『雨の午後の除霊隊 中編』
次の日。昨日からの雨はまだ弱いながらも降り続いていた。
そして、すみれは朝から不機嫌だった。
何かしたいのにそれができない。そんないら立ちにも似た雰囲気だ。
あえて言うなら抜き身の刀。少しでも触れようものならこちらが真っ二つにされてしまいそうな、ただならぬ気配が漂っている。
大帝國劇場の食堂でみんなで朝食をとっていたが、彼女は一言も話す事なく黙々と食事を済ませ、さっさと部屋へ帰ってしまった。
「すみれさん……。何かあったんでしょうか?」
自分も食事を済ませた真宮寺さくらが大神に訊ねる。
特に個性が強い訳でないが、親しみやすく純な雰囲気のある少女だ。
それだけに考えている事が顔に出やすく、我が事のように表情が暗くなる。
「お兄ちゃん。今日のすみれ、すっごく怖いよ……」
花組最年少のメンバーであるアイリスも、この気配を敏感に察知したのか眉をひそめている。
そしてすがるような表情で、肌身離さず持っているくまのぬいぐるみのジャンポールに話しかける。
「……ジャンポールも怖いって言ってるよ」
そう言いながらぎゅうっとジャンポールを抱き締めている。
「何かあった事は確かだ。でも、情報が不足している。憶測のみで行動する事は避けるべきだ」
アイリスの言葉を受けたレニ・ミルヒシュトラーセも、相変わらずの淡々とした口調でまとめる。
「昨日、パーティーに行っていた事は聞いてるんだけど……。そこで何かあったのかもしれないな」
あくまで憶測だけど、とつけ加えて大神は話す。それを聞いた織姫も、
「きっとそうでーす! すみれさんの事ですから、きっと些細な事に決まってまーす」
勝手に決めつけてうんうんとうなづいている。
「でも、すみれさんの事ですから、自分からは話してくれそうにないですよね」
すみれは一言で言ってしまえばプライドが高い。実力に裏打ちされた並々ならぬ自信家でもある。
それだけに他人に弱味を見せる事、知られる事を極端に嫌っていた。
「さくら。気になるのは判るけど、そろそろ支度をしないと間に合わないわよ」
そう声をかけたのはマリア・タチバナだった。日本人とロシア人のハーフで、一見冷徹な印象を与えてしまう彼女だが、実際は自他共に厳しいだけで、その落ち着いた性格から皆のまとめ役でもある。
「あ。今日はマリアさんと雑誌の取材で上野に行くんでした」
さくらも慌ててバタバタと自分の部屋に走っていく。
残されたメンバーは、はぁ、とぽかんとし、食堂にしばしの静寂が訪れた。
「どうしたものかな。こんな調子がしばらく続くのは勘弁したいけど……」
みんなで食事をとる以上、やはり和気あいあいとか仲良く楽しくという方が良い。
誰かがピリピリとしていたり、暗く沈んでいるのでは、美味しい食事の味も半減するというもの。
だが、すみれの不機嫌な原因が判らない以上、対策の立てようもない。
下手に探りを入れようものなら、事態は更にこじれてややこしくなる。
そこに、帝國華撃団副司令を勤める藤枝かえでがやってきた。
「みんな。ちょっと聞いて」
帝國陸軍女性士官の制服をきっちりと着込み、表情の方も自然と引き締まっている。
それに影響されたのか、大神達の表情も自然と引き締まってくる。
「紅蘭。急で申し訳ないんだけど、花やしき支部の工房に大至急行ってほしいの。このところ神崎重工製の人型蒸気に粗悪な部品が紛れ込んでいる事件が多発しているのよ。万一そんな部品が紛れ込んでいたら一大事だし。向こうへ行って点検作業をお願い」
「わっかりました!」
紅蘭が元気に答える。昨日あんな事件があったあとだけに、気合いが入っているのが判る。
「ウチの大事な光武に、あんな粗悪品は使わせまへんわ!」
「その意気でお願いね」
かえではわずかに微笑むと、
「他のみんなはとりあえず待機。さくらとマリアがいない以上、敵の動きにも備えておかないとならないし」
「わかりました」
代表で大神が答える。
「ところで大神君。すみれはどうしたの? 姿が見えないようだけど……」
かえでの問いに、大神はため息混じりに「それが……」と言葉を濁した。
「……いいわ。私が直接すみれに聞いてみるから。彼女の事だから、おそらく話したがらないでしょうけど」
「そうだよなぁ。何でもかんでも一人で溜め込んじまうからな、すみれのやつは」
カンナが呆れたような困ったような顔でそう言うと、一同がうんうんとうなづく。
「だから、しばらく二階には誰も来させないで。その方が多分彼女も……」
「判ったよ、かえでさん」
カンナはその意見に同意した。


かえでは帝劇内にあるすみれの部屋のドアをノックしようとし、少し躊躇する。
この神崎すみれという人間はどうにもこうにも複雑なのである。
感情表現は案外ストレートな割に、自分の本心の方は素直に出す事を良しとせず、正反対の行動をとってしまう。
かといって、それを追求されてしまうと更にへそを曲げてしまう。
かけて加えてプライドの高い所から他人を頼るという事も良しとしない。
こういう状況では、まるで堅牢な城壁に囲まれた難攻不落の要塞を思わせる人物なのである。
正攻法ではまず通用しない。しかし、からめ手でいくにしても……。
だが、手に詰まった時には正攻法で真正面から行くくらいしか手がない。
そう考え、かえでは意を決してドアをノックした。
「すみれ。ちょっと良いかしら?」
少し経ち、扉が少しだけ開く。
「かえでさん。何か御用?」
さっきよりはましだが、ピリピリとした視線で睨むように見つめている。
「……判っているとは思うけど」
「何の事でしょう?」
それからしばらく沈黙が続く。
「はっきり言ってほしいの? 昨日の三住重工主催のパーティーで……」
すみれの肩がびくんと震え、かえでをきっと睨みつけると、
「かえでさんには関係ありませんわ!」
そう言って扉を閉めようとするが、かえではすかさず片足を入れてそれを防ぐ。
それを見たすみれは苦々しい顔で部屋の奥にずんずんと入っていく。
かえでは静かに部屋に入ると、こちらに背を向けて窓際に立っているすみれを見つめ、
「このところ、神崎重工製の人型蒸気の評判が悪いから、その事で遠回しに嫌みでも言われたんじゃないの?」
「そんな事はありません」
すみれは無表情な声できつく言い返す。
すみれは帝國華撃団に入る際に半ば家を飛び出したような所もあり、折り合いはあまり良くなかった。
今年の春に無理矢理見合いをさせられ、それを断る形で強引に華撃団に戻ったいきさつもある。
しかし、勘当させられているという訳でもなく、今でも彼女は「日本有数の財閥の一人娘」である。
家族的に幸せとは言えない過去だが、それでも自分の育った家であり、父や祖父の会社である。
それに彼女は、遠回しや回りくどい嫌味といった野暮ったい事を何より嫌う。
「……そう。それなら私の思い過ごしかもしれないわね。話したくないのなら仕方ないわ。でもね」
かえでは、そこで意味ありげに言葉を切った。そのまますみれの反応を待つ。
「でも……何ですの?」
すみれはさっきよりは微かに震えた声で訊ねる。
「このままだと、みんな『何があったんだろう?』って色々聞くか探るかすると思うのよ。そういう風にこそこそ探られるのは誰だって好きじゃないけれど、強く突っぱねるとますます知りたくなるものだし……」
かえでの言葉を聞いて、すみれも「あり得る」と内心で思う。
中でも大神は他人の悩みでも我が事のように真剣に悩んでしまう質だ。しかし、解決させる訳でもなく、かえって自分がその悩みに押し潰されるのが関の山だが。
彼女も、彼を始めとしたみんなの気遣いは充分に判っているつもりだ。
だが、そこでみんなを頼れないのが神崎すみれの神崎すみれたる所以なのだが、仕方がない、と何かを悟ったようなため息を一つつくと、
「わかりました。かえでさんにはお話ししておきます」
すみれはゆっくり語り始めた。
確かに、最近の神崎重工製品の事を遠回しに嫌みを言われ、腹立たしく思った事も確かだ。
それよりも梅枝(うめがえ)純一郎という男に言われた事の方が気になっていた。
「最近、三住重工の人間が神崎の製品に細工をしている」
彼が言うには、神崎製品の評判を落とす為に、こっそりと神崎の技術者になりすましてあれこれと細工をしているとの事だ。
それは、三住重工会長の極秘命令らしい。
政治家である純一郎の父・四郎は、三住重工の社長と年の離れた兄弟で、四郎が「そんな事をしてどうする」と諌めたが、社長や会長は全く聞き入れず、むしろ「お前の政治資金は出してやらんぞ」と一喝されたそうだ。
警察に訴えたところで会長の権力で揉み消されるのがオチだろう。もしかしたらその罪を着せられる可能性もある。
それでもどうにかそれを止めさせようとしているのだという。
ライバルに当たる神崎重工――神崎財閥の人間にこういう事を言うとは、本気らしい事が伺える。
以前聞いた彼の噂は「キザ男風の顔に似合わぬ、竹を割ったような性格の好青年」だが、実際に話してみると少々誇張してはいるが、まるっきりの嘘という訳でもないらしい事はすみれにも判った。
確かにライバルを蹴落とす為に色々な――ここまで露骨な事はしないが――手を尽くすのは、どこの企業でもやっている事だ。
もしこれが神崎重工製品より優れた物を作ったというのなら、すみれも何も言わなかったかもしれない。
すみれの腹に据えかねるのは、その方法がこのような陰険で技術者の風上にも置けない方法だからなのだ。
だが、そこですみれははたと考えてしまった。
すみれは感情表現こそ素直でない所はあるが、妙な所で一本気な面もある。許さないと決めたものには容赦しない性分だ。
「しかし、今の自分に何ができよう?」
確かにすみれは神崎財閥の一人娘。ゆくゆくは財閥の総てが彼女とその婿の双肩に委ねられるだろう。
しかし、今のすみれは――政財界に於いては――単なる一人の小娘に過ぎない。
いわば成り上がりである為にバカにされないよう、蔑まされないよう、その為だけに努力する生き方や境遇が嫌になって家を飛び出したあの頃と、自分は何か変わったのだろうか?
結局、何も変わっていない。自分の力だけでは、家の不名誉を消し去る事もできないのだ。
すみれのいら立ちは、自分が変われなかった事。成長できていない事にも原因があるのかもしれない。
それらの事情を聞いたかえでは、しみじみとため息をつくと、
「良く話してくれたわ、すみれ」
安堵感に満ちた笑みですみれの肩をポンと叩き「お邪魔したわね」と小さく言って部屋を出ていった。


かえでは帝劇内の自分の部屋に戻り、これまでの情報を整理していた。
神崎重工の製品に関する疑惑は、三住重工の会長の命令が発端。
確かに業界第二位の企業。神崎重工は目の上のこぶだ。何かやっても不思議ではない。
だが、それはあくまでも状況証拠。物的証拠がなければ警察だって何もできない。
帝國華撃団と神崎重工は無関係ではない以上、放っておく訳にもいかない。
それに、昨日織姫の言っていた「妙な気配」という物も放置できない。
帝國華撃団の任務は、邪悪な「魔」の存在から帝都を守る事。こうした妙な気配は「魔」にとっては格好の標的となりやすい。
でも、これらを片付けるには人手が圧倒的に足りない。だが、一つ一つを地道に片づけていくしかない。
優れた霊力の持ち主は滅多にいないからだ。
(さて。どうしたものかしら)
その時、ドアがノックされた。入るように言うと、
「失礼します、副司令」
その声は情報収集を任務とする帝國華撃団・月組隊長の加山雄一のものだった。
「加山君。こんなに堂々と来られても……」
月組の事は帝國華撃団の他の組にすら極秘扱いになっている。それほど隠密性を徹底しているのだ。
「ご心配なく。そんなヘマはしません」
加山は自信に満ちた態度で穏やかに言うと、
「ご命令の『妙な霊的な気配』の件ですが、詳細が判りました」
織姫の報告を聞いて早速調べた所に寄ると、真新しい屋敷から確かに『妙な気配は』あるようだ。
その屋敷は昔、西国の小藩の江戸下屋敷だったそうだ。
ある時、国許の姫とそこに使える奴(やっこ)が恋仲になったという。
しかし、身分違いもあって二人は人目を忍んで会う日々が続いていたが、やがて奴は参勤交代の際に江戸へ上京。
更に悪い事に、その屋敷が盗賊団に襲われてしまい、屋敷の者達は奴を含めて皆殺しにあったという。
その報告を聞いた姫は悲しみのあまりに城を飛び出して尼となるものの、数年後病に倒れ短い生涯を終える。
そのあと、この二人の生涯を哀れに思った者が、姫のかんざしと奴の残したお守り袋をその屋敷の隅に作った祠で祀る事にしたという話が出てきたのだ。
時代は明冶になり、所有者は金持ちの間を転々として現在は三住重工会長宅となっている。
だいたい二ヶ月くらい前に古くなった建物を改築して先日完成したそうだが、その時に問題の祠を壊してしまったようなのだ。
「……なるほど。『妙な気配』は、その祠が壊れた事が原因で出てきたに違いなさそうね」
かえでは「無理もない」という表情で加山の言葉を聞いている。
悲恋ゆえに祀られた霊ならば、さほど「怨み」の念は持ってはいないだろう。「魔」が良く利用するのはそうした「怨み」の念だからだ。
しかし、霊的な存在である以上、やはり放っておく事はできない。
「……副司令?」
自分の考えに没頭しているかえでに、加山が遠慮がちに声をかける。
「副司令がお考えなのは、神崎重工の件と、この『妙な気配』の件を手早く片付ける事ですか?」
「ええ。できれば一気に。軍内部も色々とややこしくなってきているし、あまり時間をかけたくない事は確かね。それに……」
「神崎すみれさんの事ですか?」
かえでが驚いていると、
「さっき、大神のやつに聞きました。あいつも大変だなぁ」
そう言ってふふっと笑っていた。加山と大神は海軍兵学校時代の同期生でもあるのだ。
しばらく無言の時が流れ、ふと加山が何かを思いついたように、
「副司令。こういうのはどうでしょう?」
加山は思いついた「作戦」の草案を手短かに語った。それを黙って聞いていたかえでは小さく吹き出すと、
「……作戦というにはあまりにもお粗末だけど、面白いわ。やってみましょう。司令には、私から話しておくわ」
かえではいくつかの案を加え、あっさりと彼の作戦(?)を承認した。


「……という訳なんだ、大神」
自分の部屋にいた大神に「作戦」を話して聞かせる加山。もちろん自分が月組の隊長である事は伏せている。
「しかし、すみれ君がそんな作戦に乗ってくれるかな?」
「できるかどうかは、お前の力量次第だろう?」
まるで他人事のように楽観視している加山。
そこで、ドアをノックする音が。大神が入るようにうながす。入ってきたのはすみれだった。
「少尉。一体何の御用ですの?」
まだ先程のピリピリした雰囲気を残してはいるものの、見なれない人物がいる為少し緊張している。
「この方は……?」
すみれが問うより早く加山は立ち上がって、
「お初にお目にかかります。自分は大神少尉と同期の加山雄一と申します。現在は海軍陸戦隊の人型蒸気部隊におります。お見知りおきを」
加山は本来の任務を隠すでっち上げの身分を語る。
白いスーツに赤いシャツ。牛のまだらのような模様のネクタイにオールバックの髪型。お洒落なのかどうなのかコメントに困る格好を見たすみれも一瞬言葉に詰まる。
「単刀直入に申します。あなたにお願いしたい事があるのです。そう。『あなたにしかできない』事なのです。どうか、話だけでも聞いてはもらえませんか?」
加山は「あなたにしかできない」の所を妙に強調して言った。すみれが小さい頃から周囲の期待に応えて結果を出してきたが為に「正面きって頼まれると意外と断れない」事を見抜いての台詞である。
すみれも言葉に詰まった事で隙でもできたのか、
「……まあ、そこまでおっしゃるのなら、話だけでもお聞き致しましょう」
表面上はあくまでも優雅にすみれは答える。
「有難うございます。それでは……」
先程大神に話した内容をそのままもう一度すみれに話す。すみれはその内容をいちいちうなづいて聞いていたが、
「……お話は判りましたわ。しかし、あまりに子供騙しでバカバカしいお話ですわね」
「それは認めますが、向こうもバカバカしい手を使っています。バカバカしい事をする相手には、バカバカしい手で返すのが相応かと」
すみれと加山の間に一種妙な緊迫感が満ちる。間に立つ大神はどうしたものかと内心おろおろとしていた。
そうして満ちた緊迫感を最初に破ったのはすみれの方だった。
「なかなか底の読めない方ですわね。よろしくてよ。この神崎すみれの主演にしては陳腐な脚本ですけれど」
「有難うございます」
加山は深く頭を下げる。
「少尉もなかなかユニークなご友人をお持ちですわね」
そう言われた大神は困るやら照れるやらで苦笑いしている。
用事は済んだとばかりに部屋を出ていくすみれが、ドアのノブに手をかけたところで立ち止まり、
「そうそう、少尉。この事は、皆さんには……」
「判った。内緒にしておくよ」
するとすみれは意外そうに鼻を鳴らすと、
「そうではありません。皆さんに必ずお話をしておいて下さいな」
すみれの口から大神の想像していなかった言葉が飛び出す。
「ど、どうして……?」
「少尉。内緒にしていたら、皆さんが隠れてついてきてメチャクチャになりかねませんわ」
なるほど。大神も言われるまで全く気がつかなかった。
「それに陳腐とはいえ、この神崎すみれ主演も同然のこの作戦。邪魔をされたくはありませんもの」
……本心なのかどうなのか。きっぱりとそう言い切ったすみれだった。

<後編につづく>


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