『決まりきらないニュー・ヒーロー 前編』
そこは、いつも利用する京王線・泉川駅に程近い所にあった。
甲州街道沿いに建っているその建物の入口には、独特の筆記体で「Anna Mirrors」と書かれた看板がついている。
ウェイトレスの制服がかわいい事で、ちょっとは知られた喫茶店の泉川店である。
学校帰りの平日の午後、その入口に立った小野寺孝太郎が他のメンバーを見回して、
「さっきも話した通り、可能性はかなり高いんだ」
辺りをはばかる様な小声でそう言うと、
「時間は毎週木・金・土曜の四時半くらいから。長い髪に一六〇後半の身長。それに「KANAME」っていうネームプレートとくれば、もうほぼ間違いねーって」
はばかった小声だが、何かを確信した様な力強さのこもった声で随分と熱っぽく語る。
「確かに間違いはないかもしれん。だが、それはあくまで推測の域を出ない。それだけでその女が千鳥だと決めつけるのは早計だな」
腕組みしたまま小野寺の話を聞いていた相良宗介が、いつも通りのむっつりとした顔で答える。
「だが、ここは喫茶店なのだろう? なぜこの様に人目をはばからなければならない。まさか、この店には国家を根底から揺るがす恐るべき秘密が隠されているのか?」
そう言って店構えを油断なく注視する宗介。だが、外観からでは何も怪しい所はない様に見えた。
「相良くん。それ考え過ぎだよ」
また始まった、と言わんばかりの乾いた笑いを浮かべるのは、彼と同じクラスの風間信二。
先程から総合模型雑誌を見ている生徒会の備品係・佐々木博巳も雑誌に視線を落としたままうんうんとうなづく。
佐々木だけが一つ下の学年で、特に彼等と頻繁に交友がある訳ではないのだが、宗介と一緒に生徒会室で話している所を、小野寺と風間の二人に半ば強制的に連れて来られたのだ。
今日は特に生徒会の用事とか会議らしきものはないので、別に問題はないのだが。
「だから、それを確かめに来たんじゃねーか。とにかく行くぜ」
そう言うと小野寺は自分が先頭に立って店に入っていった。
「いらっしゃいませ。何名様ですか?」
「あ。四人です……」
幸か不幸か。入った途端、小野寺とそのウェイトレスの目があった。
「お、オノD。それに風間くんに佐々木くんにソースケまで」
彼女――もちろん言わずと知れた千鳥かなめ――が、入ってきた四人を前に半歩後ずさった。が、今の彼女はバイトとはいえ店員。すぐさま教え込まれた営業用スマイルを浮かべると、
「よ、四名様ですね。すぐお席にご案内します」
かなめは、知らず知らずのうちにうわずった声でそう言いながら四人分のメニューを小脇に抱え、ピッと背筋を伸ばしてスタスタと歩き出す。
かなめは入口近くの空いていたボックスシートに一行を案内し、テーブルにメニューを置くと、
「では、ご注文がお決まりになりましたら、お呼び下さい」
そう言って、大急ぎで厨房に引っ込んでいった。
「あっさりわかっちゃったね、小野寺くん」
メニューを見ながら風間がそう言うと、
「ま、友達から聞いた時は半信半疑だったけどな」
「友達?」
「ああ。同じ中学だったやつが、こういうの好きでさ」
小野寺と風間の二人がそんな会話で盛り上がっている時、宗介と佐々木の二人は模型雑誌を見ていた。
「ほら、これですよ。送ったやつは」
「うむ。現物ではないから細部は良くわからんが、もう少し塗装に凝っても良かったと思うのだが」
「ええ。でも『なかなか上手い』って批評が出たんで嬉しくって」
読者の作ったプラモデルを発表するコーナーを二人でじっと見ている。そんな時、彼が作ったプラモデルの隣に載っている人物の模型――正確にはガレージキットに宗介の興味の視線が動く。
額にはかぶと虫を連想させる太くて短い角がある。トンボの様な大きな複眼の目が特徴的だ。全身を黒い鎧にも見えるバイクスーツの様な物で覆い、腰のベルトのバックルには風車の様な飾りがついている。
「何だ、これは?」
宗介のいきなりの質問に、風間と小野寺もその雑誌を覗き込んだ。
「これ? ああ、仮面ライダーだけど。……そっか。相良くんは海外育ちだから知らないんだね」
風間がすぐに彼の事情を理解した。幼い頃から海外の紛争地帯で育ち、平和な日本の事がまるでわからない帰国子女。当然、こういった特撮ヒーローの事など知っている訳もない、と。
「特撮ヒーロー番組の主人公だよ。悪の組織に改造された主人公が脱走して、その組織を倒す話……だよね?」
風間が少々自信なさそうに説明する。
「改造!? そんな事が、この日本で行われていたのか!?」
「違う違う。そういう話。フィクションだって」
小野寺が苦笑いしながら補足すると、通路にかなめが立っているのに気がついた。手にしたトレイには人数分の水の入ったコップがある。
「ご注文は、お決まりでしょうか?」
一応笑顔は浮かべているが、ほんの少し「早く注文してよ」という雰囲気があった。そのため四人は慌ててメニューの方に視線を落とす。
「何? 模型雑誌? ……佐々木くんのが載ったのね、すごいじゃない」
コップをテーブルに置き、広げっぱなしの雑誌を覗き込んだかなめがそう言うと、
「千鳥。君はこの店で働いているのだろう? 今の俺達はクラスメートではなく店員と客だ。店員が客と談笑しているというのは、怠けていると見られる可能性があるのではないのか?」
心配そうにかなめを見上げていた宗介の視線が急に宙を泳ぐ。かなめは「ああ」と前置きしてから、
「この店の方針は『お客様とのコミュニケーション』らしいから、短時間ならおしゃべりしてたって平気よ。第一、そんなに混雑もしてないし」
言われてみれば、平日のためか少々空席が目立つ。もっとも、店舗自体も大きめで、百人くらいなら簡単に入りそうなくらいである。
「へぇ。そうなのか」
三人がほぉ、と納得する。が、宗介だけは視線が下に落ちた。何か言いにくそうに口をもごもごとさせている。
そんな宗介を見たかなめは察しがついたらしく、
「わかった。どうせあんたの事だから『そんな実用性のない服を……』なんて事言う気じゃないでしょうね?」
この店のウェイトレスの制服は、パフスリーブの袖でスタンドカラータイプの白いブラウス。セミタイトのミニスカートと肩から掛ける丈の短いサロンエプロンは同じ色のオレンジ。
エプロンの左の肩紐にハート形のネームプレートがついており、そこに「KANAME」と書かれている。
「それもあるのだが……人間の弱点である胸部を強調する様なそんな服装では『急所を狙ってくれ』と言わんばかりだと思うのだが」
そう。エプロンが覆っているのは腰から下なので、エプロンとその肩紐が形作るラインが、どうしても胸を強調させてしまうのだ。
「しょうがないじゃない。これが制服なんだから。でも、こんなかわいい服着られる機会なんてなかなかないし。まあ、最初はちょっと恥ずかしかったけど」
始めのうちは大して気にもしてなかったが、知り合いの前となると、なぜか急に気恥ずかしくなる。
そう意識したらじろじろと見られてる訳でもない他の三人の視線まで気になり出した。
「で、では、ご注文がお決まりになりましたらお呼び下さい」
かなめはちょっとだけ顔を赤らめると再び厨房に引っ込んだ。
「うんうん。あの制服が良いんだよなぁ。なんたってかわいいもんな」
小野寺の意見に風間も同意見らしく、
「かわいいウェイトレスさんっていうのも、このお店の売りなんでしょ?」
しかし、佐々木の方は不満らしい。
「かわいいのは良いんですけど、ここって料金高いんですよね……」
確かに。コーヒーとパイ一つ頼んだだけで軽く税込千円は飛んでいく。そのため「料金はウェイトレスさんの制服拝観料込」なんて言う人もいる。
「飲食店で働く人間の衣服は、清潔な方が良い印象を与える事は間違いないだろう。動きやすさという点では良いかもしれんのだが、わざわざスカートの丈を短くする必要がどこにあるのか。全くわからん」
宗介にはスカートの丈が「短くなければならない」理由があるとは思えなかった。
飲食店というのは飲み食いするために来る所であって、ウェイトレスの衣装を見るために来るのではない。それはあまりに馬鹿げている。そうとしか考えられず、また、そこの所がどうしても理解できなかった。
「あのなぁ相良。あのミニスカートが良いんじゃないか」
小野寺が握りこぶしを作ってまで力説するが、宗介は困った顔で、
「俺が育ったアフガンはイスラムの文化圏だ。そこでは女性が公衆の面前で肌をさらす事はタブーとされてきた。最近はだいぶ変わったのだがな。日本とアフガンが違うとわかっていても、そういった環境で育ったからな。慣れたつもりでもわずかながら抵抗感がある。素足をさらすだの露出の高い服などは」
そう言ってテーブルの水を一口飲んだ。
「よくわからないけど、それって、着てたのが千鳥さんだから?」
「……いや。そういう訳ではないのだが」
答えるのに一瞬の間が空いた事にあえて突っ込む者は誰もいなかった。宗介自身も、なぜ一瞬間が空いてしまったのかはわからなかった。
そんな時、彼等とは通路の反対側に座っていた一人の男が伝票を持って席を立ち上がった。
宗介も少し遅れて席を立つと、その男を追いかけ、いきなりその腕を掴もうとした。
「待て。今、何を撮っていた」
その男はビクッとして、掴もうとする宗介の腕を振り切って逃げ出した。
「スパイだ! その男を捕まえろ!」
たまたま入口のそばに立っていたかなめに怒鳴る。
その声に反応したかなめも訳のわからぬまま男の腕を掴もうと手を伸ばすが、男が肩にかけていた鞄のベルトの方を掴んでしまい、それを奪い取る格好になってしまった。
それに引っ張られる形で男は体制を崩し、開ききらない自動ドアに頭から突っ込んでしまう。
すかさず宗介が入口にうずくまる男に馬乗りになり、片方の手首を背中に回して押さえつけてから底冷えする低い声で、
「貴様。命が惜しければ無駄な抵抗はするな。どこの組織の者か、素直に吐いてもらおう」
空いた手で腰の銃を握る宗介だが、かなめに止められる。
「ちょ、ちょっと待って、ソースケ。あたしもとっさにやっちゃったけど、この人が何したの?」
もちろん、こんな光景が店の注目を集めない訳がない。他の客の視線や店員もそこに集まってくる。
宗介はかなめが取り上げた、少しだけファスナーが空いた鞄を注意深く開けると、そこから作動中の小型デジタルビデオカメラを取り出した。
これにはかなめや他の店員も驚いた。
「理由はわからんが、この男は何かを撮影していたらしい」
悪質なマニアの盗撮を防ぐため、カメラには結構神経過敏になっているのだ。単に使い捨てカメラを出しただけで店の人に厳重注意を受ける事もあるくらいである。
「有難うございました。おかげで助かりました」
責任者らしい男性店員が彼に頭を下げる。しかし、彼はその店員に、
「……気をつけた方が良い。あの男は店内を綿密に調べ上げた上で、テロのターゲットにするつもりだったのかもしれん」
宗介の事を知らない店員はいきなり出て来た物騒な言葉を聞いて、口をぽかんと開けた。
「やはり、この店には恐るべき秘密が隠されているのだろうか……」
そう言いながら立ち上がり、店内を注意深く見回す。
かなめもいつもの様に突っ込む訳にもいかず「このバカ……」とため息をつくばかりだった。


翌週。バイトが休みのかなめは、宗介とクラスメートの常盤恭子の二人と共に帰宅するため駅へ急いでいた。
「ふ〜ん。相良くん大活躍だったんだね」
先日の活躍を聞いた恭子が素直に感心している。
「結局、タダの制服マニアだったみたいだし」
かなめも淡々と答える。
悪質な盗撮に良くある、胸だけのアップとかスカートの中だけを撮影した物などがなく、単に普通にウェイトレス姿のみの映像だけだったのでそう判断したのだ。
悪質な盗撮なら警察につき出して終わりだが、普通の隠し撮りでは厳重注意してフィルムを取り上げるくらいしかできない。最もデジタルカメラにフィルムはないから撮ったデータをすべて消去した。
宗介一人が「厳重に処罰するべきだ」と主張したが、今の日本ならこのくらいしかできないのである。
「あの後が大変でさ。みんながみんなソースケの事聞いてくるのよ。『あの人彼氏なの?』って」
「で? 何て答えたの?」
「『クラスメイトです』よ。ほ、他にどう答えるって言うのよ?」
かなめはわざと無表情な顔を作ってそっぽを向いた。めんどくさそうに答える様が目に浮かぶ様だ。
だが恭子は、その無表情な顔に隠された意味を悟って、わざと不思議そうな顔をする。
「え? 彼氏って答えなかったの? カナちゃんの嘘つき」
「キョーコ……」
ニコニコと笑う恭子を睨むかなめ。そんな彼女を見て恭子は話題を変える。
「あの店の服って、やっぱり一回は着てみたいよね。似合う似合わないはともかくとして」
「確かにそうね。でも、こういう事があると……ちょっとね」
「ま、カナちゃん美人だから」
「キョーコだってかわいいし、絶対似合うわよ。でも、サイズには気をつけてね」
「何で?」
「良くわかんないんだけど、あそこの九号サイズって、なぜか市販の七号サイズくらいなのよ。それを知らずに頼んだもんだからすっごくきつくって。急いで変えてもらったんだから」
かなめはそう言いながらぎゅうっとウェストの辺りを手でしめる。
宗介はそんな二人の会話に入らず(入れずの方が正しいが)黙々と歩きながら本を読んでいた。
「? そう言えば、今日ずっと本読んでるけど、何の本なの?」
そう言って彼の前に回り込み、本の表紙を覗き込む。
「『特撮ヒーローまるわかり大辞典』?」
かなめと恭子の二人の声がキレイにハモった。二人とも少々呆れている感じである。
「うむ。先日、佐々木が持っていた模型雑誌から話が始まってな。何でも、俺と同じ年代の男子の大半は、小さい頃にこういった物を見て育っているそうだ」
宗介が真顔でそう説明する。
「あたしはそんなに見てなかったけど、まあ……そんなもんかもね」
「あたしのお兄ちゃんは戦隊モノが好きだったな」
宗介の意見にかなめと恭子も同意する。
「という事は、こういった事を知っているのは常識なのかもしれん。千鳥は俺にいつも言っているだろう。少しは常識を身につけろ、と」
彼にしては珍しく的を得た判断である。もっとも、特撮ヒーローの事というのが少々アレだが。
「そういう訳で、常識を身につけるべく、こうして学習している」
半分呆れているかなめと恭子とは違い、宗介はいたって真剣な表情だ。凛々しさすら感じられる。
「だが、調べれば調べる程訳がわからん。世界征服を狙う、人間を改造する程の科学力を持った秘密組織が、なぜ同じ街でしか騒ぎを起こさないのだろうか。それも、作戦と呼ぶには余りにも稚拙な穴だらけの策で、いつもやられてしまうのだ。学習能力がないのだろうか?」
やはり、彼に「特撮モノ」のお約束はわかってないらしい。
「それに、飛び蹴りを受けただけで爆発してしまう現場指揮官というのも不可解だし、やられた敵がいきなり巨大化するというのもわからん。巨大化できるなら、最初からそうすれば良い物を。なぜそうしない?」
「あのねぇ……」
二人はやっぱり呆れるしかなかった。
「だが最大の謎は、そんな訳のわからない話が、手を変え品を変え三〇年以上続いている事だ。しかし、これが日本の土壌や風俗的な物に合っていると仮定するならば、説明はつくのかもしれないな」
そう言って自分で勝手にうんうんとうなづく。
「あ。そうだ。カナちゃん、相良くん。ハガキ買いたいからさ、郵便局に寄らせてくれない?」
唐突に恭子がそう言うと、二人はそれを快諾し、駅とは違う方向へ道を曲がる。
「ハガキ買ってどうするの?」
「懸賞に応募するの。この間も高級松坂牛が当たったんだから」
「でも、ハガキだったらコンビニだって買えるわよ」
「ふふふ。そこの郵便局で買うと当たりやすいっていうジンクスがあるのだ」
「でも、英語本来の意味だと『ジンクス』って悪い事に使うんだけどなぁ」
そんな会話をしていると、目の前に一人の男が立っているのに気づいた。
カラーシャツの上にメッシュのチョッキ。色褪せたジーンズ。肩から大きな鞄を下げている。
「かなめちゃん、だね」
かけてる丸いサングラスをくい、と上げた。「友好的ですよ」という雰囲気は余り感じられない。
いきなり見知らぬ男に名前を尋ねられ、嫌悪感むき出しで警戒するかなめ。
「な、何なんです、あなたは!?」
「あの時は……恥かかせてくれたね」
その声で彼女は思い出した。思わず意味もなく指差して叫ぶ。
「あーっ! あの時の変態盗撮男!!」
「制服ウォッチャーくらい呼べないのか!?」
男は声を荒げるが、どっちも大差ない、とかなめは思った。
向こうは間違いなく穏便に済ませる気はなさそうだ。逃げる事も考えたが、こういう面倒な事は……
「ソースケ! やっちゃって!」
後ろにいる彼に向かってそう言うが、何の反応もない。
「ちょっと、ソースケ?」
くるりと振り向いたが、そこには誰もいない。
「彼氏なら、たった今向こうへ逃げてったよ」
明らかにバカにした目で二人を見つめ、声を殺して笑う男。だが、すぐに笑うのをやめて真剣な顔になると、
「アレには貴重な映像が山と入ってたんだ。このままじゃ済まさないぜ」
そう言って二人に詰め寄ろうとした時、
『ふもっふ』
ブロック塀の方から変な声がした。
そっちを見ると、そこには妖しげな生き物――いや、ぬいぐるみが塀の上に凛々しく(?)立っていた。
「ボ、ボン太くん……?」
犬だかねずみだか良くわからない、ずんぐりとした二等身の身体。くりくりと大きな愛くるしい瞳。
本来は遊園地のマスコットキャラクターなのだが、そこに立つボン太くんは細部が微妙に異なっていた。
帽子の代わりに迷彩柄のヘルメット。首には蝶ネクタイではなく白いマフラーを巻いている。左胸には丸に「B」の字のステッカーが貼られており、腰(?)に巻いたベルトのバックルにはなぜか風車の様な飾りがついていた。
『ふも。ふもっふ』
何やら言ってはいるのだが、ぬいぐるみに内蔵されているボイスチェンジャーのせいで、何を言っているのかがさっぱりわからない。
にもかかわらず『ふも、ふも』と前口上らしき物を延々と述べている。
やがて『ふもっ!』と塀から飛び下りると、かなめと恭子をかばう様に着地し、男の前に立ちはだかった。
『ふもっふ』
ボン太くんはその短い足からは想像できないスピードで男に近づき、ぽこんと頭突きをかました。
たまらず男が地面に倒れると、今度はボン太くんは扁平足を使い高速でスタンピングを浴びせる。
「な、何だ、こいつは!?」
驚いた男はほうほうの体で逃げていった。
『ふもっふ……』
愛くるしい目で男を見送ると、やがて二人の方に向き直り、片手を上げて挨拶するとその短足に似合わない高速走法でその場を去っていった。
呆然としてボン太くんを見送った二人だが、
「……あれ、何なの?」
「……こんなバカな事するやつなんて、世界広しと言えどもあいつしかいないわよ」
恭子とかなめの二人は突然襲ってきた凄まじいばかりの脱力感に支配され、その場にへなへなと崩れた。
「千鳥。常盤。こんな道の真ん中で何をしている?」
いきなり上から降ってきた聞き慣れた声。しかも激しい運動をした直後の様な荒い息。額にはびっしりと汗をかいている。
かなめはその声の主の前にすっくと立ち上がり、バシッと頭を叩く。
叩かれた彼、相良宗介はしばらく何やら考え込んだ後、
「なぜ、叩かれねばならないのだ?」
「うるさいっ!」
かなめが間髪入れずに怒鳴った。
「何であんたは行動がいちいち変なのよ。あんな事しなくたって、普通に叩きのめせば良いでしょ!? ま、暴力は褒められた事じゃないけどさ」
「叩きのめす? 何の事だ。俺は急用があって席を外していたのだが……」
「何が『外していた』よ。バレバレだってば」
かなめのそのセリフに宗介がうっと言葉に詰まる。
(なぜわかったのだ!? しかし、自分から正体を明かしてはいけないのだったな。ここは何とかごまかしておかねば)
そう考え直すと、すぐに毅然とした態度で答える。
「バレバレ? 一体何の事を言っているのか、さっぱりわからないのだが」
「あんたは……」
かなめの胸中にふつふつと怒りがこみ上げてきた時、恭子が苦笑いしながらフォローに入る。
「まあまあカナちゃん落ち着いて。何もなかったんだからさ」
「な、何かあったのか?」
あくまでもシラを切りとおそうとして脂汗をだらだら流している宗介を見て、かなめはさっき以上の脱力感に支配され、再びへなへなと崩れた。

<後編につづく>


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