける。それも渾身の力で。
昭士が変身して剣士の間は「周囲の物体を超スローモーションとして認識」が使えるが、そうでない時その能力はいぶきの物となる。だから今の昭士はその矢のような蹴りを認識できずまともに喰らう。
《いきなり変な訳わかンないだだっ広いトコに吹っ飛ばしてくれやがったの、どうせあンたがやったンでしょ!? おまけにあンなみっともない剣にされて。動けないトコずーーーーーーーーーーーーーーーっっっとあのままで。あンまりにもヒマだから数えてたわよ、日にち。そうしたらどのくらいだったと思う? ナンと七三九五一七日よ、七三九五一七日!! バカすぎるバカアキのあンたにも、ものすっっっっっごく判りやすくわざわざ言ってあげるとね、ナンと二〇二六年と二十七日よ! その間ビクとも動けないこの辛さや苦しみなンて、どうせおバカなあンたに言っても判らないだろうけど。これはもう同じ数だけ殺しても飽き足らないわよ、文句言わせないわよ、っていうか、あンたなンかの文句聞く気なンてこれっっっっぽっちもないけどね!! おとなしく七三九五一七回あたしにぶっ殺されろ! それでそれの一億倍くらいの年数あたしの前から消え失せろ!!!》
気持ち悪くて青い顔から一転。怒髪天衝く怒りで顔を真っ赤にしたいぶきは、みぞおちを蹴られてうずくまる昭士に猛然と殴りかかる。
拳。肘。膝。踵。余りの迫力と殺気に、一同は止めに入る事すら忘れている。そのくらいの勢いだ。
(初めて見たら、確かにそうなりますよね)
呆然としているヴィラーゴ村の四人を見て、かつての自分もそうだったと、スオーラは思った。同時にそんないぶきの言動に慣れてきている自分に少々落胆してもいたが。
一方いぶきは、彼が吹き飛ばされた影響で手放してしまったムータに目をやる。昭士が変身し、それに伴っていぶきが変身「させられる」アイテム。そうとしか認識していない彼女は、それを処分しようと手を伸ばす。
一種の防犯装置のような魔法がかかっており、そのカードをどうにかしようとすると酷い目に遭うのだが、それを知っていていぶきはカードに手を伸ばした。
細い指先がそのカードに触れた途端、
《あつっっ。ナニこれ。ナンでこンなに熱い訳、これ!?》
相当熱かったらしく、カードに触れた指先を口に入れて舐めながら文句を言う。
その時だ。そのカードに異変が起こったのは。
カードの表面が淡い輝きを放つ。それだけではない。カード自体がスライド式の絵合わせパズルのようにガチャガチャと独りでに動いているのだ。それもめまぐるしいスピードで。
だがいぶきはそんな異変には目もくれず、火傷した八つ当たりを含めて、昭士を殴るのを再開する。
このまま昭士を撲殺される訳にもいかない。いぶきが必要不可欠な「武器」であるのと同時に、昭士はその武器を世界でただ一人「扱える」剣士なのだから。
スオーラは取ってあったページの一枚を取り出し、そこに魔力を注ぎ込んだ。それから小声で呟く。
「NOUNODU」
その不思議な響きの言葉が漏れた途端、いぶきの様子が一変した。
《あっ。あれっ。ナニこれ。急に真っ暗? 音も聞こえない!?》
しかし辺りは昼間の森。真っ暗などでは決してない。スオーラが使った魔法『一定時間相手の目を見えなくする術』の効果である。
相手の目を見えなくする魔法ではあるが、奪われるのは視覚だけではない。聴覚・嗅覚・触覚といったあらゆる五感が全くの役立たずと化してしまう。一定時間の間だけだが。
いぶきは急激に自分の総ての感覚がなくなったため、完全にパニックに陥っている。その隙にスオーラは昭士を助け起こす。
「申し訳ありません。魔法が使えれば治療ができるのですが……」
「オレ。やる」
パニックになってそこらに八つ当たりを始めたいぶきの動きをかわしながらやって来たのはボウである。彼女は両手の指を軽く動かしながら昭士の前に立つ。
それからその大きな手のひらでそっと昭士の頬を挟んだ。そしてその額を軽く彼の額に押し当てる。
すると、いぶきの猛攻で受けた傷の痛みがすうっと溶けて消えていくような感覚に包まれた。
「ボウ様、治療の魔法が使えたのですか?」
昭士のケガがみるみる治っていく様子を見たスオーラが驚きの声を上げる。呪(まじな)い術師も自慢そうに、
「ボウは戦いも治療も得意の戦士でありんすえ」
筋肉に恵まれた体躯からは想像しにくい特技である。戦いはともかく治療の方は。
だが昭士のケガはすっかり良くなった。筋肉質で巨大な体躯ではあるがれっきとした女性に密着され、昭士は顔をガチガチに緊張させたまま礼を言う。
昭士のケガは治った。いぶきの感情も治った。もう遠慮する必要はない。
昭士は動きを止めたカードを手に取った。今まで青一色だったカードは、表が青裏が白という色に変わっていた。
確か以前、スオーラが持っているカードも白一色に変化していた。それまでは入った場所からでないと帰れなかったが、カードが白くなってからはそういう制限はないと言っていた。
という事は、自分のカードもそうなったのだろうか。カードに文字らしきものが書かれてあるのだが、その辺は自分では判らないので、帰ったら賢者にでも聞いてみよう。
そういう思いで、昭士はカードを眼前に突き出した。
そのカードから青白い火花が激しく散る。散った火花は次第に大きく広がっていき、彼の目の前で扉のような形で固定される。その扉が昭士に一気に迫って彼の身体を包み込み、消えた。
すると昭士の服装が一変。黒い学生服から青一色のつなぎ姿。胸、腕、脛に金属製の防具を身につけた、この世界で「軽戦士」と呼ばれる姿に。
そして五感が無くなってパニックになっていたいぶきは、さっきと同じ巨大な剣・戦乙女の剣の姿に。もちろん剣になっては自立できないので地面に倒れていく。
昭士は倒れる寸前にその柄を掴むと、一気に引き抜いた。
《ナニしやがンだこのド変態! いい加減にしろってのが判ンねーのかこのバカ!》
肉体が大剣に、着ている服が鞘に変身するため、鞘から抜かれる事は服を脱がされる事と同じなのだ。それを嫌がらない女はいないだろう。いくらいぶきと言えども。
だが昭士はいぶきの文句に耳を貸す事なく、肩に担いだまま森を出た。当然先程のように、湖からトビウオ型エッセが飛び出してくる。それこそ雨あられと。滝の水のごとくに。
だが剣を持った昭士は全く動じていない。剣をくるりと回転させて平らな面が相手に向くように変えると、力一杯振りかぶって、一気に振り下ろした。
ばぎばぎばぎぎぎっ!
《いっっっでええええぇぇぇええぇぇぇぇっっっ!!!!》
金属が押し潰される耳障りな音。砕けていくかん高い音。そしてそれをも上回るいぶきの悲鳴が辺りに響く。そしてその破片が散弾のように飛び、トビウオ達に襲いかかり、撃破していく。
さっきまで吹き飛ばすのが精一杯だった武器とは思えない威力。それを目の当たりにしたボウ、ケン、呪い術師の驚きと言ったらなかったほどだ。
たったそれだけで、自分達を苦しめ村の仲間を鉄の塊に変えてしまった魚がみるみるうちに破壊されていくのだから当然だ。
その間も昭士は淡々と戦乙女の剣を振り上げ、振り下ろしているだけだ。トビウオは次々と破壊されていく。
やがてトビウオが飛び出してくるのがピタリと止まった。
「アキ。スゴイ。やっぱり」
「戦乙女の剣。完全復活ですね」
ジュンが腕を組んでうんうんと笑顔でうなづき、スオーラもほっと胸を撫で下ろしている。
だが昭士は少し乱れた息を整えつつ、戦乙女の剣を真正面に構え直した。さんざん振り回されたいぶきは、もはや声を出す元気もないようで、はーはーと荒く息を吐く音だけが聞こえる。
全員倒したのだろうか。いや。そんな甘い敵はないのだが。何より辺りに倒れるヴィラーゴ村の住人達が、まだ元に戻っていないのだ。まだ何かいる。
根拠はないがそんな勘が、昭士に戦闘体勢を維持させた。
《おいお前ら。今のうちに運べる分だけでもこいつら運んでくれ》
後ろで棒立ちの皆に、湖を見据えたままそう声をかける。その声で我に返ったかのように、充分警戒しながら森を出た一同は、金属の像となった村人を一人一人森の中に運んで行く。
その間昭士はさざなみ一つ立っていない湖を油断なく観察している。
湖に来ていた村人はそう多くなく、金属にされた者は十三人。彼女達全員が森の中に運ばれた。
「アキシ様。全員運び終わりました」
スオーラが息を弾ませて昭士に報告する。その間湖からトビウオはもちろん水滴一つ飛んで来てはいない。だがそれでも金属にされた村人がそのままである以上、やっぱり何かいる。
……だが「何が」いる? 昭士が湖をじっくりと観察する。といってももう少し近づかねば観察にもならないが、近づいた途端「何か」に攻撃をされない保証はない。
だから昭士は一歩近づいた。やがて二歩。三歩。決して油断しないように。綺麗な鏡のようにさざなみ一つない湖面に向かって。
……さざなみ一つない?
昭士は片手で剣を構え、前方に注意しながら携帯電話を取り出す。それからカチカチとボタンを押し出した。そして横目で画面をチラチラと見た。
《スオーラ。一か八かの賭けになるが、今すぐ地震を起こしてくれ、魔法で》
ふふっと小さく笑いながらスオーラに頼む昭士。頼まれたスオーラはいきなりの頼みごとに一瞬ポカンとしてしまう。確かに「地震を起こす魔法」は残っているが。
「でっ、ですがアキシ様。敵の姿もないのにどうして?」
スオーラも金属の像となった村人が元に戻っていない以上敵はまだ倒されていない事を理解していたが、その敵がどこにいるのかまではさすがに判っていない。まずその敵を探す事が先決ではないのか。
《賭けだって言ったろ。湖そのものがドッカンドッカン揺れるようなデカイのを頼む》
「み、湖ですか!?」
唐突すぎる昭士の指示。だが彼は「賭け」と言っているその割に、何か自信を持っているような、力強い発言。一方のいぶきは「ふざけるなとっとと元に戻せ」と喚いているが。
このままでは膠着状態が続くだけである。あまり「賭ける」という事を好まない性分のスオーラだが、最後に残っていた「地震を起こす魔法」のページに、魔力を注ぎ込んだ。
「IUMEMO」
不思議なつぶやきがスオーラから漏れる。だが何も起きない。しかしそう思った次の瞬間、自分達が立っている地面が一気にガクンガクンと揺れ出した。
その揺れたるや半端ではない。木々にいた鳥や小動物がキーキーと鳴いて、一気に湖から離れ出したのだ。森に隠れている皆はとっさに木にしがみついて転倒を防がねばならない程の揺れ。
《いいぞいいぞ。もっと派手に!》
昭士は剣を地面に突き刺し、それに捕まって転倒を防いでいる。
《何やらかす気だバカアキ。とっとと元に戻してブッ殺させろってのが聞こえねーのか、てめぇ!》
興奮してテンションの上がった昭士に、トコトンやる気なくテンション低く、しかし殺気は桁外れに高いいぶきが怒鳴りつける。
ざざざざざっ。
地震が起こっても「波一つ立っていなかった」湖が、急にざわめき出したかのように水面を揺らす。そして、
ざっぱあああぁぁあぁぁぁぁぁぁぁんっ!
湖の水そのものが、天高く舞い上がったのだ。それはもはや水というよりは軟体動物か何かのように、湖の場所にそそり立っている。その表面も水というよりは水銀を思わせる液体金属のようである。
そしてその液体金属の塊から、再びさっきのようなトビウオが飛び出してきたのだ。それこそミサイルのように。
それはまるで液体金属の飛沫そのものがトビウオに変わったようにも見えた。
《なぁるほど。水そのものがエッセ? それとも水にでも化けていやがったか?》
「水に化ける!?」
昭士の言葉にスオーラが驚く。彼女の方がエッセとの戦闘経験はあるが、そんな例は初めてだからだ。
《良く判らん。ただあれだけ勢い良くトビウオが飛び出した直後だってのに水面には波紋の一つもなかったからな。何か変だと思ったんだよ!》
昭士は自分に向かって飛んでくるトビウオ達を、悠々と戦乙女の剣をバットのように振り回して叩き返す。剣に当たった途端トビウオは砕け散り、当然いぶきは痛がって痛烈な悲鳴を上げる。
しかしトビウオ達にさっきまでの勢いが全くない。これまでは飛び出したトビウオが自ら水中に戻ってきていたが、今は総て破壊されて戻ってきていない。数に限界があるのだろう。
するとその液体金属(?)はスーーッと上に向かって伸びていく。いや。球体になって空高く飛んで行く。
一瞬「逃げるのか」と思いはしたが、エッセはそんな甘いものでない事はよく理解している。
どのくらいの重さがあるのかは判らないが、自身の体重と落下速度を加算させて、こちらを押し潰すつもりなのだろう。
あのまま一気にこちらに落下して来られたのでは、自分は大丈夫でも後ろにいる皆、それからこの森までは保証できない。さすがにそういう戦い方はできる限りやりたくはない。
《トビウオは自分の身が危うくなると水面に飛び出す習性があるから、地震で全部飛び出してくれりゃ御の字と思ってたが、水そのものが飛び出してくるとは思わなかったぜ》
たった今携帯電話経由で仕入れた知識を披露しながら、昭士はそう言いながらポケットに入れていたカード――スオーラ達がムータと呼ぶそれをすっと取り出した。表が青裏が白に変わったムータである。
その変化の影響だろうか。戦乙女の剣の二メートル近い刀身の根元に、そのムータがスッポリと収まってしまいそうな薄いくぼみができていたのだ。
そのくぼみにムータをはめてみる。それは専用にあつらえたかのように隙間なくピッタリとハマった。
《おっ、おいコラバカアキ。一体ナニやらかぎゃあアアあばバァあっヴぁぶぁああっ!!!》
いぶきが昭士に文句を言っている最中、彼女は心の底から痛そうな悲鳴を上げる。当然何が起こったのか判らないスオーラ達は、いぶきの悲鳴に何事かと驚く。
《あつあづあづづづづううっっっあづあづあつあつつあっあっっづっっ》
人間の良心を直撃するような痛々しい悲鳴が戦乙女の剣から上がる。そして刀身から真っ赤な炎も吹き上がる。昭士はそれに構わず両手で剣を構え直した。
エッセは、まるでそれを待っていたかのように急速落下して来た。
昭士の真上に。
《ちえすとおおおぉぉぉぉぉぉおおおおおっっっ!!!》
昭士は切っ先が地面につく程大きく振りかぶり、ギリギリのタイミングを見計らって一気に力一杯振り下ろす。
《いでぇぇええぇぇぇええええぇぇっっっっっっ!!!!》
これまでで一番の絶叫を上げるいぶき。そして同時に全員の視界はまばゆい光で真っ白に染まった。


強烈な光を間近で見た影響で、視界の総てが白に染まる。視界を塞がれた彼等の耳に届く音もない。まるで視界の白のように耳の中も白く染まったかのようだ。
だがそれも時間が経てば次第に治ってくる。そうして治った視界に飛び込んで来たのは、恐るべき光景だった。
大剣を振り下ろしたままの昭士。その向こうに広がっていたのは……数十メートルに渡った何もない空間だった。
森も、湖も、ヴィラーゴ村の人間が聖地とあがめるその場所は、ただの何もない土がむき出しのクレーターがあるだけになっていた。
まるで何か巨大な手がごっそりと前方の空間を削り取った。ミサイルが直撃した痕。そんな感じの消失である。
言葉も無くして立ち尽くす皆の頭上から、淡雪のようにチラチラ舞い落ちる光の粒。その光の粒が金属となってしまった村人に降り積もり、元の姿に戻っていく。
それは無事にエッセを倒す事ができた証。喜ぶべき事ではあるのだが……ヴィラーゴ村の人間からすれば、古来から聖地と崇めていた場所が無くなってしまった訳である。助かったとはいえその胸中は複雑であろう。
《……凄まじい威力だな》
目の前の「消失」具合に、さすがの昭士もバツが悪そうに顔をしかめると、いつの間にか地面に落ちていたムータを拾い上げ、手にした大剣をえっちらおっちらと鞘に収めていた。
その時、昭士の腰のポーチから振動が。マナーモードにした携帯電話に着信があったようだ。素早く電話に出る。
「はい」
『私だ』
もうすっかりお決まりのやりとりとなった、賢者からの電話。もうつっこむ気力もないのだろう。賢者は早速話を切り出した。
『まず、ヴィラーゴ村の人達が聖地と呼んでいる「森の目」の湖の事なのですが』
《あー、悪い。今ちょうどそこに住んでたエッセのヤツをぶっ倒したトコなんだ。代わりに聖地とやらが吹っ飛んじまったけど》
昭士なりに済まなそうに言ったつもりだったが、電話の向こうで賢者が露骨に落胆する様子が見えるようだった。
『あなた達は相変わらず敵を作る事しかしませんね。こちらとしては、一刻も早く逃げる事をお勧め致します。もっとも、その森は普通の人では間違いなく方向感覚が狂って道に迷うそうですよ。例外は、その森で暮らすヴィラーゴ村の方々くらいです』
ため息混じりの賢者の説明に、昨日ボウが言っていた言葉を思い出す。自分達は平気だが、昭士やスオーラではダメだと。それはそういう意味か、と。
道理でこの森が「文明的な」開発を全く受けていない筈である。
《うーん。けどコンパスのアプリが俺のケータイに入ってるし、何とかなるだろ。多分》
昭士の買った携帯にプレインストールされていたアプリである。何でこんなモンが入ってるんだと思いはしたが、早速役に立ってくれそうである。それは森に入る前にきちんと作動してる事を確認してある。
大雑把に言えばボウの家から西に向かって進んできたのである。逆に東に進めば少なくとも森からは出られる。
そう思い、村人から袋だたきに遭わないうちにここから逃げようと、スオーラを探す。
ところが。
時すでに遅かったようで、昭士は村人のほとんどから鋭い視線を射掛けられていた。これまで森の中にいた彼女達は、ジリジリと昭士に向かって歩を進めてくる。
ところが。少々奇妙な事に気がついた。
ほとんどの村人からは怒りや恨みといった視線が浴びせられているのだが、ただ一人、呪い術師だけは違っていた。羨望、憧れといった視線。大好きなアイドルを見つめる瞳、と言えばいいのか。
その様子に違和感を感じて何もできないでいる村人達を置いて、彼女が一人だけがしずしずと昭士に近づいてくる。
「どなたにも抜けなかった呪われた剣を引き抜いたぇ。あちきらを苦しめた魚をたやすく倒したぇ。あまつさえ森を吹き飛ばす程の強さを持つ戦士……」
呪い術師の言葉に、昭士を取り囲もうとした村人達がざわめく。「本当か」。「信じられない」。そんな言葉をかわしあっている。その現場を見ていたと思われるジュン、ケン、ボウらに激しく詰め寄って詰問するものもいた。
「抜いた。剣。誰も。抜けなかった」
「倒した。強い。魚」
「吹き飛ばす。森。強い。戦士」
「えらい強い男の人がいんす」
何故か万歳三唱をする彼女達全員。その目を爛々と輝かせて昭士を見つめ、口には張りつけたようなニイッとした笑みを浮かべている。
そこで、昭士が思い出した事が一つ。
彼の世界にも女性ばかりが暮らす「アマゾネス」の村の話が伝わっている。その中の話に、彼女達はこれはと思う男をさらって来て、その男と子供を作り、産む。女なら村で育て男なら捨ててくる。
昭士は恐る恐る、まだ繋がったままの電話で賢者に問いかけた。
《あー。あのさ。賢者さんよ。この世界のヴィラーゴ村ってさ。男さらって来てそいつとの子供を産むって風習、あったりなんかする?》
『ありますよ。少しでも強い人間の血を入れるためだと聞き及びますが。もちろんさらわれた男性の救出活動もされていますが、森で必ず迷ってしまうため、救出はおろか村まで辿り着く事が稀ですね』
冷や汗、脂汗というのは、こういう時に流れるのだろう。昭士は手の汗が拭っても拭っても止まらなくなっていた。
一見(健康面「だけが」相当に優先された)美女に囲まれたハーレムのように見えるが実際は真逆であり、アマゾネスの村での男は奴隷同然の最下層労働者でしかない。言うなれば「子供を産ませる機械」である。飼い殺しである。
「ぬしの名前は何だぇ?」
後ろからポンと肩に置かれる手。その声は呪い術師と呼ばれた長の声に間違いなかった。ぎこちなく振り向く。
「わっちと子供を作りんしょう?」
その目は明らかに「色目」と呼ばれるものだった。そんな単語は知らないしこれまでの人生で向けられた事がないものの、絶対尋常ではないと断言できる目だ。
「長。ずるい。オレ。作る。子供」
「いや。オレ。作る。子供」
「是非わっちとお願い致しんす」
次々と村の女性が昭士の周りに集まり、口々に「自分と子供を作れ」とせっついてくる。
目の前で始まる恋のバトル。といえば聞こえはいいが、これほど嬉しいと思えないものはない。いくら異性に関心が薄いとはいえ、奴隷人生一直線はさすがにゴメンである。
《おーおー。奴隷なンてバカアキに相応しい扱いじゃない。女にヤられたい放題。良かったわねぇ。こンな事でもないと、あンた一生女に縁がないじゃン》
いぶきが心底楽しそうにゲラゲラ笑っている。そんないぶきを責めるようにスオーラが食ってかかる。
「イブキ様。いくら何でも言い過ぎです。そもそもヴィラーゴ村に縛られる訳にはいかないんですよ!?」
《あー。激ニブ女のヤキモチ? こりゃ傑作だわ》
いぶきの意地悪い笑いが止まらない。昭士は柄に彫られた女性像の顔面に拳を叩き込んで黙らせると、
《この場はとにかく逃げる。息の続く限り。足が動く限り!》
説得の通じない相手にはそうするしかない。昭士は通話を切ると、一目散に東に向かって駆け出した。もちろんコンパスのアプリを見ながら。そのすぐ後をスオーラも追う。
「待ってくんなまし〜」
「待て! 作れ! 子供!」
口々に叫びながら昭士達の後を追いかける村人達。例外はまだ精神的に子供のジュンとケン。それから最初からそんなつもりのないボウくらいである。
「アキ。大変」
「お前。いいのか」
のんきに見ているジュンに、ボウが声をかける。ヴィラーゴ村の人間の考えなら、強い男と子供を作るのは普通の事であり、推奨される事だ。そうやって子孫を作り村を維持して行くのだから。
するとジュンは「んーーー」と考え事をするように間を取ると、
「オレ。嫌い。面倒」
のんきに答えた。

<第9話 おわり>


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