『求めるフォー・フェイス・カード 2』
シーザーは、宗介に「ついて来い」と言ってそのまま不用心に歩き出した。宗介は一応後ろを警戒しつつ彼に続く。
案の定、土産物屋で物色していた男は思い出したかのように同じ方向に歩いてくる。
やがて二人はすっと路地に入った。男は慌てて歩を早める。
しかし。曲がった途端、男の動きが止まった。そこには宗介とシーザーが堂々と立ちはだかっていたからだ。
宗介は男を路地に引っぱり込むと、左手で素早く男の口を塞ぐ。そのまま男を力任せにぐいと壁に押しつけると同時にみぞおちに拳を叩きつける。
一瞬の早業で男を気絶させる。宗介には雑作もない芸当だが、シーザーは「見事なモンだ」と感心している。男は薄汚い路地にあっさりと崩れ落ちた。
シーザーはぐったりしているその男をしげしげと眺めていた。
骨張っているがいかつい印象の顔。セーターにジーンズ。その上から革ジャンをはおったラフな格好。ただし服の質そのものは結構安っぽい。本当にどこにでもいるような男に見える。
「……ああ、間違いねぇ」
シーザーはセーターの襟をぐいと引っぱって広げると、手に持った丼の中身をそこへぶちまけた。彼は空になった丼を帽子のように男の頭に被せると、一瞬ギョッとした宗介の肩を叩き、
「ほら、シアンリアン。とっとと逃げるぞ」
少々呆気にとられたが、つけていた者を無力化した以上、ここを離れるのがいい事は判る。二人は猛スピードでその場を離れた。
豫園商場の中でもずいぶん奥まった地区まで来た時、ようやく二人は立ち止まった。
「あそこまでやる必要があるのか?」
少しも息を乱さずに、宗介はシーザーに訊ねた。彼は少し乱れた息のまま弾んだ声で、
「いいんだよ。ずいぶん前、あいつが俺に売りつけたやがったチケットが偽造品だった事があってな。それから個人的にお互いやり合ってんだよ」
シーザーはまるでいたずらっ子のような笑顔を浮かべると、
「たっぷり砂糖を追加した小豆湯(シャオドウタン)ぶっかけといたからな。目が覚めても服がベタベタして追いかけるどころじゃねぇって」
小豆湯というのは、上海風のおしるこである。元々砂糖が入っているので普通に食べてもかなり甘い。それにさらに砂糖を入れてもらったのである。
「中国人は義理堅ぇからな。受けた恩義はキッチリ返すが、仇の方は数倍にして叩き返すぜ」
「それは判るが、あまり巻き込まないでほしいのだが……」
言われたシーザーはケラケラ笑うと、紙袋の中の白い物を宗介に放った。
「そいつは煎餅(ジエンビン)っつって、日本風に言うなら……焼いた肉まんってトコかな。おごりだ。食えよ。焼き立てだから旨ぇぜ」
シーザーがそれにかぶりつくのを見て、宗介も煎餅にかぶりついた。焼き立てだけにかなり熱い。
彼は肉まんと言っていたが、中に入っていたのは肉と野菜のみじん切りを炒めた物だった。
日本のコンビニでチラリと見かけた肉まんと比べるとかなり小振りだが、中の具の味が濃く、さらに甘めの味つけのせいか結構腹の足しになりそうだ。
考えてみれば、フェリーで朝食を摂ったきり何も食べていない事に、今初めて気がついた。食べられる時に食べておく。彼の心遣いに感謝した。
「日本人は上海っつったら上海蟹を思い浮かべんだろうけど、アレは高いから勘弁してくれ」
宗介自身も空腹が満たせればいいので、特に食材や味に大したこだわりはない。
「ところで。さっきの奴とはその件以外にも因縁があるのか?」
偽造チケットを掴まされた、と言っていたから、宗介は思い切って訊ねてみた。
「戦場カメラマンだけじゃ食ってけねぇからな。ジャーナリストまがいの事をしてた時に色々、な。あいつはこの辺りを根城にしている、いわば黒社会の一員だよ」
黒社会とは、日本でいう犯罪組織の総括。マフィアやヤクザと同義の言葉だ。シーザーは煎餅をもう一つかじってもぐもぐと噛みながら続ける。
「あいつらは表向きこそいろんな業界で手広く商売してる。お前さんが見た『剛生TAXI』もその一つだ。けど裏じゃ結構法に触れる悪どい事やっててな」
宗介は煎餅を黙々と食べながら考えていた。
言葉が判り町の事情にも通じた彼がいれば心強い。しかしその構成員の一人を無力化してしまっている。
さっきのシーザーの言葉「受けた恩義はキッチリ返すが、仇の方は数倍にして叩き返す」が本当なら、こちらにも厄介事が振りかかり、かつ巻き込まれる可能性が高い。
可能性は低いだろうが、そうした揉め事を嗅ぎつけて<アマルガム>の連中が自分を殺しに来ないとも限らない。そうすれば自分はともかくシーザーがどうなるか判ったものではない。
時間が惜しい上にトラブルも御免被りたいこの時に、こんな彼と行動を共にして余計な時間を取られないだろうか、と。
「……また考え事か? 考え事なんてモンは、それしかする事がねぇ時にしてりゃいいんだよ。今は目的もある。行き先もある。なら考える必要はねぇだろ」
シーザーが暗い顔の宗介に向かってそう言った。
たとえどんな事をしても「彼女」を連れて帰る。立ち塞がる者はあらゆる手段で排除すればいい。
そうだ。自分自身でそう決めたのだから。今さら迷っても仕方ない。自分のやるべき事はただ一つ。
「済まない。時間も惜しい。急ごう」
幾分暗い表情だったものの、やるべき事を思い返して気合いが入ったようだ。
「よし。今度こそその店に案内すっから、さっさと着いて来な」
シーザーは空元気を出すように明るく言うと、ふらりと歩き出した。


いくら観光地化しているショッピング・モールもどきと言えども、それでも観光客がほとんど寄り付かない地域というものはある。
確かに大通りに比べればかなり薄汚いのは認めるが、別に治安が悪そうな地域とも思えなかった。単に観光客受けする店がないだけだろう。
シーザーが案内した店もそんな薄汚れた雰囲気の店だった。看板の文字は手書きの簡体字で宗介には判読不能だったが、シーザーが言うには「黒桃幺(ヘイタオヤオ)」と書いてあるそうだ。どうやら食堂らしい。
「この小吃(シャオチー:軽食)の店に『J』がいるらしいんだが……」
何気ない様子でふらりと店に入る二人。あまり流行っていない店なのか、客は数えるほどしかいなかった。
厨房が見渡せるカウンターにシーザーが座る。宗介もそれにならって隣に座った。
「さっそく聞いてみてくれないか」
間髪入れぬ宗介の言葉に、シーザーは中華鍋を振るう主人に中国語で何やら話しかけている。
主人は鍋を振るう手を止め、彼と宗介に中国語で何か言った後、ムスッとした顔でポケットから何やら取り出してシーザーに手渡した。彼はそれを自分のポケットにしまうと、
「『座ったんならまず何か注文しろ』とさ。何にする?」
壁に貼られたメニューを指差し、シーザーは苦笑した。
中国語の判らない宗介は彼と同じ物でいいと返し、彼が受け取った物を見せてもらった。
それはトランプほどの大きさのカードだった。裏面を見ると飾り枠の中に自転車の絵が描かれている。
「こいつぁ『バイシクル』ってぇアメリカのメーカーのトランプの絵だな」
と、シーザーが絵の説明をする。そしてトランプなら数字が書かれている部分は真っ白で、代わりに漢字のメッセージがあった。
“張大湖刀剪店 李大鳳”
シーザー曰く包丁などの刃物屋の名前だそうだ。その後は明らかに人名だろう。メッセージというよりは何かの暗号としか思えなかった。
やがて運ばれてきた炸醤麺(ジャージアンミエン)をすすりながら二人は考える。だがこれだけでは考える糸口すら思い浮かばなかった。
「とりあえず、ここに行ってみるか?」
「それしかなさそうだ。ここから近いのか?」
宗介の問いに、シーザーは少し考え込むと、
「こっからだいたい一キロばかり北に行った所だ。店は無名で小せぇけど、質はなかなかだ。昔ながらの名店にも引けはとらねぇ」
「詳しいな」
「当然だ。以前の俺の担当区域だぞ、べらぼうめぃ」
元宅配便ドライバーのシーザーの答えに宗介も納得した。


店を出た二人は手近の大通りに出てタクシーを捕まえる。ここ上海はタクシーが多く走っているので割とすぐ捕まえられる。
どこの国もタクシーがらみのトラブルは多いが、さすがに地元民のシーザーがいるからそれはないだろう。
その宗介の読み通りちょっと道路が混んでいた以外のトラブルは一切なく到着した。
ロードマップによれば、ここは南京東路(ナンチントンルー)。下を地下鉄が通る歩行者天国の大通りだ。
シーザーが言うには上海最大の繁華街との事だ。繁華街らしく道の両脇は隙間なく高いビルが建ち並び、上空は漢字だらけの看板で埋め尽くされている。
さすがに日もかなり傾き、気の早い照明やネオンがチラチラと付き出している。それだけでも結構綺麗に見えるから不思議だ。
そんな大通りは中国人はもちろん外国人観光客で溢れ返っている。ちょっと気を抜くと迷子になるかスリに出くわしそうなくらいだ。
そんな中にある仰々しい看板には「張大湖刀剪店」。確かに目的の店に間違いなかった。
「しっかしこの『李大鳳』だけど、怪しいったらねぇぜ」
「そうなのか?」
「バカでも思いつきそうなありがちな名前で、胡散臭いんだよ。けど行くしかねぇよなぁ」
ブツブツ呟くシーザーを先頭に店内に入る。この店は観光客相手もしているそうで、店内は雰囲気も照明も明るい。さっきの店と違って、掃除が隅々まで行き届いている。
刃物屋といってもその大半はやはり中華包丁だ。中にはハサミや爪切りまで置いてある。さすがに宗介に馴染みのあるサバイバル・ナイフや戦闘用ナイフはなかった。
シーザーはカウンターの店員に色々話しかけている。「李大鳳」なる人物の事を聞いているのだろう。
するとその店員はムスッとした顔でポケットから何やら取り出してシーザーに手渡した。
「終わったぞ」
そう言って離れた所にいた宗介の元に戻ったシーザーは受け取った物を改めてじっと見ると、
「何だこりゃ?」
首をかしげたままそれを宗介に渡した。
渡されたのは先ほどと同じ、一方が白いトランプだった。白い部分に英語と中国語の文章が書かれている。ひっくり返すと絵柄の方は同じだが色が違った。さっきのは黒で今度は赤だ。
書かれていた英文は、
“剣を背にした唯一の男は”
日本語にすればそんな意味になる。英語が判る二人には雑作もない。しかしその文章が持つ意味までは解読不能であった。まるで何かの暗号である。
「この中国語は?」
宗介が指差した中国語は、
“上海新旧工藝品商店”
「骨董品屋……だな。ここは皿とか器が多いけどな」
次はそこに行けというメッセージらしい。彼曰く、その店はここから南に六〇〇メートルという事だ。
「……ひょっとして、そこもお前の担当区域だったのか?」
「ああ」
こともなげにシーザーは答える。
情報屋という稼業は常に危険と隣り合わせだ。自分が売った情報で打撃を被った者が復讐に来ないとも限らないからだ。
だからその警戒心は並ではない。どこかでその情報屋(もしくはその手の者)が見張っている可能性が高い。
だが、そういった者の気配を感じない事に、宗介はこの「オリエンテーリング」を幾分怪んでいた。
ところが。次の場所へ向かおうとした矢先、店の奥が急に騒がしくなった。
二人が振り向くと、店の奥からマイクロ・ミニの赤いチャイナドレスを着た二〇歳前後の女性がこっちに向かって慌てて駆けて来るのが見えた。
ルックスはいいものの少々凹凸に乏しいのが惜しい気もする。丸くくり抜かれた胸元につい視線が動く。さらに見えそうで見えないマイクロ・ミニ丈が何ともじれったい。
緊迫した状況なのについそう考えてしまうシーザー。
さらに後ろからスーツ姿の男が数人出てくる。明らかに彼女を追っているようだ。
『どいて〜〜っ!!』
彼女は明らかに「日本語で」そう叫んだ。宗介は言葉を理解して。シーザーは雰囲気を察して道を空ける。
空けた所から扉を押し開け一気に外へ出た彼女の後を追うように二人も外へ飛び出す。その直後シーザーは、
「ほらよっ!」
扉を蹴って勢いよく閉める。そのおかげでちょうどタイミングよく閉まり切った扉に、後続の男達が次々と激突するはめになった。
「おら逃げるぞ!」
シーザーに追い立てられるように宗介も駆け出した。一方さっきの女性は人混みにまぎれ、ここからではもう見えない。あの分なら逃げ切れるだろう。
「さっきの連中は?」
「ああ。さっきの男と同じ組織の連中だよ。ちょっとした仕返しくれぇいいだろ」
シーザーは苦々しく言った後、急にニヤニヤとしだし、
「にしてもなかなかのモンだったなぁ。スラッとした生脚にあのルックス。アレでも〜少し凹凸がありゃあ……」
さっきの光景を思い出しているのだろう。スッキリした顔で快活に語る。それから得意そうに胸を張ると、
「そうじゃなくたって、あんなカワイイ子を助けねぇってのは、男が廃るってモンだ」
何気ない、ある意味「男らしい」シーザーの一言だったが、今の宗介には酷だった。
助けられなかったからこそ、今自分がこうしているのだから。
「彼女」は今、どこで、どうしているのだろうか。
生きている事は間違いない。「彼女」の命を奪う事が<アマルガム>の目的ではないからだ。
しかしそれ以外は判らない。
一年ほど前に<ミスリル>の任務で助けた、名も知らぬ少女の姿が脳裏をよぎる。
落ち窪んだ目。血色を失った青白い肌。腰がなくよれよれの髪。だらしなく開いたままの口。感情と表情を失った顔。痩せこけて骨張った手足。幻覚と妄想とに支配された思考。爪をかじり、皮を剥ぎ、肉をひっかくほど掻きむしる。何種類もの強力な薬物を打たれ変貌した成れの果て。
あの時の少女と失った「彼女」の姿が重なり、心の中に不安、焦り、戸惑いといった感情が沸き起こる。
心臓を鷲掴みにされたような、言いしれぬ何か。そういったどす黒い何かで満たされようとしていた。
「彼女」が壊される。喪われる。彼女が彼女でなくなる。それ以上……。
「……ン! シアンリアン!!」
シーザーの声で宗介は我に返った。両肩を強く捕まれ、激しく揺さぶられたのだ。かすかな痛みを感じつつ、急激に上海の雑踏の景色や音が戻ってくる。
いつの間にか自分の考えに没頭していたらしい。掌が痛いので見てみると、短く切っていた筈の爪で掌に血がにじんでいた。
シーザーは心底ホッとしたように安堵の顔を浮かべると、
「何やってんだよ、急に」
「済まない」
「済まねぇ、じゃねぇ!」
シーザーは宗介の頬にバチンと両手を叩きつける。そのまま勢いでぎゅうっと彼の顔を押し潰しながら、
「お前さんの目的は知らねぇし、知るつもりもねぇ。何か重大な用件なんだろって事ぐれぇしか判らねぇ。けどな……」
彼は宗介の頬を鷲掴みにしたまま、一字一句区切るように、
「人間って奴は、一度に一つの事しかできねぇようになってんだ。一人で全部背負い込むなぁともかく、一度に全部やろうとすんじゃねぇ、バカ野郎が!」
「だが、無駄に時間をかける訳には……」
「焦ると周りが見えなくなる。そうなると確実に死ぬ。あの時お前さんが俺に言ったろうが」
出会った頃。なかなかいい写真が撮れずに焦り、シャッターチャンスばかり考えて周囲に砲弾が飛び交う事を全く考えていなかったシーザーに、淡々と宗介はそう言ったのだ。
「さっきも言ったろ? お前さんがやるべき事は、考え込む事じゃねぇ。『J』とかいう情報屋に会う事だ。そのために俺もこうして休日返上してんだ。何なら、もう一回気合い入れ直してやろうか?」
ぐっと宗介を睨みつけたシーザーは、やがてばつが悪そうにスッと彼から両手を離すと、照れ臭そうにタバコに手を伸ばし、火をつける。
「まぁガラにもなく説教臭ぇ事言っちまったけどよ。どんな目的だって、達成されんのはいつだって最後なんだ。それに、目標に向かって一直線に行くのが最短距離とは限らねぇ。第一、経過を飛ばして結果が出る筈ねぇんだから、焦んなって」
吸い込んだ煙を細く長く吐き出すと、ぽつりと静かに言った。
「一人でやらなきゃならねぇのかもしれねぇけど、だからって、ホントに一人きりで戦ってどうするよ。それによ。隣に並んで一緒に銃ブッぱなすのだけが援軍って訳じゃねぇだろ?」
シーザーはくわえタバコのまま「決まった」とばかりにニヤッと笑ってみせる。
その言葉に、宗介は目の覚める思いがした。
確かに自分は一人きりになってしまった。
だが、こうして自分に協力してくれる者がいる。コネだってそうだ。そういう物だって立派な「有援」。本当の意味の「孤立無援」ではないのだ。
最悪の状況が立て続けにやって来たためか、そんな事も忘れていたとは。早く「彼女」を助け出したいあまり、本当に周りが見えず、空回りしていたようだ。
宗介は自分で自分が情けなくなった。こんな情けないままで「彼女」を助けられる訳がない。
自分は英雄でも勇者でも、ましてやどこぞの王子などではない。ただの人間だ。
だが、囚われの王女を助けるのは英雄や勇者や王子だけの専売特許ではない筈だ。
そんな者になる必要はない。自分はただの兵士なのだ。ならば「彼女」を助けるための、ただの兵士。いや、兵器であればいい。
宗介はシーザーの肩を叩くと、
「早く次の目的地を目指そう」
今度はシーザーが目を丸くする番だった。初めて会った時の年甲斐もなく冷淡な目。だが今は冷淡なだけでなく何が何でもやり遂げるという意志の光を感じる。シーザーはタバコを足元に落として火を消すと、
「了解。燃えてる男は嫌いじゃねぇぜ」
懐かしい物を見たかのように、嬉しそうにそう答えた。


“上海新旧工藝品商店”。
南京東路から河南中路(ホーナンチョンルー)という大通りを南下。そこから一本脇に入った狭い通り沿いにある、そっけない看板を見つけた頃には、太陽はかなり西に沈んでいた。
店頭には一抱えほどもある壷が置かれており、ショーウィンドウには絵皿や花瓶、木彫りの置き物や陶器の人形まで並んでいる。だがさっきシーザーが言った通り皿や器が多かった。
宗介には骨董品の趣味も選別眼もないが、描かれている模様や細工は見事な物だと思うくらいの眼は持っている。
「すぐ戻るから、ちっと待ってろ。中の通路が狭いから、二人で入んのはキツイんだ」
シーザーは開きっぱなしの入口からそろそろと店に入って行った。確かに乱雑に物が置かれた店内では、二人揃って行くのは無理そうだ。
シーザーが店内に消えるのと入れ違いに、そばの路地からゾロゾロと五、六人の男達が出てきた。見るからにマフィアかヤクザか暴力団かという風情の者ばかりである。
しかもその中に、フェリーの発着所で見かけたビジネスマン風の男がいたのだ。服装はラフな物になっているが、顔はハッキリと覚えていた。
宗介に気づいた様子もなく、男達は足早に路地を離れていく。シーザーがこの場にいたら何かちょっかいをかけていただろうと思い、彼は少し安堵した。
だが、その男達の塊の中央にいる人物の服に、明らかに返り血がついているのが見てとれた。周囲の男達の顔に、明らかに殴られた痕も。
こそこそと彼らが角を曲がった時、嫌な予感がした宗介は急いで路地に飛び込んだ。また太陽は沈み切っていないが、ここはもう夜のように真っ暗だった。
目をこらすと、そこにはゴミだらけの路地にカジュアル・スーツ姿の男がいた。しかも倒れている。彼は慌てて駆け寄った。
暗い上に顔にハンチングを被せられているのでよくは判らないが、体格やスーツのデザインから考えるとおそらくヨーロッパ系の人間だ。多分観光客だろう。
腕にいくつかの切り傷があり、うっすらと血がにじんでいる。
一番酷いのは左大腿部の刺し傷だ。出血の具合から見ると、傷が動脈にまで達しているかもしれなかった。
「……誰かいるのか?」
傷の痛みを堪える震えた声。その声は英語だった。だがその声で応急処置をしようとした宗介の動きが一瞬止まる。
男は何とか動く手で顔のハンチングをどかす。そして宗介の顔を見た。
間違いなかった。過去共に戦った事がある、傭兵仲間である。
「……セガール!?」
「やはりルヴァか!」
二人の驚きの声が重なる。
欧米での宗介の知り合いは、相良に響きが近い英語で「セガール」と呼ぶ者も多い。しかしルヴァと呼ばれた男はすぐくぐもった悲鳴を出して呻く。
「すぐ応急処置をする。静かにしていろ」
宗介はナップザックから医療キットを取り出し、テキパキと処置を始めようとする。
「そうはいくか。俺は行かなきゃならないんだよ」
宗介は立ち上がろうとするルヴァの身体を左手で押さえ込み、開いた右手で道具を取り出す。
「その傷では満足に動けんぞ。せめて終わるまで待て」
「こうしてる間にも、あの……」
そこで言葉が止まってしまった。だがまだ息はある。気を失ったのだろう。
人を殺すのが傭兵稼業の「因果な性分」としても、助けられる仲間を簡単に見殺しにする訳にはいかない。それが傭兵の不文律だ。宗介は処置を続ける事にした。
「……お、こんな所にいやがったか。一体何して……!?」
後ろからシーザーの声が聞こえる。店の前にいなかった事を不思議に思って探しに来たのだろう。だがすぐ異変に気づいたようだ。彼は応急処置の手を休めぬまま、
「シーザー。大至急衛生兵の手配を。戦友が刺された」
「衛生へ……あぁ、医者の事か。……こっから数分走れば個人病院が一軒ある。そこへ運ぶか?」
宗介は一も二もなくうなづいた。

<3につづく>


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