『かなめのフラフラ熱曜日 中編』
ピピッ、ピピッ、ピピッ――。
体温計のアラーム音だ。脇に挟んであった体温計を目の前に持ってくる。
「はぁ〜、熱……下がんないや……」
38.8°――熱は下がっていない。
「ふっ〜……。」
かなめは、大きな溜め息をついた。
(お腹空いたなぁ……)
かなめは、冷蔵庫のドアを開けたが中は空だった。前日、宗介に晩御飯を作ってあげて材料が空になっているのを忘れていた。それに、今朝はコンビニでパンでも買って食べようと思っていたことを思い出していた。
(そうだったっけ……)
かなめは風邪薬だけでも飲もうと救急箱を開けてみた。だが、運が悪いことは重なるものである。いつもは用意してある常備薬もきれていた。かなめは仕方なくベッドに入ることにした。しかし、なかなか眠ることができない。
「もう、二時間目が始まったころかな……。」
枕元の時計の針は、十時ごろを指していた。
(本当なら……今頃、学校で授業受けてるころか……。)
病気の時は、なんだか無性に寂しくなる――。特に、いつもかなめの周りは賑やか――騒がしいだけに、一人でいると無性に不安になってきた。
(あ〜あ、みんな元気にやってるかなあ。)
かなめの脳裏には、クラスの友達や恭子、神楽坂恵里先生の顔が浮かんできた。そして最後に――。
(ソースケがみんなに迷惑かけてなきゃいいけど……。)
一番最後に浮かんだのは、宗介の仏頂面であった。朝も心配そうな顔をしていたが、今頃どうしているのだろう。気がつけば、宗介のことばかり考えていた。
(ははっ、あたし何考えてるんだろう……。)
そんなことを考えている内に、玄関の方から物音が聞こえてきた。
ガチャガチャ、ギッィィー。
鍵が開き、ドアの閉まる音が聞こえた。そして、ギッギッと廊下を歩く足音が聞こえてくる。そして、その足音は真っ直ぐにかなめの部屋へと向かっている。
(えっ、誰……な……の?)
宗介が来たにしては、おかしい……。まだ、二時間目の途中だ。
(もしかして、泥棒?)
そういえば、最近ニュースでこの近辺で空き巣が何件か起こっていると言っていた。そのことを思い出すと、急に恐くなってきた。かなめはふらつく足で、ベッドから起き上がると愛用のバットを握り締めた。
(お願い、こっちにこないで!!)
かなめは祈るように呟いていた。だが、かなめの祈りとは逆にその足音は着実にこちらに近づいてくる。そして、ドアの前で止まった。
ガチャリ――ドアのノブがゆっくりと回る。
かなめはゴクリと息を呑む。自然とバットを握る手が汗ばんでいた。そして、ゆっくりとバットを振り上げる。
「千鳥、大丈夫か!?」
ドアの向こうから顔を覗かせたのは意外にも宗介であった。
「そっ、ソースケ……!?」
「何をやっているのだ、千鳥?」
宗介はポカンとした顔のかなめと振り上げられたバットを見て、怪訝な表情を浮かべていた。
「はははっ……よかった……。」
ホッとして、気が抜けたのだろう。かなめは、ヘナヘナとその場に座りこんでいた。
「だっ、大丈夫か?」
慌ててかなめの下に駆け寄って来る宗介。
「もう、ソースケの馬鹿、馬鹿、馬鹿、馬鹿。」
宗介の胸に顔を埋めると、頭をポカポカと殴りだした。
「千鳥、痛いぞ……。」
「もう、恐かったんだから。恐かったんだから……ううっ……ううっ」
宗介は、かなめが泣いているのを初めて見たような気がした……。


「落ち着いたか……、千鳥。」
かなめの手には、宗介が入れたホットレモンのカップがあった。恭子のメモにあったようにビタミンCたっぷりの飲み物を買ってきた。
「うん……。」
かなめは下を向いたまま答えた。
(恥ずかしいじゃない……もうっ……。)
宗介の前で泣いたことを思い出すと、まともに顔を見ることができなかった。
「とりあえず、この薬を飲んで安静にしているのだ。」
「ありがと……。でも、これどこの薬?」
かなめが受け取った薬には、英語で使用上の注意が書かれていた。
「ミスリル支給の風邪薬だ。よく効くはずだ……」
「うん……。」
かなめは薬のカプセルを二つ口に含むと、宗介が手渡した水を飲み込んだ。
「少し休んだほうがいい……。」
「ありがと……。」
かなめがベッドに入ると、宗介がその上に優しく布団をかけた。何気ないことだが、ちょっと嬉しくなるかなめであった。
「ソースケ……。」
「んっ、なんだ?」
「……今朝のこと、怒ってない……?」
「んっ、何のことだ……?」
布団から顔を半分覗かせ、上目使いで宗介のことを見ていた。熱で上気した頬と潤んだ瞳がキラキラと輝いていた。
「おでこのこと……。」
宗介の額には朝かなめがぶつけたダンベルの傷がしっかりと残っていた。多分、自分で手当てしたのだろう。額には、大きなバンソコウが貼ってあった。
「気にするな……千鳥。」
「うん……ごめんね。」
何だかいい雰囲気である。そこには、病に倒れた薄幸の美少女を看病する恋人の姿――なんてタイトルが付きそうである。
宗介は洗面器の中のタオルを搾るとかなめの額にのせた。
(あっ、キモチイイ……。)
ヒンヤリとしたタオルが心地よい。だが、額の心地よさとは逆に胸はドキドキと高鳴っていた。だが、この胸のドキドキが熱のせいなのかどうか――かなめにもわからなかった。
「千鳥、氷を取ってくる……。」
洗面器の水が温くなってきたので、氷を取りに行こうと立ち上がる。だが、宗介の制服の裾をかなめの手がしっかりと握っていた。
「千鳥?」
「……側にいて……。」
なんだか、一人でいるのは心細かった。気が付くと自然と手が伸びていた。
「うむ、わかった。」
宗介はベッドの側に椅子を持ってくると腰を下ろす。
「手……握ってて……。」
宗介は無言でかなめの手を握った。だが、その手にはいつものような力強さはない。触れれば折れそうなくらい弱々しい。それに――
(熱が高い……な。)
かなめの手は思った以上に温かかった。これだけで、熱が高いことがわかった。
「ソースケ……なにか、話して。」
まるで、眠れない時の子供のようにおねだりした。
「いいのか?」
「うん。眠るまでいいから……。」
「うむ、わかった。」
宗介が何を話したらよいか頭を悩ませていると、かなめが口を開いた。
「あのね、あたし一人で暮らしているでしょ……。」
「うむ。」
「だから、こういう時って無性に寂しくならない……。」
「そうなのか?」
「真っ暗な部屋のベッドに一人きり……。誰かに頼りたくて、助けてもらいたくて……。でも、一人ぼっち。」
いつもは気丈に振る舞っているかなめ。だが、彼女はまだ高校二年の女子高生。不安になったり、寂しくなったりすることもある。だが、宗介にはかなめが何故こんな話を自分にするのかわからなかった。
「でも、今はソースケがいてくれる。ありがと……。」
かなめは少し嬉しそうな表情を浮かべた。
「うむ、これくらいなんでもない。」
「ねぇ、ソースケ? 今、ここにいるのは、任務なのそれとも……ソースケ自身が決めたことなの?」
「それは…………。」
宗介は迷っていた。
(どう答えればよいのだ…………?)
確かに宗介がここにいるのは任務である。しかし、少なくとも今ここにこうしているのは、任務という理由だけではない気がする。任務という理由にかこつけて、かなめの側にいたいという気持ちがあるのかもしれない。だが、宗介にはそれが好意なのか職業意識なのかはよくわからなかった。
「千鳥……自分は……そのぉ……なんだ。」
答えに困る宗介。そして、いつの間にか――。
クークー、クークー。
――と可愛い寝息を立てていた。
(眠ったか……。)
その顔には笑みが浮かんでいた。それに、幾分呼吸も元に戻っていた。だが、かなめの手はしっかりと宗介の手を握っていた。


「う〜ん……。」
何度目かの寝返りを打つかなめ。
「目が覚めたか、千鳥?」
宗介の心配そうな瞳が覗き込んでいた。
「うん、おはよ……。ソースケ。」
額に当てられていたタオルは冷たいままだった。
(そっか……きちんと変えてくれてたんだ……。)
ちょっとした優しさだが、かなめは何だか嬉しくなった。そして、かなめの額に手を当てる。
「うむ、熱は下がったな。」
(もぉ〜、何でドキドキするのよぉ〜。)
宗介には他意はないのだろう。純粋にかなめの事を心配してくれてのことだと思う。それでも、かなめの胸はドキドキと高鳴った。だが、それも長続きはしない。
グッ〜――。
かなめのお腹が鳴った。ロマンチックもありゃしない。
「なんだ、腹が減っているのか?千鳥。」
「……うっ……うん……。」
恥ずかしさで顔が真赤になった。
(もぉ〜、あたしの馬鹿、馬鹿……。なんで、こんな時にお腹が鳴るのよぉ〜!!)
かなめは穴があったら入りたい気分だった。そして、自分の旺盛な食欲を少し怨んだ。
「ちょっと、待っていろ。食事の用意をする。」
そう言うと、さっさと部屋から出ていった。宗介の後ろ姿を見送ると、かなめは重大な事実に気がつく。
(あっ、そう言えば……)
宗介が料理している所なんて見たことがない。せいぜい、サバイバルナイフでトマトやハムを切るぐらいである。それに、料理といっても肝心の冷蔵庫には食材がほとんど入っていないはずだった。
(もしかして、あれを用意してるんじゃ……。)
かなめの言うあれとは――米軍のMREレーションのことである。あれなら、コンビニの弁当の方が百倍マシである。かなめは少し不安になり、肩からコートを羽織ると、ソロソロと台所へと向かった。
「ちょっと、ソースケ……。」
不安を抱きながらも台所を覗き込むかなめ。まず、目に入ったのが台所の上の大きなスーパーの買い物袋――そして、キッチンにはエプロン姿の宗介……。
「千鳥……寝てないとだめだぞ……。」
「うっ、うん。もう、だいじょーぶだよ。」
「いや、風邪は治りかけが肝心なのだ。」
「う、うん……。」
台所から追い出された……。
(なんなのよ……もう!!)
何だか納得がいかないが、宗介が心配するので素直に従った。
「千鳥、済まない。もう少し時間がかかる。これでも食べて待っていてくれ。」
宗介はかなめの手に強引にスプーンとカップを押し付けると、再び台所へともどっていった。
(あっ、ヨーグルト……。あたしの好きなやつだ……。)
かなめの手には『苺ヨーグルト』の容器が残されていた。苺の果肉がふんだんに入っていて、健康にも美容にいい食品であった。
(でも、なんであたしが好きなの知ってるんだろう?)
かなめは少し不思議に思ったが、ヨーグルトの蓋を開け口に運ぶ。お腹も空いていたので、すぐに中身は無くなっていた。


「待たせたな、千鳥。」
お盆の上には、小さ目の一人用の土鍋が一つ。そして、その隣りには梅干しが二つ。
「ありがと。ソースケ。」
かなめは恐る恐る蓋を開ける。フワッとした湯気が上がり、お米のいい匂いが部屋の中に広がる。
「わっ!!」
土鍋の中身はお粥だった。お粥の上には半熟状の溶き卵。薬味として、浅葱(あさつき)の微塵切りが散らしてあった。
「ねぇ、ねぇ、ソースケ。これどうしたのよ?」
かなめは少し興奮気味の目を宗介の方へ向けた。目の前には予想していたのよりマトモなもの――いや、きちんとした料理が置かれていた。
「うむ、俺が作ったのだが……。」
「ソースケが? マジ……!?」
ジッーと疑惑の眼差しを向ける。
「マジというのはよくわからんが、俺が作った。自信作だ。」
宗介は土鍋から茶碗に取り分ける。そして、お粥の上に梅干しを一つのっける。レンゲで掬うと、フッーフッーと息を吹きかける。そして、レンゲをかなめの方へと向けた。
「ちょ、ちょっと……!?」
差し出されたレンゲに目を丸くするかなめ。
「ん!? どうしたのだ、千鳥。食べないのか?」
「いいわよ、自分で食べれるから……。」
「いや、君は病人だ。健康な自分が世話をするのは当たり前だ。」
「でっ、でも……。」
あくまで、真剣な瞳で見つめる宗介。とてもじゃないけど、恥ずかしいなんて言える雰囲気じゃない……。
「さあ。」
宗介がレンゲを突き付けてくる。
(うっ……恥ずかしいじゃない……)
「あ〜ん。」
かなめは覚悟を決め、目を閉じると口を大きく開けた。宗介の持つレンゲがゆっくりと口の中に入る。
モグッ、モグッ、ゴックン―――。
「あっ、美味しい……。」
意外にも宗介が作ったお粥は美味しかった。お腹が空いていることを差し引いても、良く出来ていた。塩加減もちょうど良いし、卵の半熟加減も食欲を誘った。
「うむ、そうか。よかった。もっと食べてくれ。」
少し嬉しそうな顔をする宗介。そして、レンゲで再びお粥を掬うとフーッフーッと息を吹きかけて冷ます。
「あ〜ん。」
モグッ、モグッ、ゴックン―――。
やっぱり、美味しい。味オンチの宗介にしては二重丸である。
(へぇ〜、ソースケも結構やるじゃない……。)
かなめは少し宗介のことを見直していた。それに、宗介が自分の為にわざわざ料理をしてくれたんだと思うと、嬉しくなった。
ガチャ――。
「カナちゃん……だいじょ〜ぶ。」
突然、心配そうな顔をした恭子が顔を覗かせる。丁度、かなめが口を開け、宗介の持つレンゲを口に含もうとしている瞬間だった。つまり、あ〜ん状態なのだ。
「きょ、キョーコ……。」
「常盤。千鳥は、もう大丈夫のようだ。心配かけたな。」
かなめの笑顔が一瞬にして凍り付く。そして、今度はボッと赤くなる。青くなったり、赤くなったりと忙しい……。まるで、信号機のようである。
「ははっ、ゴッ……ゴメンなさい……ごゆっくり。」
まん丸眼鏡の奥の瞳が、驚きの表情を浮かべていた。回れ右をするとそのまま部屋を後にする……。まるで、ゼンマイ仕掛けのロボットのような仕種である。
「ちょっ、ちょっ、ちょっと待って……。」
余程ショックだったのか、かなめの制止する声も耳に入っていないようだった。トコトコと部屋を出て行く。恋愛若葉マークの恭子にとっては少しショックだったのだろう……。
「千鳥、どうしたのだ。常盤は?」
そんな恭子の姿を不思議そうな顔で眺めていた。
「……さ、さあ?」
(そう言えば、大晦日にも同じようなことがあったような……)
かなめは何だか頭が痛くなって気がした。

<後編につづく>


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