『かなめのフラフラ熱曜日 前編』
千鳥かなめ――彼女の朝は思ったよりも早い。シャワーを浴びて、朝食を採る。そして、身支度を整えたら、昨夜用意したゴミを持って玄関を後にする。それが、彼女の日課だった。
「くしゅっん!!」
ベッドの中から、可愛らしいクシャミが聞こえてくる。かなめはベッドの中からモゾモゾと顔を出すと時計に目をやった。
「……うみゅ〜、もう時間か。」
かなめはベッドから這い出るとお風呂に向かう。寝ぼけ眼を擦りながら、いつものように少し冷ためのシャワーを浴びる。
「うーっ、つめたーい。」
刺すような冷たさで、目が覚めた。寝ぼけていた頭もだんだんとシャッキリとしてきた。
それから、暖かいシャワーを浴びる。
(あーっ、キモチいいなぁ〜。)
少し冷えた体に、心地よい温かさが染みる。シャワーを止めると、御風呂の中の鏡に映っている自分の姿に目が止まった。鏡の中には、魅惑的な少女の姿があった。
絹のように滑らかな肌。濡れたままの黒髪。そして、細くしなやかな手足――そこには、魅惑的な光景が広がっていた。かなめは、鏡の中の自分の姿に目をやった。
(うん、うん。ちゃんと成長してる。)
自分の体が豊かな成長を遂げていることを確認すると満足気に一人頷いた。別に今すぐ誰かに見せる予定もないのだが……それでも、やっぱり気になるのだ。こういうことは……。
かなめは、髪の毛の水分をタオルで拭き取ると、少し大き目のバスタオルを巻きお風呂から出た。
「くしゅっん!!」
かなめは自分の額に手を当てた――なんだか、熱っポイ。それに、フラフラと足元がおぼつかない。
(あれぇ……!? あれぇ〜!? おかしいなぁ?)
そう思った後、グル、グルッと目の前の光景が歪んで見えた。そして、かなめの意識は途絶えてしまった。


「ち……千鳥っ!?」
(あれ〜? 誰かが、遠くで呼んでいるような……?)
誰かがかなめの肩を必死で揺すっている。もう少し眠っていたいんだけど……かなめを呼ぶ声で目が覚めた。
「しっかりしろ、千鳥っ!!」
(ありゃ〜? ソースケ?)
目を開けると宗介がかなめの上半身を抱き起こしていた。そして、かなめの目に映ったのは真っ青な宗介の顔だった。かなめが目を開けたのを見るとホっと一息つき、額の汗を学生服の裾で拭っていた。
「なんでぇ〜、ソースケがこんなとこにいるのぉ〜よ〜。」
それにしても、体がだるくて瞼が重い――。気を抜くと眠ってしまいそうだ。
「それより、千鳥。どこか、おかしい所はないか?」
「へっ!? なんでぇ〜?」
「千鳥、君は倒れていたのだぞ……。」
「そ〜だっけ?」
呑気なモノである。自分が倒れたことにも気がついていなかった。だが、倒れたという事実は――これまで健康優良児であるかなめにとって少しショックだった。
「うむ。」
「じゃあ、ソースケが助けてくれたんだ……ありがと。」
(そっかあ〜、熱で倒れちゃったのかあ〜。)
かなめはやっと自分の状態に気がついていた。そういえば、何だか熱っポイし、寒気もする……。多分、風邪をひいて熱があるのだろう。
「いや、そんなことはどうでもいいのだが……。」
そう言うと、宗介は少し恥ずかしそうに視線を外した。そして、照れ隠しのつもりかポリポリと頬を掻いていた。
(ははっ、照れてるのかなぁ〜? 意外に可愛いところがあるじゃない……。)
かなめは、いつもと違う宗介の仕草に頬を弛めた。
「でも……、なんでソースケが居る……のよ?」
――その通りである。ここは、かなめのマンション。玄関に鍵だってある。
「千鳥がいつもの時間になっても姿を見せないからな……。心配になってな。」
チラチラと視線を向けながらも、かなめと目が会うとスッと視線を外す。
「ははっ、そうだっけ? でも、鍵は?」
「開けた……。あのくらいの鍵を開けるくらいなら一分もかからない。最低でも鍵を二つはつけることを薦める。」
事も無げに言う――。爆弾の解体やASの操作に長けている宗介にとっては、このくらい朝飯前なのだろう。
「ははっ。うん、そうする……。」
(う〜む、おかしい。いつもなら、ここで一発あってもおかしくないのだが……)
別に殴られることを期待しているわけではないが……かなめの弱々しい態度に少し不安を覚えた宗介であった。
「ソースケ、学校は?」
「ふむ、遅刻だな……。」
時計を見ると、もう始業時間に間に合いそうもない時間だった。
「そのぉ〜、なんだ千鳥……」
申し訳なさそうに口を開いた。なんだか、はっきりとしない……。いつも思ったことをズケズケと言う宗介にしては、珍しいことである。
「どうしたのよ〜?」
「いささか、君の格好が刺激的すぎるというか……非常に……その、マズイ……」
「えっ……どういう……こ……と!?」
自分の体に視線を移す。そこには、バスタオル一枚で宗介に抱かれている自分の姿があった。そういえば、お風呂に入ってたんだっけ。
「キャーーーーー!!」
そして、いつの間にかかなめの手には巨大なハリセンがしっかりと握られていた。
≪スパーーン!!≫
おもいっきり、殴られた――。
かなめは、急いでバスタオルの胸の部分を両手で掻き寄せる。
「千鳥、痛いぞ……。」
宗介がかなめの方へと手を伸ばす。別に、宗介にはかなめを、その……どうこうしようとかいう気持はなかったのだが、どうも誤解されたらしい――。
「千鳥、じっとしているんだ。」
「イヤァアァーーーーー!! こっち来ないでーー!!」
こうなると、一種のパニック状態である。かなめはペタリと床の上に座り込むと手近なモノを手当たり次第投げつける。クッションに、ティッシュケース、テレビのリモコン、ファッション雑誌などなど。
「ま、待て……千鳥……俺の話を……。」
降り注ぐ爆弾の嵐を潜り抜けながら、宗介はかなめの方へと近づく。
「あっ!!」
かなめは自分が投げた物を目にしていた。
≪ゴツン!!≫
なにか鈍い音が……。
見ると、宗介の額に2kgのダンベルが直撃していた。そして、そのまま床の上に崩れ落ちるとピクリとも動かない……。
「ちょっと……ソースケだいじょーぶ? ねぇ?」
かなめはゆっくりと宗介の方へ歩み寄ると、心配そうにその顔を覗き込んだ。ためしに、指でツンツンと頬を突ついてみる。
「ちょ、ちょっと……ソースケ?」
ピクリとも動かない宗介――。額からはうっすらと血が滲んでいる。かなめもさすがに心配になってくる。
「あっ……」
目眩がしてフラフラとその場所に座り込む……。なんだか、今の騒動で熱が上がってきたような気がする……。
「だい……じょーぶ……ソースケ?」
何度目か呼び掛けで、倒れていた宗介がやっと目を覚ました。
「このくらい、なんでもない……。それより、千鳥の方こそ大丈夫か?」
「うん、ちょっと目眩がしただけ……。」
かなめは額を押さえながら苦しそうな表情を浮かべてる。心なしか、顔が赤いような気がする。
「本当に、大丈夫なのか?」
「うん、ただの風邪だと思うから……。」
「ふむ……では。」
宗介がかなめの肩と足にスッと手を回す。そして、一気にかなめの体を抱き上げた。いわゆる、『お姫様だっこ』というやつである。
「キャッ!?」
一瞬、何が起こったのかわからない……。だが、体が宙にフワフワと浮いている。それに、目の前に宗介の顔がある。もう少し顔を伸ばせば、キスだってできる距離だ……。
(もしかして、これって……!?)
ようやく、この状況に気がつく。かなめは、恥ずかしくなってバタバタと手を動かした。
「暴れるな、千鳥。」
「ちょ、ちょっと、ソースケ……!!」
かなめは微かな抗議の声を上げた。
「じっとしていろ、千鳥。」
「……う……うん……」
いつも以上の真剣な顔に真っ赤になって俯むくかなめであった……。


「ソースケ、部屋から出てて……。」
「なぜだ?」
いつもの仏頂面が不満の声を上げた。
「着替えるから……心配しないで。」
「千鳥、自分は君のことを心配してだな……。」
「いいから!!」
かなめが強く言うと、宗介は渋々部屋を出ていく。
(もう、デリカシーがないんだからっ、ソースケは……。)
ぶつぶつともんくを言いながらクローゼットの扉を開ける。中から、真新しい下着を取り出しパジャマを着るとベッドに腰をかけた。扉一枚向こうに宗介がいると思うと、何だかドキドキした。
「もういいよ……入って来ても。」
「大丈夫なのか?」
「うん。傷の手当てするから、こっち来て。」
「これくらい、なんともない……。自分で手当てくらいできる。」
「いいから……はやく……。」
立ち上がるとフラフラと歩き出した。
「あっ……。」
「大丈夫か?」
倒れそうになったかなめの体を宗介が受け止めていた。パジャマ越しに伝わるかなめの体温は温かかった。なんだか、ひじょうにいい感じである。
「う……ん。ゴメンネ……。」
「いや、問題無いが……。」
力無く呟くかなめを心配そうに、宗介の瞳が覗き込む。
「今日は、学校を休むって先生に言っておいて……。それと、キョーコにゴメンって言っておいて……。」
「うむ。了解した。だが、大丈夫なのか一人で? 病院に行かなくてもいいのか?」
「ははっ、大丈夫だよ。ただの風邪だから、寝てれば治るよ。」
パタパタと手を振りながら答える。
「しかし……。」
依然食い下がる宗介。
(むむっ、しぶとい……。)
「だいじょーぶだって。それに、ソースケ出席日数マズイんでしょ……? あたしは、来年ソースケだけ二年生ってのは嫌だから……ね。」
「しかし……。」
またまた、渋い顔をする宗介。
「わかったら、さっさと学校に行く。」
「うむ、わかった。学校が終わったら直ぐに様子を見に来るから安静にしているのだぞ。」
やっと決心したらしく重い口を開いた。
「うん、わかったから……。じゃあ、先生とキョーコによろしく……。」
「では、行ってくる。」
宗介は追い出されるように部屋を出ると走り出した。


ガラガラッ――教室のドアが開き一人の女性が入って来た。ボブカットの黒髪に、きりりとした生真面目そうな顔立ち。いかにも、生徒思いの優しそうな先生だった。二年四組の担任の英語教師、神楽坂恵里教諭であった。
「じゃあ、授業をはじめますね。」
教科書を開き黒板に向かおうとして、恵里はいつもと様子が違うことに気がついた。
(あら、今日は、静かね。どうしたのかしら?)
恵里が首をかしげていると、その原因は直ぐに判明した。
「え〜と、千鳥さんと相良くんは欠席かしら?」
教室を見渡すと二人の席だけがポツンと空いていた。
「常盤さん、何か聞いてません?」
「え〜と、別に聞いてません。」
(もぉ〜、本当にどうしちゃったんだろう?)
かなめがいつもの時間になっても駅に来ない……。心配になって携帯に電話しても何の応答もなかった……。
(ま、まさかっ……相良くんと駆け落ち……二人は、愛の逃避行で北国へ?)
だが、その考えも直ぐに否定された。まさか、カナちゃんに限ってそんなことはないわよね。二人がいい感じなのは間違いないんだけど……。
(授業が終わったら、もう一回電話してみよっ。)
いつもどおりの授業風景。しかし、二人がいない二年四組の教室はなんとなく寂しかった。
(あ〜、なんか寂しいなぁ。)
恭子は二人のことが心配になってきた。カナちゃんは、所謂クラスのムードメーカーだし。相良くんは――ああ見えても、クラスの中では結構評判がいい。いつも、ドタバタ騒ぎを起こすが、どこか憎めないところがあるのだ。
「じゃあ、千鳥さんと相良くんは欠席ということですね……」
恵里が出席簿を閉じようとしていた時、廊下の向こうからものすごい音が聞こえて来た。
まるで、巨大な猛獣が全力で疾走しているような音だった……。そして、その音は教室のドアの前で止まると静かになった。
「なっ、なに……かしら?」
恵里がドアの方へと近づこうとする……。
「先生、ドアから離れて下さい!!」
恭子は危険を悟ったらしく、大声で叫んでいた。
「えっ!?」
ドッカ――ン……。
文字通り、ドアが吹っ飛んでいた。恵里がもう少しドアに近づいていれば、吹っ飛んだドアが直撃していただろう……。ドアの表面は黒く焼け焦げ、プスプスと灰色の煙を上げていた。
「ななななななっ……。」
教卓の上では、恵里がドアを指し口をパクパクさせていた。まるで、酸素不足の金魚のように……。そして、爆発の煙の中から、あの男が姿を現した。
「相良宗介軍曹、只今到着致しました。到着時刻を若干過ぎてしまいました。小官は、どのような厳罰をも覚悟の上であります。なお、千鳥かなめは風邪のため欠席するとのことであります。」
ビシッと敬礼スタイルを取ると一気に捲し立てた。
「そ、そう……。じゃあ、取り敢えずドアを直してください……。」
「Yes,sir!!」
軍隊式敬礼をすると吹き飛んだドアを直し始めた。
「さっ、相良くん……。」
「はっ。なんでありましょうか? Sir。」
「今度からは、もう少し静かに入って来て下さらないかしら……。」
なぜか、丁寧な言葉使いで話す恵里……。まだ、先程のショックが抜け切っていないのだろう。爆風で乱れた髪を撫で付けながら呟いた。
「Ye〜。鋭意努力致します。しかし、お言葉ですが、Sir……。」
「なっ、なんですか?」
「ドアの向こうに自分を狙うテロリストの姿を確認した為、取り敢えず爆破しました。小官は、自分の判断は適切だったと確信しております。それに、これでも一応威力を抑えたのですが……。」
「『取り敢えず』で爆破しないでくださいっ!! いいですか、これからはドアの爆破は禁止です。わかりましたか?」
「Yes,sir!!」
「じゃあ、授業を始めます。教科書の120ページを開いて下さい。」
そんな二人のやりとりと見ていた恭子は――
(先生も慣れてきたんだ。)
と一人感心していた。


「相良くん……カナちゃん、風邪なの?」
授業が終わると、早速恭子がかなめのことを尋ねてきた。
「うむ、そうだ。熱を出して倒れていた。一応ベッドに寝かせておいたが、不安だ……。やはり、自分が側についているべきだったかもしれん……。」
宗介はいつもの仏頂面を更に歪めていた。
「カナちゃんに学校行けって言われたんでしょ?」
「うむ、肯定だ。」
「やっぱり……。」
「どういうことだ?」
宗介は恭子の言葉に怪訝な表情を浮かべた。
「カナちゃん。我慢してる所あるから……。カナちゃんって、ああいう性格でしょ。だから、つらいとか苦しいとかって絶対に口に出さないんだよ……。」
ああいう性格――それが、どういう意味なのか宗介にはわからなかった。だが、いつもと違う雰囲気だけは痛いほど感じ取っていた。
(確かに……あそこまで元気のない千鳥は見たことがないな……)
これまで、幾度か命に関わるような経験をしてきた。だが、それでも今回のようなつらそうな表情は一度も見せたことがなかった。そう思うと、何だか急に不安になってきた。
「…………」
「どうしたの、相良くん?」
一人黙ったまま考え込んでいる。
「常盤……すまないが、先生に早退すると報告しておいてくれ。」
「うん、いいけど。カナちゃんのとこに行くの?」
「肯定だ……。」
宗介は少しバツの悪そうな顔をした。本来まじめな宗介である。授業をサボることにも抵抗はあった。だが、なによりかなめとの約束――『学校に行く』を破ることの方が気が引けた。
「じゃあ、ちょっと待って。」
恭子は、メモ帳を取り出すとなにやら書きはじめた。
「はい、これ。」
そして、そのメモを宗介の手に押し付けた。
「これは?」
メモには、こう書いてあった。

「栄養のあって食べやすいモノ。あとビタミンCが多い食品。ヨーグルト、プリン……それに、蜜柑。あと、熱が高い場合、脱水症状が起こらないように気をつけること。スポーツドリンクか何かがいいと思う。」

「風邪に良いもの書いといたから。途中で買っていってあげて。あと、風邪の時の簡単な食事の作り方も書いておいたから。」
メモの最後には、可愛らしい字で『美味しいお粥の作り方』が書いてあった。
「うむ、すまない。常盤。感謝する。」
「わたしも学校終わったら行くから……。」
「うむ、では行ってくる。」
「うん、頑張ってね。」
(もぉ〜、カナちゃんの幸せものめ……。あ〜あ、あたしにも早く白馬の王子様が現れないかなぁ〜。)
教室を後にする宗介の姿を見つめながら、そう思う恭子であった。

<中編につづく>


文頭へ 進む 毒を喰らわば一蓮托生へ
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