トガった彼女をブン回せっ! 第22話その2
『妹を追わないのか?』

「んなっ!?」
鳥居は驚いてのけぞり、後ろの扉に頭をガツンとぶつけてしまう。いきなり目の前を何かが高速で横切ったのだ。この反応も無理はない。
だがそれは良く見ると人間の腕だった。産毛一つないつるりとした肌の腕。見やすさから右を見ると、さっき室内にいたジェーニオと同じ服装の女性であった。
アラビアの民族衣装を思わせるそれと、文字通り人間離れした美貌とプロポーション。特にたわわと形容するしかないその胸を被うのは、ボタンをしていない短いチョッキのみなのだ。たいていの男ならそれだけでも鼻の下を伸ばすだろう。
だがその美貌は怒りによって険しさを増し、正面――鳥居の左側を睨みつけている。
そこでようやく鳥居は自分の左側を見た。
ジェーニオの手が何かを持っている。いや、違う。受け止めているのだ。大人のこぶし程もある石を。
《あらあら。ずいぶんとご機嫌ナナメのご様子ね》
痛みに少し顔をしかめたジェーニオがそう声をかけたのは、細く狭い通路の向こう側にいた、囚人服姿の角田いぶきだった。彼女はジェーニオ同様か、それ以上に怒りに満ちた表情を浮かべて。
「判ってンならとっとと退いてくンない? それとも、このオンボロ車の壁をブチ壊そうか?」
少しクセのある発音ですぐ横にある壁をこぶしでガツガツと叩く。
いつもならジェーニオをブン殴ると言うだろうにそう言わなかったのは、生身の人間のこぶしが精霊であるジェーニオには通用しないからである。通用するのならとっくにやっているだろう。
もっとも今のいぶきは素手で相手を攻撃すると相手が受ける筈のダメージが自分にそのまま跳ね返ってくるようになっているが、それで暴力を止めるような殊勝な心がけなど持っていよう筈もない。
今も大きな石を投げつけたのだって「素手でダメなら物を投げつける」なら、ダメージが跳ね返ってこないと判っているからだ。
「オイいぶき! こんなのが俺に当たったらまた独房に逆戻りって判ってんのか?」
《この人を病院送りにしても、あなたは損も得もしないでしょう?》
鳥居の叱る声と思い切り冷めたジェーニオの言葉に、
「こンなトコにいるくらいならブチ込まれる方が百億万兆倍マシだっての。これ以上気色悪い事の片棒無理矢理担がせるの、ホンットに止めてほしいンだけどね!?」
二人を遥かに上回るボリュームで怒鳴り返すいぶき。
いぶきにとって「他人の為に」だの「誰かの役に立つ」だのといった事は、気持ち悪い。気色悪い。やるくらいなら死んだ方がマシ。一生遊んで暮らせるカネと引き換えでも即断わる。という感想しかあり得ない事なのだ。
自分がやるのはもちろん嫌だが、そうした行動をしている人間を見るのも嫌いという、筋金入りの態度である。
だが普通の武器が一切効かないエッセにまともに対抗できる武器は、いぶきが変身した大剣・戦乙女の剣しかないのである。
剣を使える唯一の人間である昭士が戦うと言っている以上、彼に「使われて」「役に立ち」「人々を助ける」しかないのだ。
もちろんいぶきはその事情をきちんと知っているし、忘れたフリも聞いてないフリもした事はない。それを知った上で「嫌だ」とキッチリ断わっているのである。
だがそれでも……という堂々回りを毎回のように繰り広げている。そのおかげで五分かからず終わるであろう戦いがとてつもなく引き延ばされてしまうのだ。
いぶきにもう一度説教をしようとした時、鳥居のスマートフォンが激しく震える。それを感じた彼は小さく舌打ちすると、
「俺、出かけなきゃならんから。道、空けてくれないかね」
ジェーニオにそう言うと、彼女の姿がすっとかき消える。そこをどこかおっかなびっくりしながら通ると、彼は車から出て行った。
「鳥居巡査」
車から下りた鳥居に声をかけたのは、彼と同じく留十戈市から派遣扱いでやってきた桜田富恵(さくらだとみえ)という女性警察官である。こちらは制服姿である。
初めに出会った。女性警察官。そんな理由から半ば強引に「スオーラ対応係」にされてしまった女性である。その役目からだけではないが、スオーラの面倒を見、彼女に対してこの世界の事を色々と教えているという。
本来は位置的に一番近しい同性であるいぶきがその役をする方が色々と都合が良いのだが、いぶきはどんな事情であろうともそんな事を絶対にやらないと言い切れるのが悲しいところだ。
そんな二人は揃って歩きながら、
「で、さっきの電話、本当なのか?」
神妙な面持ちの鳥居の言葉に富恵は小さくうなづくと、
「昨夜、大きな人の形をした者が夜空を飛んでいた、という目撃情報がいくつも。ナントカいう巨大ロボットがここまで飛んで来たのは間違いないでしょうね」
そのロボットは韓国生まれのロボットアニメに登場する物で、それをかたどった像だという事も。
「スオーラ達は、そのロボットに乗ってやって来たのが、今回のエッセだと言ってるな。グレムリンとか言ってたな」
「そう言われても。確かそのグレムリンって、想像上のモンスターなんでしょう?」
「けど前に、ライオンとアリが合体したようなのも出たんだろ? もう何でもアリだな、エッセってのは」
身体の前半分がライオン、後ろ半分がアリという、ミルメコレオという想像上の生き物の事だ。もちろんグレムリンも同様に「想像上の生き物」だ。
こんな姿の者まで現れるのだから、もう何が出て来ても驚かない。そんな覚悟をする度に、新しいエッセが現れて驚く。それのくり返しだ。
「……早いトコ、来なくなってくれれば良いんだけどな」
ぽつりと漏らした鳥居の言葉に富恵も小さくうなづく。
昭士といぶきには普通の学生生活を送ってもらいたい。スオーラは元の世界へ帰ってしまうかもしれないが、戦いの心配なくこの世界を楽しんでほしい。
その辺りは一人の大人として、そして顔見知りとしての二人の共通の思いである。
だが、そんな日が来るのかどうかはさすがに判らないままだった。


夜。
合宿二日目ともなれば、その疲れはピークに達する。いくら十代の若者といえども無限に体力がある訳でなし。
特に昭士は昨夜の一件もあって大して休めてはいない。練習の最後の方はうつらうつらしていたくらいだ。
だがそれでも夜の七時台ではなかなか眠れない。そういう時に限って邪魔をするのがこうした部活の仲間というものである。
なので、せめてあまり動かない事をやろうと、昭士は先輩からタブレットを借りて自分の部屋に一人でいた。
基本的に彼には親しい“友人”と呼べるような人間はほとんどいない。皆から「スオーラを連れて来い」と終始せっつかれてはいるが、だからといってしつこく食い下がる者は誰もいない。
昭士といるといぶきの傍若無人さに確実に巻き込まれてきた過去の名残りが、彼女がいる筈のない状態になっても続いているのだ。幸か不幸か。
こうして一人でのんびりしたい時には、邪魔する人間がいないので逆に有難い。幸か不幸か。
タブレットを借りた理由は、昨夜手に入れたオモチャを見て、懐かしくなって色々調べてみたくなったからである。今時の調べ物は、書物ではなくインターネットと相場が決まっている。
この合宿所には性能の良いインターネット環境はないので、動画を見るのはかなり辛い。だが、一般的なブラウジングであれば、携帯電話でもそこまで困るというレベルではない。
昭士も携帯電話は持っているが今や珍しくなったガラケーなので「今時の」インターネットをするのにはもう向いていない。
表示できないウェブページはもちろん、表示に時間がかかり過ぎてエラーを起こすページがたくさんあるのだ。
とりあえずオモチャの名前だけで検索をかけてみる。
すると、オモチャそのものはもちろん、当時の事を思い入れたっぷりに書いたウェブサイトやらブログやらが次々検索に引っかかる。それらを読んでいくうちに、自分の記憶が意外と間違っている事に気づいた。
これは特撮モノである戦隊シリーズの「飛空戦隊セイバード」の武器というのは合っていた。
だが、より正確に書くならば最初からいた五人のメンバーに後から合流した、いわゆる「追加戦士」の変身アイテムを兼ねた変型武器「ウィングシューター」。
その武器を使うのが女の子――ヒナという名前だった事はさすがに間違えていなかったが。
セイバードの名前通り、この戦隊のモチーフは「鳥」。地球の守り神・聖鳥王(せいちょうおう)に選ばれた五人の戦士が宇宙からやって来た侵略者と戦いを繰り広げる、という物語だ。
視聴率的には歴代の戦隊シリーズの中でも低い方に入るらしい。番組で色々と行われた「新しい試み」がことごとく空回ってしまい、子供にもマニアにもあまり受けず、人気に結びつかなかったからだ。
だが主人公達を演じていた役者は今も芸能活動を続けており、空回った各設定も後のシリーズで練り直されて活かされて人気が出た作品もあるので、それなりの評価を下すマニアも多い作品と云われている。
最初のメンバーが赤=イーグル(鷲)・青=ファルコン(隼)・黒=ホーク(鷹)・緑=コンドル・黄=オウル(梟)と実在の鳥モチーフなのに対し、追加戦士の彼女のモチーフは想像上の鳥・フェニックス。ちなみに色は金と赤(正確にはワインレッド)。
物語のクライマックスで、自分の命と引き換えに致命傷を受けたメンバーを蘇らせたシーンで当時大泣きしたのはハッキリ覚えている。同時にいぶきにバカにされて大ゲンカになった事も。
……もちろん一方的にやられただけで終わったが。
そんな過去をしみじみ思い出しつつ検索結果の画面をスクロールさせる。
この武器は銃や剣だけでなく、実は鳥型メカにも変型する。モチーフ(?)のフェニックスには似ても似つかない、説明されてようやくそうかと判る程度の鳥の形だが。
鳥型メカが飛んで来てそれをキャッチ。そして何やら色々とポーズをとって変身していたのは覚えているのだが、さすがにそのポーズそのものまでは覚えていない。小さい頃の記憶などそんなものだ。
そんな風に昔の事を思い出しつつ、オモチャの紹介風ウェブサイトを表示させる。オモチャ会社ではなくどこかの個人が趣味で作ったものだ。
そこには銃とガンベルトが揃った写真が表示されている。昭士は脇に起きっぱなしのガンベルトを持った。
そのベルトに縦にいくつもの切り込みが入っており、そこに爪を引っかける事でサイズの調整ができるようになっている。
ウェブサイトによればウエストは四十八センチから六十九センチまで対応と書いてあった。いくら細身といってもさすがに高校生の自分では腰に巻けまい。そう思って苦笑する。
なのでホルダーを脇に放り、銃から剣に変型させて、右手で構えてみる。スイッチを入れていないので、刃となるビームは出てこない。
オモチャではスイッチを押すと中からビームを模した刃が飛び出すようになっており、その状態でさらにスイッチを押すと数種類の斬撃音が鳴るのだが、本物(?)になった今では本当にビームサーベルが飛び出す。
だがこの威力は昨日身を持って味わっている。万一があっても困るので、ビームが出るスイッチには指をかけないよう注意を払って。
すると、そこにタブレットの持ち主である先輩――戎 幾男(えびす いくお)が部屋にやって来た。彼に気づいた昭士は慌てて剣を引っ込めると少し居住まいを正して、
「あ、あ、あ、あああ、アノ。ナな、何か?」
いきなりだったので若干声が裏返っている。タブレットを使う用事ができたから返してほしい、とでも言うのだろうか。
すると戎は昭士の向かいに黙って座ると、無言で手を出して「貸してくれ」と合図する。タブレットを受け取るとすぐ画面をスクロールさせる。そうして表示されたのはそのセイバードのロボット・聖鳥王のオモチャのページだ。
「……俺も持ってたからな。セイバードのロボットのオモチャ。今でもウチのどこかにしまってあるんじゃないかな」
オモチャの事を話している時に、部員達に若干引かれて微妙に嫌がられていたのだが。やはり人気が低いシリーズだったからだろうかと、少し残念がったのだが。
そんなリアクションをしていたからか、どこか照れくさそうに笑う戎。釣られた昭士も同じような笑顔になる。
懐かしい思い出に浸る二人に先輩も後輩もない。あるのは同じものが好きだったという思い。それ以外何が要るのであろうか。
特に昭士はロボットのオモチャまでは買ってもらえなかったので、彼の話とウェブサイトのレビューは大変有難いものだった。
そしてそんな時間が長く続かないのが世の中というもの。そんな一時を壊すように昭士の携帯電話が震えた。
メールではなく電話なので、昭士は電話に出る。
「はは、はい、もしも……」
『アキシ様大変です! イブキ様が脱走を!!』
電話から聞こえて来たスオーラの大声に、昭士はガックリとうなだれる。
この世界でのスオーラの自宅兼移動手段のキャンピングカー内の個室に放り込んでいたのだが、暗くなるのを待って脱走を図ったようだ。
いぶきの性格から考えて、自分達の命令を聞くような性分では絶対にない。その部分は予想の範囲内である。だからこそジェーニオを見張りにつけていたのだから。そのジェーニオは何をしていたのだろう。
『イブキ様は車内の通路を使わず、個室の窓から脱出したようです』
というスオーラの言葉。確かにキャンピングカーの個室には人間一人が通れるかどうかという小さな窓がある。見張りがいる狭い車内の通路を使わずにそこから逃げる。その部分も予想の範囲内である。
だが『囚人服のまま』で、加えて警察が周りにたくさんいる中に飛び出して行くとは。そこは読みが甘かったと言わざるを得ない。
スオーラの自宅も兼ねているので彼女の服ももちろんあるのだが、いぶきが身長一六〇センチでスレンダー体型なのに対しスオーラは身長一七五センチでスーパーモデル体型。服を着替えて脱走するには微妙にサイズが違い過ぎる。色々な意味で。
そんな服を着て歩いていてはさすがに人目を引くだろうし、そもそもブカブカで動きづらいだろう。
だが数少ないこちらの世界での服がなくなった様子はないとの事なので、本当に囚人服のまま脱走したようだ。
一応ジェーニオが付かず離れずの位置を保って後を追っている。ジェーニオの能力を考えると見失う事はおそらくあるまい。
だが。たとえジェーニオはもちろん警察の手から奇跡的に逃れられたとしても、いぶきをこの場に呼び戻す事は可能なのだ。
しかも昭士の意志一つでそれができる。あまりに他人に協力体制を取らない事に神か悪魔が味方してくれたのか、そこは判らないが。
いぶきもその事は知っている筈なのに逃げるとは。昭士は「懲りないヤツだ」と心の中で思った。
ところが、それをやるためには昭士が戦士の姿に「変身」しなければならない。
だが今は敵がいる訳でなし、呼び戻すのに膨大な時間がかかる訳でなし、ジェーニオからの連絡を待とうという事で、スオーラに落ち着くよう提案する。
『トリイ様から「イブキ様を出さないよう頼む」と言われていたので、責任を感じています』
だいぶ元気のないスオーラの声。責任感が強すぎる彼女らしいのだが、鳥居もいぶきが逃げ出す事は想定の範囲内だろう。たとえそれを知ってもスオーラを責める事はすまい。
だがそれでも彼女自身で報告をするようにスオーラに言う。責任を感じていて辛いだろうが、これはスオーラが直接鳥居に伝えなければ意味がない事だ。
通話を切って立ち上がった昭士に、戎は放ったままのガンベルトを指差して訊ねる。
「それ、持って行くのか?」
この銃が本物並になってしまった事は、事情を知る剣道部員達には話してある。こうして電話が来るのはたいがい「戦士」としての用事である事が多い。
たとえエッセには効かないと判っていても、この銃を持って行けば何かと役に立つのは判っている。しかし、オモチャとはいえ銃をむき出しのまま持っているのも、確かに問題があるだろう。いろんな意味で。
だからといってこのガンベルトを使う訳にもいかない。これはあくまでも小さい子供用。
「でで、でも。ベベル、ベルトは、まま巻けませんよ?」
「丈夫なヒモで足りない分を足せば巻けるぞ。カッコ良くはないけど」
想像してみるに、確かにカッコ良くはない。それに激しく動いたらヒモが千切れてしまいそうでもある。
今では大人や太った子供でも身につけられるようベルトの延長用パーツが通信販売で売られているらしいが、小さい頃ロクに遊べず無くされたからといっても、高校生になってから身につけて遊びたいとはさすがに思わない。
見るからにオモチャのガンベルトを巻いている高校生というのも、確かに問題があるだろう。いろんな意味で。
すると携帯電話が再び震える。誰からの電話、もしくはメールかと思って蓋についた小さな液晶画面を見るが、何も表示されていない。
『妹を追わないのか?』
開いてもいないのに携帯電話から声がする。これはジェーニオ(男性体)の声だ。たった今いぶきが逃げ出した連絡をスオーラから聞いたばかりなので、そのぶしつけな主語のない物言いも理解できる。
だが、追いかけた方がいいのだろうか。それとも一旦変身し、いぶきを強制的に連れ戻す方がいいのか。
正直どちらでもいいような気がするので、昭士も即決できないでいる。だがどちらにせよ、スオーラと合流した方が良かろうと判断。
昭士はタブレットを戎に返すと、ガンベルトと銃を自分のカバンの中にしまいこんだ。
「ちょ、ちょっと、出かけてきます。もも、申し訳ないですが……」
「……まぁ、何とかごまかしておこう。けど、別の機会にスオーラさん連れて来ないと、大変だと思うぞ?」
小さく笑う戎に、昭士も苦笑いで答え、部屋を出て行った。
色々と便宜を図ってくれている剣道部員達のためにも、そうしないとやっかみが酷くなる一方だろう。
……いぶきからの「暴力」の酷さに比べれば、この程度のやっかみなど「イジメ」のうちにも入らないが。
ところが。
合宿所の出入口に、仁王立ちになっている中年男性が一人。少なくとも昭士は知らない顔である。
「あー、事件があったから夜の外出は禁止だ。部屋に帰っていなさい」
ぶっきらぼうではあるが、さほど厳しいと思えない口調である。
昭士にそう話してくるという事は、別の学校の教師なのだろう。ここで押し問答をしても面倒なだけだし、正確な事情を話すなど論外だ。そう思って昭士は引き返す。
そこで再び携帯電話が震える。蓋についた小さな液晶画面には「賢者」とだけ。
これはスオーラの故郷、異世界であるオルトラにいる賢者からの「電話」である。モール・ヴィタル・トロンペという名の賢者は、何故か携帯電話――それもスマートフォンを持っており、こうして昭士と連絡を取る事ができる。
世界を越えてこうして携帯電話が繋がる事は未だ謎である。だが調べている時間も余裕もないし、何より「自分に都合の良いご都合はとりあえず許す」方針なのである。
「はは、は、はい。もも、もしもし」
『これはこれは剣士殿。お話の時間は取れますかな?』
電話の向こうから少々演技気味の賢者の声がする。その後ろでは何人かの人の声が聞こえてくる。きっと彼の他に何人かいるのだろう。
オルトラ世界は機械的な意味では百年は遅れている世界。電話そのものはあっても携帯電話などあり得ない世界だ。
それは賢者が持っている唯一の魔法が、別の世界から物品を呼び寄せる魔法だからである。その魔法で異世界の物を呼び寄せ、知識を得ているのだという。彼のスマートフォンもその課程で入手したものらしい。
昭士が賢者に返答しようとした時、電話から別の声が聞こえてきた。
『セナスラミカラ。アキシ殿。この声は本当にアキシ殿に伝わっているのですか!?』
聞き覚えのある中年男性の声。これはスオーラの父親モーナカ・キエーリコ・クレーロの声である。
オルトラ世界で広く信仰されている宗教・ジェズ教の最高責任者という地位の人物でもある。
スオーラに対しては大層な親バカ振りを見せるが、見てくれや家柄などに囚われず人を見る目をきちんと持っている「できた」人物だ。
『アキシ殿。モーナカ家頭首、キエーリコ僧クレーロです。スオーラは元気でやっておりますか。そちらの世界には慣れてきましたか。友達などはできていますか』
その物言いはどこかで聞いたような、だが典型的な「子供を心配する親」である。
あちらの世界では子供は十五歳になる頃から親元から離れるのが一般的と聞いている。スオーラもその年齢になってはいるのだが、一宗教団体のトップにして実の親がこの有様では本当なのか微妙に疑いたくなってきた。
「だだ、だ、だ、だいじょうぶ。でです。はい」
身分ある人からの電話だからか、昭士の緊張はかなりのものであり、その場で直立不動の姿勢になってしまっている。端から見れば「何やってるんだろ」と首をかしげられる姿だ。
昭士がそうしている間にも、彼は相変わらず『寂しそうにはしていませんか。お金に困っている様子はありませんか。今度はいつ帰ってくるのか聞いてはもらえませんか』などと、もはや一方的にまくしたててくる。
その間に小さく「猊下、済みませんが代わって戴けませんか」という賢者の声がする。彼がスマートフォンの費用をどうしているのかは判らないが、他人に長々と話されたくはなかろう。いくら相手が偉い人であっても。
ようやく「猊下」の長話が終わり、電話が賢者の方に代わる。
『大まかな話は、先程スオーラさんから伺いました。それにしても今回はグレムリンが相手だったとは』
グレムリンは機械いじりとイタズラが好きな妖精。オルトラ世界では口下手でコミュ障気味だが手先が器用な妖精らしいが。
今回初めてだったのは、倒したグレムリンと意志の疎通ができた事だ。ほとんど一方通行だったが。
だがこれまで登場したエッセの姿を思い浮かべると、多少なりとも人間と意思疎通が可能な生物(?)はグレムリンが初めてである。
「け、けけ、けど、ななく、無くしてた物が、返かか、返ってきたし」
カバンにしまったオモチャを思い浮かべる昭士。今さら遊ぶような雰囲気ではないが、無くした筈の物が戻ってきたというのは殊の外嬉しさが必要以上にこみ上げてくるものなのだ。
その後に小さく「山崩したけど」とつけ加えても。
『ですが「戦乙女の剣」の威力が問題だそうですね』
昭士の呟きが聞こえたのか、その話題に持っていく賢者。
『あの剣は彼女――剣士殿の妹さんが痛がれば痛がる程威力を増す剣でしたね。今回は投獄中に呼び出して使ったそうですが、精神的な辛さや痛みといったものも威力を増す材料になっているという分析でしたが、その可能性は高いと思います』
戦乙女の剣の取扱説明書などないし、使い方を知っている人間だっていない。こうしてあれこれ推測したところで正解がどこかに書いてある訳でもなし。
ただし、一応付の「前例」はある事は聞いている。
『以前お話しした、オルトラ世界に伝わっている“プラーナが姿を変えた剣”に関する伝聞の中にあるんです』
プラーナが姿を変えた剣。かつてのオルトラ世界にもいぶきのような「超自己中心的」人間がいたそうで、神様が罰として様々な動物や道具の姿にして、他人の役に立ち、尽くす事を強制させた話があるそうだ。
その様々な姿の一つが、まさにいぶきが変身する「戦乙女の剣」なのだという。
『そのプラーナは、妹さんのように他人のために行動する事を極度に嫌っていました。ですが様々な姿に変えさせられ、彼女にとって嫌な事をされ続けていた結果、武器などに変身していない状態でも異常な破壊力を発揮するようになってしまったと云うのです』
詳しい説明によると、スコップに変えられた時、軽く土に突き立てただけで小規模の地割れを引き起こした。
乗用馬に姿を変えられた時には乗ってる人を放り出して駆け出し、またたきほどの間に世界を一周して乗っていた人を跳ね飛ばした。
何にも変身していない時であっても、軽くドアを押しただけでドアが周囲の壁ごと遥か彼方に吹き飛んだ。
だいぶ胡散臭い話も交じっているが、どんな姿でも「強大な破壊力」を発揮するようになった部分は共通している。
戦乙女の剣の威力を上げる方法を「使わなくても」たった一太刀で斬った物が爆発したのだから。しかもエッセではない物体だったのに。
もしいぶきが剣ではない状態=人間の時にそんな強大な破壊力を発揮されたら。特に今のいぶきは自分の身体を使った攻撃総てが自分に跳ね返る状態なのだ。
それが判っていても腹を立てた時には容赦なく相手を自分の手で殴ったり足で蹴ったりする。それが文字通り自分で自分の命を断つ事に繋がってしまうかもしれない。
いぶきの性格からして起きかねない現実を想像し、昭士の顔が真っ青になる。
「な、なな、何とか、いい、いぶきちゃんを探してみます」
そう言って電話を切った。
一方的に。

<つづく>


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