合宿所から一キロ程離れた休耕地のど真ん中で、昭士の懸念が現実の物となっていた。
そこかしこに倒れているのは現地の警察官達。いずれも身体のどこかから血を吹き出して倒れている。
これはもちろんいぶきの仕業である。しかもやったのは「そこらの小石を投げつけた」だけ。
一部始終をハッキリ見ていた精霊ジェーニオ（女性体）も、我が目を疑ったくらい、信じられない出来事だった。
何時間か前、スオーラと賢者が電話で話をしていた時に話題に登った“プラーナが姿を変えた剣”の話題。
その剣＝戦乙女の剣の話自体は聞いた事があった。おおまかに。
だがその剣に姿を変えられた人間の事はほとんど知らなかったのだ。
いぶきが勢い良く投げつけた小石の速度は、この世界の拳銃の弾丸の速度――秒速三百メートルを遥かに超える代物だった。
こんな勢いで小石が当たろうものなら、それは拳銃から発射された弾丸と大して変わらない威力になる。当たりどころが悪ければ間違いなく人が死ぬ。
まさしくプラーナ同様の「変身していない状態でも異常な破壊力を発揮」である。
ただ、威力があり過ぎたのか、総ての小石は身体を貫通しているので、体内に残っていない。処置はまだ楽だろう。
倒れている警察官達を無視してでもいぶきを追いかけるのが良いのか、それともいぶきを見失っても彼等を助ける方が良いのか。
普通の人間ならばそんな葛藤をするところだが、ジェーニオは精霊である。与えられた命令を確実にこなす事が使命の存在である。自発的な行動をする事はまずない。
とはいえ昭士やスオーラと行動を共にするようになり、そうした「自発的行動」ができるようになってきている。
だが彼女はそれをしなかった。何故なら後から男性体の方がやって来るからだ。事実数百メートル程後ろからその気配を感じる。
だからジェーニオ（女性体）は暗闇の中を走って行くいぶきを追いかけたのだ。
やがて到着したジェーニオ（男性体）は、地面に転がる警察官達を見下ろし、彼よりずっと後からやって来るスオーラ達に言われている通り、彼等に治療を施していく。
もっともこの世界に精霊などという存在はいないので、自分の姿をさらして良いものかどうかと思いはしたのだが、スオーラと一緒にいた警察官（鳥居と桜田富恵）が「緊急事態です」と力説したため、気にしない事にする。
暗い中ざっと見回してみたものの、出血が派手な割に急所に当たっている者が一人もいない。いわゆる「死ぬ程痛い」で済んでいるのだ。これなら急げば治療はたやすい。
ジェーニオがそんな風に治療を施していると、スオーラ達が追いついてきた。彼はスオーラ達の方を見ると、
《治療は済んだが、しばらく寝かせておいた方が良かろう》
ジェーニオも治療の魔法は使えるが、魔法そのものが万能ではない。治療が済んだからすぐに動けるかというと、そうでもない。そもそもいぶきの投げつけた小石が当たった時点で気絶している者ばかり。これでは追いかけたくとも無理である。
「ったくあのバカ。ま〜た余計な罪状増やしやがって……」
鳥居はあちこちに倒れたままの警察官達を見回している。これだけ大勢の人間に、一歩間違えば死んでいたケガをさせたのだから、無罪放免といく訳がないのだ。
ただでさえ三週間の独房入りという刑の途中でこの地に「呼び出されて」いるのだ。しかもその理由を説明する訳にはいかないときている。
「スオーラさんは、いぶきさんを追って下さい。これ以上罪を重ねさせないように」
この世界でのスオーラは「魔法使い」であるが、瞬発力や跳躍力といった方面ならば、まさに人間離れした能力があるのだ。
鳥居や自分が一緒ではかえって足手まといになる。富恵はそう判断したのだ。
［わ、判りました。やってみます］
富恵にそう言われたスオーラは二人に軽く一礼すると、今度は全力で暗闇の中へ駆け出して行った。その速さはまさしく「超人」。夜の暗闇も手伝って、あっという間にその姿が見えなくなる。
鳥居は自分のスマートフォンを取り出すと、画面をいじりながら、
「……アキのヤツにも、連絡しておいた方が良いかねぇ」
彼はこの地で合宿中。だが昨夜の事件の事もあり、今まで以上に夜間外出が禁止になっている。この場に呼ぶのは限りなく無理だろう。
夜の間の練習やレクリエーションの肝試しなども中止にするよう通達したと、地元の警察官から聞いている。
エッセは倒しているのだからそこまでする必要はないと思うが、さすがにそういった「本当の事情」を話す訳にもいかず。
それに別のエッセがまた現れないとも限らないのだ。
昨日鳥居は「ミステリーモノの探偵かお前は！」と昭士にツッコミを入れている。彼の行く先々にエッセが現れる可能性はゼロではない。
いぶきを追いかけるのはスオーラ達に任せて彼にはそれまで待機していてもらった方がいい。勝手に飛び出して迷惑をかけないようにと釘を刺しておくべきだろう。
そんな内容のメールを作成すると、指先をちょいとやってメールを送信する。
その時だ。ずしんと何か重い音と共に、地面が確かにグラリと大きく揺れた。一回だけ。地震にしては妙な揺れ方だ。
鳥居はジェーニオ（男性体）に向かって、
「なぁ。また……エッセか何かが出たのか？」
実際エッセの攻撃を受けた事がある鳥居の心配そうな表情に、ジェーニオ（男性体）は非常に落ち着きのある声で、しかもハッキリと言う事にした。
こういう時は自信を持って答えてやれば、相手は安心する。たとえ人間とは違う精霊であってもそのくらいの人間心理は把握している。
《その気配はないようだ。彼等でなくとも、我等にもそのくらいは判る》
昭士やスオーラはムータと呼ばれるアイテムを持っている、いわばエッセと戦う戦士に変身するためのカード状のアイテムの事だ。金属のような良く判らない材質でできており、表面には良く判らない文字がビッシリと刻み込まれている。
変身はもちろん別の世界への行き来、エッセの出現の告知までこなすという多機能なアイテムである。もっとも告知に関しては色々制限があるらしいが。
今となってはどこの誰が作った物なのかも判らないそうだが、もう新しく作る事もできず、また新しい物が見つかってもいない。
そこが昭士やスオーラだけがエッセと戦わねばならない最大の理由なのである。
そんな昭士からメールの返信が届く。一応鳥居の言葉を了承した事が書いてあったが、賢者から聞いたばかりのいぶきの情報――たとえ剣に変身していなくとも、異常な「破壊力」を示す可能性の事に目を通した時、
「……だいぶ遅かったけどなぁ」
周りで倒れたままの警察官達を見て、鳥居は呟いた。
夜の闇の中をスオーラは駆け抜けて行く。ろくに街灯すらない田舎の、人気のない川の土手を。
その目的は囚人服のまま逃げ出した角田いぶきを止めるためである。
事情はどうあれ独房に入れられていた人物であり、また彼女を独房へ戻さねばならないため。
それよりももっと大きな理由は、今のいぶきは異常としか表現できない「破壊力」を振りまく存在になってしまっている事。
事実、先程小石を投げつけて警察官達を死なせかけている。小さな小石でも、今の彼女が投げれば拳銃の弾丸の速度を遥かに上回るのだ。
しかも彼女は性格的に「他人のために」何かをする事を極度に嫌っている。それはすなわち「自分のため」だったらどんな事でも平然とやってのけるともとれる。
先程の警察官達のように、立ちはだかる者・邪魔する者をこんなノリで始末される訳にはいかないのだ。
いぶきには「周囲の動きを超スローモーションで認識する」という能力がある。捕まえるために飛びかかってもわざと直前になってから避けてしまうのが目に見えている。
だからいぶきを止めるには、ちょっとやそっと動いた程度では避けられないくらいの規模の穴や網を一瞬で展開するくらいでないと不可能だ。こんな障害物もないような場所では。
自分の魔法でどうやったものか。そんな事を考えていると、先に行っていたジェーニオ（女性体）にすぐ追いついた。彼女はスオーラに気がつくと、
《大したものよ、彼女。ここまで走ってきてるのに、スピードがあまり落ちてないわ》
警察官達が倒れていた現場からだいたい一キロは走っているだろうか。その間いぶきは結構なスピードで走っている事になる。確かに大したものである。
この体力をもっと違う方向に使ってほしい。そう思いつつ、スオーラはジャンプすべく地面を蹴った。いぶきの前に立ちはだかって、少しでもコースを逸らせるためだ。
しかし。スオーラはジャンプできなかったのだ。正確には地面が揺れて蹴るタイミングが完全にずれたのだ。おかげで自分が倒れないようにするので精一杯。スピードもガクンと落ちる。
その原因を作ったのは走っているいぶきだった。件の能力で後ろを見ずとも状況を理解し、スオーラが地面を蹴る瞬間に自分の足を力一杯叩きつけて「地震を起こした」のである。
彼女は今の自分がとんでもない破壊力を発揮できる事を自覚している。そしてそれをきちんと使っている。
このままではどんどん手に負えなくなる。早く何とかしなければ。気ばかりが逸ってしまう。
だが。
ぶぉぉぉん。ぶぉぉぉん。ぶぉぉぉん。
もっとも鳴ってほしくない最悪のタイミングで、その音は鳴り響いた。
この音は世界のどこかにエッセが出現した事を知らせるものだ。だが出現した場所までは判らない。
……いや。すぐに判った。
川の中からザバッと派手な水音と共に飛び出してきたからだ。それはスオーラ達の遥か頭上を超え、十メートルは離れた位置に着地した。
［カ、カエルですか！？］
暗いがそのシルエットは確かにカエルである。雲の合間から月明かりがスポットライトのごとく差し込み、その姿があらわになる。
全身が金属光沢を放つ何か。身体の色や模様などは判らないので、カエルに詳しくないスオーラは単に「カエル」だという事しか判らない。
そのカエルの大きさはしゃがんだ状態で高さが二メートルはあるだろうか。身体はもちろんその手足も思いのほか細くて長い。ように見える。少なくとも俊敏そうな印象である事は確かだ。
そのカエルは自分達に全く関心を払う事なく、再びさっきのように飛び跳ねた。それもたったの一回で十数メートルは向こうに。それを繰り返してあっという間に見えなくなってしまった。
スピードを出していたため止まって方向転換するタイミングが完全に遅れてしまった。
《仕方ないわね。お嬢ちゃんよりエッセの方が重要だわ》
ジェーニオ（女性体）はスオーラの後ろから腕を回して持ち上げると、そのまま宙へと運ぶ。このまま空を飛んで追いかけようというのである。
スオーラもそうしなければならないのは判っているが、走り去って行くいぶきの姿に後ろ髪を引かれる思いである。
……たとえこの後、昭士の手によって「戻される」事が判っていても。
『急いで追いかけてくんなまし』
腰のベルトに挟んでいる短剣――ジュンが、かなり切羽詰まった感じでそう頼む。
『あの蛙は危険でありんすぇ。下手をするとたくさん人が死にんす』
ジュンにしては珍しく、とても物騒な事を言う。
飛びながらジュンの話を聞いてみると、あのカエルは彼女の故郷の森では「バタビョン」と呼ばれており、その身体の表面を被う粘液は、素手で触れただけで数時間と経たずに死んでしまう程強力な毒だという。
その毒を矢や槍の先に塗って獲物をしとめるのに使う。特に大物を狩る時の必需品だという。
エッセに特定の姿形はない。何らかの生物を模した姿をして現れる。その生物が持つ能力をきちんと備えたまま。
それに生物を金属に変えてしまうガスを吐く能力が加わるのだ。危険極まりないどころの話ではない。
［急げますか？］
《当然よ》
ジェーニオの空飛ぶ速度が一気に上がった。
いぶきを探しに何とか外出しようとした途端鳴り響くムータの音。何の音だといぶかしむ者がいる中、昭士はまっすぐ自分の部屋に戻る。
さっきまでタブレットを見ていた戎はどこかへ行ったらしく、部屋には同室の部員が一人いたきりである。
彼は自分の荷物からタオルやら着替えやらを取り出していた。どうやら風呂へ行くらしい。
本当なら昭士も一風呂浴びたいところなのだが、さすがにエッセが現れたとあっては――どこに出現したのかは判らないとはいえ、そういう訳にもいかない。
昭士はカバンの中に突っ込んでいたオモチャの銃を取り出すと、Ｔシャツの中に隠すようしまいこむ。
そして昨日と同じように窓から外を見てみる。別にこのそばに現れた保証はないのだが、昨日言われた「ミステリーモノの探偵かお前は！」というツッコミの事もあり、また出てないといいなぁ、という気持ちだけである。
が。現実は非情である。遥か遠くで何かが飛び跳ねるのが見えた。そして、その「何か」が、明らかにこちらに向かってきているのが見えたのだ。
夜の闇の中の微かな光を反射しているその体表は、まさしく見慣れたエッセ独特のもの。
細く長く伸びきった手足と小さな胴体のシルエットは、明らかにカエルのもの。
（今度はカエル型のエッセか！）
苦手で嫌いという程ではないが、なるべくこうしたカエルやトカゲといった者に触れたくない昭士は露骨に顔をしかめる。
そして同じく窓から外を見ていた他の学校の面々も気づいたのだろう。驚きによるどよめきや悲鳴があちこちから聞こえてきている。
そのカエルは空中に跳ねた放物線の頂点に到達すると、何と、その口から一直線上にガスを吹き出した。幸いそれに巻き込まれた者はいなさそうであるが、次は判らない。
昭士はＴシャツの中にしまっていたオモチャの銃を取り出した。見た目はオモチャそのものであるがその威力はまさしく「本物」。
カエル型エッセが地面に着地する。合宿所の本当にすぐそばに。
合宿所の光が届く距離で大きさの見当をつけてみると、だいたい二メートルはありそうだ。エッセの金属化ガスがなくとも、あのジャンプの勢いで飛びかかってきたらこんな安普請の建物などひとたまりもない。
そんなカエルが次はどこへ行こうかと言いたそうにキョロキョロしているところに狙いをつけて、昭士はその引き金を引いた。
ちゅちゅん！
高くて鋭いが小さく安っぽいオモチャ独特の音。それと共に一直線にビームが走る。そしてそれはカエルに当たらなかった。
昭士の狙いが思い切りズレていたのと、音を察したエッセが再び宙に飛び上がったからである。
どずずん！
何か重い音が上から聞こえ、建物が激しくきしむ。屋根の上に着地したらしい。これでは銃が使えない。
「な、何やってんだよ、お前！？」
同室の部員が驚いて昭士に詰め寄る。彼も昭士の事情は知っているしオモチャの銃の事も聞いてはいたが、実際に見ればいろんな意味で驚くだろう。
その時、昭士の身体がいきなり窓の外に飛び出した。しかも宙に浮いたまま。自分の身体がそんな風になっている事に昭士も驚くが、すぐに後ろの方を向くと、
「ジェジェ、ジェ、ジェーニオ！」
《済まぬ、時間がなかった》
ジェーニオ（男性体）の声だけが聞こえる中、昭士の身体はそのまま上昇していく。姿を消したまま昭士の身体を屋根の上まで持ち上げているのだ。
その間にポケットにしまっていたムータを取り出して眼前に突き出す。ムータから散った火花が青白い四角い扉を作り、それが昭士の身体と交差する。
Ｔシャツにサマージーンズという私服が一瞬にしてバイクレーサーのような姿に変わった。
これが昭士の「戦士としての」姿である。ただし、室内にいたためか足は裸足だ。
《どうやら今度のエッセは強力な毒を持つ粘液で身体を被ったカエルが元らしい》
女性体と記憶を共有する男性体が、そう忠告する。
「じゃあこっちの方がいいのか、なっ！」
昭士は屋根の上まで来てカエルの姿が見えたと同時に、ビーム銃の引き金を引いた。今度は不意を打てたようで、強力なビームが二度三度とカエルに命中する。
だが、表面を被っているという粘液（毒有り）が少し飛び散った程度で、あまり効いている様子はない。
エッセには通常の武器が全く通用しないからだ。ビーム銃は通常と違う武器だからいくらかは効くかと思ったのだが。若干気持ちが凹む昭士。
やはりエッセに対抗するには「戦乙女の剣」しかない。昭士が戦士に変身すると自動的にいぶきが大剣の姿に変身する。そして、
「キアマーレ！」
このキーワード一つで昭士の目の前まで飛んでくるのだ。たとえどこにいようとも。
事実、戦乙女の剣となったいぶきが飛んで来るのが昭士には判る。
『……ンぎょぉぉおおおぉぉぉえぇえええっ�匹Н匹Н匹Г辰辰叩�！！』
逆ドップラー効果とでも言おうか。そんな悲鳴を上げるいぶき＝戦乙女の剣に、エッセの注意が向いた。さらに、
ぶじゅるっ。
戦乙女の剣がカエル型エッセの脳天に高速でぶつかったのだ。全長二メートル強にして重量三百キロの鉄の塊が直撃である。
だが剣の鞘の部分に当たったためか、猛烈に痛がっているだけで倒した訳ではなさそうな雰囲気だ。
鞘の先にぬめっとした粘液をつけたまま、大剣が今度は昭士に向かって来る。たとえ強力な毒を持っていなかったとしても、できれば触りたくない「ぬめり」をさせたままの剣を見て、
「アレ、受けとんなきゃダメかね？」
変身した昭士は、普段のドモり口調がウソのように消える。その疑問を聞いたジェーニオ（男性体）は、
《柄にはついていないようだ。そこを持つか？》
その答えに、昭士は持っていたオモチャの銃をポケットに無理矢理ねじ込んでから、柄の部分を両手でしっかりと持って受け止めた。
普段はいぶきが持っている「周囲の動きを超スローモーションで認識できる」能力は、戦士に変身すると昭士に移動する。だからこの程度の芸当は雑作もない。
そして毒に触れないようにして長い鞘を遠くへ滑らせるようにして剣を抜き、構える。
そしてそのまま無造作に間合いを詰め、大剣を一閃。エッセが動き出そうとするより早く、分厚すぎる刃が横に叩き込まれる。
『いでぇっ！』
くぐもったいぶきの悲鳴がする。この剣は彼女が痛がる程に威力を発揮するのだが、この程度の悲鳴では大した威力はないようだ。
だがそれでもカエルの横顔（？）に刃が大きくくい込み、傷は負わせている。刃がノコギリのようになっているのを利用し、ノコギリで切るように刃を引いてカエルから抜き取る。
それからもう一撃加えようとしたその時だった。昭士の手から剣が滑り落ちてしまったのは。
ドスンというものすごい音がして屋根に落ちて凹んだものの、そのまま傾斜をつたって屋根から落ちようとする。
まさか剣を落とすとは思わず、ジェーニオ（男性体）は柄の部分を持ってどうにか落ちるのを防いだ。この剣をまともに持って使う事ができるのは昭士ただ一人だが、単に持ち上げるだけならジェーニオにも可能だ。
《どっ、どうしたのだ！？》
「わっ、わかんへぇ。へぐぁ……」
喋り方まで変である。そしてそのまま昭士が屋根の上にくず折れる。まるで体中の力が一気に抜け落ちたかのように。
［アキシ様！？］
空を飛んで追いついてきたスオーラがその異変に気づく。ジェーニオ（女性体）の腕を振り切って屋根に着地した。
だがその途端身体が痺れるような微かな痛みが走った。そして指、手、腕、と、だんだんと力が入れられなくなって、動きが明らかに鈍っていく。そんな不可思議な現象がスオーラの身に起きているのだ。
［これは……！？］
途端、両方のジェーニオの表情が驚きに満ちた。
『バタビョンの毒でありんすぇ』
ジュンも花魁口調に似合わぬ緊迫した様子でそう告げる。それを聞いたジェーニオ（男性体）は、
《今は彼を連れて退くぞ》
片腕で昭士を持ち上げる。女性体もスオーラを持ち上げようとする。だがスオーラは仇敵を前にして、戦わず逃げるのかと責めるような目をしている。
《「団長」からの連絡だ。このエッセの元となったカエルの毒は皮膚からも吸収される神経毒。即効性がかなり高い。これは神経伝達を遮断して筋肉が動かせなくなるもので、下手をすれば呼吸や心臓が停止して、死ぬぞ》
団長とは、ジェーニオがかつて所属していた盗賊団の団長の事だ。スオーラは直接会った事はないし「神経毒」という単語も良く判らないが、最後の部分だけは良く判った。
このままでは昭士が死ぬかもしれない。
なかなか動かない自分の手足を叱咤するかのように動かしたスオーラは、自分の体内にある魔導書を無理矢理引きずり出した。彼女の魔法はこの本のページを破り取る事で発動する。これで昭士の治療をしようというのだ。
だがそれを知ってか知らずか、エッセはそんな彼等に生物を金属へと変えるガスを吹きつけたのだ。
それはまるで猛吹雪のような勢いと冷たさで一同に襲いかかる。だが戦士の姿でいる限り、このガスで金属にされる事はない。金属の剣となっているいぶきも、生物ではないジェーニオ達もだ。
その時点で、活動限界とばかりにカエル型エッセの姿がすうっと消える。逃がしてしまったのだ。
だが悔しがる時間も安堵する余裕もない。その「神経毒」に昭士が冒されているのは間違いないのだ。
戦士の姿でいる間はどんなケガをしてもたちどころに治癒してしまうスオーラですらこうなのである。そういった特殊能力を持たない昭士は、一刻も早く治療をしなければ間違いなく死ぬ。
スオーラの魔導書がパラパラとひとりでにめくれ、やがて一枚のページだけが直立する。スオーラはその動作すらもどかしくそのページを急いで破り捨てる。そして昭士の胸に叩きつけるようにページを乗せると、
「ＤＩＩＵ」
魔法の言葉のようなその呟きと共に、ページが淡い光を放ち出す。だがその光は、昭士の身体から出た青白い火花に打ち消されるようにして消えてしまい、ページそのものが塵となって夜の闇に解けていく。
今まで起きた事がないその現象に、スオーラの目が驚きで見開かれる。そんな彼女の目の前で、青白い火花を放ちながら、昭士の身体に異変が起こった。
ライダースーツだった服装が、Ｔシャツにジーンズといった、こちらの世界の姿に戻ってしまったのだ。彼は何もしていないのに。
同時に大剣だったいぶきが元の人の姿に戻る。鞘から抜いた状態で屋根に落ちたためその姿は全裸。いぶきは両手で身体を隠しつつも、こんな目に合わせた昭士に猛然とカカトを叩きつけた。
だがその痛恨の蹴りに、昭士が反応する事はなかったのだ。これだけまともに蹴りを受けてうめき声一つあげないのはさすがに変である。
そんな昭士の姿を見たジェーニオ二人は、こう言ったのだ。力ない声で。
《……遅かったか》
その声のトーンに、スオーラは驚いた顔のまま、そっと手を伸ばす。首筋に手をやる。脈打つ様子が一切感じられない。どれだけ力を込めて押し当てても。
左胸に耳を押し当てても、鼓動一つ聞こえない。どれだけ強く押しつけても。
「死ンだの？」
おそるおそる。おっかなびっくり。そんな様子を伺うようにいぶきが覗き込む。無言で手を押し当てたまま動かないスオーラに変わって、ジェーニオが首を倒して肯定する。
目を点にしたいぶきがそのまま固まる。まるで自分が金属の像にでもなってしまったかのように。そのまま誰もが口を開けない時間が――ほんの十秒もないだろうが過ぎた後、いぶきが叫んだ。
「ぃやったぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーっっ！！！」
心から嬉しそうに。＜つづく＞