『安請け合いのリクエスト 後編』
「そもそも、今回の売れ方は異常でね」
歩きながら遠山が説明する。
「濃いマニアが集うので有名な掲示板がインターネット上にあるのだが、そこに冗談半分でバカな画像を載せたヤツがいたのだよ。ここ数日、良くも悪くも話題になってしまった」
「バカな画像?」
かなめと恭子が首をかしげる。
「ちょびっトの主人公は外見年齢一〇代半ばの女の子型のコンピュータなのだが、特典の白いワンピース姿のフィギュアを写真に撮り、それをパソコンで加工して、下着一つにしたという画像だよ」
情けないという表情を隠しもしないでそう言うと、かなめと恭子も同様の顔をする。
「さらに情けない事に、それを真に受けた連中がいたようでね。『何個かに一つそのフィギュアが交ざっている』という噂まで広まってしまった。フィギュアのたぐいは全種類集めたくなるのがファン心理というものだが、だからといって信憑性のない噂に踊らされてしまうのは。販売店に勤務している友人が怒っていたよ」
「サイテ〜」
「オタクって、そういうバカしかいないんですか?」
恭子とかなめの感想ももっともである。それを聞いた遠山も、
「自分もオタクなので耳が痛いが。少なくとも私はそういう物に興味はない。一口にオタクといっても色々いるのは、理解して戴きたい」
遠山は苦笑して続ける。
「おまけに『はずれた』物を中古販売店で買い取ってもらったり、オークション・サイトに売りに出す事態も増えてね。そうなると変に高い値段がついたり、逆に安くしても全然売れないという事態も起きやすい」
彼は携帯のメールをチェックしながら、更に続けた。
「そうなると、需要と供給のバランスが取れないので、色々面倒な事に……ここだ」
そこまで言った時に彼は歩みを止め、すっと一軒の店を指差した。
その途端、恭子があからさまに眉を顰めた。かなめも無言のまま怒りを堪えているのが傍目でも判る。
入口脇に「アダルトビデオ・DVD・同人誌満載」といった文句の看板がドンと置いてあるからだ。
さらに「一八禁ゲーム・同人ゲーム 取り扱い始めました」などといった手書きの貼り紙が貼ってあるのを見れば、そういう態度を取るのも無理はない。
「……遠山さんでしたっけ? あたしが欲しいのはアニメのDVDであって、こんないかがわしいビデオじゃないんですけど?」
感情を押し殺しているが、かなめの怒りは爆発寸前。ちょっとつついたらどうなるか見当もつかない程だった。
「説明する時間をもらえるかな」
それでも遠山は涼しい顔でかなめを見ると、彼女の返答を待たずに「説明」を始めた。
「確かに君達が見た通り、この店舗は成人指定のビデオやDVD、それから同人誌やゲームに至るまで様々な物を取り扱っている」
そして、店舗の左側を指差すと、
「しかし、一階の左半分は、そうではないDVDも多数販売している。そして『ちょびっト』の初回限定版がまだ残っている事は、顔見知りの店員に連絡をして確認を取ってある」
判りましたか、と言いたそうな笑顔でかなめを見る遠山。そこまで断言されれば、さすがにかなめの怒りも少しだけ引いた。
遠山はスーツの内ポケットから紙片を取り出してかなめに渡すと、
「私ができるのはここまでだ。後はあなたが買ってくれば、万事OK。店員には話がついているので、この名刺を見せて代金を渡すだけでいい」
受け取った名刺には、彼の名前であろう「遠山“金四郎”景元」と、メール・アドレスのみが書かれたそっけないものだった。
余談だが、遠山金四郎といえば時代劇で有名な「遠山の金さん」の事である。苗字は「遠山」らしいが、本名なのか冗談なのかまったく判らない。
「……こんなんで、大丈夫なんですか?」
うさん臭さがこれでもかと漂ってくるその名刺をじろじろと見て、かなめが嫌な顔をする。
遠山の方は無言で「行ってらっしゃい」と手を振っている。助けを求めようにも、佐々木も恭子も彼の隣に並んで、生暖かい目で手を振っていた。
看板を見て少々嫌な気分になったかなめも、何とか「JBのため!」と気合いを入れてみるが、どうも気力が湧かず足が動かない。
そこから先が一度入ったら二度と出られない魔宮にも見え、入っただけで心身が汚れそうなイメージが、嫌という程湧いてきた。
JBヘの思いよりも、自身に湧いたイメージの方が勝ったようだ。そういう訳で「助けろ」と言いたかったかなめだが、すぐ隣に宗介がいる事を思い出して彼に名刺を渡す。
「ソースケ。話は聞いてたでしょ。頼める?」
「買ってくればいいのだな。雑作もない」
宗介は「なぜ彼女は動けないのだろう?」と言いたそうに首をかしげると、簡単に狭い入口から中へ入った。
(ソースケが中で店員さんとか脅しませんように。ソースケが中でナイフとか抜きませんように。ソースケが中でテッポーとか撃ちませんように。ソースケが……)
かなめは、おおよそ思いつく限りの彼の「戦争ボケ」行動を思い返し、騒ぎにならない事を祈っていた。
そんな事を考えているうちに、汚れるのを覚悟で自分が行くんだったと思い直したが、そうしている間に、宗介は箱状の荷物を持って淡々と帰ってきた。
「これでいいのか、千鳥」
ビニール袋の中には、結構大きな箱が入っており、箱には「ちょびっト 初回限定DVD−BOX」と印刷されている。間違いない。
「あ、ありがと、ソースケ。助かったわ」
何だか全身の力が一遍に抜けていく感覚を味わっていたが、きちんと礼を言うところがかなめらしい。
「よかったね、カナちゃん」
「よかったですね、センパイ」
恭子がねぎらって彼女の肩を叩く。佐々木も笑顔で彼女を見つめている。
その時だった。
小さく「すいません」と言いながら、宗介とかなめの間に割って入ってきた太った男がいた。確かに歩道の真ん中でそんなやり取りをしていたら通行の邪魔になるから仕方ない。
しかし、その太った男はかなめの持っていたビニール袋をひったくって行ったのだ。不自然なまでに自然な動作で奪って行ったので、さしもの宗介すら反応が遅れてしまった。
「待ちなさいっ!」
かなめが反応して追いかけようとした時には、男は既に人混みに紛れてしまった。宗介も追いかけようとしたが、こちらは人混みが邪魔してまともに前に進めない。
ところが、向こうは太っているのに人波を上手にすり抜けていく。まるで無人の野を行くような、信じられないスピードだ。少し先の交差点の点滅した信号を渡られてはもう追いつけない。
「二人とも、こっちに来なさい。ここから追いかけるのは無駄です」
「センパイ達、戻って下さい!」
遠山と佐々木の鋭い声が飛び、二人は人混みと格闘するのを止めて戻ってくる。
遠山は戻ってくる二人に目もくれず、賢明に手の中の携帯電話を操作している。それから懐からトランシーバーを取り出し、
「ナンシーより緊急連絡。メールに添付した写真のひったくり犯がMac館から『ちょびっト』の限定版を持って、石丸ソフトワン方面へ逃走中。付近の仲間は大至急追跡せよ」
携帯のボタンをせわしなく押しながらそう言うと、携帯電話を閉じてポケットにしまった。
「とりあえず、秋葉原に来ているネット仲間に声をかけた。こういう事は大勢の方が効率がいい」
「……今の、何なんです?」
ぽかんとした表情の恭子が訊ねると、
「ああ。こういう場合は携帯より無線の方が早いのでね。携帯は写真を送るのに使った」
そう言って、手の中のトランシーバーを見せる。
「いえ、それもそうですけど。『ナンシーより緊急連絡』って?」
確か、佐々木がインターネットで彼と知り合ったと言っていたから、そこではそう名乗っているんだろうか。そう思ったかなめだが、
「昔『チェイスH.Q.』というカー・チェイス・ゲームがあってね。そこに出てくるフレーズと引っかけてみたのだが。今の若い人には判らなかったか」
遠山は相変わらず涼しい顔でマイペースだ。
「真面目にやって下さい!」
激昂するかなめだが、すぐにため息をつくと、がっくりと肩を落として呟いた。
「……ったく。オタクって、変なヤツしかいないの?」


《もしウチの店に来たら捕まえとく》
《ヤマギワの裏でさっき見た》
《今目の前通った。追いかける》
連絡をしてから一分と経ってないのに、遠山の元に次々と「ネット仲間」からのメールや無線が舞い込んでくる。
「……どうやら、不忍通りと中央通りの間をうろうろしているらしいな」
メールの内容を見ながらぶつぶつ言いつつ「ネット仲間」に返事を返す遠山。その間自分達も少しずつ目標めがけて移動する。
「……千鳥。済まない。俺がいながらみすみす犯人を取り逃がすなど」
さすがに宗介も責任を感じて、素直に謝罪する。かなめが何か言おうとした時、彼の手が上着のポケットに入った。
「かくなる上は、こうするより他あるまい」
宗介は、ポケットから小型のリモコンのようなものを取り出す。
「店を出る前、あの物資にごく少量のプラスティック爆弾を仕掛けておいた。これで例の物資を爆破する」
「するな、んな事!」
かなめは反射的に宗介の顔面に拳を叩きつけていた。
「しかし、敵の手に渡るくらいならいっその事……」
「だからって爆破してどーすんの!? それも、こんな大勢人のいるところで。何度も言うけど、一般常識ってもんを覚えなさい!!」
かなめは言い訳しようとする宗介の首を掴み、力任せにグイグイと締め上げていく。通行人の注目をたっぷり浴びる二人を、恭子と佐々木が慌てて止めに入った。
「……ったく。今回は騒ぎを起こさないかな〜って思ってたのに」
はあはあと荒い息のまま、かなめは宗介を睨みつける。そんな時だ。
「あの男だ」
宗介が少し離れた位置にある、青になったばかりの交差点を見ている。その視線の先には、太った男がよたよたと走りながら横断歩道を渡っていた。さっきのひったくり男だ。
しかも、その男を追いかけて何人かの男女も走ってくる。その一団の中には、クルーゾーと名乗った宗介の上官の姿もあった。
それを見た宗介は反射的に走り出した。かなめは彼を止めようとしたが、既に彼は車道に躍り出て一直線にひったくり犯めがけて走っていく。
「年期の入ったオタクの人脈、なめてもらっては困りますね」
その光景を見つめる遠山。彼がそう言っている間にも、ひったくり犯を追いかける人数はどんどん増えていく。
彼の言葉通り何十人もの人間に取り囲まれ、男はようやく捕まった。


それから、ここでは目立ち過ぎるので人気のない路地まで移動した。遠山はこの捕物に協力してくれた仲間に礼を述べている。
壁を背にして座らされている太ったひったくり犯は、これまた大きなリュックを背負ったままだ。
特に宗介とクルーゾーの二人の実戦経験者に睨まれてびくびくしている。そこに遠山が戻ってきた。彼は男を取り囲んだ人垣の中に入ると、
「さて。彼女からひったくった物を返してもらいましょうか」
淡々とした遠山の声。そこに宗介が、
「単独犯か、それともどこかの組織の一員なのか、正直に話せ。さもなくば……」
「あんたはやめときなさい」
かなめの鋭いツッコミが入り、しぶしぶ宗介は黙る。
一瞬の間が開いたが、ひったくり犯は、
「俺は何もしてないよ。いきなり大勢に追いかけられて、訳わかんねーよ」
走った直後だからか、額にびっしりと汗をかき、呼吸困難を起こしたように息切れしつつも話す。遠山は彼の側にしゃがみ、
「何もしていないのなら、逃げる必要はない」
「あんな大勢に追いかけられたら、誰だって逃げるよ」
遠山と男の話はすっかり平行線だ。
「では、君は無実なのだね? それならば、君の荷物を調べさせてもらおう。文句はないね?」
遠山は有無を言わさず、男の背中から大きなリュックを下ろすと、無造作にファスナーを開けて中をまさぐった。するとほどなくして、かなめが持って行かれたビニール袋が出てきた。無論中身は無事だ。
「あ、それ!」
恭子が鋭く声を上げる。
「やっぱりあんたが犯人ね!? 他人からふんだくるなんて、何考えてんの!?」
かなめが怒りの形相で詰め寄ろうとするが、それを隣の恭子が止める。
「他人から奪えばタダで手に入るという論法か?」
殺気のこもったクルーゾーの呟きに男は怯えるが、遠山は気を取り直して、
「話を戻そう。彼女はそう言っているが、君の言い分は?」
「そ、それは……お、俺も今日買ったんだよ」
「どこでだね?」
「……アキバの、中古屋で」
「どこの店かね? レシートは?」
「捨てちまったよ」
そこまでの会話を聞くと、遠山はかかってきた電話に出た。
「そうか。……うん……うん。判った」
彼は電話を切ると、
「今調べがついたよ。今日『ちょびっト』の初回限定版DVDを置いてあった店舗は何軒かあるが……」
それから間を置くと、
「先程君の写真を撮って各店で聞いてみたが、どの店からも君が買ったという報告は受けなかったよ。防犯カメラの映像も含めてね」
その言葉を聞いて、男の顔色が悪くなった。
「……うむ、間違いない。俺が仕掛けた爆薬もセットされたままだ」
何やら機械らしき物を袋から取り出す宗介。彼に何か言おうとするクルーゾーを、遠山が手で制す。
「では君にもう一度聞こう。君は、今日、どこにある『アキバの中古屋』で、これを買ったのかね?」
一字一句区切るように問う遠山。推理小説のクライマックスで「犯人はあなたです」と宣言した直後のような静けさが辺りを包む。
ここまで理論整然とした調子で追い詰められては、犯人はぐうの音も出ない。ゲーム・セットだ。
この沈黙を決着がついたと判断した宗介が遠山に訊ねる。
「遠山と言ったな。この男をどうするのだ? 窃盗犯として、警察に連行するのか?」
彼はしゃがんだまま少し困った顔で宗介を見上げる。
「そうだろうが……ちょっと苦手でね」
ところが、遠山の視線がそれたその隙に男が反動をつけて身を起こした。自然男を取り囲むようにして立っていた中で一番端に立ち、なおかつ一番与し易そうなかなめと恭子に襲いかかる。
宗介が割って入ろうにも、彼がいるのは取り囲んだ半円状の反対側なのでかなめとは距離が遠すぎるし、間にはしゃがんだままの遠山がいる。
彼は一瞬で状況を判断すると、すかさず腰のホルダーから愛用のグロック19を抜いて迷わず数発発砲。男は背中にゴム・スタン弾を受けてのけぞる。全く同時に、
「いやあぁ――――っ!!」
汗だくの太った男への嫌悪感から目を閉じたかなめが、牽制しようととっさに足を力一杯振り上げる。
ごぎ。
足に何か当たった感触を感じてかなめが恐る恐る目を開けた時、彼女のショート・ブーツの爪先が、男の股間に突き刺さるように命中していた。
全員がかなめのとっさの行動の結果に目を奪われる中、クルーゾー一人だけが宗介が町中で発砲した事に頭を抱えてうなり声を上げている。
「あ……」
かなめは呆然とした目で中途半端に足を振り上げたまま、背中と股間の痛みで呻いてしゃがみ込む男を見下ろす。
事情が事情ではあるが、股間を押さえて悶絶する男の姿にさすがのかなめも「痛そ〜」と罪悪感を覚えた。同時に、
(このブーツ。帰ったら焼却処分ね)
と冷徹に頭の中で考えた。
遠山も同性として気の毒に思ったか、彼の痛みが引くのを待ってから、懐から何か取り出し男の眼前に突きつける。
「警視庁万世橋署刑事課強行犯係巡査部長の遠山景元(かげもと)と申します。ひったくりの現行犯という事で連行しますが、何か言いたい事は?」
それはまごう事なき警察手帳だった。
男はもちろん、佐々木を除くその場の全員がそこで目を点にしていた。


一〇分後、やってきた警察官に連行される男を見送った一同。
「これにて一件落着」
宗介の銃刀法違反はまるっきり無視して、朗らかにそう言い切る遠山。
「けがはないか、千鳥」
「うん。一応……ありがと、ソースケ」
「君を守るのが俺の役目だ。礼など必要ない」
少々口ごもるかなめを心配そうな目で見つめる宗介。いつも通りの二人のやり取りを、恭子が冷やかしそうな目で見ている。かなめはそれを目で制すると、
「佐々木くん。ひょっとして遠山さんがお巡りさんって知ってたの?」
「ええ、まぁ。さっき言いそうになっちゃいましたけど」
そう言って笑顔を返す。それからかなめはクルーゾーの前に行き、深々と頭を下げた。
「クルーゾーさんも有難うございました」
いきなり頭を下げられたクルーゾーは、少し意外そうな顔を浮かべたが、淡々と答える
「いや、頭を下げる必要はない。一ファンとしてああいう輩は許せんし、遠山氏には借りもあった」
するとかなめは彼の前でPHSを取り出し、さらにそのストラップを外した。
『こんなのじゃ御礼にもなりませんけど、受け取って下さい』
英語でそう言って彼に差し出したのは、今までつけていたボン太くんのストラップだった。
『さっき、ちょっと気にしてましたよね。差し上げます』
『いや……しかし……』
気にしていたのが事実だけに言葉を濁すクルーゾーだが、かなめの方は笑顔で、
『何となく、クルーゾーさんとソースケって似てるんですよ。ソースケもボン太くんは気に入ってるし、クルーゾーさんも、こういうのが好きなのかなって』
ボン太くんのストラップを差し出すかなめの顔は、感謝の気持ちと無償の優しさに満ちていた。
任務の後のささくれだった気分が自然と和んでいく時にも似た、そんな印象の笑顔。クルーゾーは無言でストラップを受け取る。
(なるほどな)
宗介が契約内容を変更してまで「彼女」にこだわった理由が――おそらく、彼自身その自覚はないだろうが――何となく判った気がした。
「みんな。これから飲茶でもどうかね? ああ。別にオタクな店ではないから、安心したまえ」
いきなり突拍子もない事を言い出す遠山。思わずかなめが、
「あの、仕事はどーすんですか?」
「私は一応、秋葉原巡回担当の私服警官なものでね。正体が広まるといろいろ厄介なのだ。食事でもして綺麗に忘れようじゃないか、お互いに」
一応気にしていたようで、「お互いに」の部分で彼は宗介の方を見る。宗介は言葉に詰まってうつむいてしまい、クルーゾーも「もう知らん」と言いたそうに無視している。
「それとも、コスプレのメイドさんがいっぱいの喫茶店の方がいいかな? ここから少し歩くのだが」
「いえ。飲茶にして下さい、ぜひ」
露骨に「オタクはもういい」と言いたそうな顔で、かなめが呟いた。
そんな訳で、一同は遠山のおごりで飲茶専門店の味を満喫したのだった。


それから数日後。帰りのがらんとした電車の中、かなめは普段以上にうきうきとした表情を浮かべていた。そのテンションの高さに、さすがの恭子も引き気味だ。
「カナちゃん。今日相良くんが騒ぎ起こさなかった事がそんなに嬉しいの?」
「違うわよ」
間髪入れずに否定すると、
「さっきアンドリューからPHSにメールが来てね。DVDが届いたんだって」
聞いてくれと言わんばかりの勢いで恭子の肩を掴んだかなめは、
「それで、すぐにJBのビデオとアルバムを発送したって。もうすぐくるのよ!」
かなめは雰囲気を出して窓の外を遠い目で見ると、
「自分のした苦労が報われるって、清々しいわよね」
「カナちゃん、あの時な〜んにもしてないじゃん」
恭子は呆れ顔だが、そんな物を気にする今のかなめではない。うっとりとした表情で、
「ああ。『期待に胸がふくらむ』って、こういうのを言うのね、きっと」
「そうなのか?」
今まで黙っていた宗介が首をかしげて彼女を見ている。かなめも彼の視線に気づき、
「な、何見てんのよ、じろじろと」
「いや……」
言葉を濁した宗介だが、
「いつもと……何ら変わらないように見えるのだが」
よく見れば、宗介の視線はかなめの顔ではなく、そのもう少し下――ちょうど胸の辺りにきていた。
いやらしい視線ではないが、だからと言ってじろじろ見られても構わない訳ではない。
「相良くん。『期待に胸がふくらむ』って、物のたとえだってば」
宗介の言動にピンときた恭子がそう説明する。だが彼は、
「期待で胸がふくらむのか。という事は、君は常日頃、かなり期待しているのだな」
怪訝そうに首をかしげたまま彼の手が伸び、無造作にかなめの胸に触――
次の瞬間、かなめの鞄の角が宗介の側頭部に飛んだ。直後、タイミングよく開いたドアから車外に蹴り出される。
「とっとと死んでこい! このセクハラ男!!」
顔を真っ赤にして怒鳴りつけるかなめと、不可解な顔を浮かべたままホームに叩きつけられた宗介とを交互に見やった恭子は、
「……これは、ちょっとフォローする気ないなぁ」
ため息混じりに小さく呟いたのだった。

<安請け合いのリクエスト 終わり>


あとがき

ついにやっちまいました。今回の話はこの一言に尽きます。
オタク達の実体。彼等が抱える様々な問題に鋭く切り込んで……ないって(笑)。
あちこちにちりばめた「それっぽい」ネタに関しては、もう一つ一つ解説してられません。数が多くて。
まぁ、元ネタが判る方が面白いのは当然ですが、元ネタが判らなきゃつまらないっていう事はないようにしたつもりですけど、どうかな??
判らない方は「ふーん」と読み流して構いません。ええ、そうして下さい。
でも、オタク仲間で平気で使っている単語を、そうでない人にも判る(であろう)ように変換するのって、結構辛かったです。

地元ではないためか、かなめや宗介はおとなしめになってしまいましたね。まぁ勝手の判らぬ土地では、あんまり大騒ぎもできませんか。
余談ですが、秋葉原の地理に詳しい方なら、この文章だけでも彼等の現在位置をしっかり把握できると思います。
判るとは思いますけど、本編中の遠山さんのようなオタクは……いる筈ないというか、いたら怖いというか……。
なお、これを書いたのは2002年11月。この当時で連載中の長編「踊るベリー・メリー・クリスマス」の展開いかんではちょっと矛盾した点が出ちゃいますが……気にするな!


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