トガった彼女をブン回せっ! 第22話その6
『有難うございます、アキシ様』

日本人であれば、寝ている自分の顔に白い布がかかっていたら、決して良い気分にはならない。
「打ち覆い(うちおおい)」「顔かけ」などと呼ばれるその白い布の名前を知らなくても、意味は判っているからだ。
イタズラでやるにしても、やって良い事と悪い事がある。高校生にもなれば、さすがにそのくらいの分別はつく。
昔から割と虐められていた昭士であったが、さすがにここまでされた事はなかった。
だが。状況を考えればやむを得ない。昭士はその布を脇に置いて立ち上がろうとする。
[あ、あ、あああ、あ、あ、あ、あああ、あ、あ、あ!?]
『う、う、う、動いた!?』
スオーラもジュンもはそんな昭士を見て(ジュンの方は見ているか判らないが)目を点にし口をあんぐりと開けて驚いている。
当たり前である。昭士の体から脈拍が消え失せ、死んで行くのを確かにこの指と目が確認したのだから。ましてや人間以上の感覚と能力を持っているジェーニオ達も死亡を確認しているのだ。
しかも死因は神経毒がもたらす全身の筋肉の麻痺。それによる心臓停止だ。停止してから毒の効き目が切れたので麻痺が治って生き返りました、などという事はありえない。
だが昭士はそんな麻痺など全く感じさせない動きで布団をはね除けて立ち上がる。
[アアアアアアキシ様!?]
ドモり症の昭士に負けず劣らずのスオーラの慌てぶり。その表情も驚けば良いのか喜べば良いのか混乱しているかのような、なんとも形容し難いものになっている。
[だだ大丈夫なのですか? それに毒は? 解毒はできていない筈なのですが!?]
その魔法は先程昭士が死ぬ(?)と同時に散った火花で打ち消されてしまっている。魔法が効いたから生き返ったという事だけはありえないのだ。
しかしこの蘇生は魔法以外ではありえないだろう。信じられないのか信じ難いのか、これまた形容し難い様子で、彼の両肩を掴んで揺さぶっている。
昭士はそんなスオーラに苦笑いだが微笑みかけると、揺さぶっている両手にそっと手を添え、
「バババ、バ、バックアップだってさ」
[ばっくあっぷ?]
パソコンなど存在しない世界のスオーラにそんな事を言っても通じる訳はなく。彼女は益々混乱する。
するとそこにオモチャが変型した鳥が飛んできて、昭士の頭にちょこんと止まった。そのくちばしには未だに点滅を繰り返すムータがくわえられている。
昭士がそれを指でつまむと、鳥はくちばしからタイミング良く離してみせる。彼は調子に乗って指先でクルクルと回転させる。
その時初めて気づいたが、そのカードが小さくキラキラと光っているのだ。金色のラメが入っているのである。成長若しくは何かが変化した事に伴って、ムータのカラーが変わったのだろう。
「じゃじゃ、じゃあ、俺、いい、い行って来るから」
昭士が一歩踏み出すと、入口を陣取るように突っ立っていた他校の教員達が真っ青な顔のままものすごい勢いで飛び退るように道を開けた。勢いあまって後頭部を思い切りぶつけた者まで出た。
昭士と馴染み深い鳥居ですら引きつった笑顔で手を振るのみだ。
「いい、行こう」
[は、はい!]
『判りんした』
昭士とようやく平穏な表情を取り戻したスオーラ、ジュンは部屋を出て狭い廊下を駆けて行く。
玄関で脱いでいた靴を履き終えて外に飛び出し、合宿所前のグラウンドの真ん中に立つ。一応ナイター設備はあるが、昨日の一件で夜間外出が止められている関係もあり、明かりは一切ついていない。
この辺りまで来れば合宿所からもほとんど見えまい。一応昭士達の事情は皆に話したが、それでも大っぴらに見せたいものでもない。
するとこれまで頭にしがみつくように止まっていた鳥がピョンと飛び立ち、ひとりでに銃へと変わっていく。昭士はそれを右手で掴んだ。
右手に銃・ウィングシューター、左手にカード状アイテム・ムータ。それらを確認するように見比べている。
そしてムータの中央にウィングシューターの銃口を密着させる。そんな風にムータがくっついたままの銃口を、今度は真上に高々と掲げて、叫んだ。
「リムターレ!!!」
同時に引き金を強く引く。
引き金の勢いとは正反対に、ムータはゆっくりと宙に舞い上がり、そこから粉々に弾け飛んだかのような青白い光が舞い飛ぶ。その小さな光の一粒一粒が渦となって昭士の身体にまとわりついていく。
まとわりついていた光が消えた時、彼の格好は一変していた。
これまでの青いつなぎとは違うワインレッドのつなぎ。いや。それ以上に身体に密着するようなそれの上から金色のベストを羽織っている。開け放した胸板には双頭の鳥を図案化したシルエットが白で大きく描かれていた。
グローブとブーツはいずれも白。それから携帯入れと銃のホルダーが付いたベルトも白。バックルの部分にはムータが収まっていた。
その姿は、まさしく特撮の戦隊ヒーローのスーツのようである。いや、そのものである。
「……ビミョーに恥ずかしいな、この格好」
変身しがたゆえにドモりがなくなった昭士が呟く。
ちなみに頭は「変身」していないのでそのままである。ヘルメットもきちんと装着されていれば、それはそれでカッコ良さがあるのだろうが。
昭士は変身に使った銃をホルダーに収めると、
「あのカエルはどこに出たんだ?」
[判りません。ジェーニオ達が向かっていますが……ところでアキシ様、何故生き返ったのですか、それにその格好は?]
色々疑問に思ったのか、はたまたツッコミの一つも入れたいのか。スオーラはそう訊ねずにはおれなかった。
「俺の場合、あのムータとかいうヤツに自動的かつ定期的にバックアップされるんだと。死んでもそこから復元するらしい。ったく俺はパソコンか何かか?」
確かに最近のパソコンにはそうした機能が標準でつけられている。便利といえば便利な機能だが、ムータが破壊されればバックアップも何もない。
「詳しい事は俺にも良く判らん。ただあのオモチャにナントカいう宝石が入ってたらしくてな。それの力を加えてバックアップから復活したとか言ってたな。だから今度はこいつがないと変身できないってよ」
そういってオモチャの銃をもてあそぶようにひらひらとさせる。
ムータの中(?)には精霊と呼ばれる存在がおり、その精霊から基本的な使い方などを伝授される。スオーラも魔法使いのムータを手にした時に体験しているので、だいたいの想像はついた。
だが「バックアップ」「復元」と言われてもやっぱりピンと来ない。この世界でまだ四ヶ月ほどしか暮らしていないため、パソコンに関する知識もほとんどないのだ。
首をかしげているスオーラに構わず、昭士は自分の格好を呆れつつ見ると、
「コレ、このオモチャで変身する特撮ヒーローの格好と殆ど同じなんだよ。まぁ本家の方は女の子だからスカートがついてるけど」
たとえヒーローでも女の子がしていた格好である。こんな場所でコスプレまがいの事をする事以上に、どことない恥ずかしさがあるのだ。
「……グレムリンのヤツがいじった時に『本物みたいに』したから、こんな変身機能まで付いたのかねぇ?」
もちろんグレムリンでないスオーラに、昭士の問いに答えてやる事はできず。
[とにかく、ご無事で何よりです]
昭士を見つめるスオーラの安堵の笑顔。それは夜にも関わらずとても明るく輝いて見えた。この場に剣道部員達がいたら、昭士は今度は毒ではなくやっかみの暴力で殺されているに違いない。
『良く判りんせんが、生きてありんすのでありんすね?』
短剣の姿ゆえに表情など全く判らないが、ジュンも微妙に混乱しているようなのは、その物言いから伝わって来る。
「せっかく拾った命だし、いくら生き返れると判ってても、もう死ぬのはゴメンだな。死ぬほど痛いし」
そこでスオーラの携帯電話が着信音を奏でる。彼女は慌ててポケットから携帯電話を取り出し、出る。
[はい。モーナカ・ソレッラ・スオーラでございます。どちらさまでしょうか]
このような状態でも丁寧な口調。周囲が静かゆえにほんの小さく相手の声が聞こえて来る。相手は精霊のジェーニオ(女性体)である。
ジェーニオは電話を持っていないがこちらの機械や電波との相性がすこぶる良いらしく、こうやって通信が可能なのである。
昭士は会話の途中でスオーラから携帯電話を取り上げると、
「はいこちら角田昭士。ジェーニオか? 今どこだ?」
電話の向こうから、昭士に全く聞き取れない鋭い叫び声が。おそらく彼女等の国サッビアレーナの言葉だろう。
死んだと思っていた人間の声が聞こえれば、さすがに驚くに決まっている。昭士は無理だろうと思ったが「落ち着け」と前置きして、
「それよりお前ら今どこ……は、真上!?」
その言葉に昭士が真上を見上げる。釣られてスオーラも。だがそこには田舎独特の綺麗な星空しか見えない。
電話でジェーニオが言うには、このカエルの体液=毒は摂氏十度以下で凍ってしまう特性があるらしく、遥か上空まで運んで凍らせてしまえば良いと考えたらしい。
それにエッセは元にした生き物の影響を多大に受ける。冬眠する両生類であれば、寒い中では満足に動く事もできないだろう。
その二つの理由から、神経毒の影響を受けない精霊であるジェーニオ二人が、何とかして遥か上空までエッセを運んだのだという。
そのアイデアは殊勲賞モノだと昭士は思ったが、一つ問題が。
止めを刺すべき昭士は、一体どうやってそんな遥か上空まで行けば良いのだろう。
今この地上の気温は二十度。真夏とはいえ都会よりは涼しい山あいの田舎ならこんなものだろう。そして気温は(山の場合)百メートル登るごとに〇.六度低くなると云われている。
それが本当だと仮定して計算していくと、今ジェーニオ達は標高二千メートルくらいの位置にいる事になる。
そんな上空に上がる方法がないのである。精霊と違って人間には空を飛ぶ能力がないのだから当たり前である。
一応スオーラも魔法で空を飛ぶ事はできるが、さすがに上空二千メートルまで行くのは無理だ。彼女は申し訳なさそうに首を振っている。
かといってジェーニオのどちらかに迎えに来てもらう訳にもいかなそうだ。それができるなら既にどちらかが迎えに来ている筈だ。
もちろんせっかく凍って動きの鈍くなったカエル型エッセを地上に下ろしてもらうなど論外だ。悠長にやっていたら身体が元通りに動くようになるに決まっている。
そんな事情を懸命に考慮して出した結論は、
「今真上にいるってんなら、凍ったまま落っことせ!」
……である。
電話の向こうでゴネだすが、作戦であると力技で押し切って、あと一分経ったら落下させろと言って通話を切った。そして電話をスオーラに返す。
昭士はベルトのバックルにあるムータを何となく手で触れて叫んだ。
「キアマーレ!」
それは世界のどこにいてもこの場にいぶきを呼び出すためのキーワードだ。戦士の姿にならないと使えないが。
そして昭士が戦士の姿になるのと同時に、いぶきは全長二メートルオーバー、重量三百キロの大剣「戦乙女の剣」に姿を変える。その剣が合宿所から「飛んで来た」。
刃の部分だけでも二メートル近い長さ。幅も四十センチはあるし、刃の厚みも五センチはある。大剣に間違いはないのだが、刃にギザギザが付いている事もあり、巨大な鋸、もしくはただの鉄塊と表現するのが正しいだろう。
いつもは皮張りの鞘に収まっているのだが、さっきまで着ていたのが浴衣だったためか、刃に厚手の布を荒っぽく何十にもグルグル巻き付けただけである。
ミイラにしか見えないそれを、一所懸命ほどいていく。するとその途中で、
『テメェ! 死にぞこなった上にチカンかゴルァ!!』
戦乙女の剣はいぶきの肉体が変化し、鞘は服が変化する。姿形がこうでなければいぶきは今まさに実の兄に全裸に剥かれているのだから、一応女子高生のいぶきが怒るのは当たり前である。
しかしその外見はどこからどう見ても立派な剣。性的な感情を持つ者はまずいないだろう。
そんな怒鳴り声に構わず昭士はミイラの包帯のような布を全部取り終えた。
[ア、アキシ様。一体何をどうするおつもりなのですか?]
『……串刺しにするつもりでありんすか?』
スオーラの質問に答えたのはジュンだった。
そう。凍ったカエル型エッセを真上から落として、戦乙女の剣で受け止めるように串刺しにする。これなら昭士が上空へ行かずとも戦乙女の剣でトドメを刺せる。
いくら地上との温度差が二十度近くあるといっても、あっという間に凍った身体が溶ける訳ではない。
もちろんキッチリ真下に落とせるのかというコントロールの問題はあるがそこはそれ。戦士の時の昭士に備わった「周囲の動きを超スローモーションで認識できる」能力を生かせば、よほど遠くに外れない限りは大丈夫な筈である。
昭士は相変わらずギャアギャアと騒ぐいぶきを無視し、戦乙女の剣の切っ先を天にまっすぐ向けた。柄の先を地面に軽くトンと置き、片膝ついて両手で柄を握って待機する。
それからしばし待つ。するとすぐに空の星々に混ざって何やら異質な「輝き」が見えてきた。
それは明らかにあの時のカエル型エッセだった。両手足をジェーニオ二人が押さえつけるようにして、落下して来るのだ。
その様子は、何となく二人がかりで繰り出されるパイル・ドライバーのようにも見えた。より正確に昭士の――戦乙女の剣の真上に落とすよう、わざわざ微調整してくれているのだ。
昭士は真上を見ながら微妙に立ち位置を調整しながら、
「スオーラ、離れてろ。激突の瞬間結構破片が飛ぶだろうからな。余力があったら合宿所とかにバリアでも張っててくれ」
ちょっとでも何かあったら凄まじいテンションで文句が来るに決まっている。そんな面倒に巻き込まれるのはゴメンである。
スオーラも先程の教員達に「万が一にも彼等が危険な目に遭ったり、巻き込まれたりする訳にはいかない」との本音を聞いているので、じゃあやってやろうかとヤケにも似た気持ちで合宿所の方へ走る。
すると合宿所の入口周辺に、留十戈学園高校の面々が集まっていた。彼等はスオーラを見かけると、
「スオーラちゃん! 角田兄が生き返ったんだって!?」
部員の誰かがそう訊ねてくる。スオーラは無言でうなづくと、
[これからエッセの迎撃が始まります。皆さんは決してここから前に出ないで下さい!]
そう言うと彼女はさっきと同様に自分の胸に右手を押し当て、めり込ませる。その手が身体から出てきた時には、その手には分厚い魔導書が。
それからパラパラと魔導書をめくると、とある一枚のページを破る。それを合宿所を背にして掲げた。
「CAMIA」
不思議な発音と共にページが輝く。するとスオーラの目の前にキラキラと輝く透明の壁が現れた。その「キラキラ」がずいぶん広範囲に及んでいる。かなり大きなバリアを張ったのだろう。
そうこうしているうちに普通の人間でも見えるくらいの高さにまでエッセが落下していた。
昭士も上を見て自分からも動いて微調整する。昭士が狙うのはただ一点。先ほど「死ぬ」前に剣を叩きつけてまだ直っていないカエルの横顔である。
ジェーニオもその辺は判っているようで、その横顔が一番下になるよう空中で組み伏せているような体勢だ。
昭士はベルトのバックルに収まっているムータを取り外し、戦乙女の刃の根元にあるくぼみにセットした。同時に剣全体にバチバチッと白い稲妻が走る。
『いででででででででで』
ただでさえ今のいぶき=戦乙女の剣の破壊力は凄まじいものになっている。それに電撃による「痛み」を加味して破壊力を更に上げるつもりなのだ。
エッセは油断できない相手である。特に相手を金属化するガスは。昭士達や一回「金属化」された人間には効かないようだが、それでも浴びたいものではない。
昭士は白い稲妻を纏った剣を全力でキッチリ支え、真上からの激しい衝撃に備える。そこにジェーニオが落下の勢いを加えてエッセを叩きつけた!
ばぎん!
剣の刃はカエルの横顔の亀裂からやすやすと体内に入り込み、肉(?)を斬り骨(?)を割りながら砕けて行き、身体が開きのように真っ二つになった。
それも剣が発する白い稲妻がエッセの全身を激しく包みながら。真っ二つになって地面に落ちたカエルは、それでもよくある実験の時のように手足をビクンビクンと震わせている。
そんな音をかき消すかのようないぶきの猛烈な悲鳴が今、夜空にこだました。
『いっっっだあぁぁぁあああああぁっっっ!!!!』
開きにされたカエルの斬り口から、淡く黄色い光が漏れてきたのだ。そしてその黄色い光は斬り口から首、胸、腕、腹、腰、脚と瞬く間にカエルの二つの半身を包んでいく。そして、
ぱぁぁぁぁぁあん!
静かに、そして華やかにその身体が光の粒となって一斉に弾け飛んだ。その粒は暗い空一面に、そして天高く広がっていく。その美しさは天上にある星空もかくやという程だ。
この光の粒が唯一、金属と化してしまった生物を元に戻す事ができるのだ。それは同時にこのカエル型エッセに勝利した証である。
昭士はようやく全身の力を抜いて、大きく息をする。「勝って兜の緒を締めよ」ということわざがあるが、それでも今くらいは安堵しても許されるだろう。
上空に浮かぶジェーニオ二人に親指を立てて合図すると、二人も知ってか知らずか同じポーズで返してくれる。
悲鳴を上げ過ぎてヘロヘロになっているいぶき=戦乙女の剣を肩に担ぎ、合宿所の入口に戻ってきた昭士は、そこに皆が勢揃いしているのを見て、手を挙げて答える。
鳥居から話を聞いてはいたものの、まさか本当に生き返っているとは。驚くやら嬉しいやら。むしろさっき悲しんだ気持ちを返せと言わんばかりの目である。
だがそれも、それだけ彼を心配していた証。いぶきと違って。その辺りは甘んじて受けねばならない。
そういった名目でガシガシ叩かれるのを覚悟していたが、それは来なかった。
バリアを解除した途端、スオーラがその場にペタンと座り込んでしまったからだ。それを慌てて支えたのは剣道部の女子部員達。手を貸そうとした男子部員を視線で黙らせながら。
[あ、す、済みません。終わったら、急に、力が……]
自力で立ち上がろうとするが、ついた手に力が入らない。踏みしめた足から力が抜けていく。
部員達に支えられてどうにかこうにか立ち上がったスオーラ。だがそんな女子達はスオーラの背中をグイグイと昭士の方に押しやっている。
……微妙に顔を背けながら。
そんなリアクションを不思議に思ったスオーラだが、手に何かが落ちたのが判った。それを見てハッと目を見開いて身を固くした。
それは何だったのかというと、水。水滴。……涙である。
それを見て初めて、スオーラは『今自分が泣いている事に』気づいたのだ。
気づいて手で涙を拭くが、何故か止まらない。止まってくれない。拭けば拭く程後から後から溢れるように出て来る。自分でも判らない。決して泣くような場面ではないのに。戦いが終わって喜ぶところなのに。何故涙が。
剣道部員達はさすがに気づいていた。昭士が生き返ったかと聞いた時無言だったが、その時の笑顔を。「良かった」「安心した」というのが喋らなくても伝わってくる、自然な笑顔。
それからこの涙である。笑顔をグシャグシャにしてこぼれる涙を拭おうとするその姿である。
十五歳の少女がおそらく初めて見せた「素」の自分。聖職者の令嬢でもなく、救世主でもなく、学食の看板娘でもない、本当に「素」のモーナカ・ソレッラ・スオーラという人間の本当の姿。
張りつめていた緊張がほどけ、昭士が無事だった喜びがあふれ、自然に出てくる嬉し涙。その時点で積もっていたやっかみも、今の昭士の戦隊ヒーローのような格好へのツッコミなども綺麗サッパリ吹き飛んでしまっていた。
剣道部員達の横や後ろからそれらを見ていた他校の生徒・教員達も、十五歳の人間が背負わされていた責任やプレッシャーという重圧感。それらに耐えて戦ってきた事。
彼女は化物ではなく、自分達と同じ人間なんだと刻み込むには充分な涙であった。
昭士の後ろにいたジェーニオ達も、無言で彼の背を軽く押してやる。こんな時に昭士がするべき事は一つしかないと言いたそうに。
無論昭士とていぶきのせいで女性に対しては淡々と、そしてなるべくこっちから関わり合いにならないように過ごす「クセ」がついてしまって対人スキルはほとんどないが、それでもこんな時に何もしないでいる程野暮でも無神経でもない。
ただ……これだけの人数の視線を一心に浴びて。戦隊ヒーローのコスプレまがいのような格好で。それより何より十センチ以上もの身長差。しかも男の自分の方が低い。
その辺りのケチなプライドのようなものもあり、どうにもこうにも。そんな心境である。
周囲(特に剣道部員達)の「何もしないのか」「やれやれ」という囃し立てるような空気。退くに退けない空気。というヤツである。
それでも昭士はその場に戦乙女の剣を突き立てると、無造作にズンズンとスオーラの元へ歩く。
涙を拭い続けるスオーラの前に昭士が立った。困ったような嬉しいような、隠し切れない恥ずかしさ全開の顔。
「あー……そのー……泣き止めよ、な?」
がたがたがたがた。
ギャラリーの殆どが(一部の人間はかなり大げさに)ずっこける様は、まるで昔のコントのようである。
そんなコントなど全く知らないスオーラは、
[……はい。有難うございます、アキシ様]
涙は止まっていないが、それでもスオーラは彼に向けて微笑んだ。
満面の笑顔で。

<第22話 おわり>


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