『寂しがり屋のストレイ・ドッグ 中編』
【二日目】
三人は、いつもより早めに学校に到着していた。勿論、小犬のことが心配だからだ。
恭子の手には一リットル入りの牛乳パックが握られていた。途中のコンビニで買ってきたヤツだ。
「元気だった?」
恭子の姿を見つけると、キャンキャン吠えながら駆け寄ってくる。そして、元気に恭子の周りをクルクルと駆け回る。
「あははっ。ちょっと、待っててね」
ミルクを注ごうとしたが、恵里先生が用意してくれた紙皿はグチャグチャになっていた。どうも、小犬が遊び相手に使ったらしい。歯形がいっぱい付いていた。
「ど〜しよう。カナちゃん?」
恭子が困った顔をする。
さすがに皿が使えなくなっているとは思ってなかった。
「常盤さん。これ使って頂戴」
「あっ、先生」
振り返ると、そこには恵里先生が立っていた。手には、紙袋を下げている。
「おはようございます」
「おはよ〜うございます」
「本日も御機嫌麗しく、何よりであります。Sir」
それぞれ、三者三様の挨拶をする。
一人勘違いしている奴がいるが、この際無視する。
「はい、皆さんもおはようございます」
「これは?」
恭子は恵里先生が手渡したのは、青い犬用の餌置きだった。
そこには、黒のマジックで『ポチ』と書かれていた。
「わたしが、昔使っていた物です。家に置いてあったから、持ってきたんだけど。迷惑だったかしら?」
「いえ、そんなことありません。大助かりです。今だって、ミルクを入れる皿が無くて困ってましたから」
「先生、ありがとうございます」
「そう、よかったわ。じゃあ、あとコレ」
それは、一冊の古びた本だった。かなり、年季が入っている。きっと、何度も読み返したのだろう。あちこちがほつれ、ボロボロになっていた。
表紙には、『はじめての犬の飼いかた』と銘打ってある。そして、後ろには子供っぽい大きな字で、『かぐらざかえり』と平仮名で書かれている。
「わからないことがあったら、読んでみて。たいていのことは、書いてあるから」
「でも、いいんですか。この本も貰っても?」
「ホント〜ですか?」
恭子の目はキラキラと輝いている。
(この本って、大事な物じゃないのかな?)
かなめには、この本が恵里先生にとって大切な物のような気がした。そうでなきゃ、こんなにボロボロになるまで置いておかないと思う。
「ええ、わたしには必要ないものですから……」
まただ。昨日も見せた、どこか寂しそうな表情だ。
「じゃあ、授業に遅れないようにしてね」
『は〜い♪』
恵里先生が踵を返すと、宗介の声が引き止めた。
「Sir、お待ち下さい」
「何ですか、相良くん?」
宗介の声に振り返る恵里先生。
それにしても、Sirと呼ばれることに抵抗感を感じなくなったのか、割り切っているのかどちらなのだろう?
「Sir。今日は、化粧の乗りが悪いようです。もう、先生も若くないので、健康管理には細心の注意を払って下さい」
(ゲッ、コイツは何てことを……)
女性に対して、禁断の言葉を解き放つ宗介。女性に年齢や体重、スリーサイズのことを言うなんて言語道断である。
「グスッ……やっぱり、わたしってもうオバサンなのね……」
涙目になってる。
「先生は、十分若いですよ。それに、この戦争バカに化粧のことなんかわかるはずないですよ。ねー、キョーコ」
「そうそう。先生は若いし、可愛いし、美人だよ。ねー、カナちゃん!!」
慌ててフォローする恭子。
「千鳥。君は、自分の観察眼を信じないのか。先生は、いつもより一五%濃い化粧を施している。肌荒れを隠すためだ。おそらく過度の精神的なストレスが原因だろう。自分なら、十分な栄養と休息を取ることを勧める」
更に追い討ちをかける宗介。
「……グスッ、ありがとう相良くん」
一応心配してくれているので、怒るに怒れない恵里先生。その耐える姿には、哀愁が漂っている。
「いえ、当然のことであります」
「あんた、先生苛めて楽しい?」
宗介にジト目を向ける。
「何を言っている。下士官が上官の体調を慮(おもんばか)るのは、当然の義務だぞ。部隊で指揮官が死亡すれば、隊は全滅だ。自分は、そうならないように注意を払っている」
ビシッと胸を張って言う宗介。
その言葉に、クラクラする。頭が痛い。
「……カナちゃん、大丈夫?」
「ええっ、何とかね」
恭子が心配そうな顔で声をかけてくる。
「じゃあ、先生は行きますね……」
職員室に向かう恵里先生の足取りは重い。がっくりと肩を落として歩く姿は、まるで墓場から出てきたゾンビである。
「だが、先生は立派だ。体調の不備を我々に感じさせないようにメイクまでするとは。まさに、上官の鏡だ。尊敬に値する」
一人盛大な勘違いをかましている。しかし、宗介には女性の繊細な乙女心などわかるはずがない。
「しかし、先生のストレスの原因は何なのだ。テロリストか、ストーカーか。いずれにしても、早急に排除せねばならんな。場合によっては、命に関わる可能性も考えられる」
その時、かなめの中でブチッと何かが切れる音がした。
宗介の首根っこを掴むと、ぐいぐいと締め上げる。
「あんたよ、あんた。わかってる、あんたが原因なの!!」
「く、苦しいぞ、千鳥……」
段々と顔が青くなっていく宗介であった。


【二日目の昼休み】
その日の昼休み、三人と一匹は、お弁当の包みを中庭で広げていた。勿論、小犬はミルクである。今も、恭子の足元で美味しそうに、ペロペロとミルクを舐めている。
「ふむ。よく飲むな」
「当たり前よ。この子はまだ赤ん坊なんだから、食べて寝るのが仕事みたいなもんよ」
フォークでお手製のミートボールを刺し、口に運ぶ。
それから、購買で買ったお茶を一口すする。
「ふむ。確かに、非常食としては利用できるかもしれんな」
「ぶっ!!」
口にしていたお茶を盛大に吹き出す。
「ゴホ……、ゴホッ……」
どうもお茶が気管に入ったみたいだ。咳が止まらない。
「千鳥。汚いぞ……」
平然とした顔でコッペパンをかじり続けている。どうやら、自分の問題発言に気がついてないらしい。
「非常食って……あ、あんた、何言ってんのよ?」
「何、違うのか。君は、この犬を非常用の食糧として備蓄するつもりではなかったのか?」
「違うわよ!!」
どこの世界に、犬を食糧用として飼っている人間がいるのだろう。
(たくっ、メ○チじゃないんだからね!!)
かなめは、どこかの深夜アニメでそういうキャラ設定があったのを思い出した。だが、それはあくまでアニメの話。普通は、そういう人はいないと思う。
だが、宗介は暴走は一向に止まらない。
「君と常盤は、この国の食糧事情を憂慮して、将来確実に起りうる食糧飢饉に備えるつもりではなかったのか?」
またまた、盛大な勘違いをかます。
「違うわよ。だいたい何で、犬を食べなきゃいけないのよ。たくっ!!」
「犬は、食べないのか。以前、中国人の傭兵から聞いた話では、中国人は空に飛んでいる物は飛行機以外、陸にいる物は戦車以外、海にいる物は潜水艦以外何でも食べるそうだ」
「……そうなの?」
えらい豪快な。さすがは、中国だ。四〇〇〇年の歴史は伊達じゃない。別に、他国の食文化を否定するわけじゃない。でも、犬を食べるというのは、どうも生理的に受け付けない。まあ、外国の人が活造りや納豆が苦手なのと似た感覚だと思う。
「特に、犬は赤犬が美味らしい。だが、ドーベルマンは不味く軍用犬にしか向かないらしい……」
犬の味について力説する宗介。なんだか、少し恐い気がする。
「……酷いよ、相良くん」
見ると、ジワッと涙を浮かべてる。
(ゲッ、キョーコが泣いた)
小犬を抱きしめたまま、ポロポロと涙を流している。
『ちょっと……あんた、謝りなさいよね』
肘で宗介の脇腹を突つく。
『……うむ』
さすがに、朴念仁の宗介もバツの悪そうな顔をする。これに懲りて、少しは常識について勉強して欲しいものである。
「すまん、常盤。自分の配慮が足りなかったようだ」
ペコリと頭を下げる宗介。
「……」
だが、恭子は口も聞いてくれない。どうやら、相当怒っているようだ。
「……料理しない?」
「うむ。自分は、料理は下手だ」
「……食べない?」
「うむ。誓う」
「……非常食にしない?」
「うむ。一度した約束は、二度と破らない」
「……じゃあ、許してあげる」
涙を拭いながら、笑顔を浮かべる恭子だった。


恭子が機嫌を直してから、しばらく経った時だった。
「ねえねえ、カナちゃん。この子に、名前つけてあげようよ♪」
「そうね、しばらく世話するんだし。名前があったほうがいいわね」
昨日、恭子は家に帰って、この子を飼えないか頼んだそうだ。でも、結局、両親から許可はでなかったみたい。
「ねえ、カナちゃん。いい名前ないかな?」
「そ〜ね、越後侍なんてのはどう?」
「え〜、嫌だよそんな変なの……」
抗議の声をあげる恭子。
「渋くて、いいと思うけどなあ。じゃあ、無難なとこで、パトラッシュは?」
「それって、フランダースの犬の名前だよね……」
呆れ顔である。
「千鳥。君のネーミングセンスは最悪だ」
ムッカ――。
宗介に言われると、やけに頭にくる。
「じゃあ、ソースケは、何かいい名前でも思いついたの?」
「カラシニコフなど、どうだ?」
かなめは、頭の中で瞬時にその片仮名を日本語に変換する。
「辛し煮込麩……、何よそれ。辛し蓮根の一種、食べ物なの?」
ちなみに、辛し蓮根とは熊本県の名産品である。蓮根に辛し味噌を練りこんで揚げたもので、ワインとの相性もバッチリである。
「いや、ソ連製の突撃銃の名前だが……」
AK47――通称カラシニコフ。『ゲリラの銃』『テロリストのマストアイテム』として、世界の紛争地帯で活躍中の堅牢無比の銃である。
「そんな物騒な名前つけれるかあ!!」
ハリセンが宗介の頭を叩き倒す。
「もぉ〜、二人とも真面目に考えてよね」
頬をプーッと膨らませて怒っている。
「や〜ね、キョーコ。真面目に考えてるわよ」
「自分は、いつでも真剣なのだが……」
そうなのだ、だから困る。いつも真剣だから始末に負えない。
「そういう、キョーコは何かいい考えがあるの?」
「う〜んと……」
人差指を顎にあてて考えている。恭子のお決まりのポーズだ。しばらくそうしていたが、思いついたように手をポンッと叩く。
「じゃあね、ソースケなんてのはどう?」
(おいおい……)
恭子のネーミングセンスが理解できない。
「ねぇ〜、ソースケ!!」
気に入ったのか、恭子の問いにわんわんと答える。
「じゃあ、この子がいいって言ってるから、ソースケに決定!!」
小犬を抱き上げ頬擦りして喜んでいる。
「ちょっと、いいの。あんたと同じ名前で?」
「ふむ。問題はない。それより、聞きたいことがある」
真剣な眼差しで見つめてくる。
(な、何よ、照れるじゃない……別に、あたしがドギマギする理由なんてないんだから……)
口では否定しても、頬が熱くなってくるから不思議だ。
「な、何よ」
「常盤は、いつから動物と会話ができるようになったのだ?」
「へっ!?」
一瞬、宗介が何を言っているのか、わからない。
「先程から見ていると、どうもあの犬と意思の疎通が出来ているように見えるのだが。参考までにどのような言語を使っているのか、教えて欲しい」
「……あんた、バカ?」
「隠さなくてもいい。どのような秘密が隠されているかは知らんが、自分にも教えてくれ」
「ふっ、わかったわよ。あんたは、やっぱり核爆弾級の大バカよ」
その後、二〇分ほどしつくこ聞かれたのは言うまでもない。


【それ以降】
次の日から、三人は飼い主を探すことにした。まず、恵里先生に許可を貰い、校内に飼い主を募集するポスターを掲示した。それから、林水先輩の許可を貰い、昼休みに放送なんかもした。そのおかげで、何人かは様子を見に来てくれたが、結局は見合せることになった。
「はぁ〜、なかなか、みつかんないね……カナちゃん」
「ふーっ、そ〜ね」
今日は、飼い主を求めて商店街を回っている。ローラー作戦だ。常連のパン屋さんやお店も回ったが、全てNGだった。やっぱり、客商売の店で動物を飼うのは厳しいらしい。
「千鳥。君が弱音を吐くとは珍しいな」
「別に、諦めたわけじゃないけどさぁ……」
でも、今日は雨が降っている。交渉が上手く行かないと、気が滅入ってくる。
小犬のソースケの方は、恭子の腕の中だ。
「でも、もう少し。がんばろーよ」
「そうね。じゃあ、もう一踏ん張りするわよ、ソースケ!!」
拳を握り締め、声を張り上げる。
「うむ」
「わんわん」
かなめの声に、宗介と小犬が同時に声を上げた。
「息がぴったりだね」
恭子はその姿にクスクスと笑い声を漏らしていた。


だが、この日は結局ダメだった。
「キョーコ、落ち込んじゃダメよ。明日も頑張って探すんだから!!」
「うん、カナちゃん。あたしガンバルよ!!」
恭子は、笑顔で答える。
「うむ。しかし、何か新しい作戦を考えねば、このままだと効率が悪すぎる」
今日は、商店街のローラー作戦を敢行した。だが、結果はよくない。時間ばっかりかかって、成果はあがらない。
「そうね。あんたの言う事も一理あるわね……」
「うむ。明日までに、各自作戦を考えて来ることにしよう」
「うん」
小犬のソースケは、相変わらず可愛らしい顔をしている。
「こっ、こら。ソースケ!!」
恭子の腕の中で動き回る。小犬のソースケが、恭子の手から飛び降りる。雨と水溜まりが珍しいのか、キャンキャン吠えながら遊びまわってる。
「いいわね。ソースケは、悩みがなさそうで……」
その姿をジッと見ながら呟く。
「千鳥、失礼だぞ。自分にだって、悩みはあるぞ」
「相良くんってば……クスクス」
恭子は口元に手を当てて笑っている。
「違うわよ。あっちの方よ……」
(ホント、厄介な名前よね)
少し呆れた様子で小犬の方を指差す。
だが、その先には小犬の姿はなかった。ほんとうに、ちょっと目を離した瞬間だった。
「あれ、ソースケ、ソースケどこ?」
恭子が声を上げた時だった。
キキッキキキッキ―――――。
激しいブレーキ音。そして、その後にドンッと何かがぶつかるような音がした。
「……ソースケ?」
呆然とする恭子。
足元には、血塗れの小犬の姿があった。
そして、ソースケを跳ねた車は猛スピードで走り去る。
「ソースケ、絶対に捕まえるのよ!!」
「了解した!!」
「カナちゃん。そんなことより、早く、早く病院に行かないとソースケが死んじゃうよ!!」
雨の中に恭子の声が響いていた。

<後編につづく>


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