『求めるフォー・フェイス・カード 1』

「彼女」を、連れて帰る。
その一言を。あまりにも短く、あまりにも重い言葉を残し、相良宗介は日本から消えた。


数日後。宗介の姿は中国の都市・上海にあった。
東京から夜行バスに乗り大阪へ。そして大阪からフェリーで上海に渡ったのだ。
もちろん東京――正確には千葉県の成田空港から飛行機で上海へ来る事もできた。だがそれはやらなかった。
今の彼にはろくな武器もない。戦いのない世界で得た<クラスメイト>もない。共に戦ってきた部隊<ミスリル>の仲間もない。
だが、今必要なものは武器弾薬でも、仲間でも、戦友でも、ましてや資金でもない。情報だ。
「彼女」を連れ去った組織<アマルガム>の情報。
今宗介が持っている情報は、以前傭兵仲間から聞いた「ナムサクという町にASを使った闘技場があり、そこで実弾を使った非合法の闇バトルが開かれている」という物だけ。
そして、<ミスリル>時代に戦った<アマルガム>製のASの操縦兵の何名かがその闘技場に出ていた事があるという、何ともあやふやな物だ。
その情報の裏付け、そしてそれ以上の詳細を調べるため、中国は上海へ渡ったのである。
これは昨日今日聞いた情報ではない。日進月歩の世の中、情報が変わっている可能性もある。すぐさまナムサクに直行しなかったのはそれが理由だ。
一方、中国の景気は飛ぶ鳥を落とす勢いで急上昇。だがそのあまりにも早すぎる発展速度が国内で歪みと軋轢を産み出していた。つまり治安が悪くなり、平穏とは言えなくなってきたのである。
そういう場所には、不思議と人や物資が集まる。いい物も悪い物も。そして、人も物資も集まる所には、自然と情報が集まるものだ。
もちろん玉石混交。役に立たない情報、用のない情報がそれこそ文字通り入り乱れる。そうした中から確かな本物を嗅ぎとり、選択していく。
情報戦を本業としない身では重労働になりそうだが、それも覚悟の上である。


昼下がりのフェリーの発着所――といっても黄浦江(ホアンプーチアン)という河岸――の税関を抜けた宗介は、ロビーとその周囲の様子を怪んでいた。
何者かの尾行を警戒しての事ではない。正確にはそこにたむろしている数人の人間を怪んでいたのである。
一見ビジネスマン風やら商人風やら観光目的のおのぼりさんやらに見えなくもないが、その雰囲気は明らかに「通常の」人間の物ではなかった。
だが、宗介のような傭兵稼業の人間とは違う異常さ。おそらくは土地のマフィアかヤクザ者のたぐいだろう。こうした人種は大きな町ならば必ずいるものだ。
しかし。誰かを待ち合わせている風に見えて、その周囲を警戒する様は尋常ではない。まるで「ここは一歩も通さんぞ」と言っているかのような無言の圧力。
自分自身に向けられていないとはいえ、一般人ならその場にい続ける事はできないだろう。
ところが。そんな圧力をものともしないかのように立つ、どこにでもいそうな中国人の中年男性が一人。
普通のシャツにスラックス。パンパンに膨らんだポケットがたくさんついたメッシュのベストが人目をひく。足元には何故か、古ぼけたボストンバッグ。
そんな風体の小柄で痩せこけた優男が、手を上げて宗介を呼び止めた。
「いよぉ、シアンリアン」
宗介の苗字・相良を中国語読みするとシアンリアンとなる。以前東南アジアで出会ってから、その男は宗介をそう呼んでいた。
「元気そうだな、シーザー」
久方ぶりの再会にしては仏頂面で宗介は答えた。シーザーと呼ばれた中国人は、そんな彼の仏頂面を気にした様子もなく、
「元気? バカヤロ。これでも本業のカメラマンは廃業だぁ、コンチクショウ」
男は訛った英語で威勢よくそう言った。まるで以前見た日本の時代劇の江戸っ子を思わせる。もっともここは中国だから「江戸っ子」は妙だが。
それからシーザーは自分の右目を指差す。そこにあったのは精巧に作られた義眼だった。
「半年前、流れ弾で壊れたコンクリの破片が直撃しちまってな。目玉が使いモンにならなくなっちまったよ、ったく」
やれやれ、とため息まじりにシーザーは己の義眼を指先でつつく真似をする。宗介は、
「そうか。流れ弾そのものが直撃しなかったのは幸いだな」
一応気づかっているのだろうが、言い方は不粋きわまりない。
この中国人――シーザーはカメラマンでも戦場カメラマン。二年前。内戦が勃発していたある都市で写真を撮っていた時、傭兵として雇われていた宗介と出会った。
アフリカなどでは宗介のような少年兵の姿は珍しくもないが、東南アジアではアフリカよりは珍しい存在だ。
宗介自身も珍しがられるのは慣れていたので軽くあしらっていたのだが、成り行きで彼の窮地を救う事になったのだ。
以後、何かと宗介を気にかけ、自分の知る限りの情報を提供してくれてもいる。そのツテを頼っての事だ。
「それで。調べはついたのか、シーザー」
宗介はさっそく本題に入った。ゆっくりと旧交を暖めている時間も惜しいのだ。
「あたぼうよ。その辺はどうにかな」
得意そうに言うシーザー。しかし自嘲気味にニヤリとすると、
「ま、大した事は調べられなかったけどな。情報集めは本業じゃねぇ」
シーザーはボストンバッグからファイルケースを取り出すと、そこに挟んだコピー用紙を数枚手渡した。
おそらくはインターネットのウェブサイトをプリントアウトした物だろう。パソコン独特の文字と荒い画像のカラー写真が印刷されていた。
宗介は代金とばかりに日本の千円札を握らせる。情報量としては安すぎるが、中国の人民元に換算すれば、ちょっと豪勢なランチくらいは食べられるだろう。
それに気をよくしたのか、彼は嬉々とした雰囲気で、
「シアンリアンの言ってたナムサクだがな。ASの闘技場があるってぇのは確からしい。それ目当ての観光客も増えてるってぇ話だ。結構なこった」
プリントアウトされた内容を大まかに話すシーザー。宗介の方も渡されたコピー用紙に目を通していた。
書かれている文章は英語なので、彼は苦もなく文章を流し読みする。シーザーはその様子を横目で見つつ、
「後は、ナムサク郊外の山ん中で、明らかに実弾でやられたASのパーツが転がってたくれぇか。あの辺はもう戦闘区域じゃねぇからな。不自然だってぇ話だ」
「そうか。他には?」
「ねぇよ。それにここ一年中東ばっかで、東南アジアにゃ行ってねぇ」
その言葉に、宗介は別に気落ちした様子はない。<アマルガム>が簡単にインターネットに引っかかるような事をするとも思っていないからだ。
宗介はプリントアウトした紙を自分のナップザックに押し込む。それを見ていたシーザーはベストのポケットに入れっぱなしのタバコを取り出し、火をつけた。
「だがな兄弟。そっちに詳しい上海人の情報屋が、この町にいるってぇ事は調べがついた。どうだ?」
もちろん情報は喉から手が出るほど欲しい。だがここで迂闊に下手に出ては足元を見られてしまう。でも背に腹は代えられない。こちらは急いでいるのだ。
「あたるだけあたってみよう。その情報屋の居場所を教えてほしい」
「教えんのは構わねぇが、日本人のお前さんだけじゃあ危険だぞ。日本人は金持ちだから狙われるし」
昔の中国では、外国から来た人間は「外賓」として大切に扱われた。外国人がらみの犯罪を犯した者は、同じ犯罪でもずっと刑罰が重くなったほどだ。
しかし今では全く正反対で、外国人であれば犯罪に巻き込まれやすくなっている。
特に日本人と判ればあの手この手で金品を巻き上げようと、犯罪者が寄ってきては片言の日本語で過剰なまでに友好的に話しかけてくる。
それこそ、日本人を使った囮捜査をしたら、一週間と経たずに犯罪者は残らず捕まるであろうくらいに。
一応定期的に繁華街を巡回する公安職員(警察官)もいるが、向こうもそれが商売だ。あてにならない。
外国暮らし、しかも紛争地帯や戦場を渡り歩いてきた宗介の事。その手のトラブルには慣れており、たとえ巻き込まれても無傷で飄々と乗り切れる事だろう。
だが、面倒になる事は確かだ。そして今は、下手に面倒を起こしている時間はない。
「それにお前さん。確か中国語はできねぇだろ?」
シーザーはくわえタバコのまま、ニヤニヤと「どうすんだ?」と言いたげに宗介を横目で見る。
「町中じゃあ、英語はあんまり役に立たねぇぞ。観光客相手のホテルなら話は別だけどな」
遠回しだが露骨に「通訳してやるから金を出せ」と言ってくるシーザー。
宗介はさっき以上の仏頂面のまま、彼の手にもう一枚千円札を握らせると、
「これで適当な酒でも買ってくれ」
よく判らないが何かに負けたような気持ちの宗介。シーザーは上機嫌でそれを受け取ると、
「日本にゃあ穴の空いたコインがあんだろ?」
日本の五円硬貨や五〇円硬貨の事だ。だがこれは人民元に換算しても大した額にはならない。
「道案内もつけんなら、そいつで手を打とうじゃねぇか。友人ゆえの格安価格だ。安いモンだろ?」
シーザーはここぞとばかりに得意そうに胸を張った。
「穴の空いたコイン」というのは世界的にも珍しい代物だ。珍しい物を欲しがる気持ちは判らなくもない。
毒を食らわば皿まで。以前ことわざの本で読んだ言葉が宗介の胸を支配した。


財布の中にあった五円玉を渡すと、シーザーは上機嫌のまま宗介を駐車場へ連れて行った。
傷が目立つ小さな商業用のバンの横には「亞歴山大投遞有限公司」と漢字で書かれている。彼が言うには宅配便の会社との事だ。
日本と中国では漢字の意味も使い方も違う。漢字があまり得意でない宗介には、説明されてもさっぱり判らなかった。
こうして宅配業で稼いだ金で戦場へ行き写真を撮る。それがシーザーの生活サイクルだったそうだ。
「今じゃしがない宅配業一本さ。目がこうなっちまってからは事務作業中心だけどな」
シーザーは言いながら鍵を開け、運転席に乗り込む。それから腕を伸ばして内側から助手席のロックを外し、乗れとジェスチャーする。
「これは宅配業の車か?」
「ああ。それがどうかしたか?」
シーザーは乗り込んできた宗介に「シートベルトを締めろ」と言いつつ、短くなったタバコを吸い殻入れに押し込む。
「仕事はいいのか?」
「今日はオフだ。気にすんな」
宗介がシートベルトをしたのを確認すると、シーザーは車を走らせた。
「しっかし。何でわざわざフェリーなんでぇ? 日本からなら飛行機の方が早ぇだろ」
シーザーが幾分不満そうに訊ねた。
日本と上海の間にはいくつもの定期便が就航しているし、何より早い。当然の疑問である。
「単に資金の問題だ」
宗介の無遠慮な言葉にシーザーは苦笑する。料金と言ってもピンからキリまであるが、平均すれば飛行機よりフェリーの方が安いのは確かだ。
「それより。お前の方こそ、片目での運転は大丈夫なのか?」
お返しとばかりに宗介は訊ねるが、彼は鼻歌まじりにハンドルを切ると、
「事故起こさなきゃ、文句は出ねぇって。心配すんな」
そう言いながらも得意そうに車を走らせていた。景色がどんどん後ろに流れていく。
フェリーから見た時も感じたが、ずいぶん妙な町だと宗介は思った。
中国なのだから、いかにも「中華」な建物が立ち並ぶと思っていたのは、以前香港へ行ったからだろう。
だが、今走っている場所はそんな感じは全くなく、ヨーロッパの古都にでもありそうな西欧風の古い石造りの建物が立ち並んでいる。
そうかと思えば、黄浦江を挟んだ三〇〇メートルほど向こうの対岸には、最新の高層ビル群や電波塔の姿が。
古い町並みと新しい町並みが混在するなどよくある事だが、建物の様子はとても中国とは思えなかった。
「この辺は『旧租界(そかい)地』っつってな。太平洋戦争の終わり頃まで外国人居留地みてぇな場所だったからな。そういう建物はその頃の名残りだよ」
シーザーは幅寄せしてくる車を器用に避けながら説明した。
中国では欧米や日本と比べて「順番を守る」という考えが希薄なため、我先に行ったりちょっとの隙間に割り込んでくる者が多いのである。ある意味命懸けだ。
実際、何車線もある大通りにもかかわらず、他の車や原付がぶつかりそうなくらいに接近し、何度も車体をかすめていく。
彼は慣れた手つきで車を捌きながら、
「特に、この先の橋を渡った先にある『和平飯店(ホーピンワンディエン)』ってぇホテルが有名でな。その昔サッスーンってぇユダヤ系イギリス商人の家だったらしいや」
地元民のシーザーがガイドのように解説する。しかし今回は観光目的ではないので、それ以上は喋らない。
「けど、ここんトコ上海も物騒になっちまってな。変な奴らは出入りしてくるし、環境汚染は酷ぇモンだし。景気がいいのは結構なんだが、マフィアごっこしてるチンピラがうろついてんのも、御免被りてぇなぁ」
彼のその言葉に、宗介はさっき見かけたヤクザ者を思い浮かべ、
「経済の発展と、それに平行するヤクザ者の横行は、どこの地域にもある事だ」
儲かりそうな物を、マフィアやヤクザのような裏稼業の人間が牛耳って私腹を肥やす。よくある話だ。昔から人間のやる事に変化はない。
信号待ちで止まった助手席から町を眺める宗介。明らかに「それっぽい」人間が汗だくになって走っているのが見える。それから車のバックミラーを見た宗介は話題を戻した。
「それで。お前が調べてくれた上海人の情報屋だが……」
「ああ。何でも『ジェイ』って呼ばれてるらしい。これから行くのはそいつが出入りしてるらしい店だ。会社から近いのが幸いなんだが、そこに行けば会えるらしいや」
シーザーの淡々とした物言い。宗介はおうむ返しに、
「『らしい』ばかりだな」
「悪かったな。どうせ俺はしがない『元』カメラマンだよ、このスットコドッコイ!」
やたらと「元」を強調して、宗介に怒鳴り返すシーザーだが、別に本気で怒っている訳ではない。宗介はさらに質問を重ねる。
「しかし『ジェイ』とは? 中国語か?」
「いや。英語の『J』」
宗介の問いを一言で否定した。シーザーの言い方に彼は少し驚いたように、
「英語? そいつは上海人なのだろう?」
「多いんだよ、中国人にゃあ。他の国と色々やり取りする人間は特にな」
外国の人間にとって中国語の発音はものすごく難しく、また厄介なのである。上手く真似したつもりでも「全然違う」と注意されるなど当たり前に起こる。
それに中国国内でも、同じ字でも地域によって発音が違うので、時には会話が成立しない事すらある。
だから同じ中国語にもかかわらず「北京語」「上海語」「広東語」とわざわざ区別をする。他の国の人間から見れば、これほど厄介な事はないだろう。
そのため英語名をニックネームだけでなく、第二の名前にしている中国人も多いのである。芸能人はもちろんだが、大企業の社員や若者同士が英語名で呼び合う事も珍しくない。
決め方も人それぞれで、有名人や偉人の名にしたり、辞書の中から適当につけたり、自分の名前の響きと似たものにしたりと様々だ。
「俺の中国名は将 倶箕(チアン チュイチー)。カメラマンの頃はシーザー 将(チアン)って名乗ってたからな」
宗介は<ミスリル>でチームメイトだった中国系アメリカ人女性を思い浮かべていた。彼女も英語名だったが、それはアメリカ人だからというだけではなかったのかもしれない。
あっさり死んだとは思っていないが、希望が持てない状況だという事は容易に想像がつく。
つい彼女達――連絡が取れなくなった<ミスリル>の仲間達を思い出してしまい一層黙りこくってしまう。
「……ま、色々あんだろうけど、思い詰め過ぎんなよ」
シーザーは暗い顔の宗介にそう声をかける。それでも変わらぬ彼の表情に、シーザーは軽くため息をつき、ハンドルを切った。
それから橋を渡ったり道路を曲ったりしたが、行き先案内版は中国独特の略字(簡体字)で書かれていたので、宗介には通常の漢字以上に理解できなかった。
だが地図そのものが読めない訳ではない。車の中にあったロードマップで道路の様子を見つつ、だいたいの位置の見当をつけた。
外灘(バンド)と呼ばれる黄浦江沿いの公園の南の外れである。そこにシーザーが勤務している宅配業の会社があった。
「亞歴山大投遞有限公司」と書かれた看板から考えると、やっぱりこれが社名らしい。詳しい意味かは判らないが、別に興味もないので聞かないでおいた。名前と場所さえ覚えておけばいいからだ。
シーザーは社の駐車場に車を停めると、
「すぐ行くぞ。もたもたしてたら夕食の時間帯になって混み合っちまうからな」
ナップザックを背負い、車の中のロードマップを持ったまま下りてきた宗介は、シーザーに訊ねる。
「どこへ行くんだ?」
「ああ、ユー……」
シーザーは何か言いかけると、ロードマップを奪い取ってパラパラとめくり、見開いたページをずいと突き出すと、
「豫園(ユーユエン)。まぁ中国風の古典的な庭園なんだが、正確にはその隣にある豫園商場(ユーユエンシャンチャン)っつー……ま、ショッピング・モールみてぇな所だ」
目指す『J』なる情報屋は、その中の一つの店にいる、らしい。
会社からその豫園商場まではだいたい五〇〇メートルほど。徒歩でも苦になる距離ではない。
いくつか問題はあるものの、こうなったら彼を信用するしかない。宗介はそう割り切る事にした。


鮮やかな白い塗り壁。目を引く明るい朱色の柱。曲線を描く独特の瓦屋根。黒地に金色の文字の巨大な看板。外国人が思い浮かべる「中華風」の典型的な門構えである。
それが圧倒するくらいのスケールで宗介の目の前に立ちはだかっていた。
地図から考えても、ここがシーザーの言っていた「豫園商場」に間違いなかった。
「ようやく再開発が終わって綺麗になったんだ。この辺は周りも昔ながらの低い建物ばっかになるから、余計目立つんだ。すげぇモンだろ?」
まるで自分の持ち物であるかのように自慢げに語るシーザー。
言われて気づいたが、先ほどまでの西欧的な建物はパッタリとなくなり、変わって二階建てを中心とした古い木造家屋ばかりになっていた。
「ここなら、お買得品から面白グッズまで、大概の物は手に入る。地元の人間から観光客までごった返してっからな。気をつけろよ」
「判っている」
二人はうなづき合うと派手な門をくぐり抜けた。
道の両脇には、間口の小さい店がビッシリと立ち並び、一種の商店街のようである。
かと思えば店舗ではなく屋台も混ざっており、道行く人に声をかけ、店の商品をアピールしている。
また日本でも見かけるファスト・フードの支店や、デパートに、なんと映画館まである。
扱う品物も土産物から生活用品、パーティーグッズから食料品に至るまで。整然としているようでゴチャゴチャとした乱雑な「ごった煮」感覚だ。
それらの店が約二〇〇メートル四方ほどにギュッと詰まっている。確かにショッピング・モールのようだ。
人を避けねば歩けない、というほどではないが、確かに人間は数多い。だが観光客が七割ほどだろうか。
道を行けばあちこちから聞こえてくる中国語の洪水。それに混じって時折英語や日本語もちらほらと。
うるさくも騒がしくもあるが、決して不快にはならない町の喧騒である。そしてそれは同時にここが平和だという証でもあった。
宗介はその喧騒の中で、ふと日本にいた頃<クラスメイト>達と町に出た時を思い出していた。
ふと横を見れば、後ろを振り返ればみんなが――そして何より「彼女」がいるのではないか、そんな風にも思えてくる。
だが実際にはいない。もういないのだ。未だに気になるとは未練がましいにもほどがある。宗介は無意識のうちに首を小刻みに振っていた。
「シアンリアン」
シーザーは暗い顔の宗介に押し殺した重い声をかける。
「古人曰く『過ぎたるは及ばざるがごとし』だ。ほどほどにしとけよ、バカヤロ」
それでもやっぱり変わらぬ彼の表情に、シーザーは再びため息をつき、歩き出した。
「シーザー」
黙っていた宗介がいきなり問いかけた。やや後ろから声をかけられる形になったシーザーは振り向こうとしたが、
「そのままで聞いてくれ。驚いたような声もなしだ」
宗介は歩を早め、彼の隣に並んだ。ボリュームを抑えたその声には妙な緊張感があった。
「一人、つけてくる奴がいる。追い返すか?」
それには素人のシーザーも息を飲み、小声で返す。
「つけてくる? 単に行く方向が一緒ってだけじゃねぇのか?」
「いや。フェリーの発着所で見た顔だ。そこから『お前の会社を経由して』ここまでずっと一緒というのは、いくら何でも怪しい」
思わず声を上げそうになるシーザーだが、彼とて元戦場カメラマン。宗介ほどではないにせよ、多少なら荒事にも慣れている。
「誰かは知らねぇが、つけられてるってのはいい気分じゃねぇな」
シーザーはそう言うと、手近の屋台をふらりと覗き込む。鉄板の上で焦げ目のついた丸い物を焼いており、美味しそうな匂いが一面に立ちこめている。
彼はその丸い物を指差して屋台の主人に話しかけた。おそらく「これをくれ」とか「いくらだ」といった事だろう。
屋台の主人は笑顔で何やら答えると、新しい丸い物を取り出して鉄板の上に乗せる。
いきなり何をするのだろうと思った宗介だが、仕方なく後ろでそのやりとりを見ている。もちろん、自分が見つけた「つけてくる奴」への警戒は緩めていない。
その男はこちらをチラリと見てわずかに立ち止まる。それからすぐそばの土産物屋の店頭であれこれ物色する振りをしていた。シーザーもちらりと横目で見ると、
「間違いねぇか?」
「ああ。確かにフェリーの発着所で見た奴だ。さっきからタクシーでつけていた」
「タクシー? 会社は……お前さんじゃ判らねぇか」
「シルバーオレンジの車体だ。TAXIの前に社名らしい漢字が二文字書かれてあった。最初の文字は判らないが最後の文字は『生』だった」
「『●生TAXI』ってか。そんな特徴の会社、一社しかねぇって」
英語での小声のやりとりが続く。その間屋台の主人は丸い物を焼き続け、つけてきた奴は物色をしつつこちらを警戒している。
「無力化は可能だが、どうする?」
「……容赦なくブチのめしてぇが、穏便にいこうや」
シーザーは三たびため息をつき、屋台の主人に中国語で何か話しかける。
主人は彼に丸い物が入った紙袋を渡すと、その隣にあった大きな鍋の蓋を開けた。
その中にあった白っぽい汁物を発泡スチロール製の丼に注ぎ、さらに白い粉をバサッと放り込んだ物をお金と引き換えにシーザーに手渡した。
片手に抱えた紙袋。もう片方には白っぽい汁物を入れた発泡スチロール製の丼。
そんな状態のシーザーは、宗介に「ついて来い」と言ってそのまま不用心に歩き出した。

<2につづく>


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