トガった彼女をブン回せっ! 第12話その1
『前からいい言われてはいたんだ』

派手な音がしてドアが蹴破られると、いぶきはピョンと車から飛び下りた。もっとも今は停まっている状態なので苦もなく可能だし、またケガもしない。
[イブキ様!?]
スオーラが引き止めようと声をかけるが、当然いぶきが聞く筈がない。
「だから何回も言わせンじゃねーわよ。そんな一致団結だのみんなを守るだのクソの役にも立たない気持ち悪い事なンかさせンじゃねーっての!」
地面に下りたいぶきはペッと車体につばを吐くと、その場で半回転する勢いを加えてもう一度ドアに鋭くかかとを叩き込んだ。
蝶番の動きと真逆の方向だったのだろう。ベキッと嫌な音がした。いぶきも平気な顔である。
「やっぱりそうか。生き物じゃなけりゃダメージは跳ね返って来ないってか」
彼女の顔に意地悪く、かつ厭らしい、そして嬉しそうな笑みが浮かぶ。
[イブキ様!]
思わず運転席から下りて来たスオーラを、昭士が腕を出して止める。それを見たいぶきは、
「ナニ? こンなボロ車がそンなに大事? モテない男が女に媚びるのも大変ねぇ」
プププと声を殺して、露骨にバカにしてそう言った。そして昭士達に全く関心を見せずにもう一回ドアを蹴ろうと足を振り上げた時、昭士が制服のポケットから取り出したのは、変身するのに必要なアイテム・ムータだった。
「ううう、動くな」
いきなりいぶきの蹴りが途中で止まった。いや。何らかの力で強制的に止められた、という方が正確だろう。
だが途中で止まっているとはいえかなり足を振り上げてしまっている。加えて今時のやや短めのスカートだ。振り上げた状態で足が止まっているので完全にパンツ丸見え状態なのである。それも昭士に向かって。
「な、な、な、ナニしやがった! 見てンじゃねぇこのエロアキが!!」
「だ黙れ」
何か言おうとしたいぶきの口も凍りついたように開いたまま動かなくなる。
[あ、あの、アキシ様。これは一体……]
目の前で起きている事が理解できず、スオーラは昭士に訊ねる。
「カカ、カードに変化があああった時、いいろ、色々変わったって。いいぶきちゃんのワワ、ワ、ワガママが、ドド度を越え過ぎてたから、いいぶきちゃんの行動から、せ、生殺与奪にいたいた、至るまで、こここのカ、カカードですすす、好きにできるって」
スオーラもこのカード・ムータに何らかの意志が宿っている事は実体験として知っている。その「意志」から使い方などを教わったのだ。きっと昭士もそうなのだろう。
そして昭士の持つムータも先の戦いで変化している。それに伴って変化し「能力」が追加されたのだろう。
それにしても追加された能力がそれとは。他人を自在に操るなどスオーラの考えではそれは絶対の「悪」である。
だがこれまでのいぶきの余りにも度を超えた行動を考えると「そのくらいしないとダメなのか」という、一種の諦めのような気持ちが浮かんだ。
それは彼女が「他人の為に何かをする」事が喜びであり常識という、いぶきと完全に真逆の性分だからかもしれない。
それから彼は入口前で固まったままのいぶきの方に歩くと、ゆっくり、そして大きく息を吸ってから、
「一体いつまでそんな風なワガママし放題の生活ができると思ってるつもりなの? それに同じ行動でも『自分がやるのは許される。他人がやるのは許されない』なんて自分勝手がいつまでも通用するって勘違いも止めて、もう高校生なんだから、そんな誰にも構ってもらえなくて癇癪起こす幼稚園児みたいな子供じみた真似は卒業しなよ。勉強という意味では頭が良くてもそれ以外の部分がちっとも成長してないって事じゃないか。だから身体の大きな三歳児って陰口叩かれるんだよ。どうせいぶきちゃんは友達なんて誰一人としていないからそんな事知らないだろうし、そんな風に誰かの意見に耳を貸す事なんて絶対にないから今の今まで知ろうともしなかっただろうけどね」
いぶきの長文句のお株を奪うかのような昭士の説教。しかも全くドモらない。しかも決して乱暴な口調でないだけに、淡々としているがゆえの恐怖のようなものすら感じる。
「いぶきちゃんが誰かを助けたり、協力したりするのが嫌いならそれで良いよ。でも世の中の人間全員が誰かを助けたり協力したりするのが嫌いな訳じゃないよ。むしろそれが好きな人もいるし、ギブ&テイクって割り切ってやる人だっている。むしろそっちの方が多いかもしれない。自分と考えや主義主張が違うからって怒ったり八つ当たりしたりするのはもう金輪際、これっきりにして欲しいんだ。いや、やれって命令する」
普段のドモりが信じられないほどの流暢な言葉、言い回し。スオーラは思わず「実は変身しているのでは」と疑ったくらいだ。
[普段怒らない人が怒ると怖いとは、こういう事なのでしょうか]
『不満をギリギリまで溜め込む性分、なんでありんしょう』
延々と説教が続く昭士の背中を見て、異世界の女二人がヒソヒソ話している。
「だいたい自分が一番大事、自分以外の事はどうでもいいって言うんなら、家を出て山の中ででもたった一人で自給自足の生活でも送ればいいじゃないか。それこそ誰にも会わないで誰とも話さないで誰とも関わらないで。でもそれすらやらないし、むしろ面倒な事は全部他人に丸投げにする事しかした事ないクセに。それでいて他人を困らせたり迷惑をかける事にだけは信じられないくらいの熱意と情熱を傾けて全力でやってくるんだから、自分の行動が完全に矛盾してるって気づいてる? 気づく訳ないよね。勉強以外のアタマの中が完全に幼稚園児並なんだから、そんな難しい事判る筈がないよね」
昭士はそこでようやく一呼吸分くらい間を空けると、更に続けた。
「それから。いぶきちゃんの為に特別に条例が作られて、近いうちに執行されるから。これまではいぶきちゃんがどんな事をしても俺達家族が責任を取るって形だったけど、もうそれが無くなって、いぶきちゃん本人が自分だけの力で責任を取らなきゃならないようになるそうだから。いわゆる堪忍袋の緒が切れたってヤツだね。もう俺も親も爺さん達も親戚一同も誰もいぶきちゃんを助けなくて良くなるから、ずいぶんとみんなの心労が軽減される事になるね。つまりそれだけいぶきちゃんの存在が重荷でみんなの負担と苦労の元になってた訳。いぶきちゃんの事だからそんな考えこれっぽっちもなかったろうから教えておくね。今頃反省したとしてももう遅いけど。あ、考えてみれば反省なんてした事なかったよね。じゃあ反省するってどういう事かを、まずは考えてもらえるかな」
いぶきが文句を言おうとしているが、口はもちろん舌すら一ミリも動かす事ができないので、喉からウーウーと息が漏れるだけだ。
「今桜田さん達警察の人にも手伝ってもらって、いぶきちゃんが持ってる能力の事を広めてもらってるから。これで今までいぶきちゃんが一方的にボコボコにした人達が諦めてくれれば良いけど、多分そうはならないだろうね。むしろ『インチキしやがって』って、前以上に怒って攻撃しようとしてくるよ。周りを超スローモーションで認識できる能力って判っていれば、いくらでも攻撃のしようはあるからね。その時はちゃんと角田昭士と角田いぶきをキッチリ区別するようにって、改めて念を押すから、これからは本当に逃げ場がなくなるよ。でもそれもこれも全部いぶきちゃんが誰の言葉にも耳を貸さないで自分勝手にやり続けて来た十五年間の行動の結果だから。まさしく自業自得っていうヤツだから、そこは俺達を恨まないで欲しいな。むしろそこを恨むようならただの自分勝手な逆恨みだし本当に人間として最低だしね。たとえいぶきちゃんがどうなろうと同情する人は誰もいないと思うけどね。あ、むしろ同情してくれる人なんて最初から誰もいないから関係ないか」
そこまでまくしたてた昭士は、ようやくスオーラの方を振り向いた。
「ススス、スオーラ。くく、車、だだし、出して」
急にいつものドモり口調に戻った。そのため逆に拍子抜けしたようにコケそうになるが、
[あ、あの、アキシ様……]
「はは、は、早く出して」
[あ、は、はい]
スオーラは昭士の表情を見て発言を止めた。そして運転席のレバーを操作する。ガタガタとぎこちなくではあるが、蝶番が動いてドアが閉まる。
それからゆっくりと車が動き出した。そして道路に出て、これまでの遅れを取り戻すかのようにキャンピングカーは薄暗くなった夕方の街を駆けて行く。
いぶきの身体が動くようになったのは、車が道路の遥か遠くに消えてからだった。


しんとする車内。外部の風を切る音とエンジンの振動が運転席を支配している。誰も一言も喋ろうとしない。
さっきの長々とした昭士の説教。あれは間違いなく昭士のこれまで溜めに溜めていた本音だろう。何がきっかけで吹き出したのかは判らないし、聞けるような雰囲気ではないが。
その重苦しい雰囲気に割って入ったのは、軽快な電子音だった。一瞬ハンドルを握るスオーラの手がポケットに動きかけるが、それより昭士の方が素早く反応して、自分の携帯電話を開く。
それから開いた液晶画面をじっと見つめている。どうやらメールが来たらしい。親指が小さく動いて画面をスクロールさせて文章を読んでいる。
「さささ、桜田さんが、ねまねね、根回ししてくれた。とと隣の市の警察署に」
この留十戈(るとか)市の警察は既にスオーラの事は承知しているが、隣の市まではそうはいかない。きちんと「こういう人間が行く」という事を通達し、行動できるよう許可を求めねばならないのだ。
本来着いていく方が良かったであろう富恵が「仕事がある」と帰って行ったのは、そうした事情である。縄張り意識――もとい管轄というものがある以上、他所の土地へ勝手に乗り込んで好き勝手にはできないのだ。
「スス、スオーラ。めん免許証ときょきょ、許可証っていうの、もも持ってる?」
[あ、はい。問題ありません]
スオーラは車を走らせながら、窓の下の物入れスペースにしまってあった一枚の紙を取り出した。そこには「特殊車両通行許可証」とある。
これは大型の車両が狭い道路を通ったり、もしくは一定の大きさ・重さを超える特殊な車を走らせる際に必要になるものだ。
このキャンピングカーはこの世界の物ではない。それゆえにこの世界の道路事情に合わなかったのだ。
一応この日本の道路交通法ではギリギリ大丈夫なサイズなのだが、そんなもの見ただけで判る訳がない。いちいち止められ、調べられる手間ひまを少しでも省こうと、こうした許可証を既に発行してもらっていたのだ。
スオーラは、それを文字が書かれた方を外に向けて、運転席窓の下部に貼付けるように置いた。
それからまたしばし無言の時間が過ぎていく。時折携帯のナビゲーション用地図を見ている昭士が「次を右」「そこを左」と案内するだけである。
車が大きく、しかも夕方の幹線道路。動きが止まるほどではないがスムースに走れるほどのスピードは出せず、若干ノロノロ運転だ。
だがそれでもスオーラの運転技術はこの世界にだいぶ馴染んで来ているようだ。しかも巨大なキャンピングカーである。慣れない人間では普通に走らせるだけでも難しいというのに。
[……あの、アキシ様。一つよろしいですか]
スオーラはだいぶためらっていたが、思い切って口を開いた。
[出がけにイブキ様に仰った事なのですが。特別な条例、とは?]
「あ。あああ、あれ」
昭士は沈んだ表情のままで、スオーラと視線を合わせずに口を開く。
「……じょじょ条例執行、らら来週からって、きき決まってたから」
そこまで言うと、近づいて来た曲がり角を指差して「次左にまがって」と伝える。
[……そ、それは急な話ですね]
警察組織も重い腰を上げた、というやつだろうか。だがそれにしても急すぎる。そんなスオーラの正直な感想だ。だが昭士はやはりどこか辛そうに、
「きゅきゅ、急じゃあないよ。ま、ま、前からいい言われてはいたんだ」
昭士はそこで大きくため息をつくと、再び携帯電話の画面に視線を落とす。
「あああ、あまあま、あまりにもも、も、問題をお、お起こし過ぎてたから。そそれに、いい、言おうとはしてたけど、いいぶきちゃんって、こここっちのはな、話はぜぜ全然聞かないし」
確かにいぶきは素直に他人の話を聞くようなタイプではないが。だが裏を返せばもうそれだけ限界だったのだろう。
だがそうすると、これからの自分達の戦いはどうなってしまうのだろう。
もし相変わらずの態度で諍いを起こしたら確実に投獄されてしまうに違いない。そうなってしまったら、どうやって最強の武器「戦乙女の剣(いくさおとめのけん)」を確保すれば良いのだろうか。
まさか事件が起きる度に牢屋番と交渉をして釈放してもらわねばならないのだろうか。それはあまりにも手間と時間がかかり過ぎる。
それにたった今も、いぶきを車に乗せず置いて来てしまっている。現地に着いて敵が現われたら武器がない状態で戦わねばならなくなってしまう。
「そそ、そ、そ、それは大丈夫。きょきょきょ、強制的に呼べるって、いい言ってた」
スオーラの心配を見抜いたかのような昭士の言葉。ポケットから取り出したムータをスオーラにかざして見せる。信号待ちの間にチラリとそれを見た彼女は、
[そうですか。そんな風にも変化を起こしていたのですね。確かにもう以前のような事はこりごりですから]
以前二人揃わずにスオーラの世界へ行ってしまったため、場所はもちろん時代すら全く違う所に現われてしまい、当てもなく探し出すハメになったからだ。
幸いすぐに見つかりはしたが、その時の「どうしたら良い」という焦燥感や絶望感はもう思い出したくもない。
それは同時に、いぶきの自由がそれだけ奪われているという事である。その辺りはスオーラも胸を傷める。
だがいぶきの性格が性格である。とにかくいかなる事をしても他人の為に行動しないし、したがらない。そのためにためらいなく自殺をはかった事もあるくらいだから。
もし彼女が協力的だったら。そう思ったのは一度や二度ではない。むしろほぼ毎回である。
それは戦乙女の剣が侵略者・エッセに対して信じられないくらい効果的である事も関係しているが、そこへ行きつくまでの苦労を思うと、あっけないくらいなのである。
何せ、一撃で決着がついたケースがほとんどなのだから、そう思うのも無理はない。
そうこうしているうちに、前方にたくさんの赤色灯が見えてきた。昭士も揃って運転席から前を見ると、警察車両が停まっており、赤く光る誘導棒を振っているのが見えた。
「ススオーラ。てて手前で停まって。そそそれから、しじ指示にはしたた、従って」
[判りました、アキシ様]
昭士の指示に素直に従うスオーラは、きちんとその通りに停まってみせた。すると数人の警察官が運転席の下まで駆けてくる。スオーラは窓を開けて身を乗り出すと、
[申し訳ございません。どうしてもこの先に行きたいのですが]
「あー。ひょっとしてお前さん達か? 留十戈市警から連絡のあったキャンピングカーってのは?」
若い警察官が何かを思い出しながらスオーラを見つめる。
「まぁこっちだって何が起きたのか良く判ってないくらいなんだ。本当は事件現場に民間人を行かせる訳にはいかないんだけどな」
警察官は愚痴のようにブツブツ呟いている。そこにスオーラは、
[済みません。被害状況や目撃情報などがありましたら、可能な限り戴きたいのですが]
「おお、おお願いします、お巡りさん」
スオーラの後ろから首を出した昭士も、警察官に頭を下げる。すると警察官は「仕方ない」と言いたそうに、
「判った。なるべく便宜を計ってやれとも言われてるしな。詳しい話を聞かせてやるから下りて来い」
その警察官は後方の仲間に指示を出してバリケードを退かせる。それを確認したスオーラは誘導棒の指示に従って車を走らせる。
誘導された先は事件現場である軒久地平(のきぐちだいら)運動公園の駐車場だった。その大型バスを停めるエリアに車を停めるよう指示される。
その際の車庫入れも見事なもので、大きな車をまるで手足のように操っている。そんな形容詞が似合う手際の良さだ。誘導をしていた警察官もスオーラの運転を「見事」と言い切るほどだ。
だが。車から下りて来た面々を見て、連絡を受けていた筈の警察官達も唖然とせざるを得なかった。
細い割に貧弱なイメージが乏しい、男子高校生。
明らかに魔法使いのコスプレをした、モデル並みのスタイルの少女。プラス刃が入ってない短剣(の刀身)所持。
(本当に大丈夫なのか?)
そんな半信半疑、いや一信九疑な視線が二人に降り注がれたのは、無理もないだろう。
ここ数カ月、留十戈市内を騒がせていた「人体金属化事件」。それがとうとう他の地域にも発生し出したのだ。
その解決の立て役者となった人物が来ると聞き、その人相や特徴などを記した物を受け取った段階ですら疑わしかったのである。当たり前の話だが。
その男子高校生は「初めまして」と周囲の警察官に挨拶しているが、魔法使いの少女の方はゆっくりと、そして無言のまま周囲を見回しているのみである。その様子を不思議そうに見ていた警察官達。
そこにやって来たのは、何と帰った筈の桜田富恵であった。
いくら管轄が違うと言えども民間人を送ってそれっきりとはいかなかったらしい。確かに実際に現場を見た、そして体験した人間がいるのといないのとでは大きく違う。来ていて当然だ。
「ああ、昭士君、スオーラさん。来てくれて有難う」
[トミエ様。早速ですが被害状況と情報を]
スオーラが両手を差し出して「下さい」と言わんばかりのリアクションをしている。富恵は唐突に差し出された両手に少し驚くと、
「え、ええ、判ってるわ。二人ともこっちに」
富恵の後に昭士とスオーラが続く。そしてこの市の警察官が二人ばかりその後に続いた。


一同が案内されたのはテントだった。といってもあるのは屋根と細い柱のみ。運動会などの時に校庭に設置されるようなタイプだ。
昔は無線機や仮設の電話などが乱雑と置かれていたそうだが、技術が発達した今ではパソコンが数台、大きなバッテリー、そして携帯電話やWi-Fiといった通信用の中継車や周囲を照らす移動照明車などがあるくらいだ。
ノートパソコンが置かれた長机を囲むようにして配置に着いたのを確認すると、警察官は口を開いた。
「幸いと言いますか、被害に遭われた『人間』は一人もいません」
微妙に含みのある、着いて来た警察官の言葉。スオーラはその言葉に静かに反応し、
[たとえ人でなくても被害が出た事に変わりはありません]
十五歳と聞いていたが、その大人びて冷たい印象すら与える真剣な目で睨まれると、その警察官は「失言だった」とばかりに息を呑んでしまう。
「良く判らない金属の像になってしまったのは、ドッグランを利用していたペットの犬達なんです」
平日の夕方の、それも閉園時間が迫っていた時間帯だったため利用者が少なかったのが不幸中の幸い。
それでも吠え声を上げながら元気良く駆けていた犬達のあらゆる音がピタリと止んだ。それに疑問を持った飼い主達が辺りを見回すと、化物の姿を見つけ、一目散にその場から逃走。
もちろん自分の命より飼い犬が大事という者もいたが、さすがに金属にされた飼い犬と化物を見てしまっては、我先に逃げ出してしまったとしても責める事はできまい。
化物が姿を消してから、恐る恐るドッグランスペースに戻って来た飼い主達は、金属の像になってしまった飼い犬と無言の再会を果たした。
だが中には身体を喰われた犬もいたようで姿が見当たらないもの、もしくは前半分、後ろ半分だけが残っている犬もいたという。
金属像だけに痛々しいイメージは薄いが、それでももう助けようがない犬を見て涙を流す飼い主に、もらい泣きをする係員や警察官もいた程だ。
ところが。その警察官が事情を聞いた時、厄介な事になったのだ。目撃情報に食い違いが起きてしまったのである。
ドッグラン利用者や係員達一人一人に化物を見たか、どんな姿形か、覚えている限り話して欲しいと聞いた所、二つの意見に分かれてしまったのだ。
一つは立派なたてがみを持った巨大なライオン。巨大といっても頭の大きさが二メートルほどなので、普通のライオンよりは遥かに大きいが「巨大」というイメージにしては小さい。
もう一つは何と巨大なアリ。地面に巣穴を掘って生活している、あのアリである。それも全長二メートルほど。
普段とても小さい生物が巨大になるだけでも恐怖感は遥かに、かつ無意味に増す。間近で見てしまった人には同情を禁じ得ない。
そこまで説明を受け、昭士が手を上げた。説明していた警察官は無言で昭士を指す。
「ににに、二体、いいいたんでは、ないないないですか?」
初対面の人という事で、いつもよりドモりが強い昭士の言葉。一瞬何と言ったのか理解する時間を置くと、
「目撃者の証言や監視カメラの映像から考えると、化物は一体しか現われていないようです」
『一体!?』
皆が驚いたのは当然である。
化物の正体はともかく、それ以外の事は専門家の警察官がやった事である。間違いはないだろう。
だがある者はライオンと言い、ある者はアリと言う。それで化物が一体と言われても。
スオーラも自分の知識の中にある、あらゆる生き物の姿を思い浮かべてはみるが、さすがにライオンでありかつアリでもある生物など存在しなかった。
「監視カメラの映像だと、化物の真正面と真後ろからしか撮れていないんです。しかも全体像を撮せた物がない。部分だけを見るならば真正面から見るとライオンで、真後ろから見るとアリなんです」
前がライオン、後ろがアリ。そんな生物がいるとでも言いたそうな結果である。しかしそんな生き物いる筈がない。もしいたら確実にニュースになって大騒ぎになっている事請け合いだからだ。
「スス、スオーラ。ききき、君の世界に、そそういう生き物、いいる?」
昭士が彼女の近くで小声で訊ねる。スオーラも申し訳なさそうに首を振り、
[いえ。少なくともわたくしの知る限り、そのような生き物は存在しません]
だがこの侵略者・エッセはこの世界(もしくはスオーラの世界)の生き物の姿を模して現れる。
全身を金属光沢を放つ物質で覆われ、通常の武器では傷一つつかない。そして口(など)から吐くガスを浴びた生物は金属となってしまい、エッセはそうして「金属化した」生物だけを食べる。
そのためスオーラの世界か昭士の世界に「前がライオン、後ろがアリ」という生き物がいなければそんな姿になる事はない筈なのだ。
昭士とスオーラの二人が考え込んでしまったのを見た警察官は、
「こちらももう一度映像を良く見直してみます。もしかしたら違う手がかりがつかめるかもしれませんので」
形ばかりの敬礼を二人に送ると、急いでこの場を去って行く。
他の警察官達も、いつ、どこに現れるか判らないエッセに備え、公園内を巡回しているという。
もちろんスオーラも敵が現れるまでここでボーッとしているつもりはない。共に巡回をするつもりでいた。
しかし。昭士は長机に置かれたままのノートパソコンに目をやった。
「あ、あ、あの。こここのパソコン、つつつか、使っていいですか?」
「え!?」
言われると思っても見なかったような、この場に残っていた見知らぬ警察官の態度。
彼はパソコンの画面を覗き込み、大事な文章や見られては困るデータなどがないかどうか確認する。
「暇つぶしでもするのか? そんなアプリは入ってないぞ。そういうのは自分の携帯でやればいいだろう」
「しし、しら、調べものがしたいんです。おお、お、お願いします。ネネ、ネットは、だいだい大丈夫です、ですよね?」
今はちょっとした調べ物ならば携帯電話でも事足りる。だがそれにはインターネットにアクセスする必要があり、その費用もバカにはならない。一介の高校生では、いくら定額プランや格安コースに入っていても節約したいと思ったのだろう。
昭士を見てそう考えた警察官は、ちょっとだけ辺りを見回すと、
「まぁいいだろ。けど手短かにな」
そう言って、ノートパソコンを使いやすいようにと、くるりと昭士の方に向けてやる。
昭士は無言で頭を下げると、すぐさまブラウザを起動。型遅れのパソコンは少し時間をかけてブラウザを起動させる。
ウィンドウの隅にある検索窓にカーソルを合わせ、キーボードを叩く。何となく力が入って音が大きい。
エンターキーを叩いて検索をスタートさせ、結果が表示されるのをじっと動かず待っている。
「……あああ、あるのかよ!」
画面を見たままの昭士は、画面に向かってブッと吹き出すかと思うくらい、
声を殺して笑っていた。

<つづく>


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