『ノン・アルコール』

「マリア、今、暇?」
その日のうちに仕上げなければならなかった書類をまとめ上げて、たった今かえでの部屋から出てきたマリアは、いつものようにジャンポールを抱いているアイリスに、服の袖をつかまれた。
昨夜は徹夜に近かった為、夕食まで仮眠を取ろうと考えていたマリアだったが、アイリスの無邪気な笑顔にその考えを改めることにした。
「えぇ、今ようやく仕事は終わったところだけど」
「じゃあ、お願いしてもいい?」
アイリスの瞳がキラキラと輝きだす。
その瞳に思わず微笑みを返しながら、マリアはアイリスのお願いを尋ねることにした。
「えぇ、いいわよ。何なの?」
「アイリスね、シンデレラを飲みたいの」
「へ?」
予期していなかったアイリスのお願いの内容に、思わず間の抜けた返事をしてしまったマリアは、慌てて思考回路を組み立て直した。
「シンデレラって……次の公演は、カマンベール冒険記よね」
「そうだよ。アイリス、ヒロイン役だもん」
マリアの言葉に、アイリスはキョトンとした表情で答えた。
しかし、そのアイリスの仕草と言葉に、マリアの混乱はますます酷くなっていく。
「ま、まさかアイリス、シンデレラの衣裳を飲みたいの……」
「マリア?」
「い、いいえ、そんな筈はないわ……衣裳じゃなければ、シンデレラの本をミキサーにかけて……」
「マリア〜」
マリアは徹夜明けの疲弊した脳のせいか、どこか思考回路がズレている。
まるでとんちんかんなことばかり口走るマリアに、アイリスは不服そうに両頬を膨らませた。
そして、アイリス独特の少し舌足らずな声で唸り声を上げた。
「マリア〜」
その不服そうな顔に気付いたマリアは、何とか態勢を立て直すと、大きく息を吸ってからアイリスの目を見て口を開いた。
「ア、アイリス、シンデレラの役作りなら、すみれに教わった方がいいわよ。私は王子役しかやったことがないし」
「何言ってるの? アイリス、シンデレラを演りたいんじゃなくて、シンデレラを飲みたいのッ」
「だから……飲む?」
マリアがようやく混乱から逃れられたようだった。
しかしそれでも、アイリスが望んだ結果は得られそうにない。
そう思ったアイリスは、実力行使に出ることにした。
「もぅ、こっち来て!」


まだ呆然としている感じのマリアをバーのカウンターの中に押し込んで、アイリスはジャンポールをカウンターの上に座らせ、自身はスツールの上にちょこんと座った。
その様子をどうにか認識し終えて、マリアはようやく自分の周囲を確認した。
「アイリス、どうしてバーなの? 何か飲みたいのだったら、食堂の方がいいと思うのだけど」
「だって、加山のお兄ちゃんはそこの缶を振って作ってくれたもん」
そう言ってアイリスが指差したのは、マリアの背後にあるシェーカーだった。
振り返ってアイリスの指差すシェイカーを手にしたマリアは、ようやくシンデレラの意味を理解した。
「あぁ、シンデレラってカクテルのシンデレラのことなのね」
他人事のように呟いたマリアに、アイリスは満面の笑みで頷く。
機嫌が良くなったのだろう。
アイリスの力によって、ジャンポールが二度ほど頷く仕草をして見せた。
「マリアがバーテンさんね」
「はいはい。じゃあ、シンデレラを一杯でいいのかしら」
「うんっ」
大帝国劇場の二階部分は、このバーの領域まで一般人が立ち入ることができる。
今日は閉館日の為に扉は開け放たれているが、普段は扉が閉められている。
「それじゃ、少し待っててね」
バーに備えられている蒸気冷蔵庫からオレンジ、レモン、パイナップルのジュースを取り出す。
一流の劇場として機能している大帝国劇場のバーには、それこそ一流の品揃えがある。
もちろん、これは無類の酒好きな米田支配人の掛声で決まったことでもあるのだが。
「えっと、たしか分量はこうだったかしら」
酸味のあるレモンをアクセントに置き、オレンジとパイナップルのジュースをそれぞれシェイカーに注ぐ。
カンナ持参のパイナップルは、とても素晴らしい味だ。
季節外れのオレンジも、まだまだその鮮度は落ちきっていない。
紅蘭印の蒸気冷蔵庫は、凄まじい威力を発揮していた。
「よし、こんなものね」
シェイカーを手馴れた手付きで振り始めたマリアに、アイリスは感嘆の声を漏らした。
「すごーい!」
「昔はよく自分で作っていたからかしらね」
そう言って、マリアはシェイカーの中身をグラスへと移した。
コルクのコースターを下に敷き、マリアはシンデレラをアイリスの前に出した。
「ありがとう、マリア」
嬉しさを前面に押し出してくるアイリスに、マリアは微笑みで応えた。
「いただきまーす」
早速飲み始めたアイリスを見ながら、マリアはふと浮かんだ疑問を口にする。
「だけど、何処でシンデレラなんてカクテルを知ったの?」
「ん? この前の晩にね、ここで加山のお兄ちゃんに教えてもらった」
半分ぐらい飲み終えたところで、アイリスはグラスを置いて答えた。
一気に飲むには量が多かったのか、アイリスは一息いれた。
「そう……加山隊長は一人でバーにいたの?」
「うぅん、かえでお姉ちゃんもいたよ」
「副司令もいらしたのね」
「うん。かえでお姉ちゃんがアイリスに座りなさいって言ったの。それから加山のお兄ちゃんに、アイリスに何か作りなさいって」
マリアは何故か無意識のうちに磨き始めていたグラスを棚に戻し、大きく息を吐いた。
それでも笑顔を作ると、今度はシェイカーにウォッカとジンを入れて振り始めた。
「アイリス、その時の様子を話してくれる?」
「うん、いいよ。そのかわり、おかわりちょうだい」
そう言ってマリアに渡されたアイリスのグラスには、一滴たりとてシンデレラは残っていなかった。


帝国歌劇団の夜は早い。
夜の公演が終わってしばしの休憩の後、すぐさま食事の時間となる。
そして、午後十一時には消灯時間となってしまう。
もちろん、マリアやカンナの年長組はそこまで健康的に暮らし続けることはできないが、基本的に消灯時間は守るように心掛けていた。
「……ん、トイレ」
窓の外は漆黒の闇だ。
アイリスが首をまわして部屋の時計を見ると、短針は一時を差している。
「うわ、夜中だよ」
アイリスはそう呟くと、添い寝していたジャンポールを起こさないように、そっとベッドを抜け出した。
そのまま静かに部屋の扉を開けると、静けさが音となって聞こえてくる錯覚に陥る。
「えへっ、アイリスだけだよね、起きてるのって」
アイリスが小声で嬉しそうに言った途端、アイリスの身体がブルッと震えた。
背筋をピクッと伸ばしたアイリスは、次の瞬間には少し腰を屈めていた。
「トイレ行かなきゃ」
本来の目的を思い出し、トイレへと駆け出す。
毛の長い絨毯が敷かれている帝劇の廊下は、体重の軽いアイリスの足音を殆ど消してしまっている。
そのせいか、アイリスは誰にも気兼ねすることなく、本来の目的場所に到達した。
目的場所に到達し、後は用事を済ませるだけである。
「……ふぅ、よかったぁ」
本来の用事を済ませると、普段見たことのない帝劇が、アイリスの好奇心をくすぐり始める。
夜中に起きているという独特の昂揚感も手伝い、アイリスは唇の両端を上げた。
「よぅし、お兄ちゃんみたいに見回りしちゃおっと」
帝劇職員のトイレは一階にしかない。
二階のトイレは二階客席のすぐ隣にあるため、職員は慣習として一階の職員用トイレを使用している。
そのことは、アイリスたち花組の慣習でもあった。
「んじゃ、とりあえず玄関からだね」
トイレを出て、帝劇の入り口である玄関へ向かう。
鍵がしまっているのを確認して、アイリスは次々と各部屋に首を突っ込んでいく。
食堂の中に誰かいないか。事務室に誰か残ってないか。
各部屋の入り口から首だけを覗かせ、クルリと部屋の中を見回していく。
「やっぱり、誰もいないね」
時にはカンナが夜食を食べていたりするのだが、さすがに公演のあった身では疲れているのだろう。
食堂には人影すら見ることはできなかった。
同じように、事務室には未処理の書類が溜まっているだけで、かすみの姿はない。
「よし、次は二階」
最後には自室に戻らねばならないが、普通に上がってしまったのではマリアの部屋の前を通らねばならない。
マリアは花組の中でも責任感が強い人間なのだが、報告書をまとめる時も多く、夜中でも起きている場合が多い。
そのマリアに見つかってしまっては見回りも終了だ。
そう考えたアイリスは、二階客席へ上がるための階段を登ることにした。
階段を上がり、二階客席に入るための扉に鍵がかかっていることを確認する。
その扉を確認すると、次はテラスだ。
テラスは、大神が見回りの跡でいつも外を眺める場所でもある。
「ひょっとして、お兄ちゃんがおきてたりして」
ちょっとした期待を抱きながら、アイリスはバーを通り過ぎようとした。
「あら、アイリスじゃない」
全然予期していなかった声に、アイリスが数cmほど飛び上がった。
ゆっくりとした動きで声の方に振り返ると、かえでがバーのカウンターに座りながらアイリスを見ていた。
「あ……かえでお姉ちゃん」
「どうしたの?」
「ちょっとトイレ……」
お化けではないことに心を落ち着かせたアイリスは、カウンターの中に加山を見つける。
スーツ姿の加山を見て、アイリスは二人が幽霊や妖怪でないことを確信した。
「そう。じゃ、アイリス、ここに座りなさい」
「えっ……アイリス、もう寝るよ」
深夜に起きていたことで怒られると思ったアイリスが予防線を張ると、かえでは無言で手招いた。
その笑顔は少し怖いものではあったが、アイリスは大神から聞かされていたかえでの怖さに、素直に従う事にした。
素直に自分の隣のスツールに腰を下ろしたアイリスに微笑を向け、かえでが尋ねた。
「何を飲む?」
「えっ? アイリス、まだお酒飲めないよ」
フランスにいる時はそうでもなかったのだろうが、アイリスは日本に来てからはずっと禁酒を守っていた。
それは充分に承知した上で、かえでは微笑を保ったままもう一度尋ねる。
「何、飲む?」
「えっと……でも、アイリスこういう所で飲むお酒の種類なんて知らないよ」
アイリスがそう言うと、かえでは軽く頷いて加山の方を向いた。
「適当に見繕ってあげて」
「わかりました」
アイリスとが見つめる中で、加山は器用にシェイカーを振り始めた。
心地よい音が、静かな劇場内に何処までも響いていくようで、アイリスは思わず背後を振り返っていた。
その仕草を、かえでがグラスを傾けながら窘める。
「アイリス、バーで背中を振り返っちゃいけないわ」
「そうなの?」
「えぇ。たとえ恋人を待っていたって、その恋人が来ても振り返っちゃいけないの」
「でも、それじゃわかんないよ」
アイリスが至極当然な疑問を口にする。
かえではグラスの中身で口を潤し、間合を取った。
「あのね、女が待つ時は気がある素振りをしちゃダメ。さり気無く待ってるだけで、男は罪悪感に襲われるの」
「ざいあくかん?」
「罪の意識ね。自分が待たせてしまったから、何かお返ししなきゃってなるの」
「へー。それっていいことだね」
学習してしまったアイリスに、加山が苦笑を漏らす。
「何を教えてるんですか」
「あら、必要なことでしょ」
「大神が困りますよ」
「はっきりしない大神君が悪いのよ」
酔いのせいもあってか、常日頃よりも悪く言われている親友に、心の中で涙を流す。
それでも、加山は笑顔でシェイカーの中身をグラスにあけた。
「はい、どうぞ」
アイリスに出されたグラスを見たかえでが、横から口を挟む。
「見たことのないカクテルね。何て言うのかしら」
「シンデレラ。十二時に眠るお姫様のためのカクテルですよ」
「お姫様のためのカクテルね……」
そう呟いたかえでの隣に座っているアイリスは、まずその薫りに目を輝かせていた。
加山が気を利かせて、柑橘系の香りを強く出したのである。
「なんか、ジュースみたい」
「ノン・アルコールだからね」
「ノン・アルコール……そうなんだ」
逸る好奇心を抑えながら、アイリスがグラスの淵に唇をつける。
それを見届けることなく、加山は新しいカクテルのためにシェイカーを振り始める。
アイリスに感想を尋ねるのは、かえでの役になっていた。
「どう?」
「おいしい」
「それはよかったわ。これでアイリスもレディに一歩近付いたわね」
「まだレディじゃないの?」
少し不満そうに頬を膨らませたアイリスに、かえではグラスを回して見せた。
バーを照らす僅かな街灯の光が、グラスの中身に反射して波のように漂う。
その波を瞳の中に写し取りながら、アイリスはじっとかえでの言葉を待っていた。
「レディになるには、恋人を狂わせる魅力だけじゃダメなの」
「どうして?」
「魅力で狂わせるだけじゃダメ。テクニックが必要なのよ」
「……また一人、毒牙にかかるか」
シェイカーの中身を自分用のショットグラスにあけて、加山は片付けを始める。
そんなカウンターの中の様子には気付かずに、かえでの講義は進んでいく。
「レディはね、お酒を上手に飲むのよ」
「上手に飲むって、マリアみたいに?」
アイリスが花組内で一番の酒豪の名前を口にすると、かえでは立てた人差し指を左右に振った。
「マリアはね、単に固いだけなの。あれはレディの飲み方じゃないわ」
「じゃあ、織姫?」
「織姫はレディだけど、あれでは日本の男は落とせないわね」
「さくらは?」
加山の動きが止まる。
残る洗い物は三人のグラスだけになっていた。
「さくらは悋気(りんき)しぃなのがねぇ」
もはや酒の飲み方の講義になっていないとつっこみたいのをグッと堪え、加山がグラスを呷る。
そんな加山を無視して、かえでのレディ講義は続いてゆく。
「レディと言うのはね、何気ない仕草で男を魅了して、決して離さず捕まられないものなの」
「はなさずつかまられない?」
「惚れさせて、こちらからは決して惚れない。要は、常に相手に飢えさせておくのよ」
「じゃあ、マリアはレディなんだね」
「まぁ、飢えさせてはいるわね」
かえでとアイリスの一言に涙を流しつつ、加山は親友の頼みを了解してやろうと考えていた。
「でもね、マリアの飲み方はいただけないわ。あれでは、お酒を利用できてないの」
「お酒を利用するって、どうするの?」
風呂の盗撮も許してやろうと、加山が心に誓う。
もちろん、一言も口に出すことはない決心である。
「酔って、もたれそうになる寸前で止めるの。向こうが肩を寄せてきたら、軽く睨む」
「うんうん」
「いつまでも肩を貸してくれそうになかったら、溜息をつく」
「それでそれで?」
「溜息の理由を尋ねてきたら、こう言うの。貴方のせいよ、ってね」
「うんうん」
「ここまですれば、男は犬のようになるわ」
「犬?」
比喩を理解できないアイリスが怪訝な顔で聞き返す。
その表情に、かえでは笑顔で答えた。
「男はね、尻尾を振る犬と同じなのよ」
「ふ、ふぅん」
さすがに満面の笑みを浮かべることができなかったアイリスに、かえでは心の中で舌を出していた。
それでも、グラスの中身を飲み干して決めのセリフを言おうとした瞬間、かえでの瞳が開かれる。
「……反則よ、加山君」
「レディだけではなく、ジェントルの攻撃もあることをお忘れなく」
かえでの口中のカクテルを舌で含み盗った加山が微笑する。
目前で起きた行為に顔を真っ赤にしたアイリスは、そそくさとスツールを下りた。
そのまま足音を立てないように後退していくアイリスには見向きもせず、かえでは加山を睨んでいた。
「気に入らないわね」
「窮『犬』猫を噛む。飢えた男は獣ですよ」
「覚えておくわ」
「そして、飢えた獣はしたたかです」
かえでの耳にかかった髪を手ですくうように、加山の手が差し入れられる。
その手を押さえようとしたかえでの手には、アルコールの影響が出ていた。
「加山雄一は、それほど甘くないんです」
「ラスティネイルよりも甘そうだけど」
「甘い分だけ度数はきつい。そんなカクテルですよ」
「随分人を食ったカクテルのようね」
「心外ですね。これでも一筋なのに」
「……信じさせて」
加山とかえでが交わすキスは、幼いアイリスには刺激が強過ぎたようだった。


二杯目のシンデレラをアイリスのグラスに入れる。
アイリスが美味しそうに二杯目に口をつけるのを、マリアは沈痛な気持ちで見ていた。
「加山のお兄ちゃんの作ってくれたのもおいしかったけど、マリアのも美味しいよ」
マリアの沈んだ表情に気付いたアイリスがそう言うと、マリアは微笑して首を振った。
「加山隊長の方が美味しいわよ、きっと。私のは、自己流だから」
「マリアのは、少しミカンのにおいがしなくて、パイナップルの味がする」
「柑橘系を強く入れたのね。確かにその方がいい香りがするでしょうね」
マリアは基本的にアルコール抜きのカクテルは飲まない。
ましてやアルコール抜きのカクテルを男性と飲む機会などほとんどなかった。
その違いだろうと、マリアは納得していた。


「加山君、台本の数は揃ってる?」
「はい。しかし、裏方の予算案が通ってないんですが」
「仕方ないわね。あとで大神君をせっついておくわ」
階段を上ってくる二人の話し声は、アイリスと喋っていたマリアにもよく聞こえていた。
無論、アイリスにも。
「あ、かえでお姉ちゃん」
「ご苦労様です。レディ藤枝、ジェントル加山」
元気なアイリスと何故か笑顔のマリアの声に、かえでと加山が足を止める。
台本を抱えた加山の視線は、アイリスの前に置いてあるカクテルに注がれていた。
「あら、アイリス、マリアに作ってもらったの?」
「そうだよ。マリアもとってもうまいんだよ」
「次はレディの嗜みを覚えないといけませんね」
「……バレてるみたいね」
笑顔を崩そうともしないマリアに対抗するように笑顔を浮かべたかえでは、静かに身構えた。
それに応じるように、マリアも戦う姿勢を崩さない。
「何か言いたいのかしら?」
「いいえ。ただ、中途半端な知識をアイリスに植え付けるのはどうかと」
「あら、真実よ。もっとも、男を飢えさせるだけの女神様にはわからないかも知れないわね」
「そうかもしれません。ですが、古い価値観は捨て去らなければいけませんので」
笑顔の中、無言で飛び散る火花に、遂にアイリスが加山の背後へと退避する。
すみれやカンナと違い、この二人の応酬は笑えるものではない。
この雰囲気に耐えられるのは、もはや歴戦の勇者しかいないだろう。
「価値観の古さはお互い様だと思うけど?」
「今は一年一昔ですから」
「あらあら、敗北宣言かしら。アイリスから見れば二人ともオバサンになるわね」
「そうですよ。ですから、私はもう男性をからかうなんて心苦しくてできません」
マリアの答えを聞いて、かえでの表情が勝利を目前に控えたかのように緩む。
しかし、マリアも簡単には許さなかった。
「それに、テクニックでは補えない魅力は一瞬で消えてしまうものですよ」
「……どういう意味かしら?」
「テクニックで落とせるのは、身近な男だけと言うことですよ」
今度は、かえでが言葉に詰まる。
シナリオに助けられているとは言えないほど、マリアのファンの年齢層は広い。
それは、テクニックではない魅力をマリアが秘めているという答でもある。
「テクニックだけの女性は、同性には好かれないとも聞きますね」
マリアのファンには女性が多いことも周知の事実である。
これはかえでが舞台に立っていないことを考慮には入れていないが、威力は充分である。
マリアに魅力があることを物語っているからだ。
「そこまで言うなら、勝負してみる?」
「かまいませんよ。何で勝負しますか?」
あくまでも強気に立ち向かうマリアに、かえではニヤッと口端を曲げた。
そして、懐からスッと一枚の招待状を取り出す。
「こんなところに、招待状があるんだけど」
「いいですよ。方法は?」
「お互いに相手を連れて行き、その上でパーティーの最中に何人からダンスの相手を申し込まれるか」
「いいでしょう」
笑顔のまま対峙していた二人が、突然加山の背後に隠れていたアイリスへ向いた。
ビクッと身体を震わせたアイリスが、おずおずと加山の前に出ると、二人は笑顔で頷いた。
「あの、アイリスが何かしたの?」
「いいえ。アイリスには今のやりとりの立会人になって欲しいの」
「立会人?」
「えぇ。できるわね?」
「うん。今のを覚えてればいいんだよね?」
「そうよ」
笑顔で再び頷いた二人を見て、アイリスはジャンポールを抱えると、タタッと走り出していた。
その姿を二人で見送って、マリアとかえでは大きく息をついた。
「ふぅ……いいんですか?」
「たまには私だって休み欲しいわよ。こんなことでもない限り、休めないでしょ」
先程とは打って変わり、二人の間に親密な空気が流れ出す。
マリアの笑顔は消え、かえでだけが微笑を浮かべている。
「マリアだって、大神君と二人で遊びに行きたいって」
「そうですけど。何だか、アイリスを利用してしまったみたいで」
「だって、この招待状をまともに皆に見せたら、大変なことになるじゃない」
「確かに……五人ですもんね、招待状」
そう言ってマリアが手にしたかえでの持っていた招待状には、客賓として帝国歌劇団の名前があった。
そしてしっかりと、五名のみの招待と書かれていたのである。
「賢人機関からも出席するように言われているし」
「ですが、何故五名なんでしょう」
「大方、五人ぐらい若者がいるんでしょ。お見合いも兼ねてたりしてね」
「有り得ない話ではありませんね」
そう言って溜息をつくマリアに、かえでは笑いながら招待状を懐にしまった。
ずっと台本を持って立っていた加山が、台本の入った箱を揺らして存在を意識させる。
その音を聞いて、かえでは慌てて加山に台本をサロンへ運ぶように命じた。
「ゴメン、加山君。サロンに持って行ってくれるかしら」
「はい。それより、あと一名はどうなさるんです?」
箱を抱えなおした加山が尋ねると、かえではすんなりとかすみの名前を口にした。
「かすみにお願いしてあるわ。どうせなら、事務も休ませた方がいいでしょう」
「確かに、藤井君なら漏洩もなさそうですからね」
そう言って笑った加山につられ、マリアも苦笑を漏らす。
花組の誰かを連れて行くのは論外。
ましてや由里を連れて行くのは最も恐ろしいことに思えた。
「ま、あと三日。しっかり喧嘩したふりしてましょう」
「そうですね」
そう言って微笑み合う二人は、決してレディではなく大人の女性だと加山は思っていた。

<ノン・アルコール 終わり>


あとがき


長々とした文章を読んでいただき、ありがとうございました。
あと小一時間、お付き合い下さいませ。

アルコールは嗜む程度の小田原峻祐です。
皆様はどうでしょうか?

まず、サクラ大戦です。
今回も戦闘シーンなどはありませんが、サクラキャラにとっては一つ大きなお酒を扱ってみました。
何故大きいかと言うと、ギリギリの年齢なんですね。現行の憲法では。

太正時代は一応、大日本帝国憲法だとは思うのですが、その辺は無視です。
ゲーム中でもすみれが飲酒している場面はないので、多分二十歳までは禁酒だったのかなと。
そうでもなければ、トップスタァのすみれが飲まない筈はないと思いますので。
ただ、さくらって絶対飲んでるんですけどね。雰囲気的には。

今回はどんでん返しを狙ってみました。
やや強引な振りで、伏線を貼ればよかったと思ったのですが、マリアが嫌な女になってしまった。
結局伏線の部分は削りました。
もう少しいい伏線の書き方が浮かべばよかったかなと思います。
でも、マリアがね。嫌な女にしかならなくなっちゃって。

基本は加山×かえでです。
少なくとも、このシーンは入れたい。
中盤を三人称にしたのもその辺です。アイリス視点では辛いところなので。
尚、レディの考えは男性の考え方なので、女性からの苦情は受け付けません(笑)

意外にアイリスに苦しみました。
動いてくれないもんですね。セリフにしたってどこまで難しい言葉を使ってよいやら。
かえでさんは書き易いのにね。

それでは、この辺で失礼致します。
女性を猫に喩えるのは間違いではないと思う、峻祐でした。

小田原さん、有難うございますm(_ _)m。「サクラ大戦」SSです。
前回に引続き「加山とかえでさん」。ゲーム中で目立ってないですからね。こういうのもファンサイトのSSの醍醐味というやつでしょう。
確かに「男性の考える『レディ』像」と「女性の考える『レディ』像」は似て非なるものでしょうから、確かにその辺へのツッコミはヤボってもんでしょうね。
それはともかく、お酒というのは昔から様々なドラマの主役・小道具として使われてきました。それだけ昔からあるという事でもあるんですが。
ちなみに管理人は、極度の下戸です。一口で真っ赤になります。
――管理人より。


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