『大誤解のインブレイス 前編』
その日、相良宗介は昼休み半ばになってようやく登校してきた。
いつも銃を持ち歩き、口から出るのは戦場の話。常に緊張感をみなぎらせた、常識知らずで戦争ボケの帰国子女。陣代高校始まって以来の問題児。
この陣代高校での彼の評価はそんな所である。
しかし、戦争ボケの帰国子女とは仮の姿。その実体は多国籍構成の極秘対テロ組織<ミスリル>所属の凄腕軍曹である。
現在は諸事情があり、東京で千鳥かなめという少女の護衛の任務についている。
それでも緊急事態になれば何の前触れもなく召集される事もある。
昨夜も突然召集があり、急いで仲間の下に合流し、テロリスト達の鎮圧活動を済ませ、完徹状態で戻ってきたのである。
しかし、そんな事を「遅刻の理由」にできる訳がない。これは極秘任務なのだ。
そういった訳で、最近は「真面目だけれど良く無断で学校を休む生徒」という評価が一部教師の間で付加されてしまっていた。
「相良くん。今までドコ行ってたの?」
まんまる眼鏡におさげ髪。ちょっと年下っぽい印象のクラスメート・常盤恭子が、むっつりとした顔で席についた宗介に声をかけた。
「君に話す事ではない。それより、千鳥はどうした? 姿が見えないようだが」
そう言いながら、昼休みの教室内をきょろきょろと見回している。
「『それより』かぁ。やっぱりカナちゃんが心配なんだね、相良くん」
訳を話してくれない残念さより、彼女の心配をしているその雰囲気に感心したように微笑むと、
「カナちゃんなら多分生徒会室だよ。昼休みが始まって、ちょっと経ってから放送で呼ばれたから」
生徒会副会長でもある千鳥かなめは、昼休みでもたまにこうして生徒会室や職員室に呼び出される事がある。
男子には「短気だ」「がさつだ」「乱暴だ」というイメージがあるのだが、とりあえず、美少女の枠に入れて良い容貌。それでいてなかなか人望はあるし、活発で人当たりも良い。覚えめでたき優等生、という雰囲気ではないが、教師達の評価もなかなか好評な生徒である。
「そういえば、多自連の討論会が迫っていたな。その為だろう」
彼女が呼び出されそうな理由を思い出し、一人で納得する。
多自連とは「多摩地区高校自治連絡会」の略で、彼等の在学する陣代高校を始めとした西東京の高校約四〇校の生徒会が集まって構成されている。
それぞれの学校の代表が集まって会議や助け合い、はたまた親睦を深めようという名目上は立派なのだが、今一つコンセプトのはっきりしない組織だ。
その討論会が一週間後に迫っているので、その準備に追われる副会長たる彼女は何かと多望な筈だ。
宗介も一応は「安全保障問題担当・生徒会長補佐官」という訳のわからない役職についているが、実際の所はただの雑用係と大差ない。
そうしているうちに彼女・千鳥かなめが戻ってきた。購買で買ったらしいパンの入った袋とパックのジュースを持って教室に入ってくる。
「ゴメンゴメン。お待たせ、キョーコ。パン買い終わった途端に放送入っちゃってさ……あれ、ソースケ。ガッコ来てたの?」
恭子が話している相手を確認して一瞬驚くものの、少なくとも見た目はそっけなく応対する。
朝学校に来てみると、彼の姿がない、というのは結構良くあるのだ。
「彼女の護衛」という関係上、そうした召集がかかるとだいたいは彼女の元に連絡をする事になっている。
護衛する自分がいない間に遠出などしないように、という実務的で色気のない理由だ。
それでも、深夜・早朝の召集の時にはその連絡すらできない事もある。
そんな風に連絡する間もなく任務に行った時、そして、かなめとの何らかの約束をキャンセルして行った時は、不機嫌な応対の時がしばしばあるのだが、昨夜は特に約束はしていなかった為おとなしい物だ。
それでは護衛の意味などないではないか、と思ったものだが、「風呂でも寝る時でもいつも身につけていろ」と言われて発信機つきのネックレスを渡されてはいるし(それでも気休め程度だろう)、実は彼の上官に当たる人物から、彼以外に「影ながら自分を護衛をしている者がいる」と密かに聞かされてもいた。
それでも、彼がいなくなるとどことなく「もう帰って来ないんじゃないか」という不安感が残るし、こうして帰って来ていると「ああ。無事だったんだ」と何となく安堵感に満たされる。
見た目がそっけないのは、そんな微妙な心境になる理由がわかっているのか、それともわかりたくないのか。複雑なオトメゴコロというやつなのかどうなのか。自分でも良くわかっていないかもしれない。
ああ、と短く帰ってきた答えを無視して彼の席の前に来ると、腰に手を当てて彼を見下ろし、
「それにしても、あんた単位大丈夫なの? こないだも半日休んでたじゃない。その間にあんたの苦手な古文、かなり進んじゃってるし」
「それは確かにまずいが……休みたくて休んでいる訳ではない」
「まあ、そりゃそうだけど。でも、あっちの方そんなに……」
と、そこまで話して二人ともハッとなる。隣に恭子がいる事をすっかり忘れていたのだ。
(しまった! キョーコがいたんだっけ!!)
かなめが小さく舌打ちし、笑顔が凍りつく。
(必要以上に正体を知られるのは、任務に支障が出るやもしれん)
宗介が座ったまま銃を収めた腰のホルダーに手を伸ばす。
いきなり黙ったかなめと宗介の二人に一瞬緊張が走る。おずおずと二人は恭子の方を見る。
その二人の様子を見ていた恭子は、良くわからないが腕組みしたまましみじみとうなづいた。
「……なるほど。愛する二人だけの秘密ってヤツなんだねぇ」
確かに、宗介が実は凄腕の軍人である事を知っているのは、校内ではかなめ一人だけだ。
それを「二人の秘密」と言うのなら、一応間違いはないのだが。
「あ、あの。キョーコ。秘密はともかく『愛する』ってのは何よ!?」
「あれ? そうなんじゃないの?」
一瞬だけ泡食った表情のかなめを見てクスクスと笑う恭子。かなめはそんな彼女に、
「何度も言ってるけど、別にあたしとソースケはラブラブでも仲良しでも何でもないんだってば」
「そっかな? 仲は良いと思うけど」
「良くないわよ。……どしたの、ソースケ。急に考えこんじゃって」
かなめは、右手をホルダーに伸ばしたままの姿勢で、ややうつむき、首をかしげて考え事をしている(ように見える)宗介を見た。
とにかく、この話題が逸れれば何でも良い、と思って声をかけたのだが、
「『あいする』とは何だ、千鳥?」
「……は?」
それは叶わなかった。いきなりの問いかけにかなめの動きがぴたっと止まる。
「言葉から考えると『あい』という物をする事だと思うのだが、その『あい』とは何なのだ? 『愛情をする』という事なのか?」
戦場で育った彼の頭の中に「あい」という物は見当たらなかったらしい。たとえあっても辞書的な意味以上の事はわかってないだろう。
真剣な目で宗介に見つめられたかなめの頬がほんのり赤くなる。
(愛情をするって……。日本語が思いっきり変な気がしないでもないけど、そんなの……あたしにわかる訳ないじゃない)
かなめが自分の考えに没頭していると、何やら冷やかしそうな恭子の視線を感じ、ふと現実に帰る。
がしっ。
かなめはいきなり彼の頭をわしづかみにすると、そのまま彼の頭を机に叩きつける。
「忘れなさいっ! 何でも良いから忘れなさい! 今すぐ!!」
かなめは顔を真っ赤にしたまま、何度も何度も彼の頭を机に叩きつけていた。
「カナちゃん。そんなに照れなくったって……」
恭子がニコニコ微笑んで二人を見ている。
「そんなんじゃないわよっ!! お願いだから忘れて! 忘れてっ! 忘れてっ!!」
宗介は、なぜ自分がこんな目に遭っているのかわからなかったが、多分、自分の気づかない所で彼女を怒らせたのだろうと判断し、その責めを甘んじて受け続けていた。


机が壊れそうになったのでとりあえず止めた後、かなめは購買のパンとパックのジュースを持ったまま恭子の席の隣に座る。
宗介の方も机の中から良くわからない干し肉とトマト。それにパックのオレンジジュースを取り出した。
「相良くん。またそれなの?」
その光景を見た恭子がため息をついた。
彼の昼食は購買のコッペパンの時もあるが、だいたいはこれか、入手先の良くわからない軍隊用の携帯食料だからだ。
「ちゃんと栄養とか考えて食べないと、身体壊すんじゃない?」
「戦場では、早く食べられる事が重要なのだ。味など問題ではない。それに、栄養くらいは計算している」
そう答えた後、すらりとコンバットナイフを抜いてその妖しげな干し肉を切り、ナイフの先に刺してそのまま口に運ぶ。
「ふ〜ん。食べるんなら、おいしい方が良いと思うけど」
かなめの方はお気に入りのコロッケパンをガサガサと袋から出し、ぱくりとかぶりついている。
「そうだよ。この間テレビでやってたけど、『おいしい』って感じる方が身体に良いんだって。栄養の吸収率がすごく上がるとか言ってたよ」
恭子が口をモゴモゴとさせてそう説明する。
「ああ。それならあたしも見てた」
食べたパンをジュースで胃の中に流し込んだかなめが同意する。
「随分といろんな実験して、そういう結果が出たんだって」
そう言った恭子の言葉に、かなめはストローをくわえたままふんふんとうなづく。
「だからさ。カナちゃんが相良くんにゴハン作ってあげたら?」
唐突な恭子の提案に、かなめはジュースを吹き出しそうになった。
「な、何でそういう話になるのよ!?」
少しむせたらしく、涙を浮かべて咳き込みながらそう抗議する。
かなめは訳あって一人暮らしをしているので当然自炊しているし、その為か趣味でほいほいやってる程度にしては料理は上手い方だ。
「『おいしい料理ってこういうのだよ』ってのがわかれば、相良くんも少しは考え変わるんじゃないかな?」
恭子のそんな提案にかなめは手を振りながら、
「ダメダメ。変わんないわよ、ちっとも。何出したって文句言った事ないし、『食べられれば良い。味など重要ではない』ばっかりだもん、あいつ。作り甲斐がないったらないわ」
ふて腐れたようにも見える態度で脚を組み、ジュースをずるずるとすする。
「ふーん。それじゃあ何度か作ってあげた事あるんだ」
じーっと何かを期待しているような目で見られ、かなめは慌てて、
「た、たまたまよ。たまたま」
「たまたまでお料理作ってあげるんだ」
そのツッコミにかなめが無言になる。恭子は勝ち誇った顔になり「まあまあ」となだめる。
「でもさ。カナちゃんの料理って、ホントにおいしいもんね〜」
そう言いながら物欲しそうな目でかなめを見つめる恭子。その仕種に何となくピンと来たかなめが、
「もしかして、自分が食べたいから言ってるんじゃない?」
「あ。やっぱりバレた?」
ニコニコと笑う恭子の顔を見て「しょうがない」という気になったのか、
「じゃあ、今度の事もあるし、あたしが鍛えてあげるわよ。うちに来る?」
「何かあったのか?」
珍しく宗介の方から会話に入ってくる。二人が話している間に食べ終わったらしく、机の上はきちんと片づいている。
「あ。次の家庭科の実習で、魚をおろすのをやるのよ。それの練習でもやろっかなって」
「実戦に備えての訓練という訳だな。良い事だ」
「それ、何か違う」
「という事は、魚を調達する必要があるのか」
「そうだけど……どこかで安く売ってないかなぁ」
恭子が困った顔して考え込む。恭子は料理は「それなりに」できるが、魚をおろすのは、意外と技術がいる。今一つ上手くいく自信が持てない。多くの失敗作が出来上がるかもしれない。
どちらにせよ、魚が安く手に入るにこした事はないだろう。
そんな時、かなめがふと良い事を思いついた。
「そうだ。ソースケ。あんた、釣りが趣味よね? だったらあんたが川とか海で釣っちゃえばお金かからないじゃない」
そのアイデアを聞いた宗介がむっつりとした顔のまま、
「ふむ。確かに一つの案ではあるのだが……」
「釣れなかったらどうするの?」
もっともな不安材料を提示する恭子だが、かなめはその答えをきちんと予測していて、さらりと答える。
「その時はその時。ダメだった時に考えれば良いわよ。その時初めて買いに行ったって良い訳だし。ほら、海辺だったら、こっちで買うよりは安いんじゃないかな?」
……実に楽観的な答えである。
しかし、釣りという物は魚が釣れる事が楽しいのはもちろんだが、釣れるまでの過程が楽しいという人もいる。
もうすぐ連休だし、たまにはどこかに出かけるという案そのものは悪くはない。
それに、ここからなら電車に二時間も揺られれば釣りのできる海に出る事も容易だ。
そうと決まれば「釣れる」「釣れない」の話はどこへやら。かなめと恭子の二人は何か言っている宗介をそっちのけで打ち合わせに没頭し始めた。
そんな二人の肩を叩く者が、一人。
「……あの。授業、始めさせてくれないかしら?」
いつの間にか三人の脇に担任の神楽坂恵里教諭が立っていた。三人は笑いに包まれる教室の中、身を小さくするばかりだった。


一旦そうと決まると後は早かった。
かなめは学校の帰りに立ち寄った泉川駅前の本屋(といっても駅ビルの縮小版ような感じなのだが)で釣りの雑誌をパラパラとめくっている。
彼女はそつのない手際で「東京近郊で釣りのできる場所」「交通機関」「必要経費」等をテキパキと調べていく。
生徒会副会長という役職は伊達ではない。こうした行動力は目を見張る物があるし、実に要領が良い。
一緒にやろうと言ってはみたが、宗介と恭子は単なるアシスタントにもならなかった。
駅近くのマクドナルドに飛び込んだ時には、当日の概要はあらかた固まっていた。
「……見事な物だ。こうも速やかに決まるなど、歴戦の指揮官でも、易々とできる芸当ではない」
おおまかにとったメモを清書したレポート用紙を眺め、宗介が感嘆の声をあげる。
「……そ、そう?」
すました顔で短く答える彼女だが「歴戦の指揮官」より上という評価に多少気をよくする。
実は、それは「単なる例え以上に解釈したから」なのだが、そうでなくとも、褒められて嬉しくない訳がない。
「ま、あたしの手にかかれば、日帰り旅行の計画なんてこんなもんよ」
わざとらしく自慢げに胸をそらす彼女。そんな彼女に恭子が不安そうに声をかける。
「でも、良いの?」
「え? 何が?」
その不安そうな問いに首をかしげるかなめ。
テーブルに置いたレポート用紙を手に取り、念入りに目を通していく。
週末の三連休の一日目を利用して魚を釣り(「買い」になるかもしれないが)、次の日に魚をおろす練習をしようという事になっていた。
「……朝早いのは認めるけど、計画に穴はないと思うなぁ。何か問題ある?」
「ううん。計画じゃないの」
かなめの返答にふるふると首を振る恭子。その反応に首をかしげる彼女に恭子がこう言った。
「あたし……邪魔じゃないかなぁ」
「邪魔な訳ないじゃない。何でそんな事聞くのよ?」
「だって……。カナちゃん、相良くんと二人で行きたいでしょ?」
その答えにかなめはガクンと肩を落とす。その後、心底嫌そうな顔で、
「何でキョーコはすぐそう考えるかな? 何が悲しくて、こんな戦争バカと二人っきりで出かけなきゃならないのよ」
かなめはそう言いながら、自分の正面に座る宗介をビシッと指差す。
「でも、あんた。さっきから何やってるの?」
さっきからいろいろとメモ帳に何やら書き込んでいる宗介を見て、不思議そうに訊ねた。
「うむ。先日、新型の対人粘着地雷用の粘着剤を作る為の溶剤を手に入れてな。それを……」
「それは後にして。今は週末の連休に行く釣りの話」
かなめは有無を言わせぬ迫力で彼の言葉を打ち切り、じろりと睨みつける。そのすわった目の発する迫力に、宗介も仕方なくこくこくとうなづき、メモ帳をしまった。自分が仕切っている話と無関係な事をされるというのは、確かに気分の良い物ではない。
そんな二人のやり取りを見ていた恭子が、
「う〜ん。やっぱり二人の仲に割って入るのは、気が進まないなぁ」
そう言ってケラケラ笑う彼女の頬をかなめは軽く引っ張ってやる。
「か、かなひゃん。いはいよほ(カ、カナちゃん。痛いよぉ)」
「え〜い。こうしてやるこうしてやる」
と二人でふざけあってる所を見ていた宗介だが、ふいに自分の頬を引っ張りだした。
淡々とした表情で自分の頬を引っ張っている宗介を見て、かなめがポツリと声をかける。
「……何やってんの、ソースケ」
やや間があって、宗介が答える。
「いや。君達が楽しそうにしているので、こうするのは楽しい物なのかと思っただけだ」
そう答えを返した後、すっと両手を伸ばしてかなめの頬を引っ張る。彼女の手は恭子の頬を引っ張ったままであり、完全に不意を突かれた格好になる。
「ひょっと、あにふるのよ、ほーふへ(ちょっと、何するのよ、ソースケ)」
しばらく無言で彼女の頬を引っ張っていた宗介だが、唐突にパッと両手を離すと、
「別に楽しいという訳ではなさそうだな。だが、君達はこういった行為を楽しいと感じるのか……」
そう言って首をかしげながら、自分の頼んだコーラをずるずるとすする。
かなめはすぐさまトレイを持ち、縦にしてから一気に彼の頭めがけ振り下ろした。
どかん。
見事に彼の頭に命中し、店内に鈍い音が響いた。しばらく無言だった宗介だが、おもむろに口を開く。
「……理由を聞こうか」
「そのくらい自分で考えなさい! そんなだからいつまで経っても戦争バカなんて言われるのよ」
かなめはバン、と荒っぽくトレイをテーブルに置くと、そっぽを向いた。
宗介は、そんな彼女を見てクスクス笑う恭子とそっぽを向いたままのかなめを見比べる。
(……頬を引っ張られるのは楽しい事ではないという事なのか)
と的外れな事を考えていた。

<中編につづく>


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