『秘密の行動 前編』
今日は、朝からしとしとと雨が降っていた。
ここは大帝國劇場の事務局。帝國歌劇団・花組の秋公演が終了した、とある日。
緊急時には霊力によって帝都を護る秘密部隊・帝國華撃団花組となる彼等にとってはつかの間の休息とも言える。
そんな中、支配人の米田一基と副支配人の藤枝かえでの両名は帝國華撃団関係の用事で陸軍本部へ。
真宮寺さくらとマリア・タチバナの両名は雑誌の取材のため外出。
神崎すみれにいたってはどこかに買い物に行ってしまっていて留守だった。
五人もいなくなると、結構静かに感じるものである。今日は客も入っていないので余計にそう感じるのかもしれない。
伝票整理などの雑務に追われる大神一郎は、ふと窓の外を見る。
明け方から降っている雨は弱いながらも、一向に止む気配がない。
窓から見える晴海通りには、傘をさして歩く人々が良く見えた。
だが、晴れているのと雨降りでは気分的に変わってくる。
しかし、多湿な日本の気候で、雨が降るのはしょうがない。
それに、天気に文句を言って変わってくれるなら苦労はない。
大神はため息一つつくと、改めて伝票の束と向き合った。
そんな事務室のドアをノックもせずに開けて入ってきた人が、一人。
「大神さん大神さん」
事務で受付を担当している榊原由里に声をかけられた。
赤いスーツにパーマネントをかけた髪。明るい笑顔のままちょいちょいと手招きをしながら近づいてくる。
大神は、伝票整理を続けながら、
「また、噂話かい?」
人一倍好奇心の強い彼女は、どこで聞いてくるのか判らないが色々な噂話を仕入れては話してくる。
もちろん噂だから大半は根も葉もない事なのだが、たまに信じられないくらい適格な情報もあるのであなどれない。
「今度のは気になるんですよ」
口元に手を当て、クスクスと笑いながら大神の肩をポンポンと叩いている。
「いや。だから何がどう気になるんだい?」
大神の方も、彼女のこの態度には慣れっこなので、さすがに応対も慣れた物だ。
ただ問題が一つある。良く話が脱線するのだ。
近所に美味しい料理を出すお店が開店した話をしていたかと思いきや、いきなり路面電車の事故の話に変わったりと、その差は目まぐるしいばかり。
今回もそうで「レニがこっそりと出かけている」という事を話すだけで30分近くかかっていた。


レニ・ミルヒシュトラーセ。この春に大帝國劇場に来たドイツ出身の団員だ。
ヨーロッパ系の銀色の髪。澄んだ青い瞳。物静か、というよりも無口で、必要な事以外は殆ど喋らない少女。中性的な印象なので、最初は少年かと思ったくらいである。
感情の起伏に乏しいが知識量は豊富で、周囲の状況を冷静に分析し、何事も確率や綿密な計算の元に行動するといった、沈着冷静に割り切る所がある。
だがそれは、幼少の頃より受けた教育のせいである事を、大神は聞いていた。
ヴァックストゥーム計画。
最強にして完璧な、霊的戦闘力を持った優秀な戦闘兵士を生み出す計画。
その為、戦闘技術・理論のみを徹底的に教育され、人間的・情緒的な事を全く知らずに育ったのだ。
そうした情緒的な「人間同士の触れ合い」を排除されて育つと、肉体的にも成長が遅れるという。それが原因なのだろう。レニは15歳という年齢とは思えない程小柄で華奢な体躯でもあった。
だが今は、ほんの少しずつではあるが、感情・表情が出てくるようになってきた。
レニが一人で――たまに誰かと一緒の時もあるが、外出するのは大神も知ってはいた。大神も、彼女と一緒に何回か出かけた事がある。
訳を聞いても、無言のままで何も答えてはくれない。だが、レニが何の意味もなくこういった事をしているとも思えなかった。
何かメモを取りながら街を歩いているのは確かなのだが――ドイツ語らしく大神には読めなかったが――行き交う人々を眺める訳でもなく、名所・旧跡を尋ね歩く訳でもなく、美味しい料理を食べ歩いている訳でもなさそうだ。
若い男女が二人で街を歩く。ちょっとしたデートのようにも思ったが、雰囲気はそんなロマンチックな物とは程遠かった。
だが、少しずつでも感情が出てきたのが原因なのだろう。目に入ってくる「戦いとは関係のない」色々な物にも興味を示すようにもなってきたのだ。
大神はその度に嫌な顔をせず一つ一つ説明し、レニもぎこちないながらも笑顔を浮かべるようになった。
今までそうした物とは無縁の彼女にとっては、何もかもが新鮮なのかもしれなかった。
確かに、新しい発見をすれば、街を歩く事も楽しくなってくるだろうが、こっそりというのはさすがの大神も気になった。
「こっそりと、か。確かに気になるけど……」
「気になるでしょう? 一回尾行した事あるんですけどまかれちゃって……」
由里は悪びれた様子もなくそう答えると、
「大神さんなら訳くらい話してくれると思うんですよ。それで、聞いたら教えてくれませんか?」
手を合わせる由里を見て、ため息一つついた大神は、あいまいに返事をしておくと、再び伝票整理を続けた。


「レニの外出先でーすか?」
伝票整理が終わった午後、サロンでのんびりとしていたソレッタ・織姫に訊ねてみた。
イタリア生まれの彼女は、ヨーロッパで組織された帝國華撃団のテストケースであった「星組」の頃からレニと付き合いがある。彼女なら、何か気づいているのかもしれない、と思っての事だ。
「知りませーん。レニがどうかしたでーすか、少尉さん?」
「いや。知らないならいいんだ。ちょっと気になっただけだし。のんびりしてる所、悪かったね」
礼を言って立ち去ろうとした時、両手一杯に食べ物を抱えてこちらにやってくる桐島カンナとアイリスの姿が見えた。
カンナは2メートル近い体格におおらかな言動。歌劇団最古参のメンバーの一人で、琉球空手の達人でもある。
アイリスはフランス生まれの少女だ。まだ子供子供した言動が抜けないが霊力は誰にも負けてない、立派な隊員だ。
「隊長。どうしたんだい」
そう言いながらサロンのテーブルに持っている食べ物をどかっと置き、手近のイスを引き寄せて座る。それからその中にあったまんじゅうをぽいと口の中に放り込んだ。
アイリスもその隣にちょこんと座る。
大神はちょうどいいとばかりにカンナとアイリスにも同じ質問をしてみた。
「良くわかんないけど……たまにこっそり出かけてるよね。それに、レニも変わったし」
アイリスの嬉しそうなその言葉に、カンナも大きくうなづいた。
「そうそう。秋公演の時だって……」

帝國華撃団花組秋公演「青い鳥」。
1908年。ベルギーのモーリス・メーテルリンクによって書かれた物語だ。妖精に「病気の娘の為に青い鳥を探してほしい」と頼まれた二人の兄妹の話。
今回はレニとアイリスが主演を務め、大盛況のうちに先日千秋楽を迎えた。
その千秋楽公演のカーテンコールの時――
最後に出演者一同が一列に並び、客席のファンに大きく手を振っている。客席からは割れんばかりの拍手、応援するかけ声が途切れる事なくかかる。
音が身体にぶつかってくるような迫力を感じ、主演のレニとアイリスは少々照れながらも一人一人に届けとばかりに手を振って声援に答えていた。
やがて、別れを惜しむような拍手の洪水の中、ゆっくりと幕が下ろされる。
「レニ。なんだかうれしそうだね」
隣に立つアイリスが小声で話しかけてきた。
「……うん。今まで判らなかったけど、拍手って暖かいんだね」
「あったかい?」
「うまく表現できないけど、そう感じたんだ」
そういうレニの顔は、少しだけではあったが、今までと違った暖かみ・優しさがあった。
そんな時、レニはいきなり舞台の端に飛び出した。
みんなが一瞬驚いている間に何かを拾って素早く戻ってくる。
幕が完全に下りきった時、みんながレニの周りに集まっていた。
「どうしたの、レニ、それ?」
アイリスが、レニの拾ってきた人形を指差す。
「舞台の端に置いてあったんだ」
それは、どこにでもあるような人形だった。それほど大きくはないが、普段のアイリスのような可愛らしいフリルの沢山ついたドレスを着た金髪の女の子の人形だ。
「……特に何か仕掛けられているような形跡はなさそうだ。普通の人形に間違いない」
「でも、どうしてそんな人形が置いてあったのかしら……」
マリアの発した疑問に答えられる者は――もちろんいなかった。
首をかしげながらも楽屋に戻ろうとした時、レニはその人形のふくらはぎの所に何か書いてある事に気づいた。
「アヤ?」
人形を凝視していたレニに気がついたカンナとアイリスがその様子を見ている。
「どうしたんだ、レニ?」
カンナはそう言いながら彼女の持っている人形を覗き込むと、
「アヤ? こりゃあ多分、誰かが落としたやつを、舞台のとこに置いたんだろうなぁ」
「でも、誰が落としたんだろうね、カンナ?」
「お客さんじゃねーのか? 女の子とか」
アイリスとカンナが首をひねって考えている。
「きっと、この子の持ち主。今頃一所懸命探してるかもしれないよ」
アイリスが悲しそうな目で人形を見つめている。
「そうだとしたら、返した方がいい」
レニは下りた幕の隙間から客席の方を覗くと、最前列の辺りをうろうろとしている小さな女の子と、その母親らしき人物が見えた。
レニは、そっとその隙間から顔を出し、
「もし。そこの人」
いきなり舞台の端の方から声をかけられた母親は子供とともにこわごわとレニの方に来る。
この時代、外国人に免疫のない日本人だ。いくら舞台女優といっても多少なりとも表現できない怖さがある。
レニはこっそりとしゃがんだ状態で外に出て、人形を差し出した。
「これ……君の?」
舞台の上から差し出した人形を見た女の子は、パッと顔を輝かせ、人形を受け取った。
「ど、どうも有難うございます。助かりました」
「どういたしまして。また……見に来て下さい」
にっこりとした笑顔、という訳にはいかなかったが、レニなりに柔らかい表情で手を振ると、再び舞台の向こうへ帰っていった。


「……へぇ。レニがそんな事を」
アイリスの話をじっくりと聞いていた大神は、素直に感嘆の声を上げた。今まで戦闘以外の事に無関心だったレニにしては驚くべき変化である。
「それで、その人形の話とレニの外出先とどう関係があるんだ?」
どうも関係がつかめない大神が首をかしげるが、カンナの方は何でもない事のように、
「いや、関係ないんだけどさ。アイツも変わったよなって事だろ。な、アイリス」
アイリスもうんうんとうなづいている。
「確かに。ここに来たばかりの頃はすごかったからなぁ」
初めてあった時の無機質な印象を思い出し、大神も懐かしそうに(といってもまだ半年も経っていないが)目を細める。
考えに感情を一切入れず、どんな冷酷な手段でも勝利の為なら迷いもなく行ってしまう――そんな印象さえあった。
「あたいも前にレニと一緒にカツ丼食べに行ったけど、確かに歩きながら色々メモしてたなぁ。あたいには万年筆の試し書きにしか見えなかったけど」
カンナの場合は、レニのその日の行き先と、カンナがファンの子供達に教えてもらったお店の方向が一緒だったので、半ば強引に連れていっただけである。
「レニの外出先の事を話してたんじゃないんでーすか?」
すっかり脱線してしまった話を、織姫が元に戻す。
その場の面々は「そうだった……」と言いたげに考え込んだ。
「レニが行きそうな所……か」
そう考えてはみるものの、心当たりすら全く浮かんでこない。
この時代、まだまだ外国人に対しての偏見・抵抗感というものはかなり高かった。いくら日本語が堪能といっても、街の人が日本人でないレニを見る目が好意的なものばかりとは限らない。
だが、不思議とレニに関しては、そういったトラブルを起こしたとか巻き込まれたとかいう話は意外な程少ない。先日、一目でヤクザ者と判る人が、ただの通行人にあからさまに言いがかりをつけられて、絡まれている人を助けた事くらいである。
もっとも、彼女は殴りかかってきたヤクザ者の攻撃を紙一重の所で避けると同時に、足を少し引っかけて転ばせただけである。傍目には勢い余って自分から転んだようにしか見えない。全員をそんな感じであっさりと退けたそうだ。
それで、その絡まれた人がわざわざお礼を言いに来て、その事実がわかったくらいだ。
日本人でない彼女は人目を引く。さらに帝國歌劇団の一員である事は、雑誌の記事などで人々に知れ渡っている。
感情は少しずつ出てきたものの、行動の方は未だに誰かと行うよりも一人で行う事を好むようだ。
しかし、そうやって他の仲間と疎遠になっていた事が仇となり、どうしても彼女の行動が気になって仕方がなくなる大神達。
「この中だと、アイリスが一番レニと仲がいいよね? 何か心当たりないかな?」
大神がアイリスに訊ねてみる。ここに来たばかりの頃も、アイリスにだけはぎこちないながらも少しは心を開いていたようで、今では本当に「友達」という感じである。
「レニって、アイリスにはつき合ってくれるけど、レニの方から『ここに行きたい』って言うの、あんまりないもん」
少し寂しそうなアイリスの言葉に、再び頭をひねる大神達。
「お困りのようやね、大神はん」
いきなり彼の背後から声をかけたのは李 紅蘭。皆と同じく歌劇団のメンバーで、機械工学に詳しい所から帝國華撃団で使っている機械類の整備・点検・修理を一手に引き受けている。
「話は残らず聞いとったで。秘密の話は、もっと小さい声でやるもんやろ」
そんな彼女が得意げにメガネのブリッジをくいっと上げ、まるでシャーロック・ホームズを連想とさせる毅然とした物言いで一向の前に立っている。
「紅蘭。何か知ってるのかい?」
大神が訊ねると、紅蘭は首を振り、
「いや。うちにもさっぱりなんやけど」
乾いた笑顔で言ったその言葉に皆があきれ顔である。だが、
「でも、調べる事はできるで。ただ、答えが判るかどうかはうちにも判らん」
「調べるって?」
「大神はん。こういう時は基本に帰って、レニの部屋を調べるに決まっとるやないか」
実にあっけなく、さらりと言ってのける紅蘭。だが、その言葉に織姫が眉をひそめる。
「プライバシーの侵害でーす。何考えてるでーすか」
「そうだよ。他人の部屋にこっそりと入るなんて……」
大神も織姫の意見に同調するが、
「泥棒に入る訳じゃないし、こっそりやればバレないよ」
アイリスがやんわりと止めに入る。紅蘭も、
「アイリスの言う通りや。もしも、誰にも話せないで一人で悩む、なんて事があったら、うちらが力になってやらんと」
そう言われると、大神も強くは言えなくなる。
「……やむを得ないか。レニの部屋に行ってみよう。ただし、部屋の中の物にはできるだけ触らない事」
その言葉に全員が一応納得すると、揃ってレニの部屋に向かった。

<後編につづく>


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