『日本人の惣菜 後編』
「加山雄一と……」営業用スマイルを浮かべる加山。
「大神一郎の……」無理矢理つき合わされているのがバレバレの大神。
『おりょうりきょうしつーーーー』
微妙に揃わぬ二人の声。ガックリ肩を落とす大神に対し、加山は拍手をしながら「お前もやれよ」と言いたげに肘で突ついている。二人ともいつもの格好の上から揃いの木綿のエプロンをつけている。
二人の前にはボールに入ったジャガイモ、挽き肉、玉ねぎ、タマゴ。バットに入れられた小麦粉とパン粉がある。
作業台を挟んだ向かいには、可愛らしいエプロンをつけたコクリコと、いつもの洋服の上から割烹着をつけた花火の姿が。
ここはシャノワールの厨房の一角。先日ようやくコロッケを食べられたコクリコが「作り方を教えてほしい」とねだったため、こうして時間をとったのである。
シャノワール専属のコック達も夜の営業に向けた仕込みで忙しい時間帯にもかかわらず、「そういう理由なら」と厨房の一角を使っていいとの許しを出してくれた。
「……とは言いましても、何も難しい事はありません。茹でて潰したジャガイモと、汁気が無くなるまで炒めた挽き肉と玉ねぎを熱いうちに混ぜて、あとは衣をつけて揚げれば出来上がりですから」
「身も蓋もないな、加山」
「お料理教室」というお題目をつけたのにあっさり過ぎる解説に、さすがの大神も呆れて加山にツッコミを入れる。
「そう言うな、大神。何と今回は花火さんのご好意で、挽き肉たっぷりのコロッケができるんだぞ。それも牛肉だ」
「ぎ、牛肉うぅぅぅぅぅ!?」
息を飲んだ大神がカッと目を見開いて叫んでしまう。それから向かいの花火に思わず手を差し出して、
「有難う花火くん。まさかこんな贅沢なコロッケがフランスで食べられるとは……」
心底嬉しそうな表情を露にした大神は、そのまま花火の手を取りブンブンと激しく振っている。その笑顔たるやものすごいテンションが上がっている証だ。
一方の花火もいきなりの事で頭が行動に追いつかず、顔を真っ赤にしてされるがままになっていた。
「大神。さすがにはしゃぎ過ぎだ」
今度は加山が呆れ顔で大神にツッコミを入れる。そこでようやく自分がしている事に気づいた大神は、顔を真っ赤にして花火から離れて大きく距離を取る。
大神の行動が理解できないと言いたそうに首をかしげるコクリコに向かって、
「大神の生まれた辺りでは、肉と言ったら豚肉か鶏肉。牛肉は滅多に食べられない『ごちそう』扱いだったんですよ」
大神が生まれた栃木県を含む東日本では、一般的に『肉』と言えば豚肉を指す。
ところが加山が生まれた和歌山県を含む西日本では、普通に『肉』と言えば牛肉になる。
日本は南北に長いので様々な文化の違いがあり、たくさんの山がその文化の伝達を阻害してしまうため地域差がとても大きいのだと、コクリコに説明する加山。彼女は一応判ったような顔をしていたが、実のところはよく判らない。
「あのぉ。わたしは入っちゃダメなんですか〜?」
厨房の入口から、首だけ出しているエリカの情けない声が小さく聞こえてくる。コクリコを露骨に目を釣り上げてギロッと睨むと、
「ダメ!! エリカはこの間ボクの分のコロッケまで食べちゃったじゃないか!」
むぅとうなりながら目一杯頬を膨らませて怒りを露にするコクリコ。その様子は彼女の年のせいもあって怖いと言うよりはどこか微笑ましくすら感じる。
それでも心底怒っている事は事実だ。さすがのエリカもそれは判るのか、厨房の入口からは入ってこようとしない。
もっともエリカの料理の腕前は本人以外の誰もが認める下手さだ。せっかくの食べ物が「食べられないもの」に加工されるのを見るのは忍びない。
「できあがったらみんなで食べましょう。それまで待ってて下さい」
このまま二人の間にいざこざがあるままでは何かと面倒だと、加山はエリカに声をかける。大神も、
「あとでちゃんとあげるから、おとなしくしててくれよ」
「はーーい」
何だか父親とその子供のようなやりとりである。その場の一同は同じ事を考えていた。
加山はジャガイモの入ったボールを手に取ると、
「まずはジャガイモを茹でるんだが……皮つけたままでいいかな」
「いや。熱いうちに皮を剥くのは慣れてないと熱くて大変だし時間もかかるから、剥いてからでいいんじゃないか?」
「味落ちないかな」
「丸のままなら大丈夫じゃないかな」
「でも、軍だと皮付きのまま茹でてたよな? 芽はとってたけど」
「そっか……じゃあそうするか」
何ともアバウトな加山と大神のやりとりだが、男の料理とは案外こんなものである。
実際には、ジャガイモの栄養分は皮の近くに集中しているので、茹でてから皮を剥く方が栄養摂取という面ではいいのだ。そういう面で考えないのも男の料理の特徴かもしれない。
「ようやく見つけたぞ!」
厨房の入口からまた聞こえてきた声は、エリカのものではなかった。グリシーヌだ。
周囲の空気に構わずずんずんと大神達の方へ歩いてくる。手には何か本らしい物を持って。
彼女は手にした物で大神の胸の辺りを軽く叩くと、
「先日、貴公はショーユの件で『先祖からそういう話は伝わってないのか』と言っていたな」
先日とはもちろん加山がコロッケを持って訪れた日の事だ。
「これを見よ」
グリシーヌは持っていた物を大神の前にずいと突き出してみせる。
それはかなり古ぼけた本――いや、紙の束という方が正確な代物だった。
「これは十七世紀末頃のブルーメール家頭首の日記だ。なかなか几帳面な方のようでな。ここにショーユに関する記述を発見した」
彼女はまるで世紀の大発見を果たした考古学者のように、丁寧に紙をめくっていく。それから「ここを見ろ」と言わんばかりに中身を大神に見せるが、かなり昔のフランス語など彼に判る訳もなく。
グリシーヌもそれに気づき「では、私が読んでやろう」と前置きをすると、その部分を読み始めた。
『国王陛下より下賜されしショーユなる液体を持ち帰る。かの黄金の国の物との事。色はまるでインクのごとく、香りは何と形容して良いのか判らぬ悪臭を放ち、一滴舐めてみれば海水よりも塩辛い』
文化が違うと言われればそれまでだが、ここまでこき下ろされると怒りより先に乾いた笑いしか出ない。事実大神も加山もどう反応すればいいのか困っていた。
『しかし、国王陛下に言われた通り肉料理のソースに使ってみればどうだ。これまでのソースが霞んでしまう味に早変わりしてしまったではないか。今まで自分が食べていた肉は何だったのだ。あの悪臭や塩辛さからは信じられない味である』
前半の酷評から一転。完全なベタ褒めである。
そこまで読み上げると、彼女は紙の束をポンと閉じて、
「どうだ。我がブルーメール家にもショーユの事はきちんと伝わっていたぞ」
まるで我が事のように胸を張るグリシーヌ。
考えてみればこの一週間あまりの間、ほとんど彼女の姿を見ていなかった。ひょっとしたらこれを探していたのだろうか。おそらくそうだろうと一同は見当をつけた。
こうと決めたらひたすらに突き進むグリシーヌらしい話ではある。
「ところで……」
ようやくグリシーヌが辺りをきょろきょろとしだした。
大神達のエプロン姿(花火は割烹着だが)、目の前にある肉や野菜。そしてシャノワールの厨房という場所。
「何をしているのだ?」
「今聞くのかい、それ?」
本来なら会って早々に出てきそうな話題が今頃になって出てくる。きっとそれだけ彼女の先祖の日記を大神に伝えたかったのだろう。
「コクリコさんに頼まれまして。コロッケという、日本風のクロケットの作り方をお教えしているんですよ」
表情が凍りついた大神の隣で、加山がそう説明する。グリシーヌは一瞬何の事だときょとんとしていたが、やがて何かを思い出したような顔つきになり、
「……ああ、クロケットか。そんな物まで日本に伝わっているのか。もっと美味なる物は山とあるというのに」
以前花火が話していた「上流階級の人は揚げ物に縁がない」という話は本当らしい。そして揚げ物を格下に見ている事も。
それからボールの中のジャガイモをふと手に取ったグリシーヌは、
「日本のクロケットはジャガイモを使うのか。高貴なのか庶民的なのか判りにくい料理だな」
彼女の言葉に首をかしげる一同。するとグリシーヌは「そんな事も知らないのか」と、特に大神に向かって力説すると、
「このジャガイモという野菜は、イモ自体にほとんど味がないから、どうしても手間のかかる調理や肉などと一緒に採る必要がある。つまり、それなりに裕福な者でなければ美味しく食べられん食材だった」
言われてみれば彼女の言う通りだ。皆は素直にうなづきながら聞いている。
「おまけにさらに昔は、このゴツゴツとした不気味な外見から、最悪の野菜だの流行病の原因だのとまで言われていたのだ。実際はこの芽がその原因だったようなのだがな」
日本ではそういった話は聞いた事がない。まさしく「ところ変われば品変わる」である。
「でも日本だと味噌汁に入れたり、蒸かしたりしてよく食べたよな?」
「ああ。その辺も国の差ってヤツなんだろうな」
大神と加山の発言にグリシーヌは少しばかり驚き、
「そうか。フランスは良くも悪くも自分達の文化風習をなかなか変えようとしないからな。それに囚われずに色々試してみれば、もっと違った料理が生まれたろうにな」
現在の華やかなフランス料理の原点はイタリア料理だ。それがフランス宮廷料理として取り入れられ、国内で発展していく事になる。
それまでのフランスの料理は本当にお粗末な代物しかなく、単に焼いたり揚げたりしたものしかなかった。単純そうな煮込むという調理法すらほとんど無かったのである(それは当時敵対していたイギリス主流の調理法であり、それに頑なに反発していた説が濃厚であるが)。
手の中のジャガイモを眺めていたグリシーヌは、何やら決意した目でジャガイモを握りしめると、
「して。その日本風のクロケットとはどういう物なのだ。作り方を教えてはくれぬか」
『ええっ!?』
その発言には周囲の人間全員が驚いていた。まさか貴族のグリシーヌがそんな事を言うとは、誰もが思わなかったから。
しかしその反応にグリシーヌは不満そうに眉を釣り上げると、
「何だ。……ひょっとして、私に教えたところで料理などできまいと思っているのではあるまいな?」
言葉にも殺気が含まれ、鋭い目で大神や加山を睨みつけるグリシーヌ。そのまま愛用の斧槍を振りかざしそうな勢いだ。
二人の男は慌てて取り繕うように両手を振って否定すると、
「い、いや。貴族って、料理とか全部召し使いの人がやりそうなイメージがあるから。な、加山」
「え、ええ。別にグリシーヌさんが料理ができないとか、そういう事は……」
半信半疑な表情で大神と加山をじろりと睨むグリシーヌ。この微妙に険悪な雰囲気をどうにかしようと、加山は頭をフル回転させる。そして出た言葉は、
「ああ。そういえば昨日の新聞で読みましたよ。かのルイ十四世の時代の料理の再現。見事大成功を修めたそうで」
「私も新聞を読んだわ。日本の物が認められたようで、我が事のように嬉しくて」
加山と花火の言葉にグリシーヌはパッと表情を明るくすると、
「そうだ。その件では大変世話になったな。私も食したが、先祖が言っていた通りだった。何故あのような奇妙な匂いの液体が、あそこまで味を良くするのか。世の中は実に不可思議な事で満ちている」
その時の味を反芻するようにうなづくグリシーヌ。彼女がそこまで言い切るのだから、よほどの衝撃だったに違いあるまい。
「ところで。あのショーユはやはりフランスまで運ぶのは時間がかかるのか?」
急に真面目な顔で加山に訊ねるグリシーヌ。彼女は少し考えながら言葉を続けた。
「実はな。同席していたフォチョン氏が『安定して供給できるのなら扱ってもいい』とまで言ってくれてな。これは滅多にない事でもある。おまけに貴公は貿易商だろう。このチャンスを逃すのは実に惜しいと思ったのだ」
「フォチョン氏?」
聞いた事もない名前が出てきて大神は首をかしげるが、加山が横から、
「この巴里にある高級食料品店の創業者オーギュスト・フォチョン氏の事だろう。『この店でしか手に入らない最高級のものだけを提供する』というのがモットーの店だ」
と、そこまで説明してから、えっと驚く加山。
「そ、それじゃ。あのフォチョンに日本の醤油が並ぶんですか!?」
店側としてはいつ届くのか判らない品物は扱いたくないだろう。その辺はさすがに加山も判る。それなりの量を定期的に届ける事ができるという条件は至極当然だ。
だが日本との距離が致命的だ。どう船で急いだとしても一ヶ月はかかってしまう。最近始まったという飛行船による輸送なら一週間とかからず届ける事ができるが、まだまだ輸送費は高額だ。船便以上の値段を取らねば釣り合いが取れなくなる。
それでは肝心の商品があまりに高額になってしまう。それではいくら質が良くても売れないだろう。
「しかしフランスで醤油が買えるようになれば、俺達日本人にとっても大助かりだな」
先日思い浮かべた「日本の朝食」を思い出し、遠き祖国に思いを馳せる大神。
「ああ。だが日本料理にこだわる必要は全くないだろう」
そんな加山の自信ありげな言葉に続いたのは、何とコクリコだった。
「そうだね。昔のフランス料理にはショーユが使われてたんでしょ? だったらドンドン使えばいいんだよ」
「使ってみて不味いんならともかく、美味しくなるんならフランスでもドイツでもイタリアでも使えばいい。日本の物を日本料理にしか使っちゃいけないって決まりはない」
加山は少々かっこつけた調子でそう言い切った。
確かに昔は日本の物を使うという「フランスの文化風習とは違う」事をしていたのだ。それが今の時代にできない筈はない。
だが彼は、小声でこうつけ加えた。
「まぁフランスの料理にどう使うかって課題は残りますけど」
「それは使う人が考えればいいじゃん。ボク達はコロッケを作ろうよ。待ちくたびれちゃった」
長々とした話で脱線し、もう待ち切れないという表情でコクリコが言った。


加山はそれからが大忙しだった。
日本の醤油製造所にフランスで売ってくれないかと打診し。それから日本とフランスを結ぶ、醤油輸送ルートの確保。それらにかかる費用をいかに軽減させるかの交渉。
それに加えて加山本来の巴里での情報収集任務。まさに目の回る忙しさを体現した生活となった。
だがその甲斐あって加山達の努力は実を結んだ。しかし加山自身がその結果を見る事はなかった。
それは、巴里での華撃団の活動が一段落したためだ。
ほんの一時やもしれないが、巴里の街を揺るがしていた怪人達の脅威が去り、その隊長職に就いていた大神が日本に帰る事になったのだ。
それに伴い、加山も日本へと帰る事になった。帝国華撃団の二つの部隊の隊長職の人間を、いつまでも異国に置いておく訳にはいかないのだ。
そのため加山は自分の部下全員を櫻花堂に集めた。アルバイトに雇った人間も含めて。
それら全員を前にして、加山は早速口火を切った。
「唐突で済まないが、俺は日本に帰らなきゃならなくなった。後の事は中務(なかつかさ)、お前に任せる」
中務と呼ばれた部下は淡々と「判りました」と短く答える。
せっかく華撃団が作った巴里での情報網を手放す訳にはいかない。そこをこれからも維持する必要があるのだ。
日本から連れてきた部下達はそんな事情を察しているが、現地でアルバイトに雇った人間達にとってはまさしく晴天の霹靂だろう。
驚く皆をなだめた加山は話を続けた。
「異国で一旗上げるためにやってきたのに、それがもうすぐ叶うって時だけれど、親が死んじまっちゃ、さすがに帰らざるを得ないさ」
無論これは嘘である。だがそういう理由でなければ皆納得しないだろう。
「でも、明るい未来への筋道はつけたつもりだ。ゼロからここまで来れたんだ。悔いは残るが辛くはないさ」
いつものようにカラッとした明るい笑顔。そこにほんの少しだけ見え隠れする悔しさ。寂しさ。時には割り切らねばならない事もある。どんなに辛い事であっても。
「それから、オレオール」
アルバイト達の中でも一番の古株となってしまった彼に、加山はわざわざ声をかけた。
「今まで、本当に有難うな。初めて異国で出会ったのがお前みたいなヤツで、本当によかったよ」
大なり小なり東洋人に対する差別や偏見の多いフランスの地で、そんな偏見をほとんど持たずに接してくれたのだ。加山からすれば感謝するのは当然だ。
「実は自分も……もうここで働く事はできないんです」
加山達が驚きのあまり無言になっているのを見て、慌てて両手を振って否定すると、
「実はこの間の試験に受かって、晴れて弁護士になれたんです。だから……」
少しだけ涙ぐみながら、オレオールは右手をすっと差し出した。思わぬ報告に加山は笑顔でその手を握ると、
「そうだったのか。合格おめでとう。弁護士の仕事、頑張ってくれよ」
「はい。ごちそうしてくれた日本食の味は、忘れません」
固い握手を交わす二人の男を前に、皆自然と拍手をしていた。
志半ばで往かねばならない男の辛さを慰めるため。夢を叶えて新たな一歩を踏み出す男を送りだすため。
加山はいつもの笑顔で高らかに叫ぶように言った。
「よし。合格祝いに、何か作ってやる。今日は休みだ。みんな、買い出し手伝ってくれ!」
一同の「応」のかけ声が力強く部屋の外にまで轟いた。

そんな別れから三十年も経った、一九五六年の事である。
フランスのテレビ局から不意に呼び出しを受けた加山。「あの人にもう一度会いたい」という主旨の番組に出演してほしいという依頼が、海を越えてやってきたからだ。
さすがに五十歳を越えた今では華撃団を引退し、海軍大学で非常勤講師を勤める毎日だ。
背筋こそしゃんとして若々しい印象があるものの、顔の皺は出てきたし髪も白い物が混ざってきている。
それは過ぎ去った三十年という月日を、嫌が上でも突きつけられているようで、少しばかり嫌な気分になった。
そんな加山の目の前にある看板には「櫻花堂」とある。そう。あの時加山が作った貿易会社だ。
三十年の月日を経てすっかり汚れ、褪せてしまったその看板。それ以前にまだこの会社が健在な事に驚いていた。
ここまで加山を案内してきたテレビ局の番組スタッフは、カメラを加山に向けながら、
「懐かしいですか?」
「ああ。まだあったとは驚きだよ」
すっかり錆ついて聞き取りにくくなった発音のフランス語で答える加山。それから何となくその看板を指でそっとなぞる。
「ところで、番組の主旨は伺いましたが、自分に会いたいというのは誰なんですか?」
浮かんできそうな涙をこっそり拭いながら、番組スタッフに訊ねるものの「会ってからのお楽しみです」と決して明かそうとはしない。
知らせない事で再会の驚きを演出しようという魂胆なのだろう。スタッフは勿体ぶってドアを開けた。
だが加山には誰が待っているのか、会う直前に見当がついた。
なぜなら。ドアを開けた瞬間漂ってきた香り。そう。自分が散々作ってきたコロッケを揚げるあの香りが、部屋の中から漂ってきたからだ。
現在の櫻花堂社員であろう十数名の人間に囲まれている人物が、一人。
部屋の中にコンロを持ち込み、大きな鍋の前に立つエプロン姿の初老の男。
頭はすっかり薄くなり、黒縁の眼鏡をかけたふくよかな男性。しかしその顔には明らかに三十年前の面影がしっかりと残っていた。
「……オレオール、か」
「三十年ぶりですね、カヤマ社長」
オレオールは鍋の中から揚がったばかりのコロッケを取り出して、新聞紙の上に置いた。
「あの時教えてくれたコロッケです。一緒に食べましょう」
そう言うと彼はかたわらに置かれた小さな小瓶を持ち上げて、小さく振った。
それは紛れもなく醤油の瓶。そう。三十年前にこの会社がフランスに取り寄せる事となった、あの醤油である。
あれから会社は醤油の商いでひとかどの成功を収め、小さいながらもこうして現在まで存在する会社になっていたのだ。
「前フランス大統領ヴァンサン・ジュール・オレオール氏の『もう一度会いたい人』は、若い頃働いていたこの貿易会社オウカドウ創設者、ユーイチ・カヤマ氏です」
スタッフの声に加山が目を点にして驚いている。それはそうだろう。三十年ぶりに再会した知り合いに「前大統領」などという肩書がついていたのだから。
オレオールは弁護士からやがて政界に進出。昨年までこのフランスの大統領を勤め上げてきたのだ。
かたや加山は本来は華撃団情報収集部隊の隊長職だが、海軍大学の非常勤講師。
『随分な差が、ついたもんだな』
思わず日本語でそうぼやくと、彼はオレオールの前に立ち、揚がったばかりのコロッケを手に取り、小瓶の醤油を少しかけると、無造作にかぶりついた。
「熱。……うん、うん。これだこれだ。懐かしいなぁ」
その一口の味が、三十年前の記憶を次々に蘇らせてくれる。三十年前に帰った気分にさせてくれる。
随分な差ができたと嘆いた加山だが、今この瞬間だけはお互いのあらゆる立場を忘れていい筈だった。
加山の目がオレオールを見ている。オレオールも加山を懐かしく見ている。
別に申し合わせた訳でもないのに、二人は全く同じタイミングで、こう言った。
『お互い老けたなぁ』

<日本人の惣菜 終わり>


あとがき

今回は話の裏方稼業を駆ける人・加山をメインに持ってきました。貿易商を名乗ってこの巴里で普段何やってるんだよってところから考えたら、こんな話になってしまいました。
男としては、このくらい飄々と世の中渡って行ければいいなぁと、うらやましく思う面もあります。けどそれは彼の実力に裏打ちされたところがありますからね。無能じゃ何事もやっていけない。
ゲストのオレオールさんは実在のフランス大統領ジュール・ヴァンサン・オリオール氏から拝借してます。
けど本人そのものではありません。フランス風のフルネームが思いつかなかったので、もじらせて戴いただけです。そもそも年齢が合わないし。
この話に出てくるコロッケや醤油に関する事は、だいたいは史実通りです。コロッケの唄も実際にあります。フランスに揚げ物料理が少なかったり『日本の感覚の』熱い・冷たい料理がないのも本当です。
でもSSというよりは『蘊蓄モノ』になってしまった気がします。ちょっと反省。

今回のタイトルは「日本人の勲章」という1955年のアメリカ映画から拝借しました。
戦争で同僚の日本人が戦死したおかげで自分が助かり、その兵に送られた勲章を遺族に届けに来た主人公。しかし遺族である父親はすでに殺されていた。同時に自分の身に振りかかる露骨な妨害に何かを感じた主人公は……という、昔の人種差別がからんだサスペンスチックなお話です。
言うまでもありませんが、この話との関連性は全くありません。

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