『迷子のプチ・キャット 前編』
一組の男女が歩いている。
しかし、はた目で見たところ、『ラブラブ』との印象を受ける人間はまずいないだろう。
髪の長い健康そうな少女が、むっつりとした少年を引き連れている。
少女はきりっとした意志の強そうな印象で、少年はぴしっと芯が通った軍人を思わせる姿勢だ。
カップルというよりも、印象としてはいいコンビといったところだ。
少女の名は千鳥かなめ、少年の名は相良宗介といった。
その日曜日、宗介はかなめに連れ出されていた。郊外まで足をのばしながら、いまだに宗介はその目的を聞かされていなかった。
ただ、宗介にはこの辺りに見覚えがあった。あれは、護衛任務と無関係に、かなめを尾行したときだ……。
宗介は、前を歩くかなめがなにか思い悩んでいるように思えて、声をかけようとして……、それに気づいた。
「千鳥は、子供がいるのか?」
「……は? なんなのよ。突然」
「千鳥には、子供がいるのか? と聞いたのだが」
「いるわけないでしょ。バカなこと言わないでよ」
「では、その子は?」
「へ……」
かなめの左側に、小さな少女が立って、かなめのスカートのすそを握っている。くりっとした目の可愛い少女だった。六歳程度だろうか?
「あの……どうしたの? あたしに何か用?」
「お姉ちゃん。あたしと遊んで。おじちゃんと遊んでも面白くないもん」
「その、突然そんなこと言われても……、あなたはどこから来たの?」
「あっち」
少女が指さしたのは、あまり流行っていない遊園地だった。
「え? 出てきちゃったの?」
「お姉ちゃんが見えたから、一緒に遊びたくて」
「やはり、千鳥の知り合いではないのか?」
「ううん。まったく知らない子」
「……あたし、ナナっていうの。数字の7で、ナナっていうの」
「ふーん。可愛い名前ね」
「お姉ちゃん、一緒に遊ぼ」
「あなたのおじさんは、まだ中にいるの?」
「うん」
「だめよ。勝手にいなくなったりしたら。おじさんも心配してるわよ」
そして、かなめは何かを考えると、
「……あたしもおじさんを捜してあげる」
少女の手を引いて、かなめが遊園地へ向かった。
「千鳥は何か用があって、ここまで来たのではないのか?」
「いいの」
すたすたと歩くかなめを、宗介が追いかける。
「ねえ、あなたはチケット持ってるの?」
「これ」
少女が持っていたのは当然、入園した半券である。
かなめは係員に事情を説明して、さらに自分たちの二枚のチケットを見せた。
中にはいると、宗介が尋ねた。
「今、チケットを購入しなかったようだが、そのチケットはどうしたのだ?」
「まあ、いいじゃない。偶然持ってたの」
「……そういうものなのか?」
宗介が首をひねった。


あちこち、少女に連れ回されたかなめだったが、少女の無邪気さが原因なのか、それなりに楽しそうに見える。
宗介を交えて三人で、観覧車に乗るなどして、終始ご機嫌のようだ。
「ところで、あたしの子供ってなによ?」
楽しむだけ楽しんで、思い出したように、かなめが尋ねた。
「なにか、問題が?」
「おおありよ。この年で子供がいるわけないでしょ」
「なぜだ?」
「だ、だから、このぐらいの子供がいるってことは、少なくても、その……」
かなめが口ごもった。
「しかし、戦時下ともなれば、大人から先に死んでいくからな。孤児を親代わりに育てる人間は多い」
「孤児って言われても、今時……」
「俺も似たようなものだぞ」
「え……」
それで、かなめも思い出す。自分の常識が、『今の日本』のものでしかないことに。今だって、世界のどこかでは、戦争や、飢餓に悩まされている人間は確実にいるのだ。
宗介は、むしろ、そのような場所で生活してきたのだ。だからこそ、今の日本では浮いた存在となっている。彼にとっては、戦場こそが日常なのだから。
彼が高校生をしているのも仮の姿に過ぎない。宗介の本当の姿は、属している組織の最精鋭部隊に籍をおく現役の傭兵なのだ。
「ごめんね。無神経なこと、言って……」
「別に気にしてはいない。親の記憶がなくても死ぬわけではないし。親がいたとしても、戦場で助けてくれるわけではないからな」
「ソースケ……」
宗介は親の記憶がないため、守られたり、愛されたりした記憶がないのだろう。だから、いないことによって、辛さや、悲しさを感じ取れないのだ。母親の死を悲しめる自分は、宗介に比べるとはるかに贅沢なのかも知れない……。


「ナナちゃん。ちょっと飲み物買ってくるから、お兄ちゃんとここで待ってて」
だが、売店に向かおうとしたかなめに、少女がついてきた。
「あれ? お兄ちゃんと待っててくれる?」
ぷるぷるとナナが首を振った。
「お兄ちゃん。怖いんだもん」
声を小さくして、少女が答えた。
「別に怖くなんてないわよ。むっつりしてるけど、怒ってるわけじゃないんだから」
「その通りだ。別に痛いことなんかしないぞ」
「怪しげな言い方するんじゃない」
「……どういう意味だ?」
「あんたの言い方だと、痛いことしそうに聞こえるのよ」
「むう……」
「ね、ナナちゃん。大丈夫よ」
しかし、少女はこう言ったのだ。
「だって、お兄ちゃんは『人殺し』なんでしょ?」
その言葉に二人は凍りついた。
「ちょっと、なんてこと言うのよっ!」
いきなり怒鳴られて、びくっとナナが身体を震わせた。
「だって……そう思ったんだもん。ぐすっ……、あ〜ん」
ナナが泣き出してしまう。
「あ、ちょっと、……」
あわててかなめが、少女の背中をなだめるようになでてやる。
ちらっと、宗介に目を向けるが、彼は一見いつもと変わらない無表情だった。……しかし、今の彼の顔をかなめは一度だけ見た記憶があった。初めて彼と出会った頃、かなめ自身が少女と同じような態度を示して、彼を傷つけたのだ。
かなめはすぐに、目を伏せた。宗介の顔を見ていられなかったのだ。


かなめとナナが入ったミラーハウスの前で、宗介は待っていた。
ナナに言われるまでもなく、宗介は以前にもその言葉で呼ばれたことがあった。しかし、なぜ、今はこんなに苦しく感じるのだろう。そう感じられるように心が成長したことも原因のひとつだが、彼自身はそれに気づいていなかった。
日本での生活で自分は変わったと思っていたが、少女の目にはそのようにしか見えないのだろうか? やはり、どんなにクラスメートと生活しても、彼らと同じにはなれないのかもしれない。自分はこの先、いつまでも『人殺し』に過ぎないだろうか……?
「…………?」
思いにふけって、気づかないうちに、ナナが宗介の正面に立っていた。
二メートルほど離れて、宗介の様子をうかがっている。
「ひとりなのか? 千鳥……お姉ちゃんはどうした?」
「なかで、迷子になっている」
ナナが心細そうにして、宗介の顔をじっと見つめる。
「……お姉ちゃんが心配か?」
「うん」
「…………」
少女は自分を嫌っている。
しかし、彼女が頼れるのも自分しかいない。
宗介は困惑した視線をさまよわせて、それを見つけた。
物陰でお茶を飲んでいるランニング姿の老人だった。見覚えがあるその老人のかたわらには、もこもことしたものが転がっていた。
宗介が思わず『ぽん』と手を叩いた。


「ふもっふ(待たせたな)」
近付いてきたボン太くんにナナがきょとんとしている。
犬ともねずみともつかない奇妙なぬいぐるみだった。帽子と蝶ネクタイが愛らしい。
この遊園地のマスコットキャラクターだった。
以前にも宗介は、この遊園地で、このぬいぐるみを、勝手に使用した前科がある。そのときのぬいぐるみは不可抗力ながら持ち帰ってしまい、今も宗介の部屋にしまわれている。
ボン太くんが目の前まで来ても、少女は嫌がらない。中身が宗介だとは気づいてはいまい。
少女は逃げようともしないで、ボン太くんに抱きかかえられた。
「わしの大切なボン太くんを勝手に着て──」
老人の声が背後から聞こえてきた。
後方からざわざわとした騒ぎが近付いてくると、ボン太くんは後ろを振り返りながら、逃げるようにミラーハウスへと潜り込んだ。
中は小さな六角形の部屋に仕切られ、全面鏡張りの迷路になっていて、一度はぐれると合流が難しい。
無理矢理進入したが、いつ鏡を割ってもおかしくないほど、狭苦しかった。
「ふもっふも、ふもる(どっちへ言ったか、わかるか?)」
「えっとね、あっち」
「ふもるふもふも(覚えているのか?)」
「ううん。そんな気がするの」
「ふも(そうか)」
……会話は通じているようだ。侮れない子供である。
視界は開けているように見えるが、全て鏡で反射した光景である。方向がわかりづらい。
それでも少女は進むべき方向を指さしていく。
何度かボン太くんは鏡にぶつかりながらも、やっと本物のかなめの元へ辿り着く。
「ナナちゃん、よかった。心配してた……って。なんでボン太くんなのよ?」
「ふもるふも、ふもっふも(仕方がない。方法がなかった)」
「わかんないってば」
ぼこん!
かなめがボン太くんの頭を軽く叩いた。
宗介が頭を取って、かなめに話しかける。
「千鳥、方向感覚が鈍いようでは、撤退時に後背を任せられんぞ」
「あたしは、ナナちゃんが迷子になったから、中で探してたの!」
「違うよ。お姉ちゃんが迷子になったの」
少女が首を振る。
「うむ。君の方が早く脱出できたのだから、その通りだろう」
「ナナちゃんまで……」
そこで気がついた。
「……ナナちゃん、お兄ちゃんと一緒で……その、平気なの?」
「うん」
ボン太くんの腕で横抱きにされたまま、きゅっと宗介の首に手を回して抱きついた。
突然の変わりように、かなめが驚いている。


ナナは逆に宗介になついてしまった。
すでに、ボン太くんのぬいぐるみは元の場所に戻して、逃げてきた。
しかし、宗介本人と手をつないで、ナナは嬉しそうにはしゃいでいた。
彼女は左手で宗介の右手を握り、右手にはボン太くんの小さなぬいぐるみを抱いている。少女にねだられて、宗介が買ってやった物だ。
今は二人でカートに乗り込んでいる。
かなめはそれを見ているだけなのだが、嬉しそうな笑顔を浮かべていた。
かなめが見たところ、宗介自身はあんまり楽しそうには見えないが、嫌がっているようにも見えない。
愛想笑いもしない宗介だったが、だからこそ、少女は信頼しているようだった。子供だからといい顔しないところが、逆に信用できると感じたのかも知れない。
宗介は基本的に優しいし、一生懸命だ。外見が無愛想だからわかりづらいだけなのだ。宗介がボン太くんの格好をしたとき、すごく可愛く見えるのは、宗介の本当の姿が強調されるからではないだろうか? ただ、……戦いとなったら、そのボン太くんは鬼神のごとき凄まじい強さも発揮するわけだが……。
結果的に、宗介は一番いい方法を選んだのかも知れない。ボン太くんのぬいぐるみを着たこと自体、ナナを気づかってしたことなのだ。
(でも、よかった。あの子が宗介を誤解したままだったら、お互いに可哀想だわ。……本当によかった)
そうやって遊んでいるところを、例のおじさんの方で見つけたようだ。
ナナに手を振っているのを見つけたのか、その男がかなめに話しかけてきた。
「君たち、……あの子は?」
「その、急にあたし達に、遊んでくれって言ってきたんです。あの子のおじさんですか?」
「ああ。見つかってよかった。探していたんだ」
エリートサラリーマン風で、金縁の眼鏡をかけている。あまり子供の面倒をみるようには思えなかった。それで少女が遊びたがらなかったのだろうと、かなめは思った。
「すみません。ナナちゃんも喜んでるみたいだから、あたしたちも、おじさんを探すのを後回しにしてたところがありますし……。あんまり、怒らないであげてください」
「まあ、今日の所は許してやるか……」
男が苦笑した。


「……おじさん」
「急にいなくなったから、心配したぞ」
「ごめんなさい」
「ほら、二人に挨拶しなさい。もう、帰るからね」
「でも……」
「おしおきするよ」
そういわれて、少女はしゅんとなった。
「お姉ちゃん。遊んでくれてありがとう」
「ううん。いいのよ」
「お兄ちゃん。……さっきは、あんな事言ってごめんなさい」
ナナがうつむいてしまう。
宗介は片膝をついて、少女の顔の前まで、目線を下げた。
「怒ってなんかいない。気にするな」
「……うん。お兄ちゃんもありがとう」
そう言った少女が、宗介の左の頬にそっと口づけた。
「……ん?」
きょとんとなった宗介を残して、ふたりが背中を向けた。
「バイバイ。お兄ちゃん」
おじさんに手を引かれながら、ナナはもう一度振り向いた。
胸にボン太くんのぬいぐるみを抱きしめている。
「かなめお姉ちゃんも、バイバイ」
宗介とかなめは少女の話をしながら、手を振って見送った。
去っていく少女が小さくなったとき、宗介が口を開いた。
「千鳥。あの男はプロだぞ」
「どうして?」
「身のこなしでわかる。たぶん、あの子は間近にあの男を見ていたため、俺を同類だと判断したんだろう。彼女が『人殺し』だと思っているのは、おそらくあの男だ」
「……あたしも、ひとつ気づいたんだ。あたし、あの子に一度も名乗ってないのに、最後に『かなめお姉ちゃん』って呼んだわ。宗介は、あたしを千鳥としか呼んでないのに……」
これが、ナナ──〈ナンバー7〉の少女と、二人との出会いだった。再び遭遇したとき、宗介は彼女が『特殊な存在』であることを思い知るのだった。

<後編に続く>


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