「Baskerville FAN-TAIL -prototype-」
シャーケンの町の郊外にあるナーカン家の屋敷。その主人スズエ・ド・ナーカンは、窓から外を眺めつつ、文字通り勝利の美酒に酔っていた。彼は手の中のグラスに注がれたワインを一気に飲み干すと、
「噂を聞いた時は半信半疑だったが、雇った甲斐はあったな」
先ほど成功報酬を渡した時のボルド・ルニックの顔を思い出す。
人を殺める事に何の感情も持たない無骨な職人。真正面から迫っても気取られる事のないほどに気配を殺せるプロフェッショナル。
同業者に限らず邪魔な人間はボルドに何人も始末させ、手駒に使えそうな人間は金と貴族という肩書きのバックアップで懐柔。
もうこの町の警察署に自分に逆らえる人間は……まだ一人いた。先ほど死んだドムの娘・グライダ。きちんと説明したのに諦める事を知らない。未だに食ってかかってくる。
両親を亡くして一人では可哀想。きちんと死なせて両親と再会させてやるのがいいだろう。
そう判断し、報酬を渡した時についでに彼女も殺しておくよう伝えておいた。
どどどどーーーーーーーーーーーん!!!
突然の轟音。岩などが壊れる時のようなガラガラ音である。
何事だと思った彼は窓を大きく開けて眼下の庭を見回した。
理由はわかった。正門が何らかの理由で吹き飛ばされていたからだ。
「な、何が起こったんだ?」
あの門はとても頑丈に作られている筈で、実際破壊槌をもってしてもビクともしなかった筈。土煙が舞っているのでよくは見えないが、それでも破壊槌があるようにはとても見えなかった。
「な、何が起こったんだ!?」
ナーカンの叫び声が庭にこだました。


門に向かって手を突き出した状態で動きを止めていたバーナムが、ようやく構えを解いた。
武闘家である彼の技で、頑丈な門を一撃で吹き飛ばしたのである。
「……ま、宣戦布告にはちょうどいいだろ」
得意げなバーナムをよそに、
「わざわざ攻め込んできた事を知らせるバカがいるとはねぇ」
「全くです」
グライダとオニックスは呆れ気味である。
もちろんこの轟音を聞きつけて屋敷の警備兵達が剣を抜き放って押し寄せてくる。
「……逃げないでしょうね」
「逃げてると思う」
オニックスとグライダが確認しあうまでもなく、ここの主人の元に何者かが攻め込んできた事は明白。
ならば殺されないよう逃げるのが普通の考えだ。押し寄せてくるこの警備兵もそのための足止めでしかないのはわかっている。
ところが。バーナムは悠々と拳法の構えをし出した。つい今しがた頑丈な門を一撃で吹き飛ばしたのと同じ構えを。
彼が全身の隅々まで気を張ったのが伝わってくる。そして、
「哈っ!!」
気合一閃。突き出した彼の腕からさっきと同じ青い「氣」でできた龍が警備兵の一団の中央に向かって突っ込んでいく。
そして、一団を吹き飛ばしながら屋敷の方まで突き進み屋敷に激突。
大きな屋敷の筈なのに、その一撃で木っ端微塵に吹き飛んだのだ。
バーナムは大きく息をつくと、
「……じゃ、あとよろしく〜」
その場であぐらをかいて座り込んだ。おそらく「氣」だか体力だかを使い切ってしまったのだろう。戦いはこれからの筈なのに、本当に考えがなさすぎる。
オニックスは外套の下の日本刀をスラリと引き抜き、
「あなたの腕前を見せて戴きますよ」
グライダにそう言った直後身を低くすると、温和な表情が一転。
獲物を狙う鷹のような目となった彼は地面を蹴るようにして分断された右側の団体へ一気に駆けていく。
直後、屋敷の警備兵達が血しぶきを上げながら右に左にそして天にも吹き飛ばされていく。
あっけにとられるグライダが我に返ると、自分もそのおこぼれを仕止めるように赤い剣を振るう。
その実力は決して警備兵達に劣ってはいないが、オニックスと比べれば明らかに地味で普通だ。
だがそれでも、この屋敷の主人と殺し屋の姿を確認し続けるのは忘れていない。
今のところどこかに隠れてはいるかもしれないが、自分達に気づかれずに脱出した様子は見られない。


さすがに一対多数の戦いの経験が乏しいグライダは終わった頃は肩で息をしていた。
警備兵達はほとんど倒すか気絶させた筈だが、ナーカンはもちろん殺し屋のボルド・ルニックの姿も見かけてはいない。
「……ったく、どこに隠れてんのよ」
死屍累々という言葉が似合うかのような警備兵達を見回すグライダ。もちろんオニックスも彼女と同じように周囲を探しているが見つけられない。
だが、遠くの方から馬のいななく声が聞こえてきた。グライダとオニックス、そしてのんびり歩いてきたバーナムも声の方を向く。
すると、馬車がこちらに向かって全速力で駆けてくるのが見えたのだ。もちろん中にはナーカンが乗っているのだろう。
一方馭者をしているのは十歳前後の小柄な少女。使用人にしては妙である。
バーナムとオニックスが前に立ちはだかって止まるように促しているが当然止まらない。
中にいるであろうナーカンはともかく馭者にまで罪はない。そんな人間もろとも馬車を吹き飛ばせはしない。
だがそれが仇となってしまった。どこからか飛んできた黒い影が二人に斬りつけたのだ。完全な不意打ちである。
無論喰らいはしなかったが馬車の行く道を開ける形で飛び退く結果となる。
「そのガキじゃなくて、影に気をつけろ!」
飛び退いて距離が開いてしまったバーナムが、馬車に一番近いグライダに向かって怒鳴った。
すると、馬車のすれ違いざまに少女の影がまるでロープのように一瞬で伸び、グライダに襲いかかった。だが彼女は反応できていない。全く反応できずに影の攻撃を喰らってしまう。
ところがそうはならなかった。
グライダの持つ剣が素早く動き、刃物のように伸びてきた黒い影を刃でぐるぐると巻き取っていた。そして、馭者の少女はその影に引っ張られる形で、走っている馬車から転げ落ちてしまった。
『ぎゃああっ!』
低く濁った男の声と幼い少女の声による悲鳴が響く。
「なっ、何なのこれ、今勝手に動いた!?」
グライダが自分の剣に巻きついた黒い物を見て驚いている。
という事は自分でやった訳ではないようだ。そう。この剣は亡くなったばかりの父親のもの。父が娘を守ったと解釈するのは夢が過ぎるか。
『なっ、何だこれは、離れん。どういう事だ!?』
黒い影が逃げ出そうと慌てている声が聞こえた。
見れば剣の赤い刃がわずかに揺らめいている。まるで揺らめく炎のように。
いや、もうそれは炎そのものである。
『熱いいいいっ!』
今度の悲鳴は低く濁った男の声のみで、少女の声はなかった。
その痛々しい悲鳴と同時に、影だけが少女の影からズルズルと引きずり出されていく。そう。この影そのものこそが殺し屋ボルド・ルニックなのだった。
今回の場合、少女の影に取り憑いて操り、その姿で相手を油断させ、その隙に影を刃物のように硬くして伸ばし、一瞬で真正面から一突きにして殺害したのだ。
少女自身には闘気や殺気などがない。そんな相手から気配を察して防御などほぼ無理。だから皆あっさりと殺されてしまったのだ。
『バッ、バカ野郎。熱いだろ。俺が燃える。もえちまう。やめろぉぉぉぉぉ』
悲鳴こそ痛々しいが、ボルド・ルニックのこれまでの所業を考えれば全く同情はできない。
むしろグライダにとっては両親の仇そのものである。
よくわからないうちにこうなってはいたが、こいつに復讐したい気持ちだけはハッキリとわかっている。
「あの世に行って、自分が殺した人全員に詫びてこいっ!」
怒鳴ると同時に気合を入れて剣の柄を強く握る。
すると炎と化していた刀身が一瞬激しく燃え上がり、黒い影を燃やし尽くしてしまった。
紙の燃えかすのようになった黒い影がパラパラと粉になりながら天へと舞い上がって消えていく。
何ともあっけない結果に、グライダは仇をとった感動すら持てないままだった。
すると少し離れたところから、ドアらしきものが荒々しく開く音が響いた。
「全くなぜ馬車が動かん。ん? あやつがおらんではないか。どこへ行きおった!?」
続いて聞こえてきたのはスズエ・ド・ナーカンの怒り声。馬車が停まってしまった事に疑問を持って降りてきたのだ。
馭者であるボルドがいなくなったため馬が自然に歩みを止めたのが理由だ。
感動していいのかすらよくわかっていないグライダを置いて、バーナムとオニックスはスタスタとナーカンに向かって歩み寄る。
「スズエ・ド・ナーカン警察情報局長ですね」
オニックスが表面上は穏やかに話しかける。
「そ、それがどうした牧師の分際で。それより早く警察署へ使いを出すよう言いに行け。何者かが我が屋敷を破壊し、侵入した上警備兵まで虐殺したのだぞ。伯爵にして警察情報局長たるこのスズエ・ド・ナーカン……」
淀みのないセリフをズラズラと並べてている途中で、バーナムがその顔面を殴り飛ばした。
「どーでもいいわそんなモン! ボルドの雇い主はオメーってだけでブン殴るには充分だっての」
それからオニックスは、あっさりとひっくり返ったナーカンの胸を踏みつけると、
「聞くところによれば自分に都合のいい組織作りのために、邪魔者を殺したり金で人を懐柔したりしていたそうですね」
表面上だけの穏やかな表情から一転。その顔は汚い物を見るような嫌悪感と軽蔑の表情であった。
「そ、それがどうした。組織作りなどそういうものだ。自分に従う者を集めるのが当然だ。まるでそれが悪いような言いぶりではないか!」
バーナムに渾身の力で殴られた部分が一気に腫れ上がり、かなり喋りにくい筈なのに先程のようにズラズラと言葉を並べ立てる。
「伯爵にして警察情報局長たるこのスズエ・ド・ナーカンたる我に向かって、たかが牧師が意見するなど身の程を知るがいいいっ!?」
話の途中でオニックスはナーカンの顔面スレスレに刀を振るった。ナーカンはビビって黙ってしまう。
「バスカーヴィル・ファンテイル。警察情報局長であるなら、名前くらいは聞いた事がある筈ですよね」
四囲の人々の願いを受け、悪を打ち倒す謎の存在。それがバスカーヴィル・ファンテイル。
「その名において、あなたを断罪させて戴きます」
オニックスは今まで乗せていた足を退ける。
その隙にとばかりに転がるように立ち上がると、彼らに背を向け一目散に駆け出して行った。
その背を見ながら彼は日本刀を鞘に収めると、一足でナーカンに追いつき、そのまま一気に追い抜いた。
そして、いつの間にか刀は抜かれて振り切られ、その動作のまま動きを止めた。
一方のナーカンは二、三歩走り続けたかと思うと、そのまま立ち止まってしまった。
直後、その首がころりと転げ落ち、地面をポンとバウンドして転がった。
「石井岩蔭流(いしいいわかげりゅう)抜刀術奥義・椿(つばき)。懺悔はあの世でお願い致します」
姿勢を正し刀を振って血糊を飛ばすと、腰に下げたままの鞘にするりと収めた。


翌日。スズエ・ド・ナーカン警察情報局長の屋敷が崩壊した事と殺された事は瞬く間に町中に広まった。
特に首を切り落とされるという、この辺りでは珍しい殺され方に人々の関心が集まっていた。
そしてスズエ・ド・ナーカンの差し金で多くの人々が殺されていた事が明るみになり、警察署内は上を下への大騒ぎ。
金で懐柔された者達が次々に「あいつもそうだ」と罪をなすりつけ合い、もはや組織として機能しているかも怪しいほどだ。
その中の一人ドム・バンビールは親しい者達に見守られながら、妻の隣に葬られている。
その後グライダ・バンビールは、ボルド・ルニックに取り憑かれていた少女を引き取っていた。
馬車から転げ落とされたためにケガこそしていたが、命に別状はなかった。
命に別状はなかったが、その少女には記憶がなかった。記憶喪失との事だった。
ボルド・ルニックが取り憑く前からなのか、取り憑いたからなのか、馬車から転げたからなのか、それは医者にもわからなかった。
ならばその記憶が戻るまでは、自分が面倒を見よう。グライダはそう思ったのだ。
少女にセリファと名づけ、妹として共に暮らしていく。そう言っていた。
その後、バーナムとオニックスは、シャーケンの町を背に歩き出していた。
ドム・バンビールの葬儀を始め事件の顛末を見届けるまではいたものの、彼らに定住は性に合わなかったようだ。
「報酬も手に入った事だし、これで当分メシには困らねぇな」
ウキウキ顔のバーナムだが、先の戦いの後から小さな食堂一件を潰すような量の食事を平らげ続けていたので、その報酬もだいぶ無くなっている。
「お金は二度と貸しませんし、食事を奢りもしませんからね。いい加減【節制】というものを覚えて下さい」
バーナムと関わり合いたくないと歩を早めるオニックス。
金づるという意味かはともかく、離れまいとそれ以上に歩を早めるバーナム。
町の悪を打ち倒した二人の様子を見守るのは、天高く輝く太陽のみであった。

<FIN>


あとがき

これが約三〇年前に書いた「バスカーヴィル・ファンテイル」のプロトタイプと呼べる作品になります。そのままではなく多少手は加えてますが。
モチーフというかノリとしては時代劇。当時再放送を見ていた「三匹が斬る!」ですね。
この設定を第一話にしなかったのは舞台(旅先)と事件を毎回変えるのが大変そうだと思った事。そして「世界観」がよくわからん話だ指摘された事。
乗合馬車が通常移動手段なくらい昔っぽいのに警察無線があるというチグハグさ。そもそも過去なのか現代なのか異世界なのかの説明すらなかったのが原因です。
そこから「魔法もメカも何でもありあり」な世界観の「一つの町を舞台」にしました。
その過程でコーランとセリファを加えてあのメンバーになった、というわけです。

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