トガった彼女をブン回せっ! 第9話その5
『気持ち悪ぃンだよこのブォケがぁっ!!!』

昭士と魔法使いへの変身を済ませたスオーラは、呪(まじな)い術師とボウの案内で、彼女達ヴィラーゴ村の人間が「聖地」とあがめる湖に到着した。
その湖は森の中にひっそりとある小さな――それでもだいたい直径十メートルくらいの丸い形の湖だった。昭士のイメージからすれば、湖ではなく池である。湖と池の明確な区別方法など判らないが、皆が湖と呼んでいるのでそう呼ぶ事にした。
溢れそうなくらいに水をたたえた湖の周りには、森の中にもかかわらず雑草一つ生えていないむき出しの土があるだけだ。その土がだいたい十メートルくらいの幅で湖をぐるりと囲んでいる。
真上から見た地図によると、この部分だけぽっかりと森の木々がなくなっているので判りやすい。そのためここを「森の目」と呼んだりもするそうだ。
この森のガイドを勤めるボウによると、稀にこの辺りにやってくる学者などから話を聞いたところ、この森が生まれたのは五百から千年は昔だろうとの事だ。
何もなかった土地に隕石が落下。その衝撃で地面が窪み、そこに雨が溜まって湖が誕生。その水源を頼って少しずつ木々が生え、それが成長して森になったというのが学者達の分析らしい。
湖の深さはだいたい三メートル程。単純計算でも直径十メートル深さ三メートルの窪地になみなみと水が溜まる程雨が降った事になる訳だ。
もちろん雨だからずっと降り続けた訳ではない。時に強く時に弱く。乾燥した時期もあった事だろう。
そういう事を考慮すると、湖ができてから森ができて今に至るまでにどれだけの年月が流れた事か。
昭士は気が遠くなるような長い年月を噛みしめ、視線のずっと先にある鞘に入った巨大な剣を見つめていた。
その巨大な剣が突き立っているのは、湖の中央にある直径数メートル程の小島だ。
その剣がいつからそこに立っているのかは誰にも判らない。何しろこの森を住処とする呪い術師達ヴィラーゴ村の人間には歴史を記録するという概念が全くないし、稀に来る学者達も「一切の劣化が見られないものの、相当古い筈」としか判っていない。
だがそれでも何世代にも渡って立っている物というのは判っている。そのくらいは昔なのだ。
《古より地に突き立つ呪われし剣、ってトコか》
意味もなく周りの雰囲気に浸っている昭士。木に隠れながらでなければ多少は絵になった事だろうが。
……むき出しの土の部分に横たわる、たくさんの人型の金属像をあえて無視して。
「アキシ様。どうされました?」
何となく、森の木の影に隠れているスオーラが、昭士の表情に気を使って問いかけた。
それはそうだろう。彼が見つめる巨大な剣は、紛れもなく昭士の双子の妹・いぶきなのだから。
別の世界の住人である彼は、この世界に来ると現在のような戦士の姿に変身する。同時に妹の方は彼の身長よりもずっと大きな重い剣に変身する。
しかし二人揃ってこの世界に来ないと、昭士はともかくいぶきがこの世界のどこに、さらにはどの時代に来るかも判らないと聞かされ、彼女を探す旅に出た訳なのだ。
いぶきは人間としては最低最悪と評価される究極の自分勝手人間。他人を助ける、他人の為になる言動を極端に嫌って絶対にやらないからだ。報酬を積まれても褒めそやしても、である。
それでもいぶきが変身した大剣「戦乙女の剣」がなければ、彼等が戦う侵略者・エッセとの戦いが大変苦しいものになってしまう。だから何としてでも探さねばならないのだ。
その剣がこうして見つかった事は不幸中の幸いである。しかし、そこへ行くまでがまた問題なのだ。
この森の中で原始的な生活を今も営む、女性ばかりが住むヴィラーゴ村の住人の話によると、今この湖には人を金属の像に変えてしまう空飛ぶ魚――トビウオが棲みついているという。
辺りに散らばるように転がっている人間の金属像は、そのトビウオに襲われた結果らしい。
村人総てが戦士であり狩人であり呪術師であるそうだが、そんな彼女達がなす術もなくやられてしまったのだ。
それもその筈。そのトビウオこそ、昭士達が戦わねばならない侵略者・エッセなのだから。
「エッセは金属に変えた物のみを食べるのですが、食べられた様子がありませんね」
スオーラは見える範囲に散らばる金属像の様子を見て言った。
《トビウオってのは三、四十センチくらいの魚だからな。おまけに陸の上じゃ生活できないし、人間サイズなら食べるだけでも一苦労なんだろ》
さっきのスオーラ達の反応からすると、この世界にトビウオという魚は存在しないらしい。詳細を知らなくても無理はない。昭士がそれっぽく言った適当な事をふんふんうなづいて素直に聞いているのだ。
「湖に近づくと襲って来んす。危ないでありんす」
着替えを済ませて着いてきた呪い術師が、こっそり小声で昭士に言ってくる。彼女としても本来は一刻も早く村の仲間達を助けたいのだが、森から出て土の部分に来るとそのトビウオが湖から飛び出して襲いかかってくると言うのだ。
このあまりにも凄惨な現場を見たジュンとボウ。それからそこから逃げるように助けを呼びに行ったケンの三人は、呪い術師の制止がなければ一目散に湖に駆け出して行っただろう。
だがトビウオの吐く煙はもちろん、ヒレなどで斬りつけられても金属の像と化してしまうため、いかに彼女達と言えども出るに出られないのだ。むしろ出てはならないと厳命されている。
《で。湖の真ん中の島に渡る方法は何だ? 舟とかないのか?》
「あの、アキシ様。まずは皆さんを助け出す方が……」
呪い術師に横柄に訊ねる昭士に向かってスオーラが少々気弱に異を唱える。聖職者らしくこの惨状をいつまでも放ってはおけないようだ。しかし昭士は、
《このままじゃその作業中に襲われて、助けるどころじゃねえよ。剣を取ってきてトビウオぶっ倒してからでも遅くはねえよ》
「……判りました」
確かにエッセを、特に戦乙女の剣で倒してしまえば金属にされた村人は元に戻る。そう思う事にした。
《じゃあ行ってくる》
「行って参ります」
気楽な調子で歩き出す昭士と、緊張を隠せぬ趣で歩を進めるスオーラが、実に対照的である。
一応とはいえ昭士が剣士でスオーラが魔法使い。スオーラは聖職者としての教育課程中、僧兵として棒術の訓練を積んではいるが、単純に身体を使った戦闘であれば昭士の方に歩がある。
だが今の二人には肝心の武器がない。昭士の剣はこの先の小島にあり、スオーラの魔法の本は失われたままだ。スオーラは被っている帽子のつばをギュッと握り、前を見据えている。
ザバザバザバッ!
湖が急に沸き立ったように波打ち、直後そこから銀色の弾丸が雨あられと飛び出してきた。もちろんトビウオである。
エッセであるトビウオは判らないが、実際のトビウオは時速七十キロくらいのスピードで空中を滑空できる(種類にもよるが)。
言い方を変えれば、時速七十キロの物体が雨あられと一直線に二人に襲いかかってきている訳である。それも十メートル以内という至近距離から。
剣士になっている間の特殊能力「周囲の物体を超スローモーションとして認識」できる昭士はともかく、スオーラにしてみればたまった物ではない。
もちろん彼等の体当たりやヒレの攻撃で金属の像になる事はないが、高速で飛ぶ物体が身体にぶつかり続けるだけでも結構なダメージだ。
《ったく、あんな狭い池のどこにこれだけの魚がいやがったんだ!?》
いくらスローモーションに見えていたとしても、こう次から次に来られては腕が追いつかない。魚は数え切れない程飛んでくるが、昭士の腕は二本しかないのだ。さらにとっさにスオーラをかばってもいるので動くに動けない。
「アキシ様! 今はイブキ様を助ける事が先決です。早く行って下さい!」
《ったって、こうトビウオが来たんじゃ、こっちも進めねえっての!》
数の暴力ここに極まれり。二人対数え切れないの魚――それも時速七十キロの「砲弾」が相手では、武器がなくてはさしもの二人でもどうにもならない。
昭士に戦乙女の剣があったなら。スオーラに魔法の力が残っていたら。悔やむまいと思いはしたものの、それでも悔やまずにはおれないその心境。
ところがである。急に辺りの木々が騒がしくなった。枝や葉が擦れあう音が辺りに響き出したのである。
すると、木の枝葉が急速に伸び出したのだ。それこそ二人を上から覆い隠すかのように。事実その枝葉に遮られ、トビウオの数が明らかに激減した。
ふと振り返ると、呪い術師が木に両手を当てて、何やら一心不乱に祈っている。周囲の枝葉の伸びはその祈りに比例するかのようにますます激しさを増している。
きっとこれが呪い術師が使える「術」なのだろう。意外な援護に二人は無言で感謝の意を表す。
だが相手は時速七十キロの「砲弾」である。普通の木々の枝葉ではさすがに防ぎきれるものではない。
その時、そんな二人の前に立ちはだかる人影があった。その人影は自分の身体にぶつかってくるトビウオを意に介さず手当りしだいに蹴散らすと、彼等の前に背を向けてしゃがみ込み、開いた両手の先を土の中に突き立てた。それから腕に力を込める。一瞬だけ赤い火花が走る。
すると土が大きく「めくれ上がった」のである。その様子は完全に土の壁。まるで土を使った畳返しである。さらにその土の塊が盾のようにトビウオの「砲撃」を防いでいるのだから驚きである。
「ジュン様!?」
そう。スオーラが驚いたその光景をやらかしたのは、後ろで待機している筈のジュンだったのだ。彼女はめくり上げた土の壁を本当の壁のように垂直に立てると、
「オレ。できる。物。堅く。行け。早く」
いつものようにニカッと無邪気な笑み。これだけの大技をなした直後とは思えない程の。
確かにタダの土の壁だったなら、至近距離からの時速七十キロの砲弾など防げはしない。スオーラにはさっきジュンの腕から一瞬だけ発した赤い火花が、呪い術師と同じ、魔法と同等の何らかの術によるものである事を見抜いた。
その術がタダの土の壁を堅い壁に変えたのである。確かに村人総てが戦士であり狩人であり呪術師であるという話は本当のようだ。
おまけにエッセに触れただけで金属の像と化す筈が、ジュンに限っては全く何ともないようなのだ。むしろ地面に落ちていたトビウオを鷲掴みにして「ナンだ。これ」と不思議そうに観察している始末。
そこでスオーラに思い至った点がある。ジュンが昭士達の世界に行くと、防御で使えばあらゆる攻撃を弾き返してしまう短剣に変身する。その特性がこの世界ではこういう形で表れているのでは、と。
だが自分達に都合がいい事は確かだ。昭士はスオーラに向かって、
《おいスオーラ。確か魔法の本はなくなったけど、いくつかの魔法のページは取ってあるって言ってたな》
スオーラの魔法は身体の中から取り出した分厚い本のページを破り取り、魔力を注ぐ事で発動する。万一を考えていくつかのページは破り取って保管してあると言っていた。
《どんな魔法が残ってる?》
昭士がそう問いかけるより早く、スオーラはページを隠してあるジャケットの裏地をごそごそと漁って、畳んだ数枚の紙を取り出した。
「はい。まず『動きを止める魔法の網を出す術』。それから『一定時間相手の目を見えなくする術』。後は『地震を起こす術』が残っています」
《……ロクなのが残ってねーな》
少なくとも、この状況で役に立ちそうなものではない。魔法の網もこれだけの数のトビウオを捕えるのは無理だし、数を頼りに攻めてくる連中相手に、目だけを潰してもあまり効果はなさそうだ。地震に至っては空を飛べる相手に起こしたところでどうなるものでもない。
しかし。昭士は考える。無いものを求めてもしょうがない。有るものでどうするか。それが生活において求められる、全人類共通の技能である。
《なぁスオーラ。「動きを止める魔法の網」ってのはどんな感じなんだ? 投網みたいな感じか?》
いきなりの昭士の質問に、不思議そうな表情を浮かべつつも正直に答える。
「投網だと思います。わたくしも投網は文献で知っているだけで、実際にやった事はないのですが」
《その網は遠くに投げられるのか?》
「目に見える範囲でしたら大丈夫です」
その答えに、昭士は「よしっ」と手を叩くと、壁の向こうを指差した。その向こうにある小島にはいぶき=戦乙女の剣が鞘に入った状態で突き立っている。それは既に確認してある。
《ジュン。一旦その壁を地面に倒してくれ。スオーラはそうしたらその網をいぶきに向かって投げつけろ。そして俺達全員で引っぱる!》
魔法の投網であればそのくらいはできるだろう。十数メートルの距離なのだし。
もっとも目標であるいぶき=戦乙女の剣の重量は約三百キロ。魔法の網でも切れない事を祈るしかない。
「判った」
「判りました」
ジュンとスオーラが同時に答える。そしてジュンは目の前の土の壁をドンと前に突き倒す。
ドシン!!
土の壁が倒れる音を合図に、スオーラも切り取っておいたページに魔力を注ぎ込む。
「VOANI」
短く呟いてから開いた手を突き出すと、その手から金色に輝く魔法の網が目標である戦乙女の剣に向かって一直線に飛んで行く。
網はトビウオの勢いに負ける事なく十数メートル先まで飛んで行き、戦乙女の剣をがっちりと絡み取る。それを見て取った昭士は横から魔法の網を両手で鷲掴みにすると、渾身の力を込めて引っぱった。
三百キロの重量と言っても、昭士だけはその重量を感じる事はない。どんな力自慢も抜く事ができなかったと呪い術師が言っていた剣は、非常にあっけなく引き抜け宙を舞う。
トビウオ達もその剣にゴンゴンとぶつかっているが、さすがにそれでどうにかなる剣ではない。宙を舞っていた剣は、昭士達の一メートル程手前に落下。さっきの土壁以上の轟音を立てて落下した。
《よしっ。反撃開始だ!》
昭士は素早く剣に近づくと剣の柄を力一杯握り、思い切り引っぱって鞘から引き抜いた。
全長二百十センチ(うち刀身百八十センチ)重量三百二十キロの剛剣が、長い年月を経て解き放たれた瞬間だった。
昭士は無言でその剣を振り回す。刀身の長さ百八十センチ・幅四十センチ・厚さ五センチの鉄塊がうなりを上げて宙を切る砲弾を叩き落とす。
振り回す度にぶおんぶおんと低い音が轟き、その度にトビウオ型エッセが何十匹単位で跳ね返され、地面に叩きつけられていく。
しかし死んだ訳ではない。ぎこちないがビクンビクンと身体を震わせてのたうっているだけだ。いつもであればいぶきの悲鳴と共に敵も跡形もなく吹き飛んでいる筈なのだが――
そこで昭士は思い至った。
《スオーラ。ジュン。一旦引く!》
地面に置きっぱなしの鞘の肩紐を掴むと、一目散に森の中に駆け戻る昭士。
「エッ!? アキシ様!?」
「アキ?」
唐突な彼の行動に呆気に取られかかる二人だが、さすがに多勢に無勢は理解しているので、一旦森の中に避難する。
一同は森の中に入って、湖の様子を観察する。
皆が森の中に入ると同時に、湖からトビウオが飛び出してくるのがピタリと止んだ。これまで飛んできた、地面に落ちていたトビウオ達は自分の身体をビチビチと器用に跳ね上げて湖に帰って行く。
一時は地面がトビウオで埋まっていたのに、あっという間にそれらがなくなった。後に残るのは金属の像にされた村人達だけである。
《やっぱり追撃はしてこないか》
「アキシ様、一体どういう事なのですか? 敵に背を向けて逃げるなど」
木の影から湖の様子を観察しながら、スオーラが不満の声を上げる。こうまでしっかりと不満をあらわにするのは、スオーラにしてはとても珍しい。
「そうでありんすえ。逃げるなとは言いんせんが、今の行動は酷過ぎんす」
呪い術師からもキッチリ責められる。ボウも、ケンも、ジュンも言葉には出していないが、憤りや若干の失望の眼差しを向けられている。
昭士は皆に「ちょっと待ってくれ」と苦労して制すると、抜いたままの戦乙女の剣を木に立てかけてその真正面で中腰になった。その視線の先には、柄に浮き彫りにされた両腕を広げる裸婦像(上半身。しかも逆さ)がある。
そのまま十秒程無言の時が流れる。口を開きかけたスオーラを、
《ちょっと黙っててくれ》
昭士は真剣な顔のまま手を挙げて制止する。そしてまた十秒程無言の時が流れた。
それでようやくスオーラにも、そして他の皆にも、昭士が「黙っててくれ」と言った理由を理解した。
声が聞こえるのだ。微かに。小さく。何かをぶつぶつと呟くような声が。
そして。それは間違いなく目の前にある大剣――戦乙女の剣が発しているものだった。
バカアキコロスバカアキコロスバカアキコロスバカアキコロスバカアキコロスバカアキコロスバカアキコロスバカアキコロスバカアキコロスバカアキコロスバカアキコロスバカアキコロスバカアキコロス
バカアキコロスバカアキコロスバカアキコロスバカアキコロスバカアキコロスバカアキコロスバカアキコロスバカアキコロスバカアキコロスバカアキコロスバカアキコロスバカアキコロスバカアキコロス

休む事なく止まる事なく、まるでお経か呪文のように平坦で、しかも感情が欠片もこもっていない声だ。
「アキシ様。この声」
《ああ。いぶきの声に間違いねえな》
「ぬし達にもこなたの声が聞こえるのでありんすか?」
顔を見合わせるスオーラと昭士を見て、呪い術師が驚きの声を上げている。それはそうだろう。この声を聞く事が「一人前の儀式」だったのだから。
こんな風に誰にでも簡単にできるような事を「一人前とみなす儀式」にしていたのだから、驚きも落胆も半端なものではない。
《それで謎が解けた。この剣はこいつが痛がれば痛がる程威力を発揮する。今のこいつは何をしても無反応。これじゃタダの重い鉄板だ》
昭士はそう言うと、木々生い茂る森の中で、苦労して剣を鞘に収めた。
《スオーラ。こんな状態の人間の意識を取り戻す方法、判らねーか?》
いきなり話を振られたスオーラも何とか真面目に答えようとするが、答えは出てこない。
仕方ない事である。彼女は聖職者であって医者ではない。もちろんケガの治療の心得はある程度持っているが専門ではない。どうしても知識の偏りは発生する。
呪い術師達ヴィラーゴ村の人間も、肉体的なケガならいざ知らず、そうでない「ケガ」の対処法までは判らないようで無言である。
《こうなったらあいつ頼みだな》
昭士は携帯電話を取り出すと、素早くどこかに電話をかける。
『どうかしましたか、剣士殿』
電話に出たのはこの国でも有数の賢者として知られている青年モール・ヴィタル・トロンペである。彼はこの世界の住人だが、別の世界から物を取り寄せるという魔法が使える。それが理由で携帯電話を持っているのだ。
《ああ、どうにかいぶきのヤツを見つけられた》
『それは良かったです。定時報告ですか?』
《良かったじゃねえんだ。こいつ何をしてもブツブツブツブツ呟くばっかりでな。「バカアキコロスバカアキコロス」って。その割に俺を目の前にしても何のリアクションもないと来てる。どうにかならんか?》
『またずいぶんとアバウトな質問ですね』
賢者も多少呆れた声を出すが、毎度の事である。いい加減慣れてもきている。
『ところで、妹さんはどこでみつかったのですか?』
《ああ。何かヴィラーゴ村の連中が「聖地」とか呼んでる湖だか池だか。あと「森の目」とかいう呼び名もあるらしいんだがな。その湖の中にある小島》
『判りました。少し調べて、こちらから電話をかけます』
それで電話は切れた。
昭士はため息つきつつ携帯電話をしまうと、相変わらず小声で「バカアキコロス」と呟き続けるいぶきを見る。
地面に埋まっていた鞘の部分と、そうでない部分の劣化具合が明らかに違う。という事は、さっきの説明にあった「隕石」というのは、十中八九戦乙女の剣=いぶきの事だろう。
野球のボール程度の大きさ・重量でも、隕石として落ちれば地表に多大なる被害をもたらす。ましてや全長二メートル重さ三百キロという「規格外」の刀剣である。何をやらかしたとしても少しも驚くに値しない。
だがその「隕石=戦乙女の剣」説が真実だとしたら。彼女はとんでもなく長い年月の間、ここに一人で立っていた事になる。
誰にも会えず。誰にも会わず。誰とも会話せず。……最後は人がいてもやらなかったろうが。
そんな長い年月たった一人でい続けたら人間はどうなってしまうのか。しかも動けない状態で。
ひょっとして孤独に耐えられなくなってしまうのではないか。
確かにいぶきは性格上今まで友達一人いたためしがない。そういう意味では孤独しか知らない人間だ。
だがそんな彼女でも人間社会の中で暮らしている以上、誰とも話さない、触れ合わない事はあったとしても、誰も見かけないという事はなかった筈だ。
だがこの世界に「落ちて」きてからの彼女はまさしく「一人」。究極の「孤独」。
そんな孤独に耐えられなくなった人間がどうなるのか。まだ高校生である昭士にはその知識も経験も考えもない。単に「寂しい」くらいしか思いつかない。
だがそれでも昭士の胸中には、実妹が長い年月辛く苦しい目に遭ってきたという心境。そんな目に遭うきっかけとなったのが自分の行動だという後悔。
そういった感情が「余りなかった」。
それはそうである。物心ついた時から彼女から徹底したイジメとしか言えない扱いしかされていないのだから。今とて「戦乙女の剣」という役に立つ武器が惜しいからという感情の方が遥かに強い。
そのためには、長い年月孤独でいたために普通ではなくなってしまった妹いぶきを元に戻す必要がある。
昭士はすっとカードを取り出した。この姿に変身したり、世界を行き来するのに使うカード。スオーラ達はムータと呼ぶそれをかざしてみせた。
カードの形がそのまま大きくなったような、青白い光でできた扉が眼前に現れた。その扉が昭士に迫り、通過。
するとそこには黒い学生服姿の昭士が立っていた。今まで剣があったところにはセーラー服姿の少女が一人、座らされた状態である。
昨日は元に戻れなかったが、今は二人が揃っているため元に戻る事ができたようだ。昭士はぼんやりと視点の合わぬ目をしたいぶきの肩に手をかけ、
《い、い、い、いぶきちゃん! いぶきちゃん!》
この姿になると昭士の言葉はドモってしまう。ドモり症だからだ。いつもならその辺も含めてバカにしたり拳や蹴りを繰り出してくるのだが、そんな気配すらない。
心ここにあらず。そんな形容がピッタリの無表情。瞳孔が開き気味の、どこを見ているのか判らない目。外界からの刺激が彼女に一切伝わっていないのだ。
剣だった時と同じように「バカアキコロスバカアキコロス」と虚ろに呟くだけだ。
《いい、いい、いぶきちゃん、しししっかり!》
昭士は意を決して彼女の頬を軽く叩く。何度も。それもだんだん力を込めて。
……だがそれでもいぶきは何の反応も示さない。普段なら昭士を見ただけでバカにして拳や蹴りを容赦なく喰らわせにくるのに。
いぶきの頬が真っ赤になる頃、スオーラはようやく昭士の手を止める事ができた。その小さく震える手は昭士を責めるものではない。何もできない、何も力になれない自分を責めるものだ。
呪い術師はもちろん、ボウもケンもジュンも、この場では何の力にもなれない。森に住む一流の戦士も、この場ではただの人だ。
それでも昭士は諦めない。何か手はないか。何か方法がきっとある。彼女がどんな状態であってもリアクションをする何かが。
だが「殺す」と言っている昭士を目の前にしても何もリアクションがないのだ。他にこれ以上の何かがあるというのだろうか。
……あった。
いぶきが嫌でもリアクションを起こさずにはいられない事。それこそ「反射的に」。それを思いついたのだ。
昭士は彼女の肩に手を置き、何となく深呼吸すると、意を決してこう言った。
《い、い、いいぶきちゃん。ああ有難う。た、た、助かったよ》
《気持ち悪ぃンだよこのブォケがぁっ!!!》
昭士の顔面に一瞬で叩き込まれたのはいぶきの、
怒りの拳だった。

<つづく>


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