『寂しがり屋のストレイ・ドッグ 後編』
それから、三人は近くの動物病院に急いでやってきた。
今、ソースケは緊急手術中だ。部屋の前では、手術中の赤いランプが点灯している。先生の話では、助かる確率は五分五分らしい。
「……あたしの所為だよ」
恭子は涙で顔をクシャクシャにしている。元々、責任感の強い娘だ。おそらく、自分のことを責めているのだろう。
「キョーコの所為じゃないわよ」
膝の上に置いた恭子の手を握ると、震えているのがよくわかる。
「ううん、あたしがあの時、ソースケを放したから……」
恭子の手を握るかなめの手に、恭子の涙がポトポト落ちてくる。
「……キョーコ」
恭子の頭を抱えると、優しく撫でてあげる。
「カナちゃん、カナちゃん……」
恭子はガタガタと震えていた。痛々しい恭子の姿に、言葉をかける事ができなかった。
その時、廊下の向こうから、ヒールが激しく床を叩く音が聞こてきた。
「はあ、はあ、はあ、千鳥さん。さ、相良……くんが、車に跳ねられて……緊急手術中って本当なの?」
かなり息が乱れている。おそらく、相当急いで来たのだろう。汗びっしょりである。
「恵里先生……」
沈痛な面持ちで呟く。
隣りでは、制服の胸元を血で濡らした恭子の姿がある。放心状態でかなめに寄り掛かっている。
「ま、まさか……容態はどうなの、助かるの?」
「五分五分だそうです」
「……そんな」
かなめの答えに顔を青くする恵里先生。
「残念ながら、自分達には祈る事しか出来ません」
「さ、相良く……ん!?」
恵里先生は、幽霊でも見るような顔で宗介の顔を見ていた。
かなめから事情の説明を受けてようやく納得する。どうやら、ここが動物病院だということも気がついていなかったらしい。
「そう。そうだったの……あたしは、てっきり相良くんが車に轢かれたのかと」
「ソースケ、あんたはどう学校に連絡したのよ。たくっ!!」
その言葉にビクッと体を震わせる恭子。青い顔をして、一言も喋ろうとしない。
その時、赤いランプが消えた。そして、包帯に包まれたソースケが運ばれてくる。
「先生、どうなんですか?」
「手術は、成功しました」
その声にホッとする。
「ただ、小犬の体力が持つかどうか……今夜が峠だと思って下さい……」
そう言うと、ソースケを病室に連れていった。
四人は、その姿を黙って見送るしかなかった。
「全員、酷い濡れ鼠ね。このままじゃ、風邪引くわよ。一旦、お家に帰って着替えてらっしゃい」
特に、恭子は頭から足元までびっしょりだ。病院の椅子のシートがびっしょりと濡れている。しかも、胸元は血で真っ赤だ。
「……あたし、ソースケについてます」
「キョーコ……」
「常盤。自分達に出来る事はない」
「だって、あたしの所為なんだよ。あたしが、あの時手を放さなかったら……ソースケは……」
ポロポロと大粒の涙を流す。見ていて痛々しい。
このままだと、この場所を動きそうにない。
「恵里先生どうします?」
「千鳥さん、先生と常盤さんの二人にしてくれない」
「……はい、いいですけど」
かなめと宗介は、恵里先生に任せることにした。
「ふむ。先生は、どうする気なのだろうか。正直、自分には対処法が見当もつかない」
「あたしもよ。でも大丈夫よ、多分ね」
二人は、物陰からそっと恭子と恵里先生の様子を窺うことにした。


恵里先生が恭子の横にソッと腰を下ろす。
「常盤さん。先生もね、昔犬を飼っていたことがあるのよ……」
その言葉に、恭子の体がピクッと反応した。
「でもね、その子、ポチって言うんだけど先生の所為で死んじゃったの。先生が少し目を離した隙に、道路に飛び出して車に跳ねられたの……」
恵里先生は、少し遠い目をする。
「ショックだったわ。何日も学校休んだし、自分のことを責めたわ。何で、あの時紐を放したんだろうって。だから、もう二度と犬は飼わないって決めたわ」
(そんなことが、あったんだ……)
恵里先生が何度か見せた寂しそうな表情。それには、こんな理由があったのか……。
「でもね、先生わかっちゃったの。あなた達を見ていて……。失うことを恐れてたら、何も愛せないって……。別れを恐れてたら、出会いの喜びは得られないって……」
「でも……でも……ソースケは……あたしの所為で……」
恵里先生は被りを振った。
「先生は、ポチから沢山の物を貰ったわ。笑顔に喜び、愛する事……そして、悲しみも。でも、それは後悔なんかじゃないわ。人として、一番大事な物を――それを、ポチから貰ったわ」
恵里先生は一言一言、自分に言い聞かせるように話す。多分、過去の自分と向き合っているのだろう。
「それに、逆に先生もポチに色んな物をあげられたと思うの……常盤さんは、どうなの?」
「あたし……あたし……」
恭子はソースケの姿を思い出していた。
美味しそうにミルクを舐めている姿。元気に中庭を駆け回っている姿。いずれも、嬉しそうな笑顔を浮かべている。そして、その隣りでは自分も幸せそうな顔をしていた。
「……あたしもソースケから、色んな物いっぱい貰いました……」
「そう、良かったわ」
「あたし、ソースケが大好きです。今までも、これからも……ずっと」
大粒の涙が溢れる。
「だいじょ〜ぶよ。常盤さんがこんなに心配してるんですから、元気になるわよ」
「先生!! 先生!!」
恭子は恵里先生の胸元に顔を押し付けて泣いていた。そんな恭子の頭を恵里先生は優しく撫でていた。
「うむ。見事だ」
「グスッ、そ〜ね。恵里先生って、いい先生よね」
かなめは貰い泣きしていた。
自分には、あんな慰め方なんて出来ない。年の功というか、人生の経験の違いというか。やっぱり、恵里先生には先生としての素質があるんだろう。良い先生に出会えて本当に良かった。


恵里先生の説得もあって、恭子とかなめは一旦家に帰ることにした。恭子の家に電話すると、直ぐにお兄さんが車で迎えに来てくれた。ついでに、かなめも一緒に送ってもらった。
「相良くんは、帰らなくていいんですか?」
「はっ、自分はここで待機しております」
「風邪ひきますよ?」
「いえ、自分はそんな柔な鍛え方はしておりませんので、御心配なく」
宗介は濡れた学生服を脱ぎ、Tシャツ一枚になっていた。細いわりには、逞しい体が顕になる。その姿に、ちょっと頬を赤くする先生だった。
「じゃあ、コーヒーでもどう。先生がおごるわよ」
「はっ、ありがたく頂戴します」
それから、二時間ほどして、二人が戻ってきた。お風呂にも入ったようで、すっかり綺麗になっていた。手には、コンビニの袋。中には、お弁当が入っていた。
「先生、どうですか?」
「ええ、変わりはないわ」
ということは、予断を許さない状況なのだろう。ガラスの向こうでは、ソースケが苦しそうな表情を浮かべてる。
「ソースケ、あんたは、帰んないの?」
「当然だ。最前線を離れるわけにはいかない。二、三日の徹夜も辞さない覚悟だ」
「はあ、そうですか……」
やっぱり、何を考えているのかよくわからない。
「さっきは、ありがとうございます。先生」
恭子が頭を下げた。
「いいのよ、常盤さん。わたしだって、あの子のこと心配なんだから。それに、可愛い生徒のことはもっと心配なのよ」
恵里先生の優しい瞳が恭子の方を見ていた。
恭子は、先生の話で幾分元気を取り戻していた。でも、車の中でもほとんど喋らなかった。
「先生は、もう帰ってもいいですよ。後は、あたし達がついてますから」
「何言ってるんですか、ここまで来たら先生だって付き合います」
それから、四人は朝まで病院の待合室でソースケの容態を見守っていた。途中、病院の人が気を利かせて毛布を持ってきてくれた。初夏とはいえ、夜はそれなりに冷えるからだ。


いつの間にか、朝が来ていた。
かなめ、宗介、恵里先生はソファーの上で毛布に包まりながら身を寄せ合って眠っていた。
恭子は肩に毛布を羽織り、ガラスの前に一晩中ずっと立っていた。
「ソースケ、ソースケ!!」
三人は恭子の声で目を覚ました。
「キョーコ、どうしたの?」
「常盤。テロリストか?」
「常盤さん?」
一人間違えてる……。
振り返った恭子の目には涙がいっぱい溜まっていた。
「ソースケが……ソースケが目を開けたよぉ!!」
三人がガラスに駆け寄ると、確かにソースケは目を開けていた。そして、キャンキャンと元気に吠えている。どうやら、先生の話では、峠は越えたそうだ。後は、ゆっくりと体力の回復を待つだけだそうだ。その言葉に、全員喜びの声を上げた。
「よかったね、キョーコ」
「ありがとう、カナちゃん、相良くん、恵里先生。ありがとう、ありがとう」
ようやく恭子に笑顔が戻ってきた。
それから、一週間ソースケは入院していた。その間も四人は毎日、様子を見に行っていた。だが、問題も発生した。手術費用と入院費をどうするかということだ。だが、それも恵里先生がポーンと自腹で払ってくれた。
「いいのよ。先生もポチのこと思い出したから……」
と言ってくれた。
恭子は半分出すと言ってたけど、結局は恵里先生に押し切られる形になった。
「ほらっ、ソースケ。こっちだよ」
今、中庭ではソースケと恭子がおいかけっこして遊んでいる。
一週間前の事故が嘘のように元気だ。もしかしたら、名前どおりタフなのかもしれない。
「んっ、どうした。千鳥?」
「なんでもないわよ」
「そうか、ならいい」
そう言うと、恭子とソースケに視線を戻した。
「やっぱり、ここにいたのね」
恵里先生が駆け足でやってくる。その顔は、何だか嬉しそうだ。
「あっ、先生」
「Sir、何か御用でしょうか」
「どうしたんです?」
三人は、先生の前にやってくる。
「今日は、三人に良い報せがあります」
「何ですか?」
「本当の飼い主が見つかりました。どうやら、この子迷子だったみたいね。林水くんにインターネットで飼い主を探して貰ってたんだけど、そこに本当の飼い主の方から連絡がきたみたい」
『えっ!!』
その言葉に、複雑な表情を浮かべる恭子。
「大丈夫よ、常盤さん。その人の家、ここからあまり遠くないから」


そして、別れの日がやってきた。
飼い主の方が、引き取りにやってきた。恵里先生が、これまでのことを説明してくれた。もちろん、事故に遭ったこともだ。でも、その飼い主の方は、怒らなかった。むしろ、三人に感謝してくれた。
ソースケは、飼い主の顔を見ると真っ直ぐに胸の中に飛び込んでいった。
「じゃあね、ソースケ……」
恭子が頭を撫でる。
すると、ソースケがクゥ〜ン、クゥ〜ンと寂しそうな泣き声をあげる。
「なんだか、連れて帰るのが悪いみたい。この子がこんなになつくなんて珍しいから……」
「いいんです、ソースケだって本当の飼い主の元に戻れて嬉しいはずです」
恭子は何かをグッと堪えているようだった。
「では、これで。いつでも、この子に会いに来て下さいね」
丁寧にお辞儀をすると帰っていった。
「キョーコ。もしかして、泣いてる?」
「ううん。いつだって、ソースケには会えるもん」
だが、その瞳には涙がいっぱい浮かんでいた。
「そうね、今度また会いに行きましょう」
それからも、三人はたまにもう一人のソースケに会いに行くのでした。

<寂しがり屋のストレイ・ドッグ 終わり>


あとがきという名のおまけ

【登場人物座談会特別編:犬注意報】

「は〜い。今回は、中庭から小犬のソースケと一緒にお送りします」
「カナちゃん。あたし、ソースケと遊んでるから」
「はいはい、遊んでらっしゃい。キョーコさん」
「行くよ。ほらっ、ソースケ。ゴー」
元気良く駆けていく二人。
「じゃあ、人間のソースケとお送りします。まずは、この【寂しがり屋のストレイ・ドッグ】をお読み下さりありがとうございます」
「千鳥。何か刺のある言い方だな」
ジロッと睨む宗介。
「気にしないの。しかし、今回はまたネタが変ってるわねぇ〜。恭子を泣かすしさぁ」
「そうだな。作者の考えることは、よくわからん」
「……あたしは、あんたの考えていることもわかんないんだけど……」
今度は、かなめが宗介の方をジロッと睨む。
『すまんな。千鳥くん』
「むっ、貴様は何者だ。千鳥、射殺していいか?」
いきなり愛用の拳銃グロック19を突き付ける。
「……作者よ。一応ね」
「そうなのか。自分の知る限り、文筆家というのはもっと聡明そうな人間なのだが?」
『酷い言われようだな』
「でも、今回は何でこんなネタなんです?」
それが一番聞きたいことだ。
『相良くん、ベトナムの軍用犬の話は知ってるかね?』
「無論だ」
「何よ、それ?」
勝手に二人だけで納得している。どうやら、またマニアックな会話のようだ。
『それが、この話を書くきっかけだな。後の説明は、相良くんに頼むよ。では、さらばだ』
さっさと消える作者だ。何しに来たのだろう?
「では、自分が説明しよう。千鳥。君は、知っているか。訓練された犬には、人は決して適わないことを……」
「何よ、それ?」
いきなりウンチクを語り出す宗介。とりあえず、黙って聞いておこう。
「ベトナム戦争時代、暗視スコープが開発されていないころの話だ。アメリカ軍が夜目の効く犬を戦闘犬として訓練して、実戦投入を試みた。実験は、成功。戦闘犬の部隊は、暗闇でもベトナムのゲリラの喉笛を正確に噛み千切ったそうだ。その戦果は凄まじいものだったらしい。だが、この戦闘犬が本格的に実戦に投入されることはなかった」
「何で?」
「戦争が終わったからだ……。そして、その事実は歴史から抹消された」
「じゃあ、何。あんたは、ソースケを戦闘犬にでもするつもりなの?」
「うむ、その通りだ。訓練次第では、優秀な戦闘犬になるかもしれん」
「あんたも、その事実は忘れなさい!!」
「見ろ、千鳥。こんな小さな犬でも、戦う為の牙を持っている」
見ると、いつの間にかソースケが宗介の頭にかじりついている。頭からタラッと血が流れている。
「こっ、こらソースケ、止めなさい」
恭子が慌てて止めに入る。
「それに引き替え、人間は……突き立てる牙を捨て、武器を手にした」
「わぁお、相良くん。今回は、哲学的だね」
人間の宗介の言葉に目を丸くする。
「じゃあ、ソースケは、牙と一緒に常識も抜け落ちたんじゃない?」
「なに、それはどういう意味だ?」
宗介が不満そうな目をする。
「そのまんまよ。ちょっとは、自分で考えなさい!!」
そのままうんうんと唸る。
「相良くん、大丈夫。血が出てるけど?」
恭子が心配そうな顔をする。
「ふむ、心配するな。この程度、唾でもつけておけば治る」
「……そう。あっ、でも、この子狂犬病の予防接種受けてないけど……」
「……おそらく、大丈夫だろう」
恭子の言葉に、少し不安な表情を浮かべる宗介であった。
「あらっ、みんな、ここいたの?」
「先生」
ピンクのスーツに身を包んだ恵里先生が立っていた。
「先生は、今回大活躍だったじゃないですか。見直しましたよ」
「うむ。たしかに、素晴らしい御活躍。目から鱗が落ちる思いでした」
「そお、ありがとう。でも、困ったことがあってね……」
「何ですか?」
「ええっ、今更言うのもなんだけど……お金がないのよ。今月は……節約しないと」
「じゃあ、お金貸しましょうか?」
かなめは財布の口を開く。
一人暮らしなので、それなりのお金はいつも持ち歩いている。
「でも、生徒にお金を借りるなんて……先生失格だわ……いえ、人間失格だわ……グスッ」
思い込みの激しい人だ。何も、これくらいのことで、そこまで思わなくても。
「いいじゃ、ないですか。それくらい」
「そお。じゃあ、壱万円くらいお願いできるかしら」
立ち直りも早い。
生徒からお金を貸してもらう恵里先生。他の生徒の前では、絶対見せられない姿だ。
「ああっ、もうこんな時間なの。急がないと遅刻しちゃうわ」
時計を見て、ソワソワと慌てた表情を浮かべる恵里先生。心なしか、嬉しそうである。
「もしかして、水星先生とデートですか?」
「そ、そうなのよ……って、何を言わせるんですか!!」
「へへっ、いいじゃないですか。みんな知ってるんだし」
「もうっ、お金は今度の給料日に返しますから」
今日も平和な陣代高校であった。

東さん。有難うございますm(_ _)m。もう頭下げるしかありません。このスピードはタダモノじゃございません……と何回書いてるかな?? さすがに週一で新作を書けるような真似は管理人にはできません。
今回の「ストレイ・ドッグ」とは迷子の犬(Stray Dog)の事です。

何だか、NHK教育の道徳のドラマを見ているようでした。いや。別にけなしているつもりはありません。
戦争ボケとツッコミ娘には今回ゆっくりして頂いたという事で、こんなフルメタも有りかなぁ……なんて思ったりします。
ま、短編でも結構グッとくる話もありますからね。問題はないでしょう。うん。
――管理人より。


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