『迷子のプチ・キャット 後編』
帰りの路上で宗介が尋ねてきた。
「あれはなんだ?」
「何が?」
「あの子が俺の頬に唇を当てただろう? 前にもされたことがあったが……」
「ああ、キスよ」
「見くびってもらってはこまる。キスというのが、口と口の接触を指すことは、すでに学習済みだ」
宗介が胸を張る。
「バカね。あれも、キスなの。『さよなら』とか『ありがとう』とか、いろいろな意味があるの。欧米だと挨拶代わりよ」
「……それは、ビンゴの賞品にもなるのか?」
宗介の言いたいのは以前あったパーティでのことだろう。
「なるわよ。キスしてもらえれば、あんただって嬉しいでしょ?」
「そうかもしれん」
思い出しながら宗介が答えた。
確かに、先程は拒絶しようとは思わなかった。
「可愛い子だったもんね」
「ふむ。肯定だ」
「ソースケでも可愛いなんて思うんだ?」
「無論だ」
「へー。それは意外。他にはどんな子を可愛いと思うの?」
「そうだな。例えば大佐殿や……」
「え……?」
「それと常盤も可愛いと言えるだろう」
「…………」
かなめが驚いている。女性に対して宗介がそういう評価をするとは、思わなかったのだ。『大佐殿』の意味するところが、『ムサいおっさん』で無いことは、彼女も理解している。納得のできる意見ではあるが、むっとなる。
「じゃあ、あたしは?」
「君は『可愛い』とは言えないだろう」
宗介が言い切った。
「なんですって?」
とたんにかなめの表情が険しくなる。
「どちらかといえば、君は『きれい』に分類されるだろう」
「あ、そ、そう……?」
「俺はそう思うが?」
「……それで、ソースケはどっちが好きなの?」
様子をうかがうように宗介を見る。
「別にどちらでもかまわん」
「は?」
「外観で人の価値が変わるわけではないだろう? 人の価値は何をなしたかで決まる。まあ可愛い方が敵を油断させることができるため、有利だとは言えるだろう。ボン太くんなどはその好例だな」
宗介には、外観から魅力を感じ取ることができないのだろう。どこまでも合理的に判断しようとしている。
ただ、だからこそ客観的に見ているとも感じられる。
「ソースケって、結構、いいお父さんになるかもね」
「どういう意味だ?」
「なんていうか、ちょっと厳しいかもしれないけど、頼りがいがあるし、優しいし、ね」
あくまでも資質としての話である。常識が足りないのは、この際無視する。
「考えたこともないな」
「そう? あたしはナナちゃんみたいな子供だったら欲しいかも」
「ふむ、子供が欲しいのなら手伝おうか?」
「え? な、何を言ってんのよ! バカ!」
「なんだそれは? 千鳥が欲しいと言ったから、協力を申し出ただけだろう?」
「協力って、何をするかわかってんの?」
「無論だ」
「……じゃあ、言ってみてよ」
「孤児院を回って、ナナに似た子を見つける」
「違う!」
すぱん!
かなめのハリセンが炸裂する。
「じゃあ、どうするというのだ?」
「……もう、いいわよ!」
「なにが、いいんだ?」
「うるさい!」
ずけずけと先を急ぐ。
「他の手段がどういうものか、見当もつかないが、孤児院なら明日からでも回れるだろう」
「あのね、あたしは今すぐ欲しいなんて言ってないわよ。もし、回ったとしても、高校生が子供を引き取れるわけないでしょ。社会人でなけりゃ、育てられないもの。早すぎるわ」
「年齢ではなく、本人の責任や能力の問題ではないのか?」
「本人が望んでも、世間が許さないのものなの。社会ってのは、そういうものよ」
宗介はまだ納得がいかないようだった。


お互いの家の前に来た。
道を挟んだ両側にふたりは住んでいる。
「じゃあ、明日学校でね」
「うむ」
すたすたと歩き去った宗介が、くるっと振り返ると、すたすたとかなめの方に戻ってきた。
「忘れていたことがあった」
「……なに?」
宗介が右手で、くいっとかなめの顎を上げた。
宗介の顔がかなめの右頬に寄せられる。
…………っ!
硬直していたかなめが我に返ると、すでに宗介は背中を見せて、すたすたと去っていくところだった。
我に返ったかなめが頬を紅潮させた。
かなめは数秒で追いつくと、その勢いを殺さずに彼の後頭部へハリセンを叩き込む。
すぱーんっ!
「痛いぞ。千鳥」
「いきなり、なにすんのよ!」
「さよならの挨拶だが……? まずかったのか?」
「思いっきり、まずいわよ! びっくりするじゃないの」
「では、事前に教えるようにしよう」
「いや、だから、日本じゃ、ああいう挨拶はしなくていいの」
「……そうなのか? では、二度としないように注意する」
「別にその、二度とするなとは言わないけど……」
「どっちなんだ?」
「だから、……うーん。やっぱり、しちゃダメよ」
「了解した」
「まあ、女の子からするのは大丈夫だろうけど、男の子がするのは嫌がられる可能性の方が高いもの」
「ふむ……」
宗介はかなめを見つめたままじっと立っている。
「どうしたのよ?」
「千鳥の方からキスをするのを待っているのだが?」
「なんで、あたしがっ……!」
声を張り上げようとしたかなめの言葉がふいに止まった。
ふと、あれが、思い出された。
こんな風に意地を張って、ごまかしたために失ってしまった大切な物。小さなためらいで、二度と取り戻せないものがあるという事実。
そうだ。これは、ただの挨拶なのだ。それぐらいなら、ソースケにしてもかまわないはずだ。そして、しなかったら、きっといつか後悔する事になる。この前のように……。
「いーい? 今回だけだからね」
「了解した」
「……じゃあ、もうちょっと、頭を下げて……」
「うむ」
どきどきと心臓が高鳴り、わずかに手が震えた。
あと数センチまで、顔が近づく。
そのまま、十数秒。
「千鳥、嫌なら無理にする必要はないぞ」
「いいのっ! 絶対するんだから、動かないで」
「了解した」
思い出したくもないあの時のあの場面が、かなめの頭に浮かんだ。……くそっ! こんな時に……。
(……ごめんね。ソースケ……)
その思いを振り切って──。
宗介の頬に、かなめは口づけした。


翌日。
昨日のアレはデートではないと、かなめは思っている。親友である常盤恭子が、遊園地をドタキャンして──かなめは、なんらかの意図があったとにらんでいるが──、チケットが余ってしまったのだ。迷子の面倒をみるために遊園地に入ったが、一度も彼を誘ってはいない……。最後にあんな事までするとは思わなかったが、デートでないのだけは確かなはずだ。
とはいえ、さすがに宗介とは顔をあわせづらかった。
どんなに平静を装っても、顔が赤くなりそうだ。キスの事は念を押して、秘密厳守を約束させている。これを守らないようなら、二度とあいつとは付き合うもんか!
しかし……。
昼休みの屋上で、恭子の様子がおかしかった。妙にかなめの様子をうかがい、目が合うと伏せるのだ。
「どうしたのよ?」
「ううん。なんでもない」
「なんでもなく、ないんでしょ?」
「えっと、相良くんのことで、いろいろお節介して、ごめんね」
「なによ、急に?」
「あたしが言うまでもなく、二人がそこまで進んでたなんて、思わなくて」
「ちょっと、なによ。進んでたって?」
「……相良くんから聞いたんだ。相良くんには、あたしが口止めしておいたから、もう誰にも言わないと思うけど」
「……あいつ、しゃべったの?」
「うん。教室で」
かなめの行動は早かった。
だたたたたたーっ!
屋上から教室まで駆け下りていく。
「ソースケっ! あんた、あれほどしゃべるなって言っておいたじゃないの!」
荒々しく扉を開け放って、かなめが怒鳴った。
室内が水を打ったように静かになったが、かなめはそれに気づいていない。
「何を言っている? 俺は機密保持を怠るようなことはしないぞ」
「だって、キョーコが……」
「常盤とは別な話をしていたのだ。まあ、それも口止めされはしたが……」
「話って、どんな?」
「昨日、迷子の相手をしていた話だが……」
「なんで、それを口止めされるのよ?」
「俺に言われてもな……」
「どんな、話をしてたわけ?」
「うむ。その子が可愛かったから、『千鳥がそんな子供を欲しがった』とか『手伝うと言って断られた』こと、『高校生には早すぎる』とか『世間が許さない』等だ……」
「妙なところだけチョイスするなっ!」
すぱーんっ!
「君に口止めされた件は話していないぞ」
「なお、タチが悪いわ!」
その言い合いを教室内でしているため、すべて筒抜けになった。
怒濤のどよめきが走り、蜂の巣をつついたような騒ぎになる。
「ちょっと、違うんだからね! 聞きなさいよ! あんたたち!」
必死で弁解を試みるが、かなめの声はむなしく騒ぎの中に飲み込まれてしまった。

<迷子のプチ・キャット 終わり>


あとがき

テレビ放映が長くなれば、出てきそうなプロットです。親戚の子供とか、捨て犬とか対象は変わるでしょうが……。
デュエットではない話として考えてみました。
あと、前編最後の伏線らしきものは、おまけにすぎません。
ついでに、付け足してみただけなんですが、それなりに話しが思いつきましたので、いずれ書きたいと思います。
単発で成り立っていると思いますので、気にしなくても結構です。

森平さん。有難うございますm(_ _)m。
デートのようでデートじゃない。いや、デートなのかな。そんな二人のちょっと不思議な1日。
宗介も、かなめの事を考えているんでしょうが、どうにもピントが微妙にズレまくり。その微妙さ加減が魅力と言っても……かなめには困ったものなのでしょう。
ただ、彼は首尾一貫していますからね。苦労するでしょうけど(既にしてるか)がんばれ、かなめちゃん。
――管理人より。


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