『くたびれ儲けのショッピング 前編』
久し振りにカラリと晴れた、ある日曜日の朝。
水たまりがところどころに残った道路を歩いている二人がいた。
「ふー。雨が止んでよかった。やっぱりお日さまの下ってのはいいわよね」
大きくのびをする髪の長い少女・千鳥かなめが、隣を歩く相良宗介に向かって言った。
「晴れていれば、傘で片手が塞がる事もない。いい事かもしれんな」
その答えを聞いたかなめはちょっと不機嫌そうな顔になり、
「あんたねぇ。どうしてそういう風にしか考えられないのよ。雨より晴れてる方が良いに決まってるじゃない」
「しかし、雨が降らねば水をめぐって争いが起こるぞ」
「起こるか、この日本で。日本は水と安全はタダなのよ。ま、水道料金ってモンもあるにはあるけど」
だが、宗介はそんなかなめの得意げな顔を潰すように、
「だが、近頃『一七歳の少年による犯罪』とやらが新聞各紙を賑わしていて、とても安全とは思えない。水とて同じ事だ。コンビニに行けば、いくらでもミネラルウォーターを売っているが……」
「変な理屈をこねない!」
コン、と彼の頭を軽く小突いた。
そうしているうちに駅に着く。かなめは定期を自動改札に入れながら、
「せっかくのショッピングだってのに、雨が降ってたら嫌じゃない」
「……そういう物か」
「そういう物なの。今日は頑張ってね、荷物持ちさん」
「良くわからんが、頑張ればいいのだな。それで、何を頑張ればいいのだ?」
「あんたね。人の話聞いてるの?」
かなめがガクンと肩を落とした。
小さい頃から海外の紛争地帯で育ち、今も多国籍の対テロ軍事組織に身を置く軍曹である相良宗介には「戦争のない日常の常識」という物がまるでなかったりする。
こうしてこの町で暮らしているのだって「彼女の護衛」という組織の任務の為だ。
かなめがそんな彼に色々と世話を焼いているのは、単に家が近所というだけではない。というのが周りの友人の意見だが、そんな物は余計なお世話だ。
自分と彼は、あくまでもクラスメイトで、たまたま近所に住んでいるだけ。それ以上でも以下でもない。
確かに護衛という事もあって色々助けられているが、その恩は彼の巻き起こす騒ぎの片づけで相殺どころか大赤字なのだ。
「相良くんって恋愛とかすっごく鈍そうだから、カナちゃんの方から積極的にアピールしなきゃダメだよ」
と親友の常盤恭子は言うが、ハッキリ言って、彼は恋愛対象にはならない。論外である。
(こうして一緒にいるのだって、あたしの護衛の為だしね。でも、もし護衛じゃなかったらソースケは……)
黙々とホームへの階段を昇っている宗介の横顔を見ながらそう思っていた時、いきなり彼が自分の方を向いた。
「どうした、千鳥。何かあったのか?」
「あ。何でもない、何でもない」
慌ててぶんぶんと手を振り前を向いて歩を早める。
(人の気持ちには鈍感なクセに、人の動作には鋭いんだから)
かなめの顔が少し赤くなる。
「顔が赤いようだが、熱でもあるのか?」
「な、ないわよ」
何故か歩くスピードがどんどん早くなって、殆ど競歩になっている。そんなかなめの歩調に合わせ、宗介も早足になる。
「何故そんなに早く歩く。ホームを歩きまわっていても電車は来ないぞ」
「う、うるさい! 別にいいでしょ?」
ずんずんと歩いてホームの端の方まで来てしまった時、かなめのポケットから安っぽい電子音のメロディーが流れてきた。
その場でピタッと立ち止まると、PHSを取り出して電源を入れる。
「もしもし?」
『もしもし、カナちゃん?』
電話の相手は常盤恭子だった。彼女は申し訳なさそうな声で、
『ゴメン、カナちゃん。寝坊しちゃって、ちょっと遅れちゃうかも。ごめんね』
「今どこなのよ、キョーコ」
『ウチだよ。これから出るトコ』
確かに最寄り駅からなら近いが、彼女の家からとなると集合場所の調布のパルコ前まで少々時間がかかる。今から電車に乗って一駅の自分とは違う。
「……ん〜、わかった」
『ミズキちゃんにも謝っておいて。急いで行くから』
そう言って電話は切れた。ふうと一息をつき、そのままポケットにPHSをしまおうとした時、それは起きた。
「千鳥!」
宗介が切羽詰まった表情でいきなり彼女を突き飛ばしたのだ。
「キャッ!」
いきなり後ろから突き飛ばされ、そのままビタンと顔からホームに倒れる。
「……いった〜。ちょっと何すんのよ、ソース……ケ?」
鼻の頭を押さえ、文句を言おうと立ち上がったかなめの口がぽかんと開いている。
宗介はかなめを庇うように立ちはだかり、愛用のグロッグ19を抜いてホームの外を睨みつけているのだ。
それこそ、これから戦いを始めるかのように恐ろしくも凛々しく立っている。
「気をつけろ、千鳥。今遠くで何か光った。暗殺者のライフルかもしれん」
そのまま油断なく周囲を警戒する。
「こら」
ごん。
左手で彼の頭を力まかせに殴る。警戒していたとは思えない程あっさり命中。
「何が『暗殺者のライフルかもしれん』よ。どーせビルの上の看板か何かが光っただけなんじゃないの?」
「しかし、警戒を怠る訳には……」
「だから、日本にそんなのいる訳ないでしょ? 第一、仮にいたとして、そんな銃でどうするってのよ」
確かに、ライフルの方が明らかに射程距離が長い。すぐ近くならともかく、遠くから狙ってる敵をこんな銃で撃てる訳がない。
「あんたの警戒心は空回り過ぎるんだってば。いい加減慣れなさいよ」
そう注意した時、遠くの方に電車が小さく見えた。ホームには電車が来た事を告げるアナウンスが流れている。
「もう電車来たから、そんなの早くしまいなさいよ」
いつの間にか自分のPHSが右手から消えているのに気づき、辺りを探す。
「あ、あれ? 突き飛ばされた時、落っことしたのかな?」
ホームをきょろきょろと見回すが、見当たらない。
血眼になってPHSを探すかなめに、少々遠慮がちに宗介が声をかける。
「千鳥。これは……呼び出し音ではないのか?」
「え?」
「……線路の方から聞こえるが」
「線路!?」
かなめが線路の方を見た時、ちょうど電車がホームに入ってきた所だった。
仕方なく電車が出るまでその場で待つ。一分程経ち、二人を残した電車は調布駅に向かって出発した。
ガタン、ガタン、ガタン……。
意味もなく電車の最後尾を二人並んで見送ると、揃って視線を線路の方にやる。
(……これは、夢よ。現実じゃないわ。現実じゃ)
かなめの目が大きく見開かれ、身動き一つしない。
(落ち着け。落ち着くのよ千鳥かなめ。きちんと自分に言い聞かせるの。そう。これはきっと夢。ホントのあたしは、あったか〜いベッドの中で惰眠をむさぼってるのよ。そうに決まってるわ)
「……壊れて、いるな」
申し訳なさそうな宗介の声が、彼女をそんな現実逃避から引き戻す。
確かに、二人の視線の先にあるかなめのPHSは、線路のレールの上で見るも無惨な姿を晒している。
これが人間ならば年齢制限付のスプラッタ・ムービーさながらの映像になっていた事だろう。
ぷちん。
どこからか、何かが切れる音が聞こえた。
「ソースケ」
かなめはすぐ側に立っていた宗介にがばっと抱き着いた。
そのままぎゅうっと腕に力を込める。
「ち、千鳥。これは、一体……」
「ふふふ。今のあたしの素直な気持ち」
感情を押し殺した、無表情な声がする。
宗介は訳もわからず抱きつかれたまま、その場に棒立ちになっている。
「しかし……これは……」
彼の額にじんわりと脂汗が浮かぶ。
「どう見ても、ベア・ハッグにしか見えないのだが……」
ぎりぎり。
かなめが更に腕に力を込めると、宗介の身体が後ろに反っていく。
「ええ。そ〜よ。戦争バカのあんたの頭でもわかるように言ってあげるわねっ」
ぎりぎりぎり。
「あんたが全く必要ないバカみたいな警戒心からあたしを突き飛ばした時に、PHSを落っことしちゃってっ!」
ぎりぎりぎりぎり。
「……それがホームをころころって転がって、線路に落っこっちゃったのっ! それをさっきの電車がぐしゃって潰して行ったわけっ!」
ぎりぎりぎりぎりぎり。
「あんたが何もしなかったら、こんな事は起きなかったの、わかる!? いっつもやらなくていい事ばっかりやって、スケールはとんでもなく小さいのに騒ぎだけ信じられないくらい大きくして! あんたが来てから、あたしは気の休まった試しがないのよ。それが原因で頭痛薬まで愛用するようになっちゃったし。おかげで今じゃ『どこのメーカーのがどのくらい効くか』なんて事まで把握してるのよ、好きでもないのに。もしTVチャンピオンで『全日本頭痛薬王選手権』なんてのが開催されたら絶対優勝できるわっ、ぶっちぎりでっ!」
もうなにがなにやら。両腕に渾身の力を込めつつ、長いセリフを澱みなく一息で言い切る。
ちなみにこのベア・ハッグ。相手の身体を腕で締め上げる単純な力技なのだが、急所をきちっと極めれば、比較的非力な者でもかなりのダメージを相手に与える事ができる。
見かけは地味だし痛そうには見えないのだが、これはとっても痛い。お疑いなら力持ちの友人にサバ折りでもかけてもらえば、全身の痛み&絶叫と共にそれが理解できるであろう。閑話休題。
「とにかく、全部、あんたが、悪いのっ!!」
ぎりぎりぎりぎりぎりぃっ!
懸命に痛みに耐えていた宗介の首がガクン、と後ろに倒れる。完全におちたらしい。
「ふんっ!」
かなめは、そのまま彼の身体をホームの上にポイッと投げ捨てると、やってきた電車に飛び乗った。


「なるほど。それでいきなり電話が切れたわけね」
かなめの隣に立つ、小柄でおかっぱセミロングの髪の少女がしみじみと哀れむように言った。
その少女――稲葉瑞樹はかなめに向かって、
「あんたたちってホントに変よね〜。つきあってるように見えてしょっちゅうケンカしてるし。仲が悪いかと思えばラブラブな感じもあるし」
「ちょっと。誰と誰がラブラブだって!?」
ギロ、と殺気立った目でかなめが睨みつける。
「ま、ホントの事言われると、人間腹が立つモンよ。だからラブラブなんじゃない、あんたたち」
睨みつけられているのもなんのその。元々きつい印象の瑞樹が、更に自信たっぷりの表情で睨み返す。
「こっちは待ってる間に色々あったのに。そっちは仲良くケンカねぇ」
「むむむむ……」
かなめと瑞樹が睨み合いになった所に、仲裁に入るかのように恭子が到着した。
「ゴメンね、カナちゃん。ミズキちゃん。遅れちゃって……って、何してるの? 二人とも」
おさげに大きなトンボメガネの少女が、殺気立ちそうな二人を前にして呆然と立っていた。
「ところで、相良くんは? 来るってカナちゃん言ってたじゃん」
何の悪意もない恭子のその言葉に、かなめは深いため息をついて、もう一度同じ説明をする羽目になった。
恭子は、苦労して怒りを抑えながら説明するかなめをしみじみと見つめ、
「カナちゃんも大変だね〜。何か、子供のしつけに苦労してるお母さんって感じ」
「どこから出るのよ、その発想」
「これで将来、子供ができても大丈夫だね。経験がたくさんあるんだから」
無邪気な顔で恭子が微笑んだ。そんな恭子の肩をポンと叩いたかなめは、
「あのね。何であたしがソースケなんかの子供作らなきゃならないのよ」
「だから、どうしてそこで相良くんの名前が出るかなぁ?」
恭子に言われてあっと気がつき、かなめの顔が一気に赤くなる。
「カナちゃんって、こういうネタにすぐ引っ掛かるよね」
「何だかんだ言って、そういう願望あるんじゃない、やっぱり?」
恭子と瑞樹が二人並んでかなめをじ〜っと見ている。
「いいわよね〜。オトコの事で悩めるなんて。オトコのいないあたしらにはわかんないわ」
瑞樹が意地の悪い笑みを浮かべてかなめを見つめる。
「……な、何よ、二人して。もう、買い物行こ、買い物」
そんな二人に背を向けて店内に入っていくかなめを、恭子と瑞樹はクスクスと笑うだけだった。
買い物と言っても、ホントに「物を買う」とは限らない。
「大安売り」だの「バーゲン」だのとポスターや垂れ幕があっても、実際はビックリする程安くなっているわけでもないのだ。
でも、それでも安くなっている事に変わりはないが、高校生の財力などたかがしれている。
「買った気分」になって色々な服を試着しまくってみたり。
どのくらい安くなってるかを計算してみて「あんまり安くなってないじゃん」等とツッコミを入れたり。
単にウィンドウに飾られている服などを眺めていたり。
そうして楽しんだ上に「お金がないから」とぐっと我慢する。精神修養にもなって一石二鳥。
買い物をしなかったとしても。いや、お金を使わなくたって、充分に満足できるものなのだ。過ごし方次第では。


かなめ達が買い物を始めて少しばかり経って気絶から回復した宗介は、これからどうしようかと考えていた。
このまま彼女の後を追う事も考えたが、彼女の現在位置を知る為のデジタル携帯マップは自宅に置いてきてしまっている。
仕方なく取りに帰ろうときびすを返すと、今度は自分の携帯が鳴った。
「はい。こちら相良」
『あ、ソースケ。あたしだけど』
電話をかけてきたのは、自分のチームリーダーでもあるメリッサ・マオ曹長だった。
『済まないけど、待機命令が出たわ。これから一時間くらい後に河川敷にヘリが着くから、そこでクルツと合流して』
「クルツが来ているのか? 俺は聞いていないが……」
『ああ。アイツ休暇で昨日からトーキョーに行ってる筈なのよ。アイツの所にも連絡しなきゃならないんだけど、繋がらなくって……』
「……待て。向こうにいる。俺から伝えておく」
『へ?』
彼が言った通り、反対側の電車が去った後のホームを、見なれた金髪碧眼の男――クルツ・ウェーバー軍曹がテクテクと歩いていた。
宗介は電話を切ると、線路を挟んで向こう側のホームにいるクルツに声をかけた。
改札を出たところで二人は合流する。
「何だよ。いきなり行っておどかしてやろうかと思ったのによ」
大きな紙袋を下げ、何故か髪と上半身が濡れている彼が不満そうな声を上げる。
「それどころではない。俺達に待機命令が出た。一時間後に来るヘリに乗って行く事になった」
「はぁ!? 何だよ、それ!? 俺、休暇中だぜ」
「俺に文句を言われても困る。……それより何なのだ、その頭は」
すると彼は「ああ」と苦笑いを浮かべると、
「いやぁ。チョーフの駅で、なかなかカワイイ子を見かけてさ。そのままついていって、声かけたらはっ倒された。それで水たまりへボチャン、よ」
その後色々とその「カワイイ子」の特徴をペラペラと喋っているが、宗介にとってはどうでもいい事だった。
「水たまりへボチャン、とやられた時、昨日買った麩菓子が折れちまったよ。もったいねぇ」
彼の紙袋の中には、沢山の駄菓子がぎっしりと入っている。
「何だ、これは?」
「ソースケ。駄菓子知らないのか? これぞ古き良き日本の子供のおやつだよ」
赤黒い直方体の束。お祭りの絵の脇に「おかき」と書かれた小さな袋。錠剤のような白い物体。何かの液体に浸かった果実の入ったパック。巨大な硬貨型チョコレートなどなど。他にも原材料の特定ができない色々な物が入っていた。
「何やら妖しげな物だな。おやつと言ったが、食べ物なのか?」
「あったり前だろ。これが素朴でなかなか美味いんだよ」
クルツが得意げに取り出した棒状の袋には「うまい棒 元祖さすがたこ焼味」と書かれている。
どの辺がどう「さすが」なのかは、十四歳まで日本で暮らしていたクルツにだってわからない。
「こういった物が売られているとは、初耳だ」
「ま、そうだろうな。今や駄菓子屋は減る一方だし。でも、駄菓子といえば日堀(にっぽり)だよ。有名だぜ」
「有名なのか」
宗介はクルツの持つ「うまい棒」なる物を受け取り、袋を眺める。
「『原材料:コーン・サラダ油・ソース・砂糖・調味料(アミノ酸等)・青海苔・紅生姜』か。あまり身体に良さそうではないな」
「お前ねぇ。そういう味気ない事言うなよ。だからお前はいつまで経っても……って、こうして喋ってるわけにもいかねぇか。とっとと河川敷へ行ってようぜ」
袋を抱えたままクルツが歩を早める。
「今行ってもヘリはいないぞ。どうするつもりだ」
呆れ顔で振り返ったクルツが何でもない事のように言った。
「決まってんだろ? コレ食べてるんだよ」
クルツが袋から取り出したうまい棒で宗介を指差した。

<後編につづく>


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