トガった彼女をブン回せっ! 第28話その4
『まー、そりゃな』

鳥居の協力によって新しい携帯電話を購入した昭士。とはいえ新型にした訳ではない。今までと同じガラケーをわざわざ買っている。
異世界オルトラへ行った時に、物によっては「姿が変わる」、下手をすれば「存在できない」可能性があるからだ。
同じように見えてこの世界とオルトラ世界では構成している物質が異なるのだろうか。その辺りは検証した事がないし、検証のしようもないのでスルーして来た問題である。
だが、昭士がこれまで使って来たガラケーはどちらの世界でも姿形はもちろん能力もそのままである。そういう品物もあるらしい。
加えて幸か不幸か友人も少ない。メールやSNSでやりとりをする事が滅多にないのが幸いして、ガラケーでもそこまでの不便さはないのだ。
問題は、明日まで検査の為入院すると聞いているいぶきをどうするか、である。
オルトラ世界へ行く時も、この世界に帰る時も、昭士といぶきが「二人揃って」「同じ場所から」行き来しなければならないからである。
かつてそれを知らずに昭士だけがオルトラ世界へ行った際、いぶきは遥か過去のオルトラ世界に飛ばされてしまった。
合流ができたのは“奇跡”としか言えない偶然が重なったから。もうあんな奇跡は二度と起きないと断言できる。苦労など誰もがしたくはない。
ただでさえ非協力的すぎるいぶきを連れて行くのに死ぬ程苦労しているのだ。どこかで楽をしても文句を言われる筋合いはないと昭士は思っている。
そんな訳で昭士はもう一度病院にやって来ていた。いぶきを何とかして連れて行きたいからだ。
とはいえ医者に理由を説明する事はできない以上どうにもならないのだが、明日には退院可能なのだから何とかならないものか。一日くらい早めてはくれないだろうか。
そんな自分でもムチャクチャで矛盾のある考えだと判っているが、それでもどうにかならないか。そんな虫の良い事を考えつつ病院に入ると、廊下の奥から聞き覚えのある声が。
「こンな所にいられるか! 今すぐ出てくわ、ボケ!」
クセのある独特の発音。怒りに任せた怒鳴り声。もちろん声の主はいぶきである。発見された時と同じ留十戈学園高校の制服姿で、肩を怒らせのしのしと歩いて来る。
「待ちなさい、まだ検査は終わってない」
「要るか! そンなのはヘタレの弱虫がやってりゃ良いのよ。本人が良いって言ってンのにわざわざやる、フツー!?」
後ろから追いかけて来た医者に容赦なく回し蹴りを放ったいぶき。いぶきのかかとは相手が避ける間もなくみぞおちに叩き込まれる。
しかし「相手が受ける筈のダメージが自分に跳ね返って来る」という呪い(?)のような効果により、蹴られた相手はもちろんノーダメージである。
みぞおちに渾身のかかとを叩き込まれたのに等しい為、いぶきの顔が苦痛に歪んでいる。あそこまで見事に一撃を叩き込むと普通は息ができなくなるので当たり前である。
“こうなる”と判っているのに何度も何度も相手を容赦なく攻撃するいぶき。学習能力がないのかと馬鹿にされ続けているが、全く止めようとしない。
昭士はやっぱり医者に攻撃を仕掛けようとしているいぶきを見かねて、ポケットからムータを取り出した。
「う、う、動くな」
殴りかかろうとしたいぶきの動きがピタリと止まる。まるで強制的に誰かに掴まれて動きを止められたかのように。
これも色々あるムータの力の一つである。昭士はムータの力の一端で、いぶきのあらゆる行動を制限でき、また逆らえない命令を下す事もできる。
「いい、い、いい、いい加減にしなよ、いぶきちゃん」
呆れた昭士が声をかけるが、いぶきはやっぱり反抗的なままだ。懸命に振り向こうとしているのは判るのだが。
「ちょっと、アン……!?」
「だ、黙れ」
怒鳴りつけようとしたところを、間髪入れず黙らせる。それでも口だけはパクパクと動いているのでミュート機能も良いところである。
「助かりました」
胸を撫で下ろした医者が昭士に声をかけて来る。この病院に三日と入院していなかったのに、いぶきとその家族は病院中の人間に覚えられてしまっている。それがどれだけ異常な事か、全く判っていないのはいぶき一人である。
「実は今しがた検査担当の医師にケガを負わせてしまいまして。保護者の方にもご連絡を」
自身の拳や蹴りではない、いわゆる「物を投げつける」などの飛び道具の場合、ダメージがいぶき自身に跳ね返らない事は証明されている。医師のケガはそうやって負わせたのだろう。
「あ、ああ。そ、それ要らないです。いいぶきちゃん専用の、じょじょ、条例がありますので」
いぶきがあまりにも町で傍若無人に、独善的に暴力を奮って相手を傷つけ続けた為、もう保護者や家族の手に負えるものではなくなってしまった。
そのためいぶきが誰かにケガをさせた、何か公共物を破壊した場合、いぶき自身に責任を取らせるという条例である。
しかしそんな条例「程度」でいぶきの態度が変わる事は全くなく。相変わらず誰彼構わず暴力を振るい、ヤケ気味に物に八つ当たりして破壊している。
未成年で財力などないが、それでも請求はいぶき本人に行っているようで、条例施行後数ヶ月経たず総額がすでに八桁になったとか。
このペースでは、もう一生分の収入を総て注ぎ込んでも返済は不可能と判断され、よほどの事でない限りこの部分はうやむやになりつつある。
「とと、とりあえず、つつ、連れて行きますので」
昭士は「連いて来て」と命令すると、相手に殴りかかろうとしている上半身のまま、足だけが素直に昭士の後に続いて歩き出した。もちろん聞こえない怒鳴り声を発している口は動きっぱなしだ。
普通なら人目を引くどころの騒ぎではないが、正直に言っていぶきにかかわり合いたくない一心で、周囲の人間は無視を決め込んでいるようだ。
実に懸命な判断だと昭士は思った。
そんな昭士といぶきは病院の裏手にこっそりと回る。無音でギャーギャー喚くいぶきももちろん一緒である。
昭士は病院の壁に向き合うと、ポケットに入れたムータをまた取り出した。
幸い辺りに人影はない。これからやる事は、誰かに見られているとちょっと困るのである。
彼はそのムータを、目の前の壁に貼りつけた。
ぴぃぃぃん。
ガラスを指先でピンと弾いたような、高く澄んだ音が響いた。貼りつけたムータから溢れ出た光は、扉を描くように四角く広がっていき、固定される。
そう。それはまさしく青白く輝く「扉」だった。扉と言っても鍵穴もノブもないが、この光の扉に飛び込むと、スオーラの故郷であるオルトラ世界に行けるのだ。
行けるのだが、オルトラ世界のどこに出るのかは「知らない」。この場所からオルトラ世界に行った事がないからだ。いつも世界を行き来している学校内の剣道場からだとスオーラのいた教会の中に出るのだが。
変な場所に出なければ良いのだが、あちらの世界の地図を全く知らないので、行ってみなければ判らない。
だがこの病院から――変な格好で固まったままのいぶきを連れて学校へ行くのはどんな罰ゲームか。昭士の胸中はどんよりと曇る。
変な場所に出ない事を祈りつつ、昭士はいぶきの手を引いてその青い扉をくぐり抜けた。
二人の姿が青い扉の向こうに消えると、その扉も消え失せた。


昭士が扉をくぐり抜けた先は、だだっ広い草原だった。剣道場から入った時は教会だったので、少し変な気分である。
そして彼の服装もガラリと様変わりしていた。世界が変わる事によって昭士自身の姿形は変わらないものの、服装は変化するのである。
いつもは学校の制服から青いツナギのような服に変わるのだが、今回は私服にコートだったのでだいぶ違う服装になってしまっていた。
《道着じゃねーか、これ》
そう。普段の剣道部の練習の際に着ている道着だったのである。今はその上から黒いマントを羽織っている。ちなみに穿いているのはあちらと同じスニーカーである。
そして手には巨大な刀剣「戦乙女の剣」の柄が握られており、その切っ先は完全に地面に引きずってしまっている。
もちろん剣にはゴツイ鞘がしっかりとハマっているのだが、この剣はいぶきの肉体が変身したもの。外見や性格はともかく、中身は十代半ばの女子高生である。自分の服が汚れるのはさすがに嫌のようだ。
《だから引きずるなって言ってンだろ、バカアキ》
《じゃあもっと短い剣に変身してくれませんかね? この姿にしか変身できないんだからしょうがないだろ》
ドモり症だったその口調はこちらの世界に来ると解消され、むしろポンポン遠慮なく喋るようになる。いぶきと違って空気は読むが。
見るからに重そうなその剣を昭士は肩に担ぎ上げる。持ち手の部分だけでも五十から六十センチはあるので別に苦労はしない。
これはこの世界に来た、もしくは戦士になった時に、昭士だけはこの巨大兵器の重量を無視して扱えるというメリットのためだ。
自分の身長より遥かに長いその剣を担いだ様子は、さすがに注目を集めたらしい。作業着のような服装の青年が険しい表情で何か話しかけて来ている。
その服装は牧場で働く人間にありがちな格好であり、よくよく周囲を見渡せば牛や馬があちこちにいるのが判った。明らかにここは草原ではなく牧場だ。
だが何か言われても困る。昭士はこのオルトラ世界の言葉を知らないし、理解もできない。
覚える気や能力の有無ではなく、ムータの力で変身して戦士となるメリットに対し、こちらの世界の言語を理解する能力が無くなるのがデメリットなのである。
ムータを持つ者同士であれば、全く違う言語のままでも意思疎通はできるが、それだけに昭士一人でオルトラ世界の旅はできないのだ。
《やっぱりお前か。何か用か東洋人。しかもキモノ?で》
そんな遠慮なく声をかけて来たのは、何とガン=スミスである。
《用も何も、エッセが出たんだろ? 幸いっつーか生憎っつーか、いぶきのバカが病院追い出されてな。あと着物とはちょっと違う》
《追い出されたンじゃねーよ。自主的に出てきたンだよ、このボケ》
昭士の愚痴に珍しくツッコミを入れて来るいぶき。普段は関わりたくないとばかりに黙っているのだが。
《そっちこそこんなトコで何やってんだ?》
《こんなトコで悪かったな。ここにウリラがいるんだよ》
そう。ここはウリラのいる牧場だったのである。だが、当のウリラはガン=スミスではなくジュンを背中に乗せて牧場を駆けている。それがガン=スミスの不機嫌顔の原因である。
《レディは「ばいく」とかいうのを取りに行ってるよ。それでメリディオーネって場所まで行くそうだ》
スオーラが乗っているキャンピングカーでは馬のウリラまでは乗せられないので、バイクで並走するのだろう。さすがに一年近く共に戦っていれば、そのくらいは相手の考えは読める。
「バイク」の発音が微妙だったのは、ガン=スミスがいた時代にバイクという物が存在しなかったからだろう。
《ホントは……あの半分半分を呼ぶつもりだったみてぇだけどな》
ガン=スミスの言う「半分半分」とは左半身が男で右半身が女のジェーニオの事である。
確かにジェーニオの力ならみんなまとめて運ぶ事も雑作もないが、こっちから呼ぶのは難しいし、あっちの世界で色々と調べてもらっているところを中断させるのもどうかと。
昭士は今背負っている戦乙女の剣を、一旦ここに置いてもらえないか聞いて欲しいと、ガン=スミスに頼んだ。
《自分の剣なんだろ。手放すモンじゃねぇ。持って行け》
《こいつがあると馬にもバイクにも乗れないからな。重すぎて》
この戦乙女の剣の重さは三百キロと説明する。しかしガン=スミスは良く判らないという顔をしている。
ガン=スミスは元々地球の、それもアメリカ合衆国の人間だ。ヤード・ポンド法のアメリカでは、メートル法のキロという重さの単位を言われても全くピンと来ないのである。
ちなみにアメリカのヤード・ポンド法に置き換えれば、約六六〇ポンドといったところだ。
それでもスゴく重い事は理解できるし、剣が必要な事態になった時に困るのは昭士だけだと思い、近くにいた牧童を呼び止め、納屋の隅にでも置かせてもらえるよう頼み、了承された。
もちろんこの扱いにはさすがのいぶきも文句を言ってくるが、何となく柄に彫られた「両腕を広げている女性像」に厚手の布をグルグル巻きつける。猿ぐつわの真似ごとである。
ムータの力でいぶきを黙らせる事はできるかもしれないが、こうしてこちらの世界に来てからそれが解けている事から考えると、時間制限があるのかもしれない。それではあまり意味がなかろうという昭士なりの考えである。
とりあえず柄を布でグルグル巻きにして、納屋の壁に立てかける。少しだけくぐもった文句が聞こえて来たが、無視である。
そこに遠くから聞こえて来たのはエンジンの音だ。この世界にはまだまだ「機械」が少ない。スオーラが乗って来たバイクのエンジン音だろう。
聞こえて来た奇妙な音にガン=スミスが音の方を向くと、何かに馬のように跨がったスオーラがやって来るのが見えた。自分の知らない「何か」のなかなかのスピードに驚いている。
《なるほど。あれが「ばいく」ってヤツか。乗り物か》
《そっかー。アンタの時代にはバイクも自転車もなかったもんなー》
どことなく嫌みを込めた昭士の発言に、ガン=スミスはじろりと睨みを利かせる。
実際自転車もバイクもガン=スミスがこちらの世界に飛ばされてから急速に開発や発展が進んだ代物である。ガン=スミスが知らないのは当たり前だ。
さすがに牧場の放牧エリアにバイクを乗り入れる程無作法ではないスオーラは、きちんと柵の手前でバイクを停めて、降りてこちらに向かって来る。
その格好がオルトラ世界での格好――中性的な少女に戻っていたので、ガン=スミスは密かにガッカリしている。
「ア、アキシ様、こちらに来られて大丈夫なのですか?」
いぶきの入院の事は伝えていたので、彼がここにいる事に驚いている。そしていつもと格好が違う事も。
《いぶきが病院を追い出されたからこっちに来たよ。エッセが出たんだろ?》
「は、はい。今回は人間型のエッセで、しかも意思の疎通が可能でした。ですが、話を聞こうとしたところで相手の姿が消えてしまいました」
《じゃあ、とっとと向かった方が良いな。急ごう》
昭士のその態度は「今の格好に触れてくれるな」と無言で語っているようにも見え、スオーラも訊ねるのは止めた。
スオーラが乗って来たバイクはサイドカーが付いているタイプだ。バイクの後ろには旅の荷物の食料や燃料が積まれている。急にも関わらず準備は万端のようだ。
ガン=スミスも馬のウリラを引いて隣にやって来る。ウリラの背には相変わらずジュンが乗っているが、スオーラの目の前で下ろして置いて行く訳にも行かないので、そのままにしている。
昭士はサイドカーに自分の身体を滑り込ませ、スオーラから渡されたヘルメットとゴーグルを付ける。ゴーグルをつけるのは、これがないと風圧で眼が乾いてしまうからだ。
「話は道すがらにしましょう。では、参ります」
スオーラはバイクに跨がると、ゆっくりとバイクを発進させた。ガン=スミスも鞍に跨がると、ウリラをスオーラの後についてを走らせた。


町の中はそれなりに整備されているが、一度町の外に出ると、そこには何もない荒野が広がっている。
道も単に土を踏み固めただけの代物だ。平らに舗装された物ではない。昭士は自分の下半身から来る振動に早くも辟易している。
黒いマントを羽織ってはいるが、その下に着ているのが道着なのでやっぱり寒い。我慢できないほどではないが。使い捨てカイロの一つも持って来れば良かったと思っている。
一方のガン=スミスが乗る馬のウリラは手慣れたもので、旅の荷物と普段はいないもう一人の乗り手・ジュンを乗せているにも関わらず、その足取りは軽快そのものだ。
機械の方が便利であると思いがちな現代っ子ではあるが、実際はそうとは限らないのだ。
荒野を走りながらお互いの情報を交換し合う。その中で昭士は、今回オルトラ世界に現われた人間型エッセの正体が、自分の親戚=落合広道である事を話した。
「そうでしたか。トミエ様が伝えたかったのはその情報だったのでしょうね」
《まったく。お前の親戚だってんなら、話すのはお前に任せた方が良いな》
同情しているスオーラの呟きに、完全に他人事に突き放しているガン=スミスの正反対の言葉。そこにジュンが、
「あれ。怖くない。平気」
ウリラの首にもたれかかったまま呟いた。自然の中で育ったからか、相手の殺意や警戒心には相当敏感なのである。
そのジュンが言うのだから、元が人間という事もあってか今回のエッセはこれまでに比べて安全なのかもしれない。
そう思ったスオーラであるが、あちらでの報告を終えた昭士の表情が暗い事に気がついた。
「アキシ様。やはりご親戚の方がエッセにされた事を心配されているのですね」
《まー、そりゃな》
エッセによって金属に変えられた生き物を元に戻す方法はある。置いてきたいぶき=戦乙女の剣でとどめを刺せば良い。
だがエッセに“されてしまった生き物”を元に戻す方法は全く判らないのだ。賢者にも相談を持ちかけてはいるが、さすがにそんな資料はもちろん情報があるかどうか。
なまじ相手が見知った人間だからか、どうしても情を捨て切れない。これが人間でも全く知らない人間であればもう少し違ったのだろうが。
昭士はガタガタと揺れるサイドカーの中で、買ったばかりのガラケーをカチカチと操作している。やがてパタンとガラケーを閉じると、
《とりあえず賢者にメール送っといた。どうなるかは判らんが》
「賢者様と言えど、そこまでご存知かどうか……」
スオーラの表情もいささか自信がなさそうである。知識が売り物の賢者であるが、エッセはこの世界にいなかった存在である。この世界はともかく違う世界の事まではその限りではない。
《いくら何でも、えぇ(あい)つを頼りすぎるのもなぁ……》
ガン=スミスは正直に言って賢者を信用していない。このリアクションは当然だろう。
「ですが、今回はエッセが現われてもムータが鳴らなかった事も問題でしょうね」
だから今この瞬間にエッセが現われたとしても、彼らにそれを知る手段は無い。
いや。一つ方法がある事はある。
《スオーラ。カーナビは持って来てるか?》
「は、はい。もちろんです」
スオーラは僧服のポケットの中から小型の液晶テレビのような物を取り出し、昭士に手渡した。それは小型のカーナビである。専用のコードでモバイルバッテリーと繋がっていた。
カーナビとしてもかなり優秀な機種だが、さらにエッセの居場所を表示する事が可能なのである。
原理や理屈は判らないが「使えればそれで良い」という考えで使い続けている。これなら現われた事が判らなくてもエッセが出現していればどこにいるか探す事も可能なのである。
昭士は地図をどんどん縮小させて範囲を広げて行く。だがそれらしい反応は見られない。まだ出現していないのだろう。
ところどころにアルファベットの羅列があるのはこちらの世界の地名だろうか。とはいえ「Todupidodi QUmipdiqe」だの「NemifIOPe」だの「NexBemia」だの、英語すらままならない昭士では読む事も発音する事もできそうにないものばかりだ。
《どんな仕組みなんだかなー》
このカーナビは、少なくともオルトラ世界で作られた物ではあり得ない。もちろん昭士の世界の物でもない。なのにこうして二つの世界で普通に使う事ができている。
などと今さらな事が頭をよぎるがそんな余裕は無い。使える物は使う。そうでもしなければとてもじゃないがやっていけないのだから。
昭士の携帯が震え、着信を知らせる。来たのはメールではなく電話の方だった。
相変わらずの地面からの振動に顔をしかめながらもガラケーを開いて耳に当てた。
《はい、こちら角田昭士。感度良好。どうぞ》
蓋の液晶画面の「賢者」の表示で誰か判っているので、昭士は半ばふざけて無線のように電話に出た。
だがこちらの世界では無線の定番のやりとりは違うらしく、ぽかんとしたような間が空いてから、
『剣士殿。先ほどのメールの件なのですが』
随分と連絡が早かった。何か判ったのだろうか。昭士は思わず身を乗り出しそうになる。
『さすがの自分も「エッセにされた生物を元に戻す方法」は知りません。そもそもそういう話すら初耳です』
そうだろうなぁ、と昭士は思いつつも、
《かといって倒しちまうのも後味悪いぜ。まがりなりにも俺の親戚だ》
『もちろんそれは最後の手段です』
賢者の声にも緊張が感じられる。
『とは言いましても、これ以上の資料が手に入るかどうか』
エッセが現われるようになって、この国の王家やスオーラの父の伝手やコネでエッセに関する資料、もしくはその写しを優先的に譲ってもらえるように協力を仰いでいるとはいえ、この一年あまりで揃った資料は決して多くはない。
これで総てなのか。もしくはまだ知られていない本や資料があるのか。それもまだ判らない。
《えー。じゃあ資料なしで戦えってのかよ》
『そうは言っていませんが……あ、少々お待ち下さい』
電話の向こうから聞き取れないくらい何かの会話が聞こえる。ボリューム的なのか言語的なのか内容は良く判らない。来客でもあったのだろうか。
『剣士殿、喜んで下さい! 新しい資料が見つかったそうです!』
弾んだ賢者の声が耳元で爆発する。だから昭士は思わず耳から離してしまった。
携帯電話を。

<第28話 おわり>


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